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日本の仏教

(1/2/2001)


仏教はインドで生まれた。それがシルクロードや中国を経て日本に伝来した。仏教は元々 インドの民族宗教から生まれたものだ。インドの宗教では、世界は六界に分かれている。 六界とは地獄、餓鬼、修羅、畜生、人間、天上に分かれた六道である。人間は前世の行為 によってこの六道を輪廻する。この六道の中の天上界はそれはそれで一つの世界で、キリ スト教の天国とは違う。天上界に生まれ変わっても、他の世界よりは良いが、寿命がない 永遠の世界ではない。天上界にも寿命はある。そこの行いによってまた六道を輪廻する。 仏教、つまり釈迦の教えは悟りを開くことによってこの六道輪廻から解脱することを目的 とする。仏として悟りを開いた人はこの六道から出て永遠になることが出来る。仏教とは この悟りを開くことである。仏とは釈迦のことではなく、悟りを開いた者のことだ。仏に なること、それが仏教だ。釈迦とはインドの王子ゴータマ・シッダルタが悟りを開いた後 の名前である。シッダルタはこうせいとは言わない。ここがキリスト教とは違う。だから シッダルタイズムとは言わない。釈迦は悟りを開くべしとは言ったが、どうやって悟りを 開くかは何も言っていない。その方法の考えかたによって幾つもの宗派(西洋の宗教がは いるまではこの宗派を宗教と言った)ができた。個人の修行によって,という考えかたが 南へ伝わり小乗仏教(ヒナヤナ)となった。タイやスリランカの仏教はこちらである。人 々の救済という大勢という方法が北へ伝わり大乗仏教(マハヤナ)となった。こちらが中 国から朝鮮を経て日本に入ってきた。

そのうち日本では浄土教が盛んになった。浄土とは六道から解脱して離れた世界のことを いう。だから浄土は一つではなく、悟りを開いた者(如来や菩薩)の数だけある。悟りを 開く前段階でそのような浄土へ行くという仏教の解釈が日本では盛んになった。浄土はた くさんある。例えば、阿弥陀如来の浄土は極楽浄土、薬師如来の浄土は瑠璃光浄土と言う。 日本では浄土とは極楽浄土とされるが、極楽浄土とは数ある浄土の中で阿弥陀如来の浄土 のことなのだが、日本では浄土といえばこの極楽浄土のことと思われるほど浸透した。な ぜかというと他の仏はどのようにしたら浄土に行けるか、何も方法を言っていない。しか し、阿弥陀如来(アミターユス)は具体的に「念仏すればわたしの浄土に連れてくる」と 言った。具体的に方法を言ったのは阿弥陀だけなので、日本では阿弥陀の極楽浄土に行く という宗教が盛んになった。

念仏をすればよいとは言うものの、具体的に何が念仏か、その解釈も様々になった。これ が浄土教であり、いくつか考えが生まれた。

話は戻るが、まず仏教が日本に入ってきたときは大衆のものではなかった。貴族ら一部の ものだった。それが法相宗など奈良仏教である。釈迦は誰でも修行して悟りを開けば仏に なれると言ったが、日本に入った仏教は特権階級のみのもので、庶民が修行のために僧に なるには政府の許可が必要だった。元々日本は仏教が持つ統治や考えかたの特徴が政府に とって有利なものだったから多く受け入れられた。日本は古来から民族宗教である神道が あった。仏教とはその神道という宗教の中の矛盾を解決するために取り入れられた科学で ある。例えれば、キリスト教の国がその統治の中でキリスト教に矛盾が生じた。それを解 決する方法が別の宗教の考えにあった。それを取り入れたわけだ。勿論キリスト教やイス ラム教の世界ではこんなことはありえない。日本以外の世界では信じる宗教は一つだから だ。神道という宗教を支えるために仏教という別の解釈を取り入れる。このような特徴が 日本にはある。だから日本の仏教は仏教そのものの意味をそのまま受け入れられたわけで はない。だから一部特権階級のみという仏教本来の教えには矛盾することが起きる。

さて、平安の実力者である藤原氏はこの仏教をおおいに利用した。権勢を誇った藤原氏か らみれば、もっとも恐れるのは死後の世界である。現世で富と地位を手に入れたゆえに余 計に浄土という世界に憧れる。その藤原氏がいくつかあった浄土教の考えの中でもっとも 気にいったのは観想念仏という考えかただ。これは源信という僧の考えだ。この考え方は 浄土をイメージすることこそ念仏という。藤原氏は金にものを言わせ、浄土をイメージし た豪華絢爛な建物を建てた。その一つが有名な宇治平等院鳳凰堂である。しかしこんな方 法は誰にでもできることではない。一部のものだった浄土教を庶民に伝えた初めは空也上 人の称名念仏である。これは日本古来の神道の言霊と結びついたものだ。言霊とは口にし た言葉にスピリットが宿っているという考え方だ。言葉には霊力がある。全ての言葉が呪 文のようなものだ。このために現在の日本では言葉使いが重要な意味を持っている。その 神道の概念が仏教の方法論と交わった。仏教は神道を良く解釈するために日本に取り入れ られたが、ここでは神道が仏教の解釈に使われている。日本の文化とはそういうものだ。

