毎晩遲くまで御疲れ樣です。
神保町と秋葉原は微妙に離れてゐるのですよねー云々。
曙橋は遠囘りなのです。昨晩はたまたま時間があつたから、いきつけの店によれたのです。
秋葉原なら毎日通ります。
曙橋なら毎日通りますが?
> 福田さんの『教育とは何か』
欲しいのですが、近日中は受け取りする暇がなささうです。今日もお仕事。
「訣」は私も「譯」を使つてゐました。これからは正さねば。
>自分に「さん」を附けるのは愚かしいと云ふ事。
申し訣ありません。
aさん、CF30さんにもお禮申上げます。
どうも有難うございます。
私の和語「ワカル」の解釈が正しかつたやうなので、少し満足。
懇切丁寧な説明。有難うございます。
納得がいきました。成程、「訣」が正しく、字形が似てゐるために誤つて「訳」となり、さらに正字にしたつもりの「譯」が広く用ゐられるやうになつたといふことですね。
小生、森鴎外(私も鴎の字を見るたびに不愉快な気分になります)の作品はあまり読んでをりません。勉強になりました。
「鸚鵡石」の話は、土屋道雄の「日本語よどこへ行く」で読んだ記憶があります。
「譯」と「訣」の件で、早速「お言葉ですが」(索引つきですこぶる便利)をひっくり返すと、第七巻「漢字語源の筋ちがい」のなかにありました。
タイトルは「訳がワケとはワケがわからぬ」(初版第一冊では145ページ)です。
以下、要点だけ書きます。
1. 「訳」は「やく」、つまりトランスレイトなのに、なぜ「わけ」と訓じるのか。
2. 三省堂『新明解国語辞典』では、〔「訣」に似ている所から流用された用字〕と説明してある。
3. 日本語の「わけ」は、ものごとをわけて(分析して)説くこと。「わかる」はその自動形。
4. 「わけ」にあてる漢字は、「分」、「判」、「別」、「理」などの諸例がある。訣別、永訣の「訣」もわかれの意であるから「わけ」の字にもちいられる。
5. どうも、「譯」の字は、手書書体の「訳」が「訣」と似ているために誤解(誤植?)されたり混用されたりして「わけ」として使われるようになったらしい。
6. 「新明解」の山田忠雄がこの混用に怒って文章を書いている(省略しますが、これ山田さんの癇癪ぶりがよく出ていて面白い)。
7. 森鴎外(いつ見ても「鴎」はイヤですね)が博文館に出した原稿では「わけ」とかな書きしていたものが、校正刷ではみな「譯」になって返ってきて大変立腹した。
8. 著者再校で、できる部分は「わけ」に戻し、かなにするのが煩わしいところはしょうがないので、「訣」となおしてかえした。
9. すると博文館はまた「譯」になおして返してきたので、結局出版自体を取りやめた。
高島さんの文章には、このいきさつを書いた森鴎外の小説「鸚鵡石」も引用されています。これも山田さんの文章と同様、ひたいの癇癪筋がみえるような怒りかたで大変面白い。
森鴎外は、「併し僕には翻譯の「譯」の字に、何故「わけ」という義があるか分からない。そこでこんな字はなる丈假名で書きたいのだ」と小説の中の登場人物に喋らせています。
結局、歴史的には「訣」が正しく、明治時代の成りゆきで「譯」が市民権を得たということのようですね。
もともと「訣」の字であるところを誤って「訳」と書いたことから
「訳」のほうが広まったというような話を読んだ気が。
高島俊男氏の本です。今見つからないので御存知の方お願いします。
森鴎外の著作(『ヰタ・セクスアリス』だつたかな)に、
慥か「訣」と書いて「わけ」と読ませる表記があつたと記憶してゐますが。
過去ログ、たくさん在りすぎて探すのが大変(失礼)。
確かに「ワケ」といふ和語は「ワケル」、「ワカレル」と関係があると思ひます。「分」の字は本来刀で二つに切り分けることを意味する字であるのに、「分る」といふ使ひ方をすることを考へると、國語(和語のこと)の「ワカル」といふ概念は、「物事を切り分けて分類整理すること」なのかも知れません。さうであるならば、「ワカレル」と訓む「訣」の字を「ワケ」と読ませることには、何らかの語源的な理由があるのかもしれません。
しかし、福田恆存や石川淳の著作や、大正時代の文語約聖書等正字正仮名の文献に、私は今までさういふ表記を見た記憶がありません。やはり、疑問は解けないのであります。(しつこいね私も。)
さうですか。
けふはもう遅いので、明日にでも見てみませう。
ありがたうございました。
國文の某さんが「訣」と書いてゐるので。この掲示板の過去ログを漁つていただければ、わかるかと。
野嵜さんは、「訣」の字を「訳」の代りに使つておいでのやうですが、私は疑問を感じます。「訣別」と用ゐるやうに、「訣」の字は普通「わかれる」と訓じ、「わかる」とは訓まないはずです。「わかれる」と「わかる」には、和語として通じるところがあるかも知れませんが、「訳」の正字は「譯」であつて、「訣」の字を「ワケ」と読ませるのには無理があるのではないでせうか。
それとも、漢字コードの関係で妙な字體が表示されてしまつてゐるのでせうか。
別に頭が柔軟でさへあればそれで良いと云ふ訣でもない事。
曖昧氏は言ふ。「現在の日本社会でもいまだにある旧社会の残滓ですね」、と。
「旧社会」とは何か。それでは現代社会に於て、何か「新しく」なつたのか?
