掲示板ログ(2005-07)
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29日三件目@闇黒日記
投稿者:
澤田亮太
投稿日: 7月31日(日)09時34分57秒 p220208154081.tcnet.ne.jp
「台湾」が略字の様です。
フランス語の数
投稿者:
浦島太郎
投稿日: 7月29日(金)22時25分0秒 YahooBB219170032022.bbtec.net
大分前にフランス語の数についての闇黒日誌を拝読しました。遅レスですが、確かに英語よりも大分とっつき難いですね。万、億、兆、という四桁刻みに馴れている私は桁が千、百万、という三桁刻みの方が英語やフランス語の難しさだと思っていましたので、石原都知事の仏語数字への批判は的外れだと感じました。が、お陰様でそうでもないのだ、と思い直しました。
「林健太郎様」というサインの入った清水幾太郎書籍が印象的でした。東京ではこういう古本もあるのだなあ、と面白く感じました。
(無題)
投稿者:
の
投稿日: 7月23日(土)10時59分30秒 61-24-239-144.rev.home.ne.jp
毎度どうも有難うございます。訂正しました。
>「岩波文化」の前に餘計な ":" があります。
これだけは意圖的に入れたものです。セパレータ。
(無題)
投稿者:
平頭通
投稿日: 7月23日(土)09時45分28秒 ntsitm140016.sitm.nt.ftth.ppp.infoweb.ne.jp
「岩波文化」の前に餘計な ":" があります。又、「國誤と國文學」は、國語の誤りなのでは……。
其れより、時枝博士の「國語假名づかひ改訂私案」は『國語問題と國語教育』に掲載されてゐるやうですが、私はまだ原文を読んだ事がありません。
(無題)
投稿者:
淀
投稿日: 7月23日(土)03時48分46秒 YahooBB219016168200.bbtec.net
『楡家のの人々』とありますが「の」が多いように思われます。
非礼をお詫びします。
(無題)
投稿者:
の
投稿日: 7月18日(月)21時26分29秒 61-24-239-144.rev.home.ne.jp
修正しました。何うも有難うございます。
また「義」ですよ皆さん。
(無題)
投稿者:
塗炭
投稿日: 7月18日(月)08時04分19秒 ntoska019052.oska.nt.isdn.ppp.infoweb.ne.jp
フランス語の基數詞の部分。閉じタグが誤っているようです。
(無題)
投稿者:
澤田亮太
投稿日: 7月17日(日)13時25分18秒 p220208158245.tcnet.ne.jp
平成十七年七月十五日4件目の引用
「言語は、各人が聲音を媒介として互に思想を通ずる一つの旗艦である。」
「機關」の誤變換の樣です。
(無題)
投稿者:
義珍
投稿日: 7月12日(火)00時33分54秒 ntchba172101.chba.nt.ftth.ppp.infoweb.ne.jp
義珍といふのは本名なんですけど、とか嘘吐いてみるテスト。
沖縄には義といふ姓が本当にあるさうですが。
(無題)
投稿者:
義珍
投稿日: 7月11日(月)00時02分17秒 ntchba047142.chba.nt.ftth.ppp.infoweb.ne.jp
御教示ありがたうございます。
愈々
投稿者:
平頭通
投稿日: 7月10日(日)21時11分58秒 ntsitm140016.sitm.nt.ftth.ppp.infoweb.ne.jp
電子文書では、「愈々」に同の字点を使ふやうですが、出版の印刷等を見てゐると、二の字点が使はれてゐるのも見掛けます。"JIS X 0208"には二の字点がありませんから、しやうがないのですけれども、一寸残念です。
(無題)
投稿者:
渡名喜
投稿日: 7月10日(日)20時56分20秒 R189075.ppp.dion.ne.jp
「ちよつと」でいいと思ひます。手元にある本をざつと見た限りでは「一寸」と書く人が多いやうですね。私は、そこで呼吸をおく時は「一寸」、「ちよつとした」「ちよつとやそつと」のやうに下に息がかかる場合には「ちよつと」と平假名で書く癖があります。念の爲、四十歳になる妻に「一寸」を讀めるかと尋ねたところ、私は讀めるが若い人には意味を取れても讀めない人が多いのではといふ返事でした。昭和十七年の文部省標準漢字の發表の際、代名詞・副詞・接續詞などを假名書きにしようといふ方針を立てたさうですね。其の、此の、此處、其處、先づ、寧ろ、殆ど、兎角、矢張、愈々、如き、併し、遂に、迄、程、可し、などを平假名にせよ、といふ仰せを末恐ろしく感じ、またその通りの世の中になつて來てゐるやうです。私は漱石の作品の内容を殆ど覺えてゐませんが「兎角」といふ言葉の置き方には惚れ惚れした記憶があります。
一寸
投稿者:
平頭通
投稿日: 7月10日(日)18時19分41秒 ntsitm140016.sitm.nt.ftth.ppp.infoweb.ne.jp
仮名で書くのなら「ちよつと」かな。でも、殆ど漢字で書くと思ひます。
ちよつと
投稿者:
coold
投稿日: 7月10日(日)14時12分6秒 i60-34-196-157.s02.a020.ap.plala.or.jp
「ゃ」「ゅ」「ょ」だとか「っ」だとかは大きく書く人と小さく書く人とがゐるやうですけれども。大きく書けば良いのではないかと私は思ひます。
大きな蕪の話
投稿者:
義珍
投稿日: 7月10日(日)01時01分8秒 ntchba172101.chba.nt.ftth.ppp.infoweb.ne.jp