称名念仏とは平安中期に空也によって広まった、阿弥陀如来の名を唱えればそれが念仏に なるという考えかただ。その誰でもできる念仏の方法は庶民に広まった。名を唱えるとい うのは具体的には、南無阿弥陀仏と言うことだ。ここで日本の仏教は、もともと個人の修 行であった仏教を、救済ということに重点をおくことになった。悟りを開くという本来の 目的が阿弥陀如来を信じるという形に変わっていった。鎌倉になるとこの考えをもっと完 成させていく。まず法然が浄土宗を開いた。浄土教と浄土宗は違う。浄土宗は浄土にいく という浄土教の中の一つの考え方だ。浄土教とは浄土に行くということだが、浄土宗では 阿弥陀如来の浄土に行くといういうことのみを教えにしている。法然が書いた選択本願念 仏集の選択とは阿弥陀のみを信じ(本願)他を排除するという意味だ。

仏教は本来よい行いをし、仏を信じ、悟りを開くために修行することと思われていた。し かし法然は、阿弥陀は念仏すれば浄土に生まれ変わるとは言ったが、善行をつくせとは言 っていないことに注目した。つまり善行を尽くすことは極楽浄土に行くための条件ではな いとした。ひたすら念仏を唱えることこそが必要なのだ。これを専修念仏という。善を尽 くすことをやめるというのは理由がある。人間はもともと不十分なものであり、善という ことを見極められるか疑問だというのである。善を誤解してしまえば、他者は悪になる。 努力して善をしていると思うことも傲慢になる原因だろうと考えたのである。法然は阿弥 陀を選択した時点で修行を排除した。阿弥陀の力を信じ、極楽浄土に行くこと、それだけ だ。自力(努力)を一切排除したこの考えかたを絶対他力という。

念仏を頑張ることも自力だ。法然は念仏をしていて眠くなったら寝ろといっている。頑張 って起きて念仏を唱えてはいけない。起きたらまた念仏をすればよいのである。この極め てわかりやすい教えは爆発的に広まった。学問も必要ない。むしろ何も考えずにひたすら 南無阿弥陀仏と唱えればよいのである。

法然の他力という考えは他の宗派から迫害を受けた。こんなものは仏教ではないというの だ。しかしこの迫害の中からもっとラディカルな考えが出てくる。これが親鸞の浄土真宗 だ。法然は長年の修行の中から他力という考えかたを結論とした。長い修行の中から、と いうことで法然は戒律は捨てていなかった。親鸞はこの戒律まで捨てたのである。親鸞は 初めて僧でありながら公式に妻帯した。念仏を唱えればよいということをラディカルに考 えた。つまり念仏を唱えれば、ルールを別に厳しく守る必要はないということである。そ れまでの仏教はどんな考え方があろうと僧は戒律を守ってきた。それは釈迦が決めたルー ルだと理解されてきたからだ。親鸞は阿弥陀を絶対視し、人間を過小評価している。この 点は絶対神である西洋の宗教と似ている。

親鸞に続いてもっとラディカルな一遍が時宗を開いたが、両者に共通するのは何もしない ということだ。人々は何もしないと逆に不安になる。何もしないということに徹底する親 鸞と違って、人々はそこまで何もしないということを出来ないのである。真宗は一時全く 衰えた。真宗が盛り返したのは蓮如という布教の天才がいたからだ。蓮如は布教のために 集団で行動することを奨励した。それに仏教とは釈迦のころから女性が悟りを開くことに 否定的だったから、女性の救済はあまり力をいれてこなかったが、蓮如は女性にも広めら れたわけだ。親鸞がウィスキーのストレートだとすると蓮如は水で割り薄めていったため に女性も子供も飲めるようになった。これで盛り返したのである。一遍はあくまでこだわ ったために時宗は衰えた。親鸞も同じだが、蓮如によって人々の好みに歩み寄ったと言え る。この真宗は後に強大な勢力を持つ。織田信長が最後まで勝てなかったのが本願寺一向 一揆である。真宗の主流である本願寺は信長と同じ兵力と財力を持っていた。平和的と見 える仏教がこのようにまで日本で変化した。他のアジアの国が日本の仏教は仏教ではない と言うこともあるのは、修行も戒律を捨てることは、仏教そのものが持つ特徴が無くなっ たと思われるからであろう。

