[ TeaCup Free BBS ] [ Level1 BBS ] [ Domain! ] [ Books ] [ 前ページへ ] | Reload |
>「掲示板荒らし」呼ばはりする掲示板管理人とは、まともな議論は不可能ですよ。
と言う人が、「議論に応じよ」と馬鹿の一つ覚えを繰り返す「自己矛盾」。それにも気づかない、この救いがたき愚かしさよ。
>私の事を田中幸一氏は右翼と決め附けてゐる。田中氏の頭が惡い決定的な證據である。
「右翼の恥さらし」とは、「まともな右翼」ではないということです。わかりますか?
私の事を田中幸一氏は右翼と決め附けてゐる。田中氏の頭が惡い決定的な證據である。
>7.16日赤旗に宮本議長の「原水禁運動と我が党の立場」談話が掲載された。これを見る に、概要「残念ながら今起こっている問題というのは、民主運動にあるまじき問題です。いろ んないきさつはありますが、原水協の全国理事会で選んだ新執行部、それらを認めるか認 めないかが問題にされ、選任されなかった一部の者が乗り込んで、自分が真の代表だと いって頑張っている」という認識を示している。以上見てきた経過からすれば、まるで盗人 猛々しい説教強盗の論理であることが知れる。更に宮本は云う。「他の団体の人事問題に 干渉して、これを認めないという議論をもてあそんで事実上の干渉を続けることは、自分が 持ち上げた石で、大きく自らの足をくだく、そういうことになるということを私は率直に警告し たい。そこから起こる一切の困難、一切の紛糾、それは、そういう不当な干渉をやった人が 自ら負うべきものである、ということも付け加えたい」とも云う。こういう事実逆転の詐術的物 言いが再びここにも登場しており、あまつさえ品の悪い例えで恫喝さえしている。この恫喝も 勝てば官軍式の言いたい放題の感がある。実際にそれなりのことをすることを思えば、この 権力の由来はどこからきているのであろうと、私は訝る。http://www.marino.ne.jp/~rendaico/nihonkiyosanto_nokenkiyu_toshi_44.htm
> 8.26日付け赤旗は、「金儲けと反共のもたれあい」と題する6段の論文(執筆者T・R)を 掲載した。それによると、党中央のこの間の「指導」を堂々と居直り、詭弁を弄している。その 論旨はこうである。そもそも党員は自ら規約を承認して入党しており、当然党規約の拘束を 受ける。党員の規約違反容疑に対して、党機関がしかるべき調査を行い、党員の規律違反 を未然に防止する措置を敏速、適切に講ずることは、それぞれの機関と党組織の義務でも ある。それは政党の内部自律権の行使であり、憲法の保障する結社の自由の内容の重要 な一部である。これを「出版の自由」などというのは、結社の自由を否定するものでしかな い。日中出版が「自由と民主主義の宣言」を持ち出して、「言論、出版、その他の表現の自 由」を主張するが、それは都合のいい方を持ち出しているに過ぎない。「自由と民主主義の 宣言」は「結社の自由」をもうたっており、日中出版党員が党の綱領や規約を承認した上で 入党した以上、その拘束を当然受ける。党と日中出版との問題は、党生活、党内規律、結 社の自由の問題であり、それを「出版の自由」問題にすりかえている出鱈目である。つま り、@・党員は自らの自由意志で入党している。A・政党には内部自律権がある。B・党員 は、党生活において党内規律と規則で制限される、という三段論法で、党中央の独裁を理 論付けしていることになる。
> 「結社の自由」を「言論、出版、その他の表現の自由」と対立させ、「結社の自由」を優位に たたせるこの党中央の論理は、宮顕仕込みのご都合理論である。党中央に限りない権力が 集中され磐石の態勢下にある中で、この鬼の金棒論理を振り回すとどうなるか。それはファ シスト体制に道を開くことになる。http://www.marino.ne.jp/~rendaico/nihonkiyosanto_nokenkiyu_toshi_44.htm
【原水協古参幹部粛清事件】
【日中出版社が「原水協で何がおこったか、吉田嘉清が語る」を緊急出版】
の項は興味深い。
言論の自由を否定した日本共産党のやり方と、田中幸一氏のやり方は、そつくりである。http://www.marino.ne.jp/~rendaico/nihonkiyosanto_nokenkiyu_toshi_44.htm
私がいつどこでそんな事をしましたか?
見え見えの嘘を吐くのも大概にしたら何うですか?
日本共産党が反對者を攻撃するやり方と、田中幸一氏が反對者を攻撃するやり方は甚だ類似してゐる。日本共産党は、氣に入らない事をした人間をすぐに「除名」し、反論を受附けず「赤旗」で嘲笑する。http://www.marino.ne.jp/~rendaico/nihonkiyosanto_nokenkiyu_toshi.htm
「道義的」「掲示板荒し」と感情的に喚きたてる田中幸一氏。
こういう論理も倫理も欠如した「左翼の面汚し」など、もとより議論の相手ではないですよ。
次の田中の書きこみ予想
「出ましたね劇団「乾杯」の山本握微さん。また猿真似ですか云々」
猿真似ってのはあってる。
田中という猿の滑稽な様子を、僕はおもしろいので真似ている。
木村貴さんは、柄にもなく「高みの見物」(笑)。
無鬼道人さんは、『?』を故意に見落とし。
野嵜健秀さんは、「ファンである」というのを読んで『心酔』していると言い換える。
こういう論理も倫理も欠如した「右翼の面汚し」など、もとより議論の相手ではないですよ。
映畫自體、そもそも「下らない」藝術です。