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日本映画について

(10/21/2000)

高校のときにはアメリカにいたせいか、アメリカの映画しか見ませんでした。かなり 見ましたけど、段々飽きてきていたところへ日本人の先輩から一本の映画を勧められ それを見ました。日本の映画もいいなと思ったのはその頃からでしょう。いいなと思 った、というよりは映画そのものの見方が変わったというほうが正しいかもしれませ ん。

その映画は黒沢の「蜘蛛の巣城」です。白黒映画というのも初めて見ましたが、いま いち意味がわからなかったのです。アメリカ映画のように判り易い感動もありません し、地味なシーンが多かったという印象でした。けれどこの映画が世界的に評価を受 けていると聞き、考えてしまいました。それから映画の深さを知り、もっと知りたい と思ったのです。日本に帰ったあと、日本映画を沢山見ました。どれもわかりにくい という印象でしたが、段々と意図がわかってくると面白いものです。また外国へ戻る と日本映画を見る機会がなくなってしまいましたが、今度はヨーロッパの映画を見ま した。ヨーロッパの映画は日本映画と似ています。双方の文化、つまり人間観察や精 神的な描写、それに行動原理みたいなことにどこか共通点があるのでしょう。そう思 うとアメリカ映画は違って見えます。

イタリア映画、フランス映画、いろいろな特徴があって、スタイルというのを覚えて いきます。またそのスタイルがわかると、或る映画がそれとまた違った表現をしてい るのも判り、その映画が画期的であるという意味がわかるのです。時代背景がわかる とまた一段と映画が楽しいです。別の言い方をすれば、時代背景がわかっていなかっ たら映画が楽しめません。それで映画からその国の文化が見えてくるものです。


  • 映画は文化がつくる

    日本では恐怖物というジャンルがとても目立ちます。怖い映画を日本人に作らしたら すごい作品を作ってしまいます。昔の「八つ墓村」や「犬神家」などアメリカのホラ ーに比べたら数倍は怖いですよね。これは日本文化に怨念とか霊とかの概念が根強く 残っているからでしょう。 宗教的な部分ですね。欧州のキリスト文化ではこれはそこ までではありませんから、怖さをどのように作るかというところで遅れてしまうのは 当然です。逆にキリスト文化では神や教会に関することが多くあります。ネオリアリ ズムのころのイタリア映画には必ずキリスト教の祭りのシーンが登場します。アメリ カは愛国心が強いですから、星条旗やアーリントン墓地がよく出てくるわけです。外 国人から見れば、それはやりすぎ、と思う話もアメリカ国内では受けるのです。これ もそういう背景があればこそ作れるのでしょう。日本で日の丸や靖国神社を全面に出 したら、変な中傷があってお終いです。それに日本映画にはそういう国民主義的な要 素は要らないということです。今日はアメリカの商業主義が全世界に広まっています から、そのような国柄の話も世界に出てしまいます。でも米国内で受けた映画が外国 でも受けるというのは全てには当てはまらないでしょう。映画の出来の良し悪しより も文化背景が理解できるかどうかという点ですね。特にアメリカ映画はアメリカが世 界一というメッセージを多く含んだものが多いので、敬遠する人が多くなければいけ ません。日本では残念ながらアメリカを敬愛する人が多いので素直に賛美してしまい ますが「このような題材は受けない」と正直に言ってよいでしょう。特に太平洋戦争 などを題材にした映画では日本人は悪です。そういう映画を日本人が絶賛するのは世 界から見れば気持ち悪い現象ではないでしょうか?表現の自由ですから別に題材に非 難することはないですが、誉めるのはやめてほしいものです。仮に日本が太平洋戦争 での日本軍のことを正当して映画を作りアメリカで上映したら全国民が拍手するでし ょうか。だから、映画もお国柄があっていいのではないか。日本を見てると、そこま で受け入れることもないでしょうに、と思ってしまいます。