ここまで仏教が変化すると、いや修行こそやはり仏の道本来の姿はこちらだ、という思想 が起こってくる。これが禅である。禅とは、自分のことは自分でせよ、ということである。 禅は曹洞宗を開いた道元によって広まった。全ての日常生活、炊事や洗濯、掃除など全て が修行という考え方だ。この禅の考え方は今でも日本人には当たり前の発想になっている。 道元の教えが定着したからだ。日本人が勤勉というイメージも禅の教えが広まったせいか もしれない。例えば、他のアジアの国では貴人は何でも召使いにやらせた。タイやインド に転勤した支店長の奥さんが家事を自分でするということを周りが知り、身分の低い者と 思われたという話をよく聞く。日本に一番近いと思われる台湾でもある程度収入の高い家 には必ずお手伝いさんがいる。僕の友達のところもそうと知って、最初は何もしないお母 さんを怠け者のように思えてた。しかし、それは日本人から見ただけで、彼らにとっては 当たり前のことだ。欧米はまだマシとは思うが、それでも例とえば、僕がアメリカの高校 に進んで気付いたのは掃除当番がないということだ。日本の学校では生徒が掃除をすると アメリカ人に言ったら、一人は「日本の生徒はかわいそう」とまるで虐待を受けているか のように思われ、一人は「日本の政府は学校に金を回していないのか」と事情があるので しているのだと思われ、一番理解に努めてくれた一人も「それは合理的な発想だ。学校は 無駄な金を使わなくてすむ」という。掃除も教育の一環で、汚れたら自分で掃除するとい う考え方がまるで伝わらないことに気付いた。なぜだか理由はわからなかったが、最近は やはりこの道元の教えが定着したからだなと思う。アメリカ人がおかしいのではなくて、 それが日本の考え方だなと思った。

道元は宋に渡り、修行法は坐禅によって行うと見つけた。なぜ坐禅かというと、釈迦が悟 りを開いたときに行った方法だからだ。禅宗の開祖はインドのボーディダールマ(菩提達 磨)である。六世紀あたりに唐に渡り禅宗を広めた。禅は坐禅の他に面授というものがあ る。面授とは師の教えを直接受けることである。禅は不立文字というのがあり、真理は言 葉では伝えられないということだ。以心伝心は禅の言葉であるが、これが真理を教わる術 である。

日本の仏教で最も重要な宗派は天台宗であろう。最澄が開いた天台宗は比叡山延暦寺を総 本山とし、そこで学んだ僧たちが次々と新たな教えを開いていった。法然も親鸞も道元も ここから出発している。禅と念仏は反対に思えるが、根本は同じといえる。双方とも天台 宗から出たものだからだ。比叡山天台宗は本覚思想をもとにする。もともと仏教には人は 誰でも仏になれる素質があるとするが、本覚とは更に大胆に、人はあるがままの姿ですで に悟りを開いているとするものである。禅も念仏も本覚思想を前提にしながら、さらに改 良をめざしたものである。親鸞は信を得た上でなお念仏するところに実践性が確保される とし、道元は坐禅そのものが悟りとし、坐禅で実践性が確保されるとした。釈迦の仏教に は本覚思想などなかった。釈迦の仏教に一番近い曹洞宗もやはり原始仏教ではない。本覚 思想は仏が超越したものとして神道の神と混合していったものと言えると思う。

日本の仏教はかなり元から変化したものである。これはやはり仏教に自由な解釈があった からだろう。日本だけでも仏教には様々な宗派がある。悟りを開けばいい、と目的のため に長い間いろいろな考えが出てきた。キリスト教よりはるかに解釈が広い。イスラム教と 違う点はイスラム教が元々布教を目的とした宗教であるという点であろう。仏教は仏にな る方法を開く、ということと人々に布教するという2段階がある。親鸞の教えは衰退した。 ほとんど絶滅しかけた。しかし蓮如という布教者が出て広まった。曹洞宗にも瑩山という 布教者がいた。道元の教えを忠実に守れば人々はみな出家してしまって社会が壊れてしま う。

日本はいろいろな宗教が入り混じっている。仏教の様々な宗派もそれぞれ日本人には浸透 している。神道があり、禅の教えがあり、念仏があり、それが日本の宗教である。あまり に混ざりすぎたり、宗教についての教育がないから、日本人の中には無宗教だと言う人も いる。日本人で敬虔な宗教人は多くないが、宗教の影響を受けていないものは一人もいな い。外国へ行って外国人の行動や考え方を不思議に感じたら、それが宗教の違いからきて いると思っていいと思う。文化とは風土や歴史などいろいろなものから構成されているが 宗教というのは最も大きな要素と思う。日本人が日本文化をしっかり認識する際、やはり 神道とならんで仏教をしっかりと理解することが大切だろうと思う。僕はアメリカの高校 や大学で神道や仏教のレクチャーを外国人からうけたことがしばしばある。日本人として 外国人に自分のところの宗教教わって、それは知らなかったと思うのは情けないと思う。 仏教を一通り最低限知っておきたいと思うのはやはりアメリカの大学の比較宗教学で仏教 を学んださいに、何も説明ができなかった悔しさがあったからである。

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K.Wakabayashi
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