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国連査察の本質 
スコット・リッター


若者の戦争拒否 
03-2-20


ある声明 
中国発03-2-10
 

金儲けのための殺戮
03-2-28  



アメリカ軍需産業  
高度の寡占状態形成








IRAQ爆撃掲示板
侵略     

[イラク大量破壊兵器査察]



スコットリッターは1988年から90年まで旧ソ連の軍縮査察にたずさわり、90年の湾岸戦争では米海兵隊員としてイラクとサウジアラビアでミサイル探知などの特殊部隊任務を遂行した退役海兵隊員であり、諜報職員である。除隊後、91年から98年までUNSCOMの一員としてイラクで働き2000年大統領選では何とブッシュ(子)陣営を応援した共和党員なのだ。

 まさにアメリカの体制側エリートの一人である人物が自らの研究と経験に基づいて、自らの母国が今目論んでいる戦争が、これまで勝ち取られてきた国際法・慣習、国際秩序に照らしていかに不正義なものであるかに警鐘を乱打している。

アメリカがイラク攻撃の口実にしようとしているイラクにおける大量破壊兵器の能力は90〜95%まで検証可能な形で廃棄されたこと。廃棄の対象は、生物・化学・核兵器と長距離弾道ミサイルを製造していたすべての工場、およびそれらの工場に備えられていた装置、そしてそれらの工場が作り出した生産物の大部分に及ぶこと。国連査察は徹底したものであったこと。イラクのその後の動きには大量破壊兵器開発を臭わせるものは皆無であること。一方国連査察には「まるで、殺人事件の凶器が発見できない失態を恐れた刑事が、捜査令状に凶器の捜索を指示せず、裁判の場で、発見されなかったという事実を証拠として言いたてるような」検査悪用のケースがあったこと。大統領宮殿に入った時の査察がこれにあたること。アルカイダとイラクがつながりようもないこと。リチャード・バトラーが査察プログラムのいくつかをCIAに丸投げしてしまったこと
98年の国連査察団の動向について語られる部分です。
 1998年当時のUNSCOMを率いたリチャード・バトラーがアメリカ高官と示し合わせ、爆撃と査察のタイミングをすり合わせる行動に出たような事が、結局98年UNSCOMの査察官たちがイラクを引き上げざるをえない原因を作った。この不正常な関係に抗議したことが、リッターの退任の理由になった。
 アメリカとその影響下に置かれた国連査察団の無法、違法こそが98年国連査察団引き上げの真相である。

 イラクが出した「申告書」にアメリカは「重大な違反」があると騒ぎ立てているがもはや開戦を前提としてその口実を嗅ぎ回る、探しまくっている姿勢でしかない。アメリカのジャーナリズムはそれをセンセーショナルに書き立て、日本のマスコミがそれに追随している。