某所ではデフォルトネーム「としあき」が廢止されて、名前すら表示されなくなつたが。
論理的に記述せよとは申し上げましたが、故なく他人を嘲笑せよとは申し上げなかつた筈。理由もなく他人を馬鹿にするのは、單なる馬鹿のすること。或は氣狂ひか。私は親に「信也」といふ名前を頂戴しましたが、さすがにこの非論理的な「論理」を信ずることは、とてもできませぬ。
ということは、今度のテーマは、「どう読んでも負け惜しみとしかとれない文章を書いて、反応をみる」なのか。
論ずるに値しない
「さっきのはわざと馬鹿のふりをしたのだ。だから俺は馬鹿ではない」
「必要もないのにわざわざ馬鹿のふりをすること自体が馬鹿なんだよ」
つまり、曖昧氏はこう言いたいわけですね。
「釣れた」と。
「名は体を表す」
この言葉を知らないという方は、ここにはいないだろう
曖昧模糊の曖昧をわざわざ名として採用した理由は?
反応を楽しむためにあのような駄文を長々と書いてみたわけだよ
人間観察ほど魅力を感じる研究対象はない
ここにいる方々は国語力はあるようだが、それだけかな
頭の柔軟さは皆無かな
曖昧な表現
白黒つけずに、灰色を尊重する
現在の日本社会でもいまだにある旧社会の残滓ですね
最後に、常にこの掲示板を観察しているほどの空き時間はない
反応は遅れても、すべきときにはするさ
反応できない=逃走 と捉えてもよろしいかね?
これはと違ふな 反応できない=興味が無い或いは譯が解らんやつに反応のしようも無いといふ脳の判断だけですね、逃走とは違ふ
あーさうですねなんか文章讀めてませんね私どうも失禮をば。
>と言ふか、「人間の条件」氏は「曖昧」氏本人ですね。
ハズレ。
俺は「曖昧」氏に対して挑発しているツモリだったが。
誤解を与えてしまったならば、スマソ。
と言ふか、「人間の条件」氏は「曖昧」氏本人ですね。
プロキシを通してゐるので判る。
求められる以前に、既に「換言」は存在してゐたのですよ?
>先日、これの換言を求めたんだが、応答がない。
曖昧氏への反論が相次いでいるのだが、応答が無い。
よーするに、曖昧氏への反論については、意思疎通を否定するのかね?
反応できない=逃走 と捉えてもよろしいかね?
だからといつて、威張つてゐるわけではありません。事実を述べてゐるだけです。
野嵜さんを支持してをられる方々の中でも、投票された方つていらつしやるのでせうか。
曖昧さんこそ、「人が求めていることを察知でき」ていないではないですか。
人は其の物を換言する事が出来ません、言葉と言ふのは換言する道具であって其の物では無いからです
「換言宜しく」では、曖昧氏の求めてゐることが判らない。
野嵜さんに一票。
と言ふか、「換言」ならば「特記事項」に書いてあるし。
よく、「…換言すれば、××である」といいますよね。
曖昧さんは「換言」を「言い換えること」ではなく、「解説すること」だと考えていらっしゃるのではないでしょうか。
そうすると、いまだ要求のわかりにくさの問題は残りますが、一応意味はとおるような。
と言ふか、
>「あと頭の惡い書込みは禁止。」
>
>この注意書きの換言宜しく。
「換言宜しく」つて言はれても、普通の人間には意味が解りませんよ?
曖昧氏が何を要求してゐるのか、あれでわかつたら、それこそ氣狂ひでせう。
>よーするに、今俺がしている書き込みをするなと言いたいのかね?
Oui.意味が判る文言を、わざわざ「換言」などする必要はないのではないかと。
>肝心の人が求めていることを察知できず、又は憶測すらできず、
憶測してはいけないのではないですか。
と言ふか、肝腎の「求めていること」を、はつきり書かないのは、如何なものかと。
何と「換言」すれば良いのか、それはなぜか、を書いていただければ、「書換」をしたのですけれども?
曖昧さん、文章の意味が分かりかねます。もつと論理的にお願ひします。
「正字」と「頭の惡い書込み」は別ですので、混ぜて考へるとをかしくなるのは道理かと。「正字」と「頭の惡い書込み」を両方満たすヒトもいますからね。なみえたんとか。
で、論理破綻したまま勝利宣言したところで、それは「頭の惡い書込み」以外のものにはならないかと思ひます。ご自身の滑稽なさまを宣伝したいのなら止めませんが、それは本意ではないかと愚考いたしますので、もつと論理的に反論願ひます。
>曖昧さん
表記において「実利」にウェイトを置くなら、曖昧さんや私のように新字新かなで良いと思います。ただこれには欠点もあります。実利ですから、そのときそのときで変わる。あるいは言葉を誰かが強制するというようなことも起きます。
これと、「頭の惡い書込みは禁止」とは違うと思います。表記を問わず頭の悪い書き方がある。応答がないというだけで大仰なことを書くのは、頭の良い書き方ではないと思いますが。
あと頭の惡い書込みは禁止。
先日、これの換言を求めたんだが、応答がない。
よーするに、今俺がしている書き込みをするなと言いたいのかね?
