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まづ、私はまむし連さんに御禮を申し上げねばならない。
途中から私になりかはつて、私の言ひたい事を、私より巧く言つて下さつてゐるからである。
まむし連さんには、ぜひ言葉 言葉 言葉・掲示板にいらしてほしいと思ふ。
言葉 言葉 言葉は正道を守らうとする人のためだけに存在するページであります。
追記 まむし連氏は來なくていいです。やつぱりこの人も「トンデモ」の人です。

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↓以下http://www.tetsusenkai.net/bbs/official_03.cgiより。↓

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慰められる静けさ>勝の小吉さん
 投稿日 1999年9月4日(土)18時47分 投稿者 高橋博彦/鐵扇會 削除


 お久しぶりです。そちらの方には御無沙汰して失礼しました。
昨日、「徹子の部屋」で、故東山魁夷画伯の奥様である東山すえ
さんという方が出ていました。画伯の初期の自伝書である「我が
遍歴の山河」には少ししか出てこなかった方です。作品と作者の
雰囲気が一致している人は本当に珍しいですが東山画伯も絵画と
同様に静謐の雰囲気を持った方でした。彼の絵には独特の穏やか
さがあり、見ると慰めを受けます。奥様もそういうお人柄でした。

 彼の画業の一貫したテーマは、人間が本源的にも持っている煩
悩や諍いからの脱却でありました。そういう意味では魂の求道士
でした。初期のものを除き、彼の絵には決して人間は登場しませ
ん。常に無明の超克があり、それを風景に求めました。現代社会
の中では、知名度が上がると名士の顔になって周囲を睥睨する人
がいますが、画伯は恬淡としてそういう地平とは無縁でした。

 野村秋介先生も独特の静けさを漂わせていました。偉人とは私
何ぞとは異なっていまして、理解しがたい心の静けさを持ってい
るものです。まむし連さんのことですが、ROMしていた地元の
友人が怒ってしまいましてなだめています。私のような人間のた
めに喜怒哀楽を持って私のことを考えてくれる友人はタカラモノ
です。彼の怒りが収まるまで、彼に仁義を通してまむし連さんと
は控える事にします。心配していただいてありがとう御座いまし
た。


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高橋さん!まむし連さん!
 投稿日 1999年9月3日(金)03時09分 投稿者 勝の小吉 削除

突然、割り込んですみません。
私は、おふたりのやりとりをこのところ拝見していたのですが、
表面上で齟齬をきたしているようで残念になり、僭越ながら意見させていただきます。

高橋さんは「日本が形成される過程でいろいろな記憶が統合されていった」と言い、
まむし連さんは「科学的アプローチをすると今、正しい歴史観は現存する記紀の中にある」と言う。
(違いますか?)

大きな概念で日本を心情的に語る高橋さんの考えも個人的には大好きですし、
科学に徹し、現在の皇室の正当性を主張しようとするまむし連さんの真面目さも分かります。

そこで、高橋さん!まむし連さんのCOOLさを認めてください。
まむし連さん!高橋さんの情念を理解してください。

科学と情念は、裏表です。
左翼的な反・日本的な思想はおふたりには微塵もないはず。

余計なお世話ですみません。
心と理性は両立しますよね。
お願いします。仲良くしてください。





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高橋博彦さん
 投稿日 1999年9月2日(木)16時05分 投稿者 村田幸衛/元コス会 削除

それは相手に対して失礼ではないのですか?


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で・・・
 投稿日 1999年9月2日(木)15時54分 投稿者 高橋博彦/鐵扇會 削除


 日猶からはどうして身をひいたんですか?そういう気紛れやっていて
少し気に入らなければ出ていく。やがて、喰い頃だと見極めたときハイ
エナのように出てくる。誰かの行動様式と同じですな。いつ書き込んで
も自由でしょうが、出方にはTPOがあって大きく眺めれば顰蹙もので
しょう。私にはそう感じました。ギャラリーに教えると言いますが、私
にかこつけて教えてくれなくてもいいです。まあ、人間の哲学を学んで
  いないからシニカルな衒学で止まるんでしょう。そんなものは教えていた
  だかなくても結構です。特に私には。


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 投稿日 1999年9月2日(木)06時51分 投稿者 鐵扇會 削除

