先日は大変お世話になりました。其れで最近、何か。(仮)を入れて見ました。お蔭様で何とかする事ができました。
「MIDI盗作」問題での引用部分
<引用開始>
なぜこうなってしまったか? を先に究明し、えろーる氏の心の動きを理解せずしては、彼から真の謝罪も生まれないでしょう。
<引用終了>
上記段落の開始タグが抜けているようです。
<や>を使つて<pre>〜</pre>と書かうとしたが、どうしてもダメだ……
下の變な部分は<pre>〜 TCUPはタグが有效といふことを忘れてゐた……
〜で圍まれたテキストのうち、半角英數がMSゴシックになつたり、Courierになつ
たりする現象を發見。この掲示板も、本文中の半角英數字が、今ではMSゴシックで表示されてゐる
が、時々Courierで表示されてしまふことがあります。
「誤變換によるTYPOの訂正禁止。」に關してですが、「闇黒日記」など、此處のサイトのコンテンツ内の TYPO 報告を含むのでせうか。それとも單に掲示板投稿者が自身の投稿の TYPO を發見した場合に訂正するな、といふことでせうか。
稀に TYPO 指摘報告をしてゐるので氣になりました。
「先行者」萌え。中華帝國萬歳。
此れで支那も××の仲間入りだ。
闇黒日記の「平成13年4月13日」において
「勉強を詩ない下請に」→「勉強をしない下請に」、
「下請をきちんと管理して、ネットワークを組ませり」→「下請をきちんと管理して、ネットワークを組ませたり」
ではないか、と思いました。以上です。
さつき打つたのは、かなづかひの間違ひだらけだ……鬱だ氏なう
侍魂で紹介されてゐた例のサイトのURLを見附けたので紹介。(要簡體字フォント)
取り急ぎ、大雑把な譯も付けました(間違ひもあるかもしれぬ)。
國防科技大學校友主頁聯盟トップページ http://go8.163.com/~nudtally/
該當のページ http://go8.163.com/~nudtally/nudt/achievements/achievements_robot.htm
1990年に開發成功した二足歩行ロボットは我が國の科学技術のギャップを埋め、世界的レベ
ルに到達した。2000年、人型ロボットは國家の十大科学技術成果の一つに選ばれた。
ある日本語サイトは科大のロボット(そのサイトは、それを中國の最高の科学技術の結晶と認め
ている)と、日本のホンダ・ソニーのロボット(日本の最高水準の代表)とを詳細に比較してい
る。これはそのサイトにある圖である。
左圖:ホンダの自立式二足歩行ロボットASIMO
右圖:ソニーのロボットSDR-3X
そのサイトのアドレスは(日本語を正常に表示するには、日本語ランゲージパックをダウンロー
ドする必要がある):
http://www6.plala.or.jp/private-hp/samuraidamasii/kikaku/kahou/kahou7.htm
同じく、そのサイトは彼らの収集した國防科大のロボット「先行者」の寫眞を載せてゐる。「先
行者」の方が柔軟性を持ち、運動性能と武器搭載能力のあることを述べている。下の三つの寫眞
はそのサイトからのものである(本當かどうかは讀者が自分で考えること):
日本人の眼から觀た中國國防科大のロボット「先行者」
『空想より科學へ』の引用部分、cite要素の終了タグが欠けているようです。
ごぶさたしております。先日は blockquote 云々の件でお世話になりました。ありがとうございました。
「闇黒日記」の 3 月 28 日分より引用
> 屁理屈太郎氏のやうに、論理的に考へれば、理屈をつけるまでもないものに理屈をつけて、ごね(てみ)る人もゐますが。
そのようにご理解いただけると嬉しいです。ええ、ごねてるだけなんです(なにしろ「屁理屈」のサイトなもので……)。すいません。
「闇黒日記」の 3 月 27 日分より引用
> 見出しは見出しであるが故に目立つやうにすべきであると考へます。
賛成です。見出しは目立つようにすべきだと考えます。
目立たせるためにはいろんな方法(字を大きくしたり、太くしたり、斜体にしたり、下線を引いたり、枠で囲ったり、配置を変えたり、などなど)があるので、わざわざ CSS などで見栄えを指定する場合には、どの方法で目立たせるのが適切なのかを吟味するのが良いと考えます。
目立たせる方法に頓着しないのであれば、特に CSS などを指定せず、ブラウザに任せるのが良いと思います。書くほうも楽だし、読むほうもいらぬ気をまわさなくてすむし、ブラウザの差異を考慮しなくていいし、ネットワークの負荷も少なくなります。いいことばかりです。