それとも、換言できないのかね?
反応できない=逃走 と捉えてもよろしいかね?
漢字を使った言い回しばかりに気を取られ、肝心の人が求めていることを察知できず、又は憶測すらできず、人からの乖離を起こし、凡人からの逸脱こそが非凡の始まりであると自論に自論を重ねる愚鈍な行為を平然とやってしまうのかね?
これすら気づけないで、漢字を学ぶ意味はなにかね?
君たちの自己満足を得させるためだけに存在しているimageではないよ。
漢字は意思疎通手段の一つにすぎない。されどこれこそが重要な点である。
意思疎通手段の一つという大前提を疎かにし、自己満足に浸る。
トートロジーの極みではないか。愚行の極みではないか。凡人からの逸脱ではなく、人道から逸脱ではないのか。
賢明な者ほど、自己回帰し、欠点を見つけ、それを克服しようと努力することができる。
この掲示板の常連の方々は、どのようなタイプかね?
漢字の海で溺れながらも、必死に海水を飲み、生きていこうするタイプ。
漢字の海で溺れそうになったら、海水を飲まず、その海から離れ、陸上で休息し、次こそは溺れまいと具えるタイプ。
さぁ、どちらが賢明か?
言えずと知れよう。
投稿者名が平仮名になつてゐた
こちらに公開しました。
http://www.geocities.jp/kokugo_shohousen/ronsou.html
エンターテインメントかエンタテインメントかとなると、迷いますねえ。
ところで義珍さん、私だってポエティストとかエンターテイメントなどという言葉は聞いたことがないと書いただけのことです。些事です、全くの些事です。
ですから、義珍さんの反応には納得しましたよ。でも大上段に構えられては、いやでも一応の反応をせざるを得ません。
英語をカタカナで正しく表現しようがないことなど当たり前のことです。自分では知識をひけらかそうなどという気持ちなど全くありません(周囲を見れば、そんなに尊大になれませんでしょうう。ひけらかすほどの知識など全くもちあわせてていません)。ただ、私としては、些事と承知しながらも気がかりなことを書いただけで、むしろ私の方こそ、それを「批判された!」と重大に捉えられて困惑してております。
私のいうことが信じられないかもしれませんが、些事であると認識しながらも感じたままを書き綴っただけのことです。本当です。アメリカ生活三年に言及しましたのも、滞米生活がさも重要であるかのごとく、あなたは生の英語に接することがなかったからではないか、との意見あってのことです。
海外生活をして勘違いをする人がいる云々とのことですが、すくなくとも私の周囲にはそんな人は一人もおりません。
みんな滞米中にいくつか英文原著を書いておりますが(幸い、いずれもアクセプトされておりますが)、それは英語の聴き取り能力とは無縁のことです。研究内容については、個々の努力と能力、そして高校卒業までの日本の英語教育によるところ大です。
私は思ったままを述べているだけで、何の衒いもありません。
>デバート
買ひ物に出張つて行くと云ふ意味かもしれません。
>ガンダム漫畫を描いてゐる人は、どうしてこんなに説明的で下手糞な科白しかキャラクタに喋らせられませんか。
画力がないから、でしょうか?
絵だけで表現できないから説明的になる。
あと、設定を垂れ流せばそれなりに「ガンダム」っぽくなり、情報ばかり求めるファンは満足するから……。
>うちの親ならテレフォンよりテレホンの方がしつくりくると云ひさうです。
家の母親は百貨店をデバートといひます
義珍様
私は自分の英語力が優れているなどと思ったことはありません。周囲を見ただけでも、かなわない人がいくらでもいます。
他人の意見も聞くに値すると思うことは聞くことにしています。そして、あなたが指摘なさったように、私は不幸にして優れた頭脳に恵まれずに生まれましたが、できるだけものごとを論理的に考えようとしているつもりです。
英語の聴き取り能力がどうでもいいこととは思いませんが(帰国子女を見ていると、私はともて羨ましく思います)、誰かが私のそれについて言及したから思ったことを書いたまでです。
自分の場合、人前でも「パソコン」と云はずに「コンピュータ」と云つてゐます。でもPC=コンピュータぢやないし何うしたものかと思ふ次第です。
「テレビ」は何うし樣も出來ずにその儘云つてますけど。
私個人の話。「テレビ」「パソコン」と云ふ言ひ方が嫌で、敢て「TV」「PC」と書くやうにしてゐますが、如何でせうか。
「PTA」と云ふ言葉は大嫌ひだつたりする。
「エンターテイメント」の場合、「ラジオ」と同じで、定着してしまつてゐるやうな氣が。
> 自分は生の英語に接しているから、英語が「ものになっている」という自負あって、他人に「生の英語に接していないのではないか」と批判したと思ったら、そうじゃないンですか。
素人さんは、常に英語力(変な言葉だけど)の高さにこだわっているので、自身の英語力について疑いを差し挟まれると、「批判された!」と、コトを重大に捉えてしまうようですが、批判する側からすると、そんなことはたまたまちょっと触れただけの瑣末事に過ぎないんですよ。
素人さんに対する批判は、英語の聞き取り能力などという、どうでもいいことについてではなくて、他人の発言を理解しようとする態度と論理的に思考する能力が根本的にかけているという重大な問題についてであることを、早く理解してください。
