>私は面白い本を探したい時、面白かつた本の註や參考文獻の欄を讀み、そこから新しい本をた
>ぐつてゆく。自分では「ネットサーフィン」ならぬ「ブックサーフィン」と呼んでゐるが、こ
>れが私の發明なら特許を出願したい。註や參考文獻は、書物のリンク集である。
私は6年くらい前にそれを「ハイパーテキスト的讀書法」と命名してゐました。
HTML文書のネットサーフィンは餘り知らなかつたけれども、Windows3.1のヘルプがハイパーテ
キストの仕組みになつてゐることは知つてゐたので。
辭書や百科事典を引く時に他の見出しに飛んで關聯した情報を調べていくことや、聖書の脚注を
參照して關聯した事柄を述べた場所へジャンプすることを、さう命名してゐましたが、成る程、
參考文獻からリンクしていくことも確かに出來ますね。
2ちゃんねるへ歸れ!
可哀想に。
もう少し詳しく調べてみました。
餘計な御託を並べるな。身の程を知れ。
> 此処が結論だ。D.D.氏自身が主張した「やむを得ない改変」をいともあつさり否定しちまつたよ。
正当な権利だとはいえ、わざわざ事を荒だてる必要なんてありません。;p
そもそも、僕は最初から XHTML + XKP でマークアップしますよ。
なるべく改変せずに、という主義ですから。
> と、先の発言も誤解された模様です。
> ちょっとだけ追加 投稿者:近藤@古代図書館 投稿日: 5月23日(水)03時37分32秒
> への返信だということです。
> つまり、引用された者が「引用の際に改変することは失礼だ」というようなことを言った際に、引用者が「引用ではない」と引用自体を否定はしていなかったから、それは引用のつもりなのだろう、ということです。
> そこに
逃げてる逃げてる。
> とか言われても、誤解としか言えないんですけど。曲解なのかも知れませんが。
根拠も出さずによく言ふよ。
> そう結論するのは自由なのですが…。「何らかの不満」ということは、どのような不満があった場合にもってことですよね?そうだとすると、それは一般化しすぎでしょう。
頭の硬いD.D.氏は逃げる事しか頭に無いんだね。もう批判も受附けないよ。
> 辰吉丈一郎 投稿者:ペトロニウス 投稿日: 5月26日(土)23時33分52秒
> (snip)
> > と主張されたら、何か面白い事になりさうですね。
> おそらくは XHTML + XKP でマークアップしなおすと思いますが、面白いでしょうか?
此処が結論だ。D.D.氏自身が主張した「やむを得ない改変」をいともあつさり否定しちまつたよ。
D.D.氏は大嘘吐きです。皆さん、よく覚えておいて下さい。もう一度言ひますよ。D.D.氏は大嘘吐きです。こんな奴の言ふ事に耳を貸す必要は有りません。
嘘吐きは泥棒の始り。精々泥棒して警察に捕まらないやうに注意ろ。D.D.氏に最後の通告だ。
ペトロニウスさん,こんにちは。
引用の際は私の価値観(というほど大層なものではないですが)を立てていただいて,ありがとうございます。
ペトロニウスさんとは,「引用は改変する可能性もある」そして「その改変にもある程度の限界がある」というところまでは,一致していると思います。以前の発言で,読み手を意識してルビを振る場合などは,遅れ馳せながらうまい例だと思いました。これが引用でないとすると,疑問ですものね。
そこで「コミュニケーション性」(「対話性」と言う方が短くてよいかもしれませんが)のことですが,コミュニケーションを取るための「引用」というものがどういったものであるべきかは,非常に難しい問題だと思いますし,ひとつの答えが出るとは到底思えません。決まったやり方でしか
対話できないとなると,それはそれで偏っていますし,それほど社会は単純にできているとは思えないからです。
ペトロニウス wrote:
> 真にお互ひが尊敬し合つて議論できれば、「略かなから正かな」への変更など気にせず、「中身」で勝負となる筈です。
私もそう思います。コミュニケーションさえ確立していれば,そのような変更は取るに足らない変更なのでしょう。それは,引用文にルビを振るのと同じように考えられると思います。問題は,コミュニケーションを確立するための入口なんでしょうね。私もPC Tipsからこの掲示板に入ったものですから,掲示板も正仮名で議論されているのを見て当初はびっくりしたものです(正仮名はコンテンツ製作者の趣味程度だと思っていた)。
そして,私の場合,この「びっくり」緩和の手段というか,そういうものをある程度講ずる必要はあるのだと思います。でも,この議論は時期尚早でしょうね。もう少し掲示板というものを見つめる必要がありそうです。
いずれにせよ,「正仮名は悪いから引用は駄目である」(当然その逆も)というような浅薄な議論は避けなければないと思います。どこの世界でも問題になりうることなのですから。
> 日本人は、絶對者を戴く分化を、本質的に理解出來る筈はないが、
^^^^
こうして何もかもバラバラに相対的になってしまうのです。
正かなでも現かなでもどっちにしても所詮私らは日本人。
> D.D.は拙文「D.D.理論を嗤ふ」における通告を無視して、私の文章を勝手に引用した。
議論の際に「引用するな」と主張する方が失礼である。
D.D.さん、毎度です。
> D.D.は拙文「D.D.理論を嗤ふ」における通告を無視して、私の文章を勝手に引用した。私は嚴重に抗議する。私は、D.D.の薄汚い文章の中に自分の文章を引用される事を甚だ「失禮」と感ずる。D.D.は、引用時に相手が「失禮」と思ふ事は惡だと主張してゐながら、自分はその「失禮」な行爲を平氣でやらかしてゐる。D.D.はとんだ二枚舌野郎である。
>
> 私の主張は無茶であらうか。そんな事はない。D.D.は、引用に伴ひ發生するであらう樣々な「失禮」のうち、なにゆゑ「表記變更」を特に禁止するのか、理由を全く述べてゐない。ならば、禁止が「失禮」な行爲全般(「引用そのもの」を含む)に當て嵌まると解釋されても文句は云へない。「違ふ」と云ふなら、「表記變更」を他の「失禮」と差別する理由を述べてみろ。斷つておくが、「意味が變る」は不可である。「失礼」と「失禮」とどこが意味が違ふものか。
