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おもろい話(その4)



「新宿・チャイナ・シンドローム]

「吉田さん、打ち上げしましょうや」
と、ヒデちゃんが言った。
 ヒデちゃんは、わたしが時々仕事をお願いする写植屋の社長さんである。写植屋とい
うのは、本やパンフレットなど、印刷物の活字打ちを専門に行う業者のことだ。
 ヒデちゃんもバブル景気のころはずいぶん儲けたらしく、毎晩のように新宿のクラブ
で飲んだくれていたという。だが昨今は写植の仕事が少なくなり、会社もたった一人で
なんとか存続させている状態らしい。
 写植屋が左前になったのはバブル崩壊のせいというよりマック(念のために付け加えて
おくが、マクドのことではなく、アップルコンピュータが作って売っているマッキント
ッシュのこと)のせいである。専門的な話は省略するが、要するにマックが写植屋の仕事
を奪ったのである。そのため、写植をなりわいとする会社や職人が、どんどん廃業や商
売替えに追い込まれているのが現状だ。
 ヒデちゃんは60をとっくにすぎていて、本来なら会社なんかたたんで悠々自適の隠居
生活に突入していてもよいはずだが、10年ほど前に若い中国人女性と再婚だか再々婚だ
かをして、おまけに子供まで作っちゃったもんだから大変である。少なくともその小さ
な子供が成人するくらいまでは稼がなくてはならないのだ。だから私が出すような、10
0万200万レベルの小さな仕事も大事につないでおきたいのである。そのために酒飲ます
くらいのことはやる。彼は打ち上げと言ったが、これは平たく言うとまあ、接待なのだ。
 もちろん私は公務員ではない。出入りの業者さんにちょっとぐらい接待されても法律
に引っかかるわけではないし、誰にも文句を言われたりしない。大蔵官僚が他人の金を
使ってノーパンしゃぶしゃぶで遊ぶのとはわけが違うのだ。だからたまに持ちかけられ
る、ささやかな接待話は、つつしんでお受けする、これはビジネス上の礼儀なのである。
けっけっけ。
「金曜日ですか、夜7時ですね。わかりました。次の締め切りもあるんで、まあ、軽め
で」と、わたしは答える。そう答えるが、軽くで済むわけがないことはもちろんわかっ
ている。このへんは口先だけだ。
「そうですね、軽めで、ね。ひひひ」
 おやじも、わかってて口だけ合わせてくる。
 金曜日19時、ヒデちゃんと私は神楽坂でタクシーをつかまえた。
「早稲田3丁目」
と、ヒデちゃんが言った。連れて行かれたのはちょっと高そうな寿司屋である。
「へいらっしゃい」
 寿司屋のおやじは、わりと愛想がいい。私たちはカウンターに座った。ほかに客はい
ない。
「今日はね、三陸沖で取れたイカのいいのがありますけど、どうっすか?」
 おやじが言った。
「どうですか、吉田さん?」
 ヒデちゃんも言う。
「すんません、お、おれ、イカはちょっと」
 イカなんか食ったら、寝込むかもしれない。ここは遠慮する。
「あ、お嫌いなんですね、じゃあ、ウニなんかどうです、極上もんですよ」
「ウ、ウニもあまり、その」
「あれ、お客さんウニもだめなんですか、そしたらねえ、エビだね、大正エビってね、
有明海でとれた天然の特上クルマエビだよ」
 そう来ると思っていた。致死性エビアレルギー症候群の私が天然特上クルマエビなん
か食ったら即死パターンになる。しゃれにはならない。
「ご、ごめんなさい、エビはね、特にだめなんです」
「へえ、そうなんですか」
 そうなんですよ、だから寿司屋なんかでぇきれぇなのだ。
「じゃ、何かお好きなものを」
 最初からそう言ってくれればいいじゃん。好意ですすめてくれるものをお断りするの
も、けっこう気が疲れるものなのだ。
「トロ、ヒラメ、鯛、その他背骨のある魚、適当に切ってください」
「背骨のある魚ですか? へえ、なるほど、じゃ、背骨のないのはだめなんですか?」
 そうなのです。さわっただけでアレルギー反応が出るエビはまさに天敵だが、それを
含む背骨のない生き物がまったく食えないのだ。エビを筆頭にイカ、タコ、カニ、貝類
