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日本人の人種差別について・1

(07/04/01)

他の民族と比べて特に日本人が疎い事の一つに人種差別に対する反応がある。現代の人種差別の 本場とも言える米国に長い間住んでいて思うが、日本人以外の他の民族は全てと言っていいほど 人種差別に対して過剰に反応する。日本人から見ればそうだが、人種差別に過度に反応してこれ を断固防ぐべし、というのが世界の常識になっていると思う。なぜ日本人は差別に疎いのだろう。 世界が差別に過敏なのは露骨な人種差別をしてきた(されてきた)歴史があるからだ。日本人が 世界に比べて過敏に反応しないのは、日本人がそういう世界とは少し違ったところで生きていた ということではないか。それを少し考えたい。

世界の人種差別は日本のいじめと同じと思う。人が人に対して優越感を持ったときに発生する。 しかし定義は難しい。行動を起こして物理的なダメージを与えたら明らかに差別だ。しかし優越 感を感じた時点で差別なら人間で差別しない人はいないと思う。どこまでを差別というか、これ は各人にとってバラバラである。日本のいじめも何をとっていじめと特定するのかが難しいが、 これと同じだと思う。

人は食べていかなくてはならない。そのため大なり小なり争いは昔から絶えない。争いが起こる と戦って勝ち負けを決めるから、そこから優越感が出てくる。昔の戦争は土地の奪い合いだった から、土地を奪われた人々は奪った人々の奴隷になってしまう。戦争に負けるとはそういうこと で、そのような状態の中で勝者が敗者に対して優越感を持たないわけがない。その点からまず日 本人は違う。島国だったため、近代以前に他国と執擁な土地争いをしてきた歴史がない。勿論多 少はあるが他の地域に比べればないような数である。日本は日本人同士で土地争いをした結果、 武士が生まれたが、武士も統一されればやはり同じ日本人だ。何より日本が形成された時代から 既に天皇という絶大な権威があった。天皇の下では日本人は日本人同士であり、一つにまとまり うる要素を日本人は古来より持っていた。そして今もまだ持っている。人種差別とは相手を人と して扱わないから差別なので、日本人同士の土地争いがそこまで行く要素はほとんどない。土地 争いに負けて差別された代表はユダヤ人である。ユダヤ人は周りをエジプトやペルシャやヨーロ ッパなど強国に囲まれてきた。幾度も土地を奪われた厳しい歴史の中で彼等は自分たちの拠り所 を宗教に求めた。自分たちは世界で選ばれた民であり、世界で唯一の神はユダヤ人を助けてくれ る。そう思わなければ生きていけなかったと思う。宗教は民の頑張って生きていく知恵でもある。 しかし皮肉なことに絶対神を信じることを選んだ彼等はそのことによって更に差別を受けていく。 あくまで民族の血は守ったが、犠牲も大きかった。

