波江殿、あなたも再々度し難い人だ。
あなたは「そもそも明日から當分暇も無い」といつた類の遁辭を吐いて誤魔化さうとする癖がありますね。
あなたは安直に「目標は共通です」といへば濟むと思つてゐるのですか。
日中國交恢復30年萬歳とやらかす野中橋本「某國利權黨」の聯中は、自由の敵でせう。
目標は共通ではないのです。
轉載とか適切な言葉を使へば良いでせうが。送つてもゐないのに送つたと嘘を吐くのは良くないです。
>強引な句法ですが 意味とは見出されて行く物でもある
強引なのが良い譯ないです。故事つけでごまかすのは止めて下さい。
>行儀悪い私語に置き換へたのですがね
行儀の惡い私語に置換へる事の是非を全く考へてゐない邊は感心しませんね。
>醉つた奴もゐる筈で多少言葉遣の規格を食み出す場合も有り得る故一向苦しからず
正しい言葉遣ひを守らないで、どうして正しい言葉遣ひを復活させられるんですかねえ。
>世には物好きも多いから實際に上演して見る輩もいづれ出て來るでせう
物好きに受けるやうな代物がまともなものである譯がないですね。
>演出の工夫で訳の解らぬ私語類もそれなりの意味を保つて聞こえさせ得る
それはごまかしです。波江さんは、言葉をお座なりにしてゐます。
>佛は己造るにあらず 佛自らあらはれたまふなり
だから、波江さんは全然努力しないんですね。
>「遊びに過ぎないものを眞劍にやつて」おかないと言葉に弄ばれる
言葉遊びを眞劍にやるとは、言葉に弄ばれる事にほかならないです。
>「いろは同工歌」の搾木で鍛へ込まれて居ない歌は以後の世では邪道である
「いろは同工歌」では何も鍛へられません。「佛は己造るにあらず 佛自らあらはれたまふなり」と、波江さん自身が言つてゐる事です。
>各音完結せる意味單位としてある時に
この波江さんの基本的な主張がそもそも大嘘です。和語では基本的に、一音が一語をなす事はありません。たいてい、二音で一語を表はします。一音が一語となるのは大體漢語であり、さうなると、「いろは同工歌」は、假名の皮を被つた漢語の群とならざるを得ません。
>國語の本面目を回復せんとする目標は共通です
目標が共通かどうかは知りませんが、手段が全然異るのですから、私と波江さんとが相容れる譯がありません。そして、波江さんの手段は間違つてゐます。
watsonさんへ
度忘れ失禮
昨日こそさまさまものを思ひしか生ける甲斐あるけふをみやりつ
只今現在を昨日として回顧する時期到らばその生ける甲斐の内容に小生の仕事
も一端は交じりをらば結構世はまともでせうと手前味噌ながら呈す 今回轉送
の歌合の結びの歌です 字數歌による返歌は愚掲示板にて
木村さんへ
>この手の揚言を「かざす」でご不足ですかな
瀬戸活け」
>築港治水植林による再建活性化の樣 同樣
強引な句法ですが 意味とは見出されて行く物でもある
和歌は三十一音なるに四十八音のなかで用ゐる故余りを判詞つけるべき所を朗詠
の合間に漏れ聞こえる行儀悪い私語に置き換へたのですがね 醉つた奴もゐる
筈で多少言葉遣の規格を食み出す場合も有り得る故一向苦しからず
世には物好きも多いから實際に上演して見る輩もいづれ出て來るでせう
演出の工夫で訳の解らぬ私語類もそれなりの意味を保つて聞こえさせ得る
粗起し突きつけて五十歩百歩の言はず中の三十一音位は五七五七七に鋤分けて
からにして下さい 桑原の第二藝術以來の知識人及び知識人かぶれの通弊に漏れず
和歌句の類試みたことあまりないのでせうが
ぺとろにうすさんへ
濃い薄いは言葉の絢 美を輝かせ感動を煽り立てんと内容を牛詰にし結果言葉の
生地材質を台臺無しにする手の作物には興味がありませんのでね
言葉を手段として人がていかに素晴らしい造型をし遂げ得るかその手柄の程嘆賞
するは文藝としては末義です 佛は己造るにあらず 佛自らあらはれたまふなり
野嵜さんへ
「遊びに過ぎないものを眞劍にやつて」おかないと言葉に弄ばれる
創めに言葉ありき その言葉に命があるならば言葉の奴もさぞ遊びたいであらう
「いろは同工歌」の搾木で鍛へ込まれて居ない歌は以後の世では邪道である
有史以来の文藝は「醒めて踊れ」る状態に無い あはれ醉ひの状態である
もののあはれといふ宣長の把握は未だあらはれの全きを得ないなりの面白を
かしき態を言ふもので國文の本質を充たして居ない 「いろは同工歌」の
搾木で鍛へ込まれて居ないからである 和歌句といふ物も未だ國文の眞髄を
充たし得た物では無い 各音完結せる意味單位としてある時にこれを不均質
に使用せるに過ぎぬ三十一音十七音とのみで數學式に言ばは與へられた条件を
充たす回答たり得て居ない しかし是はあらはれに至る必須の道程である
何度もマウスが消えて居る中に時間切れ 嗚呼襤褸機種奴 出掛けねばならぬ
略儀にて失禮しますが
切支丹禁令解けた維新後宣教師が尋ねて見れば隱れ切支丹の中には迫害に堪へ
た先祖を崇め祀る基督教とは似て非なる氏神宗教に変變質して居た例も間々見られ
たとある 奧を崇めるに見えと竈を拝ませるといふ物言ひもある 竈が否福田氏
がが浮かばれぬやうなことにならぬやうには致しませう 國語の本面目を回復
せんとする目標は共通です 古人の求めたる所を求めよ
管理人は貴方だ 立ち入り禁止云々はご随意 そもそも明日から當分暇も無い
>しかし私は「頭が良くなるやうに頑張れ」とは言ふ。頭の程度は、本人の努力でどうにかなるものだからだ。
この「頭の程度」といふのは、思ふに、知能といふより、性格のことですね。知能も鍛へれば多少は成長するのでせうが、實際には個人差が大きいものです。ゆゑに「頭の程度」とは、常識的な判斷力や生き方の美意識や道徳的な態度などに關することだと解釋してゐます。
野嵜さんは、知能が普通ないし高くても「頭の程度」が惡い人、すなはち人間的な莫迦に對して、それを直す努力をするやうに説いてをられるのでせう。私は「頭の程度」はなかなか直らないやうにも思ふのですが、囘心の切つ掛けになるかもしれないのですから、「頭が良くなるやうに頑張れ」と勵ますことはきつと必要なことなのでせう。
>前にも申したが假名遣を漢語の字音に及ぼさぬといふ半端な考へで居た邊が福田氏の限界てす
そんな事を福田さんが考へてゐたと、どうして波江さんは斷言出來るのですか。福田さんは、飽くまで妥協として、漢字の字音については表音的に改めていく事も已むを得ない、と考へてゐたのであります。
その邊の機微を全然感じ取れない波江さんの文章に對するセンスは疑はしい、と私は思つてをります。
>この字音假字用格に添つて漢語の字音を一讀識別しよきやうに劇詩の形態に纏めたものを謹呈の上で私は結論として近代現代の文學を日本人が日本語で考へ日本語で書いた翻譯物と意見申し述べた まだしも氏は謙虚に受け止める所ありましたよ
私だつて、例へば高崎さんの字音に關する研究には敬意を表してをります。さう云ふ方面にまで手を伸ばせないからです。波江さんのやつてゐる事が、自分のやつてゐる事とは全然違ふものだから、福田さんは波江さんの努力を認めたのでせう。しかし、それだけの事です。
>假名は單音にして各音詞辭多岐に渡る品詞価値を保つ意味單位である 是が不作爲の配列換への中に完結せる意味世界を構成し得るいろはの如きを可能にして居る
それは結構な事でございますがね。そこから
>しかもこれを日本は自國の歴史展開途上に自ら發明した當事者責任がある
といふところに話を持つていく邊、短絡的だなあとしか私には評しやうがないのです。
>發明したのですよ 單なる簡略化では無い
發明してないです。單なる簡略化です。大體、日本人が自分で發明したものなんて、ありません。
>更に梵字音韻表を參照して仕上げたが五十音圖です
波江さんに申し上げたいのだが、「梵字音韻表を參照し」た、と言ふのならば、五十音圖は日本人の發明ではない、と云ふ事になりませんか。と言ふか、これを「日本人の發明だ」と言へる波江さんなら、確かに何でもかんでも「日本人の發明」と言ふ事が出來るでせう。或意味納得出來るのですが、波江さんの精神構造を納得しても仕方がありませんので。
# 一應申し上げておきますと、五十音圖の成立には動詞の活用形の研究が重要な役割を果してゐます。その邊は當然、波江さんは御存じだとは思ひますが。
>假名遣といろはの技法とは緊密に組合せて用ゐなければ國民が國語に対して当局が働いた非道の程に覺醒することは決してあり得ぬとは今の中から言つておけますよ
「いろはの技法」とは良くも言つたものです。技法なんて、「いろは同工歌」は、全く使つてゐないぢやないですか。「いろは同工歌」は、實は「いろは歌」の技法とは何の關係もない代物で、ただ、「いろは歌」と同じ數の假名を使つてゐるだけです。波江さんは、數と技法とを混同してゐます。量と質とを混同してゐるのであります。
>西洋文明を未來永劫日本文化にとつての龜鑑たり得るものと貴君は考へてをられるか
突然、そんな事を言出す邊が、波江さんの「トンデモ」たるゆゑんです。自分に敵對する人間は皆、「西洋文明を未來永劫日本文化にとつての龜鑑とすべし」と考へてゐるに決つてゐる、と波江さんは思つてゐます。と言ふか、西歐文明に一人立ち向かふヒーローを氣取つてゐる波江さんは、獨り相撲をとつてゐるのです。
そんな大仰な話ではないのです。
ただ、波江さんの「いろは同工歌」は、歌として邪道である、と云ふだけの事を、私は申してゐるのです。或は、邪道である癖に、正統を氣取つて、威張つてゐるのはちやんちやらをかしい、と申してゐるのです。遊びに過ぎないものを眞劍にやつてゐる波江さんが、滑稽でならないのです。
福田さんの演技に關する文章でも讀んだらどうですか。福田さんは「醒めて踊れ」と言つてゐます。波江さんは、自分の臺詞に醉つ拂つてゐます。
「冷水浴びせやう」「考へやう」「野次馬が何人ゐやうとも」――いづれも間違ひですね。波江さんは、本當は歴史的假名遣を知らないのではないですか。
>結構意味が通つて居はせぬか
通つてゐませんね。少くとも、波江さんの作品の9割9分では、通つてゐません。と言ふか、「いろは同工歌」の場合、取敢ず「それつぽい」ものに意味を故事つけてゐるだけなので、意味が通つてゐる事の意義はありません。
>國語の構造がいかなるものか考へやうといふ製作意識の萌芽が假名成立以前の萬葉集の時期から既にあつた證明に引用した迄のこと
波江さんはかうおつしやいましたね。
>既に大伴家持の歌にも先例あるが言語の運動機能を究め知り制約を使ひこなすありやうを探るは韻文詩歌の重要な使命です
波江さんは、「重要な使命」が自分の作つてゐる「韻文詩歌」にはある、と言つてゐますが、それが波江さんの文章の結論としか讀めません。なぜなら、日本語の文章では、結論が後の方に來るからです。
>宣長の字音假字用格ぐらゐテキスト化して載せて置かれてはどう
既にその電子テキストは、ウェブに存在してゐますので、うちでは載せてゐません。一應、餘所とは出來るだけ重複しない情報を公開するやうに努力してゐる積りです。しかし、字音假名遣よりももつと重要なのが、てにをはであり、動詞の活用である、と私は信じてをります。日本語にあつて、餘所の言語にないのは、てにをはと動詞の活用です。
波江くんよ、
<きつと噛み付いて来來るだらうと思つたがね 笑>
わしには返禮ないの。
今、最近の大野先生の新刊を読んでゐる処です。
其の本には、日本語の詩では脚韻を踏めないと言つてゐるのです。具体的には
同書を参照願ひたいのですが、要は日本語の文法や音韻を綜合して考へると
さう云ふ結論になるさうです。
逆に脚韻に重点を置いて作詩すると、脚韻のはうにばかり視点が注がれてしまひ
肝心な詩としての内容が希薄になつたり、作者の言はんとしたい事が正確に伝達
されなくなつてしまふ結果となつてしまひます。
文筆家は、自分の作る文章が如何に正確に読者に伝へられるかを、其れこそ生み
の苦しみにも似た苦しみを感じながら執筆してゐると聞きます。「へ」と「に」の
使分けにも苦悩します。「は」と「が」の使分けにも注意を払ひます。テニヲハの
一つも蔑ろには出来ない筈です。
「いろは同工歌」も結局は形式を重視するがゆゑの内容の希薄から免れ得ないの
だと私は思ひます。
>この手の揚言あつてまつろはぬ民らを斬り從へたものかと
ですから、何を「かざす」のですか。それにしても、文末の「ものかと」、何とも自信のない仰りやうです。波江さん、自作の意味が分かつてゐない事が明らかです。
>>「瀬戸活け」
>築港治水植林による再建活性化の様
いや、ですから、何で瀬戸を活ける事が、さう云ふ意味になるのですか。そもそも、瀬戸をどうやつて活けるのですか。そしてそれがどうしてさう云ふ意味に(以下略)
>間違ひが元で定着した日本語といふのもある ら抜き れ足すの類より間違ひだと意識してやつて居る分愛嬌でせう 何せ音が限られて來るからね 使用済濟み音圖の再利用計畫ですよ
完全に開き直りましたね。知らずに間違へるならまだ愛嬌で濟まされませうが、知つてゐて間違ひを堂々と書く事のどこが愛嬌ですか。厚顏無恥と云ふべきでせう。「何せ音が限られて來る」も何も、波江さんが自己滿足の爲に勝手に限つてゐるだけでせうに。
>同上 言靈プルサーマル 文脈上より推知すべし
てにをはも滿足に遣はれない歌のどこに「文脈」などと云ふ高級なものが讀取れますか。「言靈プルサーマル」。物凄いです。死人が出るかもしれない。
波江さんに詩才の無いのは自明。
「漫然行分した散文」とか韻律とは踏む物とのみきめて掛かつて居る詩紛ひの物に
洗脳されたお頭で詩才なる物を認められては却て迷惑 形容過多か 言ひ得て妙と思ふが
てにをはを體言に費消するつて何ですか
貴君のいふてにをはの機能としては使つて居ないし繰り返し無き制約の中では最早使用出來ぬ
散文では確かにこれでは息が續くまいところ結構意味が通つて居はせぬか 愚直に國語表現
の可動領域を探求せうとする者にはなから冷水浴びせやうといふ魂膽で日本語をどうかう言ふな
他人の歌を引張り出してきて威張るのはどうかと思ひますよ
國語の構造がいかなるものか考へやうといふ製作意識の萌芽が假名成立以前の萬葉集の時期
から既にあつた證明に引用した迄のことを威張るとしか受け止め得ぬはいかに何でも了見が
狹くはないか
漢字の鎧の向うでのほほんとふんぞり返つて居る」と云ふあなたの解釋は唯一の必然的な
解釋である、とあなたは絶對に證明出來ません。
と貴君が證明せうとならば宣長の字音假字用格ぐらゐテキスト化して載せて置かれてはどう
所詮伊達でもアリバイ程度にはならうといふもの 下手糞な假名遣問答よりよほど重寶する
前にも申したが假名遣を漢語の字音に及ぼさぬといふ半端な考へで居た邊が福田氏の限界
てす 國民は國語を解り易いから便利だから學ぶのでは無い 自分達の國語だから學ぶ
この字音假字用格に添つて漢語の字音を一讀識別しよきやうに劇詩の形態に纏めたものを
謹呈の上で私は結論として近代現代の文學を日本人が日本語で考へ日本語で書いた翻譯物
と意見申し述べた まだしも氏は謙虚に受け止める所ありましたよ
炙り出し
いろは同工の歌の 右に假名遣左にかなころがし の両様の振假名を付した本が最初に自費出版
した本であるからサイトにもこの方式で載せて置けばよかつたのだがこの邊はいはゆる證明
不足でしたかね さうしておけば一目瞭然でかなころがしの非が体感出来るのだが技術上
困難ですからね 今後の檢討課題
orthographyの譯語
しかし、それのどこが惡いのかを、波江さんは説明
すればそもそも日本文化の本質形成に何の寄與もしなかつた文明であるし表記字の材質に於て
無機質なる機械部品と有機細胞器官ほどの懸隔がある 英語に於て單音にして意味定義ある
は不定冠詞と一人稱代名詞のみであるとは福田氏も指摘してをられるがそれが何を意味するか迄
は深めて考へられなかつた 鹿と馬を後一歩で見分け損ねた方の孫弟子に馬鹿呼ばはりされ
ねばならぬかと苦笑しきりだが假名は單音にして各音詞辭多岐に渡る品詞価値を保つ意味單位
である 是が不作爲の配列換への中に完結せる意味世界を構成し得るいろはの如きを可能にして
居る しかもこれを日本は自國の歴史展開途上に自ら發明した當事者責任がある 彼等とは
自國の言語に対して負ふべき責任の次元が違ふ 發明したのですよ 單なる簡略化では無い
更に梵字音韻表を參照して仕上げたが五十音圖です 以て大陸中國が反切法の煩瑣に紛れて
説明し切れなかった字音を隈なく説明した音韻表であつたのでして和語に於ては語形活用の
基礎をなして居る かかる優れた發明を基礎にやれば出来ることの範圍をなほざりにして
この先禄な運氣も拓けまいから下手糞の引ツ込めなどいふ野次馬が何人ゐやうとも小生に
とつて呼吸鼓動に等しきことを默々と續けて居る次第 假名遣といろはの技法とは緊密に組
合せて用ゐなければ國民が國語に対して当局が働いた非道の程に覺醒することは決してあり得ぬ
とは今の中から言つておけますよ どう控へ目に見ても日本語のこの特質は人類他言語に見出
し得ぬ物であるといふことも
西洋文明を未來永劫日本文化にとつての龜鑑たり得るものと貴君は考へてをられるか
しかし私は饅頭の薄皮程度だと思ふ
韓國ではグレゴリオ暦と太陰太陽暦とで年に二度の誕生日を祝ふさうだ 見習つてはどうか
複眼的思考などいふ下らない洒落よりこの方がよほどこの先幅廣い思考を培ふに効果がある
國家次元で檢討すべきですね
國語混亂の元凶は實に明治改暦の愚擧にまで遡つて考へねばならぬものでして
戲れ句
きつと噛み付いて来來るだらうと思つたがね 笑
けふ西村愼吾が「拉致被害者家族と總理」と題した文章を出した、
「日本の總理に必要なのは「愛と勇氣」だ」。・・・うん、さうだね。
http://www.n-shingo.com/cgibin/msgboard/msgboard.cgi
「ゑひもせすん」の「ん」は、歌としてのいろは歌では要らないのでは。
そのとほりです。むかしの教はつたままが出てしまひました。(ん)とすべきでした。
「ゑひもせすん」の「ん」は、歌としてのいろは歌では要らないのでは。
波江さんが「トンデモ」なのは、他人を非難する時、理窟で相手の誤を指摘しようとしないで、嫌みで相手の感情を逆撫でして相手のミスを誘發しようとする邊を見ても明かかと。
波江殿、あなたも再度し難い人だ。「土俵下」ではいやーだとあなたがダダを捏ねるから、そんなとこで「喝采」を歌つても誰も聞いて呉れないと言ふのですよ。
「百まで長生きして」そのつもりです、兩親とも九十歳近くまで持つたので可能性はある。「負うた子」には時々教はることがある(憐愍の表情が浮ぶが)。「曾孫」に教はることがあれば人生の至福といふべきでせう。
>一晩過ぎて豚の餌にも使へぬサラダとか日射で溶けてしまつたチヨコレイトの食ひ過ぎで腹を壞しその自覺症状も無いのでは無いか
かう云ふ形容過多の駄文を平氣で綴れるのだから、波江さんに詩才の無いのは自明。
>全て詩としてなつて居ない云々 貴君の詩を解する感覺が全てなつてゐない以上に専業の詩人とか称する連中の感覺がこれまた殆どなつて居ない迄でして漫然行分した散文を詩とはいはぬ
だーかーらー。
「漫然行分した散文」の事ではなくて、波江さん、あなたの「いろは同工歌」の事を私は非難してゐるのですよ。話を逸らす惡い癖はやめて下さい。
>てにをはを體言に費消しても用言はなほ有り餘るほどあるといふ例
てにをはを體言に費消するつて何ですか。あなた、てにをはの意味を知らないんですか。それでよく日本語が何うの斯うのと言へますね。
>これ首尾よく故郷に錦を飾つた移民の歡迎風景とでもしますかな 何とも戲れ句だが
大伴家持は結構ですが、他人の歌を引張り出してきて威張るのはどうかと思ひますよ。私は飽くまで、波江さん、あなたの歌が駄目だと言つてゐるのですから。
>既に大伴家持の歌にも先例あるが言語の運動機能を究め知り制約を使ひこなすありやうを探るは韻文詩歌の重要な使命です
と言ふか、引張り出してきた歌を「戲れ句」(歌をどうして句と稱するのか疑問だがそれは置いておく)と評しておきながら、その「戲れ句」を根據に「いろは同工歌」の可能性を云々するのだから、波江さん、あなたは餘りにも非論理的です。
>漢字の鎧の向うでのほほんとふんぞり返つて居る者から語に從ふべし、と云ふ大原則を振廻されねばならぬかね
は?
