又も虚夢の
瑠璃や螺鈿を
千種裂く世に
惚け誣ふ違和描き
すべて萎えばむ峰
獲れぬ汗負ひつ
又もそらゆめのるりやらてんをちいろさくよに
ほけしふゐわゑかきすへてなえはむみねとれぬあせおひつ
先日は野嵜さんからお咎め受けましたやうで(笑)
深読無用です。
野嵜さん、体調に気をつけて、週末をお過ごしください。
我々は、最終コーナー前、「プロテイン・ローディング・パーティー」入り口でおまちしております。
>新宿区歌舞伎町2-4-11 ノア新宿マンション1F
なるほど。
追加もあはせて六人で豫約しました。
3/2 18:00に店へ直接向かつて下さい。
名前は「えす」でとつてあります。
では。
> 場所は新宿の「幸永」にしませう。
> 18:00くらゐに店の前に集合で。
まだ豫約に間に合ふかな。私も参加でお願ひしませう。
遅蒔きながら,オフ会参加希望致します.
宜しくお願ひいたします.
>「二つの事柄」は事實だと思ってゐますが、その根據に「教科書」を擧げる事に違和感を感じただけです。
違和感を感じたら、「これはネタか」と思つていただければ。
新宿は助かります>>江洲さん。
自動生成したリンクが途中で切れてしまった。
正義(Lycosディクショナリ/国語辞典より)
正義(goo[国語辞典]より)
信念(Lycosディクショナリより)
信念(goo[国語辞典]より)
「正義」という言葉は、「正しい」とか「道理にのっとった」とか「従うべき」といった肯定的な意味を含むので、その「正義」に同意しない人の反撥を招きやすいのではないかと思います。
「信念」と言い換えれば、意味もそれほど変わらないし、より抵抗も少ないのではないでしょうか。
まあ、わざと抵抗の多い言い方をされているのかもしれませんが。
正義
http://dic.lycos.co.jp/djs/result.html?query=%90%b3%8b%60&id=10121800
http://dictionary.goo.ne.jp/cgi-bin/dict_search.cgi?MT=%C0%B5%B5%C1&sw=2
信念
http://dic.lycos.co.jp/djs/result.html?query=%90%4d%94%4f&id=09653900
http://dictionary.goo.ne.jp/cgi-bin/dict_search.cgi?MT=%BF%AE%C7%B0&sw=2
それはさておき、本題。
> 私とは何の關係もないキャラクタに育ちつつあるやうな氣が。別名、自立。
そんなことおっしゃらず、ぜひ実現して下さい。
「のあたんとあやのたんのたのしいHTML教室」。
波江さんはどうされますか?
遠隔地 その暇も無し。意義ある会になられむことを
>常連さんですらネタをネタとわからないんですか。
濟みません。分りませんでした。
「二つの事柄」は事實だと思ってゐますが、その根據に「教科書」を擧げる事に違和感を感じただけです。
歸省中で反應が遲れました。
參加表明は合計四人ですか。
横濱に歸つてから豫約します。
場所は新宿の「幸永」にしませう。
18:00くらゐに店の前に集合で。
URL等は豫約後にこちらに書きます。
波江さんはどうされますか?
嘴細鴉さんと野嵜さんの間で「正義」という言葉の捉え方が異なるため、齟齬が生じているのではないでしょうか。
野嵜さんも、正義の為「だけ」に戦争が行われるとは思っていないでしょうが、そういう誤解をされやすい書き方ではあると思います。
まあ、利権やエゴの為「だけ」に戦争が行われるかのように主張する人たちに対する批判の意図もあるのかもしれませんが。
さうでせうか。
げらげら笑ひながら書いたんですがねえ。
常連さんですらネタをネタとわからないんですか。
と言ふか、教科書云々が餘計な文句である事くらゐ、わかるかと思つたのですが。どうしてさう云ふ本筋とは關係の無い文章に一々絡みますか。
>第一次世界大戰の原因は、セルビア人の青年がオーストリア皇太子夫妻を暗殺した事です。
>第二次世界大戰は、ヨーロッパ方面では、ヒットラーが起したものです。
この二つの事柄は事實でないと、藤山さんは本氣で反論したいのですか。
>歴史の教科書に書かれてゐるから事實です。
普段の野嵜さんならばこのやうな事を口走る事は無いと思ひますが。
「やぶから坊」にも「義」にも、恐らく正義があるのだと思ひますが。一錢の得にもならんのに、わざわざ私なんぞに絡んで來るくらゐですからねー。
私はVictorファンだつたのですか。高田馬場にはAppleのテストラボもありました。
正義という譯の解らない物
今の日本に正義はありますか
>眞っ赤な嘘です
非日常の空間を「裂開」させた存在を非常民に投影するやり口は、人類学の古典です。そのデマゴギーの例示が、ドイツにおけるファシズムであり、過去にユダヤ人という非常民を抱えていたアラブ諸国のそれです。逆に言えば、「ユダ公」というはけ口が閉じられたからこそ、「死の商人」という言説が浮上し、「資本主義の矛盾」なる言説に昇華されたわけでして。
「この間買つたばかりのVictorのS-VHSのデッキ殺す。」
確か以前、「ラジカセ」でも、Victorで失敗してゐませんでしたか。
Victorの試聽室が昔、高田馬場にあつたのですが、今もあるのでせうか。
私は野嵜さんは、矢張りVictorファンであると推測してゐます。
嘘ではないです。歴史の教科書に書かれてゐるから事實です。
第一次世界大戰の原因は、セルビア人の青年がオーストリア皇太子夫妻を暗殺した事です。
第二次世界大戰は、ヨーロッパ方面では、ヒットラーが起したものです。
それあまあ、大東亞戰爭は經濟的な理由で生じた戰爭でしたが、それで儲かつた死の商人がどれだけゐたかは疑問です。
>戰爭は、「死の商人」の類の人間が利權を求めて起すものではない。それは歴史を見れば明かな事だ。第一次大戰も、第二次大戰も、戰爭を起こしたのは正義を信じ た個人である。
好きな 野嵜さんに逆らって なんですが 眞っ赤な嘘です
と云ふ事で、オフ會は三月二日開催に決りですか?
波江さんも來ますか?
オフ会打ち合せ
娯し気なるを嘉す
酔ひ頃集へ燃えて
逃さぬ夢間きらり
嫉む本屋
お吹くわゐうちあはせたのしけなるをよみすゑひころつとへもえて
のかさぬゆめまきらりそねむほんや
このサイトのマスコットは、「櫻花さん」じゃなかったのですね。
>「謎の七支刀」
この本は未読ですが、戦後の研究における諸時代の日朝関係史の記述は、「近隣諸国への配慮」が第一だったりします。老婆心ながら、お気をつけてお読みくださいませ。
3/2のオフ會參加希望致します。宜しくお願ひ致します。
もう切符買つちやひました、と既成事實を作つてみるテスト。まあ「ながら」は一囘だけなら無料で指定席の變更が可能ださうですし。
以前、勤め人をしていた頃の職場では、みんな目上に対しても『お疲れさま』で済ませてい
ましたが、ちょっと違和感はありました。
少し古いマナー本なんかを見ると『ご苦労さま』も『お疲れさま』も目上に対して使っては
いけないとなっているようですね。何かして貰ったら『お世話様です』とか『お手数をおかけ
しました』とか。
そもそも『労をねぎらう』というのが目上の目下に対しての行為なので、その逆の場合は
『感謝』は述べても『労って』はいけない、という理屈でしょうか。
「様です」を外してみると、「ご苦労!」では、とても偉そうな感じがしますが、「お疲れ!」だと、同輩同士なら許せる程度のぞんざいさですよね。
ちなみにうちの職場でも、「目上でもご苦労様」が主流です。あまり言葉づかいにうるさい業種ではないので。
「言葉を疑へ」の「ご苦労さまです」について。
なるほど「ご苦労さまです」には見下した語感があり目上の人には使えない表現で、
「お疲れさまです」が適切とのことのようですが、先日このようなことがありました。
私と上司が朝一番で外出した折、出先で本社に電話を掛ける用が出来、本社の女性が「お疲れさまです」
と応対に出たのですが、その上司が「午前中から疲れてなんかいない!『ご苦労さまです』と応対しなさい。」と
叱っていたのです。仕事を終えたとき「お疲れさまでした」の挨拶は出来ても昼間から使うには確かに
抵抗も感じます。
社外の方が相手なら「お世話になっています。」で問題ないように思いますが、営業など社内の者からの
対応にはどのような挨拶(一言)が適切なのでしょう?皆さんの会社ではどのように対応してますか?
私の勤める会社では目上でも「ご苦労さまです。」を使うのが主流のようです。
古本屋さんは行けなくても良いです。日曜日だと神保町の古本屋は軒竝休みです。新宿にはそもそも古本屋が殆どないです。
アキハバラもとへ秋葉原邊でも良いです。
>一人で来る事、友達・彼女同伴禁止:いても知らぬ顔
……忘れて下さい。
やはりそうでしたか。
ありがとうございました。とても参考になりました。
御礼が遅くなってごめんなさい。
耳が痛い人より
>と言ふか、禿げは道徳的に惡い事でも何でもないですし。
勿論です 道徳的に良い事とも想えません
> 物事の正邪や是非とか無関係なことも気になるのです。
「物事の正邪や是非とか『に』無関係なことも気になるのです」の間違いでした。
> つまり、あのキャラクタは、ここのサイトのマスコットになるわけですなー。
「正かなでも新かなでもない、假名遣の存在しない文章」で「のあとあやののたのしいHTML講座」にするのは難しそうですけどね。
やはり俺は、PC Tips本体は従来のまま(正字正かな)で、「たのしいHTML講座」は別ヴァージョンにした方がよいと思います。
>のあたん・あやのたん
いずれも同じ名前から来ていたわけですね。どうも御叮嚀に、有難うございました。
前者はよく用いられていたようなので存じておりましたが(御本人には失礼でありましょうが)。
つまり、あのキャラクタは、ここのサイトのマスコットになるわけですなー。
> もう構うのも飽きたんで、このへんで。
姪御さんの話を持ち出したり本名でメールを送ると宣言したりすれば恐れいると思ってたんでしょうか。
ふた月の間、何を読んでいたんだろう。
……ぼくは俗物なので、物事の正邪や是非とか無関係なことも気になるのです。
> のあたんはともかく、「あやのたん」って一体どこから来たんでしょうか?
No_Z(野嵜さんが以前用いていたハンドル)から→のじたん
「野嵜って『のあ』って読むんだと思ってた」という発言から→のあたん
「『TACTたんや、のあたん』を『TACTたん、あやのたん』と誤読した」という発言から→あやのたん
……という流れだったかと思います。いずれも2ちゃんねるでの話。
>これはPC Tipsを「のあとあやののたのしいHTML講座」にせよとのおぼしめしですか。
>かなり眞劍に檢討中。
今度はおたく嫌ひな第二のやぶから某が燃料投下に來るといふ罠。
では、3/2にしませうか。
キツいなら翌週という手もあります>野嵜さん
燒肉屋の前に、古書店を歩くとかお茶するとかを考へると、
新宿か上野が良いでせうね。場所はどちらかといふことで。
三月二日ならOKですが、野嵜さんは宿酔ならぬ三日酔くらいなのかな。で、肉を食うと。大丈夫ですか?
皆さんのご都合はどうでしょうか。
のあたんはともかく、「あやのたん」って一体どこから来たんでしょうか?
