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されど我が村!

(07/01/01)

今回はおらが村のガイドをしたいと思います。僕は生まれは名古屋市ですが、赤ん坊の頃に 両親は勝幡という場所に移りました。名古屋から西へ約15キロ、愛知県海部郡佐織町大字 勝幡(「しょばた」と読みます)、これが僕の育った土地です。

訪れてみたいという方にまず行き方を教えなければいけません。車の場合ですが、まず名古 屋駅まで来てもらいます。そして名古屋駅桜通口(正面出口、駅前がサークルになってます) から名駅通りを北へ向かいます。北はどちらかというと駅前に大名古屋ビルヂングという建 物がありますから、それを右手に繁華街とは反対方面に進んで下さい。3つ目の信号で外掘 通りにあたります。外掘通りを左(高架線の下)に折れて下さい。そのまま外掘通りをずっ と走りますと5〜10分ほどで床内川に掛かる豊公橋を渡ります。渡りきると名古屋市から 海部郡甚目寺町(じもくじちょう)になります。同じ道ですが、名古屋市内でいう外掘通り はここから県道甚目寺佐織線となります。その道をひたすら走り続けて下さい。途中で東名 阪自動車道の下をくぐります。ずっと田舎らしい風景が続きますが、まだここら辺りには店 やパチンコ屋がちらほらあり、街外れの幹線道路らしさを思わせます。更に走ると我が佐織 町の隣町美和町(みわちょう)に入ります。ここら辺りからは田んぼも増え、ぐっと田舎ら しくなります。更に更に進みます。豊公橋から約20分で西尾張中央道という幹線にぶつか ります。単なる田舎のバイパスですが、食べ物屋やスーパーがちょろちょろありますからこ の道は海部郡民にとってはとても重要な道なのです。その西尾張中央道を越えて更に車を走 らせると一つ中規模な川を渡ります。この川は目比川(むくいがわ)と言い、ここから佐織 町となります。この川は僕が生まれる前に大雨で提防が欠壊し、勝幡の町一帯が水に使った 川なのです。僕が幼いときから子供の水難事故も非常に多く、どこか不吉な川です。この川 を越えると町を越えるわけですから、行動範囲は学区内と教えられた小学校の頃の僕の活動 反囲はこの川まででした。小学校低学年のときに近所の子が川で事故死したものですから、 それからはより一層「危ないから川を越えてはいけない」と教師にも近所のおばさんにも言 われました。中学になってもどこかにトラウマがあったのか、活動反囲は逆方面へ伸び、あ くまでこの川を越えることはしませんでした。この目比川の提防は僕の少年期にとってのベ ルリンの壁だったのです。話が逸れましたが、県道から来ますとこの川を渡ってすぐに前方、 1キロもないところに再び橋が掛かっているのが見えるでしょう。その間には信号が1つだ けあります。後は田んぼだけで店も家もありません。こちらの川は日光川と言います。実は この日光川と手前の目比川の間の小さな地域が勝幡なのです。二つの川は県道のすぐ左手で 合流しています。そして二つの川はおうぎ形を描くように伸びています。そのおうぎ形の間 が勝幡です。県道辺りはおうぎ形の先端ですが、勝幡の町はもう少し拡がったところにあり ます。そのため県道を使うのはここまでです。二つの川の間にポツンとある信号を右に曲が ってください。そこから2,3分で勝幡の町に入ります。県道を曲がって2つ目の信号の角 に小さな郵便局があります。その辺りまで来てみて「勝幡はもう少しだな」などと思わない で下さい。既に勝幡に入っております。田んぼばかりですが、地元民があちらこちらに歩い て行くのが見えるでしょう。

車ではなく電車のほうが気軽に訪れやすいかもしれません。電車の場合、名古屋駅で名鉄電 車に乗ります。幸い名鉄電車に勝幡駅があるのでわかりやすいでしょう。名古屋駅から岐阜 行きの急行列車に乗り、次の駅である須ヶ口(すかぐち)で降ります。ホーム反対側が勝幡 駅がある津島線ですので、反対側で待ちます。津島線は意外に本数が多く、約10間隔で普 通電車が来ます。津島線普通に乗り、15分ほどで勝幡駅に着きます。車窓の風景を見てい て、田んぼばかりになってきたな、と思いましたらそろそろ勝幡駅ですので降りる準備をし て下さい。名古屋駅からは約25分。時間的にはそう遠くはないのですが、風景は既にがら りと変わっております。

