野崎先生ありがとうございます。
葬儀は無事すみました
昨日、葬儀の定型文例をサーチエンジで探してる最中に、ふとこちらを思い出し
もしかするとあるかも知れないと思い寄ってみました。定型文はありませんでしたが
サイト内にあった親鸞聖人のお言葉を拝借させていただきました。
親父はあいさつ文に直接引用はしませんでしたが、心にとどめ置く事で心の支えとし、
葬儀をおだやかな心持で行う事が出来ました。ありがとうございました
御悔み申し上げます。
葬祭の事に關しては當方、詳しくありませんので、特に申し上げませんでした。
おそらく、葬儀屋さんで、パンフレットなり何なりを用意して貰へたのではないかと。
突然ですみませんが先日、祖母が亡くなり親父が喪主を引き受けました、親父は口下手なのでうまく挨拶が出来ないと心配なのです。明日が葬儀です、葬儀の喪主の挨拶の定型分を教えてください。
祖母は91才、夕食後トイレに行こうとして血圧が下がり、病院に行ったらそのまま血圧が戻らず苦しむことなく亡くなってしまいました。
訂正しました。どうも有難うございます。
あゝうちだけではないのですねー政治性かな。毎度どうもです。
> WXGと俺辭書のコンビネーションで「政治性かな」とかの變な變換結果も出るので、困つたものです。
IMEやATOKでも「政治性かな」が一発目に来ます(というか、登録しないとそれ以外に変換しません)。
せいじ、せいかな、と区切れば、きちんと「正字」「正かな」と変換しますが。
24日最後の記事
「それこそ「機械的に統一」で流れがXHTMLに一方的に言つてしまふのは如何なものかと。」
は、「行つてしまふ」でせうか。
1分43秒とは早い/速いですね。
訂正しました。WXGと俺辭書のコンビネーションで「政治性かな」とかの變な變換結果も出るので、困つたものです。
「ねこまたぎ その二」の次の記事、9番目のdd要素の内容。
「そこで新たに「政治正假名」を知つた時」
正字の誤變換かと。
#「投稿者」欄他で入力値が保存されないの何でだらう……。
訂正しました。どうもです。
21日6件目、27番目のdd要素で「DDT四の厳密主義から言へば」と、「氏」を「四」と打つてゐます。
コピペ荒らしかとも思ったけれど、その割には内容が穏当(?)だし、検索してもそれらしいのは出てこないし……
誤爆?
アントニオ猪木さん。実は,この人中学まで横浜の中学にいたのですが,アントニオさんのお父様が,事業に失敗してしまい,ブラジルに居る,伯父をたよりにして,ブラジルにいたらしいのです。力道山が,ブラジルに来たとき,「お前,日本に来ないか」と言って,始めたらしいのです。
毎度どうもありがたうございます>「」樣。
http://members.jcom.home.ne.jp/pctips/Tondemo/000Dosurya.html
>topmarginなる屬性はIE獨自要素
属性の間違いですよね。
あー判つた。L氏は「コラムの意図」と野嵜の意圖が一致してゐると思つてゐる訣だ。
わざわざ私がコラムの一部の文章を引用してコメントを附してゐる事の意圖を、L氏は理解出來なかつたのだ。それは申し訣ない。良くわからんが誤解した方ではなく誤解させた方が何時いかなる場合にも惡いとL氏は考へてゐるらしいから取敢ず謝る。
>コラムの意図を判っていてレス付けているのなら、そういうことなんだろうな。
L氏はわざと野嵜の意圖と違ふ風にリンク先の文章を利用して野嵜を非難してゐる。
L氏こそ、他人の文章にコメントを附ける際には冷靜になるやうにしたら何うか。
と言ふか、L氏はリンク先の文章の事等全く信じないにもかかはらず、その文章を根據に野嵜を非難してゐる。こんなをかしな話はない。
端的に言へば、L氏は本質をわざと無視して話をしてゐる。だからこそ、L氏のコメントは「釣り」になるのであつて、非難の對象となるのである。某高橋氏にまで非難されてゐるし。
