今更ですが、古林さん、御結婚おめでたうございます。
日記を見ると、幸せさうで何より。と云ふか、幸せ過ぎです。分けて下さい。(無理)
末永くお幸せに。
>また、「為」を「ため」という意味で解すのは日本語です。
>漢文では「為す」でしょう。
論語に「古之學者爲己、今之學者爲人」「爲人謀而不忠乎」の例がありますが。
あと、うちに藏書が一萬册あるかどうかは知りませんが。そのくらゐあつてもをかしくないんですが。家が潰れる。
講演會の際にはいろいろありがたうございました>>toka樣。
>「の」でレ点を打つのは漢文の文法上おかしいのでは。
>また、「為」を「ため」という意味で解すのは日本語です。
>漢文では「為す」でしょう。
漢和辭典を引けばすぐに解るのではないでせうか。
「古之學者爲己、今之學者爲人」(論語)
「爲己」=己れの爲。「爲人」=人の爲。
終電に間に合ったようですね。安心しました。
実は私の方も、乗った電車が最終でした。危なかったですよ、本当に。
> 為念と云ふ表現は昔からあつた。「為」と「念」の間に
> 返り點(レ點)を附ければ「念の為」となる。
「の」でレ点を打つのは漢文の文法上おかしいのでは。
また、「為」を「ため」という意味で解すのは日本語です。
漢文では「為す」でしょう。
近世の日本人が「漢文調」で書くことはあったかもしれませんが。
とりあえず、どんな使われ方をしていたかサンプルは
ありませんか?
「手裏劍」のスクリプト貼附の説明文の中に
<引用>
(略)なるべく前の方に書いた方がナローバンドのユーザーなどに対しても正確に解析できやすくなります。また携帯電話など、ページ下の方の画像はスクロールしないとサーバーに読み込みにいかない仕様のブラウザへの対策にもなります。(略)
</引用>
なる嫌な記述がある故に文書後方に貼附する氣にならない人も多さうです。
初めまして。私は由紀草一と申します。高校の教員のかたわら、物書きをしております(近著『団塊の世代とは何だったのか』)。
学生時分にはsc恆存先生の著作に親炙し、時折お話もうかがいました。深く影響を受けた、と自分では思っております。
来年はsc先生の没後10年に当たります。この機会に、同じ時期にともに先生の著作を読み、それについて語り合い、時にはお目にかかって親しく教えを受けた同志たち(「現代文化会議」という名称で勉強会をやっていました)が集い、先生の業績をあらためて検討し、次世代へとつなげるために、講演・シンポジュウムを中心としたイベントをやっていきたいという話がまとまりました。
その第一弾が下記の、「sc恆存を語る――沒後十年に向けて」です。今回は、「蔦の会」というsc先生中心の読書会のメンバーだった先生方の講演とシンポジュウムを、sc先生が創設なさいました三百人劇場で開催します。
できるだけ多くの方々にこの催しについてお知らせしたく思いますので、管理人様の許可をいただきまして、ここに告知いたします。
告知をご快諾いただきました管理人野嵜様には、改めまして、深く感謝申し上げます。
記
『sc恆存を語る――沒後十年に向けて』
第一部 講演
講師:土屋道雄 谷田貝常夫 中村保男
第二部 琥、「人間・この劇的なるもの」他
琥、者:劇團昴 俳優 小山武宏
第三部 シンポジアム
パネリスト:中村保男 谷田貝常夫 土屋道雄
司會:佐藤松男 由紀草一
●日時 平成15年11月18日(火)
●開演 6:20 ※開場は30分前
●料金 受講料 2000円
●チケット御豫約・御問合せ
現代文化會議事務局 03-5261-2753(午後7:00〜午後10:00)
※受講御希望の方は必ず事前に御電話で御豫約下さい
>γ線、X線
実験室では、鉛板を使うことが多いようです。
>御結婚、おめでたうございます。
どうもありがとうございます。この界隈でお祝いの言葉をもらえたのは、恐らくここが始めてです。
α線、β線は薄い金属板で遮断出來ます。
γ線、X線は厚い鐵板で遮断出來ます。
中性子線が「厚い鐵板」を透過すると云ふのは本當です。その爲、「ぶ厚いコンクリート」で遮断します。
>原発の建屋の中は、全部の物が放射性物質に変わってきます。物がすべて放射性物質になって、放射線を出すようになるのです。どんなに厚い鉄でも放射線が突き抜けるからです。
