今年は、野嵜様のサイトで松原正先生の講義ノートを拝読でき、
とても実り多いものがありました。
ありがたうございました。
来年も、少しずつ読ませていただくつもりでゐます。
何しろ、理解が遅いものですから、少しずつです。(笑)
では野嵜様、よいお年をお迎へくださいませ。
来年もよろしくお願ひいたします。
掲示板には平假名の苗字を使ふのですが、判りにくいので本名に訂正します。それでも素性は判らないと思ひますので、現在書いてゐるWeb日記のURLを提示します。
http://esu.oresama.org/
新年會の件は1/1の夜にでもメールしますので、參加希望の方は1/1夕方までに私にメールを出してください。
では、良いお年を。
件の日本語への書き換え、外来語の氾濫を見れば急務だとは思いますが、提示された訳語を見ると現場の苦労が見えてきそうです。当然すぎるほど当然のことですが、異なった言語での書き換えは大変ですよね。access,commitなどそれぞれの言葉の概念を日本語で説明することさえ困難でしょうから、単語での書き換えとなるとなおさらです。また、informed consentが「納得診療」と訳されているのにもちょっと首を傾げざるを得ませんでした。言葉ですからひとたび定着してしまえば、あまり抵抗を感じなくなるかもしれません。しかしほぼ同義の日本語が存在する場合ならともかく、最初に提示された段階でかなり無理があると思われるような書き換え表現に関しては、果たしてそのまま定着していいものだろうか、それは長期的にみて本当に日本語のためになるのだろうか、と思ったりもします。
さて野嵜様、本年はいろいろとお騒がせして申し訳ありませんでした。ずいぶん迷惑な訪問者だったとは存じますが、私の方はあなたから学ぶべき点が多く来年もしっかり拝読させていただきます。そして、来年はもう少し「大人」になるよう努めます。どうか、よいお年をお迎えくださいませ。
どうぞ良いお年を
「享年87」も「平成14年」も「カタカナ書き」も、假名遣ひとは全然別の次元の問題です。
また「わらひ」が下品だと言ふのは、そもそも「笑つて見せる事が下品だ」と云ふ事が理由である筈です。三段論法で説明しませうか。「一般に、笑つて見せる事は下品である」「野嵜は、わらひ、と書いて、笑つて見せてゐる」「野嵜は下品である」。そして、この論法以外に、「わらひ」と云ふ「語尾」(この用語も不正確です。「わらひ」が置かれてゐるのは、文末だとか、私の場合、時として、文中でもあります。ト書きとでも稱した方がまだしも正確でせう)を「下品」とする論法は無い筈です。
だから、「素人その2」さんが私を笑つてゐる事もまた下品である、と云ふ事に、理窟の上ではなります。すると、「素人その2」さんの書き込みが、そもそも「素人その2」さん御自身の考へに矛盾した行爲である、と言へます。
諄い反論ですねえ。
>現代かな使いがそこまで嫌いなら日記ぐらいカタカナで書いてもいいようなきがするけど・・・
何故そうなるのですか? 素人なら黙るか勉強すればいいようなきがするけど・・・
>なんて、下品な感じがぷんぷんします。古くからあるこういう場合の表現をどうしてつかわないん でしょう?
「古くからあるこういう場合の表現」って (: とかでしょうか。わらい。
先日、享年87について八十七が正しいのではという見解がありましたが、平成14年はこのままで正しく、それが正かな使いなのでしょうか。それとも、そんなことはどうでもかんけいないということなんでしょうか。教科書ばかり読んで、古典に触れていない感じがぷんぷんするんですが・・・気のせいでしょうか?たとえば、語尾によく使っている
>わらひ
なんて、下品な感じがぷんぷんします。古くからあるこういう場合の表現をどうしてつかわないんでしょう?
現代かな使いに猛烈な嫌悪感をお持ちのようですが、いいたいことはちょっとわかる気もしないでもないです。でも、平常使うかなを平仮名にし、外来語はカタカナというのはなぜ、そういった使い分けにしているのですか?現代かな使いがそこまで嫌いなら日記ぐらいカタカナで書いてもいいようなきがするけど・・・正かな使いではカタカナ平仮名変体仮名は全て等価であるということなんでしょうか?
「ブラウザを起動したとき最初に表示されるページ」や「ウェブサイトの表紙にあたるページ」という意味では、あながち不正ともいえないのでは。
余談さんの「表紙頁」は後者の方を意図されているのでしょうか。
最近は氣附かないうちに手を切つてゐたり古本市の棚の前で二時間經過してゐたり掲示板の常連さんを斬つてしまつたりしてゐる野嵜です、今晩は。すみません。
「ホームページ」と云ふ語はそれ自體、不正ですので、「ウェブサイト」と言換へた方がまだ増しですが、どつちみち片假名語ですねー。駄目駄目。
適切な譯語を作るのには賛成なのですが、直譯を譯語として採用するのは、餘り感心しません。日本アイ・ビー・エムが以前、良く獨特の用語を作つてゐましたが、あれはあれで良く考へられてゐました。キーボードを「鍵盤」、シャットダウンを「遮斷」、と云ふのは、有名です。癖が強過ぎて受容れられなかつたのですけれども、考へて作られた譯語である、と云ふ點では、評價されて良かつたやうな氣がしますし、再評價されても良いのではないかと思ひます。
>余談さんは、国立国語研究所の代理人の方なのでせうか。それならば、大變失禮をいたしました。
いえ、単に國立国語研究所の中間報告を眺めていて、ふと目に止まつたものですから、書いてみただけです。誤解を招いたようで、申し訳ございませんでした。
"ほーむぺーじ"とかは言い替えられないんでせうかね。「表紙頁」とか。
十分通用するようなもの(定着している)は言い替えないとか書いてありましたが、上の層は"インターネット"とか分かるんでせうかね。
カタカナ語がこれだけ流行してもらつては、私のやうな者でもついていけません。
ふと、思ったのですが、
外注→がいちゅう→なんか害虫に聞こえる→じゃ協力会社とか言い換えよう→ども雰囲気違うな→あ、アウトソーシングなんつー言葉があるぞ
のような経緯でアウトソーシングなどと言い出したような…。
いや、だからどうという訳では無いのですが。
余談さんは、国立国語研究所の代理人の方なのでせうか。それならば、大變失禮をいたしました。
豫定があはない方のために、また別に機會を設けないといけませんね。
1/4に參加を希望される方は、私宛にメールしてください。
年明けに待ち合はせ場所の確認メールを送付いたします。では良いお年を。
mail:esu@yk.rim.or.jp
>私案。
>アウトソーシング
>外注
>フィルタリング
>檢閲
3.個々の言い換えに対する御提案
「(a)対象語,(b)言い換えの御提案,(c)説明付与例の御提案」という形式で御記入ください。
※ 対象語とはこの第1回中間発表で発表した個々の外来語を指します。
from: http://www.kokken.go.jp/public/gairaigo/tyukan001a.html
1月4日は出席出來なくて殘念です。
また機會を設けてくださると嬉しいです。
今囘は殘念ながらパスです。またどこかでやりませう。
誤字に決つてゐます。そんな事もおわかりにならなかつたのですか。(偉さう)
誤字だとわかり切つてゐる事について、とぼけながら質問すると云ふのは、どう云ふ事なのでせうか。(逆切れ)
野嵜のミスについては、「間違つてゐる」「早く直せ」と率直に言つて下さつて構ひません。今後ともどうぞよろしく御願ひします。
日本初のWEBサイトが,当時企画すら存在しなかつたであらうアニメの
ファンサイトだつたといふことでせうか。
1月4日ですか、う〜む。帰省中だなあ…。次回は是非参加させてください。
> 少なくとも、 他人を見下してるという雰囲気がその文章にありありとあらわれてるうちは、 他人を言葉で打ち負かすことはできても他人を説得することはできないでしょう。
久しぶりに受けました。
もう、「人は自らを否定すべき文句で以つて他人を罵る」というか「オマエモナー」というか。
まあ、これじゃ打ち負かすのも無理そうだけど。
仕事がはじまると億劫になるので、四日にやりますか。仕事が無い日には、引籠りたくなるんですが。特に冬。
ところで、「初心者・元気だぞ」と云ふ人がゐましたねえ。本人、氣に入つてゐるハンドルであるみたいでしたが以下略。
幹事役を名乘り出ても、日取りがなかなか決まらないですね。
1/4,1/5,1/11,1/12のうちのどれかに決めてしまいませう。
野嵜さんの豫定はどうでせうか?
なほ、豫算は3000圓位を見積つてゐます。
いずしさんと間違えていないこともむろん、分っておりました。ところが、唐突に名前が出たので書いたまでです。ともかく、野嵜さんには申し訳なく思っております。ご容赦のほどを。まあ、私としては「寸」さんがお書きになっていた心境でした(「寸」さん、ありがとうございます)。
木村、お前も悪よのう
>よく反省するのだぞ。
お前が云へた義理か、マヌケ。
横槍失礼いたしました。
よく反省するのだぞ。
>「マヌケ」「馬鹿」「最低」「負け犬」とかが普通に出て來る掲示板
濟みません。
窪田さんのあの投稿の文脈で、素人ことディーダラスさんが「窪田さんが自分の事をいずしさんと取違へてゐる」と思ひ込めるのも面白い現象だと思ひましたが。
今朝、2時間しか寢てない。
勝手に電波を受信したのは私です。
素人さんことディーダラスさんは、過去に私のサイトの掲示板を荒らしたことがあり(プロバイダ経由でメッセージを送り、やめていただいた)、それからは、素人さんことディーダラスさんがを目の敵にしていた次第です。というか、ひとこと言ってやりたいと考えておりました。
寸゛さんが「文脈に何の関係も無く思ひ出したやうに引きずり出して論難することが果たして正しいのせうか?」とおっしゃっていますが、自分で読みかえしても、正しくないと思います。
この掲示板をお読みになっている方々には、ご迷惑をおかけしました。以降、このようなことがないよう、慎みます。ご容赦ください。
>日本語で大きなお世話とかおせっかいと書くのを避けたかったからです。
「マヌケ」「馬鹿」「最低」「負け犬」とかが普通に出て來る掲示板でそのやうな配慮は不要だと思ひますが……。と云ふか、譯せば同じでは?