>リンク先をちゃんと読んでいれば、俺みたいなのに釣られる羽目にならんだろうし
>見当違いなレス付けることもない。
何を言つてゐるのだか。
と言ふか、リンク先をちやんと讀んでゐれば、LaughCatは改行ミスをしたり誤字脱字をやらかしたり、そもそも「釣り」なんて事をしたりはしないだらう。反省せよ。
>本質を見失うことが何よりも危険を招きやすい。
>まず冷静になって見解の相違や争点は何なのか明確にするのが大事だ。
>互いに指摘する部分が違えば議論は迷走し、枝葉末節の指摘だけで大げんかに発展することもある。
>どの点で対立しているのか、問題を両者で確認し合っておけば混乱を回避できる。>それには相手の文章をよく読むことが大事だ。
リンク先をちゃんと読んでいれば、俺みたいなのに釣られる羽目にならんだろうし
見当違いなレス付けることもない。
今後ともどうぞよろしく御願ひします。
今夜は頭が痛いので寢ます。
該当の掲示板には削除依頼を出しておきました。
今後も閲覧させて頂きます。それでは。
>これは本当に野嵜氏本人が書き込んだものですか。
私のものでありません。「義」によるものと判斷すべきでせう。
「西尾幹二(日録)感想掲示板」に「野嵜健秀」名義で「松原正先生東京講演會」の書き込みがあったのですが、これは本当に野嵜氏本人が書き込んだものですか。「義」ではなく御本人が投稿されたものならば、私の勘繰り過ぎですね。その時は申し訳ありません。
「野嵜健秀は掲示板荒しの尻尾を出したか?」で、h3がh2で閉じられているミスがあります。
ところで、こんなものを発見しました。「義」ですかね?
http://members.goo.ne.jp/home/noz-watcher/
もしかして、LaughCat氏は、「意圖してやつてゐる人」=野嵜と極附けたがつてゐますか?
何でさう云ふ風に讀んでしまふかなこの人は?
>コラムの意図を判っていてレス付けているのなら、そういうことなんだろうな。
文章を讀んで理解してゐてわざと「悪意ある記事送信」と書いてゐるのなら、さう云ふ事なのだらうな。
>不定期コラム Engineerを考える(8)
>「普段なら口に出す前にいいとどまるのにキーボードではつい手が滑ったり、ディスプレイに表示される文字はどこか現実味がなく、まだ推敲(すいこう)>が必要な文章でもつい「送信」や「投稿」ボタンを押してしまうなど、原因を作った側はさほど意図していないことが多い。」
>意圖してやつてゐる人も結構ゐると思ひますが?
コラムの意図を判っていてレス付けているのなら、そういうことなんだろうな。
< 野崎様 >
お元気ですか。松原先生の講演会も、もうすぐです。
ネット検索をしてゐると、偶然にも松原先生の文章を発見致しました。
「国民新聞」の平成15年」正月3日の記事のやうです。ネットの所在と
内容は、次の通りです。
「 http://www5f.biglobe.ne.jp/~kokumin-shinbun/H15/1501/150103think.html 」
(10)無知と夜郎自大ゆゑに負けた
早稲田大学名誉教授 松原 正
個人の履歴と同様、国家の履歴も胸を張つて誇れる事どもに充ちてゐる
訳ではない。我が半生には如何なる失敗も破廉恥も見出せないと断言し得
る人間は一人もゐないが、我が日本国の近代にも、思ひ出せば赤面せざる
を得ないやうな恥かしく情けない出来事を多々見出せる。
例へば、大東亜戦争末期、かういふ浅薄な唄が頻りに唄はれた。年輩の
読者はメロディーまで覚えてゐるに相違無い。思ひ出せば赤面するに相違
無い。
響け轟け癇癪玉よ/どうせ逸れ弾迷ひ弾/大和島根は揺がぬ島根
/針で漬さう鬼の面鬼の面
癇癪玉とは投下される焼夷弾や爆弾、鬼とは無論「鬼畜米英」だが、針
で潰せるどころか米軍機の爆撃によつて東京は焼野原になり、沖縄の日本
軍は全滅、ソ連軍が怒濤の如く満洲と南樺太へ雪崩込み、我国は史上初の