、ウニ、なまこ、クラゲ、コンニャク、このへんはまるでだめである。無脊椎動物は体
質に合わない。
 余談だが、わたしには、穴のあいた食べ物に対して恐怖心をいだく、という妙な習性
がある。スパゲッティは好きだがマカロニが食えない。かまぼこは食うけどちくわはだ
め。ふ(麩)も昔から食えないが、なぜだろうとよく考えたら、くるまぶの状態では穴が
あいているではないか。ただ、ドーナツなどは抵抗なく食することができる。とすると
穴といってもマカロニ、ちくわ、くるまぶに共通する膣状の、いやもとい、筒状の穴に
対して恐怖を感じるらしい。幼年期に何らかのトラウマを負ったことが原因に違いない。
あるいは生まれるとき産道で窒息しそうになったのか。
「ふぐのね、煮こごりってのもありますけど、どうっすか?」
とおやじが言う。だんだんわかってきたじゃないの。それください。
 寿司屋のおやじも、わかったら仕事は早い。あっという間に背骨のある魚料理がわた
しの前に並んだ。
 でも今度はヒデちゃんが妙なことを始めた。両手てOKマーク作って、手のひらを下
にし、料理の上にかざし始めたのだ。
 寿司屋のおやじは変な目でわたしたちを見ている。背骨がどうしたこうした言う奴と
、魚に手のひらかざすおっさん、たしかに変ではある。
「あたしがなにしてるか、わかりますか?」
 ヒデちゃんがわたしに聞く。わかるわけがない、でも気功かなんかかな。
「そう、そうなんです、気功の一種ですね。こうやってね、植物でも動物でも、いただ
く前に手かざして、なぐさめるっていうか、悪い気を取り去るというか、そうやった上で
ありがたくいただくんです」
 そ、そうですか。よくわからないけど、そういうからにはそうなのかも・・・。
「それからね、吉田さん」
 はい。
「太い木の幹に、同じように手を当ててみたら、どんな感じするか、わかります?」
 し、知らないですよ、そんなの。でも見栄張って、適当に答える。
「熱を感じるんですか?」
 この答えはちょっとまずかった。ヒデちゃんを喜ばせてしまったのだ。
「そのとおり、吉田さん、気功のこと知ってるんですか?」
 適当に答えたんです、とは言えない。
「あ、いえ、前にテレビで見たような気が・・・」
「へええ、実は私が参加している仏教関係の集まりでいろいろ教えてもらってましてね、
あーだこーだ、どーしたこーした」
  調子づいたヒデちゃんの長広舌が始まった。調子づかせたのはもちろんわたしである
が。この先延々と仏教の話になった。その集まりは中国人だか台湾人だかが、なんとい
うか教祖様とか指導者とか、ともかくリーダーらしい。その後の話はよく覚えていない。
 ありがたい仏教のお話をさんざん聞かされて、相づち打つのも面倒くさくなってきた
ころ、ヒデちゃんがわたしに言った。
「あの、歌舞伎町にね、いい中国人クラブがあるんですよ。ちょっと行ってみませんか」
 ほらきた。寿司屋でめし食って、はいさよなら、はない。こちらも接待に応じた以上
、あとはおまかせでついていくのがビジネス上の礼儀である。ヒデちゃんとっとと勘定
すませると、わたしたちはタクシーで歌舞伎町へ向かった。
 わたしにとっては久しぶりの歌舞伎町だ。現在のこの街は日本の法律など「へ」とも思
わない外国人が力を持ち、売春やシャブから、恐喝、リンチ、強盗、強姦、人身売買、
殺しまでなんでもありの無法地帯である。歌舞伎町名物ボッタクリも、最近はクスリ飲
ませて記憶失わせて、カード使わせて来月の給料までむしり取るというから、もうムチ
ャクチャである。昔はボッタクリといえども、もっと人間味があったものだ。も、もち
ろんわたしはボッタクリに引っかかったことなどない。あくまでも聞いた話である。ま
あ、いずれにしても今は近寄らないのが無難な街だろう。
 その中国人クラブの名前は覚えていない。ただ、区役所通りに近く、歌舞伎町のやや
はずれにあったことは記憶している。
 店内はごく普通のクラブという印象だ。ただしかなり広い。落ち着いた、上品なイン
テリアに仕上げてあり、女の子は全員白いシルクのワンピースを着ている。人数はおそ
