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中国と韓国について改めて考える

(12/29/01)

世界もそうですけど世の中嫉妬で動いているのかなと思う。中国と韓国のことです。確かに言える のは両国とも随分反日感情が強くていちいち日本に文句を言ってくる。日本人も嫉妬感情は勿論あ るけれど感情的ということは子供であり大人は冷静に話し合うという文化というか宗教的な考えが あります。日本人で激情的な人はそれだけで目立つし、必ず諫める人がいる。諫めなくても応援は しない。落ち着けと心の中で思う。大人気ないと思うからだ。僕は中学生の時まで熱心に剣道に打 ち込んでいた。剣道は気合の為に声を張り上げるが、中身は非常に静なるものである。中学生のレ ベルではチャンバラみたいな動き回る剣道でも試合には勝てるが、レベルの高い大人の剣士でちゃ らちゃらした人は見たことがない。どっしりと構えていてお互いの間合いを見極めてじっと耐える。 相手が静を守れずに手を出してきたら姿勢が崩れて隙が見える。そこを一瞬にして打ちこむのが剣 道だ。剣の道というだけあり、剣道は実に日本人の有り様が具現化したスポーツである。最近の柔 道は力勝負になってきた感も否めないが、元々柔道は力勝負で勝ち負けは決めれないというもので ある。剣道や相撲は今も力の競技ではない。相撲も強靭な気合と姿勢いわゆる精神的な面が左右す る。精神的な強さとは冷静さである。感情的になったら姿勢が崩れて弱さを見せることになるから だ。と、日本人はそう考えてきた。

しかし世界はほとんど大人気ない。感情を向き出しにする。前回の米国を語るところで世界は結果 を重視すると言った。汲「精神よりも醜い勝利のほうが価値がある。欧米は勝ってなんぼという考 え方をすると言った。生きるので精一杯の大陸ではそうなると。欧米の他にも大陸国家はある。欧 米よりかはるかに「手断」より「勝利」に価値を置く民族がいる。それはもちろん中国人のことだ。 中国大陸は欧米以上に「生きることで精一杯」の場所である。今もそうだ。僕が考えるにヨーロッ パはキリスト教を持って治めた。しかし元は外来の宗教。ヨーロッパ人は既に完成されたキリスト 教の側に自分達を合わそうという理想でやってきた。自分達の生活をキリスト教に合わすために解 釈でモメてきた。統治者は縦割のヒエラルキーが治めやすいので教会が自分達の解釈を押し付けて 絶対的な権力を持った。勿論カトリックのことだ。これに合わせられなくなった庶民は自分達に都 合の良い解釈、つまり反教会的なプロテスタントを広げていった。聖書を絶対とし神と個人が一対 一で向き合うような考えが市民革命を起こした。近代化にしても欧米人は自分達の生活をキリスト 教に近づけようと様々な解釈をこじつけてきた。中国ではどうだったか。西洋のキリスト教にあた るものは儒教と思われるが、儒教を含めた中華思想なのである。これは既に完成されたもの外来の ものではない。外来と言えば仏教だが仏教は一神教ではなく哲学的な要素もあり解釈も聖書と比べ ればまるで制限がないから各地で土地にあった姿に変わった。またその性格から統治よりモラルの ほうに向いている。中華思想は中国の根本である。日本人が無意識に神道の影響下にあるように中 国人ならば中華思想の影響下にない者はいないだろう。逆にない者ならその人は「中国人」ではな い。中国人とはキリスト教徒と同じ意味で、キリスト教を信じる者がキリスト教徒と言うように中 華思想を信じる者を中国人という。民族的には漢人など多数の民族がいる。モンゴル人や満州人( 女真人)は元々遊牧民で中国人ではない。しかし彼らが中原の地に王朝を築いた時に中国人となっ た。中国は世界の中心という意味で中原はその中の中心部だ。中国人とはそこに住み中華の影響を 受けている者である。明の皇帝から日本国王を認めてもらった足利義満は中国人である。中華の冊 封体制に入ったからだ。将軍義満は天皇に対するブランドとして明皇帝に臣の礼まで取り国王とし て認めてもらっただけで思想的には中国人ではないが、相手からすれば家来である。もっとも化外 の地に住む義満は中国人としては認めてもらえなかっただろうが。