勝幡に観光に来る人は後にも先にもいないでしょう。レンタカーなどありません。レンタサ イクルもありません。車で来られた方は先の郵便局の信号を左に曲がってください。曲がっ てすぐにユーストアというスーパーがあります。とりあえずここに駐車して下さい。駐車代 はかかりませんが、自転車に乗ったおばさん達が多いので轢かないように注意が必要です。 おなかがすいた方はここで何か食べてください。但し残念ながら名物料理はありません。ユ ーストアは勝幡の民にとっては中央市場であり、ショッピングモールでもあるのです。この スーパーあっての勝幡なのです。もちろん僕も実家に帰ると連日のようにお世話になる有難 い場所です。ユーストアは名鉄勝幡駅の裏手にあります。勝幡の町にも歴史というものはあ るそうで、勝幡駅の表が旧宿場町のようになっております。どこも道が非常に狭いので勝幡 観光はユーストアに車を置いて徒歩でまわりましょう。まずユーストアから勝幡駅の中央出 口へ向かって下さい。電車の踏み切りを越えてすぐです。中央出口と言っても出入り口は一 つ小さな駅舎があるだけです。

さて駅から探策を始めましょう。まず勝幡駅を出るとすぐに喫茶店があります。名古屋地方 には喫茶店が多いのですが、こんな小さな駅前にもやはりあるのです。喫茶店の名前はキク ヤと言いまして、名古屋市内に住むおばが勝幡まで母を訪ねて来たときに家まで歩くのが面 倒で、よくこの店でくっちゃべってそのまま電車で帰って行きました。そのため、僕もよく 連れてこられましたので、ここのおばちゃんには顔を覚えられてるみたいです。そして喫茶 店から右手を見ると家の隙間から学校があるのがわかります。ここが僕が6年間通った勝幡 小学校です。この小学校は勝幡の中では今のところ最高学府です。他に勝幡保育園などがあ りますが、中学校は川を隔てた隣町にあるのです。駅前から少し歩くと駐輪場があります。 最近は勝幡駅でも車のお迎えが増えましたが、昔は皆自転車で駅まで来たのです。子供の頃、 駅の周りは駐輪場ばかりでした。大体昔店をやっていた近所の家が店痕を駐輪場にするケー スが多かったです。帰りに自転車を取りにくると隣でごはんを食べていました。邪魔するの も悪いので100円をそろっと置いて帰りました。タダ乗りならぬタダ置きをしたこともあ りました。何度呼んでも出てこないので、結局金を払わず帰るのです。僕はちゃんと呼んだ んだ!と思いつつ、それがおそらく小学生の僕には初めて罪の意識を感じたことだったでし ょう。まっすぐ歩くと四つ辻があります。どちらの道も車一台分の道幅しかないのに両面通 行です。昔は農家の軽トラばかりだったのですが、最近の車は大きいですから時速5キロほ どで必死にすれ違ってます。自転車もお構いなしに走っていますから危ないです。時代は変 わっているのに行政はなかなか付いて来れないようですね。その四つ辻の左側に玄武湯とい う銭湯があります。詳しく言うと未だにあるかは定かではありません。昔、この銭湯では毎 月一日に子供はタダにしてくれました。いつもは勿論行かないのですが、一日の日にはよく 行きました。15年も前のことですから、今はないでしょうね。その向かいにコンビニがあ ります。勝幡で一番早く出来たコンビニです。しかしそれ以降勝幡にはこの世の中、コンビ ニは他に一件しか建っていません。そこは確かヤマザキだったと思いますが、多分もうない でしょう。コンビニのくせに道が狭くて車でのアクセスが厄介ですし、駅から中途半端に遠 くて帰宅の帰りにちょっとというにも不便だったからです。

さて四つ辻を先に進みましょう。ちなみに今書いている記憶は10年前のもので、今も健在 とは限りません。四つ辻の角には花屋がありました。それから電気屋がありました。勿論入 ったことはありません。その先にカド屋というべたな名前のうどん屋がありました。当時店 には壊れかけた学生食堂にあるようなテーブルが2つだけあり、そこで営業していましたが、 出前をしてくれるので、次第にそちらが主になりました。僕の家でも食べるものがないとき は「カド屋で出前」でした。人の良さそうな店の親父さんはいつもカブで片手におかもちを 持って勝幡の街中を走っていました。カブの音を聞き、郵便が来たかなと思うと常にその親 父さんなのです。自分の家だけでなく、近所もしょっちゅう出前を頼んでいました。恐らく 勝幡の街中が親父さんの恩敬を受けてきたと思います。そのカド屋。頑張っている割には儲 からない商売だなと思っていたのですが、いつか実家に帰ったときに郵便局の隣に新層オー プンしていて驚きました。新しい店を建ててもあの親父さんはまだ出前をやっているのかな と気になります。