屈辱的な降伏を余儀無くされ、マッカーサーがコーン・パイプを咥ヘて
厚木に降立ち、極東軍事裁判が開かれ、東條英機以下の「戦犯」が処刑さ
れたのだが、さういふ苦い体験によつて我が日本民族は賢くなつたか。否
である。
日本民族は君子揃ひで、君子だから忽ち豹変して、中島健藏といふ浅薄
な知識人の科白を借りれば、「統制が自由と変り、軍国日本が文化国家に
化け」、「神国日本」だの「必勝不敗」だの「八紘一宇」だのといふ
「負けてみればどうしてこんな言葉が信じられのか」と、猫も杓子も怪し
むやうになつた。
「鬼畜」の筈のアメリカ兵が「進駐」して来て、孫がアメリカ兵から
チョコレートを貰つて、四国道後温泉の或る老婆はかう語つた、
「私はアメリカさん大好きぢや。あんな優しい国と、どうして日本は
戦争なんかしたもんでせうかなア」。
同じ頃、オーストリアのウィーンにも米軍が「進駐」してゐた。街角で
アメリカ兵が市民に国立歌劇場への道順を尋ねた。するとそのウィーン
市民は答へた、
「あんた方は夜来た時に道順を知つてゐたぢやないか。今は昼間だらう、
教へる必要は無い」。
ウィーン国立歌劇場は、戦時中、夜間、米軍による空爆を受けたのであ
る。
無知と夜郎自大ゆゑに我々は戦争に負けた。歴史は繰返すから、将来、
この国はもう一度敗戦の屈辱を味はふ事になる。無論、屈辱に先立つて
無知ゆゑの夜郎自大の時期があつて、その兆は既にあちこちに見受けられ
る。
例へば、アメリカ嫌ひの石原慎太郎は、米国製戦闘機なんぞ比較になら
ぬ程優秀な戦闘機を製造する技術が日本にあると常々主張してゐる。国産
機は主翼が立ち、旋回半経はF15のそれの3分の1だといふ。そんなも
の出来たら機体が毀れる前にパイロットが即死するさ、とて航空自衛隊の
パイロットは石原の無知を嗤つてゐる。
湾岸戦争時、「目には目を」のイスラエルがスカッドをぶちこんだイラ
クになぜ報復しなかつたか。イスラエル空軍もアメリカ製のF15を持つ
てゐる。けれども、それは米空軍のF15と同じではない。詰り米軍が
友邦国の軍隊にも決して渡さない部品があつて、それ無しには、イスラエ
ル空軍も日本空軍も米空軍には決して勝てない。
先日、或る一等陸尉が
「我国は永久に専守防衛であるべきだ」
と私に云つた。
身の程を知るべきだといふ意味かと思つたが、さうではなかつた。過去
の過ちを繰返してはならないと、土井の婆様と同様、本気で信じてゐるの
であつた。
昔、駐屯地内を巡邏する自衛隊の警備隊は、実弾こそ入つてゐないもの
の武器を携行してゐた。が、やがてそれが警棒になつた。さうなると若い
隊員はそれが軍隊の常態だと思ふやうになる。
一方、沖縄の米軍は点滴を打つ訓練までやつてゐる。第一混成団長で
退官した花岡正明から聞いた話だが、米軍の夜間訓練を見学した時、花岡
の部下が点滴を打つてゐる場面を撮影しようとフラュシュを焚いたら、
米兵は激怒したといふ。フラッシュなんぞ焚いたら敵に存在を知られてし
まふからである。
自衛隊と米軍とはこれ程違ふ。反米の知識人は軍事に限らぬ彼我のさう
いふ径庭を、充分承知して物を云つてゐるか。否である。それゆゑ歴史は
繰返すのである。 //
> 『電脳』はSF飜譯家の黒丸尚に據る造語と云ふ説も。
黒丸氏はギブスンの作品中の"cybernetic"の訳語に、当時既に中国でコンピュータの訳語
として使われていた『電脳』を宛て、"cyber-space"との造語を『電脳空間』としたのだと
記憶しています。仰る通り、国内にはその辺り(『ニューロマンサー』に始まる三部作)か
ら広まったのだろうとは思いますが。
> 日本人は「汽車」ではなく「自動車」を使ふものですし云々。
なるほど『便紙』ではなく『手紙』と。諒解。
>一方のヤマトでは、古代も島もユキも、地球を守ると云ふ使命感に基いて率先して戰ふ連中である。
>宇宙から侵掠者が來れば、ヤマトのクルーが集まつて、飛び立つて行く、と云ふパターンは、割と納得し易い。
