Site hosted by Angelfire.com: Build your free website today!

サンテリアの宗教儀式から生まれたキューバ音楽

キューバ音楽の元はアフリカの太鼓演奏である。音楽は本来宗教儀式であり、これは世界中の原始宗教の中に発見できる。見えない霊と交わるために人類はお供え物を食べたり、お香を焚いたり、音楽や歌を神の前で演じた。キューバ音楽の元祖は黒人奴隷が太鼓を使ってリズムをとり、歌い踊った。カトリックが支配するスペイン圏においては、カトリック以外の宗教は邪教として排除される。カトリックは本来、キリスト教であるが、ローマ帝国が政治を支配するために作られたもので、一般人が聖書を学んだり、教会で聖歌を歌ったりするのは禁止されていた。聖書はラテン語を学んだ聖職者だけが読む事ができ、一般人にはお経のように理解できないようになっていた。また、聖歌は修道院の関係者などが神に捧げる供え物として天使のように賛美し、聴衆は聞いていた。まあ仏教でいうとカトリックは大乗仏教のようなものであった。


 さて、革命以前のキューバではカトリックを強制的に唯一の信仰として推し進めたため、原住民であるインディオをはじめ、奴隷として連れて来られた黒人は自分の信じている信仰を捨てることになる。しかし黒人たちは、家にマリア像や十字架などを置いて、あたかもカトリック教徒を装い、自分達の先祖の神オリシャスを称えていた。彼らは、それらの宗教儀式で踊りを踊って交わりを持ちならが混合宗教サンテリアで信仰を保った。このオリシャスは複数の神を表しており、ギリシャ神話のようにいくつもの神がある。(本来アフリカではそれぞれ種族によって別々であったが、そのひとつひとつの神に家族関係を持たせることで一体化させた) キューバ音楽の母体となった混合宗教サンテリアの中にチャンゴがあるが、これがキューバンダンスの礼拝の対象になったといえる。これは日本でいうと雷様か不動明王といったところか。太鼓を使う音楽
の神と崇められ、奴隷たちのいやし主として礼拝が捧げられた。礼拝とはもちろんダンスである。このチャンゴはカトリックの聖徒バーバーバラを表しいる。実際チャンゴは男神で2人の処女を持っているので、この関係は理解できないが、表向きには江戸時代隠れキリスタンが観音像を置いて中でマリア像を拝んでいたようなものだ。


キューバ音楽はこのようなアフリカの太鼓を使った踊りをベースに、スペインから持ち込まれたギターに加え、米国南部からジャズの管楽器やピアノが加えられソンからサルサに発展していった。


日本においてキューバ革命が起こったころ、キューバ音楽が広まった。かなりの流行曲が日本語になり歌手によって歌われた。その後、キューバ音楽は1990年ごろまで昔の音楽のみナツメロとして年配者の間で楽しまれていた。その後オーケストラ・デ・ラ・ルスが日本にサルサを持ちだ。彼らはニューヨークで音楽活動を行い、出した曲がラテン部門でチャート一位になった。それがマスコミに取り上げられ、彼らは日本で多くの観客を集めるようになった。1993年の紅白歌合戦に彼らは(ボーカルのノラが女性のため紅組)”サルサに国境はない”で出演を果たす。これでサルサという言葉が日本中に始めて広まったといえる。

キューバの宗教

キューバは黒人とスペイン系の白人で構成されている。黒人は主にナイジェリアなどの西アフリカから連れて来られたのでサンタリアを通して彼らの神オリシャスを信じている。白人はスペインから来ているので純粋なカトリック教徒となる。しかしキューバは革命〜1997年まで宗教を禁じた。カストロ自身カトリック教徒であったが、あらゆる宗教を否定する共産主義は宗教はじゃまであった。そのため無神論者も多い。

宗教と音楽と苦しみ

苦しい時の神頼みというが、キューバの黒人たちは過酷な労働を強いられ、多くの死を生んだ。彼らの宗教儀式は家で行われそこで、先祖が信じた神を称え、歌と踊りで心をいやした。苦しみが多ければ多いほど開放や奇跡を求めるわけで、宗教が根づく。そしてカトリックの迫害かにいるため、日本の隠れキリスタンのように互いに信仰を支えあったのである。

キリスト教から見たサルサ

キリスト教はカトリックとプロテスタンとに別れる。プロテスタントはいろいろな宗派に分かれており、それぞれが特色を持っている。その中にカリスマ派といわれる聖霊の力を強く信じるグループがある。彼らは聖霊との交わりとはキリストの霊との交わりであり、賛美を捧げることで神と一体になる。つまり賛美とは人間が聴いて楽しむものではなく、生きた神に捧げるという考えでいる。聖書的に解釈すると、キリスト以外の神はすべてサタンに属している。サタンとは落ち天使ルシファーであり、キリストを告白しない全ての霊はサタンということになる。カリスマ派の礼拝はカトリックのミサのように黙っているのではなく。楽器を使ってリズムにのって歌うのである。これは聖書の詩篇に載っているダビデ王流の礼拝である。キリスト教の立場からいくと聖歌や賛美歌以外はすべて俗か悪魔に属するということになるが。

サルサは現代人のいやしとなるか?!

キューバ人が日頃の苦しみをいやしたように、現代社会で生きている我々にとってサルサクラブでのダンス、お酒、異性との交わりはストレス解消になっていたとしたら皮肉なものである。サルサクラブは教会に代わって人の心のいやしの場になっているか?

結論

ようするにキューバ音楽は宗教色が強かったということである。現在の音楽は神に捧げるのではなく、自分自身が酒やダンスを通して異性と戯れ、快楽を得るためのものである。

旧約聖書にみる音楽礼拝

(古代ユダヤ教の儀式は、たいへん、アフリカの原始宗教と似ている)

旧約聖書

祭司とレビ人は、イスラエルの神、主の箱を運び上げるため自らを聖別した。主の言葉に従ってモーセが命じたように、レビ人たちが竿を肩に当てて神の箱を担いだ。ダビデはレビ人の長たちに命じて、詠唱者であるその兄弟たちを任務に就かせ、琴、竪琴、シンバルなどの楽器を奏で、声を張り上げ、喜び祝うようにさせた。

ダビデは麻のエフォドも着けていた。イスラエルの人々はこぞって喜びの叫びをあげ、角笛とラッパを吹き、シンバルを鳴らし、琴と竪琴を奏でて、主の契約の箱を運び上げた。主の契約の箱がダビデの町に着いたとき、サウルの娘ミカルは窓からこれを見下ろしていたが、喜び踊るダビデを見て、心のうちにさげすんだ。

主よ、耳を傾け、憐れんでください。主よ、わたしの助けとなってください。あなたはわたしの嘆きを踊りに変え粗布を脱がせ、喜びを帯としてくださいました。わたしの魂があなたをほめ歌い沈黙することのないようにしてくださいました。わたしの神、主よとこしえにあなたに感謝をささげます。

イスラエルはその造り主によって喜び祝いシオンの子らはその王によって喜び躍れ。踊りをささげて御名を賛美し太鼓や竪琴を奏でてほめ歌をうたえ。


Salsaとはキューバのアフリカと欧米との混合音楽だったがルーツは混合宗教なのでした。また普通のラテンダンスとはちょっと違うかな。

HOME