この投稿以下の6つの投稿は、テーマにかんがみて
鐵の扉よりこちらの板に移動したものでございます。


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>高橋さま
 投稿日 1999年9月2日(木)06時49分 投稿者 まむし連 削除

>>出雲神話はご存じのとおり記紀や風土記に豊富にありますよね。
>あると言うことと、被支配者が支配者側の編纂によってある部分恣意的に
>書かれたということも全くないとは断言できないことです。

では、どの部分がそうなんですか?
ほとんどないと思いますが、ちょこっとはあるでしょう。
ぼくがいっているのは、そういう話と「古史古伝」は別問題だ、というのです。

>国の支配者の交代が行われたことを思惟するならば、
>そういう可能性はあると言っただけです。

だから「可能性だけならなんだってあるに決まってます」といいましたよね?
具体的にどこがそうなんですか。ほんとにあるんですか。
「天皇は万世一系などではない。
具体的にはよくわからんがとくかくその可能性はある。
たとえば、赤旗などに体制によって抹殺された学説が
のっている可能性は否定できない。赤旗は見たことないけど」
といわれたら、高橋さんは「ごもっとも」と聞いているんですか?
野崎さんが「問答無用、逆賊め!」とご無体な怒り方をするのは当然でしょう。

>古史古伝に出雲族の真実の姿を求めたなどといつ言いましたか?

さあ? いついったんですか?
高橋さんが言っているのは「可能性」でしょう。
99%から1%まで、どれも「可能性」ですね。便利だなあ。
高橋さんが偽書(?)には可能性(パーセンテージ不明)がありそうなことをいうから
少なくとも古史古伝は1%もないでしょう、と釘を刺したのです。
(ゼロでもないけど、問題外でしょう)

>記憶の残滓と言う程度で言っただけです。
>全くないなどとは誰にも断言できないでしょう。

いや。
「まったくない」ではなく
「”古史古伝には”ほとんどない」といったのです。

>>いわゆる古史古伝に、とくに出雲族(?)のことが多く
>>書かれているなんて事実はありませんよ。
>多く書かれてあるなどとは一度も言っていませんが。

そうですよ。
常識的判断の材料のひとつとして、老婆心ながら教えてさしあげただけです。

>それでも自分の考えを時間を使って書きました。

それはそれでいいんじゃないですか。

>相手の方はそれをやらなかった。

野崎さんの気持ちとしては、自分の考えもへったくれもない
「わきまえていて当然の”常識”」のつもりだったんでしょう。

>もともとまむし連様と偽書についてやり合うつもりはありませんでした。

ギャラリーのみなさんが判断材料を得る方が重要で、
高橋さんを攻撃したいわけじゃありません。

>この流れの中で入ってきて完膚無きまでに叩く。
>私にご不満がおありなら、人との係争に乗じて入って来ずに
>真っ直ぐ私の所に向かってくればいい。

自分でふったネタにつっこまれたからって「この流れ」だの
「人との係争に乗じて」だのという言い方はないんじゃありませんか?
ぼくは高橋さんが憎いわけじゃなく、
原田常治とか東日流外三郡誌とかを安易に引き合いに出されては
鉄扇会全体が別の文脈で笑い物になりかねない
と思うから出てきたのであって、
だから今「真っ直ぐ向かって」いってるでしょう。

>でなければ日猶板から身を引くなどということはないでしょう。

ぼくがいろいろ調べてネタを仕込んでも
「でも聖書は正しい」というだけの長文レスがつくから
アホらしくなったんですよ。
ひととおり歴史編が終わったら宗教、神秘学、預言へと
広げていくつもりだったんですけどね。
よくみてますけど、ぼくのようなしょうもない駄文もなく
有意義にもりあがってて結構ですね。いや、ほんと。

>中立と言いながら結構攻撃的ですね。

「価値中立」といったのは「先代旧事本紀」の”解説”のことだけです。
読んでわかりませんかね?
「価値中立」だとぼくの意見をいったことにならないので
その後の書き込みになっているのです。

>原田常治氏をトンデモ系と喝破しておりますが
>貴君がそう思っているだけのことでしょう。
>彼に敬意を持つ方々に甚だ失礼だと思います。
>で、それについてはここではレスしないで頂きたい。
>衒学空間に入りますから。