なぜ「漢字の鎧の向うでのほほんとふんぞり返つて居る」と云ふ解釋以外の解釋をあなたは出來ないんですか。「漢字の鎧の向うでのほほんとふんぞり返つて居る」と云ふあなたの解釋は唯一の必然的な解釋である、とあなたは絶對に證明出來ません。それなのに、爲にする自分の解釋を恰も絶對の眞實であるかのやうに極め附けるから、あなたは「トンデモ」なんですよ。
ふんぞり返るも糞も無いのでして、日本人が漢字を使ふのは當り前の事です。
>いろはの制約の中で使ふからこそ當局學者等が非を逃れやうも無く炙り出し國民一般に向けての説得力にもなる
全然譯がわからない。いろは47文字を全て使つて下手な歌を作る事が、どうして「現代仮名遣い」の非を炙り出す事になるのですか。どうして下手糞な歌で國民一般を説得出來るのですか。論理的に全然關係のない事を、波江さんは短絡的に結び附けてゐるだけです。だからあなたは「トンデモ」なのです。
>貴君のいふ假名遣とはorthographyの譯語にしか聞こえぬ 自分で表記字を発明もしなかつた言語圏の学者等の妄説のその又受賣に弄ばれて居ては國全体が運氣を呼び込む力を喪失してしまはう 現在の状況はさうなつては居ないか
この邊り、何を言つてゐるんだか。
「貴君のいふ假名遣とはorthographyの譯語にしか聞こえぬ」と云ふ波江さんの指摘は、當つてゐますね。しかし、それのどこが惡いのかを、波江さんは説明出來てゐません。
波江さん、あなたは自分で表記の爲の文字を發明しなかつた日本國の人間なのではないですかね。漢字は支那から貰つた文字だし、その漢字を簡略化したのが假名ですよ。あなたはもしかして、假名は日本人の發明だ、とでも思つてゐるのではないですか。何を勘違ひしてゐるんですか。あなたは馬鹿ですか。
大體、假名遣は西歐學問の受賣りではありませんよ。定家の頃に西歐のorthographyをどうやつて日本に持込めたんですか。契冲や宣長、龍麿らが西歐の學者の説を受賣りした證據が、どこにあるのですか。適當な事を言ふのは止めて貰ひたいですね、波江さん。
西歐にしろ日本にしろ、自國の表記體系を意識的に再整備するのは、文明の發展に於て共通の出來事です。だから、西歐のorthographyの成立も、日本の假名遣の成立も、平行現象なのであり、受賣りと言つて非難される謂は全くありません。
波江さん、福田さんから手紙を貰つたからつて、いい氣になるものではないですよ。波江さんがどう云ふ人なのかを福田さんは御存じなかつたのですから。
野嵜さんへ
「いろは同工歌」に可能性は無いのです。
といふ輩に文藝を活性化させる可能性は無い 一晩過ぎて豚の餌にも使へぬサラダ
とか日射で溶けてしまつたチヨコレイトの食ひ過ぎで腹を壞しその自覺症状も無い
のでは無いか 全て詩としてなつて居ない云々 貴君の詩を解する感覺が全てなつて
ゐない以上に専業の詩人とか称する連中の感覺がこれまた殆どなつて居ない迄でして
漫然行分した散文を詩とはいはぬ それでいかに感動を醸成した所で言語の器を
辨へずに使つた物では所詮感動して居る自分達に感動して居た迄のことになる
冠てにをは
照る日の下へ招きあふ
日本懷かし沸く聲よ
遠澄む浦ぞ色見えぬ
はや田居搖れりお酒めせ
てるひのもとへまねきあふにほんなつかしわくこゑよ
をちすむうらそいろみえぬはやたゐゆれりおさけめせ
てにをはを體言に費消しても用言はなほ有り餘るほどあるといふ例
これ首尾よく故郷に錦を飾つた移民の歡迎風景とでもしますかな 何とも戲れ句だが
我が門ゆ鳴き過ぎ渡るほととぎすいやなつかしく聞けど飽き足らず
毛能波尓遠六箇字闕之 萬葉巻十九4176
既に大伴家持の歌にも先例あるが言語の運動機能を究め知り制約を使ひこなすありやう
を探るは韻文詩歌の重要な使命です 将来新聞雜誌上の歌壇の一角を占め和歌句と拮抗し
と共榮の實をあげやうし宗匠の門戸を張る者もゴマンと居る 散文とはてにをはやら
漢語やらで飾り立てた引き伸ばしに過ぎぬ 電網上には既に數箇所あり
波江さんの「いろは同工歌」を私が嫌ふのは、それが音を基本原則としてゐるものだからです。
漢字の鎧の向うでのほほんとふんぞり返つて居る者から語に從ふべし、と云ふ大原則
を振廻されねばならぬかね 漢語の字音まで私は誤魔化しなく大原則に從つて居る
いろはの制約の中で使ふからこそ當局學者等が非を逃れやうも無く炙り出し國民一般
に向けての説得力にもなる 貴君のいふ假名遣とはorthographyの譯語にしか聞こえぬ
自分で表記字を発明もしなかつた言語圏の学者等の妄説のその又受賣に弄ばれて居ては
國全体が運氣を呼び込む力を喪失してしまはう 現在の状況はさうなつては居ないか
木村さんへ
「名に立ちてかざす」
豊葦原の千秋長五百秋の水穂の國は我が御子正勝吾勝勝速日天忍穂耳命の知らす
國ぞ 古事記上巻
この手の揚言あつてまつろはぬ民らを斬り從へたものかと
「瀬戸活け」
築港治水植林による再建活性化の様
それを云ふなら「ご襃美」でせう。
間違ひが元で定着した日本語といふのもある ら抜き れ足すの類より間違ひだ
と意識してやつて居る分愛嬌でせう 何せ音が限られて來るからね 使用済濟み音
圖の再利用計畫ですよ
「世話マメ襃め」などと云ふ奇怪な文言から、何ゆゑ胡麻擦りの意味が生ずるのか
同上 言靈プルサーマル 文脈上より推知すべし
木村さん等のご意見では私の原子炉は罅だらけらしいですが
watson さんへ
その舞臺とやらに別に上りたいとも思ひません 早晩土崩瓦解するは見えてゐます
戰中派でしたか 百まで長生きして負うた曾孫に教はつて下さい
「ちりぬりを」は 波江流「塵塗りを」ではなく、單なるバグです。
「弘法大師が作つたと言ふ傳説を持ついろは歌は、まあ、傳説自體は嘘ですが、内容は慥にすぐれた歌として評價出來るものです。」
いろはにほへと ちりぬりを わかよたれそ つねならむ
うゐのおくやま けふこえて あさきゆめみし ゑひもせすん
慥かに野嵜さんの仰るとほり、諸行無常の傑作です。奇跡的な出來ですが、最後の「淺き夢見じ醉ひもせず」あたりは破綻しかかつてゐるやうにも思へます。「いろは歌」は、あくまで、五十音圖とともに、國語教育の初歩教材として位置附けるべきと思ひます。
>詩形發想の自由
>字音登場回數の平等
>各音漏れなく歌ひ出しの音を与える機會均等博愛の原則
>と小生の論理は既に説明して置きましたがご不足ですかな
詩歌に於て、自由とか平等とかの概念はそれ自體、何の價値も持たない、と云ふ事を、波江さんは御存じなのでせうか。
詩歌に於て、大事なのは、音を巧みに使ふ、と云ふ事です。ただ單に、全ての音を使へば良い、と云ふものではありません。詩は、音と意味との理想的な結合です。
弘法大師が作つたと言ふ傳説を持ついろは歌は、まあ、傳説自體は嘘ですが、内容は慥にすぐれた歌として評價出來るものです。しかし、波江さんの作られた「いろは同工歌」の殆どは、ただ單に全ての音が使はれてゐるだけで、内容は貧弱です。波江さんが實際に作られた「いろは同工歌」は全て、詩としてなつてゐません。波江さんは、それでも「可能性はある」と主張するかも知れませんが、實は「いろは同工歌」に可能性は無いのです。
膠着語としての日本語の性質上、てにをははいかなる文章にも必須です。その結果、必然的に「いろは同工歌」では、助詞・助動詞に含まれる特定の音が用言・體言に出現し難くなります。「いろは同工歌」の用語は、限定されます。この限定は、はつきり言つて致命的なものです。
逆に、てにをはを勘定に入れない方針をとれば、當然のやうに「は」「へ」「を」「の」(以下略)が繰返し出現する事になります。その時、波江さんの言ふ「字音登場回數の平等」と云ふ理念は崩されますし、理念以前にその歌は「いろは同工歌」として特に認識されるべきものとは思はれなくなるでせう。
波江さんの「いろは同工歌」を私が嫌ふのは、それが音を基本原則としてゐるものだからです。表記は語に從ふべし、と云ふ大原則に基いて歴史的假名遣が成立してゐる事を主張する立場であるからには、意味よりも音を優先する「いろは同工歌」を私は嫌ひます。そして、意味よりも音を優先する波江さんが「歴史的假名遣を支持する」と言つても、私はそれを信用出來ません。はつきり言つて、私は波江さんを信用してゐません。
>侵略征服といふ破壞行動の後に早くも始まつた再建同化の風景とでも想像力をめぐらして頂けぬものか
波江さんが妄想を巡らすのは御自由ですが、それを他人に強要するのは無茶と云ふものです。
>名に立ちてかざす秋津の島曲練り越え来る祖等ぞ瀬戸活け植ゑ居ぬ
「名に立ちてかざす」とは何を翳すのか。何ゆゑ「祖ぞ」でなく、「祖等ぞ」などと云ふ不自然で聞き苦しい表現にせねばならぬのか。「瀬戸活け」とは一體全體どう云ふ行爲を指すのか。花なら兎も角、瀬戸をどうやつて活けるのか。尋常な頭では理解不能な事だらけです。
>委任受けろよお褒美讓る
それを云ふなら「ご襃美」でせう。「お襃美」などと云ふ日本語はありません。小學生でも知つてゐます。
>>親指で持つ世話マメ褒め
>親指とは體制當局 所詮はそこに飼はれて居る身だからせいぜいゴマをするしかないか
「世話マメ襃め」などと云ふ奇怪な文言から、何ゆゑ胡麻擦りの意味が生ずるのか想像を絶します。「あいつは嫌な奴だ」「どうして」「世話マメばかり襃めるからさ」
波江殿、あなたも度し難い人だ。「誹謗中傷」も糞もない、そもそも舞臺に上れないと云つてゐるのに、「喝采」されたはないでせう。
西部は「惡文」の勉強になりませう。西部の本が、そちらの圖書館で「焚書」になつてゐなければよいですが。戰時中に生まれたwatsonより。
最後の日本人は何処にいますか
> 瀬戸活け植ゑ居ぬ
侵略征服といふ破壞行動の後に早くも始まつた再建同化の風景とでも想像力を
めぐらして頂けぬものか 征服地に新たな地名をつけ先住者の祠を毀ちて祖宗
の社を建てる傍らにて新技術による築港治水植林其の他の事業も立上げてをつ
たものかと いはゆる皇化の恩に浴せしめてをつたと
> 親指で持つ世話マメ褒め
親指とは體制當局 所詮はそこに飼はれて居る身だからせいぜいゴマを
するしかないか 勅撰集の埋め草になりと入集せしめねばなるまいか
watsonさんへ
承り置きますが誹謗中傷も喝采の中ですよ 若さを誇る貴君だ 私より何十年
も後にまで生きてをらうから作文に就いてあらためて負うた子に教はる時間も
たつぷりあるでせう 西尾西部邊は讀みをらず
『sc恆存評論集』も『sc恆存著作集』もニの字点が使われています。
さりげなく、蔵書自慢。
樂しき惡文家の波江殿、あなたの文章は學生は愚か、生徒いや兒童にも讀ませられません。
福田さんの「弟子筋」の松原正氏は、「作文の勉強をやり直せ」と西部を叱つてゐます。
(月曜評論9月號42−45頁、「西尾に負けた西部」)
御老齡を氣毒には思ふが、西部より數等惡文のあなたには、「作文を止めよ」としか言へません。
福田さんから返禮葉書を貰つたことが得意なあなたには、「福田譯」がいまも精彩を放つのは、
小田島や逍遙とは違ひ時流に媚びなかつたからであることすら、分つてゐません。
小田島譯はいまや、ダサくて「失笑」を買ふばかりですよ。
殘念なことながら、いや「樂しい」ことながら、あなたは古典のことも飜譯のことも分つてゐない。
「月曜評論」 http://www.getsuyou.com/
私が泥で拵へた無樣な人形を、波江さんが「下手糞。ちよいと貸せ」と捏ね直したら、別の無樣な代物が出來上がつた。波江さんの人形の方が多少目鼻らしきものが目立つやうだが、要するにどちらも同じ泥人形――。喩へればこんな感じでせうか。いや、泥人形に失禮かもしれない。
私は「世話マメ」とは何ぞとお訊ねしたのですが、御説明はないのでせうか。今囘の「神武東征」の歌の「名に立ちてかざす」やら「瀬戸活け植ゑ居ぬ」やらについても、是非意味を知りたいものです。拙歌の「食み搖れを祕むエロ」とどの程度の本質的な差があるのか、波江さんは絶對に説明出來ません。無意味で馬鹿げてゐる事に何の違ひも無いからです。
波江さんの恩師は福田恆存氏と異なり、笑ひの感覺がよほど鋭い人なのでせう。きつと「世話マメ褒め」だの「お褒美讓る」だのと云つたセンス溢るる「詩」を一讀するや、破顏一笑なさるのでせう。破れた顏が引き攣つたまま元に戻らないかもしれませんが。
>詩形發想の自由
>字音登場回數の平等
>各音漏れなく歌ひ出しの音を与える機會均等博愛の原則
目眩がします。
>将来碁盤ならぬ假名盤も出来て假名石撫しつつ詩心鬪はすが詩の常識となりま
>せうしお茶お花に和歌も同じ國民當然の嗜みになりませう
萬が一にもさうなつたら、日本は滅びた方が増しだと存じます。
>鉈に幸ぬ 過失ね空き巣 手の生く瀬と受けそ依怙お 藁ゐ遣りう參るゑ
食み搖れを祕むエロ
踏めよ屁も本
なたにさちぬかしつねあきすてのいくせとうけそえこおわらゐやりうまいるゑ
はみゆれをひむえろふめよへもほん
名に立ちてかざす秋津の島曲練り越え来る祖等ぞ瀬戸活け植ゑ居ぬ
食み搖れを祕むエロ
踏めよ屁も本
なにたちてかさすあきつのしまわねりこえくるおやらそせといけうゑゐぬ
はみゆれをひむえろふめよへもほん
神武東征の昔を想起した譯では無い 貴君の腰折中三十三音を並べ替へし迄
小生を諷せんとならばせめて中に三十一音を含めてから五十歩百歩なり格調
なり云々して下さい
二昔以上前怠惰な文科生たりし頃shakespeare講読の授業中指導教授が折角の
喜劇も福田譯では笑へませんねと評して居たを想ひ起しました その孫弟子筋
ともなるとすかうも味も素ツ氣も無いことになるかとね
野嵜さんにも申したいはたかが何それなどいふ物云ひは滅多にせられぬことだ
後々ご自分が傷つくのみです
詩形發想の自由
字音登場回數の平等
各音漏れなく歌ひ出しの音を与える機會均等博愛の原則
と小生の論理は既に説明して置きましたがご不足ですかな
将来碁盤ならぬ假名盤も出来て假名石撫しつつ詩心鬪はすが詩の常識となりま
せうしお茶お花に和歌も同じ國民當然の嗜みになりませう 娘さんを嫁がせる
際は嫁入り道具に持たせておやりなさいよ
文藝とは言葉を踏臺にして人がのし上がる手段では無く虚心に言葉の都合を聞
き知る技術です
野嵜さん。
CSSへの移行作業をほぼ完了しました。
IE以外のブラウザ、特にネスケをご使用の方には、このところ見苦しい點があつたと思ひますが、これでおほむね問題なく見られるやうになつたと思ひます。
野嵜さん、色々とご教示ありがたうございました。
何かお気づきの點がありましたら、ご指摘よろしくお願ひ致します。
戰時下ゆゑ、參加は不確定ですが、日時場所が決まりましたら御聯絡ください。任せ切りで申し譯ありません。
私も腰折一首。
鉈に幸ぬ 過失ね空き巣 手の生く瀬と受けそ依怙お 藁ゐ遣りう參るゑ 食み搖れを祕むエロ 踏めよ屁も本
五十音圖を斜めに讀んで、適當に變換しました。何と無く形になつてゐるでせう。ところどころ狂人の譫言のやうな箇所がありますが、意味が通じない點では波江さんと五十歩百歩と思はれます。率直な感想ですが、高校生の頃に下手な短歌を詠んだ時の方が、遥かに頭を使ひました。
論理的に考へる努力を拔きに、詩歌を含む如何なる文も全うには書き得ません。先人のそのやうな努力の積み重ねを通じ、國語は豐かになつてきたのです。殘念ながら、波江さんのいろは同工歌は、國語を豐かにするどころか、玩具として弄び、その格調を臺無しにするものです。眞に國語を愛する人ならば、「ちと餌もやらぬと困る 委任受けろよお褒美讓る」だの、「親指で持つ世話マメ褒め」だの、「鬼を腑分け醉ふ運掘れろ」だの、意味不明の見苦しい言葉を書き連ねて平氣でゐられる筈がありません。美しい歌を苦心して一首お詠みになる方が遥かに立派です。
>是文明の基礎体力に影響しますのでね
たかが「いろは同工歌」なんぞで、「文明の基礎体力に影響」などしやしません。笑。波江さんのは自己滿足以外の何ものでもないと思ひます。
と言ふか、「日本が一段剥け変はる」なる異常な言葉を平氣で使へる邊、波江さんは怪しい。あと、惡文つて晴れがましいものなんですか。初めて知りました。長生きすると、色々面白い事がきけて樂しいです。
正式? なオフ會は10月後半邊にと云ふ事にしたいと存じますが、金曜日の夕方6時すぎに私は時々、神保町邊をうろついてゐたりしますので、とつつかまへて突發的オフ會にするのも可です。
私は10月なら行けると思つてゐました。
でも友達の結婚式に呼ばれてしまつて、旅費を彈き出せさうにないんです。
節約すれば10月後半に何とかなる「かも」しれません。