(僕の英語力は中學生以下なのか…………?)
Akimboさんが文脈に何の関係もなく「素人」さんの名前を出してあれこれと苦言を書き連ねる,その必然性について大きな疑問を抱いてゐます。
ここ数日の議論の中で「素人」さんによる荒らし行為があつたといふことなんですか?
さうではなく,過去にさういふ過ちがあつたとして,文脈に何の関係も無く思ひ出したやうに引きずり出して論難することが果たして正しいのせうか?
過去に「素人」さんが何をなさつたかは存じませんが,今回の一連の流れは「突然後ろからバッサリ斬りつけた」やうにしか見えません。斬りつけられるべき理由が私の見えないところであるのでしたら,余計な差し出口だとは思ふのですが,いかがでせうか。
野嵜様、
>さとみかんを見に行くとOpera 7 beta2が暫し沈默
とのことですが、VineLinux 2.5 + KDE 3.0.4 + Konqueror 3.0.4の組み合わせだと、ねこめしにっきを開いた途端、何も言わず(バグレポートだけは開きますが)にKonquerorごと落ちます。十回ぐらい試しましたが、全て落ちました。日を変えても同じです。
闇黒日記は問題なく見れますので、ねこめしにっきには何か"小技"でも仕組んであるんでしょうか。
正直、指摘されるまで私はそんな記載があることさえ知りませんでしたし、無論、拝読した今でも私のことだなどとは露ほども思っておりません。普通に読めばそうだと思います。ただ、そんな可能性を示唆する人がいたので(野嵜さんに確かめたい由)、それに対してあのように書いたまでです。しかし、私が書いた文章を読み返してみますと、誤解されかねない書き方だったようです。もっとその点に配慮すべきでした。不快感を与え、誠に申し訳ありませんでした。
「素人」さんは、私が「闇黒日記」で素人さんと言つたら、自分の事だと思ひこまれたのですか。どうしてあの文脈で、この掲示板の匿名投稿者の事を私が言つてゐると思ひ込めるのか不思議ですが、さう云ふ思ひ込みをする人がゐるのなら、私の言つてゐる事を變に解釋する「義」さんみたいな人が出て來ても不思議ではないですね。
あんまり私の文章から勝手に電波を受信しないで下さい。
敢えて中学生程度の知識で理解可能な英語で書いたのは、日本語で大きなお世話とかおせっかいと書くのを避けたかったからです。誰でも知っている程度のことがスノビズムの表れであると判断するというのが何とも私には理解し難いのですが、まあそう感じる人もいるのでしょうね。それはさておき、ご理解いただけたようで安堵しました。ただ、分ったといいながらも、やっぱり「お教え」したくなってしまうようですね。
ではこれにて失礼致します。
御屠蘇は酒ではなくて藥であると云ふ説が……
suさん
いえいえ、負担には感じてはいないので、お気になさらぬよう。
「疲れた」というのも、他の誰のせいでもなく、俺個人の問題ですので。
> 素人ことディーダラスさん
了解しました。要するに「ほっといてくれ」ということですね。
もちろん文学が好きなことは恥ずべきことではありませんが、掲示板にて複数のハンドルを使い、いわゆる「荒らし行為」をすることは恥ずべきことです。素人ことディーダラスさんにはその感覚が欠けているのではないかと思い、念のためお教えした次第です。あと、中学生程度の英語を得意げに文章に混ぜるのは幼稚なスノビズムですが、それも一応お教えしておきましょうか。
まあ、当方の掲示板も、もう素人ことディーダラスさんから荒らされることはない、ということで、ほっとしています。それでは。
いずしさんと間違えられていないことは判りましたけれど、何だか突然私の名前が出ましたので、一応、思ったことを書いたまでです。あの、htmlで云々とあるのは、私には何のことかさっぱりわかりませんが、まあ、勘違いする人がいるなら、させておくほかないでしょう。私は自分に説得力があるなどと思いませんし、関係ない人を説得しようとも思いませんので、どこで「素人さん」が何を言おうと構いません。
文学が好きなことは別に恥ずべき事ではありませんし、私のどこかにスノビズムを感じる人がいるならいたって構いません。人それぞれです。There is no accounting for tastes.ということですし、It's my business, but not yours.ということです。
尚、納得力だとか、分けるは分る、については私は到底使う気になれない言葉や表現です。しかし、これとてThere is no accounting for tastes. It's your business,but not mine.ということですから、あなたに使うな、などという気もありませんし、それは好ましくないから改めよ、などと説得する気もありません。
以上にて失礼致します。
義珍さん
お気遣いありがとうございました。過度にご負担をおかけしたこと、お詫びいたします。
私こそ、分不相応に偉そうなことを申し上げました。反省しております。
【長文のほぼ私信となっていますが、素人ことディーダラスさんのメールアドレスが分からないため、今回に限り、って、限らないかもしれませんが、ご容赦ください】
■ 素人ことディーダラスさん
続きです。
> 語義の誤解に基づく明らかな誤用を指摘された時には、納得以前の問題ですから、素直に改めるように心がけております。
語義の誤解ではありませんが、素人ことディーダラスさんが現在お使いになっているハンドル「素人」もほめられたものではありません。
(1) 「素人」は伝統的に、「通りすがり」のような匿名ハンドルである。
素人ことディーダラスさんは、この掲示板をご覧になっている人に、「素人さん」として認識されたいのでしょうか。
先頃suさんに教わったある掲示板のルール匿名による批判の禁止には、「素人」が代表的匿名ハンドルのひとつとして挙げられています(ハンドルについて。)。
前にも申しましたが、素人ことディーダラスさんは、最初から野嵜さんと意見を交わすために登場なさったのですから、読者がちゃんと認識できる名前をもって発言なさった方がよいのではないでしょうか。
(2) 「素人さん」だと、ハンドルだか一般名だか分からない。
わたしが常々「素人ことディーダラスさん」と書いているのは、「素人さん」と書くと一般名詞の「素人」と混同するおそれがあるためです。
野嵜さんの闇黒日記 2002年12月1日〜20日(Xへの手紙)内の、平成14年12月15日の記述にこうあります。
> それとは全く關係のない處で素人さんがhtmlと書いてゐる。
この「素人さん」は、掲示板によく出てくる「素人ことディーダラス」さんのことなのか、「あまり物事を分かっていない人」のことなのか、しばらく考えてしまいました。まだよく分かっていません(どっちですか野嵜さん)。掲示板の過去ログを丁寧に検索すれば判明するのでしょうが、Googleで、「素人 html」をキーとして過去ログ置き場(Angelfire)のサイト検索を行ったらこのありさま。とてもまじめに探す気にはなれません。素人ことディーダラスさんも、「素人パンチラ投稿」などという記事を読んだ人が、「あ、野嵜さんの掲示板によく来る人が、パンチラ投稿している〜。」と誤解されてもいいと考えているわけではないと思いますが。誤解しないって。
こうやって一般名詞とまぎれないようにするため、わたしは「素人ことディーダラスさん」と併記させていただいていますが、タイピングが面倒なので、一般名詞とまぎれないハンドルの方がよろしいかと存じます。もちろんそれは個人の勝手でしょうが、この掲示板で最も素人ことディーダラスさんに言及しているのはわたしです。お得意さまの意見だと思って、再考をお願いいたします。
というか、最初に登場なさったときのハンドル「ディーダラス」は、文学の趣味と大学の専攻とスノッブ傾向を反映して、実によい名前だったと思うのですがねえ。
ついでに言うと、素人さんの発言は、後から読みかえすと、なにへの言及か分からないことが多いので、言及しようとしている人や物事を明示するよう心がけてください。タイトル欄という便利なものがあります。
■ 素人ことディーダラスさん
お久しぶりです。
> ともかく、私はいずしさんとは何のかかわりもありません。
わたしが「素人ことディーダラスさん」といずしさんを取り違えている可能性があると心配なさっているのは、素人ことディーダラスさんだけです。ご安心ください。
しかし、せっかくわたしの投稿に興味をお持ちいただいたので、少しだけ説明しますね。
> 納得力とか、分けるは分るとか、いまひとつ私には理解不能な言葉もありますが、
「納得力」は私の勝手な造語です。読んで字の如し、納得する力です。理解力はあってもなかなか往生際の悪い人、いますよね。また、自分でも、「おまえの言うことは正しいかもしれないが、俺には受け入れられない」という状態になること、ありませんか。それが、「納得力が足りない」ということです。つまり、「納得力 = 理解力 + 素直さ」とでも思ってください。もちろん私の勝手な造語なので、試験には出ません。お勉強はしなくていいです。
分けると分かるは、すぐに分かっていただけると思ったのですが。簡単な例を挙げます。アシカとオットセイ、区別が付きますか? わたしにはできません。つまり、わたしには鰭脚類(ひれあしるい)を「分類することができない」、「分けられない」、すなわち、「分からない」のです。これを見分けることができたら、あの辺の動物が分かることの一歩を踏み出したことになるでしょう。なんか説明の方が分かりにくいですが、そういうことです。
> 私も相手の言うことが正しいと感じたときには納得しますし、そうでないときには納得しません。
相手のいうことが正しいと感じても納得いかない場合は多々あります。そういうとき人は、
(1) 「相手のマナーがなっていない、倫理的に間違っている」と攻撃する。
例1: 「リンクを張るのはケシカラン」 by 望月明夜氏
例2: 「リンクを張らないのはケシカラン」 by いずし氏
(2) 「おまえのような奴とは話してもしかたがない」と一方的に話を打ち切る。
(3) とりあえず「謝罪」して、納得したふりをする。
(4) 掲示板において、別ハンドルでなに食わぬ顔で出てきて、自説を擁護する。
(これは2ちゃんねる界隈では、「自作自演」と呼ばれています。あまりよい命名ではないと思いますが。)
といった行動にでてしまうことがよくあります。世の中の議論が長引く原因は、この「納得力」の不足によるものが結構あると思うのですが、いかがでしょう。
>したよ。満足?
