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韓国への修学旅行を再開 守山女子高 今年10月中旬 (京都新聞) 2004/8/26 |
滋賀県の守山市教委は26日、韓国の対日感情の悪化を理由に3年間中断していた市立守山女子高生の韓国修学旅行を今秋再開する、と発表した。
同高の韓国修学旅行は、同市と韓国・公州市が姉妹都市盟約を締結したのをきっかけに、1995年から始まった。
しかし01年、「歴史教科書問題」や小泉首相の靖国神社参拝などで韓国の対日感情が悪化、交流のあった公州市の永明高から「当分の間、修学旅行を見合わせてほしい」と要請があったため中断。その後も、新型肺炎(SARS)や鳥インフルエンザの影響などから昨年秋まで中断していた。
昨年8月、公州市長が守山市を訪問したことなどを機に再開することを決め、2年生196人が今年10月12日から16日まで4泊5日の日程で修学旅行に出かける。
生徒らは、南北朝鮮の境界が見える統一展望台や民俗村、古代朝鮮の百済王をまつる武寧王陵、国立公州博物館などを見学する。
小西義隆校長は「国際理解教育の一環として、若いうちに海外を自分の目で見ておくことは大切。再開を歓迎したい」と話している。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040826-00000048-kyt-l25
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30年間欠かさず、韓国へ修学旅行 奈良・智辯学園高校の理事長 (統一日報) 2004/5/19 |
「石にかじりついても36年間は」
「30年前は食事のとき麦飯でした」と感慨深げに話すのは、1975年に生徒を引率して韓国に修学旅行を実施した、奈良県五條市にある甲子園の常連で進学校の智辯学園高等学校の藤田照清理事長(75)だ。奈良(ナラ)の飛鳥文化の源流探し、文化の足跡を辿ってみたいというロマンに駆り立てられてのことだった。
30年前は、今日の韓国ブームとはほど遠く、韓国旅行といえば色眼鏡で見られて、学校の修学旅行に韓国を選ぶこともほとんどない時期。「私の話に共感していただき、後押ししていただいたのが亡くなられた朴漢植氏(元大阪商銀理事長)でした」と話す。
「昔の人が、いかに苦労して文化もたらしたか、生徒にその足跡の一端を体験させる。飛行機を使えば昔の人に申し訳がたたないでしょう」と、旅行の仕方までこだわるる。「当時は何千トンの客船で、玄界灘の大波に手を合わせたこともあった」と苦笑する。
30年間続けることができたのは、在日の朴漢植氏や姉妹関係にある韓国・漢陽工業高校、世話してくれたロッテ観光、韓国観光公社の人との出会いがあったから。「紳士的な韓国の方々と友人になれたことでした」と強調する。
韓日併合時代の話を聞くうちに「子供たちにも歴史的事実を」との思いから歴史的意義を加えるようにし、「創氏改名など韓国文化を傷付けたことを日本人として謝罪しなければ」と思うようになったとも。「近くて遠い国は大人が作ること。子供は近いと思ってますよ。人と人が触れ合うこれが一番です」と話す。
SARSが流行した昨年、「見合わせようとの意見があったが、1回でも中断すれば継続されなくなる可能性が高くなる。継続は力なり、マスクをすればいい」と方針を変えなかった。
今日の盛んな文化交流や韓国のこの30年間の発展に、自分のことのように嬉しそうな表情をみせる。「石にかじりついてでも、日韓併合と同じ36年間は修学旅行を続けたい」と、教育者としての信念が滲んでいた。
http://www.onekoreanews.net/20040519/syakai20040519004.htm
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