『ヤマト』だと「地球を守る」という使命は目的なので、「目的遂行の過程で命を落とす」という展開も最終的に目的が達せられるのであればアリということになるでしょう。
『ハーロック』となると「地球を守る」という行為は手段にすぎない。ハーロック達が口にする「誇りのため」という言葉が目的であり、「地球を守る」あるいは「戦って勝つ」という行為は「誇りと尊厳を保つ」方法の一つでしかない。
>>カタカナ語の日本語への置き換えで、コンピュータは電脳
>やはり、略さず「電子頭脳」と言うべきだな
サムライチャンプルー放映中。
>『電脳』『電網』は日本での造語というより中国語から移入されたものですよね。
『電脳』はSF飜譯家の黒丸尚に據る造語と云ふ説も。
日本人は「汽車」ではなく「自動車」を使ふものですし云々。
いつもROMで時々書込みます。新仮名遣いなのはご容赦を。
> で、コンピュータを「電腦」、インターネットを「電網」、電子メールを「電信」と呼ぶのは、一般的ではない用法であります。しかも、かなり怪しい言ひ方にしか見えません。
『電信』はともかく、『電脳』『電網』は日本での造語というより中国語から移入されたものですよね。その点はどうお考えでしょうか。英語由来のカタカナ語は容認できても中国語はだめですか。
> ・コンピュータについては、電子計算機と云ふ譯語があります。そこで「電腦」とわざわざ言ふ理由が解らない。
ということは、やはり使われる文脈が問題なのかなあとも推察しますが。
假名遣の問題と、用語の問題とは全くレヴェルの異る問題である、と云ふ事が言へると思ひます。
日本語の語には、詞と辭の區別があつて、これについては大體時枝誠記氏の説に從ふのですが、用言の活用語尾も野嵜は辭に屬するものとします。そして、特に「辭」に屬する語乃至語の部分の假名遣に關しては歴史的假名遣でなければならない、と云ふのが、野嵜の表記の問題に關する中心的な主張です。
一方、「詞」においては、意味に基く區別があり、一般的な語・專門用語・ジャーゴン・内輪だけで通用する地口、といつた異る種類の語がある、と考へますが、これは語彙の問題です。時と場合と文脈とに據つて、語彙から状況に合つた語を適切に取捨選擇して用ゐる必要がある、と野嵜は考へます。そして、この選擇の際、一概に「片假名語を使ふのは駄目」「流行語を用ゐるのは駄目」とは極附けられません。
私が「逝ってよし」等の2ちゃんねる用語を、「河井」氏は恰も濫用してゐるかのやうに言つてゐました。しかし、實際には、そのやうな事はありません。その他の用語にしても、意圖的に使つてゐるのであつて、不用意に言つてゐることはありません。
叮嚀な日本語を使ふべきだと主張するならば、會話であつたとしても、何時如何なる場合にも敬語以外用ゐてはならない、等と云ふ主張は成立ちません。「河井」氏もそのやうな馬鹿な主張をする氣はないでせう。しかし「河井」氏は、書き言葉では原理主義的にならなければならない、と主張するのです。私はさう云ふ考へ方には反對です。論文と戲れ言とでは、自づから、文體は異る筈ですし、語彙も異る筈です。
そして、重要なのは、その邊のけぢめが「ある」と云ふ事を意識しておく事であると思ひます。逆に、何らかの原理に基いて機械的に一つの事に拘る、と云ふのは、その邊のけぢめを意識の外に追ひやる事であり、逆にそれこそをかしな事である、と私は思ひます。
新参者の無礼をお許し下さい。
野嵜氏は、日本語の「假名遣」には少々うるさいけれどそれ以外の部分については余り拘らない、ということですね。やはりその辺り、「よき日本語」という意味で徹底されていないように見え、河合氏のような方に反感を抱かれる一因にもなっているのだろうな、というのが新参者である私の感想です。個人的には興味深いサイトに出会えたことを喜んでおりますけれども。それではまた。
>これは「生きてゐない日本語のみ正すべき」ということになるのでしょうか?