中華思想は中国人が自ら考えた宗教でキリスト教とは少し異なる。ユダヤ人にとってのユダヤ教と いうのも少し違う。中華思想は神から啓示されたものではなく、中国人が自ら作り出した思想なの だ。作り出したと言っても勿論長い年月をかけてである。その中で最も頑固で排他的とされるのが 朱子学だ。後醍醐天皇や江戸時代など日本もその影響下にあった。中国は長い歴史がある。中国三 千年だの中国五千年だのころころ数字が変わるがこれも中華思想だ。まず中国大陸には幾つかの部 族があってそれが武力で統一されていった。広い国土をまとめるには武力によるしかないが、領民 を納得させるには理由付けが必要だった。それは徳という思想で、統一した者は徳があったからこ そ天から皇帝に選ばれたのだとした。こじつけなのだが、この思想が広まると誰も逆らえない。全 世界を治めるのが皇帝であり、周辺諸国は皇帝の家臣となり王の地位を許されその地域を治めるこ とができる。周辺諸国と言ったが国は世界で中国のみであとは野蛮な地である。中華思想というの は実に傲満な思想だが、当時東アジアで中国に敵うところなどなかった。屈辱でもへつらうしかな い。しかし武力を持って皇帝を倒せば自分が徳があったと言え皇帝になることができる。易性革命 である。漢民族でなくても元(モンゴル人)や清(女真人)はこうして皇帝になることができた。 しかし中華思想はあくまでも漢民族中心による思想である。朱子学というのは漢民族の宋が元に追 いつめられて中原の地を追われて華南の地に南宋を築いた頃に成立している儒教だ。儒教は中華思 想にマッチする。それまで中原の地にあった宋と区別するためにこれを南宋と言うが、漢民族から すれば宋に変わりはない。中原の地を治めたモンゴル人がいても漢民族は自分達が本当の中華だと 言いたいのである。モンゴル人は漢民族を許すわけにはいかなかった。漢民族は対等な付き合いな どしない。相手より上ではないと話は聞かないのである。

朝鮮半島は古代にはそんな中国から身を守ることに必死だった。三国時代に大陸に最も近かった高 句麗は幾度も隋から国土を守った。しかし唐が大王朝を築くと新羅が統一した朝鮮は中国の傘下に 入りざるを得なくなった。古来の文化も捨て全て中国風に統一した。文字も漢文のみで自国の文字 は使わず、名前もそれまではカナを漢字で当てていたのが中国風の三文字にした。そうしなければ 生きてはいけなかったからだ。中国王朝は対等の関係を許さないが、臣下の礼を取れば土地までは 奪ったりはしなかった。朝鮮はとにかく国を滅ぼさないために柔順の姿勢を取る他に道はなかった。 そして中国に合わせようと中華文化にどっぷりと浸っていた長い間に完全に中華思想の影響下にな った。朝鮮民族は中国人になったのである。一時中華思想に染まっていない遊牧民のモンゴル人に 土地を奪われた。モンゴル人は冊封体制など認めなかったからだ。高麗は独立を失った。その時日 本は元寇という危機に面したのだ。元が滅びて漢民族の明が中原を奪い返すと朝鮮はまた平穏を取 り戻し中華思想にどっぷりと浸った。それ以後は中国の臣下として安定した歴史が続いた。

