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国民が考える社会にならないと

(6/10/2001)

なぜ河野洋平が外務大臣だったのでしょう。なぜポテンシャルな、いや既に敵対関係にあ る中国にODAを援助(中国は他国に援助できるほどの大国です)しているのでしょうか。 なぜ何時ミサイルが飛んできてもおかしくない北朝鮮に具体的な防衛対策もせずに援助な どするのでしょうか。なぜ李登輝のビザ発給を阻止する連中が政治や外交のトップにいる のでしょうか。そもそもなぜ台湾と国交を開けないで疎遠するのでしょうか。そしてなぜ アメリカにこうもいいように扱われてしまうのでしょうか。

政治家の責任です。はっきり言って政治家が悪い。自分たちの利益だけを追求し、国益を 無視した行動を取り続け、失敗してものうのうと政権に居座る政治家たち。落合信彦風に 言うなら「あの馬鹿どもたち」でしょうか。前前からの疑問ですが、なぜ彼等は国会にい るのでしょう。政治家は落ちればタダの人、と言いますが、なぜ落ちないか、それが疑問 です。僕も選挙に行った衆議院選のとき、三重でリクルート事件で有罪になった藤原が当 選していました。日本の社会はモラル面で厳しく、ちょっとした落ち度で職を失ったり、 仕事に関係ないと思われる交友関係すら厳しい目で見られている人が大勢います。一般人 がそうなのに、国を背負う政治家が有罪判決が出たにもかかわらず再選を果たすとは国民 をなめているとしか思えません。日本はアメリカほどの裁判で動いている国ではないので、 裁判に持ち込まれ、さらに有罪になるのはかなりのことをした時のみです。なのに、と言 いたくもなります。これは責任感なしにのほほんと再び立候補する政治家も悪いが、それ に当票する市民も悪い。米国ではオクラホマの連邦ビルを爆破した罪で死刑が実行されたマクベイに対し議論が交わされたが、それは死刑の問題であって、マクベイの問題ではない。死刑に反対する人もまさかマクベイを社会に戻せとは言わないだろう。しかし政治家という立場を悪用し有罪となった議員を国会に戻すというのは罪を許すばかりでなく、罪を応援していることとなる。 日本の首相や大臣は公選ではなく関接的に選ばれます。つまりい かに三重県の田舎だけで支持があったとしても、国会に入れば誰でも高い地位につくこと ができてしまうわけです。東条と違うのはなぜか。それは国民が政治家の汚職を国民にとって無関心と取ることではないでしょうか。税金の無駄使いというのは国民への罪だが、被害者の国民がどうもピンときていない。政治家の罪が自分たちに及ばなければ見逃がす。この姿勢こそ身勝手で、およそ国民の義務を果たしているとは思えない。これは僕ら選挙民の問題です。

大学など行っても意味がないという意見の人もいるけれど、大学で本を読む時間があるの はいいことです。本を読まないでバイトばかりしているなら、という但し書きなら納得し ますけどね。本を読むというのは現在も含めて過去に培った知識を得られるから良いと思 う。文字が生まれて学問、知識、知恵などが記録できるようになって人類は一から始めな くても過去の遺産の上から始められるようになった。しかし数千年もあるから、その間に 培われた知識というのは莫大なものがあってとても全部読みかえすことはできない。しか し、やはり最低限の知識というものは市民の義務です。民主主義は一人一票という原理が ある。昔で言えば徳川家康と読み書きできない農民とが同じ重さで政治を担わなければい けないという社会です。つまり知識人は出るけど、重要なのは最低のライン。国民の2割 が修才でも、8割が何も考えていなかったら国はどこへ行くのか。民主主義というのは市 民全員が高い知識を保持しなくてはいけないシステムです。それが嫌なら一部が勝手に決 める独裁にする他ない。つまり義務教育と言うけれど、日本は今内外に多大な社会問題を 掲えていて、それを打破していく為には国民の知識アップが必要だと思います。ゆとり教 育などと言ってる場合ではないと思います。従来の教育方針ではいけないと思います。一 人一人がまず政治に対し関心を持ち、問題改善のためにメディアからの情報を的確に分析 できるようになり、同々と政治に参加していくように仕向けなくてはなりません。そこま で成熟したならば、自民党支持だろうが社民党支持だろうが左翼だろうが右翼だろうが立 場の相異など問題にはなりません。個人がしっかりした意見を持って立場を主張している なら、それこそ言論の自由です。今はそうなっていないと思います。新聞やテレビ(最近 はインターネットなどメディアの幅は増えていますが)を見て問題点を明確に取れる人は 選挙に行く人の何割でしょうか。まず新聞すら見ない、NHKも見ないという人はそこそ こいると思います。彼等は何を基準に当票しているのでしょうか。候補人がまるで具体的 な政策を述べないことも日本の選挙の情けなさですが、当票する人がこれまた何も考えな いで当票するのは最大に情けないことです。日本人は政治を勉強しなくてはいけません。 政治といっても別に市民契約論からやれということではなく、最低の政治のセンスを身に つけること。つまり、1に過ちをおかした政治家がいたら責任を取らすこと、2に国益に 反することをした政治家も責任を取らすこと、3に選挙は国を思って当票しなさいという ことです。