あと、新しい記事が下の方に記載されている関係で、日記が非常によみづらいです。
まあ、個人的な嗜好なので、どうでも良いことではあります。が、参考までに。
と言ふか、禿げは道徳的に惡い事でも何でもないですし。
>後ろのハゲは後ろのやつが先に見えるが別に伝えてやることでもないしな。
不親切なやつだな 私なら伝えてやるがな、まるで河童ではないか!!と 君は河童なのかね?やぶからぼう氏 ちなみに私は剃髪だが、禿ではない 何処までが顏か頭か解らないが、シャンプーもリンス櫛もいらないぞ、そして整髮料も養毛劑もだ、別に君に伝えてやる事でないのだが
「藪に剛のもの」ともいうけれど、「藪に馬鍬」とも言う。
大人は非論理的で感情的。氣に入らない對象を貶める爲だつたら何だつてするのですね。
のあたんはずつと子供でゐたいなと思ひました。
>もう構うのも飽きたんで、このへんで。
つまりやぶから坊は釣り師ということでよろしいか。
子供は悔しがるとキャンキャン吠えるからな。うるさくてかなわんよ。
何を言われてもわからぬ香具師は放置。
「私信」にもいろいろ種類があるが。
何にでもキャンキャン吠える「子供」
に私が今更何を語ると思うんだかね。
まあ、無用というならそれも結構です。
後ろのハゲは後ろのやつが先に見え
るが別に伝えてやることでもないしな。
もう構うのも飽きたんで、このへんで。
その1:「闇黒日記を書いたら」−「一年生になつたら」の節で
ウェブ日記を書いたら
ウェブ日記を書いたら
友逹百人できるかな
百人で食べたいな
古書街の近くで燒肉を
パックンパックンパックンと
…論敵ならば輕く百人は。
その2:「肉體ノ會」
殺伐とした雰圍氣をこよなく愛する男逹の集まりがある。
年に數度開かれるといふ「肉體ノ會」。彼らは、揃ひの丈長の制服に
身を包み、ステーキ屋、吉野家、燒肉屋、とにかく殺伐と肉を食べられ
るところに集う。
そして、ただ默々とおのが食慾を滿たす。
彼らが去つた後には、爪楊枝一本殘らぬといふ。
會長、野嵜健秀率ゐる、「健(タケ)の會」である。
3月頭あたりなら京都の私も何とか參加可能と云ふ罠。但し貧乏につき移動は「ムーンライトながら」+「青春18きっぷ」限定。序でに歸省したりして。
3/2は私にとつても理想的な日取りなのですが、無理にアルコールありにする事も無いのでは。死なれたら以下略。ところで私は良く知り合つた人と飮むのは好きですが、初對面の方達といきなり飮むのは苦手だつたりします。
個人的な内容の投稿で恐縮ですが。
二月二十八日、三月一日は、飮み會の豫定が入つてゐまして。濟みません。
開き直つて三月二日にやりませうか。アルコールありで結構です。
死にます。
無言だと面白くなささうですね。
せめて2ch用語禁止程度といふことで。
さて、日取りを決めておきませう。
3/1あたりはどうでせうか?
惡意を露骨に表明した「義」の荒し投稿なるぞ。
悪意をオブラートに包んだ野嵜様のお「罵倒」なるぞ!
匿名で論じれば、「責任を問われない匿名で語るな」と言われ
本名で論じれば、「家庭の事情など聞きたくない」と言われ
一体何を如何しろと言うのか!!
と、返ってきそうなんですが・・・。
論旨そのものが問題なのであるって点には
到達しそうにないですね。
「ある種の傾向」なる實體のないものを根據に他人を叩き、家庭の事情等聽きたくないと言つてゐるのにわざと本名だの何だののプライヴェートな情報を送りつけると言ふ「やぶから坊」は、何を考へてゐるんでせうね。
或は、「子供」である私に個人情報を與へても安全だと、「やぶから坊」はどうして思へるんでせうね。
正字正假名サイトを叩く人は、日本人のくせに横文字使つてやがるサイトは叩かぬのだらうか。
"WHAT'S NEW" "PROFILE" "FAQ" "ILLUSTRATION" "BULLETIN BOARD" "LINKS"
が讀めぬのは、どうやら「發信者側の心得不足」ではなく「讀み手の英語能力不足」らしい。
>殺伐無言焼肉オフ
「やぶから坊」は、私の物の言ひ方が氣に入らないんですかね。文體にけちをつけられても困りますね。
「やぶから坊」のメールは、私個人に對する私信ではなく、民主主義社會或は言論の自由に對する挑戰以外の何物でもないと思はれますから、到着次第、公開します。「やぶから坊」には豫め予告しておきます。私信でも何でもないメールを公開するのは、全く正當な事です。
「やぶから坊」個人及びその關係者のプライヴァシーに關る事以外は全て公開しますよ。それでもよろしいのなら、氣の濟むやうに言ひたい放題書いて、送りつけて下さい。
「暗黒日記」ではなくて、「闇黒日記」なんですが、それはさておき。
>こうした姿勢が暗黒日記からも充分にうかがえたからこそ私も(申し訳ないが)マトモなやり方はあえて取らなかったのです。
申し訳ないと思うのなら、最初からやるべきではなかった。
ご自身がおっしゃっているとおり、沈黙するというもうひとつの選択肢も(略)
>野嵜氏の理解を得ようなどという「奇跡」は始めからアテにしていませんよ。
理解を得ようと思わないのなら、最初から(略)
>何しろ「子供」には勝てませんからね(笑)。
勝てないなら(略)
「ある種の傾向」とは何でしょう。また「発信者側に必要な最低限の心得」だって具体性に乏し過ぎて、その有無と言われたって分らないですよね。
正攻法で言っても答えてくれないから弱者を楯にとるような邪道に訴えるほかない、という主旨なんでしょうが、それこそ児戯に等しいような気がします。答えないのではなくて、あなたの批判の論点が明確ではないので答えようがないと思うのですが。
やぶから坊さんの目的は何ですか。
野嵜氏には後日、本名及びアドレス添付で、
当方よりメールを送信させていただきます。
詳しくはいずれその文書にて。
ものすごい勢いで殺伐と肉を胃の腑に收めるのですね。
それは前囘の「健康的な新年會」とギヤツプがありますねえ。
ちなみに、燒肉屋には「大盛りネギダクギヨク」はありません。
とっつぁんさんは何かを少し誤読しておられるよ
うですが、私が言っているのは暗黒日記の表現
に見られる「ある種の傾向」についてです。
日記の発信者側に必要な最低限の心得の有無、
というものに疑問視を呈しているのであって、他
の掲示板やこのサイトの思想、理念はこの件に
は無関係です。私のそもそものやり方は正攻法
ではなかったにしろ、野嵜氏の対応はこのポイン
トに対して全面的に拒絶態度をあらわにしている。
こちらが批判者、反対者である限り、どんな提議
も受けつけられないのでは他の方法をとっていた
としても結果は同じでしょう。
見たくないものは見ない、聞きたくないものは聞
かない、おまけに過去に起こした他者との対立
経緯からは結果的に何も学ばず、「私の何が気
に入らないのだろう」とは片腹痛いというもので、
こうした姿勢が暗黒日記からも充分にうかがえ
たからこそ私も(申し訳ないが)マトモなやり方
はあえて取らなかったのです。野嵜氏の理解を
得ようなどという「奇跡」は始めからアテにしてい
ませんよ。
何しろ「子供」には勝てませんからね(笑)。
闇黒日記は、Safariで見ても、Chimeraで見ても、同じ見栄えです。
ものすごい人数で……
どうでせうか?
正直どのくらゐ集まるのかはかりかねてをります。
まあどの店も十人くらゐの團體さんは
全然問題ないで心配ないでせうけど。
散散愚弄しておいて、「現状のままだとすごくもつたいない氣がするんです」などと突然殊勝な言囘しになるところが氣持ち惡い。
大人數ですか???
川崎コリアタウンも良いですねえ。
「西の屋」さんは良く宴會でお世話になつてゐます。
生肉が美味しいお店。
上野なら「太昌園」に良く行きます。
大人數の宴會でもOK。味も良かつたです。
新宿はあまり焼肉を食べに行きませんが、
唐沢俊一氏の日記に良く出てくる「幸永」に行つてみたいですね。
極ホルモンが絶品らしい。
あー、お腹が空いてきちやいました。
焼肉ならば、新宿、上野、蒲田、他の焼肉屋密集地かな。
「人」は一體、私の何が氣に入らないのだらう。或は、何が氣に入つてゐるのだらう。
「やぶから坊」の復讐は動機としてまだ理解出來るが、「人」のした忠告だけは意圖が理解出來ない。正かなを支持する、しかし「言葉 言葉 言葉」「闇黒日記」は駄目だ、と思つてゐるのなら、私のやり方を非難したりしないで、自分でサイトを開いて啓蒙するなり何なり、勝手にすれば良いだけの事だ。正かなを支持する積りもないのなら、忠告に見せかけるのはただの僞善でしかないし、「人」自身が否定する自己滿足の行爲でしかない。
「正義は氣持ちの惡いものだ」と云ふ考へ方自體が偏見です。「自慰」だの「エゴ」だのと平氣で言へる人間の方が、餘程氣持ちの惡い存在だと思ひます。
また「本氣なら妥協できる筈だ」式の意見は、全く説得力がありませんね。と言ふか、「正義だから絶対。ついてこないほうが知的怠惰で悪い。(そのジャンルの)愚者がいちゃもんつけるなんてもってのほか」ですか。私は「正義は相對的だ」「頭の惡い事を言つてゐるから知的怠惰」「いちやもんを附けるのは勝手だが、こちらにも反論させろ」と常々言つてゐますが。
どうして「自慰行爲」だの「エゴ」だのと氣持ちの惡いレッテル貼りをしますか。根據なんて何一つない極附けですね。そして、さう云ふ極附けをしても「良い」と思ひ込んでしまふから、正義を馬鹿にする人間は嫌らしいのです。
「ついてこないから惡い」「ついてこないのは知的怠惰」ではありません。「惡いものは惡い」「間違つてゐるものは間違つてゐる」です。トートロジーは論理の基本です。
それから、私がいつ、人格攻撃をしましたか。人格攻撃をしてゐるのは、私の反對者ですよ。「自慰行爲」「マイナーなキモオタサークルと同レベル」と云ふ言ひ方を「人」は平氣でしてゐますが、これは明かな人格攻撃ですよ。私は今まで、一度として人格攻撃をする意圖で他人を罵つた事がありません。しかし、「人」は私を攻撃する手段として人格攻撃をしてゐます。匿名だからといつて、言つて良い事と惡い事との區別をつけないのは、感心しません。
好い加減、故意の曲解による誹謗はやめていただけませんかねえ。御爲ごかしの僞善的な忠告をして、好い氣になるのはやめて貰へませんかねえ。
不正義=敵・バカ・怠惰手抜き者 が“結果的に”涙ながらに袂を分かって切捨てになってしまうのは「正義」の性格上言うまでもないことだとしても、それを結果的にじゃなくて“始めから”省みないことに何の未練(配慮)もないあたり。
「正」かなを本気で敷衍したいのだとは全然思えないです。
「正義だから絶対。ついてこないほうが知的怠惰で悪い。(そのジャンルの)愚者がいちゃもんつけるなんてもってのほか」つー態度を改めない限りはマイナーなキモオタサークルと同レベルだと思います。今のまま 歴史的かなを使うこと=少数派だけど誇りだけは富士より高い自慰行為 でいいなら別ですけど。
なんか正かな問題が人格攻撃経由の喧嘩の種になってるだけの現状のままだとすごくもったいない気がするんです。
どうもこんばんはです>>部長。
個人的には燒肉希望です。
お酒の飲み過ぎには注意なさつて下さいまし。
>「やぶから坊さんは私から何を擁護したいのか」と先に聞いているのはあんた自身でもあったはずだが、知れば知ったで今度はそれを卑怯だと言う。
これも、當り前の話を「やぶから坊」は一々咎め立てしてゐる。私は、知つたら卑怯な事だつたから卑怯だと評したまでの事だ。それの何が惡いのだらうか。
そもそも、「やぶから坊」の姪の事等、私は全く聞いてゐないし、知りたいとも思つてゐない。他人のプライヴァシーを穿鑿する氣は私には全然ない。「姪が」「姪が」は結構だが、「やぶから坊」の家庭の事情等、知つた事ではない。
具體的に私のどの主張が間違つてゐると、「やぶから坊」は言ひたいのか。それを私は聞きたかつただけだ。そして、私が何一つ間違つてゐないのに、「姪がショックを受けた」と云ふだけの理由で私を攻撃してゐるとしたら、それは逆恨み以外の何ものでもない。
私は最初から、讀者がショックを受ける事を豫期して、文章を書いてゐる。
と言ふか、「いいかげん面倒でもあるからこれで打ち切る」のならば、「やぶから坊」は本氣で「姪」を守りたいと思つてゐないのではないか。何だかがつかりした。
すつかり宴會部長と化してゐる江洲です。
肉を食べる會ですが、どんな肉が良いでせうか?
といふか、何人くらゐ集るのでせうかねえ?
