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●松金 題名:レスありがとうございました>野嵜様 投稿日 : 99年10月15日<金>10時30分
野嵜様の立場が私より厳しいものであることは重々承知いたしております。真摯なお返事、ありがとうごさいました。

「天皇」あるいは「皇室」については私なりの浅薄な考えはありますが、ここで簡単に紹介します(こてんこてんに反論されそうですが、覚悟の上です。私はただまじめな議論をしてみたいのです)。

皇室の歴史を普通にひもとけば、そこに「政治的人間」を見いだすことは容易と思われます。しかし日本ではシェークスピア劇の王達ように「赤裸々な生身の政治的人間としの天皇」を中心題材にしたまともな(アングラとか左翼とかが作ったものではなく、一般にもきちんと認知・評価されるような)劇や小説がつくられることは稀であり(というより少なくとも私は一つも知りません)、それは皇室がシナの皇帝とも西欧の王とも違う独特な社会的意味を、日本有史以来、人々の意識の中で担ってきた結果だと思われます。ひとことで言えば、実際には時々政治に関わってきたものの、究極的には「政治を越えた、政治の結果に左右されない司祭的かつ族長的役割」を日本人が認めてきたのだと思います。「ジーザス・クライスト・スーパースター」というミュージカルは「1人の人間」としてのキリストを描いているようですが、天皇についてそのようなものが作られるとは今のところ考えにくいのです。

近代は過剰に政治的な役割(たとえそれが「君臨すれども統治せず」であるにしても)を天皇が担い、それがために天皇の本来政治を超越していた意味にたいする評価が分裂しているものと思います。「天皇なしのナショナリズム」が(私は勉強不足でこの言葉の正確な定義を知りませんが)、天皇をそのような近代の課した過剰な政治的役割から解放し(それは日本をとりまく対外的な情勢に応じて担っていただいたものなので)、超越的な役割へ回帰していただくことを意味するのならば、傾聴に値すると思います。そのように考えれば、たとえば「謝罪」のために外国に出かけていただくなどということをしていただく必要はないのです。

以上です。単純すぎますでしょうか。
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●野嵜健秀 題名:あなた任せの保守主義では困る>松金樣 投稿日 : 99年10月15日<金>07時27分
いらつしやいませ。「現代かなづかい」の書込みでも構はないです。

私は、左翼思想に安易にかぶれたり、よく考へないで左翼思想を信奉したりする事を否定すると同時に、右翼思想に安易にかぶれたり、よく考へないで右翼思想を信奉したりする事を否定します。物事をよく考へたら、右も左もない――さう思つてゐます。或は「氣分左翼」が「氣分右翼」になつたところで、日本が良くなる筈はないと思ひます。

小林秀雄は一流の文章家です――個人的には、一般に言はれるほど、小林の思想は偉大ではないと思ひますが。しかし福田和也は僞物です。「天皇拔きのナショナリズム」と云ふのは、天皇の厄介な問題を囘避しようとするものだから、ただの「逃げ」でしかありません。物事を深く考へないのなら、或は考へる事を棚上げしたり、あなた任せにしたりするのなら、保守派だらうが進歩主義者だらうが關係なく大馬鹿野郎です。

「言葉 言葉 言葉」は右に屬するが、同じ右の間違ひを許さない。政治の名に於て人間の知性を否定するのは唾棄すべき事だからです。だから私は政治主義に盲ひた人間をこつ酷くやつつける。私は別の場所で、「南京虐殺」肯定派を狷介だと罵つた。しかし人間は狷介である事こそ大事だと、實は私は信じてゐるのであります。非常にきつい事を申しました。しかしきつい事を言はなくなつたら私は終りですから止めません。
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●松金 題名:はじめまして 投稿日 : 99年10月14日<木>18時16分
興味深い内容のHPなのでときどきROMしていました。

