02/04/2001
ニューヨークの冬は寒いのでどうしても茶がほしくなる。最近茶を飲むときに気付いた
のだが、なぜ人は茶を飲むかということだ。なぜなら、茶というのは香りを楽しむもの
だが、水の臭さを消すということもしてくれるからだ。なぜそのことに気付いたのかと
言えば、外国の水は一様にしてまずいからだ。まずいだけではなくて、どうもひどい。
毎日シャワーを浴びると皮膚がピリピリする。水が合わないからだ。水道の水はよく濁
ごる。煮沸しても濁っていた水は飲む気になれないので、飲料水を買っている。日本に
いると気付かないのだけれど、外国に来てから水がまずいことに気付いた。煮沸しても
それは消毒なだけでおいしくなるわけではない。だから茶を飲むのだ、と思った。外国
は水がまずい、ということに気付けば日本に居てはわからないことに気付く。僕は留学
生なので、まさにこのような視点を学んでいくべきだと思う。日本で暮らしていて、外
国人は水をまずいものと思っているので茶を飲むのだ、と例えば本で見たとしてもすぐ
に忘れてしまうだろう。実生活で気付いたことというのは頭に残る。茶を熱いまま飲む
のは煮沸すると同時に匂いを消すという合利さだろう。
日本人にとっては茶は贅沢品と言える。水がおいしく飲めるからだ。外国人にとっては 茶は必需品である。同じものと思っていたものが贅沢品と必需品という違う目で見てい たとすれば、それはそれに間連するものへの見方も全て変わると言っていい。水に対す る思いも当然ながら、器に対する思いも違ってくる。アメリカでティーを頼むと紙コッ プにお湯が入ったものにティーバッグが入れたものが出て来る。家で出されたものなら ともかく、店で頼んだのにだ。これも日本人が茶を贅沢品と見ているから、とすればわ かる気がする。彼等にとってはそれで構わない、と思うわけだ。何でも良いように受け いれるのもどうかと思うが、そのようにも理解できるということが言える。
ちなみに、アメリカ人は茶は飲まない。意外なようだが、アメリカに住んでみるとそれ に気付く。何を飲んでいるか。僕はアメリカ人の家族と住んだ経験はあまりないが、店 でよく見かけるのはソーダである。日本人はいろいろなものを好み、一種類のみたしな むということをしたがらないので気付かないが、外国人の許容範囲というは意外に狭い。 ソーダは人工的なものだ。今でも日本人は、特に年配の方はソーダなどはあまり飲まな いだろう。人工的なものは体によくないと思うからだと思う。日本では「天然水のソー ダ」などがあるが、アメリカ人にその発想はないだろう。天然の水がまずいからこそ、 人工的だが味が好きなソーダを飲むのだ、と言い変えればどうか。
それから、中国人はとにかく茶を飲むと思う。茶というのも元々中国人の発明と言われている。そ ういれば、中国の川は汚ないというイメージがある。黄河がそうだし、泥が交わった川 というイメージがある。そのまずい水をどうにかして飲もうといろいろな植物を水にい れてみたのだろう。いまでも中国にはいろいろな種類の茶がある。茶というが、茶では なく他の植物であるが、それを茶のように入れるという意味だ。茶を飲むと言えば、イ ギリスがそうだ。そのイギリスが植民地のインドに茶を作らせ、今ではインドは茶の一 大生産地となった。ロシアは寒いので、茶のなかにジャムやアルコールをいれた。民族 が各土地に合った茶を飲んでいるわけだが、まずい水を如何にして飲むかという原則は 変わっていない。フランスはむしろコーヒーを選択した。アメリカもそうだ。アメリカ のコーヒーは薄くてまずいと思う日本人も多いが、コーヒーを贅沢品と思い、味を気に する日本人と違い、アメリカ人がコーヒーを水感覚と思っているとしたら、それは仕方 のないものだろう。彼等にもそれなりの言い分がある。(あまりアメリカに寛容になり たくはないのだが)
今回は茶を飲み一服していたときにふと気付いたことを書いてみた。多分、タバコを吸 いながらふと気付くこともあるだろう。外国に暮らしているといろいろな違いに気付き、 時にはへこんだり、やるせなくなったりするが、それを「文化の違い」の一言で済ます のではなく、視点を変えて見てみると、ふと気付くことがある。外国に来て気付く文化 の違いに一番影響を与えているのは宗教だと確心しているが、ふと土地そのものを見て 思うことも多い。その地では当たり前、というのは当たり前過ぎて強調されない分、気 付きにくいことだと思う。外国に暮らすというはそのような面に気付けることも出きる のだと思った。
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K.Wakabayashi
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