><a id="内部アンカー">ラッシュということになりますし。
ここは、もしそうやって<a id="内部アンカー">項目名</a>とかいうような
リンクを多数用意しておかないと、目的の項目を見るために縦スクロールバーを
比較的に長くクリックしていなければならず、閲覧者は利用しにくくなる、
と言う意味です。大いに説明不足でしたね、すみません。
「kotobaseek」の「CSS」方面リンク集ですけど、縦スクロール長が長すぎるわりに
ページ内アンカーへのリンクを用意していない…という状態になっていますね。
私にしては少々不便に思いました。
単純な縦長リストを作ると、項目が特に多い場合にはこうしないと
そのリストを利用する人が不便になるという点(縦スクロールだと
そうでもないですか?)が少々困るわけですよね、
<a id="内部アンカー">ラッシュということになりますし。
こういう場合に「表組」の考えを応用すると、少なくとも縦の長さは
一気に縮めるが出来ると思いますね。それをやるにしても
特にデータを表現するための表でなく、レイアウトのための表を作成するのならば
それよりも「スタイルシートを利用した擬似表組」としてレイアウトすることが
なおお勧めできるというのは、私は納得しています
昨日初めて拝見しました。
谷沢永一,渡部昇一著「広辞苑の嘘」という本をご存知でしょうか。2001年10月30日の発行になっているのでまだ出たばかりだと思います。冒頭いきなり,「広辞苑」は間違いだらけである,と始まり,二人で広辞苑の間違いを斬りまくっている面白い本です。私はこの本で初めて知りましたが,新村出は一行も執筆していないそうです(本当か?)。
文語でも現代仮名遣い・略仮名の可能性もあるかも知れず。
というか、その可能性の高い気が。
#「古文対応」なら期待できるのだが…。
引用元: http://ascii24.com/news/i/soft/article/2001/10/25/630750-001.html
> さらに、使用者が限定されるものの根強いニーズのある“文語”への対応も行ないたいとしている。
フォームの内容に含まれる特定の文字列を
勝手にタグに変換してしまう掲示板が悪い、
と開き直る権利を主張。
こういう掲示板があるから、
「フォントいじり系」の謎文書が無くならないのです。
tcupは実体参照の解釈がおかしいような気がします。
と言うか、利用可能タグ一覧中の
「Hを使ってタイトル表示」と言う説明(h2要素の例文の解説)で
「[数字(上記では2)は1~7。小さな数字が大きな文字になります]」
とか書いている掲示板に多くを望むのは間違いなのかも。
「ISO子復活か」の個所で、「書かれていないということで。」の個所、
"<b>"タグの閉め忘れですをしていますよ。
※CGIによつてをかしな事にされてゐた、<b>
の記述を「正しく」直しました。
紋切型辞典(英字)の項目にて、
<h3>DDR SDRAM</h>
という記述がなされています。
h3終了タグが書かれていないということで。
※CGIによつてをかしな事にされてゐた、<h3>DDR SDRAM</h>
の記述を「正しく」直しました。
ボクだっこ「が」したい……
幼児の言葉としては大変自然で、私も使ったと思います。
これは ungrammatical でなく、大人でも「ボクは音楽が聽きたい」は正しい日本語です。
うちのパソコンはHDDがオカシイ。なら正しい。省略でも何でもありません。
ところが「ビールが置いていない」は省略でなく誤りで、咎めだてすると言うより、「ビール切らしてます」という具合に、洒落た日本語で行きましょう。
今回書く論説について意見をお願い致します
1.Webオーサリングツールを利用している人たちの多くは、属性値や
終了タグなどの入力を”無駄に時間がかかる”と思っている。
2.属性値や終了タグなどは、本文を書く時間よりはそう多くは掛からない
はずの事柄であり、”タッチタイピング”をマスターしている人にとっては
通常のエディタで書くことも全く時間が掛からず、苦にならないことである。
3.1と2より、HTMLについての知識を理解していて、しかしそれでも
Webオーサリングツールを利用している人は、タッチタイピングの能力が
低い、その能力が上がれば自然とオーサリングツールを使わなくなると考えられる。
うーん、2の時点で、「終了タグや属性値」の入力と言う点から
「タッチタイピング」の方の話に摩り替わってしまったのが
あまりに酷いと、私自身も思いますが、どうでしょうか?