私は保守思想に共感をもつ普通のサラリーマンなので、仮名遣いはご容赦ください(ダメといわれればなにも書きませんし、これも削除してください)。

以下は、こちらを全体的に拝見して私が思ったところなどです。
高度な内容ではないのでお時間が許せば読んでください。

私は小林よしのり氏や西部氏など「わかりやすい」保守の人達をマスメディアで知り、最近は小林秀雄氏、福田和也氏などをときおり読みます(最も愛読するのは永井均氏ですが。永井氏は「近代」を「すべてを等質化していく」ものとして批判しています)。いわゆるミーハーな保守だとは思いますが、現在の日本では一般にそういうルートで保守思想に触れる場合が多いかと思われます。そういう一般人に戦後民主主義の意味を「考える」機会を増やしているという点では西部氏や小林氏の少なくとも活動目的は、保守派から評価されてもよろしいのではないでしょうか。私は彼らの活動がきっかけで普段問題にしないことを考え始めました(もちろんきっかけにすぎず、私と彼らは色々な点で意見が異なります)。近代的価値観について疑問を持ち、かつ自分の言葉でそれを表明する勇気を持っているなら、現在のような、ほとんどの人が「アメリカ直輸入」の価値観に意識の大半を占拠されている日本においては広い意味で「保守派」だと思います。

仮名遣いの問題が大変重要だということはこちらで学ばせていただきましたが、主張自体に目を向ければ福田氏と西部氏の差はマルクスとハイエクほど離れているとは思えません。私の考えでは、保守の考え方の核心は「人間理解」において常に「現実の人間(死者を含む)」から理解していこうとする態度にあると思います。その意味では2人とも保守派と言えるかと思います。

仮名遣いに関しては、私は「戻しても良い」と思います。私のような一般人は、国が決定すれば従います。形を「くずしていく」ことは「過去の痕跡」を消していくことです。単純に言って、過剰な進歩主義は人間を根なし草にするだけだと思います。

駄文失礼しました。それでは。

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●野嵜健秀 題名:限界しか書かなかつた事 投稿日 : 99年10月14日<木>07時14分
唐木順三の紹介で、唐木の限界を指摘するだけのやうな文章を書いたのは、確かに一方的で公正を缺いてをります。
ただ唐木が左翼的であるのは事實であり、にもかかはらず唐木の書いた中世の日本に關する批評がすぐれてゐるのも事實であり、そして科學技術の進歩に對する唐木の嘆きが愚かであるのも事實であります。


>そもそも唐木の戰前の著作に左翼的な思想の所在が指摘される位なのである。

そもそも、これは他人樣の指摘なのであり、この一文を以て私が非難される謂れはありません。
私は上の文章に續けてかう書いた。

>遺稿『「科學者の社會的責任」についての覺え書』など、とても悟つた老人の書いたものとは思はれない。まるでそこいら邊にごろごろ轉がつてゐる左翼かぶれが書いたやうな核兵器彈劾の駄文である。唐木も靜かに怒つてゐる分にはよかつたのである。怒りをはつきり表明した『覺え書』を私は高く評價しない。

『「科學者の社會的責任」についての覺え書』が「とても悟つた老人の書いたものとは思はれない」のは事實であり、「まるでそこいら邊にごろごろ轉がつてゐる左翼かぶれが書いたやうな核兵器彈劾の駄文である」のも事實である。私の唐木評は「唐木も靜かに怒つてゐる分にはよかつたのである。怒りをはつきり表明した『覺え書』を私は高く評價しない。」なのである。
私が「粗雜な論理」に基いて文章を書いたと萩原さんは非難なさるが、私に言はせれば、萩原さんこそ粗雜な文章の讀み方をなさつてゐるのであります。
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●野嵜健秀 題名:「不潔」な言葉 投稿日 : 99年10月14日<木>03時11分
私にしてみれば「はは、〜」などと云ふ言葉の方が餘程不潔であると思ひます。
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●萩原 題名:野嵜さんへ 投稿日 : 99年10月14日<木>00時56分
>自分の尊敬する人物の「缺點」を指摘されたからといつていきり立つ事ほど愚劣な事はありません。

はは、「いきり立つ」ですか。「左翼的な思想の所在が指摘される位なのである」などという「不潔」な
言葉にぶつかった時に、相手にするのを止めれば良かったかな。まあ、相手にしたのは唐木さんへの愛情
故かもしれません、あるいは野嵜さんへの愛情故かもしれません。ということで、本書き込みをもってこ
の掲示板から失礼させていただきます。