  • 日本映画をもっと認めるべき

    僕は日本人は外国映画よりまず日本映画を見るべきと思います。自分のことを知れば 外国人とも映画のことで話せる知識がつくでしょう。これは映画だけではないですが。 日本の映画で広く認められてるのはやはり黒沢でしょう。しかし残念ながら羅生門な どは日本では不人気でした。それがベネチアで賞を取ったら人気が出てきたわけです。 日本映画を外国から認められて日本で人気が出るというのはどうも情けないと思って しまいます。もっと日本映画を認めてもよいですね。 今もやはりアメリカ映画が人気 ですが、言ったようにアメリカでは日本人の文化背景を考えて作る映画などありませ ん。CGなどと言っても話がつまらなかったら映画としては駄目だと思うのですが、 最近の日本ではメディアミックスとかグラフィックスとかに偏見して映画を誉めるこ とが多いです。技術はそれはそれ、映画としてはどうか。マトリックスなど褒め称え るべき対象でないのはわかると思うのですが。映像がすごいというなら、それこそ羅 生門のあの光の当てかたや七人の侍の雨のシーンなど世界一でしょう。映像というこ とにこだわり、知恵をしぼって撮ったことで、コンピューターなどよりもよっぽど認 めてもいいと思います。僕がアンチハリウッドなのはそこにも理由があります。


  • 日本映画はだからすごい

    映像といいましたが僕は映像にはあまり関心がないです。アクションも惹かれない。 それより、話や会話の面白さ、時代設定、その映画が伝えたいメッセージを考えるこ とで楽しんでいます。だから日本映画だと黒沢よりも小津が好きになりますね。でも 黒沢でもチャンバラではない作品では好きな映画を作っています。日本人さが感じら れる作品も大好きです。例えば「男はつらいよ」などはもう日本の文化ですね。これ は日本映画でないと味わえないことですからね。 日本映画が良い理由はまず日本人の 緻密さにあるでしょう。細かいことにこだわる。これが産業で表れていますが、映画 にも良い面で現れています。そして、日本人は細かい感情を理解できるということで す。一言に辛いなどと言っても、例えば日本人の「辛さ」という感情は何千通りにも 分かれるでしょう。そこまで感情豊かな民族は他にはいないのではないかと思うほど です。よく「言葉では表現できない」感情というのがありますが、日本人は伝統的に 精神面で会話をするのでしょう。「単一民族」がそれを可能にしたのでしょう。言葉 で話をする欧州人などよりも感情が多いというのも文化的遺産でしょう。これがまた、 映画では良い作品になります。外国人が日本のそういうことを見ると、何故と思い、 不思議に思い、そうやって段々とはまっていくのだと思います。ちなみに欧米人でも 理論的に考えたいフランス人や人間描写が巧いイタリア人などははまり、物質的に考 え、頭ごなしなアメリカ人にはあまり受けないなど差があることも言っておきます。 どうも資本主義の王者であるアメリカ人は、精神的に日本の対極にあるのでしょう。 第三に、日本には豊富な歴史があることです。天皇家があり、公家があり、武家があ り、将軍もいる。内戦があり、革命があり、外国との戦争もあり。神道が日本人の精 神に完全に染み込んでいて、仏教の解釈も豊富であり、独自の文化と中国、西洋の文 明が共存する社会。そしてそれが線で続いていて、繁栄した大国。これほど歴史的、 文化的に豊富な国が世界に幾つあるか、おそらくないでしょう。これは題材には困ら ないということで、映画作りには適しています。例えば、中国の歴史は豊富ですが、 王朝が変わるたびに前王朝を抹殺してしまいました。今の共産党独裁で、例えば国民 党の歴史などは曲解されています。その国民党は清を抹殺した。つまり歴史はあって も数が残っていないという点と、タブー視されている点で、題材に生かせないのです。 むしろ中国のような国が世界では当たり前で、日本のように権力が変わっても前時代 の遺産を残している国は異常です。普通の国だったら明治政府になった時点で将軍家 に関するものは抹殺されたでしょう。それがされないというのは宗教的な文化ですが、 その日本文化の面白さやユニークさが日本人の遺産となって、映画作りにも適してい ると言えます。それに日本が持つ知恵があります。例えば、世界を見ると欧州では身 分の差から革命が起き、社会はますます混乱するという現象が起きたが、日本では身 分の差から敬語が発達し、日本語の美しさがある。それは日本の財産だ。そのように 世界では負と決められたものが日本ではそうはならないということがしばしばある。 敗者にも同情ということで賞賛する文化は欧州にはない。欧州では賞賛を受ける者は 勝者のみ。負けたものに送っては勝つ意味がないとなるからだ。それに日本には負け 方にも美学がある。ぶっちぎりで勝つのはそこまで誉められない。技を競うというこ ともそうだ。外国は勝つか負けるか。結果が全て。だから卑怯な手を使っても勝てば いい。だまし合いだ。日本では正々堂々と勝たなくては誉められない。ちなみに僕は 日本軍が中国で完全勝利できず、太平洋戦争にひきずりこまれたのはこの点にあると 思う。そういう外国と戦うときは正々堂々とは言ってられないのだ。しかし、面白い ことに世界でも一般の人々の中にはやはりそう願ってるふしがある。欧州にも騎士道 がある。だから日本人のそのような感情が受け入れられるのだろう。これがまた日本 映画の良いところになる。物事には両面があるということだ。ちなみにここでもアメ リカは除外させていただきたい。他民族が混沌と生存している国柄、勝つことのみが 求められるアメリカはそういう気持ちが薄い。