なんとなく「××に100の質問」の類を思ひ出しました。後半、「質問の数増やすことだけが目的になつてねえか?」といふ感じがするところも含めて。
それとは関係ないのですが、かなづかひについての疑問をひとつ。「少し」といふ意味の「ちょっと」を正かなで書く場合、「ちよつと」でいいのでせうか。このサイト的には「『一寸』て書けばいいぢやねえか」といふことになるのかもしれませんが、どなたか教へていただければ幸ひです。
大きな蕪の話
投稿者:
浦島太郎
投稿日: 7月 9日(土)18時19分18秒 YahooBB219170032040.bbtec.net
七月九日の闇黒日記にある「大きな蕪」による教育話についてのコメント非常に面白く拝見しました。現在の教育が「その場で完璧に分かるように」に流れていることも、それに問題があることも、仰る通りだと思います。
便乗
投稿者:
義珍
投稿日: 7月 5日(火)13時46分53秒 ntchba044094.chba.nt.ftth.ppp.infoweb.ne.jp
日本語の文章を生成する詞と辭
http://members.jcom.home.ne.jp/w3c/kokugo/Nihongo.html
「『てにをは』も現状、『語』の仲間として、品詞分類されてゐます。その爲……」のところ、マークアップが不正です。
誤字
投稿者:
空
投稿日: 7月 5日(火)12時18分10秒 zaq3d2e0ea8.zaq.ne.jp
日本語の文章を生成する詞と辭
http://members.jcom.home.ne.jp/w3c/kokugo/Nihongo.html
> そして、感じで表現された觀念語をそのまゝ使用しながら、
「感じ」は「漢字」の誤りではないでせうか。
(無題)
投稿者:
平頭通
投稿日: 7月 4日(月)21時58分12秒 ntsitm140016.sitm.nt.ftth.ppp.infoweb.ne.jp
もう来ないのなら仕方はないのですが、私も自分の考へ方と、高崎さんをどのやうに見てゐるかを書込んで終りに致します。
私は、現状が「現代仮名遣い」優勢の状況が先づ在る事を認めてゐます。其の状況下で、本来の仮名遣を外の皆さんに認識して貰ひたいと願ふのであります。其の場合、先づは実際の日本語の文章に書かれる時に問題になる仮名遣を明かにする事が先決だと考へました。之は「実務」と云ふより、生活や思考に関る大切な部分になります。其処から、もつと拡げても深く突込んでも構はないと思ひまが、少くとも文章を書く時に問題視される仮名遣は確りと指摘できるやうにしておかなければ、仮名遣はおろか文章すら満足に書けないと云ふ結果になりかねません。其れでは困るのです。解りますよね。
次に、高崎さんの現在の遣り方を見てみますれば、此の優先順位を無視して、仮名遣の大風呂敷をおッ拡げて、「標準化」だ「實務」だと、息巻いてゐるやうにしか見えないのです。私などは本来の仮名遣に理解のあるはうだからまだいいんです。之が「現代仮名遣い」にドップリと浸かつてしまつた人々から見たら一体どう見える事でせう。恐らく「旧仮名遣はこんなに難しいものなのかあ、今は現代仮名遣いが使える時代だから便利になったものだ」とか「昔の人はこんなに複雑な仮名遣を使っていたのか」とか思ふ事でせう。幾ら「實務」だの言つてみても、見る人に誤解を生みかねないやうな表現方法では仮令高品質な報告であらうと、他者からの理解は得られ辛いのではないでせうか。さうではなく、もつと色々な方面の人々に理解して貰ひ易い報告の仕方は無いものでせうか。其のやうな事に留意して研究なり「標準化」なりを進めて行かれれば、もつと質の高い結果が得られるのではないかと思ふのであります。
高崎さん、もう来られないのかどうかは私は判りませんが、私は高崎さんの呼掛けがあればいつでも応対したいと思つてゐます。宜しくお願ひ致します。
(無題)
投稿者:
の
投稿日: 7月 4日(月)20時28分16秒 61-24-239-144.rev.home.ne.jp
「現代仮名遣」に明記されてゐる「ぶれ」。
<引用>
なお,次のような語については,現代語の意識では一般に二語に分解しにくいもの等として,それぞれ「じ」「ず」を用いて書くことを本則とし,「せかいぢゅう」「いなづま」のように「ぢ」「づ」を用いて書くこともできるものとする。
例 せかいじゅう(世界中)
いなずま(稲妻) かたず(固唾*) きずな(絆*) さかずき(杯)
ときわず ほおずき みみずく
うなずく おとずれる(訪) かしずく つまずく ぬかずく ひざまずく
あせみずく くんずほぐれつ さしずめ でずっぱり なかんずく
うでずく くろずくめ ひとりずつ
ゆうずう(融通)
</引用>
<引用 国語審議会答申「改定現代仮名遣い」前文〔「改定現代仮名遺い」の性格,構成及び内容〕>
(5)この仮名遣いは,「ホオ・ホホ(頬)」「テキカク・テッカク(的確)」のような発音にゆれのある語について,その発音をどちらかに決めようとするものではない。
</引用>
(無題)
投稿者:
野嵜
投稿日: 7月 4日(月)19時23分18秒 61-24-239-144.rev.home.ne.jp
さう言へば、「現代仮名遣」には「頬」の假名遣に「ぶれ」があつたやうな氣が。
(無題)
投稿者:
の
投稿日: 7月 4日(月)03時23分23秒 61-24-239-144.rev.home.ne.jp
「實際のところ」が多い文章だなー我ながら。
高崎さんは、「現代仮名遣」の「ぶれ」のないところを評價するのであれば、「現代仮名遣」を認めてしまつたら何うか。高崎さんが「現代仮名遣」を認めない理由が私には解らない。