「闇黒日記」の 3 月 27 日分より引用
> どうして自分の意見を他人に推奬しないのが、立派な事なのでせうか。自分の意見を他人に推奬しないのは、「自分の意見に自信がない」と言つてゐるも同然ではないですか。
私は「屁理屈を積極的に推奨するのは立派ではない」と考え、屁理屈に関する場合に限って推奨しない立場をとっています。今回の発端となった私の文章は「日常の屁理屈」内の文章なので、これに関する限りは推奨しない立場をとり続けるつもりです。
「父親の屁理屈」や「日常の屁理屈」以外のところ(会社や家庭を含む)では、自分の意見を推奨するよう日々努力しています(まだまだ未熟ですが)。私も、自分の意見は推奨するのが普通だと思います。
Piro さんの意見を私が推奨するかどうかは、まだ決めかねています。肯定はしたものの、まだ「自信がない」状態です。安易に肯定するのは私の悪い癖です。反省しています。ご指摘ありがとうございました。
今後ともどうぞよろしくお願いします。
>『東京BABYLON』とか云ふ漫畫もあるみたいですよ。絶對に讀まない。
私は、結構この漫画が好きなのですが。鮮烈なラストシーンは、
交換としての「供儀」と「聖婚」とも読めて、身震いがします。
というか、CLAMPの作品は優劣ありすぎです。
「片端」には、正常な釣合ひが取れてゐない事を比喩的に表現する場合があります。
「障碍者」は、本来の意味に限定して表現してゐるのだと考へてゐます。然し、「碍」と「害」では意味が違ひますから、使分けが必要です。
RE: 文章の平易さ
死郎さん、いつも貴重なご意見ありがたうございます。
> ごもっとも。仰る通りです。
> ここを書いたとき頭にあったのは新聞紙面というよりも、わざと難解に書いているとしか思え
> ない政治関係の文書でした。しかも英訳文とは明らかに意味が違っていたりする代物の話。
> ああいうのは政治家の保身以外には百害あって一利なしと思ったもので。
昨今の政治家が使ふ言葉には、色々な部分に「政治的な専門用語」と呼べるやうな難しい表現が見られるやうです。
場面場面によつて色々な文体を使分ける必要がありますが、本来の民主主義に則つて物事を表現すれば、自ずと言葉自体も平易になつて行くと思ひます。
日本語自体を「平易なもの」にする為に「当用漢字」や「現代かなづかい」が制定されましたが、実際に「平易なもの」になつたのかどうか疑問だと思ひます。
初めまして。気になってしょうがないことがあってお尋ねします。上司が、私にものを頼むとき、「〜してもらっていいですか?」とおっしゃるのです。なんだか変な感じがしてなりません。
> 恣意的な「漢字制限」は、厳に慎むべきと云ふ点では同意です。唯、言葉自体を平易にする努力と言ふのは如何なものかと思ひます。
>物事を「平易」に表現するエネルギーを費やす位ならば、物事をより正確に表現するはうが好ましいと思ひます。
ごもっとも。仰る通りです。
ここを書いたとき頭にあったのは新聞紙面というよりも、わざと難解に書いているとしか思え
ない政治関係の文書でした。しかも英訳文とは明らかに意味が違っていたりする代物の話。
ああいうのは政治家の保身以外には百害あって一利なしと思ったもので。
お久しぶりです。いつもお世話になっております。
で、kotobaseekにおいて、私のサイトの引用およびiso-htmlの紹介のuriが旧アドレスのままでしたので、お伝えします。
サイト中に間違いがあれば、御指摘いただければ幸いです。
また、少々気になったのですが、xhtml1.1ではobject要素はサポートされたようです。
実際、サブセットのxhtml basicでも使えることになっておりますし。
あと、htmlの歴史の中で、iso-htmlやxhtml-basicの話はされる予定なのでしょうか。
もしよろしければ、御検討願います。
確かにこれは止めて欲しい。
置き換えがいかんとは思わないけど
(アホらしい話であると思うけど、確かにいま誰かに「片端」と
直接言われたらたぶんぶん殴る)、
あまりにみっともない表記過ぎる。
「障碍(礙)者」と「障害者」に関してはべつにどっちでもいいです。
というかもともと僕は表記法や文法を
統一しよう(規制しよう)という考え方自体に違和感がある。
「正しい日本語の規則」が理念として必要だとは思えないのです。
もっとも、現に国家がそういう政策を採っている以上、
それに反抗する個人による「正しい日本語」を主張する論客が
出てくることは当然だと思うし、それは大いにやって下さいと思いますが。