らく20名以上だろう。この手の店としては大きい方だ。
 案内された席に着いてもう一度ゆっくり店内を見回すと、女の子のレベルが非常に高
いことに驚いた。レベルというのはもちろん顔のことである。わたしの好みも影響して
いるかもしれないが、みんな抜けるように色が白く、ぽちゃっとした感じの美人揃いな
のだ。もちろん日本人とは少し顔立ちが違うから、オリエンタルな雰囲気も漂って、た
しかに中国美人を揃えた正統派チャイニーズクラブという感じがする。女の子の何人か
がヒデちゃんに親しそうに声をかけていたので、彼がここの常連であることは間違いな
い。女の子を見る限り、彼が通いつめるのも無理はないという気がした。
「ももこです」
 隣に座った女の子がそう自己紹介した。わたしは感動に打ち震えた。白くて丸い小さ
な顔、やや細い目、ショートのストレートヘア、極薄の化粧。すべてが好みなのである。
このシンプルさがたまらない。店のオーナーの好みがわたしと同じなのかもしれない
が、そうだとしたら相当なスケベである。
 向かいの席を見ると、ヒデちゃんは別の女の子と親しそうに話している。わたしが割
り込むような雰囲気ではないので、それぞれ好きにやればいいのだろう。わたしももも
こちゃんに話しかけた。
「はじめまして」
「はちめまちて」
「ももこちゃん、出身はどちらなの?」
「はい?」
「出身。生まれたとこ」
「はい、ちゅごく、です」
「それは知ってる。中国のどこらへん?」
「ちーりん、あるよ」
「ちーりんって、どこ?」
「にぽんごて、きつりんしょう、いう」
「ああ、吉林省、ね。けっこう北のほうだよね」
「そうある、お客さん、よく知てるのことね」
 そのときである。店のマネージャーらしき男性がももこちゃんのそばでかがみ、彼女
の耳元に何事かをささやいた。するとももこちゃんはすーっと立ち上がってわたしに告
げた。
「ごめんなさい、すぐ戻ります」
 席を立った彼女は少し離れたところに座っているおっさんのところへ行き、笑顔で話
しかけながらその横に座った。どうやらなじみの客が来店したらしい。彼女目当ての常
連客がいても不思議ではないし、そういう客が来たら横につくのが当たり前である。も
もこちゃんを取られた気分のわたしは、そう考えて無理やり自分を納得させようとした。
 そんな客を一人で放っておかないのがこの業界のルールである。先ほどのマネージャ
ーらしき男が再び近寄ってきて、わたしの耳元でささやいた。
「すぐに別の女の子がまいります」
 わたしは無言でうなずき、タバコに火をつける。
 ほんの2~3口吸ったと思ったら、耳元でかぼそい声が聞こえた。
「おじゃまします」
 その彼女はわたしの横に滑り込むように座り、なぜだかもものあたりをわたしのもも
に密着させてきた。さっきの女の子とは距離の取り方が明らかに違う。まあ、仕事に対
する姿勢の違いだろう。
「ゆめです」
 彼女はにっこりしながらそういった。その顔立ちがももこちゃんとはまったく違うこ
とにわたしは驚いた。美人ではある。細面の美人ではあるのだが、色がやや浅黒いのだ。
他の子たちはみんな色白なのに、ゆめちゃんだけはそうではない。
 もしかしたら出身地の違いかもしれない。中国は広大な国だ。極寒の北部高原地帯か
ら熱帯に属する南部地域まで、あらゆる気候帯がある。ゆめちゃんは南の方の出身なの
だろう。香港や台湾に近い広東省とか福建省とか。
「お客さん、お名前教えて」
 ゆめちゃんがそういい、わたしは名前を教えた。
「吉田さん、この店はじめて?」
「うん、はじめてなんだ」
 わたしがそう答えると、ゆめちゃんはにっこり笑って、水割りのおかわりを作り始め
た。はじめての客だからにっこりするのかどうかわからないけど、愛想笑いではなく、
本当にうれしそうな笑顔なので不思議な気がした。
 店内ではどうやらカラオケタイムが始まったらしい。店の女の子が小さなステージに
立って歌っている。若干日本語の怪しいのがご愛嬌だ。ヒデちゃんは機嫌よさそうに横
の女の子と話している。
 ステージに目をやっているときだった。前ぶれもなく、ゆめちゃんがわたしの手を握