高崎さんは、「現代仮名遣」のやうな「制限」的な性質を「正假名遣」も持つべきだと考へてゐる。それは國字改革の精神を肯定するものでしかない。高崎さんは、國字改革を認めるべきではないか。
高崎さんは、「まいまいず」「まひまひず」の類の假名遣が確定する事は希望する。けれども、「私は」の「は」の假名遣については、守る積りが毛頭ないらしい。
以上の點で、私は高崎さんの考へに全く贊同出來ず、高崎さんのやつた事も評價出來ない。
高崎さんは、實は國字改革に賛同してゐる、としか考へられず、「正假名遣」にしても「平成疑問假名遣」にしても、それらを作らねばならない必然性が、高崎さんの考への中にはない。
さう云ふ高崎さんの著作を、國語問題協議會が發行してしまつた事は、協議會の深刻な問題だと思ふ。高崎さんにしても協議會にしても、「論爭にはかかはらない」と言ひ、「運動」に對して否定的な態度を取りながら、にもかかはらず「運動」をやつてゐる。この邊、支離滅裂としか言ひやうがない。
(無題)
投稿者:
ゐのうへのかずき
投稿日: 7月 4日(月)03時20分11秒 EAOcf-211p104.ppp15.odn.ne.jp
「ぶれが有る」日本語の爲に日本の字引には様様な索引が添えられてゐます。先人は智慧を絞つて道具を作られた。高橋氏は道具に使はれてゐます。
(無題)
投稿者:
野嵜
投稿日: 7月 4日(月)01時42分15秒 61-24-239-144.rev.home.ne.jp
高崎さんの發言。
>標準が標準たるためには、稀な場面でも何らぶれる事なく使へねばなりません。
ここが私には理解出來ない。「現代仮名遣」には「ぶれ」が「ない」――それを高崎さんが「よい」と看做す理由が私には解らない。實際のところ、「現代仮名遣」では、「原則」として「發音のまゝ」と云ふものがあり、それゆゑ發音さへ存在すれば「表記」が「ぶれ」る事はあり得ない。しかし、それは果して「良い」事なのか。實際のところ、餘りにもかつちりし過ぎてゐるがゆゑに、「現代仮名遣」は表記の側から音聲言語を制約し、方言の存在を否定してしまふ側面があります。「煽る」について、福田恆存が指摘した通りです。ところが、さう云ふ點で「融通性がある」歴史的假名遣を、高崎さんは評價しないで、「融通性のない」點をもつてげ「現代仮名遣」を評價してしまふ。その邊、高崎さんが「現代仮名遣」の價値觀に支配されてしまつてゐるやうに思はれます。「現代仮名遣」の價値觀を肯定するのはそれ自體として國字改革の價値觀への屈伏であり、國字改革に反對する立場の人間にあるまじき事であると思ひます。
實際のところ、日本語自體に――と言ふより、言語そのものに――曖昧な部分が殘るのは當り前の話であり、英語の綴りでもさう云ふ事はあります。さう云ふ部分とともに、大體「ぶれ」がない部分がある――それが言語の自然なあり方である。さう考へるならば、その「ぶれ」がない筈の部分と、あつても當然の部分とを嚴密に區別して考へる事は、必要です。それを高崎さんはやらず、ひたすら「完全」を求めてゐる。それがをかしいのです。
私には、高崎さんの「現代仮名遣」への憧れが、「言語統制」への憧れに見えて仕方がない。
まあ、高崎さんは最う反論の爲に此處に現はれはしないのでせうが。
標準化
投稿者:
高崎一郎
投稿日: 7月 4日(月)00時33分45秒 ntceast009102.east.dup.ppp.infoweb.ne.jp
平頭通さんの「他人にどのやうに活用して貰ひたいとお考へでせうか。」との質問に囘答して終といたしませう。
結論から先に申しますと、「標準としてほしい」といふことです。私の編輯した内容が全く殘らなくてよいけれど、歴史的假名遣に一日も早く標準ができてほしいと強く強く願ってゐます。
これから述べる内容はすべて「實務」の視點であると御承知ください。
現代假名遣いの唯一かつ最大、とても眞似のできない長所は「ぶれが無い」ことです。辭書によって掲載箇所が異る語がほとんど全くない、これはじつは驚異的なのです。もちろん問題になる語はいくつかありますが、そこは徹底的に研究されてゐて、結論が標準化されてゐます。私は『改定 現代假名遣い』を讀み直して、「盆提燈」「融通」の例語に感動しましたよ。よくぞこんな語を搜したものだと。
もし歴史的假名遣が全面的に復活した時、表記が確定しない言葉、すなはちぶれがある語が相當數あります。現代假名遣いは理論的に云々とよく批判しますけれど、「それならやってみな」と返されたら、本當に大丈夫なのでせうか。
歴史的假名遣なる表記法は存在しない、といふ有力な考へかたがあります。では昭和二十一年以前の表記法は何だったのか。誰もが「あった」と信じてゐるけれど、定義や細則を示した文書は一つもないので、國定教科書を分析するしかない、それも年代によってだいぶ異るため、これと定め難い、といふのです。それで「いわゆる契沖の復古かなづかい」と呼ぶのです。嫌な表現ですが、結構有力である事に留意してください。私ごときにある研究者が「本當に説明文書は一つもないのか」と質問してきましたから、本當にないのでせう。
歴史的假名遣とは何か、人によってまちまちだと氣づいたのは數年前です。いろいろ質問してみると、人ごとに意見が異る。結局「いやまあそれは俗語だから」とか「そこは臨機應變に」とか、今囘の反應とそっくりなのです。もっとも普通は少し恥かしさうに小聲になるのですけれどね。でも契沖宣長の時代と違って電話帳や郵便番號簿も作らなければいけない、辭書の配列をどうするのだらう、「なだしお」「シオサイト」のままで構はないのか、疑問はどんどんふくらんだわけです。