萩原

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●野嵜健秀 題名:萩原樣へ 投稿日 : 99年10月13日<水>00時31分
唐木は價値體系の崩壞を論じたとおつしやいますが、それこそ愚論です。それあ原爆が使はれれば價値體系も何も崩壞しますよ。しかし價値體系の崩壞を論ずるために原爆をネタにする事はない。「問題意識」なんてどうでもいい。大事なのは論の進め方です。
唐木は思想にせよ、原爆にせよ、同時代のものを冷靜に論ずる事が出來なかつた。そこに唐木の限界があるんです。私は中世の日本人を扱つた唐木の文章はよく出來てゐると思ふ。しかし『「科學者の社會的責任」についての覺え書』は駄目です。根本的に間違つてゐるんです。「社會的責任」なんて論ずる必要もないものを、一生懸命論じたつて無駄です。その背後に「問題意識」があらうがなからうが關係ない。

唐木順三にせよ小林秀雄にせよ、限界があつた事は事實――それを指摘して何が惡いんですか。自分の尊敬する人物の「缺點」を指摘されたからといつていきり立つ事ほど愚劣な事はありません。
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●萩原 題名:RE:思想家の立場 投稿日 : 99年10月12日<火>18時03分
野嵜さん、こんばんは。

まとめレスはあまりやらないほうがいいですよ。

>しかし唐木は自己を滅却することを最後までやり通せなかつた。原爆を發明したと云ふの
>を責める事はない。たかが原爆である。自我を滅却出來るのに、自分の生命を失ふのには
>我慢がならぬ、と言ふのは筋が通らない。

再度書きますが、唐木さんの問題意識の根本にあるものは「眞、善、美といふ價値體系の崩
壊」です。断じて「自分の生命を失ふのには我慢がならぬ」などという愚劣なことを言って
いるのではありません。こういうあまりに粗雑な「論理」を相手にするのも時間の無駄です。

萩原

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●野嵜健秀 題名:思想家の立場 投稿日 : 99年10月12日<火>00時43分
保守派が保守主義になれば、それは態度をイデオロギーへと變化させたのであり、思考を硬直化させた或は停止させたと言へます。しかし態度を變化させただけならばそれは思考停止とは言へまい。
小林秀雄ははじめから、自らの經驗や自らの見た現實を信頼すると云ふ態度をとつてゐたのであり、それは死ぬまで變らなかつたと思ふ。小林は日本人の持つべき限界を持つてゐたが、その限界を信じてゐたやうに思ふ。ドストエフスキーを論じて小林は日本人らしい誤りをおかしてゐる――ロシア文學を論じて小林はロシア人にならなかつたのである。
福田恆存はどうかと言へば、理想を信じ切れず、現實を信じ切れぬ事を意識しつつ、時と場に應じて理想的立場でも現實的態度でも自在にとらうとしたのではないか。「平和論に對する疑問」に對應する形で「防衞論に對する疑問」を書き、「右傾化」する現實に應じてイデオロギーを乘換へた知識人を斬つた後期の福田の「思考が次第に硬直的になつた」と私は信じない。
さて『反近代の思想』の參考書にマルクスが擧げられてゐるやうに、マルクシズムもまた近代への反逆である。唐木順三が左翼の影響下に出發したことは、萩原さんも認めていらつしやる事實である。唐木は進歩的な立場から進歩主義の陷穽を見出したのだと思ふ。
さて、『現代史への試み』以前と、『詩とデカダンス』以降で、唐木は著作のスタイルを變へてゐる。『現代史への試み』以前の著作で唐木は同時代の思想を自身の立場から批判し、『詩とデカダンス』以降では自身の立場を棚上げして過去の思想を追體驗しようとしてゐる――私はさう讀んだ。或は、日本の中世について書く時、唐木は自己を滅却して對象に臨んでゐる。私はその「自己の滅却」に、唐木の眞骨頂があると思つてゐる。近代的な自我を意識的に殺すこともまた近代人に必要な生き方だと思ふからである。
しかし唐木は自己を滅却することを最後までやり通せなかつた。原爆を發明したと云ふのを責める事はない。たかが原爆である。自我を滅却出來るのに、自分の生命を失ふのには我慢がならぬ、と言ふのは筋が通らない。