末尾は「そうじゃないんですか」です。まさにンが抜けておりました。
自分は生の英語に接しているから、英語が「ものになっている」という自負あって、他人に「生の英語に接していないのではないか」と批判したと思ったら、そうじゃないですか。
このタイトル、「も」は途中ではなく、最後においたほうがよかったでしょうか。
■ 素人さん
> アメリカの大学に3年あまりいました。
おおそうでしたか。いえね、「カタカナで極力原語に近い発音を目指すべきだ」とか、「"entertainment"のふたつの"n"は両方とも『ン』と書いたほうが原語の発音に忠実になる」とか、なんだかとても英語を知っている人とは思えない発言をなさっていたので、「日本で英語の勉強をしすぎてヘンになっちゃった人なのかな」と勝手に思っていたのですが、「アメリカに留学して、完全に勘違いして帰ってきちゃった人」だったんですね。
うちの会社にもいますよ。海外からなんか勘違いして帰ってきて、会話のなかにことさらに英単語をまぎれこませてみたり、「英単語の発音はこうだから、外来語の表記はこうあるべきだ」などと、日本語を英語に従属させようと努力していらっしゃる人が。あまり近づかないようにしていますが。
そういう人たちは、「英語は日本語を母語としない人たちとの意思疎通に使うものである」という簡単な原則をどっかに置きわすれちゃったみたいで、素人さん同様、もっぱら日本人に対して英語力を誇示するために英語を使っていらっしゃいます。わたしはそういうことには興味がありません。
> listening能力が欠けている証拠
いえ、「ことこそ…の証拠」なんて力まなくても、正直、わたしの英語はモノになっておりません。それをべつに隠しているわけではないのは、ご存じのとおりです。
> これは直ぐになれて聞き取れるようになるはずです。
でもあいにく、もうこれ以上英語の「お勉強」はする気になれません。わたしも海外の仕事の相手や友人と英語を使ってやりとりをしないわけではないのですが、英語力なんて、"entertainment"のふたつの"n"の発音が違うということがわかる程度で十分です。大事なのは(素人さんに完全に欠けている)コミュニケーション能力です。それに、もう一度書きますが、「自分では検索もしてみないくせに、相手の手間だけ大したことないようにいう癖は、そろそろおやめになったらいかがですか」。
> 使用頻度で言葉の問題を云々する姿勢には、多いに疑問を覚えます。
あの、最初に素人さんは、「エンターテイメントという言葉は耳慣れない」とおっしゃってたんですが。「耳慣れない」というのが「使用頻度で言葉の問題を云々する姿勢」でなくてなんなんでしょうか。どうぞご自身の姿勢に「多いに疑問を覚え」てください。
> 誰かの作品を自分で読んだ上での論評か、そうではなくてある作品に関する他人の受け売りなのか、という問題とエンターテインメントとエンターテイメントのいずれが一般人によって汎用されているかを調べたか否かという問題を、同じレヴェルで扱うという姿勢そのもの信じられません。
いやべつに信じなくても結構です。その姿勢があやまりならば、あやまりであることを論証してください。でも、わたしが二年前から主張しているのは、「より勉強していることが正しい」ということではありませんよ。今回「調べてもいないのか」と書いたのは、素人さんの行動がご自身の主張と矛盾していることをしめしただけです。要するに自縄自縛です。
わたしの主張をもう一度書いておきますよ。「大事なのはどのくらい『お勉強』したかではなく、主張が正しいか否かだ。正しいことをしめすために必要なのは、どのくらい読んでいるかとか、どのくらい勉強しているかを誇示することではなく、論証だ」です。
だから前回「ディーダラスさん」(素人さんの前のハンドル名)に対してお願いしたのは、「丸谷才一が論理的だというのならば、それを論証してください」ということでした。それこそ、「丸谷才一を自分で読んだ上の論評」が展開されることを期待していたのですが、そういうことはありませんでしたね。「ディーダラスさん」は消え、「素人さん」があらわれました。要するに、素人さん自身も「誰かの作品を自分で読んだ上での論評」なんてしてやしません。それは今回も同じです。自分で調べて考えた主張でなんかなかった。口先だけでだれかの受け売りをしただけだった。これも、素人さんの「自分ではなにもせずに他人にどうこういう姿勢」のあらわれです。一事が万事です。
> それでもなお、nの後に母音がこない場合でンに近い発音の場合には、1対1でnとンを対応させておいた方が、後に外国語と対比する際に役立つのではないかと私は思います。
最初の主張と違いますが、また宗旨がえですか? でも、発想が貧困だなあ。わたしにはもっといい考えがありますよ。文字数制限のためここには書けませんが。その気になったら別に投稿します。
えーっと、アメリカに3年いたと書きましたのは、アメリカのどこかの何とかという大学に1年ばかり行っていたという方が、私がいろいろな事をいうのは、生の英語に接していないからじゃないか、とおっしゃったので書いたまでの事です。