時間が掛かりすぎて野嵜さんの書き込みに間に合いませんでした。
>私も基本的に「弱者」を切り札にした主張は好まない。
>しかし批判の理由が姪の問題にあるのは事実だから、
>問われればその通りに対応するしかない。
そのやうなあなたの対応とは、「わざわざ敵に揚げ足ネタを与えると」いふ、「返す返すもマヌケ丸出し」な行為であることをお忘れなきやうに。
やぶから坊さんへ…自滅しちゃったの?
私は姪御さんの話が作り話でなければ卑怯な書込みとは思いません。ですが姪御さんのことは書き込む動機ではあっても野嵜さんを批難する理由にはならないと思いましゅ。
姪御さんが楽しみにしていた掲示板で始まったのは議論でしゅ。その掲示板がどこなのか私は知りませんが、私の知る限りでは初めから議論用に設定された掲示板(例えばyahooの歴史掲示板など)以外の掲示板で野嵜さんが突然厳しい口調で批難し始めるってことは無かったと記憶しましゅ。嫌味ぐらいは書くかもしれませんが…。口調が厳しくなるのは相手が野嵜さんの主張にきちんと対応できないときです。批判に冷静さを失い自滅してしまう場合なのです。今回の貴方のように…。
議論は感情の捌け口ではなく論理の積み重ねでしゅ。野嵜さんの一見激しい感情の吐き出しに思える書き込みを反感という感情を押し殺してよく噛み締めて読んでみてください。どんな口調であろうと感情にまかせて書いた文など一つも無いと気がつくはずでしゅ。相手の感情に任せた罵りに答える馬鹿野郎も一字一字辞書をひくように冷静に平常心で書かれていることに気付くはずでしゅ。
野嵜さんは批評家として感情に溺れてしまう理性の喪失を最も嫌っているように感じましゅ。問題となった掲示板のやり取りをもう一度冷静に静かに読み返してみてください。野嵜さんは相手が感情に溺れるのと測ったように同じだけ感情的な言葉を並べていませんか?野嵜さんが相手の反感に反感で応えているのではなく、相手の感情がぶれた分だけ感情的な言葉を刻んでいるに過ぎないのだと感じることは出来ませんか?
私は野嵜さんの馬鹿野郎という罵倒の中に感情の淵から抜け出して理性の縁にさっさと戻って来いという野嵜さんの主張を感じるのでしゅ。言葉は感情の伝達手段でしゅが理性も言葉でしか表現できないのでしゅ。
もしやぶから坊さんが私がやぶから坊さんの言いたいことを読み解くことが出来たとお感じ下さるなら私が野嵜さんの文から読み解いたことにも耳を傾けてくださいませ。
責めるべきは野嵜さんではなく理性を無くし感情に溺れてしまったであろうその日記の著者なのではありませんか?
ほなほな。
野嵜様の御「罵倒」なるぞ、刃向かうとは、不届き至極。愛の無知、鞭なるぞ。
>せっかくだが、姪には私の考えで説明してある。
他人に偏見を刷り込むのは止めていただきたい。
>上に引用したあんたの文章は、つまり「意味があったから中傷した」、もしくは「意味があれば中傷する」ことを自認している。
してゐない。根據があつて他人を批判するのは、中傷ではない。
私は批判をしてゐるのであつて、中傷だの嫌がらせだのをしようとしてゐない。「やぶから坊」は勘違ひしてゐる。
>そもそもある種の読者に配慮がないのはあんた自身の不用意だろう。
全ての讀者にまんべんなく配慮をする必要はない。そんな事は不可能だ。當り前の話だ。
公益性がある限り、批評は認められる。批評を認めないのは、言論の自由を認めない事であり、當然ながら民主主義を否定する事だ。
こういうのも馬脚をあらわすというのでしょうかね。文章はもともと稚拙で非論理的だったけれど、ここにきて筆致が別人のように横柄になったようです。
わかりました。
あれですね。
「私の友達の話なんだけど。」
>その義務とは、私(野嵜)が、意味もなく他人を
>中傷しているのではなく、言いたい事があって、
>それを解しようとしないから怒っている、と、き
>ちんと説明する事だったのではないですか。
せっかくだが、姪には私の考えで説明してある。
あんたの言うそれは「説明」ではなく「弁護」とい
うものだ。一読で反感を抱かせる日記の著者を、
私がなんで弁護してやらにゃならんのかね(笑)。
そもそもある種の読者に配慮がないのはあんた
自身の不用意だろう。そのツケを他人に払わせ、
しかもそれを他人の義務にするとはおめでたい。
断っておくが、姪の件を私は始めから持ち出して
はいない。姪によけいな刺激を与えないためでも
あったし、私も基本的に「弱者」を切り札にした主
張は好まない。しかし批判の理由が姪の問題に
あるのは事実だから、問われればその通りに対
応するしかない。「やぶから坊さんは私から何を
擁護したいのか」と先に聞いているのはあんた自
身でもあったはずだが、知れば知ったで今度は
それを卑怯だと言う。だったら他にどんな理由な
ら良かったんだろうな。あんたの気に入る「批判
の理由」が何か他にあった試しでもあるのかい。
ちなみに、
上に引用したあんたの文章は、つまり「意味があ
ったから中傷した」、もしくは「意味があれば中傷
する」ことを自認している。「考えは持たないが意
見は言う」などのレスも同様、わざわざ敵に揚げ
足ネタを与えるとは返す返すもマヌケ丸出しだが、
こいつは理解しない、と見なせば中傷も辞さない
ということなら他人が同じ事をしても文句を言えた
筋合いではないね。何しろあんたの「正当」は全
人類の「正当」でなければならないんだもんな。そ
の点で大部分、私の態度は野嵜氏の法に則って
いるのだが、生憎、私はあんたと違って理解を強
要しているわけでもなく、いいかげん面倒でもある
からこれで打ち切る。まあ、新たなる仇討ち者の
到来に備えて、せいぜい自分が日記に何を書いた
かぐらいのことはよく認識しておくことですね。
「文章が駄目なら全て駄目」
「知的怠惰は即ち道徳的怠惰」
「文は人なり」
「一寸の蟲にも五分の魂」
松原氏の仰る通りなのだなぁ。
匿名「やぶから坊」はテロ攻撃のつもりなのでしょう。姪御さんを「イスラムの息子達」のように利用するとはなんとも困ったものです。そんな自分の義賊ぶりを書いてる時点で程度が知れるわけですが。
それにしても闇黒日記の復活、嬉しい限りです。
「弱者」なるものとは相対的な存在です。これを物神化して正義を振りかざすのであれば、その正義の根拠は薄弱でしかありません。そのような「弱者」を戴く正義なるものがどれほどいかがわしいものなのか、「やぶから坊」サンは考えた事があるのでしょうか。
そのようなファンタズマゴリアに耽溺する限り、「やぶから坊」サンは野嵜さんが堅持する正義を打倒することはできません。
最後に書いておきますが、姪御さんから多分、「やぶから坊」は相談なり何なりをされたのだらうと思ひますが、その時、ちやんと「言葉 言葉 言葉」での私の主張と論理を説明して呉れましたか。姪御さんがショックを受けたのなら、そのショックを解消する爲に、あなたは努力する義務があつたのではないですか。その義務とは、私(野嵜)が、ただ意味もなく他人を中傷してゐるのではなく、言ひたい事があつてそれを理解しようとしない人がゐるから怒つてゐるのだ、と、きちんと説明する事だつたのではないですか。
姪御さんが「現代仮名遣い」を否定されて自分を否定されたやうに感じた――同じやうに、かつて歴史的假名遣を否定されて自分を否定されたやうに感じた人が澤山ゐた、さう、「やぶから坊」は、かつての歴史をきちんと説明したら良かつたのではないですか。
それらの努力一切を「やぶから坊」が抛棄して、「惡いのは野嵜だ」と責任轉嫁したのなら、私は反論も出來ないし、立つ瀬もない。
>つまり、「俺がものを言うのではない。空の黄色い太陽と、外の赤いポストが、俺にものを言わせるのだ」、と?
これがそもそも、誤解です。或は、曲解です。私は、必ず誰かの意見に據つてゐますが、その意見に贊同した事には責任を取る積りです。それを、「やぶから坊」なる人物は、わざと「責任逃れ」の意味に取りました。これが私には許せない。誰かの意見を支持するのは、私の意思です。それなのに「やぶから坊」は、恰も私が意志を持たない人間であるかのやうに言つた。
「やぶから坊」は、さらに、自分の姪を楯にとつて、自分の卑怯な言動を正當化してゐます。これも許せない。姪には見せられないやうな行動をとりながら、それは姪の爲を思つての事だ、と言ふ。僞善以外の何物でもない。
「馬鹿なものを愛する人間の事」を考へる必要はありませんし、考へる氣もありません。バカは公認されません。當り前の話です。「1+1=3」と三人が言つたとして、それは公認され得ません。
「正しい事などどうでも良い」人間、「努力したくない」人間は、「出來るだけ正しい事・ものを選ぶ努力をすべきだ」なる主張は、反感を覺えるに決つてゐます。が、そこで「では、努力しないで良い、正しくなくて良い」と言つたら、それは迎合です。迎合した瞬間、自分の意見はなくなるし、その責任もなくなる。
はつきり言つて、「現代仮名遣い」を否定されて「やぶから坊」の姪御さんが落込んだのなら、姪御さんの感性が正しいのであつて、姪御さんが落込んだのを恨んで私を攻撃した「やぶから坊」が間違つてゐます。
「やぶから坊」に尋ねたいのですが、あなたは、自分逹「馬鹿」には「わかってもらう権利」があり、私(野嵜)には「わかつて貰ふ權利」はないとでも言ひたいのですか。
>>「泉」の假名書きの積りで「いずみ」と名附けた
>のでなければ、「いずみ」さんの名前自体が間違ひといふことになつてしまふ。
何故でせう? 「泉」から「いずみ」と附けたのでなければ、單に「い」と「ず」と「み」の竝びがあるだけです。それは假名遣ではありません。
僕の本名も「正字正かな」ですと書き方が変わりますが,現代仮名遣いが正しくないものと主張されても僕は特に悪い思いをしていません。
むろん,人によって感じ方というものは変わりますが。
以前に野嵜さんが自閉症という言葉を比喩に使用したとき(無論、悪意あってのことではありません)、これは不適切だと指摘したことがあります。指摘したのは私だけじゃない、他にもいたはずです(義珍さんだったか?)。この種の言葉の誤用は、自閉症に苦しむ人たちやそのご家族を傷つける行為として厳に慎むべきだと思います。
ただ、正字正かなの正当性を主張することによって、世の「いずみ」さんや「かおり」さんが傷つくのでしょうか。俺の知っている「いずみ」が「かおり」が実際に傷ついている、などといわれるかもしれませんが、だからと言って正字正かなの正当性を主張するのはけしからんという事にはならないでしょう。そういう主張は、いわゆる「言葉狩り」に近いのではないでしょうか。また、個人的事情から誰某がこのサイトを見るのが恐い云々という類の事は、言われた方は反論しにくいものですが、批判の手法としてはあまり褒めたものではないと私は思います。
>誰かが必ず傷つくから、一切主張するな。
人は自分を(以下略)
・現代假名遣にもそれなりの歴史的蓄積があり、アイデンティティにかかはる人名のやうなデリケートな問題を含んでゐることを考慮すべきではないか。
・無用に人を傷つけることは避けるべきではないか。
の二点を考へさせられました。感想と言ふか、要約と言ふか。
「とほりす」さんの理屈も尤もだと思ひますが、
>「泉」の假名書きの積りで「いずみ」と名附けた
のでなければ、「いずみ」さんの名前自体が間違ひといふことになつてしまふ。
歴史的假名遣ひで「泉」を假名書きにすれば「いづみ」となります。