>「××の犬」と呼べば惡口になると思つてゐるのか。
愛犬教會會長
犬の犬。
副會長
犬の犬の犬。
その祕書
犬の犬の犬の犬。
祕書がこつそり飼つてゐる動物
犬の犬の犬の犬の猫。
>PCでは、HDDを認識するのはIDEかSCSIのコントローラである筈ですが、HDDが認識するものと言つたら、何でせうねえ。
ide/scsiコントローラでは? ネゴシエーションがあるわけで、コントローラとHDDは
相互に認識しあっているものと思っておりましたが。
野嵜殿>どうもありがとうございました。
>主語の喫茶店を省略するのであれば「ビール『を』置いていないので」と、ビールが主語なら、受身形で「ビールが『置かれて』いないので」と書かねば成らない。
>なのではないかと思ったのですが、如何でしょうか。
おつしやる通りでございます。
---
「ビールを置いてゐない」「ビールが置かれてゐない」の混淆で、「ビールが置いてゐない」と云ふ言ひ方が出來たんでせうね。
「切符の切らない方」の解釋(橋本進吉)
http://members.jcom.home.ne.jp/w3c/HASHIMOTO/KIPPU.html
---
文法的に誤つた言ひ方は、口語では屡々使つてしまふし、それも仕方のない事であるけれども、文章では出來れば避けた方がよろしからうと、渡邊さんには申し上げたかつたのであります。
>しまりすさん
「売っていた」「置いていた」いづれも省略ではないと思いますが。
下記例文から、省略された部分を補う文を作れますか?
省略前の文章を復元不可能であるから、この文は文としての論理性を失っていると思います。
>言語はルールから作られたのではなく、言語を理解するためにルールを作ったのではないか
だからこそ、言語を理解するためにルールを守りましょう、というのが自然な流れであると思いますが。
新字新かなにて失礼します。
しまりす様>
非常に揚げ足取りになりますが、題名が「文法とは」としておいて、結論の部分で「文法的に違っている」と書いてしまうのは如何でしょう。
論旨の「意味が通じるのにさばくその姿勢は間違っている。」と言う部分は解るんですが、文「法」の話をするなら、単に有っているか、間違っているか、と言う話になるかと思うのですが。
野嵜様>
闇黒日記に書かれていた類例の
>喫茶店に入るが、ビールが置いていないので
は
>「喫茶店にビールが置かれてゐない」(中略)と書かなければ駄目です。
ではなくて、
主語の喫茶店を省略するのであれば「ビール『を』置いていないので」と、ビールが主語なら、受身形で「ビールが『置かれて』いないので」と書かねば成らない。
なのではないかと思ったのですが、如何でしょうか。
城内樣
はじめまして。
「月曜評論」の連載、時折拜讀してをります。
最近は「月曜評論」の記事を殆ど讀まないのですが、城内さんの連載は時折拜讀してゐます。
菊池樣
何時もお世話になります。
hasebe樣
http://members.jcom.home.ne.jp/ksmiracle/Kokugo/IME/Orthographie.html
が參考になるかと存じます。
前田樣
PCでは、HDDを認識するのはIDEかSCSIのコントローラである筈ですが、HDDが認識するものと言つたら、何でせうねえ。
しまりす樣
言語の目的は、單なる意味の傳達ではなく、正確な意味の傳達である筈です。より正確に意味を傳へる爲、人はより正確に表記を用ゐる努力をすべきであります。
言語の目的は意味の伝達にある。
ビールが置いてなかったので
>ビールが何を置いてゐなかつたのでせうか。
コーヒーが置いてなかったので
>コーヒーが何を置いてゐなかつたのでせうか。
日本語は特に省略を好む言語であるし、意味が誤解なく伝達されている以上どんな問題があるのか?
言語はルールから作られたのではなく、言語を理解するためにルールを作ったのではないか
文法的に違っているものを意味が通じるのにさばくその姿勢は間違っている。
見掛けの論理の美しさにこだわって、本質を見逃すその姿勢はどうよ
-->>ビールが置いていないので
パソコン用語の誤れるもの「ハードディスクが認識しない」
HDDが何を認識せぬのか?