私は昔大学で、地中から放出されるα線の調査なるものをやったことがあります。α線の多い地点を調べると、断層が発見できるからです。つまり、放射性物質を含む地中の揮発性の成分は、断層等の亀裂を通さなければ、地表には出て来ないわけです。放射線がすべての物を突き抜けるというのは、α線やβ線に関してははっきり云って誤りです。
平井憲夫氏の言説を説明するならば、フレイザー「金枝篇」第三章「共感呪術」の章を引用すれば、事足りるかも知れません。
URLの中の&を文字參照にしておくのを忘れてゐました。
文字參照周りもアレな事になつてゐたので、併せて修正しておきました。どうもありがたうございます。
あ、blockquote要素は利用可能タグだったのですね…。
平成十五年十月十三日で
/dd
/blockquote
のミスと
平成十五年十月一日で
/dd
dd
dd 〜 /dd
のミスです。
いきなり不躾ですけれども、
平成十五年十月十三日の部分、最後の引用が
</dd>
natuさんへ
そうですね。もうあの論争は過去のものなのですね。わたしは野嵜さんの印象が悪くなるのを懸念していたのですが、どちらが正しいのかきちんと読む人にはわかるのでしょうし。
野嵜さんには「野嵜一派」がついておられるのですし。→野嵜さんは「孤高の人」なんかぢゃないもん。
あぁ、なんで私素直に支持できないんでせう?
>十六夜月さん
自分を貫くのと、ただの意地っ張りさんは、まったく違います。
謝ることで自身をちゃんと正せる人はとても凛々しいですものね。(でも、嫌味っぽいのはいただけません。)
私も、こちらのサイトを観させて頂く様になって日が浅いのですが、もうその論争?は過去形のものの
のように思いました。蒸し返すのはいかがなものかと。ご本人たちが楽しめるなら問題ないのでしょうが。
・・・お節介ですね。(私)行き過ぎた婆心だと聞き流してくれれば幸いです。
野嵜さん、はじめまして。
スタイルシートの解説ページを探していて、このサイトにたどり着きました。
リファレンスのページは、数多くありますがどれも敷居が高く感じていましたので
htmlの基本から、とてもわかりやすく詳しく書かれていているのに感激しました。
しかし、日本語かなは、難しいですね。(汗
ではでは
「街角」さん。すみません。なにをどう勘違いしていたのでしょうか。
この通り私は頭が悪いので頭がよくなれば幸せに生きられると思っていたのです。でも、なんだか皆さん大変そうで、私は何が何だかよく分からなくなってしまいました。
でも1つ分かりました。自分を貫くにはすぐ謝れば済むという甘えた考えではいけないのですね。
私があそこで用ゐた別名は「ふぁんきーじゅにあ」「fankee_jr」だけです。これにもアレな由來があつたりしますが。
古林さん。御結婚、おめでたうございます。
>DTD
もともとは、XMLがSGMLのサブセットとして定義されたため、XML文書が(通常の)SGML文書としても処理出来るよう、DTDが(XMLでも)規定されています。
また、以前からDTDは、XML文書の検証用として利用するのには不充分であることは指摘されております。名前空間を適切に処理できないこと、一つの要素に複数の定義を設けられないことなどが、主な理由です。そんなわけで、DTDに代わるXML文書にふさわしい検証文書(スキーマ)が今まで仕様化されてきました。例えばRELAX-NGやW3C XML Schemaなどがそれです。
アレクセイさんのところで、野嵜さんが別の人格で文体も変えて書き込みしたという。。。
(認めてらっしゃいますよね?)
「街角」さん……?
検索して論争を読んでいて、下劣なのはどちらかというのは分かりました。
でも「街角」さんにならなくても。。。しかも正かな使用しないで。。。
それにしても、思想を持つというのは大変なことなんですね。でも当たり触りなく生きているわたしには痛快に感じたりもします。
と言ふか、アレクセイなど、特に非道いデマを流してゐるのでして、彼の本名「沖泰光」で檢索していただければ、ある程度經緯なり何なりが解るのではないかと。
ごめんなさい。野嵜さんの22時50分の書き込みへのお返事が上になってしまいました。
そうか、わたしはデマを信じているだけなのか。。。
そうか。波江さんの言葉をそのまま使ってしまった。失礼しました。検索して知ったアレクセイさんのところのやり方はよくなかったのではないかなと思いました。過去のことかもしれないけど後味悪くないですか?