原田常治がトンデモだというのは、衒学云々という難しい話じゃないし、
ぼくがひとりで言っているのでもありませんよ。
高橋さんが聞きたくないというのは残念ですが。

>ご自分の衒学趣味を満足させているように私には見えます。
>衒学とは現代的に言い換えるならば「お宅」ということでしょうか。

またこれですかぁ。好きだなあ、衒学。
そりゃ幼稚園児からみりゃ九九だって衒学なんでしょうが、
根本的に難しいことを言ってるつもりはないんで、やめてください。
オタクってゆーのは、まあ許せますが。一介のオタクですから。

>心を込めて書いた私の電信を無視しましたね。
>衒学を満足させるよりも人間としての礼儀は守ったほうがよろしいでしょう。

無視? 返事は出しましたが?
メールを毎日あける習慣はありませんし、見てすぐ返事を書けるとも限りません。
子供みたいなダダをこねるのはやめてください。かわいいからいいけど。
高橋さんも、心を込めて書いたまむしのレスを曲解したんだから
おあいこにしましょう。

>まむし連様、私に衒学と言われたことがよっぽど答えた様ですね。
>話の流れを無理に作り上げちゃ駄目ですよ。
>やはり、衒学という言葉に拘っていらっしゃるようですから、
>実際にどこか衒学的な所もあるということでしょう。
>筋の通っていることを仰有っているつもりでしょうが、結局混ぜっ返しということです。
>基本的に今の状況で入ることは、混ぜっ返しをやることによって
>やられたからやり返す。しかも「衒学」如きの言葉で私怨。
>成熟性を疑ってしまいます。こういう結果になって淋しい限りです。

上のやつ、書いてて恥ずかしくないですか?
容量のムダとは思ったけど引用してしまった…。
親切で教えてさしあげたつもりが大きなお世話だったようですね。
高橋さんは、かなりお疲れのようだ…。




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まむし連氏への質問
 投稿日 1999年9月2日(木)06時48分 投稿者 村田幸衛/元「コスモス文学の会」同人 削除

 異論もあるであろうが、原田常治は或る意味において重要な事績を残したと思う。事実、
本来の日本古代史を解明すべく、原田の姿勢に感化された関裕二をはじめとする郷土史家
の方々も少なくないと聞く。また原田の指摘にあるように実際に宮内庁も数々の暮陵を管
理を徹底しており、皇居でも神社の由緒記録(古伝)に合わせた祭事を行っている。
 これを以てもなお「トンデモ系」と言い張るのは、いかなる根拠とお考えによってのこ
とか、是非ともお答え願いたい。

 当方としては、具体的な学術調査を行わず、ただ机上の理論だけをこね回しているだけ
のこじつけ臭い内容を臆面もなく発表している高名な学者達の方にこそ、むしろ「トンデ
モ系」のような気がするのだが、いかがお考えか、これもご教示願いたい。



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あ、それから>まむし連様に
 投稿日 1999年9月2日(木)06時48分 投稿者 高橋博彦/鐵扇會 削除

心を込めて書いた私の電信を無視しましたね。衒学を満足させるよりも
人間としての礼儀は守ったほうがよろしいでしょう。


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「衒学」への復讐戦
 投稿日 1999年9月2日(木)06時47分 投稿者 高橋博彦/鐵扇會 削除

まむし連様、私に衒学と言われたことがよっぽど答えた様ですね。
まあ、歴史に造詣の深い貴君ですから、仰有ったことは、一応敬意
をもって調べておきましょう。

 >出雲神話はご存じのとおり記紀や風土記に豊富にありますよね。

確かにあります。あると言うことと、被支配者が支配者側の編纂
によってある部分恣意的に書かれたということも全くないとは断言
できないことです。国の支配者の交代が行われたことを思惟するな
らば、そういう可能性はあると言っただけです。古史古伝に出雲族
の真実の姿を求めたなどといつ言いましたか?話の流れを無理に作
り上げちゃ駄目ですよ。記憶の残滓と言う程度で言っただけです。
全くないなどとは誰にも断言できないでしょう。