「生きてゐる日本語のみ使ふ」「使ふ言葉で假名遣などの問題が出たら過去の日本語と日本語の原理とに照らして正すやうにする」と云ふ事です。何を「正す」かと言へば「假名遣を」です。
丁寧な返答ありがとうございます。
そこで私なりに野嵜氏の立場というものを考え、下のように整理してみたのですが。
※シニフィアンの文化的背景なき変化は許容できないが、シニフェの文化的背景なき変化ならば、ある程度は許容できる※
これでよろしいでしょうか? もし間違っていたらご指摘願います。
少し説明させていただくと、例えば「逝ってよし」などの言い回しは語法・文法的には何ら問題なき正しい日本語(多分)なのですが、ニュアンスと言われるものをも含めたその意味するところ、つまりシニフェに関しては、ウェブのジャーゴンとして定着する以前と以後では文化的背景なき変化をきたしているのではなかろうか? しかしこのようなシニフェの変化は許容されるのだなぁ、シニフィアンの変化は許容されないようだけれども、ということです。よって野嵜氏の立場で考えるならば、「超ムカツク」や「きもい」は許容できないが「とりあえず」「かも」等の連射ならばある程度は許容できる、ということになるように思います。
**********************************************
う〜ん、でもここまで書いて、野嵜氏の下のような発言が引っかかってくるわけです。
>「生きてゐる現代語を使ふ」と云ふのが大前提です。
>「過去の日本語の用例や、そこから抽象された日本語の原理に基いて、現代の言葉を正すべきだ」
これは「生きてゐない日本語のみ正すべき」ということになるのでしょうか? そして「電脳」は死んでいるが「逝ってよし」は生きている、ということになるのでしょうか? また「超ムカツク」や「きもい」の生死はどのように考えればよいのでしょうか? 語法・文法的に正しい=生きている、ということならば、これらの言葉が日常の中でどんなに生きていようとも、死んでいるとみなすべきなのでしょうか?
**********************************************
何か全体としてまとまりのない発言になってしまっているような気がします。申し訳ないです。
イデオロギーとナショナリズムは哲學・思想とか政治とかの用語ですし、ユーザとコミュニケーションもHTML・ウェブ・コンピュータ關係の用語として使つてゐるのですが。
ただ、「イデオロギー」については、保守について論ずる場合にしても革新について論ずる場合にしても、「良く解つてゐないのではないか」「自覺的に保守なり革新なりであるのか」と云ふ疑問を呈する時に用ゐてゐたかと。
「ナショナリズム」については、「國家主義・國粹主義」「民族主義」「愛國心」といつた區別をした上で明示的に言つてゐる筈で、漠然と「ナショナリズム」の話をした事は無かつた筈です。
>「ミシン」は最う手遲れで、私も從ひます
こういうところ、大好きです。いいなあ、正直で。
河合君が挙げているカタカナ語は、PCやウェブの関連用語ではなく、「イデオロギー、ユーザー、コミュニケーション、ナショナリズム」の4つですが、これらについてはどうでしょう。
よろしければ野嵜さんの御意見をお聞かせください。
で、カタカナ語を避けて漢字で書くとして、例へばパーソナルコンピュータを「個人用計算機」と書くとします。しかし、この時、讀者は全て、「個人用計算機」を見て、頭の中で「パーソナルコンピュータ」と云ふ文字列に置換へる作業をし、それで理解します。これではカタカナ語を使つたのと變りはありません。
さうなると、日本語の言ひ方として定まつたものがない、と、事實を認める外はありません。
そして、私の場合、「パーソナルコンピュータ」を「パソコン」と適當に略して言ふ言ひ方には大反對であり、一往原語に從つてPCと書く、と云ふ話になります。「テレビ」も私はTVと書いてゐます。
>ならば「ウェブ社会の特徴として」「サーヴィス、または受け狙いとして」前述の「直譯的な譯語」を使うことも意味が「あり」と言えるのではないでしょうか?
