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米国型グローバリズムについて

(12/24/01)

今年もそろそろ終わりますがやはり今年の世界トップニュースはNYの事件でしょう。事件という言い 方も他に言い様のないだけで自爆テロとか文明の衝突だとか捉え方も様々です。それまで世界で最も見 捨てられてきたアフガニスタンが9月以来は世界で一番注目される国になりました。アメリカの意地も あったでしょう、見事にタリバン政権は崩壊しました。アフガン国民は気の毒でしたがタリバンが治め るよりはマシと思えば前進だけはできる出来事ではあったでしょう。国内のスタッグネーションは外的 な圧力でないと近代国家はなかなか解決できません。但しだからと言ってアメリカが良い事をしたかと 言うとそうではないでしょう。米国からすればアフガンがどうなろうと構わないはずです。米国は自分 達の利益で行った。それは米国民の感情を納得させる「国内政治」だけにかかわらず、米国の威光を改 めて世界に示す外交的軍事的側面もありました。政治は規模の大小に関わらず目的がありその目的を遂 行するための戦略があります。米国の目的はビンラディンの獲捕、戦略はそれに沿います。そのため現 に米国はタリバン政権を打破する為に敵対する北部同盟と手を組んだりしました。どこかの組識と組め ば前政権による混乱が収まった後にも問題が出てくる筈です。自発的でない、言い換えれば国民の総意 でない組識が外国の都合で力を奪い取っても問題解決には成り得ないからです。アフガンの新政権が国 民の総意に叶うものか。必ずしもそうとは言えないでしょう。反発も強いでしょうから期待も膨らむ筈 で、後は国民がどこまで妥協するか、新政権がどう歩みよるかの「和」に安定を任せるしかないでしょ う。そう考えるとアフガンは一時的に落ち着いただけで問題はこれからです。しかしながら新組識に既 に問題有りとすればまた大なり小なりの内乱が起こることは容易に予想できます。米国はその場合もそ の時点での自らの国益に沿う対応に留まるだけでしょう。米国の目的はアフガン安定ではないのですか ら。もしアフガン安定を望むと言っていてもそれは真意ではない。そのために犠牲を被るのはごめんだ からです。

世界はグローバリズム。なら地球を球と捉えて地球規模の安定を図るという理想があるわけですが、そ れは違うみたいです。米国が言うグローバリズムは地球をアメリカ化するということみたいです。それ はそれで統一ですが世界がアメリカになるかというとそうではない。横の関係にはならない。やはり縦 の関係になる。世界がアメリカに平伏すだけの話です。なぜなら米国はアフガンを管理し易い手中に置 いて置きたいと思うでしょうがアフガンを米国内だとは思わないからです。アフガンで問題が起こって もそれはマンハッタンで起きる問題とは同じではない。真剣に解決しようとは思わない。その取捨選択 は正に米国の「自由」なのです。思えばグローバリズムが横の関係と理想化して思うということは共産 主義に似ています。共産主義もすぐにスターリニズムのように縦の関係になりました。グローバリズム も米国を頂点としたピラミッド型になる筈です。いやもう既になっています。問題は頂点にいる米国が 統一の意識を持っていないことです。「コントロールしたいなら相手の気持ちも考えてくれ」というと ころでしょう。しかし米国はアメリカの押し付けで相手側の気持ちにはとてもなれません。米国はその 母体が人工国家です。国内が既に混乱の渦で一杯です。それらを抑えるには力しかないわけです。自由 の国と言っていますが、これは誤解で米国は規制の国でもあります。米国はガチガチの法治国家ですが そもそも法治国家というのがキリスト教的ですから法というのは抑圧的な面があります。米国人の言う 自由とは権利のことでしょう。しかし権利の裏には条件や規制が山ほどあります。規制だらけの不自由 な中で権利を無理に使用しようとするから裁判がエンターテイメント化するのです。バラバラなのを規 制してなんとかギリギリのところで抑え込んでいるのが米国です。国内の各民族や各宗教を理解するた めにいちいち考えていたらまとまる訳がない。そこで政教分離などと言う訳です。つまりどこの宗教も 政治的優位にはさせないと言う訳です。いちいち考えることができないからそうすう訳です。米国の平 等とは本来そういうことです。日本人は平等と言えば誰も皆同じと思うでしょうが、米国では誰にも文 句は言わせないという意味合いが強いと思います。そうやってきた国がグローバルと言った時、どのよ うに世界と面するか、その本質は変わらないでしょう。