「泉」の假名書きの積りで「いずみ」と名附けたのなら「いずみ」も「いづみ」になります。
「いづみ」が現代かなづかひで「いずみ」と書かれてゐるだけで、名前が間違つてゐる譯ではない。
間違つてゐるのは「假名遣ひ」です。現代かなづかひを否定しても名前を否定する事にはなりません。
誰かが必ず傷つくから、一切主張するな。
「いずみ」さん、「かおり」さんなどという名前の女性は世の中にたくさんいます。
現代仮名遣は正しくないとその不当性を攻撃する主張は、彼女たちの名前が正しくないと攻撃しているのと同じことになってしまいませんか。
自分の名前を否定されることは、どれほどその人の心を傷つけるでしょうか。
WEBサイトはふとしたことから目に触れるものです。誰が見るかわからないのです。書籍と根本的に性格が違うと思います。
こちらのサイト運営者の方は、書籍として出版する実力をお持ちの方ではないかと素人ながら感じます。国語問題などは、このように激しい文章で批評なさるのであれば、本の形で出されてはいかがかと思いました。
やぶから坊さん
姪御さんの目に触れないように野嵜さんを批判したいとお考えだったのなら、掲示板にあのようなまわりくどい文章を書くより、野嵜さんに直接メールを送り、具体的かつ率直に批判した方がよかったのではないですか。
「私のやり方が良くないのは承知の上」だったのなら、よりよいやり方をとるべきです。仮に、やぶから坊さんがネットの利用法に疎く、よりよいやり方(メール)を思いつかなかったのだとしたら、ご自身がおっしゃっているとおり、沈黙という選択肢を選ぶべきだったと思います。「それでも、どうしても言いたかったのだ」とおっしゃるなら、それは批判でもなんでもなく、ただの腹いせです。
相手に自分の意志を伝えるための最低限の努力を怠っておきながら、「わかるひとにはわかる」というのはわがままです。そんな人に「有り難がった」と言われても、正直有り難迷惑です。
補足
「メールで書くべきだった」と書くと、トラブルは内密に済ませるべきだという事なかれ主義だと誤解されそうなので、断っておきます。私がやぶから坊さんを批判しているのは、掲示板という公開の場にトラブルの種を持ち込んだことではありません。まわりくどく、まっとうでない言い方をしたことです。メール云々は、姪御さんに気づかれたくないという、やぶから坊さんの側の事情を慮ったにすぎません。
やぶから坊さんは、本当に弱者のことを気遣つてくれと言ひたいのだらうか。
私には、弱者をダシにして、弱者を黄門様の印籠にして
自分の意見を何とか押しつけたいだけのやうに見える。
さういふのを卑怯と云ふ。プロ市民がよく使ふ手だが、騙されてはならぬ。
下の投稿タイトルが尻切れになりました。
正確には「こういうことです。」と書きたかったものです。
10代の姪が一人いる。車椅子の生活を余儀
なくされて以来、重い鬱症状を抱えこむように
なった。それでもネットで好みのサイトの日記
ページを見つけ、ROMを楽しみながらどうにか
気持ちに明るみがきざし始めた頃、その日記
の著者が、他のサイトの日記ページで何やら
強く批判されていることを知る。攻撃もとは暗
黒日記だ。旧字旧かなの文章には不慣れでも、
言葉の激しさは感じられる。しかも、「どうして現
代かなづかい派の人たちは・・・」、という一文も
ある。「現代かなづかいで読み書きしている人々
はすべてそれだけで価値が低い」、と言われた
ように彼女は思う。自己否定に陥りやすい姪は、
そうした一言から適切に自分を分断する力が弱い。
「この人はこの人、私は私」、という境界線を引い
て自分を切り分けることが、うまくできない。より
によって、責めは「現代かなづかい」である。
彼女にとっては米の食事をするとの同じぐらい当
たり前だったもので、それがいけないと急に言わ
れてもどうにもならない。そしてまたも鬱に逆戻りだ。
姪のパソコンは現在故障中で、彼女は当分の間
ネットに接続できない。接続はしても最新のメッセ
ージを見る程度でそれ以前のものはめったに掘り
起こさないのが彼女のROMの仕方なので、掲示板
で声を出すなら今しかないと思った。しかし万が一、
彼女の目にふれた場合のことを考えると、具体的
な表現は避けなければならない。彼女の問題とは
無関係の「意味不明な討ち入り」という外見をとって
おく必要があった。それでも、こちらの批判のポイン
トは、これまでの投稿の中の2ヶ所で示してある。
タイトル「雨ニモ負ケテ」で、冒頭に引用した暗黒日
記の一文と「犬も歩けば」の中間部以降に書いた
「反感を抱く箇所」がそれです。
批判という名目のもとに、個人的な憤りをむりや
り一般化することで、特定の人物以外のその他
大勢までを、野嵜氏は一緒くたに見下ろしたがる。
その無神経な強引さが、ある種の読者をどれだ
け傷つけるか、あなたはほんの1ミリでも想像し
てみたことがあるだろうか。
互いに常識的なプロセスを踏んで充分な議論を
持った末の結論であるならまだしも、私が2ヶ月
の間に目にした限りでは、そうした姿勢はおよそ
取られているようには見えない。それどころか、
はじめからその相手を「自分の言い分に屈しな
ければならぬ者」と見なしてはいないだろうか。
野嵜さんには野嵜さんの言い分があり、表現の
仕方もある。書き手ひとりの不完全な想像力で、
あらゆる読者をすべて網羅するのは土台ムリな
話で、それは誰にとっても同じだ。だから、文体を
変えろの語調を改めろのと言いたいのではない。
ただ、あなたのサイトに賛同する読者たちがいる
ように、あなたが馬鹿と罵った相手のサイトにも、
それを慕う読者たちが大勢いる。最後には人に
馬鹿と言いたいための口実としての「批判」なら、
せめてその馬鹿なものを愛している「読者」のこ
とも思い出してやって欲しい。
私が本当に言いたかったのは、その一点です。
私のやり方が良くないのは承知の上だったので、
どういう非難を受けても、あとは押し黙るつもりで
いた。もし自分がこの掲示板にいた側の立場だっ
たら、私もおそらく似たような非難を書いたに違い
ない。罵る者が3人寄れば、その「馬鹿」は公認も
同然だ。自分の頭で何も考えなくても大きな顔で
イビリたおしに加担できる。いっときだけ仲間づら
を装えば、同じ匿名でも何だって言えるし、せいぜ
い「馬鹿」と書くしか語彙がない私のような自尊心
肥大の奴には願ってもないハレ舞台だからな。
そんなところにノコノコ出て来て引き際の悪い愚を
自らさらしたところで私には何の益もない。
けれども、一見ワケもわからない私の投稿をわず
かでも相対的にとらえようとしてくれたかたがいる。
言葉は辛辣でも、義珍さんの意見には最初からそ
ういう感触があったし、理解するための努力を払っ
てくれた塗炭さん、不思議なほど正確に私の動機
を解読してくれたとっつあんさん、あなたがたの書
き込みが私には有り難かった。それでもう一度だけ
これを書かせてもらう気になった。
とっつあんさんの発言にも「指摘箇所を明示すべき
だった」とあり、その点では自分の非を認めておか
なければいけないと思ったのです。わかろうとしてく
れた方にだけ、私なりの真意を伝えたかった。
以上です。
長文は読むのが面倒なので読み飛ばすと話題に(何の話題かはさておき)ついていけなくなるのはキッツィ試練か何かの一種でありましょうか?
「御同慶」と云ふ言葉の意味も知らぬ馬鹿は取り敢へず放置しておいて。
>「どんな馬鹿にも自尊心はある。困つたものです。」という考え方は道徳と合致しない
どうも「曲解」なさつてゐるやうですが、私は馬鹿から自尊心を無くせとは一言も書いてゐません。腦手術でもしない限り、無くせる筈がないし、そんな非人間的な事はやるべきでもない。馬鹿にも自尊心があつて、それは決して無くせないから、嫌がらせは永遠に無くならない。「困つたものです」。この慨歎がなぜ不道徳ですか。それあ、馬鹿が全員改心してまともな人間になれば八方丸く治るでせう。しかし、さううまく行く譯がない。「女子と小人とは養ひがたし」。この慨歎も「不道徳」ですか。もしさうだと仰るのなら、とつつあんは、「賢者」の苦い諦觀とは無縁の、お目出たい人間觀しかお持ちでないと云ふ事になる。
>私が上のことを言ったとき前提条件をつけてましゅ。「全然面識のない方を批判の対象にするのであれば常識を持った態度から接し始めること」の部分でしゅ。最初は、って限定して言ったつもりでしゅ。
何とも杜撰な論理です。「最初」とは何ですか。相手が開口一番、明々白々に馬鹿(論理的に杜撰にして倫理的に陋劣)な事を云つて來ても、一囘目なら「馬鹿」と呼ぶのは止めろと云ふ事ですか。それなら二囘目からならオーケーなのですか。それとも三囘目か、十囘目か、二十囘目か。
>私は「義」さんや「やぶから坊」さんが私の恩人や恩人の身内の方では絶対にないと確信できませんし、私の身内の恩人や恩人の身内の方ではないとも断言できましぇん…
それなら、素性を突き止めてからでないと、相手を罵つてはいけないと仰るのですか。そんな事がそもそも出來るのですか。出來る筈がない。とつつあんは、「某掲示板」で或る人物を罵つた時、相手が「身内の恩人や恩人の身内の方」ではないと云ふ確證を取つたのですか。取れる筈がありますまい。それならどうして罵つたのか。萬が一、相手が身内だつたとしても、許せないと判斷したからでせう。私とどこが違ふのですか。
>内面の重視(外観の軽視)はキリスト教がもたらした価値観で日本人は形に現れる価値観の方を大切にしてきたように思いましゅ。そういう意味では道徳も己の心の吟味よりも言動を他者によって判断される物だったと思いましゅ。
蒸し返すつもりはありませんが、日本人がどうかうと云ふ話をわざわざお出しになつた以上、もう一度はつきり云つておきます。新字新假名で「日本人の價値觀」がどうの、「心より形」がかうのと得々と書くやうな人間を、私は一切信用しない。相手が恩人だつたら失禮に當たるから丁寧な言葉を使ふと云ひながら、それを破る。日本の價値觀は外面を大切にすると云ひながら、新字新假名で「考えましゅ」だの「できましぇん」だの、書き連ねる。それがあなたの道徳的態度なのですか。
木村さん
> それこそ馬鹿丁寧に念を押しておきますが、私が云ふ「馬鹿」とは、先天的な知能障礙者を指すのではない
やぶから坊氏はともかく、義さんは「先天的な知能障礙者」である可能性もあるのでは。
そうでないとしても、あの異常性はもはや医学の扱うべき領域に達していると思います。
だから容赦すべきだとはちっとも思いませんが。
木村さんへ
曲解その1
「義」や「やぶから坊」さんへの接し方が不道徳なのかどうか私は判断していません。貴方のおっしゃるように道徳とは己の問題でしゅ。(*1)「どんな馬鹿にも自尊心はある。困つたものです。」という考え方は道徳と合致しないと言ったのです。
曲解その2
私が上のことを言ったとき前提条件をつけてましゅ。「全然面識のない方を批判の対象にするのであれば常識を持った態度から接し始めること」の部分でしゅ。最初は、って限定して言ったつもりでしゅ。私だって何が何でも道徳的態度なんかで人と接する…なんてとってもできましぇんとも。それは某掲示板でご存知のはずでは?別のハンドル名でしたが野嵜さんは一発でお気づきになったようでしゅ…怖いお人でしゅ…。
馬鹿は世の中にいくらでも居ましゅ。失礼な言い方になってしまいますが賢者からすれば貴方も私も馬鹿でしかないのでしゅ。