邦題「ザ・インターネット」といふ映画にしたり顔でツッコミを入れた人が
多数ゐたことを思ひ出しました。
あと、片仮名表記の際に複数形や三人称単数現在形等の語形変化を
わざわざ無視する例も多数見受けられます。
日本語に音写する際に、日本人が言葉のどの部分をより重要と考へがちであるかが
かうしたことから窺へると思ひます。
そして、それは特に是非について云々すべき性質の話とも思へません。
私個人は「エンタテインメント」と書きますが。
エンターで無いところが素敵です
所詮外來語の表記の話なので、何うでも良いと言へば良いのですが。
私個人は「エンタテインメント」と書きますが。
さう言へば昔、accessibilityを「アクセサビリティ」と書いた御仁がゐたやうなゐなかつたやうな。
>メールが和製英語となった今では、メールと書くほかないと思っています。(a)
>使用頻度で言葉の問題を云々する姿勢には、多いに疑問を覚えます。(b)
(a)と(b)とで仰る事が完全に矛盾してゐるやうに見えるのですが。みんなが使ふ「和製英語」になつた以上、原語の発音から遠い表記でも認めると云ふ姿勢は、「使用頻度で言葉の問題を云々する姿勢」とイコールだと思はれるのですが。他人を批判する資格は無いやうに思はれるのですが。大いに疑問を覚えます。
>アメリカの大学に3年あまりいました。
原語の発音に近い表記の方が望ましいと仰るなら、米利堅かメリケンと書くべきでせうね。私はどちらでも良いと思ひます。所詮好みの問題でせう。うちの親ならテレフォンよりテレホンの方がしつくりくると云ひさうです。
現在のこの論爭で、「言葉は聞こえた通りに書くべきである」と云ふ表音主義者の主張の誤りが明らかになつた事だけは確かですね。
誰かの作品を自分で読んだ上での論評か、そうではなくてある作品に関する他人の受け売りなのか、という問題とエンターテインメントとエンターテイメントのいずれが一般人によって汎用されているかを調べたか否かという問題を、同じレヴェルで扱うという姿勢そのもの信じられません。
今や、メールと書けばわかってもメイルといっては分らない人が多いでしょうが、これだってメインをメーンというのと同様に、私としては気にいりません。ただ、英語の発音に近づけるという立場にたてば、メイルではなくてメイユと書くのが妥当でしょう。でも私は、メイユと書くべきだとは思いません。出来ればメイルの方がいいとは思いますが、メールが和製英語となった今では、メールと書くほかないと思っています。
それでもなお、nの後に母音がこない場合でンに近い発音の場合には、1対1でnとンを対応させておいた方が、後に外国語と対比する際に役立つのではないかと私は思います。
言わば幼い頃から意味も分らない頃から漢籍の素読を学ばされ、後にその意味を読みとるのに近い効果があると思います。この時代に、使用頻度で言葉の問題を云々する姿勢には、多いに疑問を覚えます。
「あと頭の惡い書込みは禁止。」
この注意書きの換言宜しく。
死郎様
私もテレホン、メーンは大いに気になります。
その他、山のようなご意見を頂きました。全部は反応しきれませんので、一部だけ。
私はAkimboさんが留学なさったという大学ではありませんが、アメリカの大学に3年あまりいました。でもまあ、そんなこととは関係なく、nとンが互換性があるなどとは努々おもっておりません。
英語でentertainmentという発音を聞いて、nの発音が聞き取れないことこそlistening能力が欠けている証拠だと私は思います。これは直ぐになれて聞き取れるようになるはずです。
日本人にとって聴き取り難いのはlです(他にもありますが)。Goltzなどという姓のlを聴き取るのは非常に難しく、ゴーツってどんな綴りだろうと思うことは多いと思います。でも上述したnを聴き取ることは実に簡単です。
日本ではカタカナ語の場合、原語と異る意味で平氣で使はれるんですよねー。
> 1.nの後にmがあってもこの場合、英語では厳然としてnの発音が残ります。カタカナにした場合の論旨は分りますが、私はンを書いた方がいいと思います。
そういうご主張でしたら、賛成とは申さないまでも了解です。
ただ、『エンターテイメント』については既にかなり慣用的に使われているので、今さら
『原語に即した表記を』ってのもどうかなあ……というのが実感で。個人的にはどっちも許
容範囲ですね。
そんなものより、むしろNTTが使う『テレホン』とか新聞で使われる『メーン』なんて
表記のほうが気になります。『テレフォン』『メイン』だよなあ、と……駅の『ホーム』な
どは何故か気にならないんですが。
(つづき)
素人さんは、「nをンに置き換えればいいことですから」と書いていらっしゃいますが、"n"は「ン」と違います。日本語の「ン」は、しりとりのNGワードとなっていることもわかるように、「止める」働きの強い音です。子音の前の"n"を単純に「ン」に置きかえれば発音に近くなるというのは盲信です。
最近では、Webの辞書に発音を確かめる便利なものがついていたりします。これで検索してみます。
> entertainment: http://dictionary.goo.ne.jp/voice/e/00030430.wav
