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●野嵜健秀 題名:『芭蕉』 投稿日 : 99年10月24日<日>17時55分
保田與重郎著『芭蕉』が講談社學術文庫に入つてゐます。
それから『日本の橋』(?)が講談社文藝文庫に入つてゐたと記憶します。
ちなみに、桶谷秀昭の『保田與重郎』は駄本です。
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●松金 題名:ありがとうございました>ますみ様 投稿日 : 99年10月22日<金>11時09分
情報ありがとうございました。近所の本屋に注文してみます。
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●ますみ 題名:>松金 さん 投稿日 : 99年10月22日<金>07時05分
保田與重郎の著作は、現在、新学社より「保田輿重郎文庫」
として文庫版で続々刊行されています。
「英雄と詩人」「日本浪曼派の時代」「和泉式部私抄」等が
既にお求めになれます。
ところで、「月光仮面」「座頭市」等の作者としても有名な
川内康範も元々は日本浪曼派の作家だったのらしいですが、
浪曼派時代の彼の業績について詳しくご存知の方、
教えていただけると幸いです。
よろしくお願いします。
http://www.geocities.co.jp/Colosseum-Acropolis/8313/
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●野嵜健秀 題名:たぶん、観客の皆さんは理解されていると思いますよ(^^)。 投稿日 : 99年10月18日<月>10時41分
TeaCupの掲示板の方を御覽ください。
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●萩原 題名:而今の山水は、古佛の道現成なり 投稿日 : 99年10月17日<日>22時31分
>要するに萩原さんは、唐木が信じてもゐない事を平氣で述べたと言ふんですね。まさかあれが唐木
>が評論に書いた事ではなくて、講義の中で口にした事だから、區別すべきだなんて云ふんぢやない
>でせうね。或は唐木の客觀的な解説は許すが、私の客觀的な解説は許せぬ、なんてダブルスタンダ
>ードを使ふんですか。呵々。
私は多くを説明するのはあまり好きではありません。レスはタイトルにつきてます。
『正法眼藏』の山水經の冒頭にある言葉です。これで理解して下さい。たぶん、観客
の皆さんは理解されていると思いますよ(^^)。
萩原
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●松金 題名:勉強することが増えました 投稿日 : 99年10月17日<日>18時55分
ご教授ありがとうございました。今後(手に入れば)教えて頂いた文献を見てみたいと思います(しかし、保田與重郎の本は現在簡単に手に入るのでしょうか?)。
皇室の意味については、今後も考えていこうと思います。野嵜様のいわれる文化的意味(西欧文化を受容せねばならなかった日本における、日本の独自性の象徴としての天皇の意味)は、西田幾太郎が西欧哲学との対決の末に皇室の意味を考えなければならなかったように、避けられないと思います。
ひとつ言い忘れました。私は憲法改正賛成派ですが、天皇の規定は現行憲法の方が明治憲法よりも良いのではないかと思っております。政治責任はあくまで天皇を補弼した者が負うべきだという(西欧的)論理は明記すべきだと思うからです。
もうひとつ、小林秀雄氏に対する評価は、野嵜様はかなり厳しいみたいですので、機会があればその理由を具体的に教えていただければと思います。私は小林氏の「感受性」に理屈を越えて「共感」する部分があることを感じています。いつかそれを言葉にできればいいのですが。それでは。
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●野嵜健秀 題名:ほほう 投稿日 : 99年10月17日<日>03時36分
確かに、私も「これは非難される事ではない」なんて書いたのは拙かつたですよ。でも、唐木が左翼的である事を萩原さんが一々擁護する必要はないですね。
>最初に私が一遍さんの言葉を引用した意図がたぶん通じていないと思いますので、ちょっとだけ補足しておきます。唐木氏の「理想が現實、どこがをかしいんだ」はあくまで「宗教的経験」を解説したものであり、これをもって「唐木は理想が現實になる事は當然だと考へてゐたのではないか」ということにはなりません。「それは宗教的経験ではないですか」と問う意図で一遍さんの言葉を引用したのですが、通じるわけがないですね(笑)。
要するに萩原さんは、唐木が信じてもゐない事を平氣で述べたと言ふんですね。まさかあれが唐木が評論に書いた事ではなくて、講義の中で口にした事だから、區別すべきだなんて云ふんぢやないでせうね。或は唐木の客觀的な解説は許すが、私の客觀的な解説は許せぬ、なんてダブルスタンダードを使ふんですか。呵々。
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●萩原 題名:RE:限界しか書かなかつた事 投稿日 : 99年10月17日<日>01時16分
野嵜さん、こんばんは。
インターネットでは削除、変更がきかないようで(私が知らないだけかな?)、私の書き込
みの文言の削除を行いに来ました。先回の私の書き込みの下記の部分を削除します。
>>まあ、相手にしたのは唐木さんへの愛情故かもしれません、あるいは野嵜さんへの愛情故
>>かもしれません。
実際のログを削除していただく必要はありません。
>そもそも、これは他人樣の指摘なのであり、この一文を以て私が非難される謂れはありません。
ああいう言葉が評論の中に出て来たら、私はその文を糞壺に投げ捨てます。評論はすべから
く自らの責任において書くものであり、「他人樣の指摘」に頼るものではない、と「私は」
思っています。
最初に私が一遍さんの言葉を引用した意図がたぶん通じていないと思いますので、ちょっと
だけ捕捉しておきます。唐木氏の「理想が現實、どこがをかしいんだ」はあくまで「宗教的
経験」を解説したものであり、これをもって「唐木は理想が現實になる事は當然だと考へて
ゐたのではないか」ということにはなりません。「それは宗教的経験ではないですか」と問
う意図で一遍さんの言葉を引用したのですが、通じるわけがないですね(笑)。
萩原
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●野嵜健秀 題名:皇族を扱つた文藝作品 投稿日 : 99年10月16日<土>02時34分
福田恆存に『有間皇子』がありますね。(實は持つてゐない)
小説でも御芝居でもありませんが、保田與重郎は「日本語録」で昔の日本人を論じて、生身の人間像を作り出してをります。その中には日本武尊、神功皇后、宗良親王、といつた皇族の方々もとりあげられてをります。
源氏物語、太平記などの軍記ものにも、天皇や貴族が登場します。
明治・大正・昭和初期の頃、日本人は天皇を絶對者として崇めてゐました。もちろん天皇は人間であり、絶對者ではない。しかし絶對者を戴く西洋を日本に導入するために、絶對者ではない天皇を恰も絶對者であるかのやうに見做したのは、日本人の智慧です。しかし天皇は絶對者でないから、大東亞戰爭で日本が負けると「人間宣言」を出して人間になつてしまつた。
それを嘆いてもしかたがないが、それでいいのだと言ふのも安易です。日本人は考へる事が嫌ひだが、天皇の問題を考慮の外にして、形ばかりナショナリズムを論じても、身につく筈がありません。保守派の方にならば通ずると思ふのですが――猿眞似では駄目なんです。西歐の思想なんて、所詮「上滑り」にしか日本人は理解出來ぬのですが、だからと言つて最初から理解しようと努力しないなんて、そんな情けない話はありません。
天皇の問題は日本の傳統の問題と云ふだけではなくて、日本の傳統と西歐思想の衝突の問題なのであります。或は日本人は明治時代、天皇と云ふ假の「絶對者」を立てて西歐を受容れようとした。今の日本も、西歐受容の過程にある――ならばそれまでやつてきた方法を投捨てて一からやり直すのでない限り、天皇による西歐受容を續けなければならない。
單に政治的立場とか、役割とか、さう云ふ觀點で天皇を見てはならぬのであります。
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