さて小林よしのりはと云ふと――『ゴーマニズム宣言』第7卷が出てゐたが、私は古本屋に出るのを待たうと思ふ。小林よしのりの立場は、一貫して低俗かつ輕率であると言へよう。言ひかへれば、子供つぽい素直さしか、小林よしのりは持つてゐないのである。
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●萩原 題名:RE:唐木順三のページ作成 投稿日 : 99年10月11日<月>00時23分
野嵜さん、こんばんは。

>草野心平が書いてゐる樣に、唐木はその「内部にはいつでも怒りがとぐろをまいてる」批評家であつた。
>唐木は理想が現實になる事は當然だと考へてゐたのではないか。そもそも唐木の戰前の著作に左翼的な思
>想の所在が指摘される位なのである。唐木は現實に對する激しい不滿を抱いた理想家であつた。
>
>遺稿『「科學者の社會的責任」についての覺え書』など、とても悟つた老人の書いたものとは思はれない。
>まるでそこいら邊にごろごろ轉がつてゐる左翼かぶれが書いたやうな核兵器彈劾の駄文である。唐木も靜
かに怒つてゐる分にはよかつたのである。怒りをはつきり表明した『覺え書』を私は高く評價しない。

いやはや、なんとも雑な批評ですな(笑)。「戰前の著作に左翼的な思想の所在が指摘される位」などと聞い
た風なことを書かないで、「この部分!」と自分で指摘されたらどうですか?それになぜ「指摘される位」な
のでしょう?戦前において左翼の影響があったらいけないのですか?そんな馬鹿な(笑)!
『「科學者の社會的責任」についての覺え書』を読み直しましたが、私はそれほど「怒りをはつきり表明した
」ものとは感じませんでした。私からすればいつもの唐木さんの文です。『覺え書』の中にも引用されていま
すけど、同じことは『朴の木』に収められている「科學者の社會的責任の問題」でも書かれています。この中
でも「眞、善、美といふ價値體系の崩壊」ということについて書いています。私は『覺え書』を読んでも「そ
こいら邊にごろごろ轉がつてゐる左翼かぶれ」なんぞとは思いませんけどね。唐木さんが「悟つた老人」であ
ったかどうか、私は知りません。「唐木は理想が現實になる事は當然だと考へてゐた」かどうかも知りません
。まあ、唐木さんに教えられた一遍の言葉を引用すれば、

 よろづ生きとしいけるもの、山河草木、ふく風たつ浪の音までも、念仏ならずといふことなし

という所ですかね(笑)。

それでは、南無阿彌陀佛南無阿彌陀佛。

萩原

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●TN 題名:こんにちは 投稿日 : 99年10月11日<月>00時22分
こんにちは。二度目の書き込みとなりますTNです。
以前に福田さんは弟子に恵まれなかったと書いたのはむろん乱暴でした。ただ「日本への遺言」などという「ダサい」タイトルを文庫本になっても変えない連中には一言くらい厭味を言わずにはいられなかっただけです。

前置きはこれくらいにして、福田さんの文章について書き、野嵜さんはじめ福田ファンのご意見を伺いたいと思います。

最近、全集を読む順番が話題になっているので思い出したのですが、私は福田さんの文章を読むたびに前から初期から後期への変化が気になってなりません。大学時代に福田さんについて英文学のある教授と話したところ、「私は福田恆存は実は嫌いなんだ、初期のあの豊かな可能性が後期にいくと失われ、硬直的になっていったのはなぜなんだ」といわれました。念を押しておきますが、私自身は福田さんの大ファンで、20代にしては実に珍しいほど著作を読んでいると自負しております。

しかし、この教授の発言についてはわかる気もします。それは単に論争文で、保守反動的主張をするようになった、というようなイデオロギー的な裁断ではありません。たとえば、同じ「保守反動的な」論争文でも「平和論の進め方についての疑問」「常識に還れ」「アメリカを孤立させるな」と見た場合、明らかに後期に行くにつれ、より思想的に硬直的になり、つまらなくなっているように思います。(むろん絶対的にではなく、比較の問題ですよ)。全集について言えば、私は論争文よりも芥川論(それもはじめに書かれた晦渋な方)と嘉村論、それに「芸術とはなにか」がとりわけ好きですね。自分の全集を見返すと、一巻と二巻が特に真っ黒になっています。