以前、「闇黒日記」に野嵜さんは学校の先生が馬鹿なら尊敬しなくていいかと云うことについて書かれ、道徳とはどんな物かを説いたと記憶してましゅ。私は「義」さんや「やぶから坊」さんが私の恩人や恩人の身内の方では絶対にないと確信できませんし、私の身内の恩人や恩人の身内の方ではないとも断言できましぇん…つまりはそういう人と人の関係が社会全体に繋がって道徳は成立していると考えましゅ。
*1)道徳的であるかどうかを最終的に吟味できるのは己だけという意味でしゅ。当事者間といってもいいかもしれません。生徒が先生に「あばよ!」と挨拶したからといって不道徳かどうか本当のところは他から分かりません。でも、内面の重視(外観の軽視)はキリスト教がもたらした価値観で日本人は形に現れる価値観の方を大切にしてきたように思いましゅ。そういう意味では道徳も己の心の吟味よりも言動を他者によって判断される物だったと思いましゅ。
ほなほな
ずっと以前に義珍さんが、私の投稿が野嵜さんに反感を持つ人たちを刺激するのではないか、と指摘なさったことがありましたよね。今回、木村さんが指摘なさった投稿を見ましたところ、そこでは私のことが口汚く罵られていました。それ自体は別にどうってことはないのですが(さもありなん、という程度です)、確かに義珍さんがおっしゃることも一理あるのかな、と思った次第。だからといって、今後は自粛しようと思っている訳ではないのですが、ご迷惑をかける一因になったのかな、などと思っております。要は、人間としての良識の問題なんでしょうが。
結局、やぶから坊氏が因縁をつけるためだけにわざわざ2ヶ月もROMを続けていたきっかけとなったのが、野嵜さんのどの文章だったのか、ちょっと気になります。
ちょっとだけ。
「せいぜい三十数年程度の継続性しか持ち得ない」というのは、ちょっと云いすぎかもしれません。むしろ、問題とすべきは、今まで「中共」対「国府」という対立軸を保持しながら、「日中友好」という「お祭り」に耽溺してその対立軸をあっさりと破棄してしまった、その定見無き私たちなのでしょう。
>吾々が「なるほど中國では…」と言ふのに違和感を持たない人はちと鈍いのでは…。
私たちが「中国」と呼び示すものは、山陰および山陽における各県の地域を指すのが、伝統的というべきでしょう。その指し示すテクストとは、南北朝初期における「中国探題」という名称が始原であります。もっとも、その始原を指摘した網野善彦氏の狙いとは、「北陸」や「東海」と比較して、その歴史性の欠如の暴露を目指したものはあります。だからといって、せいぜい三十数年程度の継続性しか持ち得ない、「日中友好」という「お祭り」の文脈に依存した言明に、付き合わされなければならぬ謂れはありません。
というか、わたしたちは何故に、「中共」対「国府」という言説を止めて、「中国」という言説への一元化を甘んじたのでしょうか。そこに、私たちの自己言及的言述を放棄する謂れはあったのか、ちょっと問い直してみたい気が。
いやはや何と言うか、そこはかとないおかしみ漂う投稿で、久々に声を出して笑ってしまいました。
左の親指と薬指で鼻毛を拔いてみる
「そこはかとない」には、とほりすさんご指摘のような「際限がない」という意味と「どこがどうということもない」という二つの意味があるようです。ですから、「そこはかとなく」は「余すところなく、悉く」という意味と「何となく、どことなく」という意味があることになるのではないかと。いずれにしても、「どこはかとない」とは言わないとは思いますけれど。
「そこはかとなく」とは、餘すところなく、盡く、といふ意味でせう。其處此處何處の「其處」
ではないと思ひます。
「そこはかとなく」とは、餘すところなく、盡く、といふ意味でせう。其處此處何處の「其處」
ではないと思ひます。
戰前の日本では「吾國」の意味で「帝國」を用ひるのは普通だつた。
「それが帝國の傳統である」てな具合。
外國人が相手の場合、吾々が「帝國では…、帝國の…」と謂ふ時、相手(例へば支那人)も「なるほど帝國では…」と謂ふと、これは可笑しい。
逆に支那人が吾國といふ意味で「中國では…、中國の…」と謂ふ時、吾々が「なるほど中國では…」と言ふのに違和感を持たない人はちと鈍いのでは…。
同樣に北鮮の人が吾國といふ意味で「共和國では…、共和國の…」と謂ふ時、吾々も一緒になつて「なるほど共和國では…」と言へば滑稽。(在日朝鮮人は別)
少数派の自由を認めず、大多数意見を「絶対」と見なして排除したがるのが日本人の悪い癖ですからねえ。欧米にいる私にとっては、ことさらそれを感じます。
恐らくは群れを作りたがるのでありましょう。だから、どう見ても感じの悪い「逝ってよし」なる俗語が黙認され、あるいはもてはやされる中で「正当表記」が弾圧され、排他される。事の正しさよりも雰囲気や状況が大事にされる。ある意味それは悪いことではないのですが、他者の自由の弾圧がまかり通るようになると、それは大問題になるでしょう。
野嵜氏が「より多くの人にPC Tips を読んでもらいたい」ことを第一義に掲げるのであれば別に構わないのですが、周囲の取り巻きに屈してやむなく改変されるのであれば、それは許されない行為だと思います。
かつて私は「正当表記とPC Tips には関聯が無い」と発言して非難されたわけではありますが、実際、同様の精神を以って作られたコンテンツであるのは間違いないかと思われます。それを殺す必要はないのではないか、と。
私も「書き換え漢字」に関しては弾圧を受けたことがある身ですんで、「正しい日本語」に対する弾圧に関しては、少なからず「怒り」を感じる次第です。
私はPC Tipsの書換へに反對します。
最後に出てきて、友達思いの素早い行動だね。
いやー、りっぱ、ごりっぱ、御同慶の至り。
>議論の席で相手を馬鹿呼ばわりすることが不道徳であると言っているわけではありません。
それなら、私の「義」やら「やぶから坊」やらに對する言動のどこがどのやうに不道徳なのですか。私がいつ「不道徳な相手に不道徳に應じ」たり、應じて良いと書いたりしたのでせうか。馬鹿(それこそ馬鹿丁寧に念を押しておきますが、私が云ふ「馬鹿」とは、先天的な知能障礙者を指すのではない)の自尊心なんぞ尊重する必要は無いとは書きましたが、「不道徳な相手に不道徳に應じて良い」などとは一言も書いてをりません。では私の言葉遣ひがいけないのかと云ふと、さうではないととつつあんは仰る。繰返しますが、それなら私のどこが不道徳なのか。道徳とは他人に説くものではなく、己が行動で示すものだと考へます。
例へば私が「義」の名前を騙つてあちこちの掲示板に他人の中傷を投稿して囘つたり、逆に「義」に嫌がらせをされるのが恐ろしくてだんまりを決め込んだりすれば、それは不道徳と云はれても仕方ありますまい。しかし、私はそのやうな卑劣な眞似は一切やつてをりません。「曲解」が迷惑ならば、もう少し具體的にお書きください。
木村さんへ
徳を持たない者へ道徳を以って接することが阿呆らしいなら道徳を説くことに何の価値もないではないですか?不道徳な相手には不道徳に応じて良いという道徳はありません。
議論の席で相手を馬鹿呼ばわりすることが不道徳であると言っているわけではありません。まして慇懃な言回しや猫撫で声が道徳にかなっていると言ったつもりもありません。曲解しないでください。
ほなほな
http://www.google.com/search?q=%E3%81%A9%E3%81%93%E3%81%AF%E3%80%80%E3%81%8B%E3%81%A8%E3%81%AA%E3%81%8F&ie=UTF-8&oe=UTF-8&hl=ja&lr=
でも、確かに「そこはかとなく」が正しいのでありましょうか。
どこそこを区別しないで使った結果「どこはかとなく」という言葉を生み出してしまったような気がしないでもなしなのですが。
元となる言語ソースを用意して、閲覧者によって表示される文章を自動的に変換するプロジェクトを……
そこはかとなくそんな香りが。
私は戦後生まれで、旧仮名遣いの教育を受けておりません。経験的に古典や法律文などに接する(読む)機会があっただけで、書くのは新仮名遣いのほうが慣れています。しかしこれをもって他人の旧仮名遣いを批判しようという気は毛頭ありません。
「PC Tips」の表記にあまりこだわりません。内容が自分の手助けになれば良いという考えです。野嵜氏の思考の開陳というより、いわゆる技術資料として見ていましたので不明な点は原書または原典にあたる努力をすべきという自戒を持っています。日本語のほうが得意なために日本語文献を先にあたるのですが、確認が必要な時は例えばW3Cの資料を読みます。
ただ今回の改訂が「本気で普及する気があるのか」に対する野嵜氏の一つの回答であるなら、それはそれで受け入れておきます。「PC Tips」が資料として使えないと感じることがなければ私自身は氏の考えを優先します。
「そこはかとなく」が正しいと思ひます。
「どこ〜」は用例を見たことがありません(古典含む)。
たしかに、中学生の英語の訳文みたいな違和感があります。正字正かなの読みづらさは慣れるまでしか続きませんが、この違和感はいつまでも残ると思います。
俺は、記事は従来のままで、新字新かなの別ヴァージョンを用意する方がよいと思いますが、いかがでしょう(リンクタイプにもalternateなんてのもあるわけですし)。
面倒だったり、ご自分のサイトに現代仮名遣いの文章を載せるのが嫌なら、「『本氣で正しいHTMLを普及させたいのか』式の餘計な非難」をしてくる読者にミラーサイトを作ってもらうという手もあります。
まあ、そもそも、野嵜さんが「餘計な非難」と思っているなら、そんなものに耳を貸す必要はないとは思いますがね。
すこや軍曹さん
もしかして「そこはかとなく」の誤りではないでしょうか。
辞書にも「そこ〜」は載ってましたが、「どこ〜」は載っていなかったし。
試しにGoogleで検索してみたら、「『そこ〜』の方が間違い」と力一杯断言してるサイトもあって、俺もちょっと自信がないのですが。
こういっては悪いのでありますが。
どこはかとなく、英語翻訳サイトみたいな雰囲気が。
私自身は表記が正字だろうが正かなであろうが問題にしないのですが、「見慣れない」表記のコンテンツを人に推薦するのは少し躊躇します。
なので、私としては、私以外のだれかに問題なく推薦できるページが増えたということになり、非常に喜ばしく思っております。
表記以外の内容で、普通の人を啓蒙するためにお書きになったコンテンツを普通の人が読みやすい表記に変更なさるのは非常に有意義なことだと思います。
ご自身の日記などはご自身の納得のいく表記で書かれればよいでしょうし、表記そのものに関する啓蒙活動は、またほかのコンテンツで行われればよろしいかと感じています。
……。
いたちごっこに陥る可能性もあるけれど、とりあえず、actkyo027102.adsl.ppp.infoweb.ne.jpからのアクセスを弾いた方がよいのでは。
あ、でも、teacupもjcomもアクセス制限ってできないのかな。
638 :ノズラー観察同好会広報部 :03/02/09 21:54 ID:1vMkYbUy
★野嵜建秀サソの目論見
サイトの閉鎖を仄めかす
↓
「やめないでー!」という声を導き出す
↓
「支援者の為に考え直しました」とサイト続行!