旧カド屋を過ぎると道は右に曲がっています。曲がったところに左に車が通れないような小 さな小路があります。急な登り坂になっています。この坂を登ったところにさくら屋という うなぎ屋さんがありました。濃尾平野のど真ン中にある勝幡に丘などないのですが、この坂 は提防なのです。登っていくと日光川を渡る勝幡橋にあたります。この橋を渡った少し先に 僕が通った佐織中学がありましたので、僕は毎日この橋を渡って通学しました。剣道部でし たので、剣道具を背中に背負って提防を登るのは大変でした。帰りはうなぎ屋から漏れてく るかば焼きの匂いで腹を満たしました。

さて駅前路に戻りますと、古いポストと建物があります。明治時代の建物のようなこの場所 は昔の郵便局でした。あの建物、今も残っているのでしょうか。更に進むと右手に和菓子屋 がありました。今は店をやっていないでしょうが、やっていたらあの「はぶたえ餅」をもう 一度食べたいものです。僕はアメリカでもあずきばかり食べている和菓子好きですが、この 店があったからかもしれません。その辺りの左手に寺が見えるはずです。どこの宗派なのか は知りませんが、この寺の附属に勝幡保育園があったそうです。僕は別の幼稚園に行きまし ので全く関係ないのですが、勝幡小学校に入学したとき、周りの子は皆この保育園出身でし たので、随分と仲間外れにされました。その政治家のような学閥主義は中学入学辺りまで続 いたものです。ですからこの寺にはあまりいい印象はありません。出身者があれだけの徒を 組んでいたということは本願寺ですかね。その寺の境内の端に至るころは右と左に分かれ道 があります。今でもこの分起点には道しるべが建っているはずです。勝幡の町は東海道にも 中山道にも美濃路にも佐屋街道にも外れていたのですが、清洲辺りから養老の滝までの道の 中間点にあります。大きな街道ではなかったが、どこかの街道が通っていた証拠ですね。勝 幡の路地に曲がりが多いのも隣町から守る昔の街の名残りなのだと思います。

その道しるべから左に進むと寺のうしろを小川が流れています。その小川を越えて進むと日 光川の近くに勝幡神社があります。昔からの勝幡の氏神様でしょう。ここで祭りもやりまし たし、よく遊びにきていました。勝幡神社が勝幡の街外れです。街はここで終わっています。 あとはまたのんびりと勝幡駅まで散歩して戻って下さい。神社から歩いても10分ほどでし ょう。

ちなみに神社から川を渡った向こう岸に勝幡城跡というのが残っています。室町時代に尾張 を治めていた織田氏の出城の一つだったと言われ、一説では織田信長はこの城で生まれたと 言われています。以前信長関係の本を読んだときに「信長は勝幡城(現在の愛知県平和町) で生まれた」と書いてありました。勝幡城は川の向こうにあります。おそらく日光川の中州 のような島に建てられた防衛目的の城だったのでしょう。名前からすると勝幡の町はこの小 さな勝幡城の城下町としてあったかもしれません。しかし現在川の向こうは隣の平和町です。 勝幡城が歴史の本に載ったとしても佐織町勝幡の名は出てこないのです。おまけにその本は 「しょばた」ではなく「かつはた」と呼んでいました。確かに勝幡と書いて「しょばた」と 読むのは変わっています。「しょうはた」が訛ったものだと思っていましたが、由来はどこ にあるのでしょうか。

などと考えても、僕は祖先からこの地に居たわけではないので、勝幡史にあまり興味はあり ません。最近になるまでおおまかに名古屋出身と出鱈目を言い、勝幡出身とは言いませんで した。都会に近いようで、まるで洗礼されておらず、考え方が古くて田舎臭いこの土地は好 きではありませんでした。実家から出て離れた土地で暮らす今、もう住みたいとは思いませ ん。ただ、たまには街のことや思い出を思い出してみたりする今日この頃です。

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K.Wakabayashi
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