自分とは違う人種を差別するということは違う人種をどう見るかという概念がどうあるかに尽き る。つまり違う人種や民族は土地柄によって違う生き方があり、各々で独自の宗教感を持ってい る。しかし、現在の世界はほとんど欧米の影響下にある。欧米の宗教はキリスト教だ。現在世界 のほとんどは良し悪しにつけキリスト教をベースに考える。欧米が世界を牛じり自分たちの考え を押しつけたからである。欧米があれほど力で敵を従わせることにこだわるのか、それはキリス ト教からきていると言っても良い。ヨーロッパは別の民族同士が隣合わせに生きていて、土地も 平野で争いが起き易かった。キリスト教というカリスマ的な宗教はそういった民族争いを防ぎ、 民族をまとめあげるのに有効となる。そうしてローマ帝国はキリスト教を国教とした。キリスト 教とは一神教で、絶対唯一の神を信じる。違う言い方をすれば、一つの神しか信じない。何でも そうだが、人間の考えに絶対を決めつけると頭が固くなり、他への理解ができなくなる。相手の 立場もわかってあげないと互いに理解し合えないのに、絶対なものを信じていると相手の言い分 を聞く前に自分の物差しで相手をこうを決めつけてしまう。解釈も自分なりにする。これがキリ スト教の性質だ。そのことによってキリスト教内でも暗黒の歴史を繰り返し、互いに別の解釈を する様々な宗派が生まれた。キリスト教は聖書を信じなさいと言う。信じれば神が救うという約 束がある。その約束を契約という。聖書の新約や旧約とはこういうことだ。約を訳と間違う日本 人も多いが、日本人はやはり知識としてのキリスト教に疎い。しかしそれでは欧米の考え方を理 解できない。神は世界を造った、と聖書にある。聖書を信じるキリスト教徒はそれを当然と思う。 しかしキリスト教はヨーロッパだけのもので、世界はそれを知らない。しかしヨーロッパ人が世 界で出た時他の民族を見てどう思うか。キリスト教の目で見るはずだ。つまりキリスト教を信じ ていない者は救われないと信じているから、最初からそういう目で他民族を見たらどういうこと になるか。同等に扱わないのは当然である。そしてキリスト教徒である自分たちに優越感を感じ るのも当然だ。欧米は欧米のやり方で土地を奪う。そしてその統治は当然押しつけになるが、所 詮それは劣性に対してである。

日本にはそういうキリスト教的な考えはあるか。日本固有の神道は多神教である。古代の世界は 元々多神教が主流だった。人々は自然と共に生き、自然を崇拝して暮らしていたのである。神道 は宗教の化石のようなもので、古代の特色が今も残る宗教だ。これら多神教に対し、ユダヤ教に 起源を持つキリスト教やイスラム教は絶対神を選んだ。多神教から一神教になっていくのは文明 が発達するのと関係が深いらしい。日本にもやはり似たようなものはある。仏教は元々悟りを開 けばいいというもので、仏も沢山いる。日本で強い影響を広めた天台宗も沢山の仏を信仰の対象 にしている。しかし日本では親鸞が阿弥陀仏こそ絶対なものと決め、仏教を絶対他力にしてしま った。一向宗というのは唯一絶対という点でキリスト教に近い。一向一揆というのはヨーロッパ の宗教戦争に近いものがある。同じく日蓮宗も法華経絶対という立場がキリスト教に近い。中国 から宋学が持ちこまれたが、儒教の中でも特に上下関係に厳しい宋学はキリスト教の絶対神の思 想に近い。しかし絶対的な思想が外国から持ちこまれても(仏教も元々外来のもの)日本の神道 を否定することは出来なかった。この受けいれるという考えは神道的なもので、日本人は神道を ベースにそういう宗教を取りいれたのだ。仏も儒学も多神教である神道の中の一つの神になった ということだ。ちなみに日本人は今もそういう目でキリスト教を受け入れている。唯一神だけを 信じて他を一切許さないキリスト教と日本はやはり違う。

長々とキリスト教に触れてきたが、人種差別はやはりキリスト教の影響が恐ろしく強い。キリス ト教徒である白人が非キリスト教徒である有色人種を迫害したからだ。東アジアではキリスト教 とは別に中華思想というものがあった。中国が絶対であり、ピラミッド型に周辺が従属するとい うものである。中華思想は中国に従えばキリスト教のように一切皆殺しはしないが、優越感では キリスト教に勝るとも劣らない。欧米では聖書だが、中国では面子なのである。日本はそういう 融通の効かない考え方すら神道を通して受け入れてしまうので、イマイチ理解しにくいのである。 日本人のいじめと欧米や中国の差別は似てはいるが、「キライ」と「許せない」で意味が違う。 いじめと差別はその思想背景が違うのだが、日本人には欧米や中国のような考えかたは理解しに くいので説明が難しいというわけだ。