また辭書を仔細に引き比べてみると、歴史的假名遣の表示がかなり異る事にお氣づきでせうか。これは近年の國語學の成果にもとづき、假名遣の定義に從って變更した結果です。しかし各社の語源探索競爭に傾く面もあり、いよいよぶれがひどくなってゐるのです。それにもかかはらずボロが出ず「歴史的假名遣は一つ」といふ幻想があるのは、平頭通さんが仰るやうに「日本語の文章は漢字仮名交じり文で書かれます。ならば、辞や用言の活用語尾や送り仮名の仮名遣は必然的に優先順位が高くなる」からでせう。『私の國語教室』が標準ですむなら實に簡單なのですが。
標準が標準たるためには、稀な場面でも何らぶれる事なく使へねばなりません。たとへば「鹽飽さん」が「俺の名は シハク かな シアク かな」と迷っても、すぐ囘答できるやう一應の用意は欲しいのです。それでも解決できない問題はあるもので、「現場の聲」はよく聞かねばいけません。小學校で習ふ言葉も書けなければ、それは「表記法」として認められないでせう。もっとも國民均しく問題意識を持つ必要などさらさらありません。普通は困ったら辭書を引けばよいだけの話です。しかし今、我々は表記法を論じてゐます。「瑣末な問題は一つ一つ解決して行けば良い」って、たとへば「ゐのうへ」さんと「いのうえ」さんが別人と思はれて、何億圓かの損害があったとして、誰の責任になるでせう。考へられる限りの瑣末な事まで考へて、それでも何かあると大問題になる昨今、あまりに樂觀的とは思ひませんか。
歴史的假名遣のぶれがほとんどなくなるまで、どうしても現代假名遣いにつづく第二方式とせざるを得ないでせう。その第二方式を定義確立するのが私の目標です。無理かもしれません。「日本語の文章は漢字仮名交じり文で書かれます。」なのですから、平頭通さんは『私の國語教室』で99%用事がたります。1%に興味がある私は、やはり馬鹿かもしれません。馬鹿ですから文法には手を出しません。語源にも深入りしません。『平成疑問假名遣』にある事柄はいづれも孫引きばかりです。「くゑ」「あむ」などの漢字音が珍しいやうですが、これも江戸時代末期から諸家の意見の一致してゐることです。
自説を長々と開陳しました。もう此處へ來ることもないでせう。ご機嫌よう。
(無題)
投稿者:
平頭通
投稿日: 7月 3日(日)01時59分54秒 ntsitm140016.sitm.nt.ftth.ppp.infoweb.ne.jp
高崎さんは、御自分のこの成果を、他人にどのやうに活用して貰ひたいとお考へでせうか。まさか名簿の順番を決定する為だけではないでせう。成果発表が出来て其れで満足と云ふのではないでせう。この問題は、日本語に直接関るものです。ならば実際の日本語の文章に使はれて初めて成果があつたとなる訣ですよね。
私は、仮名遣を整理するのならば、語に依つて優先度(プライオリティ)に差があつて然るべきと申してゐるだけです。日本語の文章は漢字仮名交じり文で書かれます。ならば、辞や用言の活用語尾や送り仮名の仮名遣は必然的に優先順位が高くなると理解できる筈です。其処から内容を深くして行くのも拡げるのも自由ですが、重点をおくべきははつきりとさせておく必要があります。
(無題)
投稿者:
野嵜
投稿日: 7月 3日(日)01時22分28秒 61-24-239-144.rev.home.ne.jp
相變らず
http://homepage3.nifty.com/gimon/seikana.htm
がOperaで讀めない。正しくないからだ。高崎さんの主張はどれもこの手の「讀まれない」ものであると言つてよろしい。そして高崎さんは、無知を言ひ訣にしてゐる。素人の感性は無視してならないものだが、高崎さんのは餘りにもレヴェルが低過ぎる。さう云ふ低レヴェルの「主張」しか出來ないやうでは、普通の人は納得しない。或程度、他人を納得させられる理論武裝は必要だと思ふ。「素人だから」と言つて非常識な事をやつては行けないと思ふ。素人がやつて良いのは、飽くまで、常識で以て非常識な「專門バカ」のいんちきを批判する事だけだ。
(無題)
投稿者:
野嵜
投稿日: 7月 3日(日)01時15分6秒 61-24-239-144.rev.home.ne.jp
>お蔭樣で『平成疑問假名遣』好評ですよ。
『平成疑問假名遣』なる本の存在を知らない人が、世間では壓倒的に多い。「好評」と言ふのなら、「現代仮名遣」の方がずつと「好評」です。
この私には不評です。私を納得せしめる論理が、高崎さんの主張には全くありません。「好評」なのも、せいぜい「仲間内」での事でしかありません。一般に高崎さんの主張は通用しませんよ。それでは駄目です。
(無題)
投稿者:
野嵜
投稿日: 7月 3日(日)00時09分56秒 61-24-239-144.rev.home.ne.jp
「實務」と言ふのは結構ですが、その「實務」を必要としてゐる人が今、日本にゐるのですか。「現代仮名遣」が現在の日本では一般的に用ゐられてをり、さう云ふ状況で「實務」なるものとしての「正假名遣」を必要とする人は、「仲間内」の少數しかゐません。さう言ふ「少數」を相手に、内輪の人間にしか受けない事だけをやつて、それで良しとするのは感心出來ません。高崎さんは、「別物」とおつしやいますが、實は「別物」だとは思つてゐない、だからこそ、野嵜に自分と同じやうな事に拘れ、と云つたのです。
>もし幸にして野嵜さんの仰る假名遣の原理が公に認められたとして、たとへば先づハ行の活用は大切だから復活させませうとなったとしたら、「幸」は活用部分だけ「さきわふ」となりませうか。さういふ不調和を野嵜さんは「本質が守られた秩序ある假名遣だ」と悦びますか?