「電腦」「電網」「電信」の類の語を用ゐてゐるサイトは、「日本語を愛するならばカタカナ語は何でも漢字に直すべきだ」と云ふ「河井」氏と同じやうな發想をしてゐて、それで何でも機械的に漢字に直してゐるだけ、と云ふ事が多いやうに思はれます。そして、さう云ふサイトと云ふのが「擬古文サイト」「文語文サイト」である事が多いやうに思はれます。
「文語文サイト」にしても「擬古文サイト」にしても、「死んだ言葉」を使つてゐるサイトです。「河井」氏にしてもその手のサイトの人にしても、「美しい日本語」「良い日本語」は「死んだ日本語」である、と思つてゐる訣です。
私の場合、「生きてゐる現代語を使ふ」と云ふのが大前提です。
單に「過去の言葉を使へ」「今を昔に返せ」と云ふ主張はしてゐません。さうではなく、「過去の日本語の用例や、そこから抽象された日本語の原理に基いて、現代の言葉を正すべきだ」と主張してゐる訣です。
ですから、虹裏用語とか2ちゃんねる用語とかを交へるにしても、あにめやウェブの技術について話をするにしても、歴史的假名遣で書く事とは矛盾しない、と云ふ事になるのであります。
ちなみに「うぜえ」はCSSコミュニティ發祥の地・TMNの沢渡氏へのオマージュである、と云ふ誰も氣附く筈のない裏設定があつたりなかつたり。
とても面白そうなサイトですね。昨日発見したばかりなのですが、これから少しずつ読んでいこうと思っております。
ところで掲示板を覗いてみたところ、興味深い問題が争点になっているようです。そこで少し質問させて下さい。
>「電腦」「電網」の類は、文化的な背景を持たず、英語を漢字に置換へただけの、直譯的な譯語でしかありません。ならば、それらの新語に拘るのは、慥かに拘りであり、意味がない事だと私には思はれます。
ここで野嵜氏は「文化的な背景」を持たず「直譯的な譯語」でしかない「電腦」「電網」の類は「よき日本語」ではないから「それらの新語に拘るのは」「意味がない」と言っておられますが、その前の書き込みでは次のように述べておられます。
>「うざい」「逝ってよし」は、ウェブのジャーゴンであり、「正しいHTML」を主張する人々が「(謎)」の類を連發するのと同樣、或程度までは許されるのではないですか。特に「闇黒日記」では、ウェブ日記の特性として、或は、ネットジャンキーのやうな方々へのサーヴィスとして、流行り言葉を使つて見せる事は「あり」であると考へてゐます。
これはつまり「うざい」「逝ってよし」のような「ウェブのジャーゴン」は「ウェブ日記の特性として」「サーヴィスとして」使うことは意味が「あり」ということですよね。ならば「ウェブ社会の特徴として」「サーヴィス、または受け狙いとして」前述の「直譯的な譯語」を使うことも意味が「あり」と言えるのではないでしょうか? なぜなら野嵜氏の言われるような「文化的背景」に関しては両者に大差があるとは思われないからです。「直譯的な譯語」が「ウェブのジャーゴン」と比べて著しく「文化的背景」が欠如しているとは考えにくいですし。またこの「文化的背景」というものにも私は懐疑的なのですけれども、そのことはとりあえず置いておきます。
http://mypage.odn.ne.jp/www/h/d/hdkz41/bbs.html
「リングにかけろ」なんて読んでるリアル工房なんて、いねーだろ?