>
> 愚かなD.D.は反論出來まい。いやいや、すでに「何か曲解されてゐる氣がします」などと、いかにも自信の無ささうな、それこそ「どーでもいい」事しか書けずにゐる。「どーでもいい」なら始めから何も書くな。資源の無駄だ。
敢へて木村貴さんの文を全文を引用させて頂きます。私の主張したかつた事を全て表現されてしまひました。
附加へてD.D.さんに申上げますが、上記引用を其の侭この私からも申上げさせて頂きます。
折角「まさに要注意ですね」とご指摘申上げたのに、到頭行く処まで行つてしまはれたやうです。力及ばずとはこの事か。
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/8882/dasoku/diary.html
AIANさん、ご意見ありがたうございます。
先づは、正かなへの変更をご快諾下さり誠にありがたうございます。正直に嬉しく思ひます。
又、AIANさんのお持ちの価値観に従ひ、読点の「,」は今后も変更致しません。
「私も,文章あるいは著作物の性質によつて「引用」が変はるといふのはあつてよささうだと思ひます(ちよつと軌道修正です)。」と、このやうにご理解下さつた事は、私の主張も或る種「現実性」があるとみる事ができさうです。一寸自信が附きました。
確かに掲示板での引用のルールと云ふのは、「掲示板の趣旨もまちまちですし,引用の礼儀みたいなものが確立されてゐないところがある」と感じてをります。其の中でもやはりインターネットではインターネットとしてのルールは適用されるべきです。
偶々此処では「正字正かな」が全ての内での基本的ベースとなつてゐますから、其れに対して批判的な意見が出ると此処ではいつもの如く論議が捲起る結果となります。「コミュニケーション性(造語)」とは良く言つたものですね。真にお互ひが尊敬し合つて議論できれば、「略かなから正かな」への変更など気にせず、「中身」で勝負となる筈です。
宜しければ拙文「何かの日記」もご覧下さい。
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/8882/dasoku/diary.html
近藤樣:
htmlの「あるがまま」の引用についての御指摘、興味深く拜讀しました。正字正假名と正しいhtmlとを論理性の觀點から同じやうに重視する事は、他ならぬ「言葉 言葉 言葉」及び「PC Tips」の作者たる野嵜さんがかねて實行していらつしやいます。私は正假名遣の方もよく間違ふのですが、htmlになると全くお恥づかしい限りで、まだまだこれからです。
AIAN樣:
早速の御返事有難う御座います。ここからは「信念と寛容の相剋」「正義と自由の關係」と云ふ、難しい問題に發展しさうです。今ちよつと時間切れになつてしまつたので、機會をあらためて考へを述べさせてください。
所用のため、數日間失禮いたします。
D.D.は拙文「D.D.理論を嗤ふ」における通告を無視して、私の文章を勝手に引用した。私は嚴重に抗議する。私は、D.D.の薄汚い文章の中に自分の文章を引用される事を甚だ「失禮」と感ずる。D.D.は、引用時に相手が「失禮」と思ふ事は惡だと主張してゐながら、自分はその「失禮」な行爲を平氣でやらかしてゐる。D.D.はとんだ二枚舌野郎である。
私の主張は無茶であらうか。そんな事はない。D.D.は、引用に伴ひ發生するであらう樣々な「失禮」のうち、なにゆゑ「表記變更」を特に禁止するのか、理由を全く述べてゐない。ならば、禁止が「失禮」な行爲全般(「引用そのもの」を含む)に當て嵌まると解釋されても文句は云へない。「違ふ」と云ふなら、「表記變更」を他の「失禮」と差別する理由を述べてみろ。斷つておくが、「意味が變る」は不可である。「失礼」と「失禮」とどこが意味が違ふものか。
愚かなD.D.は反論出來まい。いやいや、すでに「何か曲解されてゐる氣がします」などと、いかにも自信の無ささうな、それこそ「どーでもいい」事しか書けずにゐる。「どーでもいい」なら始めから何も書くな。資源の無駄だ。
投稿者:ペトロニウス 投稿日: 5月26日(土)13時46分43秒
> D.D.さんこそ誤解なさつてお出でのやうです。
(snip)
と、先の発言も誤解された模様です。
ちょっとだけ追加 投稿者:近藤@古代図書館 投稿日: 5月23日(水)03時37分32秒
への返信だということです。
つまり、引用された者が「引用の際に改変することは失礼だ」というようなことを言った際に、引用者が「引用ではない」と引用自体を否定はしていなかったから、それは引用のつもりなのだろう、ということです。
そこに
投稿者:ペトロニウス 投稿日: 5月23日(水)23時07分38秒
> この理論だと、引用された者が何らかの不満があり「失礼だ」と述べた時、引用者が引用自体の否定をしなければ「改竄」が成立するんですね。引用者の言ひ分を切つて捨てる何とも独善的な理論だ事。引用者に対して相当失礼ですね。
とか言われても、誤解としか言えないんですけど。曲解なのかも知れませんが。
> 結果的に、D.D.さんの主張-Aと主張-Bとは相受入れない性質の主張となつてしまつてゐると結論されます。此れは明かな論理矛盾です。
そう結論するのは自由なのですが…。「何らかの不満」ということは、どのような不満があった場合にもってことですよね?そうだとすると、それは一般化しすぎでしょう。
辰吉丈一郎 投稿者:ペトロニウス 投稿日: 5月26日(土)23時33分52秒
(snip)
> と主張されたら、何か面白い事になりさうですね。
おそらくは XHTML + XKP でマークアップしなおすと思いますが、面白いでしょうか?