また、相手をやりこめるような物言いを日常でもなさるのですか?
自分と意見の合わない人は皆「馬鹿」よばわりできる強さに憧れたりもします。
と言ふか、波江とか竹下義朗とかアレクセイとかのデマを信じてはいけません。連中は、自分の間違つた主張を正當なものに見せかける爲には手段を選ばない連中です。私は、彼等に誹謗されてゐる人や事を辯護しただけです。さうしたら彼らに逆恨みをされたに過ぎません。
事態の經緯をきちんと追つていただければ、私の書込みが「掲示板荒し」でない事はおわかりいただけると存じます。もちろん、多くの人が印象で判斷する事を知つてゐて、それで彼等は私の事を「掲示板荒し」と言つて宣傳してゐるのであります。
荒してゐますか。そのやうに見えますか。と言ふか、あちこちつてどこですか。奇魂と國語問題とはなごよみしか書込んでゐませんが、それであちこちですか。しかも、いづれも荒してゐませんが。
こんばんは。十六夜月です。近頃こちらのページをよく分からないまま毎日読んでいます。
野嵜さんがたくさん本を読んでおられること、あにめがお好きなこと、言葉に真剣なことは段々分かってきました。すごい方なんだなぁ、って素直に思っています。(本当に)
だから、野嵜さんがあちらこちらで掲示板を荒らしておられるのは、とてももったいないことのように思うのですが。正字正かなの印象を悪くしてしまうとは思われませんか?
<a>と<cite>の関係について、どうもありがとうございました。>野嵜さん&takuminさん
解るような解らないような………(笑)
> XMLのDTDの制約で、要素の中に書けない要素を定義できないので、
あぁ、そうなんですか?
私はてっきり、仕様の文法的なこと全てがDTDに盛り込まれているものだとばかり思っていました。
となると、DTDは何のためにあるのかに疑問を抱いてしまいます。
あるxhtml文書の文法が正しいのかどうかを、検査プログラムか何かで確かめるためのものがDTDなのかと思っていましたが、どうやら違うようですね。
リンク先の文書自体が引用元である場合に「citeでaを包」み、引用元を紹介している文書にリンクを張る場合には、「aでciteを包む」のではないかと考えます。
どうもはじめまして。
(1)
XHTML 1.0はDTDで定義されるほか、仕様書にも決り事が書かれてゐます。
XMLのDTDの制約で、要素の中に書けない要素を定義できないので、仕様書のappendixとして定義されてゐます。
「B. Element Prohibitions」
http://www.w3.org/TR/xhtml1/#prohibitions
に
<引用>
pre
must not contain the img, object, big, small, sub, or sup elements.
</引用>
とあります。「This appendix is normative.」とありますので、この記述には従はなければなりません。
(2)
時と場合によつて、だと思ひますが、題名なり何なりを挙げてそれを出典として明示した時に、その出典へのリンクを張るといふのであればaでciteを包む、リンクを張つてそのアンカーポイント全体を出典として明示するのであればciteでaを包むといふことにでもなるかと思ひます。何だか良くわからない説明ですねー。私も良くわかつて書いてゐません。宿題といふ事で。すみません。
はじめまして。
xhtml1.0に関して教えていただきたいことがあります。
(1)xhtml1.0は、仕様では、preの中にsmall、sup等が含まれてはいけない、ということになっていますが、DTDを見る限り、small、sup等が含まれてはいけない、とは書かれていないように思っています。私の読み違いなのでしょうか?ちなみに、html4.01のDTDでは、preの中にsmall、sup等が含まれてはいけない、と書かれているのは判りました。
(2)引用元を、citeとaの両方でマークアップする場合、どちらが外側の方が良いと思われますか?