哀愁を帶びた理由です。
今回転送致しましたので 物好きの方は御覧の上 日本語のやれば出来ることの範囲
をご確認下さい
句讀点を入れるとすればその切り方で妥當でせう 単語毎に一字明け
にしなければ意が通ぜぬ屈折語では無いのですから必ずしも必要を感ぜぬ迄
一昔前の作で
かつあまりに特殊未曾有の形式によつてゐる故未だ一般には取付きにくい
か知れぬが
日本語の本質究明には不可避の資料となるであらうから是非一閲を
といふほどの含意あり
先ほどのレスは一字脱漏あり失禮
野嵜さんへ
リンク切れでしたか笑 修正有難く
評價するせぬ以前の不可避の道程だと私は云ひ置くまでです
是文明の基礎体力に影響しますのでね 此処を鍛へる所無くして
日本文化の脱皮成長は無い
わたしは、10月初旬以降ならあいております。
企画としては、別の地域で古本屋を見てみるというのはどうでしょうか?
ペトロニウスさんがお忙しいようですね。機会があれば、二次会と称して、
ペトロニウスさんと飲みたいなあ、と思っておりましたが。
サイトの宣傳でリンク切れは痛過ぎると思ふのですが。
歌として死んでゐるので、「いろは同巧歌」を私は評價しません。パズルみたいで、暇潰しで作るのは面白いんでせうが。
私は駄弁を包むにふさはしき駄文を以てした迄にて惡文などといふ晴れがましき
ものを書いた覚えは無いのでが 帰路外部の電脳より 続きは帰宅後
波江殿、以下の文を論理的に解析してください。
今回転送致しましたので 物好きの方は御覧の上 日本語のやれば出来ることの範囲
をご確認下さい
惡文は惡文なり。單語を竝べても論理は構成できぬ。
二三日後に皇后様が児童図書評議会に招かれてとかでスイスに参らるるやうですが その文明文化を築いた當の王朝の子孫が今猶現役の権威基盤であるといふ前提に成る國が日本であるに 只今の皇室にその自覚がおありとは思へぬ
平成二年の今頃即位禮の予祝もかねて字数歌の形で架空の歌合を営んでみました
今回転送致しましたので物好きの方は御覧の上日本語のやれば出来ることの範囲
をご確認下さい 和歌俳句といふ形だけでは日本語の特質を生かすことにかけて
未だ象を撫でた程度といふのが私の考へですがそれ故にこそ決して避けて通れぬ
里程であると思ひし次第
字数歌劇つきかけ
http://www5a.biglobe.ne.jp/~namie/sub29.html
句会の巻もあるのですがこちらは暇無くしばらくかかるか知れません
以下は駄弁
日本が一段剥け変はる為には詩歌俳句散文いづれに携はる方も必ず一度はいろは
に挑戦してみて下さい 日本文明にとつての己を知るといふことのそれこそいろは
である 碌な素材検査もせずに拙速に製品ならぬ作品を組みお釈迦タコの山を築いた
が近代現代の文学なるものの正体たり 人パンのみにて生くるにあらず まして國家
をや それと北朝鮮邊にいきどほる前に皇室の方が妄りに人前で外国語の腕前披露せら
るる弊を改めて頂きたくやうお諌めする見識を持ちませう 二三日後に皇后様が児童図書
評議会に招かれてとかでスイスに参らるるやうですが その文明文化を築いた當の王朝
の子孫が今猶現役の権威基盤であるといふ前提に成る國が日本であるに只今の皇室にその
自覚がおありとは思へぬ
みんな、もっと疑問をもとう
林道義さんが文章を追加された。以下は、氏にしか書けないと思ふ。
<横田めぐみさんのお母さんは「めぐみが死んだことを信じない」「北朝鮮の言うことは信じられない」と言っている。母の直観は正しいかもしれないのだ。横田さんは気丈にも「お父さん、お母さんに会いたい、きっと助け出してくれる」と信じて、頑張ってきたのかもしれない。その娘の心が分かるから、「必ず娘は生きている」と信じられるのだ。私だったら、娘がこんな目に合っても、きっと生き抜いていると信じる。>
話題に関係ない話で恐縮です。
PC Tips の ISO-HTML 関聯の記事で、私の記事へのリンクを変更していただけませんか。もはや plala のアカウントは消滅しておりますゆえ。
拉致「死亡者」に生存説 韓国情報筋
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7月まで集団生活
90年代末「横田さん似」亡命者証言も
【ソウル21日=黒田勝弘】北朝鮮に拉致された日本人について北朝鮮は八人がすでに死亡したと発表しているが、実際は最近まで生存していたのではないかとする未確認情報があり関係者を緊張させている。韓国の情報関係筋が二十一日までに明らかにした。最も新しい情報では拉致日本人たち約十人がこの七月まで北朝鮮のある招待所(特別宿舎)で当局の厳しい管理の下に集団生活をしており、その後、他の場所に移動させられたという。
≪外務省、情報を把握?≫
この移動は、小泉純一郎首相がカナダでの主要国首脳会議(カナナスキス・サミット)の各国首脳との会談で拉致問題を取り上げるなど、日本政府が問題解決に強い姿勢を見せたことで、北朝鮮当局として何らかの対応策を迫られたためではないかとみられるという。
また韓国の有力紙・朝鮮日報は昨年八月二十四日付で情報筋の話として「一九九〇年代末まで平壌のアンサン招待所で拉致日本人八人が集団生活」と報じている。
同筋によるとこの情報をもたらしたのは、二〇〇〇年春に韓国に亡命してきた北朝鮮の主席府経理部出身の「南グァンシク」という人物。平壌にいた際、職場が招待所の近くにあり、招待所に知り合いがいたことから目撃できた。一同はほとんどが女性で子供もおり、日本の歌なども歌っていたと証言しているという。
この亡命者は拉致日本人の顔写真から、横田めぐみさんと奥土祐木子さんに似ていると証言したという話もあるが、もしこの目撃証言が事実なら横田さんは一九九〇年代末までは生存していたことになる。
またこの亡命者情報については日本政府(外務省)が一昨年、ソウルに調査員を派遣、亡命者の事情聴取を行っているという。
同筋によると、韓国の情報当局は拉致日本人の行方についてはこのほか複数の未確認情報を得ており、拉致日本人のほとんどが最近まで生存していた可能性は十分ありうるとの見方をしているという。
一方、日本の外務省が今回、北朝鮮側から死亡者の死亡時期を通報されながら公表しなかった裏には、これまで日本政府にこの種の「生存情報」がもたらされていたことも影響しているのではないか、とする見方がソウルでは出ている。
北朝鮮が一部だけを生存者とし、ほとんどを死亡と発表した背景について同筋は「生存しているとなれば日本に送還、帰国させなければならない。そうなると北朝鮮の内情が暴露される恐れがあるため、その危険性がある人物については死亡としたのではないか」としている。
◇
外務省幹部は二十一日夜、韓国での未確認情報について「そうした情報は聞いたことがない。『南グァンシク』という人物の名前は聞いたことがあるような気もするが、政府が接触したことはないと思う」と述べた。
holmesさんが「不埒」と御立腹になつたエロサイトのSPAM的書込みを削除。
連中は削除されても逆切れして掲示板を荒したりしないので、その點は助かります。
「救ふ會」がけふ出した田中均宛質問状(朝日は全文公開しないであらう)、竝びに林道義教授の小泉外交批判文(のHP番地)を下記に記す。
――――――――――――
★☆救う会全国協議会ニュース★☆(2002.9.20)
■田中均外務省局長に公開質問状提出
家族会(横田滋代表)と救う会全国協議会(佐藤勝巳会長)では本日(9月20日)、
これまで報じられている日朝首脳会談での「安否情報」疑惑について、交渉の実務責
任者である田中均外務省アジア大洋州局長に以下の公開質問状を届けました。
平成14年9月20日
外務省アジア大洋州局長
田中均様
「北朝鮮による拉致」被害者家族連絡会
代表 横田 滋
北朝鮮に拉致された日本人を
救出するための全国協議会
会長 佐藤勝巳
公開質問状
私たちは今回の小泉総理訪朝でもたらされた拉致被害者8件11人の情報の信憑性に
ついて強い疑念を持っています。この情報が北朝鮮側の捏造であった場合、対応によ
っては現在生きている人が抹殺される可能性もないとは言えません。今回の首脳会談
において実務の責任者であったあなたにはその事実関係を明らかにし、誤りがあれば
国民の前に直ちに訂正すべきであります。以下の質問への誠意ある回答を求めます。
1、17日飯倉公館で福田官房長官と植竹副大臣は横田・有本・増元・市川4家族に対
しそれぞれの被害者が死亡していると告げました。しかし翌18日夕刻、横田・蓮池両
家族及び救う会事務局長荒木が梅本公使と会った際、梅本氏は他の被害者についても
「死亡を確認したわけではない」「自分は聞いたこと、見たことを東京に伝えただけ
」と語っています。平壌の未確認情報が誰の手によって家族のもとに事実として伝え
られたのか、明らかにしてください。
2、情報が未確認のものであるのなら、マスコミが死亡を既成事実として報道したの
は誤報であるはずです。なぜそのような報道をしたマスコミに対して抗議をしないの
か、明らかにしてください。
3、なぜ、北朝鮮から渡された通知書の原本を開示しないのか、明らかにしてくださ
い。あるいは口頭で伝えられたものもふくめ、なぜ最初から家族にすべての情報を開
示しなかったのか、明らかにして下さい。
4、生存とされた4人についても面会した梅本公使は本人確認のための証拠を確保し
ていません。なぜ、本人の映像ないし写真や音声を記録してこなかったのか、あるい
は本人たちが両親に会いたいと言っていたにもかかわらずその場で手紙さえ書かせな
かった理由は何なのか、説明してください。
以上の質問事項に対し9月25日水曜までに書面による回答をされるよう求めます。
★★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆
救う会全国協議会ニュース
発行:北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会
TEL 03-3946-5780/FAX 03-3944-5692
http://www.asahi-net.or.jp/~lj7k-ark
〒112-0015 東京都文京区目白台3-25-13
担当:荒木和博(事務局長 k-araki@mac.email.ne.jp)
――――――――――――――――
http://www09.u-page.so-net.ne.jp/ka2/rindou/
時事評論 40 「罠にはまった小泉訪朝」
我が國において民族といふものを意識する場面に出くはすことは少ない。確かに、一昔前と比較して外人との接触は多くなつた。然し、その接触において、お互ひの民族性の差異の認識は未だ極めて薄い。といふのは、我が國での外人との接触の際に生ずる不安感の殆どは、外見の違ひと言語の壁であつて、我が信仰が汚されるであるとか、歴史に見る先祖の怨念を晴らすであるとかいつたやうな拐~的な不安は生じないからである。つまり、戰后日本人は個人對個人の接触はしても、民族の一員としての接触をしなくなつた。此れが問題なのである。
自己認識とは、他者との接触によつて生じ、其の摩擦が大きければ大きいほど、自分の存在を正確に認識しようと努力する。明治維新期における日本人國民意識の形成はまさにその最たるものであり、奇跡とも呼べるほどの自己認識の速さであつた。然し、その子孫たる現在の日本民族は、民族の一員たる自覺もなくし、極めて自堕落に陥つてゐるとしか言ひようのない状況である。日本人はまともに外的接触ができなくなつてしまつたのだ。
國際社會にはづかしくない人間とは、自民族の文化と誇りを歴史の中から學びとつてきた人間のことである。若し、誠に國際化なるものを推進しようとするならば、まづ意義のある國粋化が必要とならう。
小生は、民族の誇りを呼び起こさねばならないと考へてゐる。民族文化の復活の鍵は皇室にある。皇室に對する畏敬と憧憬が、日本文化と民族の再確認となるであらう。
日本愛国革新本義
檄
国土ヲ離レテ国民ナク、国民ヲ離レテ国民杜会ナク、
国民杜会ヲ離レテ人生ナシ。
故二国ヲ愛セザルモノハ人二非ズ。
日本ハ尊厳極ミナキ皇室ヲ中心トシテ世界ニ比ナキ団結カヲ有スル
日本同胞ノ愛国同胞主義ニヨル日本タラザル可カラズ。
実二、日本ハ愛国同胞主義二生キ、愛国同胞主義ハ国体二生ク。
シカモ日本愛国同胞主義ヤ今何処。
国体ヤ今如何。
世界ノ大勢、国内ノ実状、一トシテ国本改造ノ急ヲ告ゲザルモノ無シ。
日本ノ危機タル真二未曾有ト称セザル可カラズ。
之ヲ救フモノハ何ゾ。
唯愛国革新ノ断行アルノミ。
生命二価スルモノハ唯生命ヲ以テノミスベシ。
日本愛国革新者ヨ、日本愛国革新ノ大道ノ為二死ヲ以テ、唯死ヲ以テ立テ。
今月は無理なのですが、10月後半だつたら出席させて貰へると思ひます。
その時はまた宜しくお願ひします。
金正日へ追い銭遣る
出鱈目なコネをつけ
悪路揺れ栄え
嘘食み侘ぶ間
基据ゑぬ墓地よ
きんしよんいるへおひせにやるてたらめなこねをつけ
あくろゆれさかえうそはみわふまもとゐすゑぬほちよ
忌々しさ虚しさをいろはの句法に託すれば上の如き歌になりました
怪我の功名といふべきでせうが今回の挙は日本が独自外交への針路
を切り開いた点は評価さるべきでせう しかし救ふ会の皆さん同様
真実は全員生存といふ前提でさらなる真相追求がされなければとは
思ひます
救ふ會(北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会)の
事務局長荒木和博から「拉致被害者関連情報は虚偽」との緊急聲明が發表された。
報道された「死亡年月日」には重大な疑義があり、日付を見ると、これが虚偽である可能性が高いとのこと。
「つまり、死亡とされた8人は現在も生きている可能性が高い。」
「未確認の死亡情報が一人歩きすると、めぐみさんらがいま殺される可能性がある。」
衆議院議員・西村愼吾はいふ、
○ 総理と金正日は、形は握手だけでも、実は公衆監視の中で抱き合ったのと同じである。
○ 独裁者と抱き合った政治家の末路は、多くの歴史の示すところである。
だが、金正日獨裁王朝・全體主義「やくざ」國家の北朝鮮を崩壞させ、新たな東アジアの秩序をつくることが、「戰後民主主義」の小泉にできるであらうか。日本は、道徳も戰略も見識もなく、ただ漂流するだけであらうか。オペラ觀劇、CD鑑賞は輕薄なミーハーと同じ刹那の感覺。
小泉に、先祖の遺訓と苦鬪を慮るための時間はないのか。
昭和三十五年、小林秀雄は「ヒットラーと惡魔」の末尾にかう書いた:
<もしドストエフスキイが、今日、ヒットラーをモデルとして「惡靈」を書いたとしたら、と私は想像してみる。彼の根本の考へに搖ぎがあらう筈はあるまい。やはり、レギオンを離れて豚の中に這入つた、あの惡魔の物語で小説を始めたであらう。そして、彼はかう言ふであらうと想像する。惡魔を、矛楯した經濟機構の産物だとか一種の精神障礙だとかと考へて濟ませたい人は、濟ませてゐるのがよからう。しかし、正銘の惡魔を信じてゐる私を侮る事はよくない事だ。惡魔が信じられないやうな人に、どうして天使を信ずる力があらう。諸君の怠惰な知性は、幾百萬の人骨の山を見せられた後でも、「マイン・カンプ」に怪しげな逆説を讀んでゐる。福音書が、怪しげな逆説の蒐集としか映らぬのも無理のない事である、と。>
含蓄ある言葉である。拉致被害者が、命の盛りの33歳平均で死ぬことはありえない。平壤の「ヒットラー」に殺されたのである。が、「幾百萬の人骨の山を見せられた後でも」、北朝鮮に「怪しげな逆説」を見たい人は多いのだ。
副島隆彦はいふ、
<餓死寸前の2700万人(もうそんなには残っていないだろう。既に1500万人ぐらいに減っているだろう)の国民の惨状についても日本で報道されている通りだろう。>
被害者8人の方々の、拉致時年齡平均は27.8歳、北鮮のいふ殺害時平均は32.6歳である。
東アジア全體主義專制に抵抗した氣骨の日本人の餘命は、4.8年であつた。
>目が疲れて仕方がありません。頭が痛くて堪らないのです。
目の疲れとは即ち目の筋肉の疲れです。目のストレッチをおすゝめします。
目を閉ぢて眼球を上下左右、左廻りや右廻りに動かし、また焦点を前後に動かします。
#先の私の投稿の「後者」は「前者」の間違ひ。
支那語から輸入された日本語の語彙があつたり、逆に支那語に輸出された和製漢語があつたり。
「電腦」は後者といふのが私の考へです。
computerを日本語で言ふなら電子計算機ではないですか?
