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靖国問題03

(02/01/03)

大して珍しいことでもないが、朝日新聞の社説で気になる部分を見た。小泉首相が正月明けに靖国を詣でた次の日の社説である。詳しい文章 は覚えていないが靖国は軍国主義の象徴として国民の戦意を煽る役割を果たしたと言っていた。少なくとも普通に読めばそう読めた。だから 詣でる者は軍国主義者だと言わんばかりである。何を言うか、などとは言わない。その代わり、まだ言うか、とは言いたい。この記事は失笑して 読んで終わった感じだが、文藝春秋社の「諸君!」のコラムの冒頭に出てきたのを見て思い出したわけだ。

私は小泉さんがいつ靖国に詣でていただいても結構だと思う。ただ普通の日本人らしくきちんと先人達に慰霊の気持ちをもって詣でていただく だけでよい。時期は問わない。私はあの戦争を否定しないし、軍国主義も悪と思わない。確かに部分部分ではひどいこともあったろう。しかし ひどいというのはどこぞの国を虐げたとか言う話ではなくて、もっと別の方法も検討できたのではないかという反省の面である。まあ戦術ミスなど の点である。ただそれは政治的な視点で、やはり個人としては時代の犠牲になった先人達に敬意を払うのは当然と思っている。それぞれその 時代で最善の努力をした。結果は問わない。戦後の経済人もそうだが、日本人として誇りに思う。その先人達を神として奉るというのも理解できる。 日本では神は人に近い位置にあって、神格化というのは日本人にとっては偉大な者への敬意の表し方の一つである。西洋の創造主とは全く 違う。西洋でいう英雄(ヒーロー)に近い。サッカーがうまけりゃサッカー好きにとっては大スターは神様になるのである。ジーコを神と呼ぶのは 日本人にとって彼へ敬意を表す言葉の一つなのだ。神はそこら中にいる。身近な神様から畏れ多い神様まで、高天原にいるはずである。戦争 に頑張った神様がいても何の不思議もない。特に彼らは日本をなんとかしようと働き散った者達である。拝みやすいように神社を建てて、時には 詣でて感謝の意を示すという行動は日本人の遺伝子の中に組みこまれている。

外国人にはわかるまい、日本人のこの精神性が。西洋の神が生まれた動機は「すがり」だと思う。エジプトやギリシャには多数の神がいたのに ユダヤの神がその後の西洋人を支配した。ユダヤ人は地政学的に不運の民である。不毛な地に住み、ペルシャやエジプトら強国に囲まれ、 虐げられてきた。わが民族だけは、と積年の悔しさが選民思想(神に選ばれた民族であるという思想)を生んだと思う。そこから更に創造主という 存在を生み出した。世界を作った唯一絶対の神と「契約」を結んだという何とも上手い話を作り出したわけだ。ただしこれは別に世界を支配 しようなどと考えたわけではあるまい。なんとか民族の自尊心だけは守ろうと必死の末に出てきた知恵だったと思う。元を正せば「すがり」である。 これがローマに飛び火した。ローマの民衆も政治家達に虐げられてきたためだろう。私だけは、私だけは、という点で結局ユダヤ人の考えと 合致したことだろう。そのうちそんな民衆でいっぱいになったローマではキリスト教が国教になってしまった。そして今度はそんなローマ人に 政治的に狙われつつあったアラブ人も、我こそは、我こそは、と同じようにイスラム教というアイデアを導き出した。結局西洋の宗教(ユダヤ教、 キリスト教、イスラム教)は同じ穴のムジナ、「我こそは」宗教である。中国では神は生まれなかった。天の思想も、儒教も、それぞれ政治哲学 であり統治のための知恵であり、民衆のためのものではない。中国人(シナ人と言おうか)は神にすがらず至極世俗的なものにすがった。金と たかりである。とにかく身を守るために金を貯め、権力を持てば徹底的にタカる。すさまじいサバイバル根性が、生きれればいいという世界観 が生まれた。シナが仏教を受け入れたのも輪廻転生の考え方があったからと言われている。インド人は魂の不滅を苦と考えて、そこから釈迦が 解脱を説いたわけだが、シナ人はこの古代インドの思想を何度も生きれる良い思想と喜んだのである。ちなみにだからこそ解脱を説く仏教は 今ではあまり盛んではない。生きるためなら何でもする。今も不滅である。