以上二点、宜しくお願いします。
>嘗て元號の使用を禁じられ本誌の編輯發行人中澤茂和は辭職したが、さういふ「稚氣」は西尾幹二の想像を絶する事であるに違ひ無い。
松原先生の想像が的中したものと思はれます。
「西尾幹二のインターネット日録」 http://hpcgi1.nifty.com/bellwoods/i-nikki.cgi
にて、西尾氏が松原先生の「西尾幹二氏を叱る」への反論を書いてゐます。反論といふか、ただの惡口ですが。
>ぜひ読者は試しにここをクリックして私への悪口をご一読なさるとよい。松原の文は自分を
>偉そうにして威張りちらしたいために書いているような稚気満々たる文章で、これでよく自
>ら後で赤面しないのだろうかと不思議に思った。羞恥心の欠落がこの人の、哀れを催す強さ
>である。
「これでよく自ら後で赤面しないのだろうかと不思議に思った」らしいが、「これでよく」と
來れば「赤面しないものだ」と結ぶべきだ。などと言へば揚げ足取りになるのだらうか。
さういふ事には、きつと西尾氏は赤面などしないのだらうが。
基本的人權と國民主權を守る爲にも、戰爭を抛棄したら駄目でせう。
とても難しそうですが読みます。
ご親切ありがとうございます。
>皆さんが何を大切にしておられるのか、その一端でも感じ取りたいというのが正直な思いです。
↓ここの一番下に、松原先生のお書きになつた文章が電子テキスト化されてゐますので、それをお讀みになればもつと理解も早まるかと思ひます。
http://members.jcom.home.ne.jp/w3c/text/
十六夜月さんのおっしゃるとおりですね。でもぎりぎりのところにいないからこそ、客観的に「せざるをえないこと」が分かるとも言えませんか。
私もあなたも恣意的です。
そうですね。人の掲示板でその方の思想を無視して一方的に意見を述べるというのは失礼なことです。加藤さんのお怒りは当然です。私は野嵜さんのお書きになっていることを「なぜこの方はこの様なお考えをお持ちなのだろう」「私はどんな風に考えているのだろう」と思いながら、この一ヶ月間拝読しておりました。(難しいことだらけですが)私の周りには言葉をこんなに真剣に考えている人はいないので、驚きの連続です。皆さんが何を大切にしておられるのか、その一端でも感じ取りたいというのが正直な思いです。
「みなさん」ではないでせう。丁寧に答へてゐる人もゐます。(たとへば「日本語のために」さん)
それはさておき、陽だまりさんは「言葉はわかりませんが」と書き出してゐます。酷い言ひ方です。分らなければ、分らないことを訊けばいい。親切に教へてもらへる筈です。でもさうしないのは、言葉に關心がないからでせう。ここは「言葉、言葉、言葉」なのに!
また野嵜さんは、福田恆存や松原正の思想を受繼がうと主張する人です。それに反對でもいいが、それを全く視野に入れることなく、どこかで吹き込まれたやうなことを一方的に書き込んでゐる。
要するに、陽だまりさんは相手の肝心なところを端から無視してゐる。どつちが先に相手を馬鹿にしてゐるのでせうか。
どうして、みなさんご自分の意見と違うことを冷笑するのでしょう。陽だまりさんに対するレスの態度はあんまりじゃないかと思って書き込みを始めました。わたしは確固とした思想はないのでみなさんに笑われるとは思いますが、いろんな方の考えを知りたいので、これからも書き込みは続けますのでよろしくお願いします。
下の「管理者メニュー」のぼたんを押せば、訂正なり削除なりを出來るのですが、なんかまつたりした氛圍氣なのでこのままにしておいていただいてOKです。
二重かきこしてしまいました。
> あと、「お気に障ったのなら」云々についてはうちの「インターネット紋切型辭典」を見ていただければと。
「インターネット紋切型辭典」は野嵜さんのサイトのどのあたりにあるのでしょうか。
見つけられないもので。すみません。
PC Tipsの中にありますと言ふか探して貰つてアクセス數を稼がうと云ふ魂膽があつたのにー。
と言ふか、しよつちゆう項目の入れ替へをするので、「気に障ったのなら謝ります」の項を先日削除したのを忘れてました。探して讀まないで良いです。すみません。
> あと、「お気に障ったのなら」云々についてはうちの「インターネット紋切型辭典」を見ていただければと。
「インターネット紋切型辭典」は野嵜さんのサイトのどのあたりにあるのでしょうか。
見つけられないもので。すみません。
戰爭は人が起すものだと何度言はせれば氣が濟みますか。戰爭が勝手に起きて、人が仕方のない状況に陷る事などないと思ひますが。
ぎりぎりのところにゐないから、客観的に何も分からない、と言へませんか?