揚げ足とってすみません(陳謝) 投稿者:AIAN 投稿日: 5月27日(日)03時29分10秒
表記變更と言論の自由 投稿者:木村貴 投稿日: 5月27日(日)07時51分56秒
> 「相手が失禮と云つてゐるのだから改變は絶體惡」と斷ずる
何か曲解されている気がしますが、もうどーでもいいです。
> 正假名遣なんぞに興味のない一般の人には、「論理的一貫性・美的統一」なんてものは伊達か醉狂にしか見えないでせう。D.D.のやうな人間はかう云ふでせう。「フォントの制約などの技術的理由なら仕方ないが、何で、お前らの伊達や醉狂のために假名遣を變更しなければならないのだ。默つて原文通りの表記にしておけば好いぢやあないか。我が儘を云ふな」。
ですね。
初めまして。
少し気になることがあって書き込ませて頂いたのですが、
「畧」は俗字ではないでしょうか。
(少なくとも角川の「新字源」ではそうとされています)
「旧字旧かな」でなく「正字正かな」であることにこだわるのなら、
こういった俗字・略字・誤字の類は不可だと思うのですが。
ただ、私自身それほど漢字に詳しいわけではなく、
もしかすると諸説のあるグレーゾーンの漢字なのかも知れませんが、
如何でしょうか。
こんにちは,ペトロニウスさん。簡単ながらお返事いたします。
また私の発言は,正仮名使いで引用されても結構です。
> AIANさんは「公的な立場であればあるほど,引用の正確性は要求されるもの」とされてゐます。確かに一理ありますね。公的と云つても色々な立場があります。私は引用を含む文章或は著作物の性質によつて引用の性質も変ると主張します。
法令関係の原文引用は絶対的ですが,私も,文章あるいは著作物の性質によって「引用」が変わるというのはあってよさそうだと思います(ちょっと軌道修正です)。これには様々な場面があって,定式化するのは骨が折れそうです。
法令の原文引用が絶対的なのは,日本が成文法国であるからという理由にあります。これは,学術的な目的であって,引用そのものを捉えているかというと多少疑問が残りますね。
その点,掲示板というのは,歴史的にも日が浅いですし,掲示板の趣旨もまちまちですし,引用の礼儀みたいなものが確立されていないところがあるように思えます。掲示板は,自己の主張の場であるとともに,コミュニケーション性(造語)が非常に高いのが特徴だと思いますが,うまい引用の方法というのはあるのでしょうか。
# 私の見解は木村さんへのレスを参照にしてください。
木村さん,はじめまして。レスありがとうございます。
私は,途中から議論に参加したものなので,木村さんの見解を十分に理解しているとはいいきれません。私の理解している木村さんの見解に間違いなどありましたら,申し訳ありませんが指摘していただければ幸いです。
また,木村さんの他の文章を拝読させていただきましたが,大変面白く勉強になりました。建設的な議論ができそうな気がします。
木村貴 wrote:
> 少し立法論に踏込んで、或いは法を離れてもつと理想論的に、表記變更と言論の自由の問題について御意見をお聞かせ願へれば
たしかにそうですね。なまじ法律屋さんのせいか,よって立つ価値基準が偏っていたと思います。今後特に必要のない限り法律論は避けようと思います。
木村貴 wrote:
> 「新→正」の表記變更を正當な權利、人間の自然權として訴へて行きたい。
私は,「正仮名使いは絶対悪」というつもりは毛頭ありません。正仮名使いは大切な文化であるし,十分に尊重すべき事柄だと思っています。まして,それが人の思想を表現する手段のひとつであって,その人の主体性を表現する手段のひとつである以上,何にもまして大切であるということは,文献等を参照するまでもなく実感しています。
そこで私の見解ですが,私には人はそれぞれがそれぞれの個性を持ち,これをお互いに尊重し合うことで初めてコミュニティが成立しうるという大前提の価値観があります。ですから,木村さんが「ロゴス」を重視して,自己の思想を正仮名使いで表現することも,私は尊重しているつもりでいます。
ただ,木村さんが正仮名使い表記を重視するのと同様に,私にも自分の表記について一定の価値観があります。この掲示板で正仮名使いを使わないことや,読点に「,」を使うこと等は私のポリシーです。他の人にも,多かれ少なかれこのような価値観があるのではないでしょうか。そして,引用者は自分の主張のために被引用者の文章を「借用」(と私は捉えていますが)する以上,できるかぎりその人の言論に伴う価値観を尊重すべきだと思うのです。つまり,木村さんが「人間の自然權」として正仮名使いを主張するように,他の人にも言論に伴う「人間の自然權」があると考えているのです。引用されることで,その「自然權」が一方的に無視されてしまうというのは,あまりに乱暴ではないでしょうか。
たしかに,引用における表記の方法というのは,このような価値観が真正面から衝突する場面であることから,難しい問題を孕んでいると思います。そこで,私は,引用する際の礼儀として「常識」という枠を一応設定したわけです。そして,一般的に「新→正」の仮名変更はあまりないことですから,「表記に大幅な変更が加えられて,主体性を侵害された」と感じる方がいても,不思議ではないと考えられるのです。先ほど「マナー違反」に言及したのは,以上のような判断からです。「マナー違反」は言葉としてきつすぎたかもしれません。
もっとも,一言に「常識」といってもそれは人によってまちまちですから,完全な解決にはならないと思います。しかし,逆にそれだからこそ社会というものは面白いのだと思います(これはある意味逃げに走っているような気もする)。
というわけで,(「著作権」は私もあまり詳しくないことから)法的な問題はさておくとして,具体的には,「諸注意」に「『新→正』という引用をする場合がある」と一言注記を加えていただくとか,初めての方には事情を説明するなどすれば,一応相手の主体性を尊重していることを示していることになって,トラブルも少ないと思うのですが。
# 「引用」って改めて考えると難しいですね。
失礼な事を書く人だ。
> おもしろいページがある、と言われてきました通りすがりです。
> もう一度来るかどうかわかりませんので、わたし宛のレスは不要です。
レスは不要ならば、最初から書くな。
> 文章の変更と名前の変更は同一視できない、というAIANさんの文書を引用したペトロニウスさんは文章の変更と名前の変更を同一視してD.D.さんに、名前の場合はどうするんだ、と聞いています。
曲解だ。D.D.さんは或る「文献」を引用した場合の事を論じてゐる。文献に人名或は著者の名前が出てゐても何ら不思議では無い。
抑々AIANさんも「文章の変更と名前の変更は同一視できない」などとは書いてゐない。
> これではD.D.さんも、文章の変更と名前の変更は同一視できない、としか答えようがないのではありませんか。
馬鹿も休み休み言ひ給へ。そんな事書いても単なる逃げとしか理解できないね。
> これでは論点をずらして相手をやり込めるだけで、議論とはいえないような気がします。
論点をずらしてゐるのはあんたのはうだらう。俺はD.D.さんの論を整理してゐるだけだよ。
> 名前の表記で関係者が怒った例を2つ知っています。
> 1.朝日新聞は人名用漢字を使用していませんでした。
> あるとき、坂本龍一を坂本竜一と表記したとき、ファンから朝日新聞に抗議がありました。
>
> 2.徳富蘇峰と徳富蘆花兄弟は仲の悪い兄弟でした。
> あるとき蘇峰は、蘆花をどう思うか聞かれたとき、
> おれの徳富の徳には点があるが、あいつにはない、
> とこれ以上あいつのことを言うな、という感じで答えました。
> (伝聞なので、もしかしたらそれを言ったのは蘆花かも知れません)。
出典が何処にあるのか判らないが、別の例を示して呉れてありがたう。此れについては感謝する。
唯、個々の漢字の特性から云つて、徳なら「横棒の有り無し」、富なら「点の有り無し」が正当な主張だらう。
> ところで、ここでは同じ意味だからといって、正かなづかいを旧かなづかいと書いては怒られるんですよね?
