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木村さんは引用をしてゐないので、ホランド氏の非難する「字面を變へた引用」を、當然ながら、してゐないのです。「正字正仮名論争」では、ホランド氏が獨り相撲をとつてゐたのです。
そして、それを指摘した私を、アレクセイ氏は「掲示板荒し」呼ばはりして、必死になつて追出さうとしたのです。餘程私の事が憎かつたのか、「汚い尻尾」なる怪文書を、いまだにアレクセイ氏は公開し續けてゐますね。逆恨みにも程があります。
「正字正かな論爭」を讀んでゐると、いろいろな問題を持ち込みすぎてゐるやうにも思ひます。それと、話の運びが亂暴過ぎるやうにも思はれます。
>「字面 」が変わる以上、書き手が「文章に込めた意図は変わらざるをえない」のではない でしょうか?
さうですか?「字面」は變はりますが、假名遣ひの原則は歴史的假名遣ひから來てゐる譯ですし、歴史的假名遣ひの原則から來てゐる「現代かなづかい」を歴史的假名遣ひにして、意圖は變はつてしまふものなのでせうか。
それと、上の引用の後にかう續いてゐます。
>たとえば小栗虫太郎の『黒死館殺人事件』を、全文「ひらがなの、分かち書 き」にしたらどうでしょう?
これは話が飛躍し過ぎと云ふか、木村さんの「正字正かな」を指摘する材料にならないものだと思ふのですが。木村さんはきちんと應へていらつしやいますね。これ、勉強になるなあ。
(「思い」を乗せて(中) 投稿者:ホランド 投稿日: 7月25日(水)20時51分09秒)
http://homepage2.nifty.com/aleksey/LIBRA/kokugo_ronso_2.html
<引用>
『「言うまでもなく」ボクは「木村さまの改変の内容の道義的是非」と問うているのであって、「木村さまの法的権利の有無」を問うているんではないんですね。
</引用>
「道義的是非」なんてものを問ふ奴に、ろくな奴がゐたためしはない。それは當り前の事であつて、なぜなら人に他人を道義的に裁く權利はないからだ。
そもそも「正字正かな」論争のアレクセイさんの主張は…
『以下の論文は、私が「正字正仮名」に無知だということを前提としてなされる。すなわち「正字正仮名の長所も短所も基本的には知らない」という前提で書く、ということであり、その議論は「略字新仮名」を常用している私が、「正字正仮名」を「略字新仮名」よりも「優れたもの」と(詳しい検証抜きに)前提して、議論を進めるということでもある。』(「日常」という名の戦場でhttp://homepage2.nifty.com/aleksey/LIBRA/kokugo_ronso_1.html)
と宣言して始めておきながら…
『「言うまでもなく」ボクは「木村さまの改変の内容の道義的是非」と問うているのであって、「木村さまの法的権利の有無」を問うているんではないんですね。『表現の自由を認めるか認めないかは、「數の問題」では無い』としても、「道義的是非」の問題は、「多数決」という意味での『数の問題』ではなくても、「説得力」という意味での「数の問題」ではあるんです。』(「汝、まず自身に問え」http://homepage2.nifty.com/aleksey/LIBRA/kokugo_ronso_4.html)
と主張する。
これで正字正かなによる引用の「非」を論理的に論破できたと思つてゐるらしい…。
そもそもこれら一連の文章を「論文」だと云ひきるところが何とも恥づかしい。
ならば最初から、大勢の人に読み辛い正字正かなは嫌ひと「感想文」でも書ひておけば恥を晒さなくて済んだものを…。
論理的な正誤と道義的な善悪の区別ができず、論文と感想文の区別もつかず、良識と常識の区別ができず…ん?アレクセイさんはご自分と他人の区別も曖昧にしちゃうお人だつたんだおね…。
感想文しか書けないんぢや最早逃げ回るしかないのね…。可哀想なアレクセイさん…。合掌。
アレクセイさん、お久しぶりです。
「まずまずでんなあー。 投稿者:アレクセイ@管理人 投稿日:10月22日(火)21時53分45秒」のご自分の發言を繰り返すアレクセイさんの「学習能力」も危ぶまれます。自虐は良くないと思ひますよ。
アレクセイさんが、私たちにもつと書き込ませる爲、故意に人の神經を逆なでするやうな事を書いてゐるのは、わかつてゐる事です。そんな文章の書き方に集中してゐて、自分の文章に支障を來たしてゐるやうなところはありませんか?