十六夜月さんは、家族や知人・友人が恥かしめを受けても、坐して見過ごしますか。
自分のしたくない事が「客觀的に」分るといふ意味が解らない。
>それに、屈辱的なことをした蔑むべき相手に報復をすることで自分が満足するとも思いたくありません。
平和主義者は他人を蔑むのですか。さうですか。
あと、「お気に障ったのなら」云々についてはうちの「インターネット紋切型辭典」を見ていただければと。
自分のしたくない事が「客觀的に」分るといふ意味が解らない。
toka3aki@ダイエーホークス命さんのおっしゃるとおりですね。でもぎりぎりのところにいないからこそ、客観的に「したくないこと」が分かるとも言えませんか?
>自分がぎりぎりのところにいないのだから、戦争が起きたときの「仕方がない」状況のことを考えて戦争肯定はしたくはありません。
「自分がぎりぎりのところにいない」のを理由に、戦争が起きたときのさまざまな状況を考慮できないというのならば、戦争肯定も否定もできないはずですが。
戰爭を絶對惡と看做すくせに、フランス革命やロシア革命のやうな革命は賞賛する人もゐますね。
彼らに言はせると、權力者(社会主義政権を除く)の流す血は汚れてゐて、市民の流す血は清いのださうです。
自分がぎりぎりのところにいないのだから、戦争が起きたときの「仕方がない」状況のことを考えて戦争肯定はしたくはありません。
それに、屈辱的なことをした蔑むべき相手に報復をすることで自分が満足するとも思いたくありません。
また、「アニメキャラ云々」は私の素直な気持ちで嫌味で書いたのではありません。わたしは映画を観たりライブに行ったりするささやかな楽しみを奪われるのが嫌なので書いただけなのです。お気に障ったのなら誤ります。ごめんなさい。
> 「命に代へても守らなければならない何物か」ってなんなのでしょうか?
> 命がなければ、アニメキャラに萌えることもできないのでは?
十六夜月さんにとって、「萌え」は「命に代へても守らなければならない」物ではないのですか?
戰爭否定の「平和主義者」は、命さえ奪はなければ何をやつても許されると思つてゐる。
>「命に代へても守らなければならない何物か」ってなんなのでしょうか?
さあ? 十六夜月さんにはありませんか?
どれほど屈辱的な事をさせられても、命が助かるのなら十六夜月さんはそれで良いですか?
>「戦争起こってしまう」という絶望ではなく、「起こすのも、起こされるのも嫌なんだ」という率直な気持ちを持つことは、そんなに甘いことですか。
「戰爭を起されたくない」と思ふのは人それぞれですが、それで何處かの国が日本に對して戰爭を起さないやうになるものでせうか。
と言ふか、何處かの國が日本に對して攻込んできたら、抵抗しなければならないのではないですか。十六夜月さんは、何處かの國が日本に對して攻込んできたら、どうなさいますか。嫌だと言つても仕方のない状況になつてゐて、それでも嫌だ嫌だとおつしやいますか?
あと。
>命がなければ、アニメキャラに萌えることもできないのでは?
戰爭に反對する人はさう云ふ事を言ひますか? 平和主義者は自分の主義主張に同調しない人間に嫌みを言ふやうな人間なのですか?
と言ふか、この種の人を見下したやうな物の言ひ方をする人間がゐなくならないのと同樣、それに默つてゐられない人間はゐなくなりませんから、戰爭は絶對に無くなりませんし、無くすべきではありません。
或は、戰爭を禁じられた世界で、どんなに非道い事を言つても相手に仕返しされる事はないと知つたならば、人間はどれほど鄙劣に振舞ふ事でせう。
「命に代へても守らなければならない何物か」ってなんなのでしょうか?
「戦争起こってしまう」という絶望ではなく、「起こすのも、起こされるのも嫌なんだ」という率直な気持ちを持つことは、そんなに甘いことですか。
命がなければ、アニメキャラに萌えることもできないのでは?