正字正かなQ&Aをみて、感動いたしました。
さて、
いきなりの質問ですが、私は、ATOK14を使っているのですが、どうしても、正字体が出しづらいのです。
みなさんはどのようにしていらっしゃるのですか。
城内樣、はじめまして。
野嵜さんには何時も御世話になつてをります、菊地と申します。餘りに驚きましたので、野嵜さんより先に、書かせて頂きます。
最初に申し上げますが、少なくとも、私は月曜評論で、何時も面白く讀ませて頂いてをります。
私の場合は、LPレコードの方なのですが、元々自作のオーディオマニアでして、現在は凾館の實家にシステムを置いてゐるのですが、何時か廣い家に住んだら、又、スピィカァやプレィヤァを造りたいと思つてゐます。LPも全て實家に置いて有ります、殆ど外盤ですが、1000枚くらいは有るでせうか、「音キチ」なので、ジャンルは問ひません、音が良ければ良いのです、10月號で城内樣が書いてをられる、ジャズ系の音樂でしたら、米シェイフゥルドのダイレクトカティングで作られたLPが良いと思ふのですが、SPは1枚も持つてゐませんので解りません。
これも、私が出しやばつて書いて仕舞ひますが、松原先生は間違ひなくオゥデオマニアです、講演でも仰しやつてゐますし、本でも書いてをられます、アキュフェーズのCDやアンプが御好きな樣です。
以下独り言です。
月曜評論に♪昭和♪SPレコードで辿ればを連載している者です。未だに一通もファンレターが来ません。別に期待していませんが。妻も読んでいません。たぶん私の連載読んでいる方ほとんどいないのでしょう。毎月原稿料の15倍程度のレコードを資料収集と称して買ってしまい、妻にあきれられています。なお、家族で父だけは文章うまくなったなとたまに言ってくれます。
それでも性懲りもなく連載続けます。正字正仮名で書こうと思いましたが、「契沖」いまいちなので挫折してしまいました。
ところで野嵜さんは国語の先生をされている方なのでしょうか。松原正先生がオーディオマニアというのは本当でしょうか。
野嵜さんの展開はいつもcrisp過ぎるから引っかかる
主義の矛盾も、主義は多分ルールの集合だから集合論で扱うべき話なのに
boolで扱ってしまって表面上の潔さにとらわれるのは、どうよ
久々のマルチプラットフォームと言う「Netscape6」なのですが、
付属のオーサリングツール「NetscapeComposer」は、まだ「ちょっとひどい」ですね…。
確かにStrict対応のタグはしっかり生成してくれるのですが…。
「Microsoft Frontpage」が既に用意した「CSSファイル作成」機能が
Composerに実装されていれば、完璧に「HTML4.01Strict+CSS」なWebページをその中で
作成できたはずなのですが、実際には「実装されていませんでした」、
これは非常に残念、Composerで見栄えを含めたWebページを作ろうとすると
「HTML4.01Transitional」対応ページにしかなりません、うーん、残念。
あ、同じ立場はIEにしてみれば「Frontpage Express」なのですが
これもCSS作成機能は有りませんでしたからね…。
> 全ての人間が満腹でもまだ食べようとする行動を常にとるか、と言ふと、そんな事はないのであります。
あ、成る程。有難うございます。
>>人間が人間であろうとするならば、
>>満腹でもまだ食べなくてはならない
思わず笑ってしまいました。うまいこと言うなー。きっとトマス・アクィナスなら上手に答えるんでしょう。頭を柔らかくするのは大賛成です。
「人間が人間であるには、季節を問わず発情していなくてはならない」これなら幸せです。
> 動物になくて、人間にあるものの一つが、正義の觀念である。人間が人間であらうとするならば、正義の觀念を人間は大事にしなければならない。
この種の論を見るたびに思い出すのが、「動物にはなくて、人間にあるものの1つが『満腹でもまだ食べようとする行動』である。人間が人間であろうとするならば、満腹でもまだ食べなくてはならない。」なる論なのですが。本来的には反論の仕様は幾らでもあるでしょうが、どうも循環論法的反論も多く納得のいくものは少数です。是非とも野嵜さんの反論を聞きたいところです。