  • アメリカ映画

    日本映画のよい理由を考えていくと、アメリカとは反対の理由が浮かぶ。正対だ。案 外これはヨーロッパを中心に西洋文化が分散していったこと、つまり日本とアメリカ は極にあるということも関係あるかもしれない。欧州と東方、欧州から西方と分ける と欧州から東、つまりアジアはインドや中国をはじめ精神文化圏だ。日本はその顕著 な例。 ヨーロッパは植民地時代にアジア文化に興味を示さなかったが、大戦を経て深 く関わることと、昨今の文化交流で意外に精神文化の影響を受けている。しかしそれ は欧州で止まったようだ。欧州とアメリカはまた別のリンクがある。アメリカは大戦 で参加したが、それはアジアに関わるというより面倒なアジアに関わりたくなかった からこその参加だろう。だから日本にも異質な危険を感じていたと思うが、それを理 解するということはせず、粉砕して自分のやりやすいようにするのがアメリカ流だか ら、まさしく日本はそうなったと言わざるを得ない。別に理解しなくてもいいのだ。 それに今は日本が積極的にアメリカを理解しようとしてるから、アメリカの作戦は大 当たり。長い前振りになったが、つまりアメリカ映画は一種孤独な存在といえる。商 業主義が先行して、個人が想像して作る作品というより儲かる作品と化している。儲 かるためには万人に受けなくてはならず、素直に解り易い作品が生まれる。それに売 れるためには楽しめなければいけない。それを前提にすると必ずハッピーエンドにな る。ハッピーエンドでなければ泣ける話。アメリカ映画の特徴は考えずに見てても「 ここで泣けますよ」というシーンを作ってくれてるということだろう。エンターテイ メントと言ってはばからない。つまり娯楽である。それはそれでいいが、ならばアカ デミー賞は娯楽映画一番を決めると認識しなければならない。必ずしもベスト映画に あらずというところか。そして、アメリカは善と悪をはっきり分ける。初めからどち らが正義と決めているところがある。その正義の主人公が悪に勝ってハッピーという ストーリーが多い。日本映画はどちらかというとハッピーエンドは芸術性に欠くと思 う人が多いだろう。主人公が死んでしまう最後も多いし、むしろそちらのほうが印象 に残る。「あれ?ここで終わり?」と思う映画も多いが(最近だと「御法度」など、 これも意味ありげな最後のほうが考えてしまうということだろう。 アメリカ映画で主 人公が死んでしまったら、悪が勝つことだから受けないだろう。これも国民性や文化 の違いだが、日本は日本の良さ、アメリカはアメリカで、と思うとそれで随分違った 見方もできる。 ちなみにアメリカ映画と言ってきたが、これはハリウッドのことを言 っていると思ってほしい。それも最近のハリウッドだ。アメリカには独立系で渋い作 品もある。欧州や日本映画に影響を受けている人も多い。こういう人たちはどちらか というと地味な監督であることが多く、映画人の間で認められるにしても収益とは別。 そして、昔のハリウッドもまた違う。昔のアメリカ映画は良いものが多い。ヨーロッ パに似ているものも多く、名作も多い。これらの作品は僕も大好きである。どうして も昔のアメリカ映画のイメージがあると今の作品には満足できない。


