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家族について

σ(⌒ー⌒) には近くに家族がいません。
兄弟もいませんし親戚もいません。
高校を出てから全寮制の看護学校に進学してからずっと一人でした。
看護婦になってからも看護婦寮で一人暮らしです。(普通のアパート形式)
入院して何が困ったかというと1番は入院に当たってのσ(⌒ー⌒) を連帯保証してくれるという
身近な存在でした。
家族が近くにいないσ(⌒ー⌒) は誰に頼んだかというと病棟の婦長さんにお願いしました。
入院するのも手術をするのもリスクの高い検査をするのも
みんな保証人がいないと日本の病院は入院治療はできません。
看護婦になる時に電話番号の取得やいろいろな事で
σ(⌒ー⌒) が住む県内の保証人が必要で
近市に住む遠い親戚の叔父がいましたが
家族のいろんなゴタゴタで音信不通な状態が続いており
とても頼めるような状態ではありませんでした。(もちろん連絡したけどね・・・)
入院する少し前に怪我をして手術が必要になったんだけどその時も大変な迷惑をかけてしまいました。
手術は本人の同意書やら家族の同意書および手術にかかる費用の連帯保証人が必要なのです。
それがそろわないと死にそうな患者さんでも手術はできない事もあります。
でもσ(⌒ー⌒) はその時は自分でお願いできる状態ではなくて
家族も駆けつけてくれるような状況ではありませんでした。
手術が終わって待ってたのはそんな事で考え込みすぎてしばらくは憂鬱でした。
いくら職場の上司だからといってそんな事をお願いするには知り合ってまもなく過ぎたからです。
σ(⌒ー⌒) を育ててくれた祖母がいましたがあいにく手術の少し前に亡くなっており、
家族と呼べる者が一人もいない状態でした。
名乗りを挙げてくれる友達もいましたがσ(⌒ー⌒) の性格上それはすごく苦痛でした。
お世話するのは好きだけどお世話になる事に慣れていなかったからかもしれません。

面会も家族が優先で今も原則は家族です。
麻酔から覚めて来てくれる家族はσ(⌒ー⌒) にはいませんでした。
ICUに少し手術後いたのだけれどとなりは家族が24時間ついていて
話しはもちろん面会時間中ずっと誰かが寄り添っていてとってもうらやましかったです。
小さな頃から運動会で一緒にお弁当を食べてくれたのはお友達の家族でした。
卒業式で答辞を読んだ時も
看護婦の載帽式も(ナースキャップの授与式みたいのです)家族は来れませんでした。
そんな事に慣れてはいたけど
人間は痛かったり辛かったり精神的に打撃を受けていると
それがとてつもなく大きな悲しみとなって押し寄せてきてしまうのです。
こんなσ(⌒ー⌒) もかなり自分に言い聞かせていたけれど何度声を殺して泣いたか数え切れません。
側にいてくれるのは誰でもいい訳じゃないけれど
「無償の愛」をσ(⌒ー⌒) は受けたかったのかもしれません。
親子関係ってそれに成り立ってるとσ(⌒ー⌒) は思っています。
見返りを期待する訳でもなく子育てってしますよね。
子供側も愛される事は当然の愛として受け止めて生きる。育つ。
どうにかなる事に泣いても自分が未熟だと思えるけれど、
どうにもならない事に泣くのは怒りに似ていて
自分の理性でも我慢ができなかった瞬間です。
当たり前のように存在する「家族」という構図に無縁で育った
σ(⌒ー⌒) のコンプレックスの一つかもしれません。


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