日本は帝国主義で欧米と同じようになった。植民地も持った。しかし一つ決定的に違うのは日本 はキリスト教ではないということだ。アジア人は恐らく「しかし天皇がいた」というだろう。キ リスト教と日本の思想はどう違うか。これが日本人の人種差別について考えるいいヒントになる と思う。それは植民地政策を見ればわかるのではないか。欧米諸国はアフリカや東南アジアを植 民地にした。彼等は原住民に何をしたか。同等どころか人として扱わず、欧米のためだけに経営 した。オランダの東インド統治は特に過酷と言われているが、オランダ人は原住民の食糧のため の土地を商品作物に変え、利権をむしり取った。インドネシア人は食べるものもなくひたすら迫 害に耐えた。述べたように日本はキリスト教的な絶対という過激な思想はなかった。しかも日本 人は日本という小さな島国で単一民族で長い間他国との交わりも最低限の中で生きてきた民族で ある。つまり他の民族に慣れていない。今でも日本人は外国人とどう接していいかわからない人 が多いが、当時で言うなら、植民地にはしたが、どう統治すれば良いかわからないということだ ろう。日本はまず近代化の時同様に欧米に教わった。しかし欧米のようにキリスト教的な思想は ないからどうしても撤底することは出来ない。結局日本人が統治する方法は日本人が日本を統治 するのと同じ方法しか考えつかないのである。日本的な統治とは何もかも統一することである。 日本は和を重んじる。キリスト教の平等思想とは違う。キリスト教での平等は神が与えたもので あり、基本的人権や権利ということなのだが、日本の平等は和から来てるから陸式といわれるよ うに外見も考えも全て横一列に統一することなのである。絶対神と個人の個別の関係がキリスト 教だが、和の考えかたでは絶対的なことを嫌うから集団になる。日本人が朝鮮人や台湾人などに 日本語と神道を強制したのもその背景だったからと僕は考える。強制させられた側からすれば押 しつけだが、日本人側から見れば平等にするという理念がある。

日本は植民地支配で日本文化の強制を行った。欧米は植民地支配で迫害した。そしてどちらも人 種差別だとしてバッシングされている。被支配者を被害者というなら彼等側から見れば大差はな いが、欧米と日本で人種差別を問うたときに双方の温度差がある。そして日本が欧米と同じ思想 を持ち迫害したかと思われてしまうのだ。何事にもそうだが、結果にはプラス面とマイナス面が ある。日本支配とて同じであくまで結果として見ればの話だが、日本人は被支配者を日本化させ た。大日本帝国の地に住む者は皆同じであり、日本語を話し、神道を信じ、天皇を崇める。日本 人は彼等を例えば朝鮮人は朝鮮文化と共にいる朝鮮人としては扱わなかったが、人として見てい る。彼等の固有の文化は否定したが、それは何よりまとまりを第一と考えたためだ。どうまとま るかは日本の習慣で統一するとしただけだ。統一しようとして日本が植民地の教育レベルを日本 のレベルまで上げようとしたのは結果的にはプラス面だろう。日本語を強制されられたが、日本 と同等の教育を受けるのに日本語は必要なのだ。マイナス面は日本式で統一しようとしたのが、 各民族のプライドを傷つけたことだ。しかしそれは日本から見れば日本式の平等であった。植民 地支配というのは原住民を保護するためだけではやれない。やはり本国の利益のためが第一だ。 民族が虐げられるのを拒むなら日本のように独立を維持しなければならないが、それは当時のア ジア諸国には無理だった。残酷だが独立を守れなかったのだから、彼等はどれだけマシな差別に 遭ったかで判断しなくてはいけない。差別を受けないということは不可能だったのだから。

日本の人種差別は大東亜戦争中に発したものが多い。日本人はアジア人を差別した、とアジアの 人々は言う。しかし当時の世界情勢は今とは全く違う。力が全てで、民族主義はまだ認められて いない。そういう時代を経たからこそ今があるのだが、日本にも日本の置かれている過酷な立場 があったことは否定はできないだろう。

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K.Wakabayashi
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