日本は米国の路線を頑張って進んでいます。確かに日本は非常に柔軟な姿勢で対応していけます。米国 統一型でも独自型でも日本は世界の中でそう弱くはない。今はその変革期ですがどう進めばいいか、そ の目標がわからないまま内に問題を抱えて低迷しているところと思います。米国型に対応できないので はなく、米国型で本当にやっていくのかどうか合意しきれてない感じです。ならば日本独自でやってい くかとしてもそれにも統一出来ない。日本は明治や戦後のように目標がはっきりしたら化ける力はある はずですが、今は進む道がわからなくなっているのでしょう。話は逸れますが少年事件なども正にそん な社会を表していると思います。このままでは行けませんが、世界はどんどん米国型になりつつあるの ではないかと思います。懸念することは米国路線を行くことによって日本が崩れていくことです。アイ デンティティーとでも言いましょうか、とにかく日本と米国が持つ文化的な背景はまるで異なる。日本 には日本に合ったやり方というのが存在します。それは長い歴史の中で日本人が培ってきた知恵でもあ ります。米国の土譲になるやり方というのは米国にしか通用しない。上手くバランスを取らないと、例 えば日本型アメリカニズムに変えていくなどしないと困ることになりそうです。アメリカが日本型にな るのは期待ゼロでしょう。米国の視点で見ると米国は米国流でしか物事を見ることはできません。理解 力がないわけではありません。しかし頭や理屈で理解する欧米は根本から方法を変えることはできない。 意識があっても無意識のほうが勝つからです。また米国はアングロサクソン流という世界で最も非人道 的な、それだからこそ最も強いやり方を知っています。その味をしめて世界一になった米国がその方法 を放棄できる筈がないからです。日本流は僕は非常に人道的だと思います。しかしやはり弱い。欧米流 にはなかなか勝てない。最近の日本人の中には自分たちの主張が弱いことや反論しないから世界にいい ようにやられているということを解っている人も多くいます。日本人は柔軟に考えられますがしかしま だ一知半解と思います。日本が欧米流に勝つにはまだ時間がかかると思います。ちなみにここで言うデ リケートな日本流というのは汲ウや美学です。言い訳はしない、醜く争うことは避ける、気前良くする、 などでしょうか。これは逆に日本人が世界で認められる良い部分です。特に欧米の食い物にされた元植 民地の国などは評価してくれるでしょう。アフリカやインドなどの伝統を見ますと日本人のような考え がなくもない。欧米でも武士道が評価されることもあります。しかし共通するのはどこか懐かしみを覚 えてそう言ってくれるということでしょう。言うならば世界はそうではないからこそそんな日本を感心 するのです。欧米は元より世界はどこでも日本より早く欧米化(近代化ではありません)しています。 もっとも日本だけが欧米以外で自力で近代化(つまり伝統を残せた)できた国だからです。欧米流とい うのは日本流と反対。勝つためなら(負けないためなら)言い訳でも何でもする、醜くても勝てば良い、 騙される前に騙せ、などという「醜いしつこいさ」です。勝つためなら何をしてもよい、勝者が偉いと いうことです。日本流では勝ち負けはさほど大きなことではない。その筋道が重要だ、と考えます。筋 道対結果ということですが、今日の世界は「死に方」より「生き残る」ことが大事という実に動物本能 的な世界です。大陸と島国という土譲の違いもあったのでしょう。大陸は生きるので精一杯で、安定し ていた島国日本人は精神的に発達しすぎたのかもしれません。最も日本のような民族も多くいた筈です。 しかしそれらは大陸の民族に滅ぼされたか同化させられていったのでしょう。日本人も生きるのに精一 杯の時代を経て生き延びてきたのですから。

考えみてふと頭をよぎるのは江戸以前の日本史です。日本を朝廷、米国を幕府と思うとどうでしょう。 細かい所ではなく大きく見ると、いにしえより続いた朝廷の雅は武士の力で政治力を削がれました。太 平洋戦争が承久の乱で、朝廷(日本)は幕府(米国)についに屈した。朝廷は残るけれども力はなし。 江戸時代になると朝廷の威力は消え失せました。もっとも両者は全然違うものです。それでも似ている と思うのです。雅より武という時代が日本でも長く続きました。日本が取るべき道は何か。何に備える べきか。それを考えるのは発想力と大但な行動が必要で、入学試験的な考えでは答えは出せません。経 済再生なども勿論大事な問題ですが、歴史の中のデータベースを見直すことも必要でしょう。

今年はまたグローバリズムが進んだ気がします。イスラム原理主義、及びテロリストという解り易い反 グローバル的なローカルグループが米国に穴を開け、その二つを世界が傍観するという年でした。日本 も振り回されました。これまで米国手導の本当の意味でのグローバリズムと米国型統一方法を危惧して きましたが、日本がどの立場に立ちいかほどの距離で米国と接するかというバランスの力点探しにはま だまだ時間がかかるでしょう。キーワードは北朝鮮になるかもしれません。北朝鮮というイスラム原理 主義よりむしろ反グローバル的なローカル集団が日本のすぐ近くで日本に向かって立ちはだかっていま す。この20世紀中に捨て忘れたゴミのような問題をどう世界が解決していくか。日本はどう立ち向か うか、米国はそれこそどう反応を見せるか。日本と米国にはズレが衝じるでしょう。このズレを日本が しっかりと読み取った時に日本の立ち位置が決まるかもしれません。もう一つは韓国と中国という障害 です。この2国とは既に大きなズレがあります。日本人はあまり直視しません。また韓国と中国に着目 してもズレが起きます。これはどうしてか、ここで思うことは別の機会にまた。

K.Wakabayashi
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