 >いわゆる古史古伝に、とくに出雲族(?)のことが多く
 >書かれているなんて事実はありませんよ。

 多く書かれてあるなどとは一度も言っていませんが。

 もともとまむし連様と偽書についてやり合うつもりはありません
でした。中立と言いながら結構攻撃的ですね。やはり、衒学という
言葉に拘っていらっしゃるようですから、実際にどこか衒学的な所
もあるということでしょう。でなければ日猶板から身を引くなどと
いうことはないでしょう。衒学とは現代的に言い換えるならば「お
宅」ということでしょうか。

 筋の通っていることを仰有っているつもりでしょうが、結局混ぜ
っ返しということです。原田常治氏をトンデモ系と喝破しておりま
すが貴君がそう思っているだけのことでしょう。彼に敬意を持つ方
々に甚だ失礼だと思います。で、それについてはここではレスしな
いで頂きたい。衒学空間に入りますから。

 貴君の歴史認識には大いに敬意を感じていますが、基本的に今の
状況で入ることは、混ぜっ返しをやることによってご自分の衒学趣
味を満足させているように私には見えます。貴君から眺めれば私の
言説は甚だ素人じみていて笑止なのでしょうが、それでも自分の考
えを時間を使って書きました。相手の方はそれをやらなかった。こ
の流れの中で入ってきて完膚無きまでに叩く。悪趣味です。私は貴
君を見損なっていたようです。私にご不満がおありなら、人との係
争に乗じて入って来ずに真っ直ぐ私の所に向かってくればいい。

 やられたからやり返す。しかも「衒学」如きの言葉で私怨。成熟
性を疑ってしまいます。 こういう結果になって淋しい限りです。


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「古史古伝」について
 投稿日 1999年9月2日(木)06時46分 投稿者 まむし連 削除

「先代旧事本紀」についての書き込みは、価値中立的に情報として書いたものです。
その後、改めて野嵜さんと高橋さんの議論を読み返してみましたが、

「偽書」と「トンデモ本」はちがいます、その上で、
いわゆる「古史古伝」なるものは、ひとくくりにはできませんが
そのほとんどが「トンデモ本」「デタラメ本」なのであって、
「偽書」でないどころか、その前に古文書ですらないのです。
つまり現代人の手になるものです。

「先代旧事本紀」は「偽書」ですから一考の余地があるのです。

「東日流外三郡誌」については
「民族の掲示板」
http://www.tcup3.com/324/nippon.html?
の2月23日のログで詳しくかいたのですが、
「トンデモ本」「デタラメ本」であるばかりか、はなはだ不敬なものであり、
高橋さんは「阿部氏の話でたまたま引いただけ」とおっしゃるが
良質な書物は他にいくらでもあるでしょうに、
よりによって「東日流外三郡誌」とは、
野嵜さんでなくても「オイオイ、チョットマテ」と言いたくなりますよ。

>おそらくこのとき(まむし註、大化の改新の時の蘇我邸炎上)
>重要な古史古伝類はそれを裏付ける数々の貴重な
>証拠品と共に焼失してしまったと思います。

そうです。
(古史古伝という言い方はちょっとナンですが)
だから残存した断片をあらゆる方面から収集して
記紀が編纂されたのです。

>この時代は強大な力を持つ地方豪族がいて、例の原本というか原資料と
>等価の資料が秘匿されていた可能性はあるかも知れません。

可能性をいえばそりゃ何だってあるに決まっているのですが
実際に発見されてないのです。

>原田常治氏という研究者が言っていることですが、
>古事記の制作が始まった300年前には日本には
>既に知識層の間に漢字は定着していました。

わざわざ原田常治のようなトンデモ系のおじさんをひかなくても
知識層の間に漢字は定着していたなんてことはあたりまえでしょう。
古事記より古い書物があったことは現代の学者も認めています。
正史(=公式の歴史)にこだわった立場にたつ学者がいたら
その方が今時珍しい存在ですよ。
国津神と古史古伝の関係について、
高橋さんはかなり現実離れした認識をお持ちのようですが、