電脳は支那語でせう。
赦し得ぬ國の罪
拉致された人を思へば
聲無き夢魔ぞ
違和責めず呼ぶ
險路うねりて
赤い帆や
ゆるしえぬくにのつみらちされたひとをおもへはこゑなきむまそ
ゐわせめすよふけんろうねりてあかいほや
断腸の報せがありましたね 出かけた先の電脳より思ひを
尽くし得ませんが
日本國憲法で我々は「平和を愛する諸國民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」のですから、信頼が裏切られたからといつて北朝鮮を非難できないのではないでせうか。勿論日本政府を非難することもできません。せいぜい愚痴を零すくらゐしかできません。愚痴を零しながらも擦り寄つて、「平和を愛」して呉れるやうにお願ひするしかないでせう。そしてこれからも北朝鮮を始めとする諸國民の「公正と信義」を信頼し續けるしかありません。
この憲法のある限り。
國民の生命と財産を守るために政府を造つたといふ近代國家の原理が熔解してゐる。
横田めぐみさんは北の工作員を目撃してゐた。消さねばならぬ。十年前に病死とは信じられない。
吹上濱から拉致された、許婚の市川・増元の御兩人は、薩摩人らしく筋を通したために殺害されたのではないか。
ヨーロッパで拉致された有本さんは、家族に手紙を出したことで、松木・石岡兩氏ともども殺害されたのであらう (テレビに寫された有本さんの手紙に、「取り敢へず」とか「伝へる」とかの假名遣ひが見えたやうに思ふ)。
以上の方々の殺害は、日朝交渉が水面下で始つたこの一年以内のことと推察する(大半が拉致「2年以内に死亡した」を信じられやうか)。勿論、證據湮滅のためである。今後も數十人以上と目される名前の特定されてゐない拉致被害者の方々が次々と處斷されるだらう。
有本さん横田さん御兩親の、絶望に屈せず、理不盡に對して毅然と鬪ふ姿勢は洵に天晴れである。日本人が久しく見失つてゐた擧措である。他の被害者親族の方々も立派である。
ポピュリスト小泉の即席付燒刃の澁顏は一日と持たなかつた。歸國機のタラップ上で、小泉は、つい手を振つてしまつたのだ。
やうやく安否がわかつたのは大きな成果だつた。
……しかし一番の問題は、それが遲過ぎたことだ。
何故狂氣に滿ちた政府に拉致されたとわかつてゐながら、二十年以上見殺しにしてゐたのか。
レバノン政府にできた自國民を守ると云ふ當然の行動が、日本政府にはできなかった。
私は拉致された人よりも、その御家族のはうを遙かに氣の毒に思ひます。
野嵜さんに対する批判ですか。
それとも、匿名希望氏に対する批判ですか。
十三歳で拉致され、それでも彼の地で子供を育て、恐らく絶望と戰ひながら亡くなられた横田さんのことを思へば、餘りに餘りに評論家的、非人間的な表現ではありませんか。庶民の感覺を取り戻してください。
>小泉訪朝大失敗で、右翼がまた元氣になるな……。
拉致を認めさせたと言うことは、国家犯罪を認めさせたいうことなので、小泉訪朝は大成功だと思うのですが、どの辺が大失敗なのですか?
>今回、初めて正仮名遣いで書こうと試みたのは木村貴様やwatoson様に対するささやかながらの敬意でありまして、決して三島氏に対する敬意のためではないことを申し添へておきます。
正假名で書く人間への「敬意」や義理で正假名を使つても仕方がありません。日本文化を守れと聲高に主張する人が「現代かなづかい」で書くのは自己撞着である、不誠實であると私は申上げたのです。
小泉とブッシュが會談して、日本の言ひ分が通らないからと云つて、小泉が「日本の道理」とやらに則つてブッシュを「叩き斬る」わけには行きません。フセインやビンラディンのやうに、身の程知らずにもアメリカを「叩き斬」らうとする人間も世界にはゐますが、結果は目に見えてゐます。日本がそんな愚かな滅び方をしては堪らぬと、少なくもこの私は思ひます。
とつつあんは、日本が「日本の道理」、正しくは日本の價値觀を常に百パーセント貫ける、貫くべきだとお考へのやうですが、餘りにも樂觀的過ぎます。却つて國を危ふくするものです。
>メートル法で日本を測っても割りきれないことは百も承知でお話しています。日本には西洋では割りきれない部分があるということを知っていただければ充分です。
日本には西洋の尺度で割切れぬ部分がある。そんな事は、正しく「餘りにも當然」です。西洋に向ひ、「お前らの尺度を振りかざすな」と常に突撥ねる事が出來れば、誰も苦勞しません。現實にはそれが出來ないからこそ問題なのです。疉の寸法なら「日本の尺度」を貫いても西洋から文句は出ないかも知れませんが、「近代法治國家」と云ふ名の「グローバル・スタンダード」ばかりは、如何に不快だらうと、日本がこれを拒否しようとして拒否出來るものではありません。
幕末時代、攘夷と云ふ價値觀を貫かんとして米佛蘭の艦船を砲撃した長州は、どんな報復を喰らつたか。己が價値觀を貫く爲には強者でなければなりませんが、百四十年前の長州藩同樣、現代日本も歐米の前では吹けば飛ぶやうな弱者に過ぎない。この冷嚴なる事實を、我々は先づ噛みしめなければなりません。さうすれば、親の苦勞を知らぬ不良息子のやうな、下記の如き「不敬」な文章は書けなくなる筈です。
>もし本当に天皇が自ら立憲君主としての立場を選んだのであるなら、もはや天皇は西欧の政体を模倣するための政治の道具としての代理物でしかなく日本人が命懸けで守る価値などどこにもなく、戦後の日本人が生命以上の価値を見出すことも無く平和平和と意地汚く己の命に固執することは当然の帰結ではありますまいか?
天皇が「自ら」立憲君主としての立場を撰んだ筈がありません。幕末に於ても、戰後に於ても、それは西洋列強の壓力によつて「撰ばされた」に過ぎません。しかし、さうするしか國際社會で日本が生き殘る道は無かつた。その苦汁の選擇を捉まへて、「國民が駄目になつたのは天皇がだらしないからだ」と云ふやうな意味の事を書かれたのでは、泉下の明治天皇も昭和天皇も堪らないでせう。立憲君主制と云ふ嚴しい選擇を受け容れ、それが求める役割を見事に貫かれたからこそ、近代天皇は偉大であると私は信じます。
立憲君主制は、近代國家としての體裁と日本の傳統とをぎりぎりのところで兩立させるうへで、さう惡くない仕組みだと私は考へます。若き日、長州で西洋列強の凄じい力を見せつけられた伊藤博文は、維新後、四十歳を過ぎてドイツに留學し、近代憲法について必死で學びました。幸ひ、伊藤が學んだグナイストやシュタインといつた憲法學者は、所謂歴史法學派に屬し、明治憲法起草に當たつては、日本の歴史を重視するやう説いたと云ひます。憲法起草と云ふ大問題を抱へ惱んでゐた伊藤は、強く勇氣づけられたさうです。我々は、先人の勞苦にもつと思ひを致すべきではありますまいか。日本はもう攘夷は出來ないのです。(參考書)八木秀次『明治憲法の思想』(PHP新書)、中川八洋『正統の憲法 バークの哲學』(中公叢書)
>「日本の道理」と「西洋の道理」には共通するところも多いと思ひますが、
>やはり異なつた価値観が根底にあるやうに思ひます。
日本と西洋で價値觀が違ふのは當り前のことでせう。洋の東西を問はず、道理は道理です。
辭書を引いてみてください。
木村貴様へ
おつしゃる通りです。私は野嵜さんからいつ「ならば腹を切ってみろ」と言はれるのかとびくびくしてをりました。
反論ではなく言ひ訳をさせて頂けば、確かに18歳の時にわけも判らないまま三島由紀夫に心酔した経験がありますが、それも流行病のやうなものでしかなく、今では一冊の蔵書の持ち合はせも無く今回慌てて数冊を買ったほどで、特別に尊敬してゐるほどのこともなく、彼の言ひ分にも一理あるなあといふ程度なのです。
また私は三島氏と同じぐらい野嵜さんを買つてをります。アラレさんがおつしゃるやうに、お二人を重ね合はせ過ぎたのかもしれませんが、三島を通して野嵜さんの考へをもつと知りたいといふ気持ちだけでなく、実は野嵜さんを通して三島を読み解きたいといふ気持ちもあつたといふことを告白しておきます。
最後に一言反論させて頂きますと「日本の道理」と「西洋の道理」には共通するところも多いと思ひますが、やはり異なつた価値観が根底にあるやうに思ひます。
watsonさまへ
私は三島由紀夫に関する如何なる団体にも属してをりませんし属したいとも考へてをりません。
二伸:今回、初めて正仮名遣いで書こうと試みたのは木村貴様やwatoson様に対するささやかながらの敬意でありまして、決して三島氏に対する敬意のためではないことを申し添へておきます。
初めてのことゆゑ多々間違ひがあらうかと存じますが御笑殺くだされば幸ひです。
闇黒日記の最新版から「前の記事」へのリンクが、「愛と、勇氣と、闇黒日記」よりも一つ前の記事へのリンクになつてしまつてゐます。
>1:日本の道徳の源泉が天皇だと考え、政治と道徳を峻別しなければならないと考える野嵜さんが、天皇の政治的権限を認めるのは矛盾していないのでしょうか?融通があっていいというのはどのようなことでしょうか?
人の或言動が政治的であるか、道徳的であるかは、峻別すべきです。しかし、人は必ず「政治的人間」か「道徳的人間」かの、いづれか一方でなければならない、とは思ひません。一人の人が、時と場合によつて、政治的に振舞つたり、道徳的に振舞つたりするのは、あり得る事です。
>2:天皇は権威であり敬意が払われるべきであるというのは、あくまで政治的な君主のお立場としての権威であり払われるべき敬意なのでしょうか?日本人が西洋を理解することなど不可能とお考えならば西洋人が君主に当然として払う敬意を、日本人が西洋の君主に擬した天皇に払えないとしても当然のことではないのでしょうか?
そもそも今囘の「天皇論爭」の發端は、Piro氏やねずみ氏が「天皇を嘲笑して樂しまう」と主張したのに對し、私は「天皇の前では敬意を示すべきだ」と主張した事にあります。私は、思想の自由や言論の自由は認めます。しかし、禮儀を守るのは當然だ、と信じてをります。
例へば學校の先生を、馬鹿にして、嘲弄の對象とする生徒がゐます。嘲弄の對象となる先生は、實際に問題のある事が屡々です。ですから、「先生を馬鹿にしてはいけない」と生徒に命ずるのは、「馬鹿な先生は馬鹿にして良い」と生徒を煽動するよりも、或意味不合理です。ですが、それでも「先生を馬鹿にしてはいけない」と教へるのが躾の正道でせう。
本質的に、權威は、合理的に説明出來なければならないものでもない、と、私は思つてをります。
>3:天皇を源泉とする日本の道徳とはどのようなものですか?三島の武士道は論外としても例えば神道のようなものでしょうか?またその道徳の乱れを正し日本の秩序を回復するにはどのようにすべき(あるべき)だとお考えでしょうか?