もちろん、「悦び」などしません。だからこそ、膠着語としての日本語の性質を一々言つてゐるのであり、詞と辭とが曖昧になる部分がある事をはつきり書いてゐるのです。「闇黒日記」にめもを書きましたが、辭においては假名遣を認めざるを得ない事を納得させるのが第一段階、次いで、日本語で詞と辭とが嚴密には分けられない爲に辭の假名遣を認めるのならば詞の假名遣も認めざるを得ない事を納得させるのが第二段階です。高崎さんは、野嵜が辭の假名遣だけを認め、詞の假名遣を一切認めないかのやうに思ひ込んでゐますが、さうではありません。そして、さう云ふ段階的な説得が可能であるのは、語の性質に基いて、假名遣を認めるべき語のプライオリティが「ある」からです。
高崎さんは、「甲斐國」以下の固有名詞について、恰も大問題であるかのやうに言つてゐます。けれども、何れも漢字で書けば當座、假名遣は問題にならない語許りです。また「まんぼう」その他の語源が不明な語に就いて、やはり大問題であるかのやうに述べてゐますが、何れも問題は假名遣にはなく、語源にあります。高崎さんは、假名遣ではなく、語源に興味があるのです。
高崎さんの主張を突詰めれば、全ての語に就いて疑ふ事が出來ます。そして、それらのいちいちの事を氣にしてゐたら、「面倒だから假名遣は要らない」と云ふ感想が直ぐに出てきます。實際のところ、高崎さんは正しい假名遣を普及させる氣がない。「實務」は結構ですが、その「實務」を必要とする理由を高崎さんは考へようとしないし、考へる人間を「實務的でない」として聯想ゲーム的にレッテルを貼つて非難する。實際には、一般的でない珍奇なものに興味を持つてゐる高崎さんは、マニアであり、實務的でも何でもないのですが、それが高崎さんには解らない。
「「幸」は活用部分だけ「さきわふ」となりませうか。」と高崎さんは述べてゐますが、「さういふ不調和」を「悦」ばない高崎さんは、一切の語に就いて「不調和」が存在する限り、「悦び」を感じ得ない筈です。そして、「さういふ不調和」は、永遠に殘ります。全ての語の語源が判明し、假名遣が確定する事は、將來、絶對にありません。さうなると、高崎さんは、「正假名遣」の存在を認める事がそもそもできず、現實に「正假名遣」が行はれない事を逆に「悦」んでしまふ可能性があります。それでは困る。
秩序は理想として存在すれば充分であり、現實的には或程度であれ秩序があれば十分だと言へます。そして、それこそ「實務」において必要な最低限の秩序を確定する事が優先事項であり、その後に瑣末な問題は一つ一つ解決して行けば良い。高崎さんは、「まんばう」の假名遣が確定されるならば、助詞の「は」は「わ」と書かれても良い、と主張してゐる、そのやうにすら私には思はれます。或は「さきはう」でも構はないと高崎さんは思つてゐるのではないか。
それでは困る。
さきわひ
投稿者:
高崎一郎
投稿日: 7月 2日(土)22時37分48秒 ntceast024025.east.dup.ppp.infoweb.ne.jp
仕事で4時間も正坐を續けたら、翌日になって脚がだるい。これも歳のせゐでせう。
さて、だいぶ論點が見えて飽きてきましたので、そろそろ退出しようかと思ってゐますが、追加として。
「假名遣の本質」って何でせう。私は「實務」だと考へます。「は」は「わ」と紛れやすいから注意を促しただけであって、それ以上の何物でもありません。「て」「に」は假名遣に係らないから、「を」「は」より格落ちでせうか。さうではないですね。假名遣の背景にある文法の秩序を馬鹿にしてゐるのではなく、別物だと申上げてをります。その上で、自分にできる事だけを追及したまでです。お蔭樣で『平成疑問假名遣』好評ですよ。
もし幸にして野嵜さんの仰る假名遣の原理が公に認められたとして、たとへば先づハ行の活用は大切だから復活させませうとなったとしたら、「幸」は活用部分だけ「さきわふ」となりませうか。さういふ不調和を野嵜さんは「本質が守られた秩序ある假名遣だ」と悦びますか?