我こそはと信じる西洋人と、己の身だけが大事というシナ人。可哀相に靖国に眠る英霊達はこやつらにいたぶられている。我こそだけが人間 と信じる西洋人がプライド(実に自己チューな言葉だが)を傷つけられたと言い、東京裁判というリンチで日本人をイビル(悪魔)とした。そして また己の身だけが大事なシナ人がここぞとばかりに激怒したフリをして金をたかる。わが身をとして家族と国を守るために土となった日本人達 の気持ちはなかなか彼らには伝わらない。本当なら子孫である我々が訴えていかなければならないが、やれやれ今の日本人はちとおかしい。 おかしくなったのも理由がある。戦後世代の日本人は大負けに負けて「すがる」ものを探してしまったのだ。もう戦争はイヤだイヤだと強迫観念 に陥って、すがるものを探しまくった。軍事アレルギーになった者は軍隊を持ちたくない一心で米軍の核の傘にすがった。と、同時に平和 憲法にすがった。政治的に無理に押し付けた立場のアメリカのほうが困惑してしまうほど日本人はすがった。やっぱり非武装中立ではダメだ とアメリカが再軍備化を勧めたのに日本人は嫌がった。今でもイヤイヤ自衛隊を持っているが軍隊にはしたがらない。そしてある者は戦争の トラウマの標的を天皇に向けた。そして権力と宗教を否定するためだけに共産主義に目がむいた。今度はソ連を羨望し、悪しき平等主義を 説き、革命にすがった。そんな彼らには革命を成功させた金日成がさぞかし英雄に見えただろう。二方向からすがった戦後日本人は国防と いうか政治を全部他人に任せて国民総出で、ものづくりに励んだ。戦後の退廃からの高度経済成長を成功させた先人達に私は敬意を払うが 動機が何とも不純というのが情けない。朝鮮戦争特需がかなり高度成長に影響を与えたのに、戦争がイヤでイヤで仕方がない連中はそれを 認めず隠そう隠そうとする。中共の文化大革命も大失敗の国民大虐殺だったのに隠そう隠そうとして誉め称える。すがりまくったツケはやはり 溜まる。未だに憲法改正はならず、空想平和主義を説き、世界情勢から逃げに逃げまくる。アメリカには頭が上がらず、中国を怖がり、朝鮮に は必要以上に気をつかう。外国から物を買わされ自給率はどんどん減る。中国のたかりにもODAという形で素直に応える。まったくもって 情けない国家になってしまった。

戦争はイヤだというトラウマが原因である。だからすがるのだ。そんなことは止めて日本人がそれまで育んできた自然な生き方に戻ればよいと 思う。百姓に戻れというのではない。精神的に日本文化の中に戻るのだ。何かにすがるのを止めたら西洋人のように自己中心的にならず、 シナ人のように金と保身に走らない元の日本人に戻る気がする。戦争はイヤだと思いすぎである。戦争を忌み嫌うのではなくて、過去の問題 を検証して次に生かすようにしなくてはならない。きちんと軍隊を持って国民の安全を保障して外交努力もする。戦争を避けるというプロセス はここからスタートするのだ。戦争がイヤだと他国にすがってはそれこそ他国の言いなりにされて、イヤイヤ巻き込まれていくだけではないか。

小泉首相の靖国参拝を咎める朝日新聞。近隣諸国にへつらって売国奴になってる外務省や政治家たち。いまだに彼らはイヤだイヤだと 言っている。自分たちはイヤだイヤだと逃げに逃げて安らかに死んでいくだけかもしれないが、イヤだイヤだと思いなさいと教育されて すがりすがりで生きていく親の姿を見せられた我々の世代はこれからどうすればいいのか。気付けば日本は他国から金を巻き上げられて、 文句を言われ続けて、人をさらわれて、あげくには巻き上げられた金で作られたミサイルを喉元に突きつけられている。靖国に眠る神様たち はさぞ無念だろう。一体何のために戦ったのかと嘆いておられるだろう。もうそろそろ卑しい気持ちを捨てて自己と家と国の過去に敬意を 払ってこれからの日本を考えていかなければいけないのではあるまいか。

K.Wakabayashi