>こんなものでいい?ノザキ。
>お前も持て余しているかもしれないが。
全體的に、古びた子供つて感じ。
>したよ。
マヌケだな。
>こんなものでいい?ノザキ。
あんたのペンネームもノザキだな。
したよ。満足?
こんなものでいい?ノザキ。
お前も持て余しているかもしれないが。
>松原某の文章を「正字正かな」でなくしたら、杜撰な思考の結果になるのかな。
馬鹿か。ほら、激 怒 し て み な 。
Akimboさん
「時間はかかると思いますが、勉強してみようと思います」とおっしゃっているので、その成果に期待することにして、当面の間は見守りたいと思います。
……って、なんか最近すごく偉そうなことばかり言ってますが、俺もまだまだ勉強中の身ですので。
あちらでは、正字正かな派や仕様に沿った文書の作成を心がけている人たちの印象を悪くしないように、いつもよりも丁寧な言葉遣いを心がけていたので、少々疲れました。
2ちゃんねる当たりで毒を吐いてくることにします。
追伸
永遠の消費者さんの作品(?)は、元ネタ(ムアコックの『永遠のチャンピオン』シリーズ)につなげる必然性が乏しく、少々唐突に感じられたので。
『永遠のチャンピオン』は、いわゆるヒロイック・ファンタジーに分類される作品で、邦訳は早川書房から出てたので、意外と野嵜さんは読まれたことがあるかも。ヒロイック・ファンタジーの中では異色の作品といわれていますが、正直、Akimboさんやこの掲示板の常連の人たちが読んでおもしろいと思うかどうかは自信ありません。
まあ、「馬を水辺につれて行くことはできるが、むりやり水を飲ませることはできない」ということなのでしょうね。
> 永遠の消費者さま
わたしには面白うございました。義珍さん、点が辛い。元ネタ(ムアコックの小説ですか)を読んでいると、もっと楽しめるのかな。
> 健全な新年会
時間が合えば、是非参加させてください。
> 掲示板のタイトル
「闇黒横町界隈」なんてベタなのもいいかも…。
御自分で檢證してみて下さい。
昭和天皇に戦争責任はあった?
「インターネット紋切型辭典」の「寝助」
> Netscape/Netscape Navigetor/Netscape Communicaotor。
これはNetscape/Netscape Navigator/Netscape Communicatorの間違いですよね?
義さん、「真知絵」と云ふのは誰ですか?
あなたには、私を「真千絵さん」と呼ぶやうに以前言ひ、あなたはそれを一度守りました。
守りつづけてください。
あなたは私の性生活を知りたい程、私の虜になつてゐるのですか?
野嵜さんは、真知絵とSEXしたのでしょうか。
そもそも、「乃裂縦否出」こと「義」さん(人の名前を嘲笑するやうなペンネームは失禮だと思ひます、わらひ)は、「惡い文章を書くのは善い事だ」と思つていらつしやるのでせうか。さもなくば、「良い文章を書くべきだ」と云ふ主張は否定出來ない筈ですが。もし、「惡い文章を書くのは善い事だ」と本氣で思つていらつしやるのでしたら、それが事實である事を證明していただけますか。
もちろん、そんな事を、「義」さんが出來る譯がありません。「義」さんは、快を貪る爲に、他人を罵つてゐるだけだからです。そして、自分がさう云ふ人間だから、他人もそのやうにしか見る事が出來ないのです。
それから、正字正かなである事が即ち良い文章であるとか、略字略かなであるから即ち杜撰な文章であるとか、そんな事を、松原先生も私も言つてゐません。
取敢ず、「義」さんの非難が、「杜撰な讀み方」の結果である事だけは確かなやうです。
まづは、松原先生と福田恆存さんの著書を全部讀んで、それから批判なさるが良いでせう。
別に、一度證明されてしまつた問題を、改めて私が證明する必要はないでせう。「車輪の再發明」ほど、馬鹿らしいものはありませんからね。
松原某の文章を「正字正かな」でなくしたら、杜撰な思考の結果になるのかな。
もうご存知かもしれませんが、
http://www.juno.dti.ne.jp/~logicp/zaregoto/pakuri/pakuri.html
↑こういった事件(?)が該当するのではないかと思います。
http://slashdot.jp/article.pl?sid=02/12/17/0332203
野嵜さんが引用されてるのと同じ記事を元に議論しているようで、
その最初のほうで提示されていました。
ネタ元に謝罪されてしまつたので、永遠の消費者はデルビシュに地獄へ連れて行かれてしまひました。
さやうならー。
>自称保守派の松原正氏はなぜ、西部邁先生や小林先生を批判するのですか?
>しかもその批判のしかたはどう考えても常識を外れています、かな使いが悪いとか、文章が悪いなどと言うのは批判のための批判でしかありません、本来の保守思想と関係がないはずです。
松原の自慰行為ですね。性格の悪い、ひねた奴で、おもいっきり見下してやればいいんですよ。
おっ、証明できない・・・・。
いるのだよね、こういう人。
貴方は野嵜さんのHTMLに関する主張をまだすべて読んでいないのではないでしょうか。
「義」は「ARUGMENT」へ歸れ。
それより「義」は、野嵜の文章のどこがどう、論理的に異常で、道徳的に間違つてゐるかを、具體的に指摘するやうにした方が、信頼されるやうになると思ひます。今のままでは、「アンチノズラー」こそ惡の樞軸であると云ふ印象を、ギャラリーに與へる結果になつてしまつてゐます。
「義」の文章を見れば自明です。
「文章が惡い」事は、保守革新にかかはらず、杜撰な思考の傍證たり得ます。
証明してみな。
申し譯ない事です。
土曜日に、「不健康」な忘年會の豫定がありまして。多分、日曜日はダウンします。
「健全な新年會」にしていただけないでせうか。
日曜あたりは如何でせうか?
私がその日しか空けられないのです。
前にも書きましたが、武蔵小杉で壽司になります。
おもしろくなくて、すいません。
僕は幸せですが。
この掲示板の常連でムアコックとか読んでる人いるんでしょうか。
というか、長い割におもしろくないんですけど。
>「俺は標準規格なんて知らない、俺は勝手にやるんだ」と言っている人達は、ネジや紙の大きさが各社ばらばらだったり、地域によって供給電圧がまちまちだったりしても、文句は言えないわけですね。
いいえ。文句は言うのです。規格を知らないのは俺だし、勝手にやるのも俺です。
俺以外の人は、勝手にやっちゃあいけません。
俺には、責任はありませんが、俺以外の全ての人には、責任があるからです。
俺は、引用したってリンクなんかしませんが、俺以外の人は引用したらリンクしなきゃならんのです。
俺の論理は支離滅裂だが、俺以外の人は俺が読めない漢字を使っては駄目なのです。
俺は、幸せだが、俺以外の人は俺のために働かなくちゃいかんのです。
そう、俺は、永遠の消費者。
エターナル・ユーザー、エルリックとでも呼んでもらおう。
行くぞ、ストームブリンガーっ!!
いずしさんという方が何を主張なさっているのか存じませんが、私はいずしさんではありません。納得力とか、分けるは分るとか、いまひとつ私には理解不能な言葉もありますが、それはともかくご親切なご指摘ありがとうございます。大方の人がそうであるように、私も相手の言うことが正しいと感じたときには納得しますし、そうでないときには納得しません。ただ、いつか話題に上っていた「すべからく」のように、語義の誤解に基づく明らかな誤用を指摘された時には、納得以前の問題ですから、素直に改めるように心がけております。
ともかく、私はいずしさんとは何のかかわりもありません。
> 腦は、室町時代に成立しました。そして、それ以來、變つてゐません。
これは「腦」でなく「能」ではありませんか?
