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京都遊歩

アメリカ再留学の前、高知の旅の後、どうしても京都にある竜馬の墓参りに行きたかったんで、時は1999年7月26日、母と妹と共に京阪電車を使って朝っぱらから京都へ向かった。確か中書島という駅で降りて、軽い足取りで竜馬の常宿であった『寺田屋』へと向かった。維新当時のままでいまだ営業している『寺田屋』を見つけた時胸が踊る思いでございました。

宿横にある庭でしばしゆるりとした。無論、ここには全国から竜馬フリークが集まる。掛け軸が山ほどあったけど私はそれを見る勇気が無かった。妹は見てたけど、竜馬の格好をしてその写真を掛け軸に貼っているものがあり、かなりびびってた。それから宿内へ。入り口で母上が見学料(一人400円也)を払い、見学開始。私の血液も逆流開始。入ってすぐ、印象深かったのは鴨居が低いなぁ、という事。これが当時のままならば、背の高かった竜馬はかがんで移動をしてたんだろうな。んで、入り口すぐ近くにある階段で上の階へと向かう。2階には、竜馬が使っていた部屋がある。そこへ入り、母と妹に「ちとしばらく浸るから放っといてくれ」と告げ、しばし浸る。部屋は、何畳位だったか忘れたけど竜馬の掛け軸等が飾ってあった。部屋に座り、浸った。浸りタイム終了後、妹と母を呼び写真撮影タイム。肘置き(?)とかで遊んだり、部屋で妹と暴れていたら宿主のおばさんが来て注意された。申し訳無し。。部屋を出ると、風呂場などの方へ行ける階段がある。そのすぐ近くに刀痕があった。この刀痕はその昔、薩長同盟が成った直後三吉慎蔵という人と竜馬が寺田屋で呑みながら語っていたところ幕府の捕り方が二人を襲った時についた跡。

その、寺田屋遭難事件の時大活躍したのが後に竜馬の奥さんとなるおりょうさん。この時、おりょうさんは風呂に入っていたんだけど、風呂の窓を閉めようとしたら外の道路に捕り方がずらーっと並んでいた。こいつはやばい、と思いおりょうさんは裸のままで“この”階段を駆け登り、竜馬と慎蔵に異変を伝える

フロと階段

一回り見学した後、寺田屋を後にする事にした。おかみさんに挨拶して、そろそろ腹が減ったのでどうせだから京料理を。という事で近くにある京料理屋へ向かった。伏見の町並みを通りぬけ、食った料理は美味かった。体力回復。次は、東山へ。

東山へ進む

戻るきに