長くなったがキーワードに戻る。嫉妬である。恨みともいう。韓国人は恨みを恨(ハン)としてこ れを善を認めている。恨みを水に流す日本では卑しい考えである。まず、中国人の嫉妬とは何か。 日本の中国大陸侵略である。中国はこれを国際法違犯などと言う権利はない。日本人も謝罪する必 要はない。また中国が怨んでいるのはそんな法的な権利ではない。中国は今も人治国家である。中 華思想は中国人の手による思想といったが、周辺国からすれば実に自分勝手の思想である。中国は 政治を治める者が法律なのである。自分の都合のいい政治をしたいからに他ならない。もっとも法 だけであの広大な土地はまとめられないからだ。話は戦前に戻る。時は帝国主義時代で日本として は満州の存続が死活問題だった。恐露病という言葉があったほど帝国ロシアは恐威であった。その ため日本は日清日露を戦い朝鮮を併合してまで北の生命線を守った。その灰汁という形で繋がる日 中戦争はどちらが悪というものではない。元々戦争とはそういうものだが外交の一手断として最後 に行う行為である。しかし疑問だが日本は当時中国と戦争以外で外交ができたか。中国大陸自体が 内乱に次ぐ内乱で、清の末期からは国内状勢はもうボロボロである。日本軍も国民党と共産党とし っかり見分けて戦争ができたのだろうか。恐らく無理だっただろう。中国は中華思想がある。日本 を化外の地(つまり野蛮な地)として見て対等な話し合いは無理である。平時の時でも無理なのに 混乱期にどうして外交ができようか。おまけに清崩壊の後、国民党と共産党が覇権を争って戦って いる。お互いは敵同士で、本来敵である日本よりも敵視している。中国人は疑り深いというイメー ジが日本人にあるが、中国人は内乱に次ぐ内乱の歴史で外よりもむしろ内側に危機を感じる。騙し 合いに勝たねば生きてはいけない。日本精神など全く通じない相手である。当時の日本軍も恐らく 内戦のために何度も騙されたことだろう。約束などは守られないし、共産軍に利用され国民軍に利 用され翻弄されただろう。日本人には考えもつかない卑怯な行為も日常茶飯事であったろう。結局 日本軍は停戦も出きずにだらだらと戦線を拡大して犠牲を増した。どちらが怨みを抱くか、なぜか 中国人のほうだ。理由は野蛮な日本人に中華を汚されたからである。どちらが野蛮かと言いたいの だが、中国人の怨みの大部分は中華思想によるものである。南京にしてもあれは国際的に怨みをは らす為の言いかがりと思う。正に醜くても怨みを返すためならば、である。当人達は醜いとも思っ ていないだろう。当たり前と思っているだろう。ODAももらって当たり前。あれは日本は開発援 助として送っているが中国からすれば貢ぎ物である。貢いでくるから国を認めてやると思っている のではないか。それもなくば中国は日本国は認めないと国連に糾弾する可能性も無きにしもあらず である。

それでは韓国の嫉妬とは何か。これもやはり中華思想だろう。小中華思想とも言える。つまりやは り考えていることは中国と同じで中国が世界の中心であると見る。韓国はその中華思想の一の追従 者でその外にいる日本は中華思想を理解していない野蛮だという考えだ。民族のアイデンティティ ーが注目され始めたのは最近のこと。それまでは宗教が強かった。韓国は中華思想の中にいること こそ善と考えたのだ。現在の世界の流れは韓国には気の毒であるが、韓国は今必死に民族のアイデ ンティティーを探している。そのために今では日本人よりはるかに強い民族中心意識(エスノセン トリズム)を持っている。これはコンプレックスであろう。韓国の嫉妬とはコンプレックスだと思 う。それも単純なものではない。まず中華思想下では遥かに野蛮な日本に併合を余儀なくされた。 その時も信じていた大ボス清は欧米に食い物にされて混乱。誰も助けは来ずロシアに日和るところ を日本が大慌てで植民地にした。日本としては国防の為にはやむを得ない。韓国からすれば野蛮な はずの日本は欧米を見本として(つまり華威秩序を乱して)西洋型近代化に成功していた。中華思 想が少し崩れたところで民族的なコンプレックスも出てきた。日本は全てを中華風に改めなかった ために固有の財産(書物など)や文字がある。韓国にはない。ハングル文字は漢文に抑えらえて使 われてなかったのを日本人が奨礼したのである。おまけに日本が敗戦となり独立のチャンスがあっ たが朝鮮戦争となり、逆にボロボロだった日本はそれでかなり生き返り繁栄を築いた。正に韓国と しては恨みでいっぱいである。しかしそれは逆恨みではないだろうか。中華思想に染まらざるを得 なかったのは地政学的なこと。帝国主義の時代、日本は早目に気付いて大慌てに近代化したが、韓 国は清を頼っていて近代化などは頭になかった。儒教では古いものを変えることが出来ないからだ。 日本は韓国を併合したが当時の世界情勢では韓国がどの国からも独立を守るのは不可能だっただろ う。日本は敗戦後に朝鮮を無条件で手離した。南北に分断されたのはやはり統一した新政府が作れ なかったためと、それを諸外国につけ入られたのだ。特に中国が北に援軍を送ったのが分断の決定 的となった。日本に非はあまりない。植民地化については日本を恨んでも正当かもしれないが、南 北分断という現在進行の問題は中国に矛を向けるべきだ。それも日本に恨みをぶつけるのは感情的 なだけだろう。