正かなづかひと「旧かなづかひ」は意味が全く違ふ。俺は此処の掲示板で其の点を既に指摘してゐる。(5/10)
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/8882/dasoku/diary.html
AIANさん、ご意見ありがたうございます。
おつしやりたい中身は判りました。話の判るお方のやうですので、此処では歴史的かなづかひでの引用をさせて下さい。
議員の氏名の件は詳しい事は存じません。確か以前の郵政大臣が藝名で議員に当選したのに郵政省告示で本名が出てゐたやうに思ひます。
私は、D.D.さんの論を整理してゐるだけです。変更と改竄の「その区別を被引用者の主観で決めるやうですね。この方法だと,引用は勝手にはできなくなつてしまつて,常に被引用者のご機嫌を伺はなくてはいけなくなつてしまひさうです。」と云ふ点は私も危惧してゐました。そして、更に踏込んだ処を私からは指摘してゐます。
引用をそつくり其の侭示す場合も確かにあります。AIANさんのおつしやる法令の関係もさうでせう。古典の写本の比較の場合もさうでせう。其れは其れでいいのです。
又、読む人のレヴェルに合せてルビを振つてみたり、漢字を仮名に変更したりする事も可能と判断します。
木村さんや野嵜さんは、自分がより正しいと判断する点に基いて仮名遣の変更を行つてゐると主張してゐます。
又、改竄と云ふ言葉には、既に決定された価値観が存在してゐる事を示唆してゐます。「常識的に考へてやむをえない改竄を「適当な改竄」」と云ふやうな表現をなさると誤解される可能性があります。
単に「適当な改竄」と出てゐると、「あいつは適当な奴だ」と云ふ場合の「適当な」と混同される場合も有得ます。
辰吉さんの例は所謂常識的な範囲での変更は可能だと理解します。唯、D.D.さんの論ではどうなるのか、どう云ふ返事が返つて来るのか非常に興味があります。返事が無ければD.D.さんは独善的な人間で、改竄をする人間と云ふ事で決定です。
AIANさんは「公的な立場であればあるほど,引用の正確性は要求されるもの」とされてゐます。確かに一理ありますね。公的と云つても色々な立場があります。私は引用を含む文章或は著作物の性質によつて引用の性質も変ると主張します。
「これでいくと「新→正」をことさらにするのは当然不適当」と言ふよりは、法令の関係の文献の引用では原文尊重、仮名遣の変更や漢字の字体の変更は行はない。と云ふ事がAIANさんの主張だと思つてゐました。
木村貴さん:
日本に以前からある文化を保存、普及していくという観点からも、正仮名遣いで文章を書かれる事は良い事であるとも言えると思います。
私は入力の困難性や他の文章との兼ね合いからも、使う事には少しためらいがありますが。(英数文字や記号が多い文章では違和感を感じたりもしますが、何より Canna は馬鹿なのです……)
ところで、データを記述する為の言語である HTML に関して拘る方も居る訳ですが、自分では表示に問題が無い、という理由で仕様に沿った形で書かない方も居れば、仕様に沿い、どんなユーザエージェントでもそのデータを任意に解釈して処理できるようにする意味からも、仕様に沿った形で HTML を記述する方も居ます。
後者の方が、例えば blockquote 要素を利用して「あるがまま」の引用をした場合に、例えば HTML 1.0 時代の、いわゆる「お尻 p」な文章を引用したりする場合や、marquee 要素が含まれる文章を引用したりする場合には原文のまま引用したりするのにはデータ構造が破壊される可能性や、仕様に無い要素が含まれる場合があり、やむを得ない改変が行われることもあるかと思いますが、新→正仮名遣いへの変更はこれに類する改変に当たるように私は考えます。
AIANさん、拙文をお讀みくださつて有難う御座います。私が自分の掲示板に書いた「傲慢について」と云ふ文章は、たまたま「レス」のやうなタイミングになりましたけれども、特にAIANさんを意識したわけでなく、讀んでゐる人全員に向けて書きました。いづれにせよ、反應してくださつて感謝します。
「マナー違反」(「失禮」と置き換へても結構です)の件ですけれども、引用された相手が氣分を害する事をもつて「マナー違反」とするのであれば、たしかに特定の場合に限り、表記變更は「マナー違反」でありませう。なぜ「特定の場合」かと云ふと、表記變更をされた人全員が氣分を害するとは思へないからです。まあ、嬉しく感ずる人が多いとは云ひませんが、さして氣にしない人も多いのではないでせうか。
と云ふよりも、人間とは、表記變更自體よりも、引用を通じて自分の文章がどう評價されてゐるかによつて、「失禮」と感ずるのではないでせうか。早い話、今囘の議論の火附役となつたトビデバにしたところが、もし私が「トビデバさんの意見は素晴らしい」と書いてゐたら、果して表記變更を「失禮」と云つたかどうか。
ついでに云へば、もしトビデバが私のヨイショに氣を好くして「いやあ、自分の文章を正假名遣で讀むのも好いものですね」と發言してゐたならば、「相手が失禮と云つてゐるのだから改變は絶體惡」と斷ずる馬鹿げたD.D.理論は根柢から崩れ去るだけでなく、逆に「被引用者が喜ぶのだから、新→正の改變は積極的に行ふべし」と主張せざるを得なくなります。これを要するに、AIANさんも同意される通り(?)、被引用者の氣分次第で引用が許されたり許されなくなつたりするD.D.理論は、全くもつて馬鹿げた代物であります。閑話休題。
AIANさんは、「マナー違反」だから、表記變更は謹むべしと云ふ御意見です。私はさうは思はないのです。AIANNさんによれば、表記變更は適法かどうか微妙と云ふ事ですが、少なくも明白に違法でない限り、いやいや假に違法であつても、私は「新→正」の表記變更を正當な權利、人間の自然權として訴へて行きたい。たとへ一部の人の感情を害する場合があるとしてもです。なぜか。弊掲示板でパスカルの例を擧げて説明したやうに、人間とは文章を綴る時に、論理的一貫性・美的統一を志向する本能があるからです。