「河井武士」って人物は、アラシなんだよ。
http://www.google.es/search?hl=es&ie=UTF-8&q=%E6%B2%B3%E4%BA%95%E6%AD%A6%E5%A3%AB&btnG=B%C3%BAsqueda+en+Google&meta=
「高校生の僕からみてもひどい」
という言い方には、
「お前は(経験が乏しく未熟な)高校生以下である」
という決めつけだけでなく、
「高校生のいうことだから多少難があっても勘弁しろよ」
「高校生相手にいちいちムキになってんじゃねえよ」
といった甘えがあるように思えます。
というか、こういう掲示板では、発言者の「自己申告」の真偽を確認するすべがありませんし、そもそも高校生に限らず、学者だろうと総理大臣だろうとヤクザだろうと銀座のママだろうと無職だろうと、発言者の社会的立場がその発言の真偽や価値を左右することはありません(*)。だから、自分の立場について言及するのは無意味だと思います。
* ある発言に対して、その真偽や価値の判断が困難な場合、発言者の社会的立場や経歴、その他の言動などを材料に推量することまでは否定していません。
横から失礼。
「高校生の僕からみてもひどい」と言う語句を考えてみると面白い。
高校生という事実を持って知識や判断力の少なさを押し出して、
その自分から見ても非道い、とこのサイトを侮蔑したいわけではある。
だが、その売りである「知識や判断力の少なさ」をもって判断した「非道さ」が
果たしてどれだけの意味を持ちうるのか。
自らの立場を矮小化したことによって、結果的に自らの言説をも無意味にしている。
だから、そういう言い方はせぬ方が良いと思われるよ、河合氏。
なぜなら、論理的ですから。河井氏への反論も論理的です。本論から外れますが、私は成熟していない『電網』『電文』などという造語を勝手に使うことがあります。拘泥してはいませんが。
いや、揚げ足を取るなんてつもりはなくて、
私は「同じ内容を言っても人によって説得力が違う」と思っているので
考えを変えようかと思っていたときに、野崎さんの「資格はない」で混乱したわけです。
「サイトで物を言ふ資格なんて事を言ふのは、をかしいのではないですか」でどうなってるのかな、このまま野崎さんについていってもいいのかな、と思ったわけで。
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まだ野崎さんの言っていることがよくわかりませんが
%というより、一度でわかったためしがない(自爆)
おいおい理解していこうかと思います。
正かなも正漢字も使えませんが、お目汚しですた。
> 徳保氏には、他人に意見する資格が無い。
>サイトで物を言ふ資格なんて事を言ふのは、をかしいのではないですか。
あー。同じ「資格」と言つてゐるから、揚げ足を取られた訣ですね。
>尋ねるが、徳保氏はなぜ他人に意見をするのか。徳保氏の態度は、他人にいちやもんを附けてゐるだけでしかない。批判をしないのならば何を考へてゐても構はないし、何も考へないでゐても構はない。だが、批判するのならば、自分が一貫した考へ方を持つてゐなければならない。徳保氏には、他人に意見する資格が無い。
>それから、「得体の知れない」に關しては、御互ひ樣ではないですか。或は、「高校生には野嵜を罵倒する資格がある」と、河井さんはなぜ考へられるのですか。そもそも、ウェブで一々、サイトで物を言ふ資格なんて事を言ふのは、をかしいのではないですか。
前者は「批評の意圖・態度・動機」の側面から言ふ「資格」であり、後者は「社會的身分・門地」の側面から言ふ「資格」です。單に同じ語で表現されてゐるからと言つて、結び附けて考へるのは如何なものかと。
永川玲二『ことばの政治学』に出てゐますが、同じ「くに」と言つても、時と場合によつて意味が異ります。一往、文脈に沿つて用語については意味を把握していただければと。
河井さんは、インターネット、ウェブ、パーソナルコンピュータ、メール等を、網際、電網、個人電腦、電信等と書く方が「よき日本語」を使つてゐる事になる、と思つてゐるのですか。
私はその種の言葉を用ゐるのに反對してゐます。その種の新語をでつち上げて、恰も「よき日本語」を使つてゐるかのやうに見せかけて、自己滿足する事こそ、批判すべきである、と思つてゐます。
明治の頃に西周らが西歐の概念を採入れる際、漢語を用ゐて譯語を作りました。この事については、例へば田中美知太郎『哲學初歩』(岩波全書115)等に當つて下さい。西周のやうな人々は、漢學の素養がありました。西歐の概念を譯して漢字の熟語を作る際にも、漢學の教養を活かしました。だから、どの概念語も、ちやんと由來があります。「哲學」「論理學」「心理學」「倫理學」「美學」「現象」「客觀」「主觀」「先天」「後天」「觀念」「實在」「歸納」「演繹」「綜合」「分解」「分析」その他の語を西周は發明してゐます。
一方、「電腦」「電網」の類は、文化的な背景を持たず、英語を漢字に置換へただけの、直譯的な譯語でしかありません。ならば、それらの新語に拘るのは、慥かに拘りであり、意味がない事だと私には思はれます。
■「割と野崎さんは好き」さま
「サイトで物を言う資格」=「他人に意見する資格」
ではないでしょう。
> 徳保氏には、他人に意見する資格が無い。
>サイトで物を言ふ資格なんて事を言ふのは、をかしいのではないですか。
むむむ?