字音假名遣だけ止めるとして、
・一羽(は)、三羽(ば)、六羽(ぱ)、
・一把(わ)、三把(ば)、六把(ぱ)、
となるのは現代假名遣より更に「秩序ある」状態でせうか。
瑣末な問題を無視して、法則を見出すことはできないと思ひます。たとへば平頭通さんは
>字音仮名遣と和語の歴史的仮名遣とを混同するやうでは其の混沌から脱するのは難しい事だと思ふのであります。
と簡單に仰いますが、本當に峻別する自信がありますか。たとへば
・「甲斐國(かひのくに)」は間違なく和語起原ですが、あくまで「甲(かふ)+斐(ひ)」の字音假名遣と認識されますか。
・「遠近(をちこち)」は「遠近(をんこん)」の字音に由來するのでせうか。
・想夫戀の「小督(こがう)」はどうでせう。
・樂燒の「のんかう」は如何。
・魚名の「まんばう」も漢字音らしく見えますが。
これは何も平頭通さんを詰問しようとしてひねり出したものではありません。實際に私が惱んでゐる語の一部分です。「東海林太郎」を調べるのはだいぶ苦勞しました。「松任谷由實」あたりも意外にわからぬものです。
また
>実際の日本語の文章に即して物事を考へるやうにしては頂けませんか。
と仰いますが、平頭通さんは自分の名前に振り假名をつけたり、名簿を作ることはないですか。假に平頭通さんの本名が井上さんだとして、何でもかんでも復古假名遣で處理できないから「本質をよくよく勘案」した結果、「ゐのうへ」「いのうへ」「ゐのうえ」「いのうえ」4とほりの議論を始めますか。その都度、名簿の順番は變りますよ。住民票の編綴もさぞ苦勞するでせう。
暇がありましたら、次の人名に振假名をつけてみてください。
・「園生さん(♂)」
・「一生さん(♂)」
・「桐野夏生さん(♀)」←作家ですね。
「本質をよくよく勘案」するのはかほどに難しいのです。私は頭が惡いから手を出しません。野黨の地位に甘んじてゐると、理想を掲げるばかりで實務がわからず、次第に當事者能力がなくなります。野嵜さんはどちらかといへば運動家といふ立場とお見受けします。運動家には運動家なりの考へ方がありませうから、私はとやかく言ひません。ただ、天下を取った後ほどむづかしいと思し召せ。
(追伸) おや、野嵜さんはメールを書きませんでしたか。ぢゃきっと掲示板ですね。それなら誰か見た人もいらっしゃるでせう。よかったよかった。
高崎さんへお願ひ
投稿者:
平頭通
投稿日: 7月 2日(土)01時52分53秒 ntsitm140016.sitm.nt.ftth.ppp.infoweb.ne.jp
実際の日本語の文章に即して物事を考へるやうにしては頂けませんか。日本語は漢字仮名交じり文で書かれます。其の中で仮名遣が威力を発揮できるのはどの部分になるのかは自づからはつきりとして来るものです。其処に優先順位が生じるのも理解できると思はれます。
「現代仮名遣い」は、個別の各々の語の仮名遣を削つた結果、テニヲハだけ残された訣ではありません。国語表記の表音化を目指して結果的に中途半端なものを拵へてしまつたのが「現代仮名遣い」です。こんな代物で十分な国語表記が可能だとは言へません。かと言つて何でもかんでも復古仮名遣で処理しようとしても、現代の国語表記に適応した仮名遣にはなりません。其処の処をよくよく勘案するべきです。
先づ、実際の文章に使ふ為の仮名遣の本質を明かにして方針を打立てた上で、其の内容に則つて、個別の語の仮名遣に着手するやうにして欲しいものです。当然ですが、辞や用言の活用語尾の仮名遣は最優先です。詞の仮名遣は、大和言葉、漢語、支那語、其の他の外来語と分けて考へられるべきでせう。
(無題)
投稿者:
野嵜
投稿日: 7月 2日(土)01時23分23秒 61-24-239-144.rev.home.ne.jp
と言ふか、高崎さんは自分の「判定基準としての歴史的假名遣ひ」しか認められず、野嵜が言つてゐる假名遣の背景にある文法の秩序を馬鹿にしてゐます。
私は「俺の言つてゐる假名遣の原理だけが唯一の歴史的假名遣なのである」等と言つてゐません。ただ、日本語を分析して、誰も反論の出來ない部分から攻めてゐる――誰もが歴史的假名遣で書かざるを得ない「は」「へ」「を」の話から始めて、「てにをは」全體が本來歴史的假名遣によつて書かれねばならない事を認めさせ、さらに膠着語としての性質から辭と詞とが不可分であり、全體として歴史的假名遣によつて書かねばならない事を納得させようとしてゐるだけです。ただ、詞と辭との區分をある程度認めるのならば、表記の簡略化は、詞の範圍でならば認められる、と言つてゐるだけです。
以下は譬喩です。高崎さんは、出城を作つて領土を擴げる事を考へてゐます。しかし、その爲に、自分のお城の本丸を守る事を全く考へてゐない。否、「爭はない」事で「守れる」と考へてゐるのです。けれども、さうやつて高崎さんが確保してゐる領土は、世間から忘れられてしまつてゐます。世間は、高崎さんの守つてゐる領土に、全く興味を持ちません。高崎さんは、鎖國してゐる「歴史的假名遣」の中で、一生懸命經營をやつてゐる。ところが、高崎さんが領土を巡察してゐる間に、本據地のお城は寂れてしまつてゐるのです。