正假名遣なんぞに興味のない一般の人には、「論理的一貫性・美的統一」なんてものは伊達か醉狂にしか見えないでせう。D.D.のやうな人間はかう云ふでせう。「フォントの制約などの技術的理由なら仕方ないが、何で、お前らの伊達や醉狂のために假名遣を變更しなければならないのだ。默つて原文通りの表記にしておけば好いぢやあないか。我が儘を云ふな」。
しかし、人間が人間らしいのは、「伊達や醉狂」に一所懸命になるからではないでせうか。「伊達や醉狂」を許容する社會こそ、文化的で自由な社會ではないでせうか。「伊達や醉狂」を排除する社會は、怖ろしく無味乾燥で野蠻で非人間的ではないでせうか。著作權の難しい話は判りませんが、もし現在の法體系が「伊達や醉狂」を容認しない方向に傾いてゐるのであれば、嘆かはしく、危險だと云はざるを得ません。
かう云ふ趣旨を理解して呉れる人であれば、必ずしも私の表記變更を「マナー違反」「失禮」とは受け取らないのではないか。そんな自惚れのやうな氣持ちがあるので、私は、表記變更を「マナー違反」とは思はないと書いたのです。勿論、それでも「マナー違反」と感ずる人はゐるでせうけれども。
法解釋學は重要ですが、時に窮屈な學問です。どうでせうAIANさん、少し立法論に踏込んで、或いは法を離れてもつと理想論的に、表記變更と言論の自由の問題について御意見をお聞かせ願へれば幸ひです。
今頃になって諸注意を読みました。
数々のご無礼があったようで,申し訳ありませんでした((笑)等は駄目なんですね)。
以後(といってもいつになるかは分かりませんが)気をつけます。
ペトロニウスさんはじめまして。AIANと申します。長文で失礼します
ペトロニウス wrote:
> 「土と口」の吉の字に限らず拡張新字体関聯の事例ならば色々出て来るでせう。
そうですね(笑)当該指摘はあの例だけということで。揚げ足取りでした。すみません。たしか,衆議院だか参議院の議員紹介ページでも,名前に正仮名を含む議員には注記があったと思います。本当に正式な場所では,あのようにやるんですかね。
私は,引用はそっくりそのまま示すのが原則であって,変更を加えた場合は改竄にあたるといいました。そして,改竄には適当なものと不適当なものがあるとも言ったと思います(言ってなかったら,ここで言ったことにしてください)。そこで,両者の区別が必要になるわけですが,D.Dさんの場合は,その区別を被引用者の主観で決めるようですね。この方法だと,引用は勝手にはできなくなってしまって,常に被引用者のご機嫌を伺わなくてはいけなくなってしまいそうです。ペトロニウスさんの批判はそういうことだと思います。たしかに,厳密にD.Dさんの理論を貫くと,ちょっと困りますね(すみません >D.Dさん)。
私の場合,両者の区別は常識の枠内か否かで判断すべきだと思っています。つまり,引用者が勝手に被引用者の文章を改変しないことが原則で,常識的に考えてやむをえない改竄を「適当な改竄」(この場合は「改変」というのが妥当でしょうか)のみが認められるとするのです。やむをえないという点は,D.Dさんも同じだと思いますが。
このような見解を導出するには,引用者の引用文の「書き手」が,いまだ被引用者に残っているということを前提にしなければ苦しいと思います。木村さんは,引用文の「書き手」は引用者だそうですから(リンクが消えてしまったので参照できません),根本的に見解が違うわけですね(苦笑)
そこで辰吉氏の例ですが,通常「土と口」の吉を「吉」と改めるのは,常識的な範囲だと思います。例えば,専門の出力装置を持っており,「土と口」の吉を出力するのが容易な引用者(そんな引用者がいるかは知りませんが)の場合は,変更する必要性がないのだから,そのまま引用すべきだと思います。同様に,手書きの場合は当然そのまま引用でしょう。一方,私達がコンピュータで出力する場合,Web上であろうとなかろうと,結局「土と口」の吉は出ないのだから,「吉」に置きかえても仕方ない思います。プリントアウトした場合に「手書きで補えば直るのであるから」という人がいると思うので,ここら辺は微妙ですけどね(笑)
また,発表する場にもよるでしょう。公的な立場であればあるほど,引用の正確性は要求されるものだと思います。
いずれにせよ,私の見解からは,引用に改変が加えられる場合というのは相当狭まります。そして,これでいくと「新→正」をことさらにするのは当然不適当になりますね。←論証できてます?
# あくまでも,法的な問題はさておきですよ。
# またレス取っちゃいました?
おもしろいページがある、と言われてきました通りすがりです。
もう一度来るかどうかわかりませんので、わたし宛のレスは不要です。
文章の変更と名前の変更は同一視できない、というAIANさんの文書を引用したペトロニウスさんは文章の変更と名前の変更を同一視してD.D.さんに、名前の場合はどうするんだ、と聞いています。
これではD.D.さんも、文章の変更と名前の変更は同一視できない、としか答えようがないのではありませんか。
これでは論点をずらして相手をやり込めるだけで、議論とはいえないような気がします。
名前の表記で関係者が怒った例を2つ知っています。
1.朝日新聞は人名用漢字を使用していませんでした。
あるとき、坂本龍一を坂本竜一と表記したとき、ファンから朝日新聞に抗議がありました。
2.徳富蘇峰と徳富蘆花兄弟は仲の悪い兄弟でした。
あるとき蘇峰は、蘆花をどう思うか聞かれたとき、
おれの徳富の徳には点があるが、あいつにはない、
とこれ以上あいつのことを言うな、という感じで答えました。
(伝聞なので、もしかしたらそれを言ったのは蘆花かも知れません)。
ところで、ここでは同じ意味だからといって、正かなづかいを旧かなづかいと書いては怒られるんですよね?