義こそ、最低の人間ではないでせうか、アンチノズラーがウェブで嫌はれてゐる理由を野嵜や松原氏に求めるのは負け犬根性です。
松原こそ、最低の人間ではないでしょうか、自分が社会に認められない理由を他人や社会に求めるのは負け犬根性です。
電氣の周波數は、東日本と西日本とで違ひます。アメリカ等では、供給電壓が地域ごとに違ふので、PCの背面に切替スイッチがついてゐたりします。
捻子の類はISOでサイズが決つてゐますが、アメリカではインチ捻子が使はれてゐたりしまして、日本人がPCの内藏ドライヴを固定するのに困つたりする原因になります。
電子データも、Word文書やWordPerfect文書、PostScript、Windowsヘルプ、TeX、(以下略)のやうに、互換性のないものが山のやうにあり、それではネットワーク時代に困るから、と云ふ事でティム・バーナーズ・リー氏が文書交換の爲の共通フォーマットとしてHTMLを開發した、と云ふ經緯がある譯です。その共通フォーマットとしての仕樣を無視して文書を作つたりすると、HTML文書が互換性を失ふのであつて、實用上、不便になるのであります。
ええと、いずしさんの場合、便利とか不便とか言つて、誰にとつての便利或は不便、と言はないんですね。だから、「制作者にとつて便利」と「閲覽者にとつて便利」とを區別出來ない。それで話がごちやごちやになるのですが、どう云ふ譯かいずしさん、その邊は不便だと感じないらしいので、困つたものです。
御無沙汰です。
「俺は標準規格なんて知らない、俺は勝手にやるんだ」と言っている人達は、ネジや紙の大きさが各社ばらばらだったり、地域によって供給電圧がまちまちだったりしても、文句は言えないわけですね。
あるいは、彼らは「無法地帯原理主義者」とも言えるかも知れません。現実にそんなことがあれば、とても安心して暮らせないのですが。法律や規則、規格というものは「不便」にもなり得ますが、これらがあればこそ秩序が守られているわけです。ネジや紙、電力なども同様のことが言えて、規格があればこそ、融通が効く利用が出来ると言うものです。
ウェブ一つ取っても、HTTP や (E)SMTP という標準規格があればこそ、こうしてプラットフォーム非依存でやり取りが出来ている事実を、やはり彼らは知らないのでしょうね。
自分なりのルールをもって誠実にふるまうことができないのならば、議論などやめることです。
私が何のことを言っているのか、おわかりだと思いますが、わからないならお知らせ下さい。野嵜さんの寛大さに甘え、この場をかりてくわしく説明させていただきます。
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ところで、そろそろ、「口語と文語」、「表音的と表意的」、「文字づかいと言葉づかい」の対応関係は理解なさったのでしょうか。お書きになっている文章の中に、まだこれらを混同なさっているようなところがあってこころもとないのですが。「分ける」ことは「分かる」ことです。頭の中でごっちゃにしていることをそのままにして、他人ばかり攻撃してもしょうがないでしょう。
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いずしさんの日記へのツッコミの中に、ご自身が「旧字旧かなづかいたちがなぜ『正字正かな』という呼称にこだわるのか、理解不能です」みたいなこと(原文が掲示されていないので、私が記憶している限り正確な文章です。あしからず)を書いていらっしゃいましたが、本当に理解したいと思っているのですか。わたしは正字正かなづかいではありませんが、袖擦りあうも他生の縁。ご説明さし上げますよ。お知らせ下さい。
ただしそのためには、最低でも「口語と文語」、「表音的と表意的」、「文字づかいと言葉づかい」等の区別ができていないとだめです。私の短くもない人生経験から、当方にいくら説得力があっても、納得力のない方には結局ご理解いただけない(素人ことディーダラスさん、まだここを読んでいますか?)、という結論が出ております。
自戒を込めて。ってなんだか流行の言葉なので、書いておきます。
いずしさんへ
誰も突つ込まないから私が突つ込んでおきますが。
「闇黒日記」は「あんこくにつき」と讀むのが正式であつて、それは誤讀でも何でもありません。(參考: http://members.jcom.home.ne.jp/pctips/parody/monkiri/ya.html の「やみくろにっき」の項)
つまりですね、「義」さんは、わざと惡人を演ずる事で、當方の評價を對照的に上げるやう、努力して下さつてゐる譯です。「義」さんは多分、好い人なのです。
下の投稿は、例によつて「義」さんのものです。
かう云ふ差別的で封建的な考へ方をしてゐるから、「義」さんは、私の主張を氣に入らず、私を中傷する譯です。
<<< 阪神大震災は大笑いだぜ! >>>>>
あそこらへんって朝鮮人の穢多・非人が多いから
そのまま全滅させたかったんだよね。
坂東孝信は朝鮮人の部落民だよな。
坂東孝信の手足をもぎ取ってなぶり殺そうぜ。
登山ナイフで坂東孝信のハラワタ抉リまくろうぜ!
坂東の横浜の家も燃やしてやろうぜ。 ケケッケ
ところで、「闇黒日記」の文書は、ISO/IEC 15445:2000準據である事は、既に説明しましたし、そもそも文書のDOCTYPE宣言を見れば誰の目にも明らかであるのですが、どうしてW3CW3Cとおつしやいますか。
ISO/IEC 15445:2000は、通稱ISO-HTMLと申しますが、邦譯されてJISになつてゐます。いずしさんは、ISOもJISも御存じありませんか。
ああ、「きゅうじげんりしゅぎ」ではなくて、「きゅうぶんごたいで かかれているさいとも よみにくいことこのうえなし」とか云ふ極附けが發端でしたつけね。
お怒りのようですが、「きゅうじげんりしゅぎ」という言葉を用いたのは、
http://mas0721.tdiary.net/20021213.html
だったように思います。
「リンクを張つて」、「具體的に何處の誰がさうであると指摘もせず」、「相手に反論する機會も與へなかつた御仁が」という意味で、「リンクを張っているにも関わらず、何処の誰がそうであると指摘しなかったこと」を問題にしてらっしゃるのか、「リンクを張らずに、具体的に誰がそうであると指摘もせず」と、リンクを張らなかったことを問題とされているのかどちらでしょうか。正字でも解釈が難しいのか、僕の読解力が無いだけなのか。
当該日記では「ぼうあんこくにっき」という形でリンクしているはずですが、「あんこくにっき」ではなくて「やみくろにっき」(単純に僕の誤読です失礼しました)であるからリンクしていないとお考えなのか、W3Cの規格に則ってないのでリンクしていないと仰っているのかどちらでしょう。僕はリンクしていたつもりなのですが。
>字音仮字用格をテキスト化して置いてはどうです。
波江さんが御自分でやつて下さい。
うーん。途切れている、というのはいまいち納得できないです。
お説のとおり過去から連綿と続いている、とはいえないとは僕も思いますけど…
なんで納得できないか自分でもよくわからないです(w
話は変わりますが、
「免許持ってないけど、車の運転はできる。問題ない」
「交通法規なんか聞いたこともないから押し付けるな。逮捕とか言われてもわからない」
みたいなことを言う人に、信号無視の話をしても無駄だと思うんですが。
> 以後特にお邪魔することは無いですがる
以後特にお邪魔することは無いですが。
失礼 訂正 皆さんはローマ字入力が多いですか。
> 字音仮字用格をテキスト化して置いてはどうです。
更にレスします。字音仮名遣は、元々は外国語の音写なのですから、日本語の本質的部分
ではありません。カタカナ語と同じものです。
唯、字音仮名遣も日本語を理解する為の必要な知識であると云ふ点には私も同意します。
> 以後特にお邪魔することは無いですがる
文章の最后が「る」になつてをります。かな入力をされてお出でと御推察申し上げます。
偶にしか出て来ない私ですが、申し訳ありません。
コスプレなどと目糞に鼻糞をいはれぬやう
字音仮字用格をテキスト化して置いてはどうです。
ファッションだけではどうしやうもない。裸に剥いても、
解剖しても仮名成分の遺伝子情報が理に叶つた配列で置かれ
てゐるが肝腎です。検索で見る限りこの著のテキスト化の例
はまだ見当たらぬ。校閲者の著作権問題等はあるでせうが。
以後特にお邪魔することは無いですがる
それはともかく、「闇黒式引用」ですが、DTDとの適合性やマークアップの妥当性という点では問題ありませんが、アクセシビリティという観点からすると、やや不親切であるように思います。IEはともかく、低機能な携帯端末などでもアクセスされうることを考えると、タグを無視したベタのテキストでも出典が明示されるように記述した方が、読者に親切なのではないかと思うのです。
「そうしなければならない」というほどのことはありませんが、しても弊害はほとんどないわけですし。
また、「マジレス」とは一体何ぞや、とか、叱られたりして。
watson氏とholmes氏の關係は何なのでせうか。同一人物が二つの人格を演じてゐるとしたら、或意味、私に喧嘩を賣つてゐるやうな氣がするのですが。
と言ふか、「ネタにマジレス」されて、困りました。
「ノズラー」がいかに異常な人間であるかをネット上の掲示板などで布教するが、語り口が傲慢なので皮肉にもかえって義に嫌悪感を示す人を増やすという事態に陥っている。
また、下ネタこそが義の文章に残された数少ない(唯一?)芸であり、これを守ることこそが真の厨房であると盲信しているので、義を名乗りながら西部邁や西尾幹二やその信奉者にも相手にされず、ますます「ノズラー」を憎んで「ノズラー」なしには生きられなくなっている。
ノズラーという言葉はこの際おくとして、あの坪内氏が本当にそんな発言をしたのだろうか、と怪しむ一人です。言葉としてはその通りだったかもしれないけれど、ニュアンスはどんなものだったのでしょうね。バイアスがかかった人が他人の発言の都合のいい箇所だけ取り上げたために、発言者の意図とは全く異なった印象を与えることもある訳ですが、、、。でも、watsonさんでさえ、そんな事実があったように書いていらっしゃるから、やはりそんな発言があったんでしょうねえ。真意は?意図は?ちょっと不思議です。
watson様
「ブレイクする」は「急激に人気を獲得する」「急激に大流行する」といった意味で使われる若者言葉です。
「コミケ」「HAMACON」「コスプレCOMPLEX」などは固有名詞ですから、ご興味がおありでしたら、ご自身でgoogleなどのサーチエンジンを使って検索してみてはいかがでしょうか。
http://www.google.co.jp/
もっとも、「コスプレとは、(ごく一部の)若者が好んで行うある種の仮装のことで、最近は風俗産業などにも取り入れられているが、本来は性的な行為に関わるものではない」ということさえ理解していただければ、watson様にとっては、これ以上追求するほどのことではないような気もします。
なお、コスプレという行為や「正かなはコスプレ」発言を擁護するつもりではありませんので、念のため。
★ノズラーの性質★
「正字正仮名」がいかに正統な仮名遣いであるかをネット上の掲示板などで布教する
が、語り口が傲慢なので皮肉にもかえって「正字正仮名」に嫌悪感を示す人を増やす
という事態に陥っている。
また、「正字正仮名」こそが現代の日本に残された数少ない(唯一?)伝統であり、こ
れを守ることこそが真の保守であると盲信しているので、保守を名乗りながら「正字正
仮名」を使わない西部邁や西尾幹二やその信奉者を罵倒することを生き甲斐にしてい
る。
コミケ等でブレイクします。
SF大會ではHAMACONの頃に「マスカレード」と云ふ用語
アニメの「コスプレCOMPLEX」は、或意味とても面白いです。
野嵜さん、申し譯ないが、上のことばは、小生と相棒の holmes には理解しがたいのです。
しました。どうもです。
「コスプレ」はもともとSF大會でマニアが小説の登場人物の恰好をして歩きまはつたのが發祥でして、のちにコミケ等でブレイクします。SF大會ではHAMACONの頃に「マスカレード」と云ふ用語が提唱されたのですが、定着しませんでした。
「コスチュームプレイ」の「プレイ」に性的隱喩を見出すのは、そつち方面では一般的ではありません。マニア向けの水商賣系の御店が「賣り物」にコスプレなんとかなるものを用意し始めて、何だか譯がわからない事になつてゐるみたいですが、それはあつちの世界の事であつて、そつちの世界とは全然別です。
全くの餘談ですが、アニメの「コスプレCOMPLEX」は、或意味とても面白いです。
坪内氏に對して、過日の發言について、きちんと問ひ質す必要がある。
「正かなはコスプレ」批判をやるさうだから。
こんなことは、正かなを使ふ人に對して、何十年も前から言はれてゐたことである。
正かなで書かれたといふ、彼の修士論文『福田恆存論』はコスプレといふことになる。
「コスプレ」とはコスチュームとプレイを合せた珍造語。看護婦や女學生の恰好をさせる、プレイとは性的な意味がある由。このやうな下品な言葉を使ふ坪内!