ってきた。
「?」
 客が女の子の手を握ろうとするならともかく、この手の店で女の子の方から客の手を
握ってくることなど普通はないはずだ。まさかものの2、3分でわたしにほれたわけで
はあるまい。わたしは無言で彼女の顔を見た。すると彼女は人差し指を口にあて、黙っ
ててという仕草をした。わたしはステージに目を戻した。
 彼女はわたしの手を離そうとしなかった。それどころか次は驚くべき行動に出た。わ
たしの手を持ち上げて、自分の胸に押しあてたのである。
「!?」
 わたしの頭の、理性をつかさどる部分は混乱した。ここは、なんというかその、おさ
わりバーみたいな店ではない。まわりを見回しても、女の子の体に触れたり、なめたり、
手をつっこんだり、指を入れたりしている客はいない。みなさんただ会話を楽しんで
いるだけで、あとはたまにカラオケを歌うぐらいだ。ここなら女性連れで来てもなにも
問題はないだろう。そんな店でのゆめちゃんの行動は、わたしの理解できる範囲を超え
ていたのである。
 だが一方で、これは正直に言うが、わたしの頭の欲望をつかさどる部分は大喜びして
いた。ひとの金で飲んでるうえに、中国美人が胸をさわらせてくれるなんて夢のような
話である。少なくとも今帰仁村ではこんなことありえない。
 ここでわたしは選択を迫られることになった。
 わたしは理性的な人間である。いや理性がパンツはいて歩いているのがわたしだと言
ってもいい。理性的な行動に出るならば、はにかんだような笑顔を浮かべて手を引っ込
めるべきであろう。場所柄を考えればそれが正しい行動だ。
 だがしかし、こんなおいしいことはめったにあるものではない。それにここで手を引
っ込めたりしたら彼女に恥をかかすことになるではないか。これも理性的見解である。
さらに考えてみると、もともとこれはヒデちゃんがわたしを喜ばそうとして、あらかじ
め彼女に言い含めておいたという可能性もある。なんたってこれは接待なのだ。もしそ
うならば、今の状況を拒絶することはヒデちゃんの顔に泥を塗ることになる。それはす
なわちビジネス上の礼儀に反することになるではないか。
 わたしはひとりよがりの理性的発想よりも、ビジネス上の礼儀を優先することにした。
ゆめちゃんのおっぱいを優しく、ゆっくりもみはじめたのである。
 そんなことをしたら怒られるのではないか。最初はそう思った。しかしゆめちゃんは
いやがる素振りも見せない。それどころか、わたしの方に上体を傾け、もみやすい体勢
になってくれたのである。
 薄手のシルクの上からさわっていると、ブラジャーをしていないのがわかった。それ
ほど大きいわけではないけれど、わたしの手のひらには充分なボリュームのおっぱいが
絹のむこうで揺れていた。そのときわたしはたしかに幸せを感じていた。ゆめちゃんの
髪の香りも疲れた神経をいやしてくれていた。
 そんな幸せな気分も、彼女がわたしの手を取って下におろしたときにすーっと消えて
しまった。おさわりは終わりなのだ、わたしはそう思った。ゆめちゃんはこちらに傾け
ていた上体をまっすぐに戻し、わたしに言った。
「背中、ジッパー、下げて」
 わたしの耳にははっきりそう聞こえた。だがどういうことなのか理解はできない。わ
たしの服の背中にジッパーなどないから、彼女の服の背中部分にあるジッパーを下げろ
ということなのだろう。こういう場合その先のことはわからなくても、女の子に恥をか
かせないためにとりあえず言われたとおりやるのが礼儀だと、わたしは認識している。
したがって彼女の背中に手を回し、ジッパーを下げた。
「ホックはそのまま」
 彼女が言う。これもそのとおりにした。彼女はわたしの耳元に口を近づけてささやい
た。
「前からさわっていると、みんなに見える。たから背中から手入れてさわる。よろしい
ですか?」
 な、なに? つまり下げたジッパーのところから手を入れて前に回し、それで直接お
っぱいをさわれというのか。
 とてもエッチなやり方だと思う。たとえて言えば飛行機の座席でひざに毛布をかけ、
それで隠してスカートの中に手を入れるような、そんな隠微な行為ではないか。理性が