とつつあん樣
>馬鹿にもある自尊心は無視して良いものではありましぇん。まして道徳を大切に思うのであればなおさらでしゅ。
全く同意出來ません。馬鹿の自尊心なんぞ犬にでも喰はせてやれば宜しい。特に以下のやうな下劣な戲言を吐かす馬鹿や、その馬鹿を「凝視」がどうしたとか云つて持上げる馬鹿は。
>お前の口で、一本、抜いてやれ。(「議論專用掲示板」 こういう馬鹿がいる 投稿者:義 投稿日: 2月10日(月)00時15分26秒)
http://8048.teacup.com/aleksey/bbs
下等な人間には、それに相應しい態度で臨むべきです。慇懃な言囘しや猫なで聲なんぞ、道徳とは何の關係もありません。「義」や「やぶから坊」が野嵜さんの事を傲慢だと思ふのなら、主張の中身を論破すれば濟む事でせう。それが出來ない低能のくせに、いやいや、低能だからこそ、「お前の態度が氣に喰はぬ」とヤクザ擬ひの言ひ掛かりをつけてみたり、あまつさへ、「一本、拔いてやれ」などと癡呆丸出しの嫌がらせを書いてみたりする。そんな下種野郎、人間の屑、「ワンワン鳴けば犬も同然」の手合ひに、馬鹿丁寧に接してやる必要がどこにあるのですか。阿呆らしい。
とっつあんさん:
>書く内容が先にあって目を通して書いたと告白してるのですから彼(女)について多くを語る必要はないと承知してるつもりです。
なるほど。但し、相手の論述の視座がどれほど有効性を持っているかは、言及する必要があると判断しましたので、あえて私のから述べさせていただきました。とはいえ、行間toka意図tokaいったテクストの隙間から湧出する「もの」を問うていたら、きりがないとも云えます、はい。
義珍さん:
私の断定に「品位」を問われるのでしたら甘んじてお受けします。但し、「千葉のDQN厨房」という言明とは、アノ人物の言述における歴史性の決定的な欠如を表現するものであり、その判断に誤りは無いと考えております。ご了承ください。
「もう誰にも一言も文句を言わせないぞ」という姿勢が気がかりだと書きましたのは、義珍さん同様、つまらぬ難癖つけられたからと言って、本質的なところで譲歩してしまっては本末転倒だと思ったからのことです。誤解を恐れず言いいますと、今後、野嵜さんのストレスを減らそうとするなら、義珍さんの言う通り、「枝葉」の部分を変更すればいいのかもしれません。ただ実社会での生活の問題ではありませんから、本質的な部分さえしっかりしていれば大した問題ではないような気もします。「喧嘩っぱやくて容赦がない」のを抑制しようとすると、かえってストレスにならないとも限りませんし。
toka3aki@薩摩隼人は泣きの竜さん、お返事ありがとうございましゅ。
野嵜さんは相手が書かなかった行間まで読み込んで批評をしたりしません。行間から相手の真意を推し量って反論しないようにしてましゅし同様に安易な同調もしません。あくまで書かれたことだけを批判の対象にしてると感じましゅ。でしゅから私はやぶから坊さんの行間を推察して前回の書込みを野嵜さんに問うてみたわけでしゅ。
それから、やぶから坊さんが「千葉のDQN」かどうかでしゅが、書かれた内容だけから吟味するなら注目すべきは「今回の投稿をするために、約2ヶ月ほどの間、目を通させてもらっていただけなので。」の一文だと思いましゅ。2ヶ月目を通して感じたことを書いたのではなく、書く内容が先にあって目を通して書いたと告白してるのですから彼(女)について多くを語る必要はないと承知してるつもりです。
藤山雅倫邪さん、ご教授ありがとうございましゅ。
野嵜さんが一貫して批評家であろうとしていることは承知していましゅ。問題は相手が批評ではなく反論(反対立論と言った方が良いでしょうか?)と受けとめると云う部分でしゅ。日記という形態の中で批評を書くことに何の問題もないと考えましゅし違う結論に導く必要もないでしょう。
が、相手の掲示板で批評をしたり相手の反論に再批評を重ねる時点で批評は論争という形に変化しているんだと思いましゅ。その時点で野嵜さんさんはディベートのような論争を希望していない、つまりは否定命題(反対立論)を証明したいわけではないことを積極的に説明するか、反対立論を立てて論争を続けるのか態度を表明しなければならないのではないかと思うのです。
と書きましたが、そのように私が思ってしまうのはそもそも「批評」と「論争」について私の認識が不充分であるためなのか、それとも日頃野嵜さんがおっしゃってるように批評がそのまま反対論と受け取られてしまう日本人の論理的思考の未熟さ(感情の優先)にあるのかも知りたいと思い書かせて戴いているわけでしゅ。
野嵜さんへ。
愚者は経験で語り賢者は歴史で語るそうでしゅが、私は愚者なので経験談を少々……。
正字正仮名が読みにくいと云うのは仮名遣ではなくむしろ漢字が読めないからだと思います。と云うのは私が幼少の頃、決して多くはなかったですが「のらくろ」「沼から来た河童」「ロボット三等兵」など正字正仮名の漫画もまだ読まれており、私もそれらを読んでいました。学校で習わない正字正仮名の漫画が読めたのは正字に仮名が振ってあるからで漢字さえ何とかなれば小学校の低学年でも正字正仮名を読むのは難しくありませんでした。「難しい『え』」とか「難しい『い』」などと言いながら『ゑ』や『ゐ』を読んでおりました。
「正かなでも新かなでもない、假名遣の存在しない文章に全部書換へる」壮大な挑戦に驚きはしますが異論を唱える気は毛頭ありません。が、あまり使われない正字や略字から連想できないような正字に括弧書きで振り仮名を附ければ充分ではないかと思いましゅ。正字を略字にする妥協も不要でしゅし。
ほなほな
初めて閲覧した時は「何て攻撃的なのだろう。」と
眉間に皺が寄ったものですが、数ヶ月読み続け
野嵜氏のスタンスを僅かであれ理解できた今、
改訂後のPC Tipsを読んでみて
「ああ、味が無くなってしまったなあ。」と
一抹の寂しさを感じてしまいました。
何故か筒井康隆氏の事を思い出してしまいました。
『奇魂』の高坂でございます。闇黒日記再開の模樣、安心致しました。
本日二月十一日紀元節は、弊誌創刊三周年、サイト開設一周年に當たります。日頃よりの皆樣の御愛顧に感謝申し上げます。これからも弊誌竝びに弊誌サイトを宜しくお願ひ致します。
野嵜さん、今後とも宜しくお願ひ致します。
今回は「マジレス」なので、いつもより堅い口調で。
言うまでもないことですが、「因縁」や「餘計な非難」を避けるという方便のために、信念を枉げるのは正しいことではありません(まっとうな批判によって信念を改めた、というのなら別ですが)。また、その信念に共感したり、興味を持ったりしている愛読者を遠ざけることにもつながります。
一読者として、私は『PC Tips』の記事の表記を書き換えることに反対です。
「偉さうな口調」については、「正字正かな」や「反近代の思想」と異なり、野嵜さんにとってどうしても重要なこととは思えないので、野嵜さん自身が改めるつもりなら、異論はありませんが。
ただ、個人的には、野嵜さんが反感を買いやすいのは、日本語の表記や思想的立場や偉そうな口調のせいではなくて、喧嘩っぱやくて容赦のないせいだと思っているのですが。
改めるべき点があるとすればそこだと思います。
↑聖書のどこかに書いてあった。
マルコ伝だっけ。
本日の闇黒日記を見る限り、心配にはおよばぬようですね。といいながらも心配なことは、世の秀才にありがちな「もう誰にも一言も文句を言わせないぞ」という姿勢。いかにも野嵜さんらしいファイティングポーズがみえてきたから大丈夫、と思わないでもないけれど、もうちょっと肩の力を抜いてもいいような気もします。ともかく私は今日の日記を読んで安堵しました。
>「野崎」ではなくて「野嵜」では。
恐れ入ります。私のミスです。お詫びして訂正します。
正)野嵜
誤)野崎
toka3akiさん
それはそれとして、「千葉のDQN」という下品な言葉を使うことによって、読者に与える印象が悪くなる(塗炭さんの表現では「一気に内容を色褪せさせてしまう」)のは確かなのでは。
塗炭さん
揚げ足をとるようですが、「野崎」ではなくて「野嵜」では。
野嵜さんは態勢建て直し中とのことです。(闇黒日記にて)
闇黒デーは個人的に継続しますが、今回の一連の流れに於いて自分が行ったことや
関係した方の意見に感じたことを見直してみようと思っています。
>相手が出てこなければ空まわりの感が拭えません。
私の発言は、「とっつあん」さんへの意見なんですが。
>私が見た限りですが、「やぶから坊」と云う千葉のDQNは(以下略)
やぶから坊氏を「千葉のDQN」と言い換えることで、一気に内容を色褪せさせてしまうと感じます。どのような言説であれ貴殿のプラスにはなりません。相手が出てこなければ空まわりの感が拭えません。
やぶから坊氏の批判は野崎氏に向けられているので反論は野崎氏がすべきと思っています。さりとて反論しなくてもいいですし、サイトを黙って閉鎖しても構いません。野崎氏自身の問題です。「ええ、やめますとも」にくくられる氏自身の発言で終わっているだけです。この一件に関して私たちができることは野崎氏の反論に賛意を表明するかどうかぐらいではないでしょうか。
>「見解は……凝視であ」ると云ふのも凄い日本語ですが、
世の中の事象を自分の言述(幻術とも云う)のために利用する、我田引水が大好きな、カル・スタ連中みたいな文章ではあります。
>やぶから坊さんが指摘したのは(分かりにくいんでしゅが)ご自分の考えを表明しない批評についてでしゅ。
私が見た限りですが、「やぶから坊」と云う千葉のDQNは、2ヵ月もこのサイトをROMしていると云いながら、野嵜さんの「自分の考えを表明しない」云々の言説を理解しているとは思えません。野嵜さんが語りたいこととは、我々の言語活動なるものが、実際は過去から蓄積されていたテクスト群からの引用もしくは模倣によって、ようやく成立させてもらっているということでしょう。そのような先人のテクストに対する敬意を表する限りにおいて、「自分の考え」という存在を自明の理とするならば、それは尊大の謗りを免れえません。しかし、論者の言説がそういった「間テクスト性」の上に立脚していることが、即ち現表行為を行う主体が不在というわけではありません。手近なテクストの断片を上手に張り合わせていく、そういった器用な操作を行うことで、語り手という主体は存在し得るのですから。
この千葉のDQN厨房のやり口というのは、そういった「間テクスト性」と、語りの主体の存在をあえて混同することで、場を混乱させるただのアラシです。そういった「間テクスト性」に対する領野を持ち得ないDQN厨房が、実際は過去のテクスト群によって自身の語りを成立せしめている以上、それは自己矛盾でしかありません。その意味で、「房総の狂犬」ですらないこのDQN厨房に、何ら主張すべき内容は無いと、私は考えています。
ついでに云うと、千葉のDQN厨房が主張している「因果律」などというものとは、物語の筋立てでしかありません。語りうる物であればこそ「因果律」は納得しうるものであって、逆に云えば、納得し得ない「因果律」は、語りえない、即ち、「語りえないものは沈黙しなければならない」というわけでして。
ただ單に、8日までの日記を過去ログに移動して、その時の最後の日記がたまたま「掲示板で「不快だからサイトなんかやめろ」と言はれたので、やめようかと思つてゐる。その方が世間にとつても良い事なのだらう。」で、「どれどれ今日は疲れて遲くなつたけれど日記を書かうかな」と思つたら大變な事になつてゐた、としたら……。
龍成氏の、
>そう、正かなは馬鹿にも読める、これを見事に証明された功績は計り知れません。
この一言は、おほいなる励ましです。
「躁鬱質の人」の定義があるらしい。私は、最近の闇黒日記を読んでいて野嵜さんは鬱々として過ごしているようだ、と感じただけで(「躁鬱質」だか何だか知らないけれど、生きていれば誰だって鬱々とすることはあるはず)、氏が躁鬱質だなどと言っているのではない。人間をそんな簡単に分類できるとも思えない。
野嵜さんが思路に拘泥する人であるとか、愚直なことが嫌いで時に面倒くさがりな面が見えることも分ります。いずれも頭のいい人にありがちな傾向です。それは分りますが、だからと言って、他者からの難癖、誹謗、中傷、言掛りの類を正当化する理由にはなりません。難癖は難癖、誹謗は誹謗、中傷は中傷、言掛りは言掛りでしかありません。
>もう一点、やぶから坊さんが指摘したのは(分かりにくいんでしゅが)ご自分の考えを表明しない批評についてでしゅ。
http://noz.hp.infoseek.co.jp/EnglishLiterature/TSEliot/kanzenna.html
(T.S.エリオット 「完全な批評家」より)
http://noz.hp.infoseek.co.jp/seidan/Metameta.html
(問答の問答/政談)
この界隈の方々ならば、半年くらゐ更新を停止しても野嵜さんを責めたりはしませんよ。
それが「同じ立場に立つ。」という意味なのでありましょうか。
>「見解は……凝視であ」ると云ふのも凄い日本語ですが、それは兎も角、要するに「やぶか
>ら坊」にしろ「義」にしろ、相手の主張にまともに反論できない魯鈍の癖に、自尊心だけは
>一人前に持ち合せてゐて、何とかして報復してやらうと、乏しい腦味噌を絞つて考へた末、
>「言ひ方が氣に喰はない」と馬鹿でも云へる因縁をつけてみた、と云ふ譯です。
それでも彼らの魯鈍な作戦は一定の戦果をあげたわけだ。
このまま閉鎖するのかどうかはわからないが、閉鎖騒動までは巻き起こして見せたのだから。
この事実は動かないし消えない。
とっつあん氏もふれているが、不貞腐れて閉鎖だのという態度は野崎氏の最も嫌うところでは
なかったのか。
今までの言の価値を減じないためにも、野崎氏にはここを続けてほしいものだが。
メールフォームから kougyou@********.ne.jp で送信しました
野嵜さんは論争相手が嫌味ったらしく掲示板を閉鎖してみせるような態度を示すことを厳しく批難してきたのではないのかしらん?であるなら今回の閉鎖はやぶから坊さんの書込みとは無関係なはずでしゅ。たまたま閉鎖しようと思っていた時期と重なっただけと推察しましゅ。
その推測の上で言わせていただくのでしゅが、それならやぶから坊さんに対し「うちのサイトがただ餘所に不快感を與へてゐるだけの、それだけのサイトだと言ふのなら、やめますよ。ええ。もうやめますよ。」と書くのはいかがなものでしょう?嫌味ったらしく感じるのは私だけでしょうか?