あなたは「通行人」と同人物であらう。私の投稿は、
「通行人」氏へ 投稿者:watson 投稿日:12月 2日(月)23時02分59秒
自明のごとくあなたが使つてゐる「ノズラー」といふ用語、これは何なのですか。
他者に分るやうに、あなた自身の言葉で説明してください。
である。「ノズラー」を説明しなさい。坪内氏の名譽のためにいふのではないが、「ノズラー」なる發言はない。別の文脈でで「コスプレ」と發言したのだ。これはこれで批判されなければならぬが。
…………間違ひ無く、白翁さんは僕のサイトと間違へたのだと思ひます。
「正字正かな」「ページのレイアウトが酷似」と云ふ間違へても仕方が無い条件が揃ってゐるので無理も無い…………。(「ページのレイアウトが酷似」は僕の方に非があります。すみません。)
坪内氏がシンポジウムで「最近歴史的かなづかいをつかって自分を一段上に見せかけようとする奴が目立ち、それに対して反発を感じる」といった発言でノズラー批判を行ったことのほうが印象的だった。
「ノズラー」といふ言葉が分りません。きちんと説明してください。
ご病気のことと黙っておりましたが、マークアップが乱れているようです。
http://validator.w3.org/check?uri=http://members.jcom.home.ne.jp/w3c/omake/diary.html
初めまして。
PC-Tips辺りをうろうろして勉強させてもらってます。
ところで、闇黒日記の
>HTMLの事を良く知らない胡桃の中の航海日誌のいずしさん、htmlと書いてゐるんですね。
を見て、小文字でhmltと書くのは正しくないのか?と思ったんですが、理由がわかりませんでした。
HTMLを大文字で書くことが正しいということの理由はどこに行けばわかりますか?
》が二番目に落ちてゐるよ。
一番目に出て來る人の批判文のはうが面白いね。(笑)
♪なにも怖くなかつた、か。
初めて書き込みします。
いずしさんの言動を見てると、1年半程前の自分を見てるやうな氣がして、懷かしい
やうな面映いやうな。
だけど「W3Cなんて知らない」つてのはね。googleででも調べなさいよ。でもまア、
かう依怙地になつてるところも私と同じですが。
1年半前の私↓
二つ下の書き込み。
このページが旧字体で構成されているために、知己のページと勘違いし
おろかにも親しげに書き込みをしてしまいました
まことに申し訳ございません
坪内氏がシンポジウムで「最近歴史的かなづかいをつかっ
て自分を一段上に見せかけようとする奴が目立ち、それに対して反
発を感じる」といった発言でノズラー批判を行ったことのほうが印象
的だった。
シンポジウムはあんまり面白くなくて、面白かったのは
テレビ東京で昔放送されたテレビ番組の上映。昔の福田先生の
姿が出てきて実に面白かった。掛川中学赴任時代の生徒とかゲスト
に出てきてね。これは見てよかったと思った。
福田逸氏の講演はまとまらなかったが、「芸術とは何か」
「人間この劇的なるもの」の両方とも読んでいないというのは意外だったね。
弘法はどんな筆でも立派な字がかけるけれども
やっぱり筆を選ぶものです
と、いうか、小説かいてみれ
あれれ、西部邁氏の拙劣な處世術を批判する
http://member.nifty.ne.jp/okadash/nishibe.html
が二番目に落ちてゐるよ。
取敢ず西部批判ばつかりがまづひつかかつて、西部信者の文章がなかなか出て來ない状況は變らず。
西部批判と言へば、岡田先生のサイトの文章が多分、ウェブでは一番有名だと思ひますよ。Googleで「西部邁」を檢索すると、まづひつかかりますからねえ。
「根據ナシに誹謗してゐません」→「根據ナシに誹謗などしてゐません」
そもそも、松原先生が「西部先生や小林先生の悪口を言い歩いている」と云ふ事實はありません。松原先生が西部批判や小林批判を書いたのは、「月曜評論」だけです。
世間から爪彈きにされてゐるのなら、「言い歩く」事など、不可能でせう。どうしてかうも穴だらけの文章を、小林信者にして西部信者の人は平氣で書けるのでせうか。馬鹿だからです。
保守思想を批評するのに、假名遣を云々するのは、當り前の事でせう。日本語の表記を守らうとしないで、その人はどうして保守派を名乗れるのですか。
松原先生は、西部邁や小林よしのりの事を、根據ナシに誹謗してゐません。西部や小林の文章を採上げて、具体的に間違ひを指摘してゐます。レッテル貼りをしてゐる譯ではありません。松原先生が世間から爪彈きにされてゐて、爪彈きにされる事が慘めな印象を周圍に與へてゐるのは、事實かも知れません。しかし、松原先生の理窟は誰にも否定出來ないものです。そして、印象は長續きしないが、理窟は永遠のものです。
松原先生の理窟が崩潰しない限り、松原先生の文章は永遠に價値を持ちます。小林よしのりや西部邁の著作は只のベストセラーであり、今受けるだけの代物でしかありません。
しかし、ベストセラーを熱狂的に支持するのが保守派の態度である筈がないのですがねえ。
世間から爪弾きにされて、西部先生や小林先生の悪口を言い歩いている、松原氏ははたから見ても非常に惨めです、直弟子の貴方から是非止めるように進言して下さい。
貴方のお仲間の所にも書いておきましたが、保守思想を評論するのに何で、仮名使いを云々するのですか?
僕は日本語で話すのも、お箸でご飯食べるのも日本の文化だと思ってました。
違うのかなあ。
「ちょさっけん」というのも少し気になるなあ。
重箱の隅かしら。
はじめまして。いつも楽しく拝見しております。
blockquoteのcite属性ですが、iCabでも認識できます。
また、今回のやり取りを拝見して、以下のページで岩城氏のおっしゃる「シミン」を
連想しました。
http://www.letre.co.jp/~iwaki/shimin.html
> 土日は自宅で靜養します。「とても健康的な忘年會」は(やるとしても)來週日曜日以降に持越し。ごめんなさい。
判りました。では、來週に延期しませう。
では、お大事に。
「公開」→「航海」修正しました。
古い「反米」に關する記事は、略字正かなです。直す氣力がないのでほつたらかしです。すみません。
「日本の商船は公開するのも危險」は「日本の商船は航海するのも危險」の誤りだと思います。
http://noz.hp.infoseek.co.jp/column/hanbei2.html
あと、
http://noz.hp.infoseek.co.jp/column/hanbei.html
に「党」という字が何回か出てきますが、これは「黨」の略字ではありませんか。
それはそうと、あまり無理をなさらぬよう、お大事に。
da Meningen さん
假名漢字變換のATOKがやつてゐる方言サイトに「伊豫辯」もありますよ。九州四國あたりは「をる」が多いやうですね。
http://hougen.atok.com/
>rb {speak:none;} で何か問題が?
スタイルシート未對應のユーザエージェントで問題が出ます。ruby關係の要素を知らない既存のユーザエージェントでも問題が出ます。rubyは互換性が低い、と言へます。
言語に關して保守的であるのは良い事であるのに決つてゐます。誰もが言語に關して「革新的」だつたら、言語は通じなくなります。
> 讀み上げ系のユーザエージェントで不具合が出る(漢字と振假名の兩方を讀上げる)のを見れば明かですが、rubyの仕樣は大變に拙いものです。
rb {speak:none;} で何か問題が?
