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日本史に触れたころを思う・後半

(12/18)


僕が小学生のときにもっとも歴史に触れる機会があったのは歴史漫画であった。とはいっても 通しの歴史よりも人物の伝記に触れることが多かった。よく伝記を読んだものである。漫画が 多かったから、伝記を見たというべきだろう。これで随分歴史への興味を持ったものだが、今 から考えると疑問が沸くことも多い。人物を見るにはいいが、歴史を見るのはどうか。それで 特定の人物に注目が行きすぎると誤った歴史を覚えることとなってしまう気がする。物事には 双方の立場があって、片方だけを知ると偏見を持ってしまうからだ。漫画はイメージがつきす ぎる。僕もいろいろ知識を得るまではある人物に肩入れしていたことも多い。例えば戦前の楠 木正成に対するイメージと戦後のイメージはまるで違う。これも偏見だと思う。歴史を偏見な しに見ないと、政治などにも悪影響を及ぼすと思う。どちらも感情論では語れないからだ。そ のときの状況などから分析しないといけないのだが、こうであって欲しいなどと思うと真実が わからないこともある。

覚える限り、僕が一番はじめに読んだ伝記は伊達政宗である。豪快なイメージがあり、遅れて きた英雄などと言われていたので、そのようなイメージを素直に受け入れていた。ところが、 最近はどうも政宗という人は必ずしもそうではないなと思う。遅れてきたのは確かかもしれな い。活躍する頃には既に秀吉の天下であり、すぐに家康の天下になった。群雄割拠はすでに終 わっていた。秀吉の時点で既に戦国時代は終わったと思う。もちろん武家の社会は続いている が、権力が分散されてはいなかったからだ。政宗は小田原攻めで秀吉に従い、江戸幕府が開い てからはひたすら徳川に忠誠を誓った。リーダー的な豪快さより部下としての忠実さのほうが あっている。英雄というのは大げさではないか。遅れてきた時点で既に英雄にはなれない。秀 吉や家康のほうが英雄という表現があっている。むしろ英雄ではなかったから、遅れてきた英 雄、というのではないかと思う。そうあって欲しかったからだろう。これでは政宗の評価が間 違うと思う。

その次に読んだ伝記は源義経だった。こちらもヒーロー的なイメージがついた。確かに平家を 滅ぼしたことはヒーロー的だし、義経の功績に他ならない。戦争は上手かった。しかし、頼朝 にいじめられて、せっかく勝ったのに悲惨だったんだな、というイメージがあった。平家を滅 ぼした後の頼朝と義経の言い分を見ると、頼朝のほうが正しい。正しいというか、頼朝は義経 を許してはいけなかった。政治に関しては、解っていなかったのは義経のほうだと思う。戦争 が強いのと政治が上手いのは別だと思うが、戦争に強かったのに悲惨というイメージが先行し、 つまり頼朝のイメージが下がる。本当はそうはあってはいけない。政治のほうが地味だし、冷 酷に行かねばならないから、頼朝より義経のイメージがよいからと言って、人物をそう判断す るのはまずいと思う。ここでも義経の立場からしか見ていなかったからそうなった。

信長の伝記はあまり印象に残っていないが、こちらは授業のイメージが強い。比叡山を焼き討 ちし、石山本願寺で多数殺し、一揆を皆殺しにする。冷酷すぎるイメージがあった。社会科の 教師からは信長の悪いイメージを受けた気がする。しかし今では正反対。そもそもなぜ比叡山 や本願寺を攻撃しなければいけなかったのか。宗教はそれが勢力になるということを一切教わ ってなかったからだ。宗教についてほとんど教わっていない。日本の宗教は神道、という当た り前のを知ったのは実は高校のときのアメリカ人の教師からだ。神道という言葉はそれまで知 らなかった。楽市楽座の重要性は経済を知らないとわからないが、宗教については少しは教え てもらいたかった。比叡山や本願寺という勢力の意味を知らなかったら、宗教勢力を攻撃した ことが悪いことに思えてくるからだ。坊さんには戦闘というイメージがない今だからこそ、そ のときの寺社の勢力について説明するべきだろう。

それからこれは社会科の教師の個人的趣味だろうが、豊臣を徳川より好きだと言っていたのを おもいだす。その時の話では豊臣秀頼を倒したことをあまり好んでいなかった。それはそれで 個人的な趣味ならいいが、歴史としてそう教えるのは好ましくない。家康は地味な人だから、 江戸時代はつまらないというイメージがついてしまったからだ。豊臣を滅ぼすことによって別 の勢力を作らないという治世のためには大事なことを今の思想で変えてしまう。近代以前は独 裁は治世だった。選挙などないから、他に勢力があると必ず戦争になるからだ。つまり勢力は 一つ、つまり独裁なのが一番良い。ところが今の考えかたで、同情などを持ち出すと、それが 悪いことのように思えてくる。豊臣ならず、お家の断絶は平和の手段であった。一家皆殺しは 可哀想などと教えると、それがわからない。平和の世にした徳川が悪みたいなイメージがつく。 これも歴史の教育のセンスによると思う。現代社会の道徳はそれはそれで、歴史の事柄はきち んと説明しないといけない。初めて歴史をやるときはそれこそ必要である。ちょっとしたイメ ージが定着してしまうからだ。人物のイメージも変わるし、歴史に対するイメージも変わる。

僕が中学で歴史を習う課程で今思う一番のミスは近代の歴史だと思う。多分教師は近代の歴史 を語りたくない。江戸まではのんびりとやってきて、明治維新を一通りやったと思うと、敗戦 までは本当に慌しい。ほとんど何もやっていない。覚えているのが、特に太平洋戦争の部分は 学期の終わりだったので、時間がないという理由で各自教科書を読んでおく程度に終わった。 一番大事と思うところを手抜きにしたのである。そのためほとんど僕は戦争のことはわかって いなかった。高校3年の頃、中国人から「南京について」どう思うと聞かれたときには閉口せ ざるを得なかった。何も知らないからである。向こうはもちろんそのようなことは学校である 程度は習っているだろうと思っていた。むしろ日本ではどう習うと聞きたかったのだろう。そ れには触れないというのは日本人の考えだ。臭いものには蓋をする。僕はその時の何も言えな かった恥ずかしさがあったので、戦争のことを知ろうと思ったのだが、およそほとんどの同年 代の知り合いはそのことに関心がない。話題にしないのは日本にいる分にはいいが、外国人と 話すときには知識がないと最低限の反論も出来ない。何も言えないということは認めてしまう ということだから、本当は事情がいろいろあることも何も言えない。これでは情けない。アメ リカの大学の授業で太平洋戦争のことが出ると、アメリカ側の主張につく日本人も多い。その ようなことを避けるためにも歴史はしっかり教えてほしいものだと思う。

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K.Wakabayashi
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