>あなたは日本語の口語文を旧仮名、旧漢字に直すことぐらいによって、よき日本語が保存されるとでも思っているのでしょうか?
>もし仮にあなたが本当に日本語を愛し、且つそれを堂々と述べることが出来るほどの能力も備わっているとすれば、
「よき日本語」「日本語を愛し」と河井氏は述べてゐますが、私は「現代仮名遣」よりは正假名の方が整つてゐると言つてゐるに過ぎません。漢字については妥協しても良い、と述べてをります。日本語に對する愛情と云ふ事は、「美しい日本語」の類についてもさうですが、特に述べてゐません。
また私は、「詞」と「辭」との違ひを強調し、特に「辭」即ち(主に)助詞と助動詞及び(野嵜の獨自の説ですが)用言の活用語尾における假名遣ひの保存を主張する一方、「詞」即ち(主に)體言と用言の語幹については拘らない、と云ふ態度をとつてゐます。後者から當然、カタカナ語の類を特に否定しない、と云ふ態度が出て來ます。また「うざい」「逝ってよし」は、ウェブのジャーゴンであり、「正しいHTML」を主張する人々が「(謎)」の類を連發するのと同樣、或程度までは許されるのではないですか。特に「闇黒日記」では、ウェブ日記の特性として、或は、ネットジャンキーのやうな方々へのサーヴィスとして、流行り言葉を使つて見せる事は「あり」であると考へてゐます。
それから、「得体の知れない」に關しては、御互ひ樣ではないですか。或は、「高校生には野嵜を罵倒する資格がある」と、河井さんはなぜ考へられるのですか。そもそも、ウェブで一々、サイトで物を言ふ資格なんて事を言ふのは、をかしいのではないですか。
野嵜のしてゐる批評のどこがどう間違つてゐる、と云ふ批判ならば受容れられます。しかし、「野嵜のやうな人間の屑に、物を言ふ資格なんて無いんだよギコハハハ」の類の單なる侮辱・誹謗中傷の類は受容れられません。そして此サイトで書いてゐる事は、根據の薄弱な好い加減な事ではない、と私は思つてゐます。もし河井さんが、「野嵜のサイトは非道いものである」と言ひたいのであれば、何處が何う間違つてゐるのか、具體的に指摘していただけませんか?
既に、「よき日本語」「日本語を愛する事」、及び、カタカナ語とジャーゴンの使用の件では、河井さんの指摘が不當である事を申し上げました。となると、河井さんが當方を非難する謂れは無くなつてしまつたのですが、それでまだ非難したいとするならば、河井さんは野嵜にまだまだ誤がある事を知つてゐる筈です。ならば、それを具體的に指摘していただけませんでせうか。もし、その指摘が正當のものならば、私も善處しますが?
正直にいって高校生の僕からみてもひどいサイトですね。野嵜さん、あなたは日本語の口語文を旧仮名、旧漢字に直すことぐらいによって、よき日本語が保存されるとでも思っているのでしょうか?もし仮にあなたが本当に日本語を愛し、且つそれを堂々と述べることが出来るほどの能力も備わっているとすれば、このサイトに跋扈しているカタカナ語(イデオロギー、ユーザー、コミュニケーション、ナショナリズムなど)を漢字に直し、「うざい」「逝ってよし」などの妙な日本語を使うのをやめるべきでは無いでしょうか。
僕はそもそもあなたのような得体の知れない人がつくった得体の知れないサイトが人を師表すること自体に反対です。まぁ、自己主張するのは勝手ですが(笑)
気をつけます。
反ドナトゥス派氏つて、かつて木村氏の掲示板を荒らし、最近では西尾幹二氏の掲示板にゐる例の函館の人だと思ひますが。
誰でも最初から、正しい表記法が身に付いてゐるわけではありません。
要は、御意見次第ではないかと思ひますよ。
どうも、正字正假名に肯定的な考へを御持のやうですし。
僕は正字正かながよくわかりません。
投稿を許されるのですか?