パンツをはいているわたしとしてはこんなことには抵抗を感じる。だが一方で、そこま
でしてくれるゆめちゃんに恥をかかせたくないという気持ちも強い。なんといっても彼
女の背中のジッパーはもう開いているのだから。
 わたしは言われたとおり背中から手を入れて直接おっぱいに触れた。もちろん思った
通りブラジャーなんかしていない。形がよくて弾力のある、若々しいおっぱいをわたし
はもてあそびはじめた。おさわりは終わりではなく、これからが本番なのだと思った。
 正直に言うが、この時点でわたしの下半身は完璧に反応していた。肉体的な機能とし
てしょうがないではないか。これで反応しない男はインポンタンである。だがこれは周
到に仕掛けられたワナだったのだ。
 しばらくの間、わたしは生ちちの感触を存分に味わっていた。若くてみずみずしい肌
も手に心地よい。しかしゆめちゃんが耳元でささやいた言葉でわたしは完全に固まった。
「わたし、ふぃりぴんのにゅはーふ」
「は?」
 最初は意味がよくわからなかった。
「たから、わたし、ふぃりぴんのにゅーはーふね」
「げ!」
 わたしはあわてて手を引っ込めながらゆめちゃんに聞いた。
「つ、つまり君は男なのか?」
 ゆめちゃんは無言でうなずいた。
 ま、まさかそんなことがあるはずはない。いくらなんでも、ここまでさわり倒してい
ながら、おかまだと気づかないなんて、そんなことありえない。
「じゃあ、そのおっぱいは、作り物?」
「そう」
「あ、あの、ちんちんとかたまたまとかは?」
「ないよ。取ったの」
 そ、そうか、取っちまったのか。ここまでいわれると信じざるをえない。つまりその、
わたしが広東省出身のきれいな中国人女性だと思ってさわり倒していたゆめちゃんは、
本当はフィリピン人のおかまだったと、ただそれだけのことである。
 手を引っ込めたわたしはしばらく固まっていた。そこへゆめちゃんがまた耳元でささ
やいた。
「吉田さん、今晩、やろ」
「へ?」
「たから、今晩、やろってば」
 な、なにをおっしゃるおかまちゃん。そこまでいわれればわたしにもわかる。これは
いわゆる「ウリ」なのだ。つまり売春である。ゆめちゃんは遺伝子的には男である。男性
同士のそのような行為が法律的な売春に当たるかどうか知らないが、ま、似たようなも
のだろう。その誘いに対してわたしは間の抜けた返事をしてしまった。
「やろうって、どうやってやるの?」
 これは変な質問である。案の定ゆめちゃんは笑いながら答えた。
「どうやって? 普通にやるだけ」
 誤解のないように言っておくが、わたしにはそのような趣味はない。思い返せば、ゆ
めちゃんが胸をさわらせたのもこれが目的だったのだ。つまり客をゲットするためだっ
たのである。わたしはそれに半分くらい乗っかっていたのだ。ううう、修行が足りん。
「ねえ、ねえ、やろうよ」
 ゆめちゃんはさらに攻めてくる。
「い、いいよ、やめとく」
「なんでなんで、いいじゃん、やろう」
 そんな会話がしばらく続いた。あれだけさわり倒した以上、わたしもあまり強い態度
には出られない。だがけっこうしつこいので、そろそろキレそうになってきたときだっ
た。「おい、他の女の子にかわれ!」
 ヒデちゃんがゆめちゃんに向かって怒鳴った。ゆめちゃんはなにも言わずに立ち上が
り、他の席へ移っていった。た、助かった。ありがとう、ヒデちゃん。
 店を出るときには1時を回っていた。電車なんかとっくになくなっている。ヒデちゃ
んと別れたわたしはタクシーで会社に戻り、そこに泊まることにした。寒さが身にしみ
る夜だった。それでも無事に戻って来れて幸せな気分だった。
 イスをならべて横になり、体のふるえが収まるのを待つ間もあの店のことを思い出し
ていた。一見上品な中国人クラブなのに、フィリピン人のおかまが客を捕まえようと網
を張っている。実質的な被害はなかったけれど、やっぱり歌舞伎町はなんでもありなの
だ。おそるべし歌舞伎町、である。


著作権者:なお

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