私は日本語の本質に興味があり、その日本語の本質が表記に秩序を生じ、結果として歴史的假名遣の規則が定まつて來るものであると考へます。高崎さんは、「まひまひず」のやうな瑣末な問題に拘泥して、本質論から目を逸らしてゐる。高崎さんにして見れば、瑣末な問題を扱はない事こそ許し難い、と云ふ事になるのでせうが、野嵜にして見れば、高崎さんは瑣末な問題と言ふよりは最早的外れな問題に一生懸命かかづらはつてゐると云ふ事になります。「まひまひず」の問題が解決したとして、それは所詮、語源の問題の解決に過ぎず、歴史的假名遣の問題の解決にはならない。そんな事は判り切つた話です。それが高崎さんには判らない。高崎さんは頭が惡い――さう野嵜が言ふ所以です。
(無題)
投稿者:
野嵜
投稿日: 7月 2日(土)01時04分2秒 61-24-239-144.rev.home.ne.jp
それから。
http://homepage3.nifty.com/gimon/seikana.htm
相變らず何うしやうもない腐れHTML文書を公開し續けてをられるやうですが、これではまともなブラウザで讀めない。讀めないものをわざわざ公開しても意味がありません。だから「直せ」と言つてゐるのですが、高崎さんは野嵜が「面倒でやつてゐられません。御金を貰へれば、」云々と大聲で叫んでゐる、と、話の主題ではない部分を強調し、問題點をすり替へてしまひます。かう云ふ問題點のすり替へをやるのは、頭が惡いか、精神が陋劣かのどちらかです。私は高崎さんの事を、眞面目に努力はする人だと思つてゐますけれども、頭はとても惡いと思つてゐます。そして、その頭の惡い人が
http://homepage3.nifty.com/gimon/tenmat.htm
なんて書いて、
>それでよく印刷屋さんはやってゆけるものだ。何のための「電腦時代」なのだらう。
と書く。それが許せない。頭が惡いならば默つてゐればよろしい。高崎さんには引込んで貰ひたいのです。はつきり言ふと、私は高崎さんの事を「トンデモ」の人だと思つてゐる。波江と同レヴェルの人間だと思つてゐる。
(無題)
投稿者:
野嵜
投稿日: 7月 2日(土)00時58分53秒 61-24-239-144.rev.home.ne.jp
野嵜は「東日流外三郡誌のやうな秩序を見てしま」つて等ゐませんが? ただ、高崎さんが、如何に秩序と云ふものを憎んでゐるかは、良くわかりました。假名遣は「實務的アンチョコ」である――その程度の認識で「正假名遣」等と言ふのです。高崎さんには、秩序への關心が全くないのです。
>今まで「まひまひず」は珍しい言葉であったかもしれませんが、今や多くの小學生が知ってゐる。
それが何うしたと言ふのでせうか。「まいまいず」だか「まひまいず」だか知りませんが、それが日本語の單語の中でどれほど價値のある單語であると言ふのでせうか。そして、高崎さんは「まいまいず」だか「まひまひず」だかの假名遣が決定出來ないのならば、正假名遣の概念は崩潰するみたいな事を言つてゐます。馬鹿馬鹿しい話です。それこそ「東日流外三郡誌のやうな」何うでも良い資料に拘る「トンデモ」説ではないですか。
>プライオリティが高いものが殘ってゐるのだから、野嵜さんは現代假名遣いで十分ぢゃありませんか。
プライオリティが高いものが殘つてゐないのだから、「現代仮名遣」では不十分なのではないですか。私は「てにをは」だけでは不十分だ、と言つてゐます。高崎さんにはそれが解らない。高崎さんは、「全か無か」でしか物事を考へられない。高崎さんが評すれば、福田さんも時枝さんも「假名遣への興味もあまり無いでせう」と云ふ事になつてしまふ。しかし、その福田さんも時枝さんも、歴史的假名遣を守らうとしたのです。御二人とも、高崎さんが逃げてゐる「いはゆる國語國字問題としての論爭」から逃げませんでした。私も逃げる積りはありません。
>しかしながらある日突然、依頼した覺えのない添削メールが舞込み、それだけなら奇特な志でせうが、こんなの「面倒でやつてゐられません。御金を貰へれば、」云々と大聲で叫ばれた日には、誰でも引きますね。
何を言つてゐるのですか。私が何時あなたに添削メールを送りましたか? 嘘を吐くのは止めていただきたい。
「論爭を避ける」と強く主張する方ほど、デマを流す、風説を流す、と云ふやうな陰濕なやり方を好む例が多いやうな氣がするのです――と言ふか、アレクセイにしても義にしてもさうでしたね。そして、相手の言つてゐる事を曲解し、誤であると極附けては、「こいつは頭が惡い」と宣傳をする。noz_watcherがさうでした。高崎さんも彼等と同類です。
>野嵜さんがどの程度の語を「假名遣を嚴密に使用すべき語」と考へていらっしゃるかわかりませんが、それは『ちょっと復古調現代假名遣』または『簡易歴史的假名遣』です。別に惡い考へ方と言ってゐるわけではありません。しかしそれを「歴史的假名遣」と表現されるから混亂するのです。
私は飽くまで歴史的假名遣の原理の話をしてゐるのであり、「判定基準」と「具體的な判定の例」としての「正假名遣」の話をしてゐません。そして、具體的で個別的な例示なんてものを「正假名遣」と稱する事がちやんちやらをかしいと指摘してゐるのです。やつたつて意味がないのですから。
