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紅白歌合戦の限界

(12/25/02) 今年は久しぶりに日本で正月を過ごすのだが、大晦日の主役とも言える紅白歌合戦は米国にいた昨年のほうが楽しみにしていた気がする。 つまるところそれは米国で何とか日本の正月気分を味わいたいだけの目的で、日本にいるなら普通に正月は楽しめるわけで紅白の必要性は 全く霞んでしまっているということだろうか。

今年日本に帰ってきてきてからはほとんどヒット曲を聴かなくなった。これも米国にいたからこそ望郷の念が働いたわけで、日本にいると陳腐で ビジネスライクなヒット曲などに目が向かない程に楽しめる音楽が豊富に溢れていた。ドラマも米国ではビデオで見れたから見たわけで、 日本にいると毎週同じ時間にテレビの前にいることはまず不可能なので見なくなった。だから最新の曲が耳に残らないことが大きな理由でも あった気がする。それを置いても今年はヒット曲が少なかった気がする。以前は毎年のようにドリカムやミスチルや安室や宇多田など一躍 トップに出てくる連中が多かったが、今年ブレイクした者は誰もいない。一番売れたかなー、と思うのが平井堅の「大きな古時計」だが、 NHKの特集で前に見ていたので、味をしめてレコードにしちゃったな、と感じがしてしまいしらけた。島谷なんとかの「亜麻色の〜」も同じだが 所詮は過去の唄。歌手が良い歌を作ったなとは言えまい。既に大勢の耳に刻みこまれたメロディーだから、歌っている本人など関係なく聴いて いる人が多いと思う。

さて紅白であるが、去年は楽しみに見せていただいた。なぜか?懐かしき日本を楽しみたいためであった。今年はというと、既に日本に帰国し、 目は既に先を見据えてしまっている。懐かしき日本は初詣で味わせてもらう。神社というのは古代から脈々と日本人に受け継がれる神聖な ものだからだ。紅白は言ってしまえば昭和時代の遺産である。ザ・昭和歌謡ショーと言ってもよい。この感覚がすこぶる中途半端に思えてきて しまった。過去と未来はいつでも人間にとって必要なものであるが、別に過去イコール昭和ではない。というわけで、恐らく見ることは見るのだが、 少し冷ややかな目で見てしまう今年の紅白である。

最近はあらゆる方面で過去の払拭が必要とされている。戦後からこれまでは変化なしにやってこれたものが段々と時代にそぐわなくなってきた 証拠だ。地方の商店街が大型店の出現でどんどん廃れるのと同じく、人々の心が変われば意地だけでは保持できない事柄が多々出てきた。 紅白もそんな帰路に立たされてはいないだろうか?と、いうのも既に一家揃って世代の差を越えて楽しめる音楽番組を作るなどということは 核家族社会を再び大家族社会に戻すように、もはや不可能なのである。十代が恨み辛みを歌った演歌を楽しめるわけがないし、六十代が 子供の歌う横文字ばかりの歌を楽しめるはずがない。若者は年越しライブにでも出かけ、年配は思い出のメロディーを楽しんでいればよいと思う。 良いか悪いかという問題ではなく、既にそういう社会形成に変化してきているのだ。年配に合わさない若者に罪はないし、若者を理解できない 年配は結局自分達がそういう次世代を育てあげたわけでもある。取り繕うかのごとく大晦日だけは世代の差を越えて、と思うNHKはそろそろ 限界を感じてもいいかもしれない。

批判する。まず登場する歌手である。中堅クラスのロック系やシンガーソングライターはほとんど出ていないではないか。例えばサザンなどは ライブしてくれていたほうがしっくりくる。無理にNHKに合わせられても見ていて痛いのだ。宇多田などもカッコ悪いので出たくない、というのが 本音ではあるまいか。歌手というのは元々何らかのエネルギーを元に世に向かって歌を謳っているものと推測する。人間はどうやら負のエネ ルギーのほうが発散する力が強いようだ。またそれは大衆の負のエネルギーに協調する。だからモラル的には「悪い」ことが芸術の世界でも 「悪い」とは決して言えないのだ。しかしNHKの性格上、出場する歌手にはモラル性が要求される。おまけに世代を超えて楽しめる音楽番組 などという甘い理想が漂うところへポリシーの異なる歌手が揃って歌を歌いに来るだろうか。演歌歌手はどうやらポリシーうんぬんより出場回数に よる優越感が先に来るらしいので大丈夫のようである。しかし出場することに意義を感じない歌手にとっては必要性のないところになっている。

今年の目玉は中島みゆきである。ポリシーには反するのだろうが、今回はNHKへの義理が勝ったということだろうか。ただし今回が最後になるで あろうことは容易に推測される。中島みゆきという歌手にどうしても歌ってもらいたいわけではなくて、プロジェクトXの歌を歌ってほしいだけだからだ。 そして前述した平井堅もヒット曲枠では一番わかりやすい出場。これと並んで朝ドラの「まんてん」がらみで元ちとせが確定と思ったがこれが出場 しない。地方性豊かな歌手で、おまけに日本人の同情があつい沖縄に近い離島出身、朝のドラマのテーマ曲、とNHKが好みそうな要素が これだけ揃ったのに出場はしなかった。断られたのであろうか。

演歌は年功序列で出場が決まるみたいだ。歌に差が出ないからかな、と思うと少々悲しい。逆に若い連中は売れたか売れていないか数字で 出て来るので選びやすいと思う。しかしながら中には売れていないのに出る歌手もいる。華原ともみは既に過去の人だと思うし、スマップも今年 はそれほどヒットした曲を出したわけではない。若い世代向けに選んでいるはずが実は年配向けにこういう安心した若い世代を出場させている のだと思う。若者はすぐにそっぽを向くが、年配はなかなか目移りしないからだ。ジャニーズではいつもTOKIOが出るが、売れているのはキンキ キッズやV6のほうではないだろうか。変えたがらない性格が出ているのだろう。しかしここで若者の注目を削いでしまっていることにも気がついて ほしい。

私はNHKが好きである。朝鮮贔屓や平和主義の報道は目に余るが、それはNHKだけの問題というより日本のマスコミ全般の問題なので言及 しない。NHKスペシャルやクローズアップ現代ではちゃらけた民放より遥かに良いテーマを取り上げている。NHKは内容はともかく、かなり 時事的なテーマを盛んにとりあげている唯一の番組だ。そのNHKでも紅白になるとその新しさが薄れて、無残なエンターテイメントになって しまう。無残とまで言うのは取り下げるが、若い世代に受けない、つまり年配重視に凝り固まってしまっていると言えるであろう。

と、いうわけで若い歌手も演歌歌手もさほど見る気はない。実際に若い歌手で芸術性をもった歌手も少ないし、演歌も官僚のように歌以外の ところで上下が決まっているらしいので興味がない。本当に芸術性をもった歌手は実際には大衆受けしないだろう。わかりやすいハリウッドと 本当の芸術性を持った映画との違いで、紅白はやはり大衆的な番組である。それはそれでよいのであるが。

今年紅白を見たとしても楽しめる歌手は何人いるだろう。歌っていたら聴きたいなと思うのは森進一と石川さゆりくらいだろうか。あの二人は 演歌だけど雰囲気が音楽である。それと今年は出るかどうか知らないが由紀さおりの姉妹の歌は好きである。あとは巨人戦を見るように 何となく見ているという感じであろう。しかしながら毎年必ずある白々しい演出が登場した時は私は席を外していることであろう。