というわけで野嵜さんもがんばって下さい。
考え方は違いますが楽しく読ませていただいているので。
せめて「閉鎖」でなく「休止」であれと願ふのは私だけでせうか。
ウヱブサイト制作者は、精神的に疲れたら、時には休むことも必要であるものですが、
閉鎖によつて「言葉 言葉 言葉」なる厖大な情報を納めたサイトがすっかり無くなるのは實に惜しい。
「言葉 言葉 言葉」の「閉鎖の文句」は、恐らく、「あの科白」に間違ひなからうと私は睨んでゐる。しかし、そんな科白は見たくも聽きたくもないので、どうぞ宜しくお願ひします。
> 『障がい者』のような一熟語に漢字仮名が混在した表記は醜い(且つ見にくい・読みにくい)
> ので避けてほしいところです。『ら致(拉致)』や『危ぐ(危惧)』といった記述に遭う度に
> そこまで読んでいたリズムが一時中断してしまい、気分もよろしくありません。全く、“害”が
> 駄目だと言うなら“碍”に戻せば良いというのには賛成です。
「障碍(礙)者」が「障害者」に書き改められたのは、「当用漢字」の制定と其の構想に起因する事は明白な事実です。
該当なされる方々におかれましては、其のやうな事情を正しく判断する為の土壌が現在の日本には無いと云ふ事が、ある種の悲劇でもあります。
必ずしもも「害」に値する事象が自身の身に振り被つてゐる訳では有りませんし、其のやうな方々も世間で立派に働いてゐるのも事実であります。
> 当用漢字、常用漢字といった恣意的な漢字制限は文化の破壊でしかなく、愚行に思えます。
> それよりも言葉自体を平易にするよう努力すべきでしょうね。或いは適宜ルビを振るなどした
> ほうが、よほど国民の教養レベルを高める効果があると思うのですが、如何。>新聞各社
「ルビ」に就いては我が意得たりです。
恣意的な「漢字制限」は、厳に慎むべきと云ふ点では同意です。唯、言葉自体を平易にする努力と言ふのは如何なものかと思ひます。
言葉は必要な時に必要な表現で行はれるものです。必ずしも「平易」な表現で無ければならない道理はありません。寧ろ、多種多様な表現が可能であるからこそ「表現の自由」が重要視されるとみるべきでせう。
物事を「平易」に表現するエネルギーを費やす位ならば、物事をより正確に表現するはうが好ましいと思ひます。
当の「日記」のご本人からは未だ反応無しのやうです。
平成13年4月6日
そろそろ默るべきかな。
サイト閉鎖の文句は考へてある。
そんな弱気な野嵜さんの発言は信じられません。
『障がい者』のような一熟語に漢字仮名が混在した表記は醜い(且つ見にくい・読みにくい)
ので避けてほしいところです。『ら致(拉致)』や『危ぐ(危惧)』といった記述に遭う度に
そこまで読んでいたリズムが一時中断してしまい、気分もよろしくありません。全く、“害”が
駄目だと言うなら“碍”に戻せば良いというのには賛成です。
当用漢字、常用漢字といった恣意的な漢字制限は文化の破壊でしかなく、愚行に思えます。
それよりも言葉自体を平易にするよう努力すべきでしょうね。或いは適宜ルビを振るなどした
ほうが、よほど国民の教養レベルを高める効果があると思うのですが、如何。>新聞各社
抑々、「障害者」と云ふ言葉自体が書換へです。以前、野嵜さんも言及されてお出でだと記憶します。
「当用漢字」制定以前は、「障碍者」(尚、碍の正字は礙)と書くのが正しかつたのです。
「害」の意味は傷附ける・悪い状態にする・禍などの「負の印象」が附きますが、
「碍」の意味には邪魔をする・妨げるとかがあり、必ずしも「負の印象」で捉へられるべき漢字では有りません。
障碍・妨碍・阻碍・碍子・障碍者・障碍物競争、云々、「当用漢字」で「碍」を除外してしまつたが為に意識的に書換へられてしまひました。
「害」に「負の印象」があると云ふ理由で、更に、「障がい者」に書換へを行ふ事に根本的な意義はありません。
或は、「碍」であるべき部分を不当な理由で「害」に書換へさせる要因を作つた「当用漢字」に抗議すべきでせう。
言葉を使ふ上で妨げ得ない変化は、或る意味仕方無いのですが、意識的に変更を加へる事は、殊「記述言語」では避けるべき事項であるとの態度であります。
こんにちは。
>「知事宛」にメールを送つたつて、知事本人が讀む譯はないんですが
(「闇黒日記」より)
數年前、高知縣知事の橋本大二郎氏に「知事宛」メールを送つた時はご本人に讀んでいただけたやうで、ご返事までいただき驚いたことがあります。有名な知事でもご本人が讀んでいらつしやることはあるやうです。今でも讀んでいらつしやるかどうかは分かりませんが。
3月下旬分へのアンカーが、中旬と同じものを指しています。