そういえば、こうした思想が次第に硬直的になっていくという現象は小林秀雄や、最近の小林よしのりまで同じようなことはいえますね。いろいろと考えさせられてしまいます。「初期は良かったのに後期は悪くなった」というのは通ぶった連中の常套句ですが、もう10年以上気になっていることなので言ってみました。
と思っていたら福田先生はこうおっしゃっています。
「元来、ぼくは長所をほめ、そのあとで抜かりなく弱点を指摘して引きあげるというやりかたがきらいである。みみっちく、貧乏くさくてやりきれないのだ。そんなことをするくらいなら黙っているがよい。徹底的に愛するか、徹底的に憎むか、そのいずれかだ」(「太宰治」)。すみません、余計なことを書いたようです。

余計なことを書きついでにもう一つ。「否定の精神」のことです。この本は福田さん自身が評価しなかったらしく、著作集・全集のいずれにも収められていません。国会図書館にはありますが、それ以外で入手できませんでしょうか。だれかご存知でしたらおしえてください。

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●MEPM 題名:保守本流の思想とは 投稿日 : 99年10月10日<日>11時14分
傳統を保守する立場から云へば、新仮名遣ひなど使つてはをれない。しかし一方で、「反近代の思想」には、さう云つた保守本流の考へ方とは別個に、現實主義的な考へ方があり、私が鈴木孝夫氏に興味を持つたのはその點である。例へば彼は、現行憲法(福田恆在氏流に云へば「當用憲法」か)について、軍隊も公式に認められないと云ふその奇矯性を嘆きつつも、「現實にさうなつてゐる以上は、それを對外的にも押し出して行くべきである」と云つた趣旨のことを述べてをられます。
かう云つた考へ方は、一見「古きをしつかりと守る」と云ふ保守の考へ方になつてゐない樣でもありますが、一方では近代的な國家觀をある程度相對化する樣な契機も孕んでゐる樣に觀じます。
これらの點について、皆さんはいかがお考えですか?私などはまだ考へが纏まりませんで、取り留めのない記述になつて仕舞ひ申し譯ありません。
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●野嵜健秀 題名:唐木順三のページ作成 投稿日 : 99年10月9日<土>06時09分
當初は簡單に幾つか代表作を擧げる程度で濟さうと思つてゐたが、書いてゐるうちにほぼ完全な單行本リストを作つてしまつた。文庫のデータなどが拔け落ちてゐるのは、私が持つてゐない爲です。また、なぜか全集と「唐木順三文庫」のデータが拔けてゐます。それらの一部しか持つてゐないせゐです。しかし全集、單行本、文庫をあはせると、私は唐木さんの殆どの著作を持つてゐるんだよなあ。
唐木さんは、私が福田恆存さんの次に熱心に讀んだ評論家です。

http://user2.allnet.ne.jp/noz/KARAKI/index.html
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●野嵜健秀 題名:正統表記關聯アプリケーション一覽 投稿日 : 99年10月8日<金>18時22分
IME用正字正かな辭書に關するリンク集を改修しました。御覽ください。

http://user2.allnet.ne.jp/noz/kotoba/KokugoHoshu/IME.html
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●野嵜健秀 投稿日 : 99年10月8日<金>14時46分
こんにちは。

時枝誠記博士の御弟子さん達が正字(一部新字)正かなで本を出さうとしたら、出版社から拒否されたさうです。それでも1篇だけは正かなのままで通したんです。勁草書房の『現代言語學批判』(三浦つとむ編)です。

大陸と對立する臺灣では、今でも正字を用ゐてゐますね。領土を失つても、傳統を失ふまいとする中華民國の姿勢が現れてゐます。

さて、私がどのやうにして正字正かなを入力してゐるかと云ふと――Windows用のIME・WX-3に正字正かなづかひ辭書『北極三號』を組込んで實現してをります。『北極三號』はフリーの辭書です。
場合によつては、松茸 for Windowsに申申閣の『契冲』を組込んだものを使ひます。『契冲』は現在、22000圓で入手出來ます。詳しくは「廣告」のページを御覽ください ^^

WX用の『北極三號』の他に、ATOK用のフリーの正漢字正かなづかひ辭書が存在します。入手方法等は「WWW上の國語國字問題」のページに書いてあります ^^;

http://user2.allnet.ne.jp/noz/kokugowww.html
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●MEPM 題名:どうもご親切に 投稿日 : 99年10月8日<金>12時33分
色々とご教示ありがとうございます。福田全集の2巻・3巻からまず読んでみようと思います。福田氏の文章といえば、以前、憲法論と「弱者天国論」の2論文(評論?)を読んだだけですが、気骨ある感じが伝わってきました。

・・・ちなみに私も正字正かなの入力方法を知りたいのですがどうやっているんですか?