天皇の最大の使命は、皇祖を祀る事です。天皇が先祖を祀つてゐる限り、日本から道徳は無くならない。
※最近の常連さんは最早御存じないと思ひますが、かつて「帝国電妄省」事件と言ふのがありました。とつつあんは、それ以來の常連さんなのです。
三島由紀夫氏を顯彰する「憂國忌」の代表格の方に、一度申し上げたことがあります。
本當に三島氏を敬慕するなら、三島が年少期より最後の檄文まで一貫して遵守した「歴史的假名遣」、これをどうして學び、繼承しないのかと。
政治や天皇ではないでせう、三島が最も眞劍だつたのは「歴史的假名遣」ではありませんか。
己を省みない言論は根本から虚しい。とつつあんは愚かにも、その事にさつぱり氣附いていらつしやらない。それほど迄に日本文化を守りたいのならば、それほど迄に三島の事を尊敬してゐるのならば、なにゆゑ、正假名遣ひで文章を書かないのか。とつつあんが使用する「現代かなづかい」こそ、表音主義と云ふ西洋思想にかぶれた連中が戰後のどさくさに紛れてやつてのけた、文化破壞の最たるものではないか。
「言葉 言葉 言葉」の讀者ならば、正假名遣ひの文章を書く技術的手段は知つてゐる筈だ。いやいや、特別のソフトなんぞ無くとも、數日間も練習すれば、僅かな手間を我慢すれば、正假名遣ひで書けるやうになる。その程度の努力もしない怠惰な人間が、やれ日本文化を守れだの、やれ「至誠」だの、やれ「死ねば良い」だの、威勢の良い臺詞を口先ばかりで言ひ募る。私は、そんな男の云ふ事なんぞ、これつぽつちも信用出來ない。何が忠だ。何が仁だ。三島を尊敬する筈のとつつあんは、「知行合一」と云ふ言葉を知らない。
私の批判に、とつつあんは一言たりともまともに反論出來ない筈だ。それは私の言ひ分が道理に適つてをり、とつつあんの文章が道理に適つてゐないからだ。英語やフランス語に飜譯したつて同じ事だ。道理は萬國共通であり、「日本の道理」「西洋の道理」などと云ふ譯の判らないものは存在しない。筋道立つた議論で負けた人間が、死にさへすれば「逆轉勝ち」となるやうな、そんな道理不在の氣狂ひ國に日本がもしなり果てたなら、その時は、いつそ滅びてしまつた方が世界の爲になると思ふ。いやいや、すでになり果ててゐるのかも知れぬ。
「至誠を尽くせば必ず思いが通ずると考える」のは私欲ではないかと思ふのですが。
それから、掲示板の過去ログを讀んでとつつあんさんの書き込みを全部讀んでみましたが、とつつあんさんは、野嵜さんを心配してをられるやうにお見受けしました。
とつつあんさんは三島さんと野嵜さんを重ね會はせ過ぎてゐるのではないでせうか。
それが話の通りを惡くしてゐるやうに思はれるのですが。
お話の邪魔をしてしまつてすみません。
反映されている・・・
通りすがり様、初めまして。
>AならばBといふ論に對して、相手は「B」と云つてゐるといふ捉へ方は間違ひです。
私についても同様のご配慮を期待します。
「A」に対して「B」であると「判断」するには、ある価値基準が存在します。その価値基準は何か?と問うています。
私は、三島の考え方、儒教、とりわけ朱子学や陽明学の価値観、そこから派生した武士道の教本となった「葉隠」の価値観では「A」であることは「B’]だと書いたのです。
それに対して野嵜さんは「A」ならば「B]だとお返事をくださいました。判断の基準は示されていません。
>權威がなくとも見事だとか立派だと云ふことは出來ます。「『仁』とか『忠』とかの價値觀」さへあれば、權威は不要でせう
「土臺「至誠」なんていんちき」であるということと「「『仁』とか『忠』とかの價値觀」さへあれば」ということは通りすがりさんには矛盾していないのでしょうか?私にはさっぱり分かりません。
>それで野嵜氏の「アプリオリに存在する『仁』も『忠』も、存在しません」といふ論は崩せません。
「仁」や「忠」が、イデアであってアプリオリに存在するものであって、至誠が現実に実現しないことは否定しません。ですが至誠の本質が個体の拒否と純粋な精神の作用であることは、現実に至誠が実現しないことと矛盾しません。
>さういふ無意味な問ひ掛けは論点を不明瞭にするだけではないのですか。
>もう少し論点を絞つて反論してはどうでせう。
では簡潔に野嵜さん宛に質問を書いて終わりにしたいと思います。
野嵜さんへ。
野嵜さんは、道徳と政治は峻別しなければならないと二元論のお考えで発言されています。
三島氏は、西洋の近代が日本にもたらされ、天皇を西欧の君主に擬したために日本の政治と日本の道徳(*)は峻別されなくなり混乱と日本人自らの文化破壊が生じていると言っています。
野嵜さんは怒るかもしれませんが、私は野嵜さんと三島氏の現状認識に近いものを感じています。
しかしここからが少し違います。
三島氏は、近代がもたらした日本の混乱を整理するには「西洋の政体」と「日本の道理」を峻別しなければならず、そのためには天皇から政治性を排除して国軍を復権させるよう憲法を改正せよと言っている。
それに対し、野嵜さんは憲法改正によって政治と道徳が峻別できるとはお考えになっていないようです。また、天皇はその権威をはっきり示すために現状より更に西洋の君主に近い権限と政治性は必要であるとお考えのようです。この辺から私にはまだよく理解できないのですが、野嵜さんの言う日本の道徳とは天皇をその源泉とするもので、どのようなものか分かりませんが三島氏の考えるものとは異なっています。
(違っていましたら訂正してください。)
私が知りたいと思って始めた掲示板の書き込みですが今私が知りたい疑問は以下。
1:日本の道徳の源泉が天皇だと考え、政治と道徳を峻別しなければならないと考える野嵜さんが、天皇の政治的権限を認めるのは矛盾していないのでしょうか?融通があっていいというのはどのようなことでしょうか?
2:天皇は権威であり敬意が払われるべきであるというのは、あくまで政治的な君主のお立場としての権威であり払われるべき敬意なのでしょうか?日本人が西洋を理解することなど不可能とお考えならば西洋人が君主に当然として払う敬意を、日本人が西洋の君主に擬した天皇に払えないとしても当然のことではないのでしょうか?
3:天皇を源泉とする日本の道徳とはどのようなものですか?三島の武士道は論外としても例えば神道のようなものでしょうか?またその道徳の乱れを正し日本の秩序を回復するにはどのようにすべき(あるべき)だとお考えでしょうか?
皆様の書き込みの妨げになったこと、またお返事をつけてくださいました皆様にお返事を掛けなかったこと、大変失礼いたしました。野嵜さん長々とお付き合いありがとうございました。
(*)正確には三島氏は「道理」と表現しています。
横から御免なさい。とっつぁんは誤讀と無意味な反論が多いです。例へば、
>>忠孝その他一切合切の價値觀は全て無意味となるのであります。
>なぜそのような結論になるのか分かりません。
ここですが、元は、
野嵜氏>不忠であれなんであれ死ねば良いと言ふのならば、忠孝その他一切合切の價値觀は全て無意味となる
です。AならばBといふ論に對して、相手は「B」と云つてゐるといふ捉へ方は間違ひです。相手は「AならばB」だと云つてゐるのですから。それと、
>「忠」はまだしも、天皇の「仁」が見事であるとか立派であるとか価値判断できる天皇よ
>り権威のある存在とはどのようなもののことなのでしょうか?
權威がなくとも見事だとか立派だと云ふことは出來ます。「『仁』とか『忠』とかの價値觀」さへあれば、權威は不要でせう。また、たとひとっつぁんの云ひ分が正しいとして、それで野嵜氏の「アプリオリに存在する『仁』も『忠』も、存在しません」といふ論は崩せません。さらに「権威のある存在とはどのようなもののことなのでしょうか?」といふ問ひの答へが解つたからと云つて、とっつぁんの反論の役には立たないでせう。さういふ無意味な問ひ掛けは論点を不明瞭にするだけではないのですか。
もう少し論点を絞つて反論してはどうでせう。
>「至誠」は、自分で極め附けなければ存在しないんです。だからいんちきなんです。
何度も至誠は滅私によってなされなければならないと申しておりますように己の行為を「至誠」だと極め付けることは私欲であってその行為は至誠ではありません。日本の価値観はどこまで行っても己の精神の吟味です。
>天皇の權威は、天皇が決めたものではありません。だから、「至誠」はいんちきですが、天皇の權威はいんちきではありません。
「至誠」の本質がインチキであるなら天皇を敬愛する人々が抱く天皇に対する「誠」もインチキであるはずで、ならば天皇の権威は誰が決めたのでしょう?もしそれを歴史という時間の流れにのみ求めるのならば、時間の経過と共に天皇の権威が消失していくことに嘆いたり批判したりすることなど無意味なことです。
>その「理解」は、爲にする曲解です。
私は三島の至誠が本物で、2.26の至誠が偽者だと理解するという意味で言ったのではありません。三島の行為には見せるという政治的私欲があったと私はすでに認めております。三島の弁護は「はたと困った」で終えて、ここでは三島の論を通して日本の道理を論じようと試みているつもりでした。
「とつつあんは機械的な反應に終始していらつしやいます」と受け取られて残念ですが、答えやすいところだけをかいつまんで答えるのではなく、書きにくいことでもなるべくお返事の総てにお答えしようと努めたつもりです。
お答え頂けないのは残念ですが、お答えして頂けなければ私はそれを甘受いたします。
>ただ、或態度、或行動の過程が「仁」とか「忠」とかの價値觀に照らして見事であるとか立派であるとか言へるだけです。
「忠」はまだしも、天皇の「仁」が見事であるとか立派であるとか価値判断できる天皇より権威のある存在とはどのようなもののことなのでしょうか?
>存在は結構ですが、或立場の人が存在するからといつて、(以下略)
私の読解力では批判のための批判としか読めないのですが、もう少し判りやすく書いていただけるとありがたいです。
>そもそも「死ぬ事と見附けたり」が、天皇に對する唯一の忠節の盡し方である、と云ふのはでつち上げです。
>大體、神道に於て「死は穢れ」ですから、神道の最大の神官である天皇に對する忠節の盡し方として、死んで見せるのは、或意味、非常に皮肉なやり方です。
おっしゃる通りです。野嵜さんに三島批判の材料を提供することになりますが、三島氏は死の13日前に古林尚氏との対談で「天皇でなくても封建君主だっていいんだけどね。『葉隠』における殿様が必要なんだ。ロイヤリティの対象たり得るものが」と語っています。野嵜さんはきっと三島の言う天皇など観念的、幻想的、非実存的な彼自身の独善的美学の産物と批判されるでしょう。
しかし西洋から押し寄せる近代という思想に日本が押しつぶされないために西洋の君主に擬して立憲君主政体を敷き天皇を政治カードに用いたように、三島は西洋の封建君主に擬した天皇を文化カードとして用いるしかないと主張した。
要は、西洋の君主に擬した政治的天皇を以って西洋の近代を受け入れるのと、三島の言う文化的天皇を以って西洋の近代を受け入れるのでは、どちらが日本の歴史や文化、伝統を断絶させずに済むかという点であって、私は三島の言に、より理を感ずるということです。
>「至誠」が本質的にインチキだとするなら天皇の「権威」もインチキでしかないことになってしまいます。
「至誠」は、自分で極め附けなければ存在しないんです。だからいんちきなんです。天皇の權威は、天皇が決めたものではありません。だから、「至誠」はいんちきですが、天皇の權威はいんちきではありません。
機械的に、いんちきと言はれたから同じ言葉を返す、といふのは感心しません。どうも今囘の「論爭」、とつつあんは機械的な反應に終始していらつしやいます。
>2.26において野嵜さんがインチキだと考えていると理解しておきます。
その「理解」は、爲にする曲解です。この曲解を前提にしたとつつあんの「主張」は全て無意味ですから、その邊は全て無視いたします。
一點だけ批判しておきます。
>天皇が存在する世界には「仁」が存在し、天皇が存在する世界には「忠」が存在する、ただそれだけのことです。
「仁」も「忠」も、イデアですから、現實に存在しません。ただ、或態度、或行動の過程が「仁」とか「忠」とかの價値觀に照らして見事であるとか立派であるとか言へるだけです。アプリオリに存在する「仁」も「忠」も、存在しません。
>三島はこのことを世俗的な言葉で「守る者」と「守られる者」の関係と表現しました。守られる者の存在無くして守る者が存在することはありえず、また守る者の存在無くして守られる者が存在することはありえないはずだ、と(*)。ですから「「君主としての仁を知らない」「俺たちと同じ道理を持つてゐない」」という価値判断はそもそも成立しません。
存在は結構ですが、或立場の人が存在するからといつて、その人がその立場を守るとは斷定的に言へません。しかし、三島はそれを「斷定的に言へる」或は「言はねばならぬ」と信じてゐたでせう。さうでなければ、三島が、「守る者」と「守られる者」ですか、その「關係」を言つて滿足する筈がありません。しかし、前者ならばただの勘違ひですし、後者ならば「価値判断」は成立しますから、とつつあんの説が間違つてゐると云ふ事になります。
「葉隠」は江戸時代のものですが、それ以前に既に天皇の權威は存在してゐますし、天皇に對して忠節を盡した人物はゐます。そもそも「死ぬ事と見附けたり」が、天皇に對する唯一の忠節の盡し方である、と云ふのはでつち上げです。
大體、神道に於て「死は穢れ」ですから、神道の最大の神官である天皇に對する忠節の盡し方として、死んで見せるのは、或意味、非常に皮肉なやり方です。
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目が疲れるのは、寢不足が最大の原因だと思ひます。御心配を御かけしてをります。
初めまして、横レス御無禮致します
> メートル法で日本を測っても割りきれないことは百も承知でお話しています。日本に
は西洋では割りきれない部分があるということを知っていただければ充分です。
仰っしゃる事は解る氣が致しますが、尺で西歐も測りきれないでしょうし、日本を尺で測る事すら既に困難であると思えます、元來測る物差しなど無いのですから、ありますか?
>「武士道とは死ぬこととみつけたり」
武士道といふのは良く知りませんが、發生の段階で禅の影響を多分に受けているもの事と思います
【死んで死んで死にきって思ひのままにするわざぞよき】といふ至道無難禅師の言葉にもありますが、此の死といふのは、肉體の死を意味するのものではなく、生死を越えた(自我の壞死)というのが元來の意なのでしょうが、歪曲して解釋されて利用され「至誠」など譯の解らんものに美化されてしまったものと推測致します
最近 ある掲示板で紹介があり讀んで觀たのですが、戰爭體驗の無い私は衝撃を受けました
http://www.ne.jp/asahi/tyuukiren/web-site/index.htm
日本の國といふ物を愛する、喜殿の氣持ちは誰しも同じもに御座いますが、過去の事實を直視する事も、必要であると想ふけふ此の頃であります
短絡的で失禮致しました
メートル法で日本を測っても割りきれないことは百も承知でお話しています。日本には西洋では割りきれない部分があるということを知っていただければ充分です。
>自分で自分の考へを「至誠」と呼ぶ邊、怪しいとしか思へません。
「至誠」が本質的にインチキだとするなら天皇の「権威」もインチキでしかないことになってしまいます。2.26において野嵜さんがインチキだと考えていると理解しておきます。
>忠孝その他一切合切の價値觀は全て無意味となるのであります。
なぜそのような結論になるのか分かりません。英霊の死も結局は無駄死にだった、英霊も糞もあったもんじゃないとお考えなのでしょうか?
>そこには説得の努力も何も、存在し得無い事になります。死ねば良いのですから。
はい、その通りです。説得するという行為は日本では醜悪な行為でしかありません。話の通じない相手は叩き切るのです。日本の道理を支えるのは「死」をおいてのみです。言葉を駆使するのは政の世界のことであって、政の世界は道理から最も離れた世界であります。
>何であれ死ぬ人間が述べた意見ならば「至誠」と認めるのが天皇の「仁」であると、そんな事をとつつあんはおつしやるのでせうか。
そんな馬鹿なことは一言も申しておりません。「期待」という言葉が誤解を生んだのでしょうか?
「忠」と「仁」は何か生理的な機序のように還流するものではありませんし、原因と結果という関係でもありません。また天皇は「至誠」を、ましておや正邪や善悪を判断する存在でもありません。生物的に優れているかどうかとか全能であるかないかとか、天皇を「人」や「神」に擬して語ることに意味がありません。
天皇が存在する世界には「仁」が存在し、天皇が存在する世界には「忠」が存在する、ただそれだけのことです。
三島はこのことを世俗的な言葉で「守る者」と「守られる者」の関係と表現しました。守られる者の存在無くして守る者が存在することはありえず、また守る者の存在無くして守られる者が存在することはありえないはずだ、と(*)。ですから「「君主としての仁を知らない」「俺たちと同じ道理を持つてゐない」」という価値判断はそもそも成立しません。
もし本当に野嵜さんの言うように日本が「忠」や「仁」も存在しない世界であるならば日本人の道理の世界の天皇はもはや存在しないのであり(守る者と言う意味での日本人も存在しないのであり)、もし本当に天皇が自ら立憲君主としての立場を選んだのであるなら、もはや天皇は西欧の政体を模倣するための政治の道具としての代理物でしかなく日本人が命懸けで守る価値などどこにもなく、戦後の日本人が生命以上の価値を見出すことも無く平和平和と意地汚く己の命に固執することは当然の帰結ではありますまいか?
ならばいっそ天皇はキリスト教へ改宗を宣言され西欧の価値に守られ、国民から税金泥棒となじられながら日本の元首として生きていく道をお選びになることを望んでいらっしゃるわけではないでしょう?