D.D.さんへのレスです。
AIANさんからのご指摘により、別の著作物は無いかと探したら、いいのがありましたよ。
> いわゆる一般的なパソコンでは(画像など以外では)表示できない文字
> (たとえば、「土」の下に「口」を書く「吉」)を使っている文献から、
> HTML文書として記述するものへの引用の際に表示できない文字を
> 表示できる文字に改変することはやむを得ないのではないかと。
>
では、D.D.さんが辰吉るみ著「無敵―わたしはリングに上がらない辰吉丈一郎」の文章や題名を引用したとします。其の時HTML文書で「辰吉るみ著「無敵―わたしはリングに上がらない辰吉丈一郎」」と書きました。
この著作物の記載では「土と口」の吉の辰吉を使用してをりますが、D.D.さんは上記引用の主張に従つて単なる辰吉で記載したとします。
更に、著作物の記載では「右上に点のある」丈の丈一郎を使用してゐますが、D.D.さんは上記引用の主張に従つて単なる丈一郎で記載したとします。
其れを見た辰吉るみさんから「表題の辰吉丈一郎は「土と口」の辰吉と「右上に点のある」丈一郎です。単なる辰吉丈一郎とは書かれたくありません。私の名前も「土と口」の辰吉です。単なる辰吉るみとは書かれたくありません。相当失礼な人ですね。」
と主張されたら、何か面白い事になりさうですね。
著作権もありますし、当然まだご健在ですよね。此れなら如何でせう。
カヴァもご覧下さい。
http://images.amazon.com/images/P/4583036442.09.LZZZZZZZ.jpg
AIANさん、はじめまして、
前回の私の発言では、飽く迄もD.D.さんの理論の中でどのやうになるのかを綜合してゐた迄です。
> ちなみに,「内閣告示」に著作権は及びませんし,吉田氏はもう死亡しているので改変も可能でしょう。
偶々、「土」の下に「口」と書く吉の字が出て来るやうな事例を探したら此れになつただけです。其れとも今生きてゐる人の著作物で示したはうが良いとのご意見せうか。「土と口」の吉の字に限らず拡張新字体関聯の事例ならば色々出て来るでせう。
ちなみに,「内閣告示」に著作権は及びませんし,吉田氏はもう死亡しているので改変も可能でしょう。
よくお調べになりましたね!すばらしいです。とても勉強になります。
掲示板の引用だけでなく,著作物一般に敷衍しておられるようなので,一応法律的な見解を述べさせてもらいます。なお,私の専門は刑事法で無体財産法ではないので,解釈論にまで踏み込むつもりはありません。一般に認められている範囲で紹介するだけにします。
周知のとおり,公開された著作物は,「現」著作権法(平成11年6月23日法律第77号)32条1項によって「引用」することができます。しかし,公開されていれば全てよいかというと,そういうわけではなく,著作権者のとの関係で一定の制限が設けられています。すなわち,同20条および同32条等の制限です。
同32条は「引用」それ自体のやり方を規定したものですが,この条文だけでは包括的に過ぎ,何を言っているのか分かりません。そこでこの条文に関する判例を調べたところ以下のものが見つかりました。「引用とは、紹介、参照、論評その他の目的で自己の著作物中に他人の著作物の原則として一部を採録することをいうと解するのが相当であるから、右引用にあたるというためには、引用を含む著作物の表現形式上、引用して利用する側の著作物と、引用されて利用される側の著作物とを明瞭に区別して認識することができ、かつ、右著作物の間に前者が主、後者が従の関係があると認められる場合でなければならない」(出典調べられませんでした,申し訳ない。ちなみに判例に著作権はありません(同13条3号))。32条についてはこれ以上言いませんが,最低でも二要件があるようですね(明瞭区分性,主従の関係)。
次いで,20条は,著作者は,著作物またはその題号に不本意な改変が加えられることのない権利(著作者人格権としての同一性保持権)を規定しており,私は「新→正」の変更は,この点がネックになると思っています。手元にある著作権関連の冊子は,「法律文献等の出典の表示方法」[1999,法律編集者懇話会]のみですが,これによると,20条で許される改変は「単純なミス訂正」に限られるようです。その他の改変は,原則として被引用者の承諾を得なければなりません。
なお,著作者人格権というのは,「一身専属権」といってその人にのみ認められる権利だとされてます(同59条)。したがって,著作者が死亡した場合に相続が生じるということはなく,当然にこの権利は消滅します。つまり,死亡者の著作物の場合は,「新→正」の引用をしても問題がないと思われます。木村さんの例示の場合,引用時,被引用者の多くはおそらく死亡していないでしょう。したがって,背景となる事情をもう少し知らなければ,法的な結論は出しかねます。また,例示が古すぎるために,それが現在でも通用するかは,当時の著作権法と現行法との相違を調べなければなりません。
ところで,私は,掲示板の発言が,著作権法2条1項1号および10条1項1号に定める「著作物」にあたるのか疑問だったので,以前の発言でも述べたとおり「違法ではない」と考えていました。しかし,文化庁の例示によると「3歳の幼児が書いた絵」も著作物にあたり,また座談会のひとりの発言も著作物にあたるそうですから,掲示板の発言が著作物にあたるかは微妙になってきます(下手なこと言えないので確実な範囲で述べています)。もっとも,掲示板の発言は,証拠が残りにくいので著作権侵害を立証するのは非常に難しいでしょう。←そもそもこんなことで訴訟なんかすべきじゃない!金も体力もなくなるよ(笑)
私は,パブリックな場所としての掲示板における「マナー」を主張したわけですから,法的な見解は今後述べるつもりはありません。
ご返事ありがたうございます。
> 近藤@古代図書館さんが 5月23日(水)03時37分32秒に投稿なさった
> 「ちょっとだけ追加」への返信なんですが、何か誤解してませんか?