思うに中国も韓国も恨む根本には中華思想という己の問題がある。それによって日本の行為が著し く大げさに言われるのだ。中華思想の問題点は山ほどあるがやはりそれは感情的過ぎる。近代国家 のやることではない。だが考えてみると中国も韓国も近代法治国家と言えるだろうか。実は近代政 治学でいう定義に当てはまらないのではないだろうか。

近代法治国家では外交を条約で示します。それは以前のことをむやみに持ち出さず、また後にごち ゃごちゃ言わないための約束です。日本はサンフランシスコ構和条約という条約で権利を回復しま した。諸外国もこれで少なくとも政治面では日本の過去をごちゃごちゃ言わなくなったのです。さ て韓国は大統領が変わる度に日本に来て文句を言います。過去に結ばれた約束など関係なしです。 何度これまでに「これで日韓は平和になる」と大統領が言ったか。都合が悪くなると前言を取り消 し、大統領が変わると白紙に戻す。これでは外交とは言えない。感情でごちゃごちゃ意見を変える のですから。中国も同じです。日本はいつまで謝り続けなければならないのか。

それから法治国家なら時効という考えがなければならない。日本でもそれは常識です。確かに被害 者は悔しいけどそうしなければ前には進めない。どこかでケリをつけないといつまでも過去のこと で憎み合ってしまいます。日本が米国やロシアに恨みを残したままなら社会は成長しません。しか し中韓両国ともそれを欠いている。気分が悪くなればすぐに過去のことを蒸し返していたら友交は 築けません。しかしどうも時効で許すという概念が両国に見られません。豊臣秀吉の出兵のことで 謝れと言われても日本は困るだけです。謝ってもまた同じことを言われるならどうしようもありま せんし。

それから相互の利益というのがあります。相手の立場を理解して接点を探す。自分達の望みと相手 の望みを理解し歩みよるということです。笑顔でとは言いませんが、お互いが意見を出し合い修正 などして平和的に合意に達するのが近代国家です。近代国家は無用の戦争は避けたい。そのための 外交の場としての認識が不可決です。しかし韓国は例えば靖国神社参拝や教科書問題などで非常に 感情的な物言いで、自分達の感情をゴリ押ししようとしました。それが通らないと見るや学生達の 交流を禁止したりなど報復ともいえることをしました。これでは埓があかない。例えば教科書問題 など文部省が検定合格を出した時点で間違ったことは言っていないと日本国が証明した。日本は間 違ったことでなければどのような意見も自由に言える法治国家です。それを使うかどうかは国民の 判断で別です。しかし韓国は日本の教育問題に自分達と違うニュアンスだから提正しろと言ってき た。日本の立場を考えているのだろうか。この間の北朝鮮の不審船の時も韓国のメディアは「日本 の傲満」として日本側を非難してきた。同じことをニューヨークの時に米国に言えたであろうか。 明らかに感情だけで自分達の意見を通そうとする。そんな国は近代国家ではない。またこれまでの 歴史の中でも近代法治国家に成りえたこと歴史は両国にはない。日本はそれをしっかり見ていない と付き合えない。付き合うほど問題が深刻化する。少なくとも相手の嫉妬を知り尽くした目で相手 を見て、近代法治国家つまり欧米諸国に対するような態度で臨んではならないことを知らなければ 間違う可能性が高いし、本当の友交など築けない。

K.Wakabayashi

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