日本には「忠」や「仁」は存在しなければならず、日本には天皇は存在しなければならず、天皇を西洋の呪縛から解き放たねばならないのです。三島氏は「守る者」と「守られる者」の関係を取り戻しさえすれば日本人は日本の道理に目覚めると期待したのです。言論の自由や民主主義を否定しなくても、つまりは西洋から持ち込まれた近代と日本が日本でありつづけることは天皇という切り札によって共存できると期待したのです。
(*)これは三島氏の正確な引用ではありませんが「ありえない<em>はず</em>」という趣旨のことを言ったのは、戦後の憲法が「守られる者」の存在を認めながら「守る者」の存在を否定していることに日本の道理の破壊の元凶があると見ていたためだと思います。
何であれ死ぬ人間が述べた意見ならば「至誠」と認めるのが天皇の「仁」であると、そんな事をとつつあんはおつしやるのでせうか。そんな馬鹿な「仁」なんてないですよ。
>またある者が人を貶めようとあ りもしない嫌疑を掛けたとして、疑われた者が死を持って潔白を晴らすことも言い掛かりの不正を助長することでしかありません。
だからと言つて、全ての日本人が「同じ道理」を持てと言はれても、その「道理」が「死ねば良い」では、話が堂々巡りです。
少くとも、昭和天皇は立憲君主制の君主としての立場を堅持する道を御選びになつたのであり、その道を昭和天皇は嚴しく守つたのであり、だから昭和天皇は偉大なのですが、そんな昭和天皇を「死ねば良い」と考へる人間が勝手に「君主としての仁を知らない」「俺たちと同じ道理を持つてゐない」と極め附けて罵るのは身勝手です。「期待」も何も、それは單なる自分の價値觀の押附けであり、言葉を飾つてゐるに過ぎません。
自分で自分の考へを「至誠」と呼ぶ邊、怪しいとしか思へません。
大體、まともなものだとしても、至誠が通ずるか通じないかは時と場合によるのではないですか。
しかし、不忠であれなんであれ死ねば良いと言ふのならば、忠孝その他一切合切の價値觀は全て無意味となるのであります。耻も糞もありません。「死ねば良い」となるのであります。
そこには説得の努力も何も、存在し得無い事になります。死ねば良いのですから。實に横着な概念だと思ひます。氣に入りません。
岡倉天心の「堂々男子は死んでも良い」と云ふ文句を、保田與重郎が褒めてゐますね。「死ねば良い」「死ぬが良い」「死ぬ事と見附けたり」はただのニヒリズムだ、と保田は述べてゐます。
お返事遅れて申しわけありません。
小説の軽薄・重厚と信用との間にどのような関係があるのかよく分かりませんが、おっしゃる通り私は三島を買っております。というよりあえて言えば三島というより日本という国を信じております。
それと先にも書いたように三島由紀夫を持ち出したのは、野嵜さんの天皇論を明瞭に知りたいがためであって、三島でなくともPiro氏やねずみ氏でも構わなかったのです。でもそれでは鮮明になるどころか堂々巡りになるだろうから違う切り口として持出した三島に過ぎません。
>それならば、「天皇に言葉を發したら死なねばならぬ」と云ふだけの事ではないでせうか。
その通りです。ただ私が三島をかりて言う「天皇」とは、野嵜さんの言う「倫理の儀表」(*)としての天皇のことです。前にも書きましたが日本人の価値観では、不正を糾すことも正義を貫くことも、つまりは個人がひとたび公であるがためには、死を以って己という個人を超越することを日本の道理は厳しく要求します。
しかし、この日本の道理が成立するには、誰もがお互いに同じ道理に基づいているという大前提が必要です。例えば、ある者が死を掛けて不正を糾したとして、不正を働いた者が言い掛かりだと開き直れば不正を糾す行為は無意味(犬死)になります。またある者が人を貶めようとありもしない嫌疑を掛けたとして、疑われた者が死を持って潔白を晴らすことも言い掛かりの不正を助長することでしかありません。日本人が「恥」の文化を持つといわれるのは忠であること不忠であることを問わず死を科さねばならないという倫理の道理を持っているからです(**)。
以前、野嵜さんが書いた2.26の将校と天皇のこと(***)で言えば、この道理の価値観が同じであることは当然として期待されていたのであり、またこの道理の土俵を支える価値観として天皇の「仁」は期待されたのです。もちろん将校個人としての「期待」ではなく価値観の世界として期待されていたという意味です(****)。
ですから「天皇に言葉を發したら死なねばならぬ」ということは戦後民主主義的価値観(西洋的価値観?)の元では野嵜さんの言うような結論になるのかもしれませんが、日本的価値観では死ぬことによって精神の瑕疵の有無(大小?)を示すことができるのです。そうして初めて残した言葉が生きるのです。(*****)
野嵜さんは至誠を尽くせば必ず思いが通ずると考えるのは間違いだと言いましたが、私は至誠を尽くすことによって想いを「届ける」ことができる最低条件を整えることができる程度のことだと考えます。
(*)私は倫理というよりむしろ日本の「道理の儀表」だと思います。
(**)例えば「喧嘩両成敗」は今では真実を追究しない日本的あいまいな決着ではなく、この道理の土俵を守るための措置であり、また日本人は真実がどうであるかということよりも精神に潜むほんの些細な瑕疵こそ重要としていたための措置だったと考える。
(***)しかし、もしそんな「美しい關係」が成立したとすると、その時、天皇の心と臣下の人間の心とは完全に一致するのであります。言換へれば、天皇と臣下の人間との心の距離はゼロとなるのであります。これを、例へばポオならば「美しい」と呼ぶのでせうが、D.H.ロレンスならば「おぞましい」と斷定するに決つてゐます。個人と個人との間には、理解出來る部分もあるが、相互理解不可能な壁が存在します。その壁を恰も存在しないかのやうに看做す事は單に自己の他者に對する押附けであります。(無題) 投稿者:野嵜健秀 投稿日: 9月 5日(木)21時07分31秒 より
(****)磯部に対する三島の批判は前に書いた通り。
(*****)日本人が問題にするのは精神の瑕疵であるから以前にも書きましたが究極の「忠」の形式は誰にも知られずただ死んでしまうことです。「葉隠れ」の有名な言葉「武士道とは死ぬこととみつけたり」はこの究極の有りようを言っています。
野嵜樣又立ち寄ってしまいました
>目が疲れて仕方がありません。頭が痛くて堪らないのです。どうすれば良いのでせうか掲示板。
目が疲れるのは、ある程度仕方ないのでしょうが、頭が痛くて堪らないのは心配ですね、腦梗塞、血管障害の恐れもあります、かなり以前の事ですが母親も無性に頭が痛いといっていて、食事中急にろれつが、回らなくなり、左半身がだらーんと倒れて意識がなくなりました、幸い完治しましたが、MRI、MRIアンギオなど一度精密檢査を受けられる事をお勸め致します
私は一日十時間以上モニタを眺めてゐますが、全然目が疲れません。異常でせうか。
野嵜さまへ再び
モニターを眺める時間が相當に多いのではと推察します。アラレ氏の調節機能を鍛へる工夫以外に、私が知つてゐることで御參考になりさうなことを以下に記します。
一、まづモニター畫面を可能な限り低位置におくことです。讀書時と同じくらゐにできればベストです。置臺との兼合もあり、物理的に不可能なこともありますが、視線を水平から大きく下げて見ることが極めて重要です。市販のPCモニター(液晶をふくめです)にはこの配慮が殆どありません。CRTではソニー製に人間工學に配慮したものが一臺ありましたか。
私は古いCRTモニターを使つてゐますが、早く液晶モニターに替へたいところです。CRTは極微小ですが畫面が搖れてをり、微弱ながら軟X線を出してゐます。また、CRT表面にあたつた空中の微細ゴミが、陽極高電壓で加速され顏面に飛込み角膜を痛めることがありうることも數年前に話題になりました。
さらに、畫面を見つめる時間が長いと、瞬きの囘數が少なくなり、「ドライアイ」現象を呈します(一分間瞬目しないと角膜は乾きます)。
二、机上の作業空間を活用するため、鍵盤は、カーソル、テンキーなしの小サイズのものを使つてゐます。また鍵盤とマウスは兩方ともワイアレス(赤外線、無線)のものを用ゐ、机上で邪魔にならないやうにしてゐます。專門家は机を左右廣くつかい、躰を動かす工夫をしてゐます(一週ほど前か、「産經」に産業醫學研究所の齋藤氏の記事が出てゐました)。
三、畫面の表示は、白地に黒字が基本でせう(明い背景に暗い字)。これが見易く、疲勞が少ないことは二十年も前から確定してゐます。書物や書類と同です。いまだに逆を行つてゐるHPがおほいのは殘念です。例の「侍魂」もさうですね。
先便に記しました院長は元北里大眼科助教授で、神經眼科學の權威です。何かの際には御遠慮なく仰つてください、御紹介します。
野嵜樣
眼が疲れ、頭痛とのこと、御茶の水にある井上眼科病院の院長と舊知ですので(專門は違ひますが)、いつでも御紹介します。
ちなみに、漱石が一目で懸想した婦人を見掛けたところ、また東大眼科より古い病院として知られてゐます。よければ紹介状を書きますので、おしらせください。
watson
こんばんは。オフ會はとても樂しかつたです。ありがたうございました。
私は結構目を使つてゐると思ふのですが、視力も低下しないし頭痛もありません。
よく、遠くのものと近くのものを見て、ピンボケするのを修正するのですが、多分それが良いのだと思ひます。
お大事に。
野嵜樣
早速の御返事ありがたうございます。いま全集第六卷「覺書」を讀み、私の錯覺に氣づきました。
福田さんは次のやうにも書いてゐます。
「もし三島とその周圍の事情を詳しく知つてゐたなら、かはいさうだと思つたであらう、自衞隊員を前にして自分の所信を披瀝しても、つひに誰一人立たうとする者もゐなかつた、もちろん、それも彼の理想のうちには入つてゐた、といふよりも、彼の豫定どほりと言ふべきであらう、あとは死ぬことだけだ、さうなつたときの三島の心中を思ふと、今でも涙を禁じえない。」
この件は松原正の「三島論」の結末を想起させます。ともあれ、福田は、三島の自決の一年も前から三島はをかしいと言つてゐたと、福田に私淑した方から聞いたことがあります。「覺書」にある、この昭和四十三年の坐談會あたりが遠因なのかもしれません。
續けて福田さんは
>私には三島の「國粹主義」こそ、彼の譬喩を借りれば、「暗渠で日本に通じてゐる」としか思へない。
と書かれてゐるのですが。
福田さんの話の流れがわかるやうに、この文章も含めて私は最初に引用してをります。過去ログを御覽下さいまし。
>私は三島に「福田さんは暗渠で西洋に通じてゐるでせう」と、まるで不義密通を質すかのやうな調子で決め附けられたことがある。
との引用ですね。これは福田が三島に言はれたことであり、また何時のまにか「西洋」が「日本」に入れ替つてゐますので、質問した次第です。
古林さんにも御會ひしたかつたです。
佳澄さん、どうも、野嵜です。今後ともどうぞよろしく御願ひします。
watsonさん、『全集第六卷』の「覺書」です。前に書いたんですが。
「まさにその通りだと思います」ととつつあんがおつしやつてゐるやうに、とつつあんと私とでは同じものを見てゐるのであります。ただ、そこから先で、解釋が異るから、とつつあんと私とでは、意見が合ひません。
私見ですが、とつつあんは三島を買ひ被り過ぎであるやうに思ひます。私は三島を信用出來ません。案外誰も言つてゐませんが、三島の小説は、井上ひさしや筒井康隆のそれと良く似たところがあり、輕薄です。井上も筒井も輕薄ですが、三島も輕薄であつたやうに私は思ひます。
「不忠なる言葉」云々のとつつあんの御説明には、感謝します。しかし、それならば、「不忠でない言葉を發したと言ふこと」もまた「死んで無私の精神を示すこと」と「同義」となりますね。ですが、それならば、「天皇に言葉を發したら死なねばならぬ」と云ふだけの事ではないでせうか。
それは單に「天皇に對して口を利くな」或は、そもそも「天皇については口を噤め」と云ふ事になるんですが。逆に、「死ぬなら、天皇に(ついて)はどんな非道い事を言つても良い」と云ふ事になるんですが。ですが、さうなると、天皇は單なるタブーと化し、「天皇拔き」の議論が却つて罷り通る事になり兼ねない。
また、天皇を守る爲には、單に或政治體制を取れば良い、と云ふものではないと思ひます。「言論の自由」を楯にとつて、「反論の自由」を持たない天皇を嘲笑しようとする馬鹿な左翼もゐますし、天皇が認める認めないにかかはらず「忠臣」を氣取つて好き勝手を言ふ馬鹿な右翼もゐますから。
>それは政治権力とは分離した天皇(*)による立憲君主政体でもよいのではないか?と思うのですが、
と訂正します。
お返事
>また、「不忠なる言葉を発したと言うことは死んで無私の精神を示すことと同義」といふのは、全然譯がわかりません。
ここでのキーワードは不忠であるかないかではなく、天皇に対し言葉を発するということにある。
主君に対する忠とは忠であろうと不忠であろうと死をもって示さねばならないという意味です。
(*)天皇についての憲法の改正論の大方は、国の機関としての権限を拡大強化せよというものと、象徴は不明確だから権限の強化をして元首にすべきだというもので、天皇を文化の中心に位置付けるという三島氏の論は他にない。
しかし三島氏の考えていた改憲論は、表面的(法理的)には天皇の政治性の排除と国軍の復権でしかない。
>「暗渠で日本に通じてゐる」と評した福田氏
とありますが、福田著作のどこにそんな言葉がありますか。
>「暗渠で日本に通じてゐる」と評した福田氏は、一般的なさう云ふ評價に異を唱へ、三島の「合理主義」の根柢に日本人らしい「非合理主義」のある事を指摘したものと思ひます。
まさにその通りだと思います。日本人の根底に合理主義など微塵もないのです。ですから三島氏は最後の最後に非合理にこだわった。非合理の価値を日本人に問うたのです。
野嵜さんは日頃、日本人に西洋の精神など理解できるはずがないと判断しながら西欧に学ぶ必要があると説く。ならば西欧の精神から生まれた近代は日本人は結局受け入れられず、無理に受け入れるなら歴史と伝統の断絶でしかないのではないでしょうか?
ならば三島氏の言うように日本という根底の上に西欧の近代に近い何か日本的近代というようなものを乗せ二階建ての国家政体にするしか仕方がないのではないか?それは政治権力とは分離した天皇(*)による立憲君主政体なのではないか?と思うのですが、いかがでしょう?
また野嵜さんはどのような政体において西欧の近代と天皇の権威は守ることが実現できるとお考えでしょうか?
野嵜健秀様
こんにちは。高坂様のご紹介で来ました。
充実した内容のページがたくさんあつて、とても読み応へがありますね。
実は、もうずいぶん前から拝見してゐたのですが、
興味深いお部屋が多いので、
少しずつ読ませていただいてゐます。
最も興味深いのは、松原正氏の講義ノートです。
最近、私はグレアム・グリーンの「情事の終わり」を読んだばかりで、
その中でサラアが信仰を求めていく過程にとても興味をもちました。
新潮文庫版の後書きでは、グレアム・グリーン自身が「キリスト教のパラドックス」として、
「神の敵がいないところでは、神を発見することも望み得ない」と言つてゐるそうです。
この言葉を考へていく上で、とても参考になると思ひました。
お部屋が多くて、この講義ノートへ行き着くのに、
ときどき迷子になつたりしてゐる私ですが、
どうぞよろしくお願ひします。
8/28 にドイツに帰ってしまった関係で、野嵜様にお会いする機会が持てませんでした。
今度機会があれば、お会いしてみたいものです。
>nn4.8
私のサイトもデフォルトになってしまいます。いずれ対策は立てます。
現在、キンチョウリキッド、ベープマット、キスカの三軍による防衞體制を敷いてをります。
連中は、説得に應じようとしません。
「死んで「見せる」」事と、「死んで無私の精神を示す」事とは、矛盾してゐます。見せるのは自己顯示欲の表はれであり、無私の精神はわざわざ見せる必要を感じ得ません。また、「不忠なる言葉を発したと言うことは死んで無私の精神を示すことと同義」といふのは、全然譯がわかりません。
「三島氏は学問として西欧について学んだわけではないのでしょうが、充分に西欧の精神を体得していた人物であると思います。」と御書きですが、「暗渠で日本に通じてゐる」と評した福田氏は、一般的なさう云ふ評價に異を唱へ、三島の「合理主義」の根柢に日本人らしい「非合理主義」のある事を指摘したものと思ひます。福田氏は、三島を合理的な近代人と看做してゐません。
三島にとつての天皇は、「文化概念としての天皇」であり、概念だから本氣になる事もあり得ず、だから三島は「三島だけの美しい天皇」と青年將校との「美しい」關係を描いた「英靈の聲」と云ふ道徳的に醜惡な(と言ふのは、絶對に一致し得ない天皇と青年將校の心が一體となつてゐるから)小説を書いたのであり、現實の昭和天皇に「憎惡」したりしたのであります。
天皇を「文化概念としての天皇」と看做し、人間であると看做さない點で、例のPiro氏やねずみ氏と、三島とは、全く同じです。三島は、現實の近代日本で昭和天皇がどのやうにしかふるまへなかつたかを考へず、自分の考へる「美しい天皇」像に一致しないからといつて昭和天皇を憎惡しました。一方、Piro氏やねずみ氏は、反論する自由を持つてゐない天皇の現實を全く考慮せず、「民主主義と云ふ概念に對立する天皇制」を破壞する爲に「文化概念としての天皇」を嘲笑すべきだ、と主張しました。
彼等の考へ方を「理想主義」と呼んで稱揚するのは、私には誤としか思へません。
平野氏の場合も、「民主主義ならば、より純粹な民主主義であるべきだ」と云ふ抽象論に執着し、現實の民主主義がとつた手段を全く考慮外に置くと云ふ致命的なミスをやらかしてゐます。
殘念ながら、日本人の殆どは、西歐學問をやつたものの、上滑りの理解に留まらざるを得ず、そのため抽象論でも皮相なものしかやれません。だから、淺薄皮相な「文化概念としての××」を論じたり、さう云ふ議論に滿足したりしてしまふのです。しかし、その手の現實離れした議論の皮相的なる事に、好い加減我々は氣附くべきです。
三島の「美」に關する議論も、その手の淺薄な議論で、はつきり言つて嘘つぱちです。「美について論じてゐるから、三島の主張は美しい」と感ずるのは間違ひです。騙されてはいけません。