D.D.さんこそ誤解なさつてお出でのやうです。確かに私は近藤@古代図書館さんとD.D.さんの間の話題に割つて入つた形になりますが、事実D.D.さんは木村さんとトビデバさんの間の話題に割つて入つてかうなつてゐるんでせう。
上記引用の発言は、D.D.さんご自身の行動を否定してしまふ主張となつてゐますよ。
> いわゆる一般的なパソコンでは(画像など以外では)表示できない文字
> (たとえば、「土」の下に「口」を書く「吉」)を使っている文献から、
> HTML文書として記述するものへの引用の際に表示できない文字を
> 表示できる文字に改変することはやむを得ないのではないかと。
では、D.D.さんが「現代かなづかい」の昭和21年内閣告示の文章を引用したとします。其の時HTML文書で「内閣総理大臣 吉田 茂」と書きました。
実際の官報の記載では「土と口」の吉田を使用してをりますが、D.D.さんは上記引用の主張に従つて単なる吉田で記載したとします。
其れを見た吉田さんのご家族のかたから「うちの吉田は「土と口」の吉田です。単なる吉田とは書かれたくありません。相当失礼な人ですね。」
と主張されたら、何か面白い事になりさうですね。
> 何故「何らかの不満」と一般化するんですか?
上記引用をD.D.さんの主張-Aとします。
> それとも、新→正仮名遣いの変更は慣行なんでしょうか?
又、上記引用をD.D.さんの主張-Bとします。
主張-AではD.D.さん自身の主張を「一般化」されたくないと云ふ意志があると受取れます。詰り、自分の発言は一般的な主張では無いと云ふ事を此処でD.D.さんは主張してゐるのです。
処が、今度は主張-Bを眺めてみると「慣行」云々と主張してゐます。「慣行」と云ふ言葉を使ふ以上、D.D.さんが主張する事は一般的な行動であらねばなりません。
結果的に、D.D.さんの主張-Aと主張-Bとは相受入れない性質の主張となつてしまつてゐると結論されます。此れは明かな論理矛盾です。
> この理論だと、引用された者が何らかの不満があり「失礼だ」と述べた時、引用者が引用自体の否定をしなければ「改竄」が成立するんですね。引用者の言ひ分を切つて捨てる何とも独善的な理論だ事。引用者に対して相当失礼ですね。
上記の私の発言の引用から更に加へて、
> (snip)
> > どうやったら改竄だ、という認識になるのかが知りたいところです。
> 引用された者が「引用の際に改変することは失礼だ」というようなことを言った際に、
> 引用者が「引用ではない」と引用自体を否定はしていなかったから。
成る程、引用者の言ひ分を切つて捨てる何とも独善的な理論だ事。引用者に対して相当失礼ですね。
と云ふ主張を附加へさせて頂きます。D.D.さん、如何主張されますか。
> つまり、僕は文意を誤解してまとめたつもりになった文章を要約だと称したということでしょうか?
> それとも、「よつぽど」ということは、引用時に「新→正」の假名遣の改変することは正当であるが、要約時に行うと改竄であるという主張でしょうか?
結局、D.D.さんは要約を間違つた仕方で行つたと云ふ事です。D.D.さんご自身の以前の発言から決定的です。
> えーと、先に相手が失礼なことをしたから、そんな相手に礼を尽くす必要などありゃしないから_引用時に失礼なことをしてもよい_という主張でしょうか?
> 失礼と知りつつやっていたのならば、僕が口だししても仕方無いんで話はやめますけど。
曲解ですね。「失礼だ」と主張する割には、片方の人ばかりに指摘するのは、D.D.さんご自身の主張を中途半端に実践してゐるに過ぎないからです。
トビデバさんも失礼な発言を繰返してゐたんだから、其処にD.D.さん一流の言論で指摘できたでせうに。
> いやー素晴らしい(謎)。特に誰かを名指しで「意見をくれ」とも書いてないのに勝手にお願いした気になってましたか。
> # 名指しじゃないので掲示板の管理者へのお願いかと思ってた。
> じゃ、今から読んで何か書いてみます。
> # もしかしたら夜中になるかも知れませんけど。
逃げ腰なのに言ふ事だけは立派ですね。此れ以上D.D.さんが発言を繰返すと、又思はぬボロを出しますよ。まさに要注意ですね。
と云ふわけで、こんなのも書いてみました。
訂正します。著作権侵害は刑事責任も伴います。
最高刑:三年以下の懲役又は三百万円以下の罰金
だそうです。思い違いをしていました。どうもすみません。
D.D. wrote
> HTML文書では、blockquote タグや q タグによって引用であることを明示し、cite タグや cite 属性の値で出典を明示しますが、仮にそういうものを理解しない User Agent がある場合、法的に問題になったりしそうですか?
それはないですね。cite タグや q タグは単にW3Cが勝手に決めたHTMLの仕様ですから,法的な問題はありません。もっとも,span タグでも div タグでもいいのですが,とにかく引用を明示しない場合は,民事法上の問題になることはありますよ(刑事的にはないです)。
それに「転載」でも,無断の場合と了承を得ている場合があるので,転載したからといってすぐに法的責任を負うわけではありません。
q や cite は単にPerlやAwkで処理するときに便利になるくらいでしょう(笑)
# しばし落ちます。
5月24日(木)07時42分36秒にレスみたいなものがあったので私の見解をば。
> さうした人から「假名遣變更は違法」だとか「不適切」だとか「マナー違反」だとか非難されたなら、私は反論する。引用時の假名遣變更は違法でも不適切でもマナー違反でもないからである。
なぜ?たしかに違法じゃないけれど(笑),ここの掲示板では「新→正」の引用が常識で,マナー違反ではないと?マナー違反の可能性はあるような。
私の場合,前提として,引用は引用者の文章に取り込まれていても,それは被引用者のものであって,引用者の文章だとは考えません(この時点で既に見解が分かれているようですが)。自分の文章に他人の文章を「引用として」取り込む以上,それは「被引用者の文章」として取り込んだことになるはずです。そもそもそういう作業をすることが,「引用する」ということなのではないのですか?(私はそう思っていましたが。)
したがって,引用した場合,引用した文章の「書き手」はあくまでも被引用者です。そして,自分が書いたことのない文章を,さも本人が書いたように他人に紹介されるのを好ましいと思う人は,一般には少ないと思うのです(この点でマナー違反の可能性ありということです)。機能的・情報量的に必要十分であるから,何も感じないという人は,それはそれで幸せでいいと思いますが。私は嫌ですね。
パブリックな場所に発言する場所を置いている以上,「新→正」にしたいなら,引用なしでかつ自分の言葉で書けばよろしい(すなわち,自分が書き手になって書けばよい),と考えますが,いかがでしょう。
もっとも,それをあげつらって傲慢というつもりはさらさらありませんよ。そういう常識があるようなら,何を言っても無駄ですしね。いずれにせよ,「失礼」とか「失礼じゃない」とか言いあってても,泥試合ですよ。
# お礼だけするつもりだったんだけど,喧嘩したくないなぁ。
AIAN wrote:
> ちなみに,常識だと思いますが,論文で引用する際は「」で括るか,「以下引用」などと書いて示します。そのような表記無しで書いてある文章に原文があった場合は「転載」です。
HTML文書では、blockquote タグや q タグによって引用であることを明示し、cite タグや cite 属性の値で出典を明示しますが、仮にそういうものを理解しない User Agent がある場合、法的に問題になったりしそうですか?