1・過ちを犯した政治家は責任を取れということは、バブルを煽ったときの責任者は全て 辞めていただく。その影響下にある小物も勿論のこと。なぜ宮沢という諸悪の根源が大蔵 大臣になれるか。僕はなぜ宮沢が恥もなくそんなことができるかと思う。それは国会に居 てしまうからだ。バブルの責任も取らず、権力にしがみつき、国民に被害を与えた宮沢は 辞めるだけでなく完全に有罪。橋本も同じです。最近はめまぐるしく首相が変わっている。 情けないから続かないのは明白だ。首相または大臣を経験した者はその職を辞めた時点で 国会から引退していかなる政治組織にも加わってはいけないようにしなければいけない。 そしたら老害は減るし、そう簡単に辞められないから大臣に居座ろうとする。そうすれば はっきりどのような愚策をしたか解りやすくなる。つまり任期が長くなるだろうから、国 民は誰が大臣になるか真剣に考えることが出来るだろうということです。今は一年で交代 するから誰でもいいみたいな奮囲気がありますが、仮に10年続けるとなったら国民にと っては重大な問題です。また大臣経験者が引退して評論家にでもなれば党のしがらみから 脱して自由なことを言ってくれるという期待もなくありません。いつまでも権力にしがみ ついているから国民に迷惑がかかる。一個人として活動するならまだ国のためになるじい さんも多少はいるのではないかと期待もできる。ちなみに明らかに愚策で人災とも言うべ き被害を出した場合は有罪にする。己レの責任で被害を出した阪神大震災の犠牲者に責任 を感じるなら政治家は切腹せよと言いたい。人に迷惑をかける生き方は出来ない、それが 日本人のはずだ。切腹する勇気がないなら終身刑でじっくり自分の過ちを反省して欲しい。 税金を使いたくはないのでこれまでたっぷり溜めた懐から費用を払ってもらう。本来、罪 とはこうゆうことを言うのだと思う。戦時中の東条内閣は被害を出したが、それはアメリ カという敵がいたからで、必ずしも全面的に有罪ではない(政策と戦略のミスはあるが) が、阪神のときの対応の遅さは人災そのものである。事態に鈍感で自衛隊も指揮できなか った。法で見動きが取れなかったと主張しても駄目だ。その法を改正できなかったのは国 家を守る政治家としての危機管理の失敗である。

2・国益に反することをした政治家は責任を取るべきだ。これは厭きれるほど当然である。 日本の国民は日本の代表として政治家を選ぶ。国家があるのは自国の国民の安全と国益を 守るためである。ユダヤ人は国家をもたなかったから自分たちの利益と安全を守ってくれ るものがなかった。今でもクルド人などはそうだ。日本人は彼等とは違って何とか国家を 守ってきた。そう考えると国益を守れない政治家は要るはずがない。迷惑だから出て行け と言うのが正論のはず。河野洋平がぴったりである。中国、北朝鮮よりの政治家は皆国益 を損ねている。国益を損ねるだけなら政治家の力量不足だが、敵対国に益をもたらして潤 わせているのは国民の安全をも侵害している。敵国のスパイと同じである。中東辺りなら 死刑は当たり前。再び言うが、日本人なら切腹するべきである。許すとしても、河野には 中国へ忘命してもらう。そのほうがぴったり来るし、河野もそう願っているのではないか。 それから野中には北朝鮮の農村で暮らしてもらいます。もし彼等が自分たちは日本のため になるようにやっていると言うなら具体的に話してもらいます。それから国民が決めれば いいが、政治家の言い逃れを見逃すような国民ではいけない。僕は日本国民として日本が 外国に好き勝手されるのは許せない。日本人はまず日本の安全を考えて外国を見ないとい けない。日本から一歩出ればそこには敵ばかりである。なのに、日本の中でそれもトップ に敵をつくるなどしてはいけないのだ。

3・選挙民は国を思って当票すべき。なんたる当たり前のこと。しかし本当にそう思って いるのか。自分たちの利益を優先させる政治家を選んではいないか。国のこと、例えば日 米関係、日中関係、日台関係、朝鮮問題、経済戦争、内政干渉阻止、国防、食糧問題など の外のこと、そして、教育問題、モラル破壊、世代交代問題、不況対策、政治改正、福祉 問題などの内のことをしっかりと考えて当票しているだろうか。しっかり考えて当票して いるならなぜ情けない政治家ばかり増えるのだろうか。

日本は官僚が支配しているという。しかし僕はやはり政治家が情けないから官僚の支配を 許していると思う。政治家がしっかりすれば、今ほど官僚の好き勝手にはされない。自分 の政策に自信を持ち、しっかりと舵を取り国を良いほうに導く政治家でないと政治家と言 えない。政党政治と言うのは個別の政治家に自信がないからで、選挙民も人ではなく政党 にいれる。人柄などではなく、きちんと何がやりたいのかが言える候補者を選ばなくては ならない。そしてその人物は国を背負ってアメリカや中国と堂々と戦える「政治家」でな くてはならない。群馬の人間は明らかに政治家ではない小渕優子を当選させた。もし中国 が群馬にミサイルを落とし被害が出たとき、小渕に当票した人々は小渕優子を自分達の代 表として江沢民と戦わせるのがベストだと考えているのだろうか。自衛隊廃止などという 政治家にあるまじき愚策を強調している社民党に票をいれる人はもし自分の運転する車が トンネルの落盤事故にあっても自衛隊の救助は求めないと言うのだろうか。自分たちの利 益で国のためにならない人を国会に送り出しておいて、いざというときには国頼りという のは国民ではない。学生として少し考えただけでもあまりにも情けないのできつい文面で 書いてみたが、もしこれに反発する人がいたらどういう意見で反発するのだろう。それも 不思議なのだが。

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K.Wakabayashi
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