三島の、「憂國」も「英靈の聲」も、『豐饒の海』も、『金閣寺』でさへも、美しいと言へたものではなく、寧ろ醜惡と言ふべきものであります。
管理人樣始めまして、國語嫌ひな私ではありますが、何の因縁か ATOK が舊假名遣ひになってしまひ、早2年程に成ります。久々サイトを覗いて觀たのですが、奧が深いですね、驚いています。掲示板のある事を知り、一言感謝の念伝えたく、書き込みしてしまいました
>今度は蚊を退治したいんですけどどうしたら良いですか
考へてみましたが、
●蚊を根絶する
●蚊が無くならないので、自分を先に退治して蚊に噛まれないようにする
●血をすっても良いが、痕跡と痒みを殘さないように蚊に言い聞かせる
●めんどくさいので、取り敢えず アースレッドで樣子を觀る
失禮致しました
先日のtableですが、さらに、ISO-HTMLではtbody要素の開始タグ明示が義務づけられてゐる事に氣附きました(闇黒日記では省略されてしまつてゐます)。
三菱地所系のビルは概ねビルヂングであります。
羽田空港の管理会社は東京空港ビルデングなる会社であります。
>とっつぁんのパロディの意圖が、私には全然わからないので、説明を希望します。
表面的にはそう思えても実際は必ずしもそうとも言えないという例もあるんではないかということです。「友情」「敬意」確かにパロディにさえなっていませんが、適切な言葉を思いつくことができずそのままにしてしまいました。
なかなか三島論から離れられず、早く野嵜さんの天皇論についての本論に話を戻そうと蛇足と言う形で最新の書き込みにも簡潔にお返事しておこうと試みたのですが、私の作文能力では無理があったようです。
でも何か私ばかりが多く書き込みすぎているような気がして最近気が引けます。連続投稿になっていることもしばしばですし、もしお邪魔でしたらそのようにご忠告ください。野嵜さんのような文章能力がなくどうしても多言を要してしまいます。
前回の「忠とは恋?」の補足をしておきます。
前回の**のところで言いたかったのは、磯田光一氏に対する三島氏の告白は、前回お話した死んで「見せる」の「見せる」ための演出の一つだったのではないかと思えるということです。
また不忠なる言葉を発したと言うことは死んで無私の精神を示すことと同義なのです。井沢元彦氏ではありませんが、日本の発する「言葉」には常に「正しさ(正しくあるべき精神)」と一体である厳格さがありました。そのあり様を日本人は言霊と称していたんだと思います。閑話休題。
>日本は西歐の文明に力で負けたのであり、だからこそ西歐文明の根柢にある西歐の精神を日本は學ばざるを得ないと考へてをります。三島は、力で負けただけだから、日本は西歐に學ぶ必要等ない、と考へてゐたやうに思はれます。
三島氏は学問として西欧について学んだわけではないのでしょうが、充分に西欧の精神を体得していた人物であると思います。三島氏は民族主義者、国粋主義者と呼ばれますが、彼の思考のプロセスは徹底した論理主義と合理主義で満ちていると感じます(*)。三島氏は西欧の尺度で何度も何度も日本を計測し、しかしどうしてもメートル法で尺貫法を測りきることができなかった。日本を西欧で割算して割って割って割ってどうしても割り切れることのできない日本の根本が天皇であると氏は到達した。
日本の歴史と伝統、日本語、文化、美と精神、その総ての源泉に天皇がいると気づいたのです。天皇こそが日本が日本であるための要であると。
さらに三島氏はその天皇を支えた根本に、死をもって精神を浄化するという日本人の美の精神に到達したのです。
相撲の行事は行司差し違えのとき腹を切るための刀を差しており、また将棋や碁盤の裏には不正をした対局者の首を置くための首塚(正式な名称を知りません)が彫られているように、日本人はいったん己を離れ他者と対峙するときは必ず滅私でなければならず死を覚悟しなければならなかったのです。つまりは天皇と臣民の関係、「忠」においてのみならず「公」であること総てにおいて死がついてまわりました。
三島氏は論理的に考察を重ね最低最小、天皇と忠の心をなくさなければ日本は日本であり続ける、野嵜さんの言葉を借りれば「傳統と近代の橋渡しはなされ」ると考えたのです。
三島氏が現実を無視した甘っちょろい理想主義者と言われるのは、日本が日本であるための最低最小限のことだけを問うたせいだと思います。枝葉末節にこそ現実はあるのですから。
三島氏は神懸かり的に菊と刀を持ち出したわけではありませんし、西欧に学ぶことを否定したわけでもありません。日本の歴史を紐解けば日本は絶えず海外に学んでいました。三島氏は立憲君主政体としての近代を否定しましたが近代そのものを否定したわけでは決してありません。議会制民主主義も言論の自由も三島氏は歓迎しています。ただ日本が日本であって西欧にならないためには(単に天皇が居さえすればいいのではなく)日本の価値観を体現せしめる天皇が要ると言っているのです。生命以上の死の価値観が要ると言っているにすぎません。
また三島氏の合理的な考えの例を示すならば、氏の主張する憲法改正は天皇から政治的な権限や元首しての権能を極力排除し、文人に対する叙勲と武人に対する栄誉を与える機能だけあれば良いとし、自衛隊は二つに分け日本を守るつまりは天皇を守る刀だけの儀仗軍と、国家を守る近代兵器を持つ国軍とし、国軍は国連軍としての役割をも担うと述べている(**)。
(*)しかしその徹底の「仕方」はあくまで日本流の、日本の価値観と尺度を完全に捨てたものではなかったのか…という気もします。日本流に論理的という意味ではありません。あくまで方法論として日本流だったのかなぁと。うまく表現できませんが、私が三島氏に抱く違和感はこの辺にあるのかと思いもします。
(**)後半部分の出典がさっぱり思い出せません。「文化防衛論」を実際の形にするならこういうことなのか、と興味深く読んだ記憶が鮮明にあります。「文化防衛論」に書かれていたと思ったのですがそうではないようです。出典不明の記憶なので間違っているかもしれません。前半の天皇の機能という部分は「文化防衛論」にも書かれています。
「ビルヂング」も(略)
9月5日の日記の、「フロッピーデスク」のアンカーの終了タグが抜けてます。
HTMLファイルを保存する際、DTDとの適合性をチェックしくれるテキストエディタがあればいいんですがねえ。
自分もサイトを作っているので、他人事でなくそう思います。
青年將校の「至誠」に對して昭和天皇が「見返り」を與へたかどうかは關係ないのでして、單に昭和天皇が「至誠」を理解しなかつた、と三島は考へ、それで昭和天皇を非難してゐます。とっつぁんの「忠とは戀」説に從つて言ひますと、「戀の見返りを求めない」「無私の精神を持つ」男が、「あの女は男の戀心を理解しない惡い女だ」「男が惚れたと言つてゐるのに、あの女は男の戀を戀とも認めずつつぱねやがつた」と言つて女を憎むやうなものです。これはストーカーの論理です。
三島の論理は、ストーカーの論理と同じで、自己中心的です。
ついで。
>兵士ではない国民にさえ平然と死ねということができた戦前の日本が、国民に敬意なり友情なりを感じてゐた筈はありません。寧ろ、利用する爲に、戦前の日本は国民に接したのではないか、としか私には考へられません。戦前の日本と云ふ国には、嚴しさではない、單なる冷酷さがあつたやうに思はれます。
日本が敬意や友情を感ずる筈がありません。なぜなら、日本は個人では無いからです。
とっつぁんのパロディの意圖が、私には全然わからないので、説明を希望します。
「人間としてのあたたかみ」ですが、飽くまで三島の考へる「人間としてのあたたかみ」、と云ふ言ひ方を私が申してゐる事に注意して下さい。言換へて、「君と臣との「美しい」心の通ひ合ひ」とも言つておきました。
一方、「三島の言説にも、昭和天皇個人に對する温かな感情は見出せません」と私は言ひましたが、ここで私は「個人に對する温かな感情」と、「個人」と云ふ言ひ方をしておきました。
どうも三島は、阿吽の呼吸と言ふか、以心傳心と言ふか、さう云ふ風な天皇と臣下の者との「心の繋がり」が存在する筈だと考へてゐたやうで、「美」と考へてゐたのではないかやうにすら思はれます。「滅私の精神」を持つ臣下の心に、天皇の心が感應して、臣下に滅びの道を歩かせる、と云ふ君主と臣下の關係を、三島は美しい形式であると考へて、青年將校の蹶起に激怒した現實の昭和天皇を許せなかつたのではないか、と、さう考へるのであります。
しかし、もしそんな「美しい關係」が成立したとすると、その時、天皇の心と臣下の人間の心とは完全に一致するのであります。言換へれば、天皇と臣下の人間との心の距離はゼロとなるのであります。これを、例へばポオならば「美しい」と呼ぶのでせうが、D.H.ロレンスならば「おぞましい」と斷定するに決つてゐます。個人と個人との間には、理解出來る部分もあるが、相互理解不可能な壁が存在します。その壁を恰も存在しないかのやうに看做す事は單に自己の他者に對する押附けであります。
>腹を括つて『豐饒の海』を讀み始めたんですが、非道え小説ですねえ。
>御天氣は必ず登場人物の心情を反映してゐるのですか。何とかして下さい。
私の好きな「午後の曳航」は、汽笛が必ず登場人物の心情を反映していたりします。
前回、「つづく」と書くのを忘れてしまいましたが、「はたと困った…その3」は次回に書きます。今回は「9月 4日(水)21時12分20秒」へのレスです。
野嵜さんは、三島が理解できないと言いながらしっかり理解していらっしゃるんだと思います。
「はつきり言つてそれは、蟲の良い願ひであり、甘え以外の何ものでもありません。昭和天皇は、どうもその邊はわかつてゐたのではないかと思ひます。青年將校らの「至誠」は、天皇に對する滅私の精神であるかのやうに見えますが、實は自己の美意識を滿足させる爲のものに過ぎない、極めて自己中心的なものである、と云ふ事です。」
と言う野嵜さんのお言葉は、まさに三島氏が2.26事件の磯部を「「大御心の直接の救濟に夢をつない」でゐた」と「評して、(中略)「癒しがたい樂天主義」と述べてゐ」るのと同じことだと思いますがいかがでしょう?
だからこそ三島氏はなぜさっさと死ななかったのかと批難しているのです。
では、なぜ野嵜さんと私と意見が食い違うのかと言うと、その前段の「三島は「天皇には至誠が通ずるべきだ」と考へてをり、「昭和天皇には至誠が通じなければならなかつた」と考へてをりました。」の部分に鍵があるように思います。
三島氏は天皇に至誠が通ずることがあればそれはそれで素晴らしいことだと思っていたかもしれませんが、至誠が通ずるべきだとか通じなければならないなどと決して決して決して考えていなかったと断言します。
三島氏は日本人の主君への想いを「恋」と表現しています。「愛」でも「love」でも「男女の恋」でもない、決して褪せることのない男の「恋」と言っております。西欧の「愛」は成就することに意味があると考えるのかもしれませんが、日本の「恋」は、決してて見返りなど期待してはいけないのです。
ただただ己を殺して尽くさねばならないのです。ですからひとたび告白などしてしまったら腹かき切って死んで見せねばなりません。そうでなければ「恋」ではありません。美しくありません。正しくありません。道徳が許しません。
逆賊の汚名を被るかもしれない、不忠の輩と疑われるかもしれないと躊躇うのもまた私欲なのです。「どんな思想でも自己犠牲の伴わない思想は見苦しい」(*)のです。
ですから、もし磯田光一氏が日本の美と道徳に精通した人物ならば、三島の天皇に対する呪詛を聞いたとき、三島の自刃を確信できたはずです。なぜなら三島の天皇に対する呪詛こそ天皇に対する「恋の告白」に他ならないからです。11月25日に死ぬと決めていたからこそ告白できたのです。(**)
蛇足:兵士ではない国民にさえ平然と死ねということができた戦前の日本が、国民に敬意なり友情なりを感じてゐた筈はありません。寧ろ、利用する爲に、戦前の日本は国民に接したのではないか、としか私には考へられません。戦前の日本と云ふ国には、嚴しさではない、單なる冷酷さがあつたやうに思はれます。(正字正仮名で統一できなくて申し訳ない)
蛇足その2:野嵜さんの使われる言葉「人間としてのあたたかみ」とは西欧で言うヒューマニズムのことではありませんよね?そのような腑抜けた穢らわしい価値観で日本の美と道徳を語っているのではないと信じております。
(*)正確な引用ではありません。出展は「行動学入門」だったかな???
(**)そういう意味で三島氏の死は「個人的な死」でありました。勝手に死んで見せただけであります。死んでしまうことこそ肝心なのです。本当に一片のほんのわずかな私をも殺し透明な水滴が透明な水に融けてしまうように死んでしまう、誰も気づきもしない「死」ことが美しさと正しさと道徳の具現なのです。が、実のところ本当は三島氏には「私欲」がありました。それは文字通り死んで「見せる」ことです。なぜ彼が死んで「見せ」なければならなかったかには政治的な理由がありました。そういう意味で三島氏の死は「政治的な死」だといえます。
cite要素の解説を削つて、cite屬性の話に書換へた時に、間違へたやうです。直しておきました。どうもありがたうございます。
>三島氏の話に戻れば、父として兄として恩を受けた自衛隊において多数の重傷者を出すような凶刃を振るったからといって自衛隊を敵視していたわけではないように、三島氏の昭和天皇に対する憎悪の深さはまた恋慕の深さでもあると私は理解しています。
この邊り、理解出來ません。
顏見知りの自衞隊員にすら平然と怪我を負はせられた三島が、自衞隊員に敬意なり友情なりを感じてゐた筈はありません。寧ろ、利用する爲に、三島は自衞隊に接近したのではないか、としか私には考へられません。三島と云ふ人には、嚴しさではない、單なる冷酷さがあつたやうに思はれます。
同樣に、三島の言説にも、昭和天皇個人に對する温かな感情は見出せません。私は、三島の文章に逆説的なものを見出しません。三島は、昭和天皇に對する憎惡を、或意味、素直に表現してゐます。
或は、その三島の見た「昭和天皇」の姿と云ふものが、やはりバイアスのかかつたものであった事は、否めません。
>いえいえ三島氏は、決起の後、天皇陛下万歳と称えてどうしてさっさと自決してしまわなかったのかと言っているのです。なぜ日本の美と道徳の中で死ななかったのかと。更に言えばなぜ陛下に御聖断など下させるような不遜な真似をしたのかと言っているのです。それじゃぁすべてが台無しだと…(以下略)。
三島は「天皇には至誠が通ずるべきだ」と考へてをり、「昭和天皇には至誠が通じなければならなかつた」と考へてをりました。2・26事件の青年將校逹が「自分逹の主張を天皇は理解して呉れる筈だ」と「樂觀」してゐましたが、三島も「青年將校逹の主張を昭和天皇は理解すべきだつた」と考へてをりました。その「理解」こそ「人間としてのあたたかみ」だと三島は考へてゐたのであり、君と臣との「美しい」心の通ひ合ひである、と信じてゐたのですが、それこそが三島の「樂觀主義」であります。
はつきり言つてそれは、蟲の良い願ひであり、甘え以外の何ものでもありません。昭和天皇は、どうもその邊はわかつてゐたのではないかと思ひます。青年將校らの「至誠」は、天皇に對する滅私の精神であるかのやうに見えますが、實は自己の美意識を滿足させる爲のものに過ぎない、極めて自己中心的なものである、と云ふ事です。
pctips/www/html3min.htmlの記述ですが、
>文章の引用はblockquote要素としてマークアップします(ブロック要素)。出典はblockquote要素のcite屬性で明示します(インライン要素)。
邊りの記述が何かの間違ひかと思はれます。「(インライン要素)」といふのを削除すれば解決しさうです。
>cite="『藝術論集』桑原武夫譯・岩波書店發行"
は屬性値がURIでない以上、title屬性を使ふところですね。
三島氏が天皇と美をどのような関係で捕らえていたかといえば、思うに、先の卑近な例に喩えると、義兄が2.26の将校や特攻隊の英霊たちであり、その妻が天皇なのです。
天皇が西欧の立憲君主政体に組み込まれ続ける限り、天皇はあるべき姿として余計な忠告に耳を傾け続けねばならず、つまりは日本人の持つ美意識と道徳の源泉であるはずの天皇が、文化と伝統を破壊し続ける象徴となっていると三島氏は見る。そして「日本人自ら日本の歴史と伝統を潰していくのを歯噛みしながら見て」いるだけでいいのかと彼は激している。
>なほ、磯部が「大御心の直接の救濟に夢をつない」でゐた事を評して、三島は「癒しがたい樂天主義」と述べてゐます。
いえいえ三島氏は、決起の後、天皇陛下万歳と称えてどうしてさっさと自決してしまわなかったのかと言っているのです。なぜ日本の美と道徳の中で死ななかったのかと。更に言えばなぜ陛下に御聖断など下させるような不遜な真似をしたのかと言っているのです。それじゃぁすべてが台無しだと…(以下略)。
「福田さんは暗渠で西洋に通じてゐるでせう」という言葉のキーワードは「西洋に通じてゐる」ではなく「暗渠に」でしょう。三島氏は「暗渠」どころか「高速道路」で日本に通じていたのですから。これは冗談としても、松原先生は三島由紀夫が可哀想だとおっしゃったそうですが、この三島氏の言葉には、もはやなりふり構っていられなくなってしまっている氏の切迫した気持ちが込められているように思え痛々しくもあります。いつ頃のお話だったのでしょう?三島氏は晩年、それまで親しかった人々と距離を置かれるようになりましたが自ら距離を置いたのかもしれません。一緒に神輿を担いで頂けない寂しさの露吐と受け取りました。
もう一点、もし本当に福田氏が三島氏を評して「暗渠で日本に通じてゐる」と文字通りお感じになっていたとしたら三島氏が充分に西洋的な考え方をする人物とみなしていたということになり興味深く拝見しました。
私も申し上げておきますと、最初に野嵜さんの天皇論に違和感を持ったと書き三島由紀夫の天皇論を引き合いに出しましたが、それは私が三島氏の天皇感に違和感を持っていないということではありません。あくまで似て非なるお二人に論を対比することで野嵜さんのお考えをもう少しちゃんと知ることができるのでは、…もっとよく知りたい、と思ってのことです。