> 日本人は言語に關して"ウルトラ保守"なのだときだ氏は非難する。言語に關して保守的であるのは良い事なのだから、"ウルトラ保守"などと、恰も惡い事であるかのやうに言ふのはをかしい。
"言語に關して保守的であるのは良い事" の論拠が示されていません。
これじゃ論拠なしに "恰も惡い事であるかのやうに言ふ" きだ氏と大差ないような。
死郎さんに同意。
私の故郷の愛媛でははっきりと"wo"と発音していました。
他の地方でどうなっているのか私は知りませんが。
個人的には助詞の『を』は"wo"と意識して発音してるので、『お』とは書きにくいなあ。
僕わ今日古本屋え行って本お買いました」
この假名遣を、敗戰後、何處かの左翼政黨が主張してゐた。
いや、そんな大袈裟な話でもなくて、自分を実例にあげて、現代仮名遣いで教育を受けた人間でも、中学生程度の知識と類推だけで大体読めるので、そのうち気にならなくなりますよ、ということなんですけど。
実際、正字正かなの文章を習慣的に読むのはこのサイトだけですが、それでも、このサイトを見るようになって最初の数日でまったく違和感なくなりましたし。
ただ、字音の仮名遣いは、あまり本を読まない人には厳しいかもしれません。「てふてふ」とか、知らなかったら、なんて読むのか判らないだろうと思います。(それだって前後の文脈でわかる場合も多いでしょうが)
生まれた時(小さい時)から正字・正仮名読んでいれば、それが一番すらすら読めて、他に違和感を感じ、略字体・現代仮名遣ひを読んでいれば、正字・正仮名に違和感を感じる。
要は義珍さんの言うやうに「慣れ」。
日本人でも、小さい時にアメリカに一人で置いて置けば英語はぺらぺらに話せるようになる。それは、その環境に一番「慣れ」たから。
日本人だから英語はなせないのではなく、普段の生活環境の中で英語に触れる機会が無い、もしくは少ないから、「慣れ」る事が出来ず、「慣れ」ている日本語中心に考えるから英語を異物のように感じる。
勿論、そうじゃない人もいるんですけど。
本を→本お
わざと間違えるのも難しいもので。
正かなは、慣れたらまったく意識しなくなりました(正字の方は、見慣れない字や知らない字にひっかかることもありますが)。
自分でも正かなで書くようになると、そのうち、現代仮名遣いの文章の方が読みづらくなったりするもんでしょうか。
今、「僕わ今日古本屋え行って本を買いました」という文章が読みづらいように。
教養がないからさ。
と書いてみるテスト
# (c)言葉狩り推進派
読みにくい・・・
参加したいなあ。無理だけど。
屈折しているのは英語でもなければ、その表記法でもないようです。easeにお付き合いしてhadで戯言をプレゼントして不毛の議論を終えましょう。ご理解いただけますやら。
Mary who had had had where Ben had had had had had had teacher's approval.
誤 引用符号を落としていらぬ誤解を招きし断何とも失礼
正 引用符号を落としていらぬ誤解を招きし段何とも失礼
書誌情報ありがとうございます。
できるだけ、容易に入手できる方法で探してみます。
素人さんへ
>英語はどの程度学ばれたのでしょうか
ベンジョンソンがシェイクスピアを評していつた言と大差ないでせう。
といつて屈折語系の表記字には逆立ちしてもいろはの類は作れぬとい
ふ結論には影響あるまいと思ひますが。
Please ease His ceaseless disease
何卒至尊の小止み無き御悩みを怠らせたまへ
昭和天皇御闘病中に津々浦々に見られた祈りの光景でせうか。
何これはEASEの入る語を四個貼り合はせた地口に過ぎませんがね。
下血吐血を持ち堪へる大量輸血といつた心持で懲りずに四十八音歌
を送り居るわけです。いづれかかる変態英文をどつさり作つてご座興
に呈しますよ。
>>音を持出したのはあなたですよ
野嵜さんは音が大事か形が大事かどちらか一方に決めつけたがる。
私の詩形ではどちらも両立させねば成り立たぬのです。
>>現在世界で使用されてゐる文字は全て、使用者が發明したものではありません
かなとは日本が歴史展開の途上で自ら考案し<現に使用して居る物ですよ。その意味
での当事者責任です。五十年やそこらの特許権著作権の話をして居るのでは無い。
引用符号を落としていらぬ誤解を招きし断何とも失礼
私の行き付けである武蔵小杉の壽司屋で會食、といふ形式で良いのなら私が幹事をしても構ひません。その場合、私の日程の關係で12/15となりますが、どうでせうか?
酒禁止。煙草禁止。カラオケ禁止。隱し藝禁止。2ちゃんねらー用語禁止(重要)。
……と云ふ非常に健康的な忘年會を年末に開催したいと思つてゐるのですが、參加希望者は存在しますか。
ついでに幹事をやつて呉れる人大募集。と言ふか、私が幹事をしなければならないなら中止。やる氣ナシ。
>しかし、「いろは知り得ない」つて何ですか。日本語を書いて下さい。あなたの文章は出たら目です。出たら目な文章を書く人の言ふ事を信用するほど、私は馬鹿ではない。
野嵜さん、失禮いたしました 馬鹿は私ですから 再び出鱈目な文章で恐縮至極ですが、味は味を知らない、音は音を知らない キーを叩く指は指を知ることはありません 知り得ないと書いたのは、さういふ意味です 無視して下さい
>してみてそれを体感なさるればよい。
してみると謂ふののも變ですね、物皆本來そうできていると思ひます、ですからあなた妙なんです
東西文庫から出た『近代の宿命』に收録されてゐるさうです。
珍本で、下手をすると、全集の一册を買ふよりも金がかかります。
http://home.att.ne.jp/sea/Ryuseisyorin/bungaku/6h/kouzon.htm
新潮社版『福田恆存評論集四 日本および日本人』にも收録されてゐます。
單行本の初出については存じません。
むしろ古本の全集購入が安あがりかもしれません。また、その價値はあります。
神保町と早稻田の古本屋街でも、福田單行本は中々見つかりません。
いづれせよ、野嵜さんが買ひ占めたといふことでせうか。
ありがとうございます。
単行本の収録はなかったのでしょうか?全集が高価なものでと思ったのですが。
波江さん、国語はさておき、英語はどの程度学ばれたのでしょうか。ラテン語は?英語について論じようとういうなら、英語はむろんラテン語にも精通する必要があると思うのですが(但し、ラテン語は今や地球上のどこでも話されていませんから、発音に関してはそれこそ波江流で結構ですけれど、、、)。
いろはに限らず、現在世界で使用されてゐる文字は全て、使用者が發明したものではありません。アルファベットもかなも同じです。
それから、音を持出したのはあなたですよ、波江さん。あなたは、何を考へてゐるのですか。或は、あなたは考へてゐるのですか。
しかし、「いろは知り得ない」つて何ですか。日本語を書いて下さい。あなたの文章は出たら目です。出たら目な文章を書く人の言ふ事を信用するほど、私は馬鹿ではない。
取敢ず、自分の文章と、引用とを、わかるやうに書いて下さい。
それと、マルチポストは御遠慮下さい。
いろは知り得ないと謂うことです、ABCになにも無いように いろはに何もありません、松に古今の色無しといふ事です
いろはもABCも馬も鹿もですか 松に古今の色無し、まして文に古文現代文の別はありて無い
やうなものです。してみてそれを体感なさるればよい。
英語の場合には言語の特質を生かせないらしいですね
その使用字について当事者能力がない。つまり自分で発明工夫した字では無い。
現状の大勢がどうであれさうした無思想の羅列になる言語に依る文明がこの先
末長く人類文明を導く基準として有効であり得るとは到底想へぬ。
ともかく別掲示板にも書きましたが山があつたら登るものですよ。
批評論議に空費しても国語事情は何等好転せぬ。
形が大事といつて居た人が音を持ち出しますかね。
「一匹と九十九匹と ――ひとつの反時代的考察」
『福田恆存全集』(全八卷、兜カ藝春秋、昭和六十二年刊)第一巻の卷末六百四十頁から六百五十三頁にあります。新潮社版著作集にも載つてゐるでせうが、いま手元にありません。なほ、初出は『思索』昭和二十二年春期號とあります。
死朗様、
>ということは、辞典の記述そのままというわけではなかったんですね。
そうい云ふことになります。
誤解を招くような表現をしてしまい、申し訳御座いませんでした。
この文章は、どの本に収録されていますか?
> 好い加減で申し訳御座いませんが、確かに「はっきりとした語源は分かっていない」と言うような旨は書かれていたことを記憶しています。
ということは、辞典の記述そのままというわけではなかったんですね。
> それに、余り新しい辞典ではなかったと思いますから
べつに内容については云々してませんが、そういう古い本であるなら余計に、今風のおかし
な文体(『〜分からなく』だの『〜いなく』だので文を切るような)で書かれている可能性は
少ないでしょうね。
>酒を飮まない辛気臭い忘年會をやりたい人募集。
酒は飲まないけど辛気臭くない忘年会ならやりたいです。
「人が言葉を一向己の思ひを述べ伝へる手段として行はれる表現行為の総体」が「人にとつてのありの侭」である、とは、理窟でも何でもないです。大體、「人が言葉を一向己の思ひを述べ伝へる手段として行はれる表現行為の総体」と云ふ言ひ方自體が變です。
そもそも、五十音圖に載つてゐるかなを均等に使ふ事が文藝の目的ではありません。波江さんは、勘違ひしてゐます。
> >「あ」を使つたら「か」を使ふ事が許されない
>私はあ単音の使用の実際例を説明したのです。あ行ではありません。
「あ行」の全てのかなの發音には、例外ナシに/a/の音が含まれてゐる事を指摘しただけです。そして、「あ」と「か」とを使つただけで、均等に全ての音を使つた事にはならない事になる、と指摘しただけです。「あ」と「か」を使ふと、/a/の音が他の子音に比べて、多く使はれてしまひます。
もつとも、波江さんは、音ではなく音韻が大事だから、その邊は氣にしないのかも知れませんが。
>英語のパングラムは子音のみでは単語構成し得ぬ故苦し紛れにさういふ許容基準を設けて居るわけですが、これではいろはとは似て非なるどころかインチキです。
「いんちき」と考へるのは波江さんの勝手ですが、日本語の表記自體がいんちきである可能性もある譯で。
>四十八音の制約上字音の仮名遣に至るまでごまかしなく使ひ得て居る例が私の他にどこにありますか。
ごまかしは表記自體にあるのですよ。「あ」は/a/と云ふ一つ音を表はしますが、「か」は/ka/と云ふ二つの音を一つの文字で表はしてゐるのですから。
>大事な事は言語の特質を活かして使ふことです。
言ふ事は結構ですが、その癖、英語を罵倒してゐるのは感心しませんね。或は、波江さんによると、英語の場合には言語の特質を生かせないらしいですね。勝手に決めたルールに從つて、言語の評價を決定しようとするのは、良くない事です。ユニバーサルでない規則を私は支持しませんし、ローカルなルールを根據に自分の思想を高く評價して見せるのを私は好みません。
死朗様、
>本当にその辞典に『分からなく』などと書かれていたのでしょうか。『分からなくて』でも
『分からず』でもなく?
