看護婦になったきっかけ(^○^)
人はいつのまにかこの世に「生」を受けて気が付いた時には「死」に向かって進んでるといいます。
σ(⌒ー⌒) は10代の頃から身近な人の「死」に触れた事がなく育ちました。
幼心に「死=いなくなっちゃうこと」程度にしか考えていませんでした。
σ(⌒ー⌒) を育ててくれた・・・というかσ(⌒ー⌒) の人間性を恐らく大きく形成してくれた叔父がいました。
叔父は「悪性リンパ腫」という病気で亡くなったのですが当時σ(⌒ー⌒) は高校に入ったばかりで
強く大きな叔父が入院してみるみる痩せて大好きだったタバコもお酒もコーヒーも飲めなくなったのですね。
でも外泊で帰って来る度にσ(⌒ー⌒) に優しく将来を案じてくれていました。
σ(⌒ー⌒) はその時は将来は漠然と福祉関係のお仕事につきたいと考えてる程度で
アルバイトや自分の趣味が最優先で社会に出た自分をシュミレーションすることはなかったと思います。
叔父のお見舞いも本当の病名を知らないσ(⌒ー⌒) は
「咽頭ガン」を「扁桃腺の腫れがひどい」くらいにしか
考えてなかったのです。
理性のあった叔父は行く度に涙もろくなりσ(⌒ー⌒) に看護を頼むようになりました。
叔母は精神的に大病を患った主を支えるには限界にきていたように見えました。
長い闘病生活は本人もそうですが
ずっと側でその闘いを見ている、支えている人のほうがある意味酷であるのかもしれません。
叔父はσ(⌒ー⌒) には幸せになってほしい、ずっと笑っているんだよ、と口癖のように言っていました。
世の中には自分よりも辛い想いをしている人がいる、
自分だけがかわいそうだなんて思ってはいけないよ、と人間としての心の在り方を教えてくれた気がします。
叔父はσ(⌒ー⌒) が笑ってると病室が明るくなると言いよく喜んでくれました。
σ(⌒ー⌒) はどうにかして叔父を笑わそうと吉本新喜劇ばりのかなりくさいオーバーアクションで
懸命に話を用意していったのを覚えています。
小さく骨が浮き出るようになった叔父の背中は夏の太陽の下、
輝くような広大な田畑を一人で相手にしていたそれとは異なり役目を終えたかのようでした。
いつものように背中を拭いてる時に叔父は
「看護婦さなっでこさ来い。(看護婦になってここに来て)」と泣きました。
「・・・うん。なれたらね」
と返事はしたものの看護婦になって驚かせてあげようと決意したのはこの時だった気がします。
結果的には叔父は看護学生の時に亡くなってしまったのだけど
今もσ(⌒ー⌒) を見守ってくれてると信じています。