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アフガン問題

(03/17/02)

どうなったアフガン問題。現在のアフガンがどうこうと言うとまず日本で行われた会議が 思い浮かぶ。普通に行けばここは日本の株を上げる機会だった。ただ日本で開催されたか らと言って株が上がるわけではなくて、日本で行われることを好機にして株を上げねばな らなかった。日本の緒方貞子さんは国連の難民問題に深く関わってきた。国連のことはと もかく、テロ事件まで世界から忘れ去られていたアフガニスタンが注目されたのはやはり ビンラディンしかない。その前にアフガニスタンが注目されたのはバーミヤンの石仏が壊 されたことくらいだ。その時は顔が壊された石仏と「やりすぎじゃない」というような目 で見られたタリバンの極端な思想に焦点がいったくらいだった。タリバン政権下にある民 の貧しい暮らしには焦点は行っていない。まあ極論だがタリバンも文化の一つというなら 民も決してそれほど悲惨ではなかったと言えないこともない。アフガンの民の本音はわから ない。しかしアフリカの問題を見るように、経済大国が貧しさという視点で見るならアフ ガン人の本音はともかく課題にしてもよかったと思う。しかし大国は都合主義だ。政治学 では貧困問題は常に課題となるが、自分に関係がなかったら実際は気に止めない。しかし そんな中であくまで難民問題として世界を見ていた緒方さんはアフガンの課題を常に叫ん でいた。しかし政治の課題は政治を動かしはしなかった。テロが起きて始めて関係を持っ たところ、アフガンは一気に政治の課題となった。まあ世界はそうやって動くのだろう。 グローバリズムの中で世界は相互関係だらけになる。これからの政治的課題は実際のロー カルな問題が起きたときには課題とならない。既に課題とされるべく問題が存在していた ところと関係を持ってしまうと政治的課題になる。緒方さんが説いていたのはローカルな 問題で、アメリカがそこに関係を持ってしまった(持ちこまれたとも言える)から世界 の課題になった。ちなみにアメリカが関係を持つと世界の問題になるという図式が成立し ている。学校教育で英語が必修というのも理解できる。

日本の株は上がったか。下げたと思う。その時に日本人は田中真起子に注目していた。真 起子には官僚の腐敗を改めてほしいと思う国民の支持が集まっていたが、外相ということ を忘れていないか。真起子が外交の長など出来るはずもない器であることは台湾について の見解(思い切り中国側の発言で台湾の立場を何も考慮しなかったこと)でもすぐにわか る。日米のキーとなる大物アーミテージの面子を壊したこともあった。アフガン問題では 例えばカルザイ議長を見ても単にニューリーダーとして期待するだけなはずがない。小学 校の生徒会長ではないのだ。アフガンにはカスピ海の石油利権問題、米中問題、印パ問題 とすぐに思い浮かぶ様々なA級問題がちらついている。アフガンが中央アジア、南アジア、 そして中国の間にあるということだけでも判り易い。カルザイには中国やインドなどの匂 いが漂う。難民問題とか言って日本で平和っぽく開催するだけで日本がキープレーヤーに なれるはずがない。日本は何をしなければならなかったか。言い出せばキリがないが、最 低でも今の日本にできることをしておかなければならなかった。ジャーナリズムはそうい うことを国民に判り易く説明せねばならない。真起子などに注目したところで日本がどう なるのか。おまけに外務省まで引きずりこんでいては情けなさすぎる。

もはや日本は問題を抱えすぎた。国内でも問題だらけなのに、世界はますます複雑になる のに乗り遅れている感が強すぎる。政治家は仕事をしなければいけない。日本の国益だ。 話題になるのはどうでもいいことばかり。何か一時の小泉ブームは「縁起」の気がしてき た。あの人はなんとなく縁起が良さそう、みたいなノリだった気がする。政治に関心があ るのと政治家を見る目があるというのは関係ない。小泉首相本人に関心があってもどうし ようもない。あの人が何をしたかに関心がないといけない。構造改革。耳にタコができる ほど聞いた。しかし思うに改革というのは終わったときに評価するものではないか。改革 すると言っているだけのことを評価するのはおかしい。新入幕の力士が横綱まで上りつめ て素晴らしい成積を残して引退した。そこで評価すればいい。新入幕の力士が「横綱を目 指す」と言った言葉だけで評価するのはおかしい。ちなみに最近ふと目に止まったが、小 渕元首相は98年に来日した江沢民がODAの感謝もなしに台湾の独立と日本の歴史認識 についての謝罪を求めた共同宣言に対して毅然とこれを拒否していたという。当たり前で 中国が日本をなめ過ぎている態度だが、おかしなことにこれに迎合する日本人が多い中、 小渕さんが当たり前の態度を取っていたことが嬉しかった。政治家はこういうことで評価 されるべきではないか。森前首相でも李登輝にビザを出したことは評価できる。これも当 たり前のことで、当たり前のことが出来ない日本が当たり前のことをすると評価したくな るというのも悲しい話だ。ちなみに森が今でも首相で、仮に陳水偏にビザを出したなら私 は森を評価する。小泉がしたことで知られているのは靖国神社騒ぎで予定変更、テロ特別 対策法、このくらい。靖国はこれぞ妥協というものだし、特別対策法では結局のところ国 防問題や日米同盟の形についてはっきりと答えなかった。曖昧だった。だから批判(非難 ではなく)はできるが評価はできない。日本の政治家は世界で株など上げられない。つま り皆して国益を損ねている。