好い加減で申し訳御座いませんが、確かに「はっきりとした語源は分かっていない」と言うような旨は書かれていたことを記憶しています。
そもそも、その辞典に載っている私の地方の方言が、実際のものとかなり違うような気がしたので、内容的には正しいかどうかは分かりません。それに、余り新しい辞典ではなかったと思いますから、その辺も併せて考えて頂ければと思います。
>いろは四十七音を暗誦し得ずしていろはも知らぬなどいふ説教をする徒がはびこるのは精神衛生上健全な現象とは言へません。
誤解があるようです、私の謂いたかった事は いろは知り得ないと謂うことです、ABCになにも無いように いろはに何もありません、松に古今の色無しといふ事です
言葉の表層を眺めているだけです
>人にとつてのありの侭】は如何なる物でしょうか
人が言葉を一向己の思ひを述べ伝へる手段として行はれる表現行為の総体です。
万葉古今俳諧及びこれらの詞書から派生発展した文藝遺産の総体もいろはの視点
からすれば四十八音を不均質に使つて使ひ残りの音の切り屑を散らかす資源の無駄
使ひに過ぎません。言葉にとつての有りの儘をも考慮した完熟した言語文明を築く
はこれからでせう。その意味では日本語及び日本文明は成長余力ある文明と思ひます。
かなころがしではその可能性を圧殺してしまふ。
>いろは、は、いろはなりです あなたは確かに間違っています
間違つて居るのどうの言ふ前に一度試みて下さい。日本文藝の特質
は参加することに意義がある文藝といふにあります。いろは四十七音
を暗誦し得ずしていろはも知らぬなどいふ説教をする徒がはびこるのは
精神衛生上健全な現象とは言へません。
>「あ」を使つたら「か」を使ふ事が許されない
私はあ単音の使用の実際例を説明したのです。あ行ではありません。
>アルファベットの26文字だけで英語の文章が成立しないのは、ただ單に、 bcdfghjklmnpqrstvwxyzが子音で、母音を含まないからに過ぎません。
英語のパングラムは子音のみでは単語構成し得ぬ故苦し紛れにさういふ
許容基準を設けて居るわけですが、これではいろはとは似て非なるどころか
インチキです。所詮は自らの歴史展開途上に自前で発明工夫したものではない
無思想の羅列ですからね。
>日本語に於ける音の使はれ方を祖述したに過ぎないのではないですか
四十八音の制約上字音の仮名遣に至るまでごまかしなく使ひ得て居る例が私の
他にどこにありますか。さういふ批判は的外れとしか思へませんが。制約の中
で表現領域は万葉長歌から現代詩までを覆つて居ますよ。古文も現代語も四十八
音の遣り繰りに過ぎぬ所は同じですからね。
大事な事は言語の特質を活かして使ふことです。字数歌いろはのやうな表現が可能
な言語は人類の他の言語にはありませんからね。日本語及び日本人に付加価値を
齎す物になる筈です。
遲ればせながら、野嵜樣、はじめまして。名前は名前でしか無いやも知れませんが、憲法學徒といふ名前には少々坐り心地の惡さを覺えますゆゑ、原状恢復致します。
大石博士、井上博士の兩論文、拜見致しました。井上論文には 、(一、後醍醐帝政期や帝國憲法期におけるやうな國制が動かすべからぬ我が國の國體か。(二、全て政治的責任を補弼機關に歸せられるか。天皇が政治的失敗を侵すこともありうるのではないか。以上二點の疑問を抱きました。大石博士に分があるやうに思へます。
なほ、天皇の勅令により憲法典が改正されても、國民の名で制定されさへすれば、民定憲法と呼んでも差し支へないと考へてをります。天皇は改正を裁可し公布するのみで(天皇は、誰かが憲法典を定めることを許したのみで)、欽定・民定如何はその内實で決せられると解します。
解答ありがたう御ざいます
文章とは自分が思ふありの侭見た侭を述べれば良いなどといふ愚論が言語混乱を不可避 にしたものです。それは未だ人にとつてのありの侭に過ぎません。
巫山戲ている譯ではありませんが、【人にとつてのありの侭】は如何なる物でしょうか
>各音意味生命を帯びる品詞単位としてある条件を言葉にとつてのありの侭といひます。
これを極限まで生かして使ふことを以て旨としサイトを立ててある訳です。
そうですか
>言霊の幸はふ国の言霊とは神がかりをいふのでは無い。仮名の帯びる材質条件によつて例証されるものです。アルファベットの如く無機質な表記部材では無い。生体細胞器官も同じ切れば血も出る不可分の繋がりだといふことをいろはは例証して居ます。
人の思ひ込みです いろは、は、いろはなりです あなたは確かに間違っています
憲法學徒樣、はじめまして。
改正無限界説ですが、大石義男博士もその立場ですね。現行憲法は大日本帝國憲法を改正した正當なものである、と大石博士は考へ、現行憲法無效説の井上孚麿博士と對立しました。
ただ、現行憲法が大日本帝國憲法を改正したものであるならば、形式的に欽定憲法である事になります。なぜなら、大日本帝國憲法の改正は勅命でしか實現出來ない事になつてゐるからです。「改正説」をとる限り、現行憲法は欽定憲法であると言はざるを得ません。
それが「意味」だと、波江さんは本氣で言つてゐるのですか。ただ、日本語に於ける音の使はれ方を祖述したに過ぎないのではないですか。わざわざ「意味生命」だの何だのと言ふ必要はないですね。
それから、アルファベットの26文字だけで英語の文章が成立しないのは、ただ單に、bcdfghjklmnpqrstvwxyzが子音で、母音を含まないからに過ぎません。
日本語では、「ん」以外の全ての音節は「子音+母音」です。だから、「aiueo」の音を明示しなくとも何とかなる場合が多い譯です。
波江さんは、五十音を均等に使ふ事に意義を見出してゐますが、實は、五十音と云ふ概念自體が、決して均等ではないのです。「あaいiうuえeおo」と「かkaきkiくkuけkeこko」とでは、對等ではないのです。後者は、前者を含んでゐます。そして、波江さんの言ふやうに、全ての音を均等で使はうとするのは、日本語では不可能なのです。
波江さんの言ふやうに、「各音平均に使ひ切らうとする」を徹底すると、一度「a」と言つたら二度とaの音を使つてはならない、「あ」を使つたら「か」を使ふ事が許されない、と云ふ事になります。しかし、波江さんは、それ程嚴密な事をする氣がありません。
ちなみに、英語にも波江さんのやうな「字數歌」があります。當然のやうに、母音を示すaeiouは複數囘使はれます。それで何の問題もない事になつてゐます。
はつきり言ひますと、波江さんの「字數歌説」がいんちきだと斷言出來るのは、波江さんが音と文字と意味とを嚴密に區別しないからです。
例へば、「あ」の意味を、誰でも納得の行くやうに、根據を擧げて、説明していただけますか。そして、その意味を、波江さんが字數歌の中でどのやうにして生かしてゐるかを説明していただけますか
アは単音での用例は少ない故動詞語幹として他音との組み合はせで用ゐ、又語中語尾に
用ゐませんからその他諸品詞の語頭に使ひます。さうして費消せられた音を
除いても残りの音でいかやうにも表現し得る範囲はあるわけです。
徹底して言葉その物の都合に添つて各音平均に使ひ切らうとする時に人の都合による
のみでは得られぬ自由な表現領域がひらけて来る所があるものです。
アルファベットでいかやうに並べ替へても出来るは地口片口言葉の二三がのみでせう。
世阿弥の語にして見てよきにつくべし
やれば出来ることですから野嵜さんも一度挑戦せられてはいかがでせう。
その後に改めて疑問質問の湧く余地あらむかと思ひます。
國家機關としての天皇の權限は、一条以下で新たに創設→×
國家機關としての天皇の權限は、三条以下で新たに創設→○
致命的な間違ひゆゑ、訂正して深くお詫び申し上げます。訂正ついでに總轄をすれば、日本國憲法一条をかう解するといふことです。
「天皇(制)は、日本國の象徴であり日本國國民統合の象徴であつて(「憲法」上の地位)、この地位(自然人としての天皇が占める國家機關としての地位)は、主權の存する日本國民の總意に基く(國家機關としての、換言すれば憲法典上の地位)」
なほ、現行憲法とありますが、これは日本國憲法「典」のことを指してゐます。解りにくうございますゆゑ、申し譯なう思ひます。
天皇の名の下に→×
正しくは、天皇が宣言し、國民の名の下に
私は、いはゆる改正無限界説に立ち、なほかつ現行憲法を民定憲法と見、法的連續性を承認します。制憲權力主體の變更をバーンズ囘答に求める八月革命説にも與しません。
社會契約説が擬制である以上、天皇の名の下に、制憲權力主體を「觀念的統一體たる」國民に變更さしむることは認められます。「實在の」國民の意思による憲法改正といふ事實の有りや無しやは問題ではありません。
したがつて、天皇制の内容の變更は「國體」の變更であり、改正權限を逸脱するとの説にも、與しません。憲法典と憲法(constitution、國制)との區別に立ち、帝國憲法(典)に於ける地位、すなはち國家機関としての役割を有した天皇を、現行憲法では、「憲法」上の象徴(社會的心理上の効果を狙つたうへでのもので、法的な積極的意義は無い)に變更さしめたと解してゐます。また、國家機関としての天皇の權限は、一条以下にて新たに創設したと解するゆゑ、この點において、またこの點から私ははつきりと天皇制の斷絶性を見て取ります。ただし、この點から現行憲法無効・失効説を主張することは妥當ではないと考へます。
> 方言辞典を見ていたら、「『泥鰌』は語源が分からなく、
本当にその辞典に『分からなく』などと書かれていたのでしょうか。『分からなくて』でも
『分からず』でもなく?