それから、鈴木氏は、私の記憶違いでなければ、常用漢字制定に携わったのではないかと思います。仮名遣いの変更事態には否定的ではなかったのではないかと考えられます。
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●萩原 題名:RE:なぜ鈴木氏は現代假名遣を用ゐる 投稿日 : 99年10月8日<金>00時19分
野嵜さん、こんばんは。

>鈴木氏の發言には參考にすべき内容が多數含まれてゐるのだが、なぜ鈴木氏は現代假名遣を用ゐるのだらう。

あはは!橋本進吉博士の直弟子の大野晋氏はなぜでせうね。

中國の漢字の略字化も非道いですね。あれでは中國?千年の膨大な古典類が外國のものの
やうになつてしまふでせう。中國では反對運動は起こらないのかな?

野嵜さんは正字正かなの入力になにを使つてゐます?


PS:たつたこれだけの文だけど、正字正かなになつてゐるかな(笑)?

萩原

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●野嵜健秀 題名:鈴木孝夫氏 投稿日 : 99年10月7日<木>15時09分
鈴木氏の發言には參考にすべき内容が多數含まれてゐるのだが、なぜ鈴木氏は現代假名遣を用ゐるのだらう。
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●萩原 題名:鈴木孝夫と福田恆存。 投稿日 : 99年10月5日<火>20時43分
MEPMさん、野嵜さん、こんばんは。

「諸君」の鈴木氏の文、立ち読みして来ました。文の中に「金を払って敵をつくる」と
いう言葉がありましたね。現状はさらに悪く、貸した金で日本に向けられる核ミサイル
が開発されているようです。鈴木氏のものは数年前に岩波新書の『ことばと文化』(題
名はあっているかな?)を読んでから興味をもって、何冊か読みました。どの本か忘れ
ましたが、日本の近代化(西洋文明の吸収)に果たした漢字の大きな役割が書かれてい
ましたね。漢字廃止論者が読んだら、あれで納得するだろうか(笑)?最近、中公文庫
に「人間にはどれだけのものが必要か」(これも題名うろ覚え)が入りましたね。

私は福田さんのものはあまり真面目に読んでいないのですが、一押しは『人間・この劇
的なるもの』(中公文庫)。『私の幸福論』(ちくま文庫)もいいですね。『私の国語
教室』(中公文庫)は2,3度挑戦しましたが、いつも習得編でつまずきます。ああ、
情けない(^^)!

皆さんは、どういう環境で正字正かなを入力されているんでしょう?

萩原

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●野嵜健秀 題名:福田恆存全集の讀み方(私案) 投稿日 : 99年10月5日<火>20時32分
私は全集を一〜五卷までしか持つてをりません。六、七卷所收の分は新潮社の單行本で讀みました。一應全集の讀み方を考へてみましたので書いておきます。

一卷はとりあへずパスしませう。「一匹と九十九匹と」は「教養」として讀んでおいてもよいかも知れません。
二卷『西歐作家論』(シェイクスピア〜ヘミングウェイ)は必讀。
三卷『人間・この劇的なるもの』を讀んでから「平和論にたいする疑問」に戻る。
4卷「きのふけふ」「寸感」を讀んで『私の國語教室』へ。ついでに「私の幸福論」をつまんでもいいでせう。
……以上を讀んだら第五〜七卷は普通に讀める筈です。或はここで八卷の創作篇に行つてもよいと思ひます。

もう一つの讀み方は、意地になつて最初から通して讀むことです。これは、挫折する可能性があつたり、まるで修行みたいになりかねなかつたり、餘りメリットが感じられない讀み方ですが、そこまでして讀切れれば、福田さんの全貌がわかるでせう。