私自身はWindowsMEを利用して、IE5.5SP-2がインストールされているのですが、
IE6.0に「乗り換える」ことはできますか?もしできるのなら、
乗り換えたほうが、レンダリングについてはIE5.5よりも
「いくらかまし」な状況になるのでしょうか?その辺のアドバイスをお願いします
>voice-family:'西村ちなみ';とかvoice-family:'南央美';とか指定出來るやうになりませんかね @media aural 。
うーん、値に”人名”ですか。私としては、この指定は
「考えない方がいい」「考えてはいけない」指定だと思います。
理由としては、そのような指定を用意しておいて、それを実現させるためには、
指定した人に声を録音してもらわなければならないですし…、
「自然な会話・談話の音声」を提供するのには高度な技術も必要になります。
1音節毎に録音して作ったデータを組み合わせただけでは、
「自然な会話の声」は決して実現できませんから。
---<hr />タグを使いたい部分---
しかし、Webページのエディタを考えてみると、Windows98SE以前にあった
FrontPageExpressに「スタイルシート編集機能」が無かったと言うのは、
正直言って製作した側が失敗したのだと思います。
確か「FrontPage98」から、CSSを編集することができるようになったと思うのですが。
正確には、どのバージョンからなのでしょう?
何とはなしに、VBAで作られたマクロウィルスが気になるとは言えますけど、
このVBAというのは、基本的にWindows系のアプリケーションに追加したい機能を書き込みたい
場合に利用すべきなのですよね。うーん、私があなたに期待するのは以下の2つです。
1.FrontPage用で、HTML4.01 StrictDTDに入っていないタグを
連想させる項目(例として「フォント」やら「センタリング」など)を
「利用できなくなるようにする」VBA。
2.Word用で、作成されたWordファイルを、「外部CSSファイル」と「簡単なHTMLファイル」
とに分けて保存できるようにするVBA
あれほどStrict形式に対してのこだわりが見えるページのようですので、
あなたの中では、「この2つのVBAを製作するためのアイデアはできている」のではないかと
私は考えるのですけど。
ちなみにFrontPage2000やFrontPage2002ではCSSのレベル2までのサポートが
あるようですので、その気になればStrict形式とCSSの組でWebページを作成
することもできるはずです…、というより今後のオーサリングツールは
そうできない方が「おかしい」のですけど。
>voice-family:'西村ちなみ';とかvoice-family:'南央美';とか指定出來るやうになりませんかね @media aural 。
「声優指定うざい」とか「南央美のファミリーに榊原良子が含まれてるのは納得イカン」とか
「<STRONG>要素は千葉繁だろう」とか議論される時代がくるですね
フランクリンの自伝中の一節:
神はラム酒をお作りになったときに次のようにおおせになった。インディアンはこれを飲みて酔うべきなり。・・中略・・まことに対地を耕す者に場所を与えるためにこれらの野蛮人を根絶することが神のみ旨であるならば、ラム酒こそ神の定め給うた手段である、と思えぬこともない。
フランクリンは清教徒でした。
>圖書館は、その手のケチな連中は無視して、部數の少い貴重な本、高くて普通の人が買へない本だけ買つて呉れれば良い。
近所のD市立図書館には、国史大系toka古事苑類toka群書類従tokaがおいてあります。ちょっとした古代史研究には、結構便利です。残念ながら、現在の私の住居はD市ではなくC市ですので、利用するのには多少気が引けます。ちなみにC市立図書館はどうかというと、全然駄目です。C市立図書館は、その手のケチな連中は無視して(以下略)。
テロ事件に就いては発言せずに居りました。
富めるものが「自分が富んでいるのは正義が自分にあるからだ」と信じるのはカトリックでは大罪でしょう。ところがアメリカ人(特に富める層)にその主張を感じる。グローバルスタンダードとか・・・わたくしでも感じるのですからイスラム教徒は皆そう感じるでしょう。