漢字の字体や仮名遣いなどよりも、そういう奇妙な文章語のほうが気になります。
無知を晒してしまいました。
三文字の「どぜう」は、江戸時代、浅草にあるどじょう鍋の老舗「駒形どぜう」の初代が「どぢやう」と四文字になるのを縁起が悪いと嫌い、「どぜう」と書いたのがはじまりだとか。
「しやうゆ」を「せうゆ」と書くのは、Kan-chanさんがお書きになっているように、頭文字を「サシスセソ」に合わせるためなんでしょうね。「ソ」の味噌もかなり苦しいですが。
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「苦しいですが」は、「苦しゅうございますが」と書かなければいけないのでしょうか。あ、「苦しいのですが」でいいか。
あの一文は故山本夏彦さんへのオマージュです。「言ひ玉へ」/「言ひ玉ふな」は、山本夏彦さんの文章によく出てくる表現でした。
>目的をはつきり言ひ玉へ。
「給へ」ではないかしらん。
>死んだら人は何處へ行くのでせうね。
私たちの心の中に残ります。現象学的な意味でも。だから神話化は止みません、良くも悪くも。
大辞林には、醤油は「しやうゆ」とありました。
http://dictionary.goo.ne.jp/cgi-bin/jp-top.cgi
連続投稿で申し訳ないです。
MoonStone'S Laboratoryのサイトが変なマークアップである時点で、何だかおかしな気分になります。
「しやうゆ」と「せうゆ」もさうでせうか。
(料理のサシスセソは砂糖・鹽・酢・醤油・味噌)
“Operaでも正しく表示を”運動が始まる
http://www.zdnet.co.jp/news/0212/04/njbt_08.html
正しく表示されたからといって、それが正しいHTML文書であるとも限らないから、あまりよくない行動だと思うんですけど、どうでしょう。
方言辞典を見ていたら、「『泥鰌』は語源が分からなく、正仮名遣いでも『どぢやう』とも『どぜう』とも書かれていて、少し調べてみると三省堂の大辞林には「『どぜう』と書くこともあるが、中世後期の文献に『土長』『ドヂヤウ』の表記が見られることから、歴史的仮名遣いは『どぢやう』とされる」とのことです。
だからどうなんだと言われたら、別にどうもしないんですけど、気に止まったので書いてみました。
>各音意味生命を帯びる品詞単位としてある条件を言葉にとつてのありの侭といひます。
例へば、「あ」の意味を、誰でも納得の行くやうに、根據を擧げて、説明していただけますか。そして、その意味を、波江さんが字數歌の中でどのやうにして生かしてゐるかを説明していただけますか。
それにしても、波江さんの文章を見る限り、「ありのまま」の文章は理解し難いものであるみたいですね。
>説明してみて下さい、どうもあなたは胡散臭い
文章とは自分が思ふありの侭見た侭を述べれば良いなどといふ愚論が言語混乱を不可避にしたものです。それは未だ人にとつてのありの侭に過ぎません。
各音意味生命を帯びる品詞単位としてある条件を言葉にとつてのありの侭といひます。
これを極限まで生かして使ふことを以て旨としサイトを立ててある訳です。
言霊の幸はふ国の言霊とは神がかりをいふのでは無い。仮名の帯びる材質条件によつて例証されるものです。アルファベットの如く無機質な表記部材では無い。生体細胞器官も同じ切れば血も出る
不可分の繋がりだといふことをいろはは例証して居ます。
>うちのサイトを見てゐる福田さんファンつて、本當に多いのですかね。
Googleで検索してみると、 「福田恆存( http://www.google.com/search?q=%E7%A6%8F%E7%94%B0%E6%81%86%E5%AD%98 )」のキーワードでは、このサイトの内容が一番上に来ます。
しかし、「福田恒存( http://www.google.com/search?q=%E7%A6%8F%E7%94%B0%E6%81%92%E5%AD%98 )」だと、6番目程度の所に来ました。
名前で検索してくる確率は高そうです。
うちのサイトを見てゐる福田さんファンつて、本當に多いのですかね。
いつも題名を書き忘れる。申し訳ない。
>ただし出版は禁止します。
出版されるんですけど、この記述は何なのでせうか。それとも、関係ないか。とほほ。
>通行人
私も聞きたいですね。貴方だけの世界の言葉を公の場で使わないで、少しは公に分かるような言葉を使ってみてはどうせうか。
自明のごとくあなたが使つてゐる「ノズラー」といふ用語、これは何なのですか。
他者に分るやうに、あなた自身の言葉で説明してください。
「来てほしくない」でした。すみません。
13日午後6時半から三百人劇場で福田恆存を考えるシンポジウムが開かれます。
息子の福田逸氏の講演もあります。
ノズラーは大嫌いなのでできればほしくないのですが(笑)、このサイトを見て
いる福田ファンが多いことを考え、あえてお知らせした次第です。
>しかし、どうしてヴィデオデッキつて、新しければ新しいほど、操作性が惡いんでせうねー。10年前の製品の方が、寧ろ使ひ勝手は良かつたやうな氣がする。
どちら側(きっとテレビ側でせう)の対応か忘れてしまいましたが、昔は入力切替をしなくても、ビデオデッキ側で再生を行うと、テレビ側が自動的にそちらに画面を切り替えてくれました。
停止すると、元通り一般放送に戻る。
何でこの機能がなくなってしまったのでせうか。それとも、あるのに気付いていないだけか。
説明してみて下さい、どうもあなたは胡散臭い
松のことは松に聞け雪のことは雪に聞け、と芭蕉は門人に言ひ聞かせてをりました。
まして言葉のことは、ですよ。
言葉を駆使して感動陶酔の次元を醸成し得る人間のお手並みのほど賛仰し供養し礼拝
して能事足れりとするが文藝では無い。
まづ言葉の手柄のほど見あらはし正しき畏怖と愛を以て言葉に対し得るやうにするが
第一義です。
私はTSエリオットはかなり読んでいる方だと思う。そんな一人として思うのだが、エリオットのいう文芸の範囲はまだ楯の半面だというなら(例によってこの表現自体、私には理解し難いのであるが、それはこの際おくとして)、私は文芸に関してそれ以上を見た可能性ある人間を挙げることができない。波江さんがご存知なら二三の例をあげてみて欲しい。
エリオットのいふ範囲での文藝はまだ楯の半面でせう。
言葉その物に内在する規則性を見出しその運動機能の
極限値を求めて置くがまづ文藝です。
人にとつてのありのまま以前に言葉にとつてのありの
ままを虚心に聞き分けることです。
後日参考にならばとのみ
値段が大幅に下つたのでどうしてもさういふことになつてしまふのかもしれないが、昔よりヴィデオデッキの使ひ勝手が惡くなつたといふのは同感だ。野嵜さんのヴィデオデッキ論は正鵠を射てゐる。それで觀てゐるのが『シスプリ』だとしても…。
文藝云々はともかくとして、波江さんの主張は表音主義者のそれと同じである、としか私には思へないのです。波江さんは、どうして語よりも音を大事にするのですか
文藝の問題なのだから、文學者のT.S.エリオットを持出すのは正當なのであり、科學者のガリレオを持出す問題ではないですね。
と言ふか、「世に無駄におかれてゐる物はない」と言つたら、「戦後改悪以来の国語政策」もさう云ふ事になり兼ねません。
ガリレオとか、生前は業績が認められなかった人物に自分を仮託するのも定番ですよね。
>幾つ「字數歌」を作つても無駄です。
世に無駄におかれてゐる物はない。妄りに人のすることを無駄の何の
いふ者が勝手に折角の蓄積を無駄にしてしまふのみです。
T.S.エリオットを持ち出す問題では無い。ガリレオ曰く、それでも
地球は回る。四十八音も限り無く並べ変はつてゆく。言語の永劫運動
といふ奴の極致です。
>貴方は自覚亡き前衛芸術創自覚亡き前衛芸術創作者です。貴方の目指しているものとは、伝統を云々する貴方の言動とは全く逆の、伝統への反逆です。
自覚亡き前衛芸術創作 伝統への反逆
とは戦後改悪以来の国語政策且これに飼ひ慣らされた文士一般にその侭
呉れてやりますよ。
>レントゲンやCTスキャンと壷療法の比喩は、意味がないやうに思はれます。
というか、「診断」と「治療」と混同している時点で、既に意味をなしていません。そもそも、「時代遅れ」などという言葉を正当化しうるのは、CTスキャンメーカーの営業でしかありませんし。
波江さん:
失礼ですが、私から見た限りにおいて、貴方は自覚亡き前衛芸術創作者です。貴方の目指しているものとは、伝統を云々する貴方の言動とは全く逆の、伝統への反逆です。貴方は単に、自分が作り出した前衛を、「自明の理」として「発見」したと喧伝しているだけにすぎません。そういう発想に対する反省がなされない限り、「トンデモ」という評価を払拭することは困難です。