ですから野嵜さんと私の三島論の対比に陥ってしまうことはこの掲示板に書き込んだ私の本意ではありませんが長くなりますがお答えしたいと思います。
磯田光一氏というバイアスの掛かった三島論から、現実の三島氏がどの程度、昭和天皇の個人に対して憎悪を持っていたのかどうかは何とも申せません。ただ野嵜さんのおっしゃるとおり「三島は、「戦後民主主義」のみならず、明治以來の日本の近代化の過程全體を憎んでゐ」ましたので象徴天皇のみならず西欧の政体である立憲君主としての天皇制そのものを認められない形姿と批判しており昭和天皇への憎悪を一概に否定する気はありません。(*)
ですがこれはあくまで想像であって、私は、先の大戦ですがすがしい気持ちで死ぬと書き残して散華していった若人たちが、実際は二十歳そこそこで死なねばならない不条理に晴れることのない怨嗟を抱いていたはずだ式の真実暴露話を良しとしません。卑近な例でいえば浮気でさんざん妻を泣かせていた男が死ぬ間際「俺が本当に愛していたのはお前だけだ」と妻に言残して昇天してしまったとして、「お姉さん、お義兄さんの言ったことなんか信じちゃだめよ!」などとたとえそれが真実であろうと身内だからといって余計な忠告などしてはいけないのです。それが日本人の持つ美意識であり道徳なんだと思います。
三島氏の話に戻れば、父として兄として恩を受けた自衛隊において多数の重傷者を出すような凶刃を振るったからといって自衛隊を敵視していたわけではないように、三島氏の昭和天皇に対する憎悪の深さはまた恋慕の深さでもあると私は理解しています。
(*)昭和天皇は明治憲法の下でも憲法の規定以上に立憲君主的に振舞い議会や政府、官僚の決定を尊重した君主でした。その天皇が自らお話になっているように天皇自らが御聖断を下したのは2.26事件のときと敗戦のときでありました。敗戦の御聖断をそれに連なる天皇の人間宣言と考えるならその二度の御聖断こそ三島氏にとって最も日本の天皇として振舞っていただきたい機会であったはずであり、しかし実際は昭和天皇が最も立憲君主的な判断をした機会だったわけですから、三島氏の心中は想像に難くないといえます。
つづく
先日の窓の杜より
『音で蚊を寄せ付けない「デジタル蚊取り線香」v1.00』
http://www.forest.impress.co.jp/article/2002/08/29/okiniiri.html
まづ申し上げておきますと、作家の自己註釋くらゐ、當てにならないものはありません。三島の作家としての宣言を眞に受ける事はありません。しかし、作家の自己註釋も、讀みやうによつて信用出來るのであり、「『道義的革命』の論理――磯部一等主計の遺稿について」と云ふ文章は、三島の意圖や、讀者・批評家の讀取りたがる三島らしい主張から離れて、「英靈の聲」の註釋として、參考になります。
この文章を讀めば、三島が「英靈」の一人、磯部一等主計と自分とを重ね合せてゐた事が明かになるのであります。三島はこの文章で、磯部が「大御心の直接の救濟に夢をつない」でゐた事を述べ、それを「裏切つた」昭和天皇を非難してゐます。
もちろん、實際の磯部が何を考へてゐたのかを、この三島の文章から考へるのは、それこそ危險です。が、少くとも三島の理解した磯部の「遺稿」の意圖は、三島の「人間天皇」に對する憎惡と、重なり合ひます。そして、三島の「人間天皇」に對する呪詛は、「英靈の聲」で「英靈」による「人間天皇」への呪詛と、完全に重なるのであります。
なほ、磯部が「大御心の直接の救濟に夢をつない」でゐた事を評して、三島は「癒しがたい樂天主義」と述べてゐます。三島自身のクーデタ計劃を評する言葉として、これほどぴつたり來るものはありません。閑話休題。
自決の一月前、磯田光一に三島はかう語つたさうです。「本當は宮中で天皇を殺したい、(中略)人間天皇を抹殺する事によつて、(中略)超越者としての天皇を逆説的に証明する」云々。これは、昭和天皇を、三島が憎んでゐた事の傍證となります。
『福田恆存全集』第六卷の「覺書」で、国民講座『討論・現代日本人の思想』で三島らと對談した時の事を囘想して、福田恆存が書いてゐます。
(略)……私は三島に「福田さんは暗渠で西洋に通じてゐるでせう」と、まるで不義密通を質すかのやうな調子で決め附けられたことがある。……(中略)……講座の名稱が「日本人の再建」であり、座談會が「現代日本人の思想」といふからには、どう考へても三島はそれを良い意味で言つたのではなく、未だに西洋の亡靈と縁を切れずにゐる男といふ意味合ひで言つたのに相違ない。……(中略)……私には三島の「國粹主義」こそ、彼の譬喩を借りれば、「暗渠で日本に通じてゐる」としか思へない。
保田與重郎のfollower逹に就いても――そればかりか、左翼の「理想主義者」逹にすらも言へるのですが、日本人には「至誠」が必ず通ずるものである、自分の信ずる「理想」は必ず實現するものである、と云ふ信仰があります。どうにも神がかつてゐるとしか言ひやうがないのですが、必ずしも常に理想的には行かない現實に對して、それ故に自己の考へる「理想」に現實は適合しないのである、と考へる傾向が日本人にはある。神がかつてゐるとは、言ひ方を變へれば自己中心的な考へ方だと云ふ事です。
三島は、現實の昭和天皇の生き方を是認出來ませんでした。私は、昭和天皇はあの時代、自分の出來る限りの事を誠實に實踐してをられたと思ひますし、それ故に尊敬してゐます。しかし、三島は、飽くまで自分の好む「理想」にのみ基いて、昭和天皇を斷罪してをります。これは許し難い事です。
三島は、「戦後民主主義」のみならず、明治以來の日本の近代化の過程全體を憎んでゐたのであります。戰後の「人間宣言」をした昭和天皇だけでなく、2・26事件で事件の首謀者をきつく罰せよと命じた昭和天皇をも、三島は憎んでゐたのですから。
日本は西歐の文明に力で負けたのであり、だからこそ西歐文明の根柢にある西歐の精神を日本は學ばざるを得ないと考へてをります。三島は、力で負けただけだから、日本は西歐に學ぶ必要等ない、と考へてゐたやうに思はれます。
しかし、黒船――軍事力によつて開國させられた日本は、これからは西歐の流儀でやつていく、と決めたのであります。明治以來、日本人は近代化を目指す、と云ふ方針に從つて、進んできたのであります。明治の體制は、傳統的な日本の體制を、近代的に再構成したものであり、必然的に無理を内包してはゐましたが、曲りなりにも傳統と近代の橋渡しはなされてゐたのであり、そこに連續はあつたのであります。
戰後、その連續を斷切つて、一氣に近代化を實現しようとした「戦後民主主義」ないし革新思想は、批判されるべきです。しかし、明治以來の近代化の歴史全體を否定しようとした三島もまた、批判されるべきだと私は思つてをります。
とっつぁん樣と野嵜さんの御議論を興味深く拜見してゐます。
>なほ、三島は「英靈の聲」で、現實の昭和天皇の言動を否定し、自分の「天皇」の概念を具現化した望み通りに動く傀儡を昭和天皇に擬して、登場人物の幻想の中に登場せしめてをります。三島氏の「天皇論」は、美と云ふ甚だ脆いものを持出した點でも危ふいのですが、觀念一邊倒に陷り、現實に生きてゐる天皇を認めない點で非人間的なものと言へます。
この箇所、大變興味を惹かれました。私個人は、天皇といふものは幾分かは民のファンタジーであると考へてをります。私は宗教であり、美である天皇イメージを妄想する「權利」が民にはあると考へますが、ただそれに應へる「義務」が天皇にあるかどうかはわかりません。
「英靈の聲」は小説ですし、三島はイロニーを驅使する作家ですから、これが現實の天皇の否定の上に書かれてゐることを以て彼の思想的天皇論と直接結びつけて問題にするのは危險だと思ひます。その點、おっちゃん樣のご意見に贊成です。
>個人的には、立憲君主制の國家の君主として、天皇には精神的な權威としての立場を守つていただくべきものと考へますが、同時に政治的な問題から天皇を完全にシャットアウトする事にも反對であります。
>觀念的な二分法は、論理の世界ではあり得るのでせうが、私は人間の社會の問題では「對立する」と考へられる二つの觀念の間にも通氣孔を通しておきたいのであります。私は、最低限、通すべき筋と言つたものはあると信じますが、その一方で、融通をきかすべきところもあると信ずるのであります。
野嵜さんのこの立場は、現實主義の立場として私もよくわかります。ただ、私などは、近代的な天皇のあり方は天皇の總體のごく一部であつて、そこは合理的・功利的・實用的に處理しておけばいいことだぐらゐに考へてゐます。
>三島氏と野嵜さんの違いは、野嵜さんが日本は西洋の理論に敗北したのだから西洋の理論に従う他はない(**)としばしば書いておられますが、三島氏はそう考えなかったのではないかと思う点です。文明と合理主義に敗北したからと言って、彼は日本の文化と伝統が敗北したとは決して認めなかったのです。(***)
おっちゃん樣のこの意見は大變面白いです。政治的に滅びたとしても、決して敗れないんですね。
中途半端に割込みをしてしまひましたことを御容赦下さい。
いつも挨拶もなく駄文を書き連ね恐縮です。
三島氏は「小説とは何か」という評論の中で「(現実と、小説の作品世界を作ることを)決して混同しないことが、私にとって重要な方法論、人生とか芸術に関する最も本質的な方法論」で「私にとって書くことの根源的衝動は、いつもこの二種の現実との対立と緊張から生まれてくる」と書いているように、三島氏は作品を書くことと現実を厳しく区別する作家の一人でした。(*)
従って「英霊の声」で三島氏が英霊たちの声に託して語らせた凄まじいばかりの「すめろぎ」(昭和天皇)批判が、現実の三島氏が現実の天皇にどれほど向けらていたのかどうかそのまま受け取るのは疑問です。むしろ、三島氏は戦後民主主義とそこから生ずる偽善を下支えするために天皇がフィクションとして利用されていることに義憤慷慨していたんだと思います。
野嵜さんは、「三島氏の「天皇論」は、美と云ふ甚だ脆いものを持出した點でも危ふい」と言いますが、何を美しいと思うかという美意識こそが文化の源泉ではないかと思います。私には使いこなすことができませんが正字正仮名の「正しさ」も美意識に他ならないと思いますがいかがでしょう?「美」が危ういものであるなら「正しさ」もまた危ういものであると思います。なぜなら「美」は「正しさ」も内包する概念だからです。
あるいはこう言ってもいいかもしれません。敗戦(人間宣言)によって伝統的な天皇を架空なる観念にしてしまった現行憲法下の天皇の方が脆くて危ういと。
また、かつて野嵜さんは、「天皇に「人間宣言」をさせた日本人は、畏敬すべき對象を失ひ、聖なるものを失つて、却つて傲慢な存在となつた。これは道徳の問題であり、重大な問題なのである。そして、道徳の問題を重大な問題であると認識しないのが、日本人の宿痾である。」と書いています。これこそ三島氏の「英霊の声」と「美意識」の命題ではないかと…。
私には野嵜さんの言う「昭和天皇の目指した日本のあるべき姿」がどのような物であるか分かりませんが、三島氏は日本の伝統を破壊する元凶を戦後民主主義とし、将来の日本をもはや日本とは呼べない「無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済大国が極東の一角に残るであろう」と言う。
これは「西歐の傳統のない日本に、自由だの民主主義だのと云つたスローガンだけを持込んだ所で、「定着」等する譯がないし、却つて古い日本の傳統が自由や民主主義を惡用するだけであらう。」という野嵜さんの言葉に通じていると感ずるのです。
三島氏と野嵜さんの違いは、野嵜さんが日本は西洋の理論に敗北したのだから西洋の理論に従う他はない(**)としばしば書いておられますが、三島氏はそう考えなかったのではないかと思う点です。文明と合理主義に敗北したからと言って、彼は日本の文化と伝統が敗北したとは決して認めなかったのです。(***)
(*)三島氏は作品を書く行為をも「現実」として表現している。最期の作品となった「豊饒の海」の第三巻「暁の寺」を書き上げた後の心境を「小説とは何か」の中で「この第三巻に携わっていた一年八ヶ月は、小休止と共に、二種の現実の対立・緊張の関係を失い、一方は作品に、一方は紙屑になったのだった」と書く。三島氏は己の小説世界を「紙屑」と、己の現実の人生を「作品」と呼ぶにいたる。遺された創作ノートから「豊饒の海」第四巻「天人五衰」は実際に書かれたものと大きく内容が異なっていることが知られている。
(**)正確な引用をしようと思ったのですが原文を見つけることができませんでした。間違っていましたら訂正していただければ幸いです。
(***)あやふやな書き方になってしまいましたが、実は野嵜さんの言う(**)について一度ちゃんと聞いてみたいとずっと思っていました。ですからこの部分は頓珍漢な対比になっているかもしれません。
私が「闇黒日記」で書いた「功利的」な天皇論は、葦津珍彦がかつて雜誌「思想の科学」に發表した論文「國民統合の象徴」を參考にしたものです。葦津は神道關係者ですが、その論文では敢て「神憑り的」な記述を避け、説得の爲の記述を選んでゐます。葦津氏は、「君主制から共和制への移行は必然である」と云ふ説が間違ひである事を説明してゐます。
葦津氏の論文は、その説明が飽くまで説得の爲の、或は「論理武裝」の爲の説明である、と云ふ事――從來の皇統擁護論者に缺けてゐた論理の補完が目的であり、同時に、それまで暗示に留まつてゐた傳統に於る論理性の明示でもあつた、と云ふ事を強調しておきたいと思ひます。
ただ、逆に、論理と直觀とが裏腹のものであり、客觀的な説明と主觀的な認識とが一體のものである、と云ふ事を葦津の論文は示してゐる、とも言へます。葦津が、神道關係者として皇統への畏敬の念を豫め持つてゐなかつた筈がありません。しかし葦津は、敢て論理的な説得を試みた。これは逆に、「天皇制反對論者」が、客觀的な説明をしてゐるにもかかはらず、その背後に主觀的な價値判斷を隱してゐる事の可能性を示唆してをります。
私の場合、神道を必ずしも信じてゐるとは言へませんから、皇統がそれ自體として尊いものである、といつた觀念は提示し得ませんでした。しかし、天皇と云ふ抽象的な觀念はともかく、「具體的」な昭和天皇に對する尊敬の念は、私は懐いてをります。そして、昭和天皇の目指した日本のあるべき姿は、私は守るべきだと信じてをります。政治權力と精神的權威の「對立構造」は、國民と君主の「對立構造」を信ずる「反天皇制論者」「共和制絶對論者」に對する説得の手段であり、私自身はその「對立」を信じてゐません。
なほ、三島は「英靈の聲」で、現實の昭和天皇の言動を否定し、自分の「天皇」の概念を具現化した望み通りに動く傀儡を昭和天皇に擬して、登場人物の幻想の中に登場せしめてをります。三島氏の「天皇論」は、美と云ふ甚だ脆いものを持出した點でも危ふいのですが、觀念一邊倒に陷り、現實に生きてゐる天皇を認めない點で非人間的なものと言へます。
個人的には、立憲君主制の國家の君主として、天皇には精神的な權威としての立場を守つていただくべきものと考へますが、同時に政治的な問題から天皇を完全にシャットアウトする事にも反對であります。
觀念的な二分法は、論理の世界ではあり得るのでせうが、私は人間の社會の問題では「對立する」と考へられる二つの觀念の間にも通氣孔を通しておきたいのであります。私は、最低限、通すべき筋と言つたものはあると信じますが、その一方で、融通をきかすべきところもあると信ずるのであります。
野嵜さんは天皇不要論に対し反証を試みているので私の違和感は見当違いなのですが、少し書いてみます。
三島由紀夫は「文化防衛論」で「明治憲法下の天皇制機構は、ますます西欧的な立憲君主政体へと押し込められて行き、政治機構の醇化によって文化的機能を捨象して行った」と述べ明治以後、現在(戦後)に至る欧米的な天皇の形姿を批判し「(西欧的な立憲君主政体の天皇制とは別の)雑多な、広汎な、包括的な文化の全体性に、正に見合うだけの唯一の価値自体として、われわれは天皇の真姿である文化概念としての天皇に到達しなければならない」と述べている。
近代国家における天皇の論理に、対抗し文化概念の、つまりは美の総覧者としての天皇の論理を持ち出した三島は、同時に政体としての弱点にも言及し「時運の赴くところ、象徴天皇制を圧倒的多数を以て支持する国民が、同時に、容共政権の成立を容認するかもしれない」(*)と書く。
これは現行憲法に規定された天皇のことではあるが、美の総覧者としての天皇についても同様な危惧を持っていた。
さらに「このような事態を防ぐためには、天皇と軍隊を栄誉の絆でつないでおくことが急務なのであり、又、そのほかに確実な防止策はない。もちろん、こうした栄誉大権的内容の復活は、政治概念としての天皇ではなく、文化概念としての天皇の復活を促すものでなくてはならぬ」と結ぶ。
野嵜さんの言う「権威」と「権利」の分離によって民主主義は現実として維持しやすいというお話は、民族主義の三島氏とは立場は違え、「政治概念」の天皇ではなく「文化概念」の天皇によって共産革命を防止できると説いた三島氏の論に近いものを感じます。
ただ三島氏の「文化防衛論」は、共産革命防止という政策論として天皇を持ち出すことは結果として天皇を政治化させた近代の天皇制と同じことになり矛盾した論理である、と批判を浴びました。
結局のところ三島氏の「文化防衛論」は「政治概念としての天皇ではなく、文化概念のとしての天皇」をどこまで読み解けるかにかかっているのでしょうが、戦後民主主義しか知らない私には自分を捻じ曲げない限り読めません。三島氏は戦後民主主義こそ憎んだわけですから。
ただ天皇の存在が民族主義的にも民主主義的にも有益であるかどうかということには私は余り興味がなくて、むしろ天皇を否定した竹内好氏の「一木一草に天皇制がある。われわれの皮膚感覚に天皇制がある」という言葉に逆に肯定的な意味で親近感を感じてしまう。
(*)東大駒場で行われた全共闘主催の討論会で三島は学生たちに向かって「天皇と諸君がひとこと言ってくれれば、私は喜んで諸君と手をつなぐのに」とさえ言っている。
これはタイの共産系愛国戦線が国王賛歌を歌い、ラオスの共産指導者が国王へ敬愛の念を捧げているという「共産主義の分極化と土着化」の見聞によって共産主義と民族主義の共存の可能性を否定しえないための発言と思われる。