政治と同じく、戦争に関するジャーナリズムも情けないと思う。妄想的に戦争反対を叫ぶ 理想主義のジャーナリズムは活発だ。但しこれはジャーナリズムとは呼ばないので単に情 報(インフォメーション)と言い換えておく。戦争に反対する人が日本には多い。これの 理由がいまいち解らない。殺す殺されるの類が嫌いなのか。だとすると西村京太郎のよう な殺人事件ものが人気なのが矛盾してくる。やはり第二次大戦における空爆(空襲)のト ラウマか。だとすれば第二次大戦そのものを反対すればいい。ただそれは情緒的だとの自 覚を持たなければいけない。政治的にはどうこうあれ気分は嫌だった。と言えばいい。全 部の戦争を反対するのはおかしい。テロもダメ、アフガン空爆もダメと全部ダメだ。しか し国家は国民を守らなければならない以上、必要悪もあるだろう。日露戦争は国防の戦争 だったが、これまで頭ごなしに全部ダメと言われたら困る。戦争も差別化しなければなら ない。つまり各々の戦争の特徴を理解し、論じるものだ。日本が負けた大東亜戦争も個々 の差別化がいる。中国ではどうだったか、インドシナでは、そして太平洋では、そして停 戦のタイミングは。更に開戦の理由や影響も考えた上で論じるべきだ。そして一元に全部 が全部ダメだったとは言えない。人間が人間に対してあらゆるところが好き、または全て が全て全部嫌いと言うことはできないだろう。いろいろな長所や短所がある。それと同じ で戦争を一言でくくっては困る。しかしながら、くくってしまった日本では戦争の見方が 下手になった。局所的に見れないからだ。戦術と戦略の違いもわからない。

また情報に乏しくなるから、現在の戦争での戦い方もいまいちわからなっていないのでは ないか。例えばどこかで見た記事でアフガンの冬は厳冬下になるからゲリラ討伐が難しい という意見があった。似たようなものもいっぱいあると思う。しかしソ連の時とは時代が 変わっている。アメリカは次から次へと兵器を開発しているし、ソ連のときの失敗も充分 に研究しているから同じなはずがない。日本は戦争研究に疎いし、兵器のこともピンとこ ないのでわからないかもしれないという理屈が言えるか。普通は常識でわかるはずだろう。 ただの大学生の私にもわかる。私は地理学を勉強しているが、人間の生活にかかせないの は熱である。兵器の進歩は凄まじいが人間はそこまで進歩しない。人間の生活に欠かせな い熱。赤外線センサーを使って熱源で人を発見する。冬になれば外の気温が下がるから人 間が使う熱がより発見されやすい。森の中に隠れていても寒さに耐えきれず火でも焚いた らすぐにセンサーがキャッチする。車も熱源だし、自家発電でも熱が出る。洞窟の中にい ても熱気が外にでるから同じだ。あとはそこに爆弾を打ちこめば終わり。その爆弾も大変 高度なもので威力はほとんど低範囲の原爆並みだろう。逆に夏場ならわかりにくい。冬将 軍のイメージで現在を解説するのはちと勉強不足だろう。

産経新聞はアメリカの空爆を評価した。アフガン市民をタリバン圧政から解き放ったのは アメリカの空爆だというアメリカの主張を支持する立場を取った。小林よしのりはこの態 度をアメリカの肩を持ちすぎと批判していたが、空爆を評価というのも一つの意見なので はっきりした立場はいいと思う。ただしその問題では主張を変えないのが条件だ。戦争反 対ではジャーナリズムになっていない。自衛隊派遣反対も、理由を持ってそれが国益を損 ねていると筋が通る主張しているなら解るが、ただ戦争イヤだから反対では国益は完全無 視である。そんな意見をことさら強調することもないだろう。テロ特別対策法も、内容を 論ずるのが普通。ここを修整するべきとか、ここを強調するべきとか、本来そういう論議 になるはずだ。そこで意見がわかれるならわかる。しかし内容にも触れず法自体の成立に 反対したりするのはおかしい。戦争は嫌ということは国際社会は無視ということになる。 国際社会を無視したら第二次大戦前と同じである。輸入に頼る日本は孤立しては生きてい けないということは過去の戦争で充分わかっているではないか。また孤立したら日本が攻 められたときに助けも請えない。戦争に反対する人は自衛隊にも反対しているので自力で 守ることもしないわけだ。日本の今の暮らしを否定したい意味がわからない。日本は普通 の国にならなければいけない。今は違う。アフガン一つでこれほどボロが出てくるのだか ら。

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K.Wakabayashi
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