「ン」、聞こえましたか? わたしには聞こえません。注意して聞くと、かすかな"n"音を感じるだけです。かすかな"n"音は「ン」ではありませんよね。そして、聞いてみればわかりますが、英単語の発音はリズムも大事です。"entertaiンment"よりも"entertaiment"のほうがリズムをよくつかんでいます。わたしは、「ン」を入れると単語のスピリットが失われ、より和製英語っぽくなるような感じがして抵抗をおぼえます。
つまり、「エンターテイメント」という表記のほうが「可能な限り発音に近い」表現です。それが、この表現のほうが優勢な理由です。これもね、ちょっと調べてみて、自分で考えればわかることなんですけど。
ちなみに、素人さんが例にあげていらっしゃった、"entertainer"は、
> entertainer: http://dictionary.goo.ne.jp/voice/e/02031047.wav
です。エンターテイアーとは聞こえません。「エンターテイナー」です。これらふたつの"n"を抜いて比較するのはばかげたことです。
「それでも"n"は厳然と存在する」とおっしゃいますか。あるにはあるんでしょうね。しかし、それは残念ながら「厳然と」ではありません。"entertainment"の"n"は、"entertain"の"n"ではない。つまり、「ン」ではありません。子音の前に"n"音がくるときには「ン」を入れる、というのは、つづりに引きずられた思いこみです。少なくとも「可能な限り発音に近い」表現ではありません。そして、ここにあげたURLは辞書の発音なので、実生活では、もっと"n"音がいい加減になるでしょうね。
では、「ン」と表記するのが適切な例をあげておきますよ。比較できるように、"inm"と連続したものをえらびました。
> inmate: http://dictionary.goo.ne.jp/voice/i/01020831.wav
こっちは「ン」が聞こえますね。この言葉が外来語として入ってきたら、「インメイト」という表記になるでしょう。この"n"の発音と"entertainment"の"n"の発音には明らかな違いがあります。それはわかりますよね。その違いをキチンとあらわした表記が「エンターテイメント」だということです。これらをいっしょくたにして、一律"n"を「ン」にするのは、「発音を無視した表記」だと思いますが、いかがでしょうか。
しかしこれからは英単語のつづりを知る人がふえるでしょうから、"n"を「ン」に単純に置きかえて「エンターテインメント」と表記する人が増えるでしょうね。それは時代の流れでそうなっているだけで、決して英語の発音能力が向上しているわけではありません。
というわけで、本当に「可能な限り発音に近い」表記をえらびたければ、「エンターテイメント」をお使いください。どうぞ遠慮なく。検索結果がしめすように、わたしの専売特許ではありませんから。もちろん、「発音なんてどうでもいい。つづりにしたがって、どうしても『ン』をいれるのだ」とがんばるのもご勝手に。どちらをお使いになってもわたしは気にしません。
そんなことについて論じたてるのは、くだらないからです。
「エンターテイメント」だろうが「エンターテインメント」だろうが、指ししめすものは"entertainment"であり、それが一番重要なんですから。
要するに、最初に書いたように、興味がありません。おわかりいただけましたかねえ。
ただ、人に「耳慣れない言葉だからおれの耳慣れた表現にせよ」などというのはカンベンしてください。いうんだったら、ちったぁ調べてからにしてください。
ああくだらない。
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ところで、今まで主張なさってきたことや、お書きになる英文の「和臭」から判断すると、素人さんは、あまり生の英語に接する機会がなかったのではありませんか? 辞書に書いてある"n"と現実に発音される"n"はずいぶん違うようですよ。それがWebでちょっと検索するだけでわかる。いい世の中になったと思いませんか?
興味ないんだけどなあ…。
■ 素人さん
まず、2002年の12月23日に素人さんがお書きになった文章です。
> 尚、納得力だとか、分けるは分る、については私は到底使う気になれない言葉や表現です。しかし、これとてThere is no accounting for tastes. It's your business,but not mine.ということですから、あなたに使うな、などという気もありませんし、それは好ましくないから改めよ、などと説得する気もありません。
これを読んで、「ああ、もう素人さんとのやりとりはしなくてすむんだ」と安心していたのですが、宗旨がえでもしましたか?
自分が言ったことには責任をもってください。お願いします。
□ 「耳慣れない言葉」はまず調べましょう。
「自分に耳慣れないのならばそれは誤りである」という思いこみが大変不思議です。わからない表現にでくわしたら、「それは耳慣れない。××ではないですか」などと人にせまる前に、まず自分で調べてみるのが普通の人の態度です。ましてや、「素人」などというハンドルを使っているのだったら、もっと謙虚さをもってはどうでしょう?