あなたの「正假名遣」やら「平成疑問假名遣」は、誰が利用するのですか。私の質問に、未だに高崎さんは答へてゐません。答へられないからです。そして「論爭しない」と言ふ事で、高崎さんは答へられない事を誤魔化してゐる。
>しかし私には「體系的な原理を解明」しようと試みるほどの知見はありません。ひたすらうまく判定できるかを確認してゐるだけです。
高崎さんは、ただ「判定したい」だけであり、假名遣の本質に全く興味が無いのです。それが私には氣に入らない。
『ちょっと復古調現代假名遣』
投稿者:
高崎一郎
投稿日: 7月 2日(土)00時08分54秒 ntceast024150.east.dup.ppp.infoweb.ne.jp
よく眠りましたが、多忙で些か疲れてゐます。
「言葉 言葉 言葉」と題はついてゐますが、野嵜さんはあまり言葉への興味がないのでせう。今まで「まひまひず」は珍しい言葉であったかもしれませんが、今や多くの小學生が知ってゐる。「まいまいず」の假名遣など何うでも良い、「質の良くないマニアのいかもの喰ひ」、興味を感じ「なければならない」、それで果して事實の重視とか原理の解明などできませうか。誰もこの世のすべての言葉を網羅することはできないが、その努力を怠る人に「はつきりレヴェルで區分」などできませうか。
ついでに申上げますと、假名遣への興味もあまり無いでせう。いかもの喰ひのレヴェルを削り、漢語を削り、「くぢら」なども削り、遂に「てにをは」だけになったものが『現代假名遣い』なのです。プライオリティが高いものが殘ってゐるのだから、野嵜さんは現代假名遣いで十分ぢゃありませんか。語によって重要なもの、さうでもないものはあるのは當然ですし、「てにをは」だけ殘してくれたために『現代假名遣い』は殘念ながら定着したのだと私も思ひます。もし今後、幸にも「歴史的假名遣復活」の氣運がおきたとしても、精々「ハ行轉呼音」「四つ假名」あたりにとどまるだらうとも想像します。野嵜さんがどの程度の語を「假名遣を嚴密に使用すべき語」と考へていらっしゃるかわかりませんが、それは『ちょっと復古調現代假名遣』または『簡易歴史的假名遣』です。別に惡い考へ方と言ってゐるわけではありません。しかしそれを「歴史的假名遣」と表現されるから混亂するのです。
>特定の事例における「判定基準」に過ぎず、規則の體系的な原理を解明したものではありません。
それでいけないでせうか。「特定の事例」ではなく、おほむねどのやうな言葉でも判定できる基準にしたつもりです。そもそも假名遣とは、異るはずの假名を混同してしまふ防止策として設けた實務的アンチョコですからね。そこから國語學上の發見は多々ありましたし、體系的な原理を考察する材料も多いと思ひます。しかし私には「體系的な原理を解明」しようと試みるほどの知見はありません。ひたすらうまく判定できるかを確認してゐるだけです。いろいろ見える景色もありますが、どう御覽になるかは皆樣の見識によりませう。ただ、「歴史的假名遣には秩序がある」と強く主張する方ほど、東日流外三郡誌のやうな秩序を見てしまふ例が多いやうな氣がするのです。「いはゆる國語國字問題としての論爭には一切かかはりません」と宣言するのも、いろいろ囘り道したといふほろ苦い思ひが混ってゐます。
「とりあへず今後 html の話題は御免蒙ります。」と書きましたが、別に html が嫌なわけではありません。いろいろ知識を得たことにはすでに感謝の意を表してゐます。しかしながらある日突然、依頼した覺えのない添削メールが舞込み、それだけなら奇特な志でせうが、こんなの「面倒でやつてゐられません。御金を貰へれば、」云々と大聲で叫ばれた日には、誰でも引きますね。私もさうです。ですから今後一切の話題は御免蒙ります。
(無題)
投稿者:
野嵜
投稿日: 7月 1日(金)02時28分13秒 61-24-239-144.rev.home.ne.jp
全ての語の表記に根據を求めてゐたら、永遠に正假名遣は成立しなくなります。しかし、正假名遣とはそんなものなのでせうか。正假名遣の原理と言ふのは、この世に存在する一切合財の日本語の單語を一つ殘らず規定するものなのでせうか。そして、この世に存在する全ての日本語の單語の假名遣が決定されない限り、正假名遣の原理と言ふものは明かにされては行けないものなのでせうか。さうではないと思ひます。
だからこそ、日本語の單語を幾つかのレヴェルで區分して、それぞれにおいて語意識なり何なりの性質を檢討し、假名遣を嚴密に使用すべき語と、それほど神經質にならなくとも良い語とを、はつきりさせておいて良いのではないですか。それを高崎さんはやらない。ただ、「問題がある」と言つて、何でもかんでも一緒くたにしてしまふ。和語でも漢語でも支那語でも、御構ひなしです。そして、高崎さんが拘つてゐるのは、記號的に事物を指し示す詞の假名遣です。けれども、詞の假名遣は、實はそんなに重要ではない。それは時枝博士も福田さんも言つてをられたことです。それが高崎さんには全然解つてゐない。