それとも私の推測は間違いでやぶから坊さんに論戦で敗北したとお認めなのかしらん?(論戦があったとは認め難いですけど……。)
木村さんや素人さんの反論はやぶから坊さんの言ってることを曲解してましゅ。野嵜さんが書いておられるように「人にとつて、好きか嫌ひかは、合理的な説得よりも、判斷の基準としてウェイトが高い」から書き方によって反感を買うとしても因果応報ではないか、と云うことだと思いましゅ。
私は、野嵜さんとどのような関係にある方のサイトを批判の対象にしているのか分かりませんが、もし全然面識のない方を批判の対象にするのであれば常識を持った態度から接し始めることは必要でしょう。少なくともやぶから坊さんは2ヶ月ROMしてどの書込みが礼を失した内容であったのか具体的に指摘すべきでしゅが、馬鹿にもある自尊心は無視して良いものではありましぇん。まして道徳を大切に思うのであればなおさらでしゅ。
もう一点、やぶから坊さんが指摘したのは(分かりにくいんでしゅが)ご自分の考えを表明しない批評についてでしゅ。やぶから坊さんの考えとは違うかもしれましぇんが、野嵜さんが批評として問うのはあくまで相手の方が結論に至るまでの論理の過程であって論理の矛盾でしゅ。通常は結論の異なる反対論をぶつけ合って論争になるのでしゅが、野嵜さんは相手と反対の結論を往々にして持っていましゃん。例でいうと「赤である」と主張する相手に対して、野嵜さんは「赤」と判断する理論には欠陥がある…つまり「赤とは決して断言できない」と指摘しましゅが「青だ」とか「白だ」とか言わないのでしゅ。
野嵜さんの論争相手が泥沼に嵌るのは野嵜さんが反対の結論を持っているだろうと勝手に思い込んだり、論理矛盾ばかり突っ込まれて無益な揚げ足撮りをされているように感じてしまうからだと思いましゅ。
批評自体を受付けないという相手は論外にしても、批評が論争に発展した場合には反論だけではなくて少なくともご自分の異論を最初に示すべきじゃないかと感じておりましゅ。ディベートでも反論だけじゃなくて反対立論を要件としてるようでしゅし。そうすれば無用な泥沼化で時間をすり減らすこともある程度避けられるんではないかと思いましゅ。
ほなほな
自分自身にこれといった考えはなく、
外部からの影響に応えるのみという主旨の発言だけを取ると
本人の意図には関わらず誤解されることもあるでしょう。
これをどう読むかは読み手の問題であると共に、
書き手は不特定の読み手を意識していると思われます。
こういう状況下で「日記という文章」を書き続けるためには
外部からの意見にまったく反応しないというのが易しい選択だと思います。
もしプライベートな文章なら続けるのもやめるのも
書き手の勝手ではあります。
楽しみにしている閲覧者を裏切る行為という書き手自身の信条が
足かせになっているなら、そんな馬鹿らしいことはありません。
こちらではご無沙汰です。
野嵜氏は、「分かっていない」人に対して「のみ」批判をしております。理解力や納得力のある人に対して食ってかかることは殆ど無かった。
私自身、野嵜氏は web の世界において「気高い精神を持たれている人」だと思っております。私のサイトには、このサイトのデザインと精神を存分に取り入れています。それだけに、今回の件は真に残念だ。「小物」に振り回されるべきではなかった筈。「大物」を目指して欲しかった。
私は「闇黒デー」にはのりません。皆でけしかけるのも良いでしょうが、一人でそっと考えてもらうべく、見守るべきではないかと思います。
又残念な事が起つてしまつた。
今は「闇黒日記」の更新が再開される事を願ふのみ。
野嵜さんは、皆の声を真摯に受止めてやつて欲しい。
PC9821ノートペン100を改造してMMX255で使用中のIE5.5でロード出来ない 投稿者:もも 投稿日: 2月10日(月)01時06分30秒
PC9821ノートのIE5.5を使用したところiモード専用HTMLが見れませんでした。MEやXP使用のDOSVマシンではしっかり閲覧できるのに http://www.pachinet.com/i/bbs/view.php3?areaid=2&theme=2 のページですwin95だから?PC9821だから?誰か教えて!
http://member.nifty.ne.jp/dokuhoukutu/psycho.htm
「義」さんは、どうして自分の言葉で發言出來ないのですか。
闇黒日記、好きですー。
閉鎖は残念。存続希望に一票!!(^^)
躁鬱質の人間は熱しやすいが、いわゆる神経質ではない。怒るけれども、けろりとして根に持たない。悲しむ場合も同様である。皮肉なあてこすり、といったものはあまり口にしない。
躁鬱質の人間は環境とともに生き、社会との間に溝をつくらない。コドモらしい素朴さがあって、他人に物をやるのを喜び、他人とともに生活しようとする。一般的にいって現実的で実際的である。
>義さんの呈している見解は、旧仮名遣いの思想や
>理念に対する批判と言うより、実はその思想や理
>念の「伝達スタイル」への凝視であって、自己誇大
>感の強い尊大な文章は、同じように読者の尊大を
>誘発する、という因果律の提示にほかなりません。
「見解は……凝視であ」ると云ふのも凄い日本語ですが、それは兎も角、要するに「やぶから坊」にしろ「義」にしろ、相手の主張にまともに反論できない魯鈍の癖に、自尊心だけは一人前に持ち合せてゐて、何とかして報復してやらうと、乏しい腦味噌を絞つて考へた末、「言ひ方が氣に喰はない」と馬鹿でも云へる因縁をつけてみた、と云ふ譯です。
どんな醜男にも性慾があるやうに、どんな馬鹿にも自尊心はある。困つたものです。
人間はふだん平気で生きているように見えて、結構ぎりぎりのところでストレスに耐えて生きていることがある。そんな時に余分なストレスが加わると、他のストレスと相乗的に作用して、精神の耐えうる閾値を越えてしまう。以上、心理学の講義で教わったことの受け売りだが、事実そうなんだろうと思う。
最近の闇黒日記を読んでいると、野嵜さんは鬱々とした日を送っていたように思われる。そんなタイミングだったから、本来なら野嵜にとっては取るに足らぬ存在からの取るに足らぬ誹謗に過ぎなかったはずのことでも堪えたのだと思う。
「お前の醸し出す知的雰囲気や知的表現が俺には気に食わない。だからお前も俺のように知的でない表現をせよ」とまあ、こんな事を言っているようだ。
こんな時には、叱咤激励は禁物である、とも心理学で教わった。こちらは真偽のほどは分らないけれど、私としては、ちょっと休んでまた元のような元気を取り戻して欲しい。
>貴樣のような卑怯な腐ったやからは、私がその汚い穴に燒け火箸を突っ込んでやるから出てこい
そんな下品な言葉で相手を罵倒してゐるのを見て、野嵜さんが喜ぶと思ひますか? 喜ぶ筈がありません。
「やぶから坊」へ貴樣が野嵜さんを氣に入らなければ、野嵜さんの處に立ち寄って、記事を読まなければ、良いだけの話である、野嵜さんが好きで、此處を見に來ている人に貴樣は詫びを入れよ!
何が「それではこれにて」だ!貴樣のような卑怯な腐ったやからは、私がその汚い穴に燒け火箸を突っ込んでやるから出てこい
野嵜さんのファンを標榜している者です。闇黒日記はじめ知的刺激に溢れる各種コンテンツを、いつも興味深く拝見しております。
ファンとしては閉鎖は非常に残念ですし、有用なコンテンツが失われるのもあまりにも勿体無い事です。可能でしたら義珍さんの仰る通り、更新休止という事で暫く英気を養われるのも宜しいかと思います。無理はなさらずも、いずれ復活して下さる事を希望します。
ともあれ、どのような選択をなさるにしても、私は野嵜さんを応援させて頂きます。
躁鬱質というやつなのかどうかわかりませんが、最近の日記の記述からは、精神的に参っているようだとの印象を受けました。
もし、今はサイトを継続する意欲が湧かないのだとしたら、閉鎖するのではなく、ふたたび意欲が湧くまで更新を休むという選択肢もあると思います。
義珍さんの意見を繰り返すことになるのですが、あえて一言。
>実は要所要所に闇黒日記の特徴を応用してみただけなんですがね。
私はやはり、あなたのおっしゃる通り鈍感な人間らしい。あなたの文章からは「闇黒日記」の影響など露ほども感じ取ることができない。これまた義珍さんの指摘を繰り返すことになるけれど、あなたの言葉遣いは杜撰としかいいようがない。
躁鬱質の傾向があるのでは?(症例、ドクトル・マンボウ=北杜夫)
この氣質では、やや鬱といふ程度は本人にも周りにも大過なくて宜しいのではないかと…。
(現状肯定論です)
匿名「やぶから坊」は匿名での根拠の無い同害復讐法が誹謗中傷にあたることを認めている上で書いているので始末に終えないですね。それにしても酷い中傷文です。
でもまあ、元々論理が甚だしく欠落した方々を相手にしてきたのですからこういう嫌がらせが出現するのはむしろ当然で、今後もお続けになる限り、こういった類の誹謗中傷はずっとついてまわるものではないでしょうか。嫌になられるのも半分致し方ないものとボクは考えています。
それでも、一読者に過ぎない人間の贅沢な希望ではあるのですが、今後も続けて欲しいとそう願わずにいられません。何故ならば、闇黒日記ほど正かなの認知度を回復させたサイトは他に類を見ないからです。これまでに戦ってきた様々な馬鹿とのやりとり、そう、正かなは馬鹿にも読める、これを見事に証明された功績は計り知れません。
とまあ、長々と失礼しました。すぐにでも復活されることを願っております。
全ての他人を愉快にすることが目的でサイトを運営していたのなら閉鎖もやむなしと思う。
野嵜氏自身がサイトの運営を不快になったのなら閉鎖もやむなしと思う。
私は正字正かなを使う人間では無いが、今回野嵜氏のサイトを見直して一読者として勝手に思ったことを伝えたくなった。
私は貴方のサイトが続くと嬉しい。
やぶから坊さん
俺の投稿には言及してもらえなくて残念です。
なんて、ここで書いても無駄かもしれないけど、「『もう来ません』という奴は必ずまた来る」の法則に期待することにして。
>実は要所要所に闇黒日記の特徴を応用してみただけなんですがね。すなわち、自分棚上げ式の高所に立った文体で、優越を誇示するための屁理屈のゴリ押しと、「目には目を」の同害復讐法を履行したまでです。
真似するならもうちょっと上手にやってほしい。
たしかに野嵜さんは「偉そうな口のきき方」をするけど、先のやぶから坊さんの投稿ほど杜撰な言葉遣いはしていません。
全然似てないのに、「お前と同じことをやったまで」と言われても。
>感じる人は感じる、感じない人は感じないというだけのことです。
批判するなら、第三者にも理解できるように筋道立てて説明すべきでしょう。
それができないなら、批判などすべきでない。ご自身がおっしゃったごとく、「『反応しない』というもうひとつの選択肢もある」。
俺は別に野嵜さんの信奉者ではないので、別にかばおうとは思わないけれど、批判するならまっとうなやり方ですべきだと思う。
たしかに野嵜さんも、批判というより、罵倒といった方がふさわしい言い方をする時もある(しかも結構頻繁に)。
しかし、野嵜さんの場合、自分自身や、その信条(正字正かなであるとか、保守思想であるとか、ISO-HTMLだとか)を守るために攻撃的な論を展開している(そのやり方が正しいか、成功しているかはひとまずおくとして)。
この点で、やぶから坊さんとは異なる。
「意味がわかりませんね」で、野嵜さんがおっしゃっているとおり、やぶから坊さんは、いったい何のために野嵜さんの手法を批判しているのか。それを明らかにせず、「野嵜と同じやりかたをしたまでだ」というのは、「目には目を」式の報復主義ですらなく、単に「泥棒からは物を盗んでもいい」式の暴論でしかない。
(野嵜さんが泥棒だと言ってるわけではありません。文脈を無視して反論してくる人がいるかもしれないので、念のため)
野嵜さん
他の方のように「やめないで」とは言いません。
この程度でやめるのならば、その程度のものだったということでしょう。
非常に残念だし、寂しいことですが。
http://members.jcom.home.ne.jp/pctips/www/concept/close.html
義さんがあんまり陰濕なので、嫌惡感を持つてしまひます。
どうか、やめないでください。 悲しすぎます。
★ノズラーの性質★
「正字正仮名」がいかに正統な仮名遣いであるかをネット上の掲示板などで布教する
が、語り口が傲慢なので皮肉にもかえって「正字正仮名」に嫌悪感を示す人を増やす
という事態に陥っている。
また、「正字正仮名」こそが現代の日本に残された数少ない(唯一?)伝統であり、こ
れを守ることこそが真の保守であると盲信しているので、保守を名乗りながら「正字正
仮名」を使わない西部邁や西尾幹二やその信奉者を罵倒することを生き甲斐にしてい
る。
いつも、野嵜さんの正義を応援しています!