  • 監督と俳優

    日本映画で注目を集めるのは俳優よりも監督が多いようです。日本の監督は皆濃い特 色を持っていて、独特の世界を創り出している感じがあります。日本の作品では戦後 短い間に傑作な作品が多く生まれています。その頃全盛だったのが黒沢、小津、溝口 あたりでしょう。 彼らの最も優れた作品である「七人の侍」「東京物語」「雨月物語」 はいずれも1953年、または54年の作品です。他にも鳴瀬巳喜男の「浮雲」が5 5年、木下恵介の「二十四の瞳」が54年の作品です。日本映画ではそのような個性 的な監督がいろいろ出てきたわけですが、監督はある程度固定化された俳優を使って います。また俳優もそのような監督に使われることで味を出してきます。小津映画の 中で笠智衆は様々な父親役を演じて多くの感銘を受けました。ヴィムヴェンダースの 「東京画」の中で笠はあれは小津の指導どおりに演じただけと言っていましたが、正 にそれが小津映画の持ち味であり、また笠の持ち味になってくるのだと思います。 笠 智衆が小津映画の顔なら、黒沢映画の顔は志村喬だろう。「七人の侍」の勘平衛、そ れに「生きる」と彼が出ない作品のほうが少ないと思わせられる。そのことからも、 日本映画は監督と俳優がセットになっているのが多い。監督は監督、俳優は俳優とせ ず、作品はやはり協力して成すというのがなんとも日本っぽいではないかと思う。も ちろん作品は一人ではできないし、バラバラに行っても出来ない。いい忘れたが、こ れも実は日本の映画の良いところだと思う。笠智衆のインタービューを聞いて、全く 自分の演技を殺して監督の演技指導のままに演技する。日本人の自分を全面には出さ ない性格が協力を生むのではないかと思う。そしてやはりいい監督がいたから日本映 画が出来ていったのであろう。黒沢明、小津安二郎、溝口健二ばかりでない。市川昆、 大島渚、今村昌平など世界的にも有名な監督が多い。


  • 黒沢と小津

    日本の2大巨匠だと思うが、黒沢の作品のほうが世界で受けている。最も黒沢は派手、 小津は地味というイメージが僕の中にもあるからそうなるのだろう。黒沢の作品を見 ていくと確かにすごいことがわかるが、今回は僕の趣味で判断する。黒沢はチャンバ ラが多い。確かに最高の時代劇を作ろうといって完成した「七人の侍」はすごいだろ う。だが、時代劇より人間劇のほうが好きな僕は黒沢の友情が好きである。黒沢だけ なく、日本映画はあまり男女の恋愛ものを全面に押し出した作品は少ないのではない だろうか。恋愛ものにしてもテーマは別という感じを受ける。確かに日本人は欧米人 と比べて恋だの愛だのそうは表に出さない。縁とか絆とかのほうが好きだと思う。愛 してる連発はない。激しい恋愛ものは欧米に譲り、その代わり友情だの家族愛だのな るとこれが深い作品を作っている。 黒沢は友情、小津は家族愛である。黒沢の初期作 品で好きなのが「一番美しく」である。これは戦時中の作品だが、女子工員の友情が テーマになっている。それから最後の作品となった「まあだだよ」。90年代にして 師弟愛を謳うテーマが気に入った。最近の物質主義化でなくなった日本の美学みたい みたいなのがすごく印象深かった。ここでいいのは、こういういい文化や風習があっ たのだよ、と素直に言っているところです。J−POPもいいが、童謡のよさも解っ てくれと言わんばかり。そういう気持ちが僕の中にもあるので、好きになるのでしょ う。そう言えば、黒沢の時代劇は武士のこころを残すというテーマがあると思います。 黒沢は良いものは残せと言いたかったのでしょう。それをテーマに映画を作って外国 にも受けるということは誇りに思っていいと思います。黒沢が良いところ、つまりポ ジティブを全面に作品を作っているのと反対に小津の映画は家族愛の中に寂しさがあ ります。 「東京物語」は上京してきた老夫婦に対し、一番気を使ってくれたのは家族 ではなく、息子の未亡人だったというストーリーですが、これもほのぼのした中にど こか居心地の悪さを感じるという、少々ネガティブな映画です。笠智衆演じる父は最 後には妻に先立たれて一人残されるという悲しさがありますが、小津のよいところは わざとらしい演技をしないことです。悲しいのだけど、どこか違う。悲しさをアピー ルはしない。そういった、演技にしては不自然なことが現実的です。悲しさを感じな いから逆に悲しい。そういう巧さがあります。これも巧みな人間描写ですね。でも映 画的には地味になってしまい、海外では受けにくいですが、最高の日本映画と思いま す。黒沢に比べ、小津の映画のほうが考えさせられます。これが僕が小津のほうが好 きという理由です。