他の讀み方として、私がやつたやうに、新潮社などから出てゐた単行本を集めて讀むといふやり方があります。全集よりも單行本の方が讀みやすい造本・印刷ですので、意外とおすすめ――といふより、私みたいな「本の蟲」向きの讀み方です。取りこぼしが出ますので、普通の人には餘りおすすめ出來ません。
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●野嵜健秀 題名:福田恆存さんの本 投稿日 : 99年10月5日<火>20時10分
確かに全集は讀みにくいです。初期のものほど文章が晦渋なので、第一卷から讀むと確實に挫折します。
文春文庫の『日本への遺言』や『日本を思ふ』から入つてもいいのですが、どうせ興味を持つたのですから、斷片的にではなくてまとめて讀んだ方がいいと思ふのです。全集を讀むといふのは、小林秀雄おすすめの讀書法ですし。

福田さんを扱つた「研究書」はおすすめしません。皆今一つ出來がよくありません。矢張り福田さんが書いたものに直接當るのがよいと思ふのであります。

それから、福田さんの飜譯も見逃せぬものです。シェイクスピアが有名ですが、寧ろ『福田恆存飜譯全集』第八卷がおすすめです。日本一面白い戲曲のアンソロジイと言へます。

實を言ふと、昔新潮社から出てゐた『福田恆存評論集』全七卷が、内容といひ、分量といひ、手頃な福田入門でした。私はこれで最初に福田さんの文章を讀みました。
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●MEPM 題名:そうですね。 投稿日 : 99年10月5日<火>15時15分
読んでみました。鈴木さんらしい、積極的な主張だと思います。彼は常に「自分の立場からの発言」を心がけているようで、その点が信頼できますね。
さて私も、福田恒存について少しばかり勉強してみたいと思うのですが、全集をひも解くのも大変なもので、何かいい福田思想への入り口になる著書はありませんか?もしよろしければお教え頂きたく思います。
それでは失礼します。
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●野嵜健秀 題名:「英語で『日本文化』を發信せよ」>MEPM樣 投稿日 : 99年10月3日<日>14時00分
こんにちは。

鈴木孝夫氏の「英語で『日本文化』を發信せよ」と云ふ論文が「諸君!」1999年11月號に掲載されてをります。今の日本に於ける英語教育には目的が無い、英語は學びたい者だけ學べば良い――など、極めて常識的な内容です。

鈴木さんは常識を信頼してゐるやうに思はれます。この掲示板は「反近代の思想」と名前を附けてゐますが、そんな思想はない譯で、まあ要するに常識的な話をしたいといふだけです。或は常識を信頼する事こそ「反近代の思想」と呼べるのではないか。

鈴木さんの『私の言語學』(大修館)の末尾にかうあります。

>私は一應言語學が中心的な專門といふわけですが、究極の目的は、言語を手がかりとしての人間理解だと思ふ。

「常識」「反近代の思想」と申しますが、矢張り人間理解こそ學問の目的でせう。或は人間そのものへの興味を學問は忘れてはならないと思ひます。鈴木さんはそれを忘れてゐない。しかし世の中、「人間不在」の議論が餘りにも多い。困つたものです。
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●MEPM 題名:こんにちは。 投稿日 : 99年10月2日<土>20時50分
久々に来ましたら、だいぶ発展しているようで、なによりです。
さて、国語国字問題の論者として鈴木孝夫氏が紹介されておりましたが、
私が氏の著書を一時期読みあさった際に、
彼は反近代の思想という意味でも興味深い部分が多いように思いました。
野嵜さんは鈴木氏についてはいかがお考えでしょうか?ぜひ拝聴いたしたく存じます。
それでは失礼いたします。
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●野嵜健秀 題名:「反近代の思想」 投稿日 : 99年10月1日<金>23時32分
大仰な題名をつけてゐますが、餘り氣にしないで下さい。「言葉 言葉 言葉」が國語問題と思想の二つの領域を扱つてゐるので、掲示板も分けてみただけです。

cyberclickの掲示板は、テレホーダイの時間帶でも輕いみたいです。TecCupの掲示板が重い時はこちらに書込んで下さい。
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