私は野嵜さんの言葉や文章が難解だと思ったことはない。言葉の選択は的確で全体として達意そのものの文章だから、見習うべき点が多い。また、私は事象を選択する際に権威を感じるか否かを考慮にいれようとは思わない。私が鈍感だから野嵜さんの詭弁や大仰な表現に気付かぬとおっしゃりたいのなら、別に鈍感でも構わない(むろん、私はそうは思わないけれど)。
それはさておき野嵜さん、閉鎖などしないで下さい。
>と言ふか、うちのサイトがただ餘所に不快感を與へてゐるだけの、それだけのサイトだと言ふのなら、やめますよ。ええ。もうやめますよ。もう嫌です。
寧ろ、野嵜さんの方が不快感を受けてゐるやうな氣がします。
閉鎖に反對します。
不快じゃないです。なくなると困ります。
>うちのサイトがただ餘所に不快感を與へてゐるだけの、それだけのサイトだと言ふのなら
そんな事ない。
と言ふか、うちのサイトがただ餘所に不快感を與へてゐるだけの、それだけのサイトだと言ふのなら、やめますよ。ええ。もうやめますよ。もう嫌です。
反論は、したければすればよろしいが、嫌がらせは、したいからしてよい、と云ふものではありません。「やぶから坊」さんは、嫌がらせをやめて下さい。私は「闇黒日記」で、嫌がらせをしようとなど、してゐません。口調さへ眞似すれば良い、と云ふものではありません。
私は、批判をする時は、いつも理由を述べてゐます。或は、常に正當と思はれる理由を提示してゐます。その理由に間違ひがあると云ふ批判なら受容れますが、口調が氣に入らない、と云ふ非難は絶對に受容れません。
「やぶから坊」さんは、私にいつ不當な非難をされたのですか。そして、私から何を擁護したいのですか。
何もないのに私を不快にさせるのならば、明かに「やぶから坊」さんは批判をしてゐるのではなく、嫌がらせをしてゐる事になります。
野嵜さん、
やはり「偉そうな口のきき方」に見えましたか。
実は要所要所に闇黒日記の特徴を応用して
みただけなんですがね。
すなわち、自分棚上げ式の高所に立った文体
で、優越を誇示するための屁理屈のゴリ押しと、
「目には目を」の同害復讐法を履行したまでで
す。何しろ「匿名」投稿が担える責任では、せい
ぜい「お手本」を参考にする程度の不快表現が
積の山ですし。これが本名ならば、いつぞやの
闇黒日記のように「不当な非難をしている人に
擁護側が激しい言葉で言い返して何が悪いの
か」ぐらいのことは「当然」言えるんでしょうが、
「自分の考えも持たないような人」に同等の責
任を負ったところでどのみち始まりませんしね。
素人さん、
難解な言葉のほうに権威を感じるのなら、それ
はあなたの読み方でしょう。言葉が大仰なだけで
その重心は軽く、いかにも正論を装っていながら
実は詭弁だらけ、しかもその振りかざし方の醜悪
な文章というものが稀にあるものですが、感じる人
は感じる、感じない人は感じないというだけのこと
です。
わざわざ不特定多数の読者に日記を公開している
以上、肯定的に読む内輪の読者ばかりではないこ
とぐらいは常に想像されていてしかるべきで、屁をし
ても「潔い」などとと拍手してくれるような感想だけを
お望みなら、外部の者は読めない形式を取るなり、
「反論お断り」の看板でもブラさげて置いたらいかが
ですかね。もっとも、あなたに言われるまでもなく、こ
のサイトに立ち寄る用は私の側にももうありません。
今回の投稿をするために、約2ヶ月ほどの間、目を
通させてもらっていただけなので。
>自己誇大感の強い尊大な文章は、同じように読者の尊大を誘発する、云々。
繰り返し同じ人の文章を読む場合、読者の多くはその筆者が好きで読むのでしょうから、多少なりとも影響は受けるでしょうね。ただ、それはあくまでも読者個人の問題であって第三者が是非を論ずべきものではありますまい。さらに言うなら、「自己誇大感の強い尊大な文章」だと感じるのはあなたなんでしょ。不愉快だったら読むのをやめればいいだけのことです。俺の気に入らないから書き方を変えろ、などというのは暴論というものです。私見ですが、稚拙なのはあなたの文章のはこびであって野嵜さんの批判は論理が通っているように思います。
端的に言うならば、あなたの主張は「俺はお前の知的な雰囲気が気に食わないから、俺のレヴェルまでひきずりおろしてやらなければ気がすまない」としか聞こえません。そうではなくて、あなたがもう少し努力してみてはいかがでしょう。
「1000円をお預かりします。」では言いにくいので、
「1000円からを、お預かりします。」なんだとばっかり思っていたのでありますが。
そもそも「から」の意味を考えると確かに謎であります。
日本語とは奥深い……
SF/ホラー作家、小林泰三氏のWebサイトにも、この件に関する小文があります。
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/kbys_ysm/dabun12.html
> 自己誇大感の強い尊大な文章は、同じように読者の尊大を誘発する、という因果律の提示にほかなりません。
「尊大な文章」という点ではやぶから坊さんも一緒なんだけど、それはさておき、尊大な文章によって読者が尊大さを誘発されるとしたら、それは読者の責任だと思うのですが、いかがか。
というか、一読者として、自分の批判に自分が溺れ、野嵜さんを叩くだけでは足りずに、無関係な読者まで、その(稚拙な)批判の矛先を向けてしまう傾向には、個人的に反感を覚えます。
あと、義さんの一連の投稿に、一貫した見解を見いだせる方が、電波系だよなあ。
少くとも、匿名の「やぶから坊」さんよりも、私・野嵜の方が、自分の言つてゐる事に責任はとつてゐると思ひますが。
えーと、どうしてそんなに尊大な態度を「やぶから坊」さんはとれるのですか?
「やぶから坊」さんがそのやうに偉さうな口をきける權原を教へていただきたいものです。
>だから私は自分の考へは全く持たず、述べず、
>人からの影響だけに基いて意見を言ふ事にし
>てゐるのですが。
つまり、「俺がものを言うのではない。
空の黄色い太陽と、外の赤いポストが、
俺にものを言わせるのだ」、と?
まるで電波系イタコのようですな。
自分に反応を促すものは常に外部から来る、
という前提は正しいです。しかし、
「反応しない」というもうひとつの選択肢もある。
反応するほうを選んで「意見を言う」ことが、
すなわち「考えを述べる」ということなのだし、
「意見を言う」ことによって受け身の立場では
なくなるがゆえに責任というやつが発生する。
責任とは、「犬が棒にあたる」のであって、
「棒が犬にあたる」とは言わない態度のことです。
言いたいことを言いたいだけ言ってもなお且つ、
「棒のほうが動き出して犬にあたって来たから」
では、どんな意見もただの赤児の夜鳴きである。
考え方が異なる他人の発言をどこからか(積極
的に)見つけて来ては、おびただしい異論反論を
叩きつける日記というのも、ひとつの趣向、ひとつ
の特徴的な色彩ですから、そのことに異議を挟む
気は毛頭ありませんが、前回、冒頭に引用させて
もらった一文のように、自分の批判に自分が溺れ、
特定の人物を叩くだけでは足りずに、無関係な他
人一般にまでその(稚拙な)批判の矛先を向けてし
まう傾向には、個人的に反感を覚えます。
義さんの呈している見解は、旧仮名遣いの思想や
理念に対する批判と言うより、実はその思想や理
念の「伝達スタイル」への凝視であって、自己誇大
感の強い尊大な文章は、同じように読者の尊大を
誘発する、という因果律の提示にほかなりません。
1989年4月1日に生じたものと思われます。
おつしやる通りです。訂正しておきました。
>御釣りを受取る店員が、「××圓から御預りします」と言ふ慣習、何時から生じたのだらう。
「御釣り」を受け取るのは「店員」ではなくて野嵜氏(買い物客)の方ではないのですか。
「代金を受取る店員」が正しいと思いますが如何。
ねずみ氏の件、「言いがかり」は「言ひがかり」の筈。
どうか默つて訂正して下さい、とお願ひしてみるテスト。
大丈夫ですか?
ううぷぷぷぷぷぷ
奥深い……
他人に影響され易いと言ふのはわかつてゐまして、だから私は自分の考へは全く持たず、述べず、人からの影響だけに基いて意見を言ふ事にしてゐるのですが。と言ふか、さう云ふ事を以前、「闇黒日記」だか何處だかで書いたやうな記憶がありますが。
闇黒日記2月5日
「自分の挑発されている事はすぐに感じとれても、
他人の挑発されている事は想像すら出来ない人
がいて……」
だから西に旧かな思想をこづく人あれば、
行って「オマエコソ死ネ」と云い、
東にアメリカ大統領をけなす人あれば、
行って石でも投げて来いとでも言うのかな。
「私はいつも不当に非難されている人や物を
擁護しているだけに過ぎない」という一文もあ
りますが、自分がそう信じたいたいことと実際
に自分がそうであることとは往々にして別です。
実のところ「感化力の強い他人にたやすく影響
され、かつ翻弄されやすい自分自身の脆弱さを
擁護しているだけ」のように見えなくもないですが。
すみません。
昨日の闇黒日記、プリン云々のblockquote要素のtitle屬性ですが、屬性名と=の間に不要な引用符が入つてゐます。
>そもそも「…」ってなに?
「リーダー」といいます。録音テープなどの先端の引き出し部分
のことを指しますが、記号としては「以下を省略する」という意味。
他人の言葉や書物の一文などを引用する場合、たとえば「子曰く、
人の己を知らざるを患えず……」というように、センテンスの全部
を書くのではなく、ある文節で切ってその先を略したいときに使う
のが本来の用途のようです。この表記としては点線、破線、片ダ
ッシュなどを用いるのが一般的であると『理科系の作文技術』
(木下是雄/中公新書1986)に記されています。
小説などでは、作者があえて言葉にしない情感を、読み手の想
像にゆだねたい場面にこれが出てくるようですね。
語尾に「?」や「!」がつくものもあるし、句点がつくかつかないか
は、その記号の挿入される箇所が会話文か地の文かによっても
まちまちのようですが、私が観察する限りでは、質の高い作品を
ものする作家ほど、各種記号表現にはとことん頼るまいとする気
概をその持ち味に感じさせます。
「。。。」なんてのは、「見た目が可愛らしい」という理由で積極的にやってる人も多そうです。
要するに、顔文字とか、o(小文字のオー)で句点を代用したりとか、☆とか♪とかを多用するのと同じようなものなのではないかと。
ちなみに俺もワープロ使い始めた頃、「‥‥‥」とかやってました。
「てんてんは六つ」というポイントは外していなかったのですがー。
或意味凄いなつかしい人が。健在でしたか。何と言ふか、最近は右翼方面とも縁を絶つて、浦島さん状態です。
某方面とも何だか縁が切れかけてゐて、XMLの話についていけない浦島さん状態です。
文末の「…」その他ですか。原則、「てんてんは六つ」らしいです。句點、讀點、中黒、その他を「……」の代用とするのは、そもそも「……」の存在を知らない初心者さんのはじめた事ではないですか。
ちょっと見に来てみました
右翼共和派の掲示板が消滅して数年,完全変態さんたちはいずこへ(笑)(^^;
ではまた
追伸 ↑『日本語が変だ』とか突っ込まないでくださいね。
末尾の「…」
。。。?
、、、?
・・・?
’’’?
上の4パターンを使う事に問題は無いのでしょうか?
また、「…」の後には「。」が必要???
そもそも「…」ってなに?
とまとまりの無い事を考えるぐらい考えてしまう今日この頃なのですが。