アメリカ人たちがもしもそのことに気づくならば、わたくしは彼らを尊敬することでしょう。
-->>カンちゃんさま
よく調べていらっしゃいますね。わたくしも勉強しなくては・・・・
言葉に真剣でありたい、と気を引き締めました。それにしても近頃政治屋やテレビキャスターどもの駆使する日本語はどう思われますか。
「・・・・に関します発言を」-->(正)・・に関する発言を
「・・・させて頂きます」-->(正)・・・いたします(or ・・申し上げます)
「キノウの夜」(言語道断とはこれを言う)
外国語に関しては発言権が無いのを承知で言いますが米語で
"reportedly"という言い方(正しくは according to report)
というのは酷く怠慢な表現だと思います。英語を偉大な言語として尊敬して来たのに・・・
すみません。「言海」の「たとへ」は名詞の「たとへ」でした。
廣辭苑は名詞の「たとえ」と動詞の「たとえ」兩方載せてゐましたが。
たとひ(名)[譬フ(規、一)ノ名詞法]喩ヘ、ニ同ジ。又、コ
■トフザ。イヒグサ。「水ノ面ニ、ウツレル月ノ、たとひニテ、アル
カナキカノ、世ニモアル哉」世コゾリテ信ゼズトイフたとひ
ノヤウナリ」累代ノたとひニモヤナラムトテ」
たとひ(副)|縱|假令|假使|[前條ノ語ノ轉カ]事ヲ
設ケテ豫メ料(ハカ)ル意ヲイフ語。ヨシヤ。(下ニ反語ヲ受ク)
<用例略>
たとへ(名)|譬|喩|譬フル┐。他事に擬(ヨソ)ヘテ言フ話。
注:┐=コト。
>>野嵜さん曰く:「論爭と論戰は違ふ」と中村は・・・
論爭と論戰というのよりもわたくしは、「証拠を挙げて論ずる」ことを好みます。証拠なしに主張することはありますが、その場合「好みです」とか「感覚ですが」と断ります。証拠無しで断定的にものを言われると反発心が起こりますね。その意味では清朝の学者達の随筆は素晴らしい、と申し上げたいがわたくし程度の学力で読むのは大変だ。薄いものでも1年以上かかります。「日知録」「廿二史箚記」なんて恐れ多くてまだ手が出ません。
翻訳でもマラルメの象徴的詩などは、正漢字正假名(鈴木信太郎訳がそうだったか、手元に無いので確認できませんが)でないと全く駄目ですね。無頓着派のわたくしもそう思います。
-->カンちゃん様
そうですか。「たとへ」はもう間違いと呼べなくなりましたか・・・個人的には(かな無頓着の)わたくしは「たとい」と書きつづけます。これは好みです。校正で直されたくないので「仮令い」と表記しますが。
日本聖書教会の文語訳で下2段の「憂へて」を「憂ひて」と誤記しています。目をつむることにしています。無論名詞なら「憂ひ」で正しい。中村敬宇は「得しむる」を「得せしむる」と誤記しているのは江戸漢文に普通でしたから咎めるのは酷ですよね。気にしすぎは健康によくない。
今や國語に埋藏されてある建築意志(を)確認す
る時機です
http://www5a.biglobe.ne.jp/~namie/sub1.html
どうも間違へていかん(笑)
http://www5a.biglobe.ne.jp/~namie/sub51b.html
このほど愚サイトの韻文に總振假名をほどこして見ましたので宜しければ
御覽下さい 私の作品はいろは同工ですから自然と假名遣といふ物に
敏感になり身につくかと思ひます 又所詮竝べ替へですから之を定家假
名遣にも前田さんのいふ打消しのないと其の他のないの表記分けにも對應
出来ます 己の負ふ傳統の奧行を侮つてかかる國にいつ迄も運氣が向く
譯では無い事は昨今の情勢を見れば明らかです 千歳の禍根を斷つといふ
意味でこそ國語の再建は不可避です 震災復興予算位はかかるでせうが
生きた金になります ソフト屋も出始めからと同じ量の受注が見込めて思は
ぬ形にての景氣回復になると思ひます 職人のみあつて建築家無き普請場
に右往左往すべきでは無い 今や國語に埋藏されてある建築意志の確認す
る時機です
http://www5a.biglobe.ne.jp/~namie/sub1.html
http://www5a.biglobe.ne.jp/~namie/sub51b.html
「たとひ」が轉じて「たとへ」となつたのでは?
