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E花岳寺

赤穂城跡を出て、大石内蔵助の家跡前を通って商店街みたいなところをくぐりぬけて花岳寺に着いた。

入ってすぐ、鳴らずの鐘というのがあった。四十七士が討ち入りをして、切腹をしてから人々がこの寺に集まり冥福を祈りながらこの鐘を鳴らしつづけたそう。「爾来、音韻を失すること50年」と、 寛政9年の梵鐘改鋳の銘にいうらしい。(全然意味解らん。パンフレットにそう載ってた。)とにかく、この鐘、太平洋戦争中も、「義士の由緒深きにより」供出を逃れた貴重なものです。それから、忠義桜と不忠柳というものもあった。桜は大石低から、柳は討ち入り前夜逃げした大野九郎兵衛屋敷から移植されたそう。それから、無論義士達の墓参りへ行った。有料だったけどそれが目的でもあったから構わない。義士墓には、中央に大きな浅野内匠頭の墓があり、その両隣に大石内蔵助、大石主税の墓があり、その周りを残り45名の義士の墓が取り囲んでいた。 墓を目の前にしてなんだか泣きそうな気分になったけどお祈りをして冥福を祈った。ここで一句、といっても浅野内匠頭が詠った辞世の句です。「風さそふ 花よりも猶 我はまた 春の名残をいかにとかせん」せつないのう…。墓内に展示場があって、義士全員の木彫りの像が置いてあった。花岳寺を後にして、播州赤穂駅へ向かう途中息継ぎ井戸というものがあった。これは刃傷事件が起きた直後、早水藤三衛門と萱野三平が早籠に乗って赤穂の内蔵助に異変を告げに行く途中一休みしたとされる井戸。へえ、と思いながらわたしも井戸の紐を引っ張ってみたりした。一応水は入ってたと思う。 そして播州赤穂駅へ一路向かった。

花岳寺で。イヤホンでラジオ聞きながら歩く

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