かわりにわたしがちょいと調べてみました。なぁに、大した手間ではありませんが、素人さんのためにやっていると思うと腹がたちます。
【Googleでの検索結果】
> エンターテイメント の検索結果のうち 日本語のページ 約 1,260,000 件中 1 - 10 件目 (0.19 秒)
> エンターテインメント の検索結果のうち 日本語のページ 約 962,000 件中 1 - 10 件目 (0.82 秒)
ほぼ伯仲しているようですね。多分以下にのべる理由により「エンターテインメント」が増えてくると思いますが、今はまだ「エンターテイメント」が多数派のようです。
これだけの検索数があるポピュラーな言葉について「耳慣れない」とおっしゃる素人さんは、"entertainment"という単語に由来する外来語についてよくご存じないのでしょう。無知を力に威張りちらすのはどうでしょうか。あげく、自分では検索もしてみないくせに「nをンに置き換えればいいことですから」などと、相手の手間だけ大したことないようにいう癖は、そろそろおやめになったらいかがですか。
ついでに広辞苑でも調べてみました。
【広辞苑での検索結果】
> エンターテイメント【entertainment】
> (エンターテインメントとも) 演芸。
見出し語になっています。広辞苑、調べてないんですね。あれほど他人には「××は読んだのか?」、「××を調べずに○○するとは」と凄んでいた人とは思えない怠惰さです。大辞林では逆に「エンターテインメント」が見出し語になっており、(エンターテイメントとも)と注が入っています。大辞林はWebでも検索できるんですけどね。それも調べてないんでしょうね。
□ 「可能な限り発音に近い方がいい」に準ずるとどうなるか。
これ、本当に興味ないんですけど、興味のない理由を説明しないと理解してもらえないのかなと思い、書きます。
上記検索結果をみてすこし考えればわかることですが、「エンターテイメント」が検索数で優位なのには理由があります。それは、「エンターテイメント」のほうが発音により近いからです。
(つづく)
英語については、拙文「表音主義への論駁」より引用しませう。
カナモジカイホームページ掲載「「漢字」は「Chinese character」である(キクチ カズヤ 「カナノヒカリ」1998年2、6、10、12月号)」への反論の件(くだり)です。
世界の言語のうちで、外国文化の影響を受けてゐないものが何処に存在するのだらうか。寡聞にして私はそれを知らない。例へば、日本人になじみの深い英国の文化、英語であるが、初めに歴史に登場した時、彼の地にはガリア人(ケルト人)が住んでゐた。ローマ人はガリアの地の政情安定のためにブリタンニアを属州化した。現在英語がラテン文字を使用してゐるのは、ローマ文明の直接的影響によるものである。ところで、ローマ文明がアルファベットを採用したのはギリシア文明の影響であるが、ギリシア文明とてこれを独自に考案した訳ではない。ロムルス・アウグストゥルスが退位して西ローマ帝国の滅びた後、ブリタンニアはアングラ族をはじめとするバイキング達の侵略を受けた。アングラ族が住みついた地を後にイングランド(アングラ族の地)と呼ぶ。彼らはゲルマン人の一部族であつた。その後、英国はノルマンディー公ギョーム即ち征服王ウイリアムの領土となつた。ノルマンディー公はノルマン人(の末裔)でこれは元来ゲルマン人の一派であつたが、英国を攻めた時点では既に完全にフランス化してゐたやうで、ノルマンディー公はフランス王の臣下であつた。さて、英語はどれだけの外来文化の影響を受けてゐるのだらうか。
英語といふのは言語としては日本語とかドイツ語に比べて新しい物ですし、國自體も1000年前には存在しません
hierarchy (英)「"ヒエラルキー"/(ハイラーキー)」
Hierarchie (獨)「ヒエラルヒー」
repertory (英)「レパートリー」 (1)レパートリー上演 (2)=repertoire (3)(知識などの)宝庫、蓄へ。
repertoire (佛)「(レペルトワール)」 レパートリー、(得意の)上演目録、演奏曲目。
> というのは、恐らく本来フランス語であることを知らなくて、repertoirは本来英語であってレパートリーと発音するのだと勘違いしていたと思われます。
自分は「レパートリーも、"repertoire"ではなく"repertory"の音写だと思いますが」と書いています。"repertoire"を「レパートリーと発音するのだと勘違い」などしていません。(そうだとしたら、"repertory"という別の単語を持ち出す必要がありません)
また、「日本語のレパートリーの語源は、"repertoire"ではなく"repertory"ではないか」という話には、"repertoire"の語源が仏語であることはまったく関係ありません。
素人さん、他人の投稿に対して意見を述べるのなら、相手の文章をよく読んでからにしてください。そして、自分の意見が話の本筋と関係あるか、筋道正しいものか、よく考えてください。人の文章をろくに読まずに、関係ありそうな話題を短絡的に自分の知識に結びつけるのは、不誠実だし不愉快です。
英語を勉強されるより、まず日本語でしっかり考える習慣を身につけることをお勧めします。
嫌味を言われますって、あなたが書いたのではありませんか。
原語の発音に近い表記云々の論点からはずれてますよね、というのは、恐らく本来フランス語であることを知らなくて、repertoirは本来英語であってレパートリーと発音するのだと勘違いしていたと思われます。だから、イギリスがフランスに統治されていた時代のことを書いて説明しただけのことです。
> 2.これはご本人も認めていらっしゃるように、日本語のレパートリーに近い概念はrepertoryではなくてrepertoireです。
その後「原語の発音に近い表記云々という論点からはずれてますよね」と書いていることにも気づいてください。そういう指摘を無視して「ご承知のようにイギリスはフランスに統治されていた当時……」などと頓珍漢なことを書くから、「博学ぶりを披露されるのは結構なんですが……」と嫌味を言われます。
というか、自分もあまり賢くないので、素人さんとはちょうどレベルが釣り合って楽しくやりとりできますが、他の方に御迷惑でしょうから、もう投稿しない方がよろしいのではありませんか。
