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事件報道に思うこと。

今常に色々なところで情報はあふれ、すぐにでも入手できる。
私は凶悪事件と言われる報道がなされるたびに手段が間違っている気がしてならない。
連鎖とも思われる事件が大事件の後に必ず起きる。
大スターの死の後には必ず後追い自殺が起きる。
それはこの氾濫する情報量に操作された行為に思う。
テレビで新聞でワイドショーで週刊誌でその他色々なところで繰り返しなされるそれ(報道)は
その域を超えて我々の脳裏に刷り込みをしている気がする。
児童虐待の報道も連鎖といえるほど次々に起きるのは
「その事実を報道」しているはずなのに「詳しい手段を入手する情報手段」に形は変わり
同じような環境で子育てに四苦八苦している母親には全てが自分にマッチする。
知らなければ済んだ思いも知っていた故に脳は命令をしてしまう項目が刷り込まれてしまっているのだ。
知らなければ「めっ」とお尻を叩いて終わるはずがつい、刷り込まれた虐待行為に及んでしまう。
知らなければ仲間はずれで終わっていたいじめもいつのまにか心の隙間に狂気が一角を表したりする。
そこまで詳しく報道する意味はあるのかと思うほど好奇の目は事件の追跡を甘んじ
刺激を求めた我々は更なる刺激と好奇の詳細に満たされる。
オウム真理教、酒鬼薔薇事件、和歌山毒物(砒素)混入事件、17歳のバスジャック事件、
忘れてはならない事件も多いはずなのに探求の意味を履き違えた大衆は猟奇的な要素を持つ報道に
自分が見た事のない世界を感じて心のどこかで安堵する。
「怖いもの見たさ」という言葉があるように人間の深層心理として
それは必ず誰の心にも存在し一度開いてしまったら制御不能な未知の空虚なのだ。
影響力のある人の死は「死」という事実だけで虐待行為は「親の傷害」で十分なのではないかと
報道の原点を見失った今感じてならない。
事件の真相やその具体的な詳細は警察や一定の許可された報道関係者が知っていれば
いい事なのではないだろうか。皇室の報道が徹底して成されるようにできない事はきっとない。
もちろん報道の影響力が期待される誘拐事件や目撃情報が少ない迷宮入りの事件に関しては
追跡報道は必須だ。でも何かが間違ってる。知らなくてもいい事までも快楽に変えなくてもいいと
思ってしまうのは私が当事者ではないからなのだろうか。
今回の大阪教育大学池田小学校の事件もしかり。
逃げるように走る関係者にマイクは向き関係のない親の職業、家族環境、死に至る過程までもを
逐一報道している。犯人の凶器の詳細も公表しなくてもいいと思うのだ。
刃渡りいくつあったら人の身体が切断できるという情報がいつのまにか脳裏に刷り込まれていく。
精神薬をこれくらい飲めばhighな状態で心神喪失で何事も許されるとか、地上何階から落ちれば即死とか
子供に何日水や食べ物をやらなければ死ぬとか、毒物の致死量はこの程度とか。
それは・・・・いつのまにか我々に刷り込まれ精神が破綻寸前に頭角をあらわす。
心が未発達な聞いた事、見た事を全て吸収する子供はどうだろう。
刺激的であればあるほどに深く刻まれ、思い、葛藤し、正常な判断ができるならいいけれど
今それを自然体で生きるには五感を減らすしかないほどに困難だ。
育んで欲しいはずの愛や慈しみよりも鋭利な角度を持ってそれは潜んでいるから。
事件がある度にダークなスーツに身を包み哀悼の意を・・・なんて言っている報道関係者に
諳んじたものを感じ、その片棒はアンタが担いでいるんだよと思っている私がいる。



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