自分で人に、散々「道義的責任」とかおつしやる方なのだから、アレクセイさんなりに「道義的責任」を取らないのはをかしいだらうと申し上げておきます。
「応対しない権利」を主張なさるんでせうけれど、それならば「反論が出来ないからだ」と解釋されても構はない。これは『大人の「常識」』なんですよね。
(匿名を恥じない人々(1) 投稿者:アレクセイ 投稿日: 2月28日(木)16時53分47秒より)
https://www.angelfire.com/id2/memo/HoraAre/aleme61.html
アレクセイさん、あなたはどの自分の發言を信じてゐるのですか。
時と場合で變化したとして、或る事柄と、一定の距離を保ててゐるのですか。
まずまずでんなあー。 投稿者:アレクセイ@管理人 投稿日:10月22日(火)21時53分45秒
☆ 野嵜健秀・木村貴・真千絵さま もう少し頑張って下さい。あなた方をこの「掲示板荒らし」対策用掲示板に囲い込むということは、この掲示板 がそれだけネット世間に貢献しているということなのですから。 それに、学習能力がなくって同じことを繰り返すだけのあなた方が、どのくらい効果のない書き込みを続けられ るのか、それを見るのも楽しみです。 そんなわけで木村貴さん、いつも野嵜健秀さんに「おんぶにだっこ」じゃいけませんよ。それともご自身、今、 書き込みを続けても効果がないということに気がついて書き込みを止めておられるのですか? それならそれ で、それを野嵜さんにも教えてあげるのが仲間っていうもんじゃないんですか? 自分だけ「いち抜けた」はズ ルイ(笑)。 まあ、私としては正体不明の「掲示板荒らし」である「真千絵」さんと、3人揃って書き込んでくれた方がうれ しいんだけどなあー(笑)。
☆ 野嵜健秀・木村貴・真千絵・偽ホランドさま
もう少し頑張って下さい。あなた方をこの「掲示板荒らし」対策用掲示板に囲い込むということは、この掲示板がそれだけネット世間に貢献しているということなのですから。
それに、学習能力がなくって同じことを繰り返すだけのあなた方が、どのくらい効果のない書き込みを続けられるのか、それを見るのも楽しみです。
そんなわけで木村貴さん、いつも野嵜健秀さんに「おんぶにだっこ」じゃいけませんよ。それともご自身、今、書き込みを続けても効果がないということに気がついて書き込みを止めておられるのですか? それならそれで、それを野嵜さんにも教えてあげるのが仲間っていうもんじゃないんですか? 自分だけ「いち抜けた」はズルイ(笑)。
まあ、私としては正体不明の「掲示板荒らし」である「真千絵」さん、偽「ホランド」さんと、みなさん揃って書き込んでくれた方がうれしいんだけどなあー(笑)。
>自分の価値観を揺るがす意見に対しては、確固たる価値観を持っていない者ほど「拒絶的」になるものである。
アレクセイさんが逃げ回つてゐる理由(わけ)でしゅ。
>『同好の士』が集まって、楽しく語らうこと、それ自体を否定する必要はない。事実、私自身もそれを楽しんでいる一人である。ただし、問題はそうした結束が「外」に向かった場合、えてして「反省を欠いた、自己正当化・自己防衛のシステム」と変じてしまうという現実である。
木村貴氏がアレクセイさんのダブハンのホランドに怒つた最初の発端でしゅね。
>「仲間」がいれば、それを直視することが避けられる。「あいつは何もわかってないよね」「そうそう、何にもわかっていないバカ者だ」「本当に可哀想なやつだよ」と言い合っていれば、ひとまず「自分の価値観」は守れるからである。
アレクセイさんがホランドやナイルズと云ふ分身を必要とする理由でしゅ。
>自分のなかに「幻想の根拠」を見るのは困難だが、他人の中に「幻想の根拠」を見るのはわりあい容易である。だからこそ「マイナーな趣味の持ち主」ほど、お互いの「持ち上げ合い」をする。これは他人の知性に対して「謙虚」だというようなことではなく、ただ自分の趣味を正当化するために、他人にその「根拠」を押しつけるべく、他人を責任者へと「祭り上げ」ているに過ぎないのである。
アレクセイさんが自作自演の実験をせずにはをられない理由でしゅ。
>「文は人なり」とよく言うが、私はこの「原則」信じている。もちろん、人には「隠蔽的」「欺瞞的」テクニックというものがあるから、一見しただけで「文は人なり」と言えるような保証はまったくないのだが、「原則」的には、読み手にそれ相応の読解力があれば、その文章の中に書き手の人柄を洞察することは可能だと考えるのである。
アレクセイさんはご自分の「精神的な脆弱さ」を告白してゐましゅ。
議論に人の人格を持ち出して來るのはいつもアレクセイさんです。アレクセイさん御提供の「資料」を讀めば明らかです。
それと
<引用>
「仲間」がいれば、それを直視することが避けられる。「あいつは何もわかってないよね」「そうそう、何にもわかっていないバカ者だ」「本当に可哀想なやつだよ」と言い合っていれば、ひとまず「自分の価値観」は守れるからである。
http://homepage2.nifty.com/aleksey/LIBRA/siteiron.html
</引用>
アレクセイさんの仲間がどうだとかゐないとか關係なく、自分を批判してゐるとわかると相手を「付き合うに値しない」と言つて締め出してゐるアレクセイさんは、ご自分をどう思つてゐるんですか。「自分の価値観」を守つて安心してゐるのですか。
何だか、アレクセイさんの云ふ事は、正しい事を考へると云ふよりも、自分を正しい者にしたいだけのもののやうな氣がします。だからその場その場で主張が變はつてしまふのではないのですか。