言海にも「たとへ」は載つてました。
たとへ政治信條が同じであつても⇒たとひ政治新條が・・・
すみません、怒らないでください
野嵜さん、「地獄の箴言」でお目にかかっている前田でございます。お邪魔します。
「やらない」のないと「お金が無い」の無いは
http://members.jcom.home.ne.jp/w3c/kokugo/kotoba/
でご指摘の通り別語です。ただし打ち消しの助動詞を「なひ」と假名表記することは不可能ではありません。打ち消しの助動詞は関西語では「ぬ」です。
東国では萬葉集3426:會津嶺の國をさ遠み逢はなはば偲ひにせもと紐結ばさね
とあるように「ぬ」の未然形「な」+補助動詞「ふ」を使っていたようです。当然「なは、なひ、なふ、なへ・・・」と活用しますが、現代関東方言=つまり共通語の打ち消しの助動詞「ない」は本来「なふ」とあるべきを、おそらく「無し」の口語形「ない」の類推から発生したかと思います。しかし歴史的に見て「なひ」で不可とは出来かねます。
実はわたくしは「假名遣ひ無頓着派」ですが、言訳すれば、正假名遣は平安時代の関西の日本語に準拠している(ゐる・・ですか)のにそれを関東語に基づく「共通語」に施すことにややためらいを感じているから、という面もあるのです。妄言と嗤ひめされませうか・・・
「とほほのWWW入門・HTMLリファレンス リニューアル版」を斬る中、"Another HTML-lint"が"Another HTML-lin<strong>g"になってゐます。http://members.jcom.home.ne.jp/pctips/Tondemo/100Tohoho.html
短期間で似たような内容。重複っぽいかもしれませんが2度目のカキコです。
異文化が出会ったとき起こること。
「接触」→「共存」→「融合」できなかったら「敵対」→「淘汰」となる。
この中でも「共存」って段階は、少しのキッカケでイザコザになりやすい。
仏教と神道は日本で混じり合って新たな文化を生み出したけど、選民思想的な宗教は淘汰する性質が強くて、対立の歴史の方がとても多い。…イスラム教とキリスト教。讃える神が違うけど、本当に争うしかないのだろうか? 差異を認めてしまってお互いを尊重するのが人と人との正しい関係だとすると、宗教同士が出会ってもそうできればいいのに。…大雑把でしょうか?
でも、みんな難しく考えすぎて物事を複雑にしまいがち。
「そんな簡単じゃない!」って固定観念に捕われた大人には、「そんなこと簡単」って柔軟に対応できる先入観の少ない子どもに負けている。
「病は気から」…。この諺に類似してややこしく複雑なことだと暗示にかかって、より事態を難解にしているような気がしてなりません。
さっきの書き込み中の括弧内の部分は、
あまり正しくないように思うので、読み流して下さいませ。
lintのスコアは内容の良し悪しだけでなく、マークアップの妥当性にも関聯がありません。
つまりlintは、例えばblockquoteの内容が本当に「引用」になっているか、単にインデントの目的でblockquoteを使っているのではないか、といった、「マークアップの妥当性」について検証できないのです。
(というか、HTMLというものはこうした「計算機には理解しがたい」文章の論理構造を示すためにあるわけで、これがlintに検証できるならば、そもそもHTML自体不用のものになってしまうと思います)
だからlintで百点を取れるだけでなく、lintに検証できない「本来の目的である」妥当なマークアップを心掛けろと、そういうことを野嵜さんやu-zさんは言っているのであるはず。
横レス失礼でした。
ふむ・・・いまひとつU-Z氏の意図するところがよくわかりませんが、
件(9/21)の内容は、必要条件と十分条件を故意に誤解させているという点があやしいのだと思います。
lintのスコアと内容の良し悪しに関連がないという事象が共通の認識であることは前提として引き合いに出しているので。
というか、U-Z氏的にはlintで100点取る必要があるのかないのか、どっちの立場なんでしょうか