パールハーバーについて2
(5/27/2001)
映画パールハーバーを公開当日に見に行ってきた。長い映画だなという印象(3時間半ほど) だったが、日本人はほとんど登場しなかった。米軍パイロットと看護婦の恋の話を強調してい た感がある。上手い作り方と思った。日本人や日系人が反日の危険性を指摘しても、あれはラ ブストーリーだよと言われてしまうかもしれないからだ。しかし真珠湾攻撃はダラダラ長く、 一時間以上は爆撃のシーンだったと思う。これでもか、これでもかとアメリカの軍人を爆撃し ていく。病院には少しグロいほどケガ人が運びこまれる。日本の戦闘機はどんどん爆撃するが、 日本兵のパイロットの人間性は全く出てこない。日の丸が描かれた無機質な「戦闘機」によっ てアメリカ「人」が殺されていく印象だ。日本の山本五十六と源田中佐らしき人物も出てきた が、真珠湾ものの古典とも言えるトラトラトラ(日米合作)のときに核をなした、日米開戦の 核とも言える重かったとされるセリフが今回はサラっと言われてしまい、重くも何ともなかっ た。映画は真珠湾では終わらず、ダラダラと続く。主人公の二人は東京爆撃を命じられ、国の ために勇ましく危険な戦争に出ていく。何とかっこいいシーンだろう。僕はてっきり東京が爆 撃されるのかと思いきや(実際そうだったので)、軍の工場を爆撃しただけに終わり、二人の 戦闘機は日本に不時着する。日本兵によって一人が殺され、生き残った親友が彼の身柄を彼の 子を身護もった恋人のところへ運ぶところで終わる。東京大空襲は事実だし、日本人の僕から すれば真珠湾より酷い。ハリウッド得意の「最初にこてんぱんにやられて後で勝つ」を貫くな ら東京大空襲、むしろ原爆まで行ってほしかった。さすがにそこまでするといかにも反日と言 われるからだろうが、するならそこまでしてほしかった。逆に「そこまで意図してませんよ」 とわざわざ言っているようで少し残念だった。また、真珠湾攻撃の際にヒロインの友人の看護 婦が戦死する。軍の看護婦なのだし、軍の施設が集まる真珠湾に実際に居たわけだから死亡し てもおかしくない。しかし映画を見て受ける印象が「日本兵は女も無差別に殺した」とされて ることもあるだろう。日本は米軍と戦争していた。別にロスやニューヨークを無差別爆撃した わけではない。敢えて言うなら市民を無差別に殺したのは明らかにアメリカのほうである。ア メリカのためのアメリカの映画とは言っても、アメリカ人はすぐに単純に考えるので、このよ うに誤解されなくもない映画はあまり好ましいものではないと思う。
話は変わるが、日本はアメリカの圧迫で対米英開戦に至った。真珠湾より先にマレー沖のイギ リス艦隊にも奇襲攻撃をかけている。あまり知られていないようにイギリスがこの奇襲をアメ リカのように「卑怯だ」などとごちゃごちゃ言ってきたことはない。この違いは何故だろう。 アメリカは何故真珠湾のことをいつまでも蒸しかえしたり、パールハーバーのような映画を敢 えて作ってみせたりするのか。僕が思うにアメリカは敵がいなくては国のアイデンティティー を保てないから、である。アメリカ人は自由と民主主義にこだわる。というか、その二つの概 念がアメリカ人がアメリカ人であるたらんとするものだからだ。日本人であるとは何か、と言 えば、まあいろいろあるが、日本の伝統に包まれた人だろうと言える。では、アメリカ人であ るとは何か、と言えば、自由と民主主義と言える。多民族であり、歴史も薄いこの移民の国で は国民のアイデンティティーの保自が難しい。理想による国民の統一しかない。そして今まで アメリカが取ってきた方法とはアメリカ以外の敵を見つけ、正義の名のもとにアメリカ国民を 一体化するというものだ。ファシズムの日本、コミュニズムのソ連、最近は人権無視の中国だ。 このレッテル貼りはアメリカ得意技だ。正義はこのレッテル貼りから始まるからだ。僕は日本 はドイツと同じファシズムではなかったと思っている。主義はあっただろうが、昭和天皇は明 らかに独裁ではなかったし、軍国主義ではあったと思うが、日本には日本なりの考えがあった。 ドイツと同盟だったからと言ってヒトラーのファシズムと同じと思ってはいけない。しかしア メリカはそう思っている。だからユダヤ人虐殺と同じものが日本にも欲しいのだろう。これは アメリカの考え方だ。大学でもそうだが、アメリカでは先に自分の立場を決めて、後からそれ をサポートできるアイデアや証明を示していき自分の立場を正当化する。これと同じだ。日本 は絶対に虐殺をした、と決めるから、中国の意思と見事に合わさって「南京」が言われている と思う。天皇が一番悪いと思われているのは、ドイツと同じはずという思いこみである。アメ リカは思いこみを、作ってでも正当化しようとする。これによって決めつけられて困る国も大 勢ある。ステレオタイプ(偏見)とはよく言われることだが、日本のそれと違うのはレッテル であるということだ。思うに日本人が外国のイメージを勘違いしていてもそれは馬鹿にしてい るのではない。その国の人は馬鹿にされていると思うかもしれないが、日本人にそういう意識 はない。勘違いでもそこまでは間違っていない。アメリカの偏見は敵意を持って馬鹿にしたも のである。アメリカは他国に対する悪口を沢山持っている。それも敵を作り続けるアメリカの 性格なのだと認識している。
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K.Wakabayashi
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