  • 日本のアニメ

    日本のアニメが世界で受けているようです。僕はアニメは小学校で卒業したのですが、 最近は大人も巻き込んだ大層な勢いらしいです。外国人も日本のアニメが好きという 人が増えており、僕の周りでも日本人だと言うことでアニメについていろいろ聞かさ れて困った人が沢山います。宮崎駿の作品もほとんど興味ない僕ですが、少し僕の意 見を言わせてもらえば、今日の漫画の影響力はすごいと思います。漫画を見ることに よって文章を読まず、想像力が乏しくなったり、今日のメイクが漫画のイメージをも 撮り入れていると思います。つまり漫画の影響はすでに染み込んでいると思いますが、 漫画の初めはやはり手塚治虫でしょう。手塚がアニメに影響を受け、紙の上でアニメ ーションをと試みたのが日本漫画の栄華に発展したと思います。 手塚が影響を受けた アニメは瀬尾光世の作品でしょう。戦時中に戦意高揚のために製作された「桃太郎・ 海の神兵」などが代表作です。それを見ると日本のアニメがその頃から高いレベルに あったことを感じさせるものです。戦争を感じさせない作品である「くもとチューリ ップ」の動きはディズニーに近いものがありますが、日本独自の方法で完成したと聞 きました。日本の想像力はすごいですね。想像力と言えば、僕はアニメが日本の技術 に影響を与えたとも思ってます。鉄腕アトムに始まり、ドラえもんと日本のアニメと ロボットというのはポピュラーですが、これに影響され、ロボットと人間は友達とい うイメージが定着しました。ところが欧米に目を移すとロボットは人間の敵です。ア メリカの善・悪スタイルでいうとロボットは悪。そういうイメージがあるようです。 その違いが工作ロボットなどの開発にも影響したでしょう。日本のロボット技術は高 く、それだけ生産を増やすのですが、ロボット=敵というイメージがある欧米では危 険な感じがするのか遅れてしまったと思います。アニメ好きというと僕も含めてあま りいいイメージはないと思いますが、初期の作品などを見ると感心してしまいます。 そしてそれが与える影響力も馬鹿には出来ない。アニメは影響力が強い分、良し悪し だと思います。


  • 日本の女優

    今の日本女性の変化は早くてすごいと感心してしまいますが、流行が早い分、アイド ル化してしまって、本当に演技の良い女優というのがどういうのかよくわからなくな ってしまっています。マルチタレントとでも言うのでしょうか、歌も歌い、バラエテ ィーにも出て、ドラマに出て、舞台にもでる、と言った人が目立ちます。僕個人の意 見ですが、例えば歌舞伎役者などはそれ一本ですからそれなりの威厳というか風格が あります。そうなるとどうしても昔の女優は凄いと思ってしまうのです。確かにいい 映画も多かったですし、今でもいい映画に出ている女優は良いと思ってしまいます。 でも大女優と呼ばれる人は、月並みですがどうもオーラみたいのが感じられますね。 日本女性とイメージがあり、気品や上品さを感じます。また芝居に対する心意気みた いのが感じられるのがいいのです。大女優というと原節子、高峰秀子、岸恵子、山田 五十鈴、それに京マチ子などでしょうか。顔も今の女性と比べると違いますし、独特 の雰囲気がありますね。今の世代が昔の映画を見ても思わず惚れるというのは充分に あると思います。洋画だと例えばオードリー・へプバーンやグレタ・ガルボなどまだ まだ人気の女優が多数いますが、日本の女優も全然負けていません。「君の名は」の 岸恵子、「羅生門」の京マチ子、「浮雲」の高峰秀子、「近松物語」の香川京子など は女優を見るために見てもおかしくはありません。映画の別の楽しみは女優を見る楽 しさということもあるでしょう。役にぴったりはまっている女優というもの印象が強 いです。配役というのは映画の楽しさです。最近だと、例えば「鉄道員」の大竹しの ぶなどぴったりだと思います。主役の場合はどこまでその魅力が発揮できるか。助演 の場合はどこまで印象を残せるか。日本映画は男優の主役が多いですから、日本女優 の魅力はその支えるという印象でしょう。


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    K.Wakabayashi
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