# 「仮に」でもなんでもなく、実際にあるんですが。
http://members.tripod.co.jp/dd_/web/petronius/20010525a.html
>其れでは、D.D.さんは、どう云ふ場合ならば、「止むを得ない改変」だとする事が出来るんですか。
いわゆる一般的なパソコンでは(画像など以外では)表示できない文字
(たとえば、「土」の下に「口」を書く「吉」)を使っている文献から、
HTML文書として記述するものへの引用の際に表示できない文字を
表示できる文字に改変することはやむを得ないのではないかと。
> この理論だと、
(snip)
近藤@古代図書館さんが 5月23日(水)03時37分32秒に投稿なさった
「ちょっとだけ追加」への返信なんですが、何か誤解してませんか?
まあ、誤解していないと想定して、それへの僕の意見を書いてみます。
> 引用された者が何らかの不満があり「失礼だ」と述べた時、引用者が引用自体の否定をしなければ「改竄」が成立するんですね。
何故「何らかの不満」と一般化するんですか?
_引用時に_やむを得ないという範囲を逸脱して改変したものは改竄でしょう。
それとも、新→正仮名遣いの変更は慣行なんでしょうか?
# それが「慣行」でないならば、「公正な慣行」でないことも自明です。
>大体、先般の「D.D.さんがやらかした要約」のはうがよつぽど正規の意味での改竄ですよ。要約元の文章を書いた人に対して相当失礼ですね。
つまり、僕は文意を誤解してまとめたつもりになった文章を要約だと称したということでしょうか?
それとも、「よつぽど」ということは、引用時に「新→正」の假名遣の改変することは正当であるが、要約時に行うと改竄であるという主張でしょうか?
>いいですか。失礼をやつてゐたのは「引用された者」のはうなんですよ。D.D.さんは「失礼だ」と書いたものを見ないと判らないんですか。或は、何故さう云ふ人に肩入れするんですか。
えーと、先に相手が失礼なことをしたから、そんな相手に礼を尽くす必要などありゃしないから_引用時に失礼なことをしてもよい_という主張でしょうか?
失礼と知りつつやっていたのならば、僕が口だししても仕方無いんで話はやめますけど。
>私は、この掲示板の01/05/22_02:30の発言で、自分のウェブページの日記の記載で、D.D.さんへのお願ひを書いてゐるんですが、ご意見を頂けません。相当失礼な人ですね。
いやー素晴らしい(謎)。特に誰かを名指しで「意見をくれ」とも書いてないのに勝手にお願いした気になってましたか。
# 名指しじゃないので掲示板の管理者へのお願いかと思ってた。
じゃ、今から読んで何か書いてみます。
# もしかしたら夜中になるかも知れませんけど。
はじめまして。AIANと申します。
正しいHTMLのリファレンスを探していたので,非常に助かりました。ありがとうございます。
なんか,「引用」問題が勃発しているみたいですね(笑)。一応,私の見解も参考にしてみていただけますでしょうか。
私は大学で法律の勉強をしているんですけれど,私たちの場合,「引用」はそっくりそのまま写すのが基本です。例えば,判例や民・商法の一部は明治時代からあるわけで,片仮名や旧漢字もそのまま写さなければなりません。当然,明らかな間違いでも原文どおりです。(ママ)というルビを振ってまで原文を維持するのはご存知だと思います。こういったことは,おそらく法律学に限らず学問全体でも議論をする際の初歩だと思います。
ただ,原文と異なる文を「引用として」発表した場合に,これが改竄になるかというと,議論の程度によると思います。引用の意味がまちまちだからです。
メールや掲示板における引用ではなくて,学問的な議論の場で使う引用の場合ならば,『正→新』の引用(みたいなもの)は,当然改竄です。そんなこと被引用者は書いてませんから。本来的な意味での引用とはそういうものです(決まりごと)。この場合の引用(みたいなもの)は,D.D.さんの言うとおり「要約」です。要約は他にある文章の「要点」を捉えて示すすことですから,ちょこちょこっと変えただけの文章が要約として適当かは問題ですけどね(それは要約者の実力が侮られるだけで。
もっとも,学問的な面を離れたところにまで厳密な引用を要求する必要はないと思います。そんなところに厳密性は必要ないし,第一疲れますから(笑)メールや掲示板で使う引用では,マナーが問題になるにすぎないでしょう。改竄というかは別として,自分の発言を勝手に変えられて嫌に思う人はいますしね。
ちなみに,常識だと思いますが,論文で引用する際は「」で括るか,「以下引用」などと書いて示します。そのような表記無しで書いてある文章に原文があった場合は「転載」です。
> この理論だと、引用された者が何らかの不満があり「失礼だ」と述べた時、引用者が引用自体の否定をしなければ「改竄」が成立するんですね。引用者の言ひ分を切つて捨てる何とも独善的な理論だ事。引用者に対して相当失礼ですね。
この侭返事がなければ、D.D.さんは独善的な人間と云ふ事になりますが、其れでいいんですか。意味が判らなければ辞書を引いて下さい。