戰爭が起きるとしたら、國民が率先して戰爭を起さうとするからでせう。そして、事實として、大東亞戰爭はさう云ふ形で起りました。
逆に、何處かの國に戰爭を起された時、巻込まれるとか卷込まれないとか言つても仕方がないのではないですか。
と言ふより、「戰爭が起きる」なる言ひ方がそもそも間違つてゐるのです。戰爭は起すものか起されるものです。戰爭は自然現象ではないのですから。戰爭は人間の營爲であり、どんな人間にとつても他人事ではありません。
何處かの國が日本に理不盡な事を要求した時、平和の爲にその理不盡を受容れるべきか、それとも理不盡は許せないから反抗して戰爭を起すか――慥かに、或程度までは理不盡も堪へ忍んで良いでせう。しかし、命に代へても守らなければならない何物かをも踏みにじられさうになつた時、人はそれを守らなければなりません。理不盡はいつまでも堪へ忍べるものではなく、堪へ忍ぶべきものでもありません。
ならば、戰爭は絶對的には否定出來ない。人は、絶對に讓れない何物かを持つてゐるのならば、戰爭を肯定しなければならない。
初めて書き込みします。十六夜月というものです。
野嵜さん、その他の戦争肯定派の方々は、ご自分やまわりの大切な方が戦争に巻き込まれることも肯定されるのでしょうか。
素朴な疑問ですがお答えいただけますでしょうか?
陽だまり君と同じことを言ふ人は、私が高校生のときにも周りによくゐました。どこか懷しい氣が致します。
しかし「人權を大切に」と言つた友はゐなかつた。ここは、いかにも當世風ですね。私は人權イデオロギーは大嫌ひですが、あなたがそれを本當に大切に思ふのなら、それを守るために戰ふことも必要になるでせう。それでも戰ふのがイヤと言ふのなら、何かを「大切に」などとは言はぬことです。
どうして戰爭が悪いのか。どうして戰ふことが悪いのか。私は、戰爭は人間を鍛えるいい機会だと考へてゐる。人を殺すのは悪いことだ、あたりまへの話です。戰地の兵士に同樣の道徳がないとでもいふのでせうか。じゃあなぜ自衞隊(軍隊)があるんだ。なぜ、面子をちつと重んじない我が國が軽蔑されるのか。
「明日の1500m走」toka「明後日の古文の中間テスト」tokaと同じレベルでしか、「戦争」なるものを把握できない模様。
「陽だまり」とは、云えて妙。戦争という対外紛争における解決手段の一つに対し、日本国憲法を名目に判断停止に逃避するあたり、まさに「陽だまりの樹」の如し。若くして朽ち果てるのを望むとは、もったいないことこの上なし。
言葉はわからないのに平和だの人權だのといつた概念はわかるらしい。
憲法が改正されて正当な表記でなくなつてしまふことは憂慮しますが、九条改正は指示します。実質的に自衛隊は既に軍隊です。実態に合せた法を作り、その義務と権利をきちんと規定することは国として必要な行為でせう。
それから、イラクへ行く自衛隊員のことを考へてください。危険な場所へ行き、治安維持にあたるといふのに、戦闘を制限された状態のままで派遣されることは、一人の日本国民として慚愧に耐えません。
それから、戦争を単純に否定することは意味がありません。確かに、恒久的な世界平和が実現し、世界が軍事にかけている力を貧困や飢餓や地球環境のために費やせば目覚しい成果が上がることは、誰もが判つてゐることです。いつか実現できたら素晴らしいとは思ひますが、それはユートピアです。ユートピアはどこにもありません。それに軍隊は外国と戦争するためだけに存在するのではありません。かなりの国では、それはむしろ自国民を抑へつけるために使はれてゐることを忘れてはなりません。
世界はまだ十分に成長してゐないのです。成長出来るかも判りません。
私達は今ある現実に合せて生きるしかないのです。
>また同じ過ちを犯そうとしています。戦争で人を殺し殺されることになりかねません。
>今とめることができるのは僕達若者を含めた国民です。
要するに、それが戰爭のタネです。さういふ考へを持つ事が戰爭への第一歩です。
ただ單に戰爭をしないやうにするのは簡單です。馬鹿になればよい。何を言はれても、何をされてもヘラヘラと笑つてゐればよい。正しいだとか間違ひだとかに拘はらなければよい。さうすれば戰爭は無くなります。
だが、さういふわけには行かないから、戰爭は無くならない。であれば、戰爭ごときで吹き飛んでしまふやうな柔な平和ではなく、何物にも搖らぐことのない平和を自分の内に確立すべきなのです。
思はず吹き出しました。
ありがたう。