この掲示板は「頭の惡い書込みは禁止」だそうなので。
1.nの後にmがあってもこの場合、英語では厳然としてnの発音が残ります。カタカナにした場合の論旨は分りますが、私はンを書いた方がいいと思います。
2.これはご本人も認めていらっしゃるように、日本語のレパートリーに近い概念はrepertoryではなくてrepertoireです。
3.えーっと、あの反応を見て、やっぱりなあ、と思ったのは送信した後のことです。別に博学という程のことじゃなくて、気になったから書いただけのことです。そして、私なりに考えて書きました。
> 特にこの場合、nをンに置き換えればいいことですから、わざわざ抜くことはないのでは。エンタテイナ-をエンタテイアーという人がいないように。
この例も例としてどうかなあと思います。
entertainment の場合は n の次に m が来ているから消えちゃうわけでしょう。日本語
の『ン』は n、m、ng、gn(n~) という様々な鼻音を表します。それがエンターテイメントの
後続する『メ』の中に埋没しているわけで、ただ意味もなく消滅している訳ではないことは
『余り』が『あんまり』になったり、『案内』が古くは『あない』だったり等という例を見
ても明白なのではないでしょうか。
> そう言う反応が返ってくるだろうと思っておりました。
じゃあ最初から適切な例を出すべきでしょう。
> そしてこの言葉はフランス語でも英語でも発音に近いカタカナで表記するなら、レパトゥワーということになります。
いや、だから、"repertoire"の発音はレパトゥワーなのは承知していますが、レパートリーは"repertory"なんだから、そのことは無関係ですよね。
素人さん、博学ぶりを披露されるのは結構なんですが、もう少し考えてから文章書いてくださいよ。
テレビ、ラジオは最う、定着しましたねー、
なぜか「ラジヲ」「ラヂヲ」なる奇怪な表記を使ふ人がゐますが。
そう言う反応が返ってくるだろうと思っておりました。でもヒエラルキーはドイツ語ではなくて本来はラテン語です。ラテン語の正しい発音は今では知りようがありませんが、この言葉は英語でもドイツ語でも使われております。英語の発音をカタカナで書くとハイアラーキーということになります。
一方のrepertoireはフランス語です。ご承知のようにイギリスはフランスに統治されていた当時、貴族や官僚はフランス語を使っていましたから、かなりの数のフランス語が英語の中に入りこんでおります。そしてこの言葉はフランス語でも英語でも発音に近いカタカナで表記するなら、レパトゥワーということになります。
cholinesteraseという酵素がありますが、これは英語、ドイツ語読みをそれぞれカタカナで書くと、コリンエステレイス、ヒョリンエステラーゼということになります。でもいずれも日本語にすると馴染まないので、チャンポンにしてコリンエステラーゼと記載されることが多いようです。
この例ならよろしいでしょうか?
こちらの言っていることはご理解いただけたようですが、挙げている例が不適切なのでツッコミ。
> 可能な限り発音に近い方がいいとは書きましたけれど、むろん私だって、レパトゥワー、ハイアラーキーなどと書くことはなく、レパートリー、ヒエラルキーと書きます。
そもそもヒエラルキーは、英語ではなく独語からの音写でしょうから、「ハイアラーキー」の方が原語の発音に近いとは言えないでしょう。それとも素人さんは英語原理主義者(?)ですか。
あと、レパートリーも、"repertoire"ではなく"repertory"の音写だと思いますが。
もしかしたら"repertoire"の方が、日本語のレパートリーの意味合いに近いのかもしれないけれど、原語の発音に近い表記云々という論点からはずれてますよね。
ぐぐると「エンターテインメント」よりも「エンターテイメント」の方が多い羂。
おっしゃることは分りました。
可能な限り発音に近い方がいいとは書きましたけれど、むろん私だって、レパトゥワー、ハイアラーキーなどと書くことはなく、レパートリー、ヒエラルキーと書きます。
発音しづらい、あるいは語呂が悪い外来語が、転訛して平板な発音になるのはよくあることです。そういう外来語は、もはや日本語の一種(和製英語のようなもの?)と捉えてよいのではないかと思います。
「そもそも日本語で言い換え可能な場合は、安易に外来語を使うべきではない」という主張なら、わからないでもないのですが……。(この場合は、「『読み物』として楽しめるように書く」という感じですかね?)
「サマーワ/サマワ」とか。
些事ばかりつつくので、お気に障ったらご容赦を。
所詮、英語をカタカナであらわすことに無理があるのは分りますが、可能な限り発音に近い方がいいと私は思います。
特にこの場合、nをンに置き換えればいいことですから、わざわざ抜くことはないのでは。エンタテイナ-をエンタテイアーという人がいないように。
なんだかおもしろヘンなことを書いている人がいるなあ、とスルーしようとおもったのですが、最近「エンターテイメント」という単語を使ったのは私だけのようなのでひとこと。
英単語の発音をカタカナで正しく表記しようというナンセンスには興味がありません。あしからず。
何でも萌やせば良いと云ふものでもないと思ひますがー。
義珍様
本当にお久しぶりです。
実はあの方のことなので、義珍さんが揶揄する意味で書かれたことではないかと思わぬでもありませんでした。失礼しました。いわゆる、poetasterということで、了解です。
> 勘辨して下さい。
> あの文體は眞似できん。
あー、野嵜さん御本人ではなく、某方面の萌え絵師のみなさんが視覚化したら面白いかなー、と思っただけですので。
> 例によって些事ですが、ポエティストとかエンターテイメントなど、あまり耳慣れぬ言葉がみられます。それぞれ、ポエット、エンターテインメントではないかと。
お久しぶりです。
「ポエティスト」というのは、なみえたん【誰】のマッドぶりを演出するためで、わざとです。というか、「マッド・ポエット」だとしっくり来ないから、というのが真相だったりしますが。
例によって些事ですが、ポエティストとかエンターテイメントなど、あまり耳慣れぬ言葉がみられます。それぞれ、ポエット、エンターテインメントではないかと。これも一応、言葉の問題ですので、、。