>貴君の論法で言えば、先代の出雲族の記憶も全て抹殺するということですよ。
>国津神を完全に抹殺するということと同義なんですよ。

そんな理屈はないでしょう。出雲神話はご存じのとおり
記紀や風土記に豊富にありますよね。

>偽書類の中には「国津神」の記憶が残存している可能性を。
>もっと言うならば出雲族の記憶が残存している可能性は大きいと思います。

う〜ん、そんな可能性はありそうもないと思いますが…。
お読みになった上でおっしゃっているのでしょうか。
それに、いわゆる古史古伝に、とくに出雲族(?)のことが
多く書かれているなんて事実はありませんよ。
古史古伝が国津神の記録だなんだというのは
昔の左翼が作ったオハナシで、
実際の古史古伝の内容に則った話ではありません。
今もその手の本は出てますが、
通俗歴史もののライターが昔の左翼のコンセプトで本を書いているだけで
あれは学問じゃないのです。


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出雲族(?)
 投稿日 1999年9月2日(木)06時45分 投稿者 まむし連 削除

>日本国神話には「国ゆずり」というものがある。
>その神話を冷静に見れば、出雲王朝から大和王朝に移行した
>ということが充分に考えられます。
>政権交代です。

出雲神話については
「民族の掲示板」
http://www.tcup3.com/324/nippon.html?
の2月23日のログで詳しくかいたのでよかったら、そちらをごらんください。
ついでに
「日本論・思想の十字路」
http://ueno.cool.ne.jp/bbs/mad2001?num=57&ope=v&page=&id=
http://ueno.cool.ne.jp/bbs/mad2001?num=60&ope=v&page=&id=
http://ueno.cool.ne.jp/bbs/mad2001?num=61&ope=v&page=&id=
にも関連記事があります。

>国譲りの結果、出雲族が追放されて外国に行ったとはどこにも書かれていません。
>この事実は、貴君も私も大和人の血と出雲人の血を受け継いでいるということです。

国譲りの結果、ニニギの尊は現界を、大国主命は幽界を治めることになったと
日本書紀にあります。だから平田篤胤などは、大国主命を
仏教でいうエンマ様みたいなものと考えたのですが、
大国主命は現世の君から「昇格」して冥府の君になったとも
出雲系の神々の子孫については「新撰姓氏録」をみればすむことであり
あまり大きな問題ではない。

>大和朝廷が偉大であり、世界に比類のない素晴らしさを持つ所以は、
>その融合性、親和性で国津系と天津系を融和させて
>国体を存続させてきた事実にあるんです。
>実際に全国各地の神社には出雲系の祭神が祭られている神社は無数にありますよ。
>その頂点に位置するのが、前に少し述べた大神(おおみわ)神社です。

じゃあ、それでいいんじゃありませんか、古史古伝もちださなくても。


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↑以上http://www.tetsusenkai.net/bbs/official_03.cgiより。↑

↓以下http://www.tetsusenkai.net/bbs/minibbs02.cgiより。↓
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注・・・まむし連氏・高橋氏・村田氏へ
 投稿日 1999年9月2日(木)06時54分 投稿者 鐵扇會 削除

出雲族? 以降のお三方の関連投稿は、
鐵扇會公式掲示板・歴史認識 http://www.tetsusenkai.net/bbs/official_03.cgi
に移設いたしました。
これ以降の御発言は、そちらの方にご投稿下さい。


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高橋樣へ
 投稿日 1999年9月1日(水)17時08分 投稿者 野嵜健秀 削除

> 貴君に向かっていう言葉ではないが、アカの言説態度には、自分から言論素材、
>反論用のエレメントを全く用意しないで安易に相手の言ったことだけを「ただ否
>定」することに没頭する奴が多いと思います。

私の知るかぎり、「アカの言説態度」とは、常に思ひ込みから事實證據を集めまくり、
本質を論じないといふものであります。
例へば「南京虐殺」肯定派は、「虐殺」の證據をこれでもかと列擧します。
しかし、そもそも戰爭は惡ではなく、「戰爭犯罪」は成立せず、「南京虐殺」は犯罪ではない
のだから、證據を列擧するのは無意味ですね。そこが左翼にはわからない。
彼等には最初から、戰爭は惡だといふ思ひ込みがある。

私は左翼が「南京虐殺」の證據を列擧するのが無意味なやうに、
僞書に關して根據、根據で論ずるのも無意味だと思ふのです。
僞書を一生懸命に研究するのならば、正史を研究した方がよい。
或は、根本的なもの、正道といふものに私は拘はりたいのであります。


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沖の鳥島(国益としての目立たない行為)
 投稿日 1999年9月1日(水)12時35分 投稿者 高橋博彦/鐵扇會 削除

 今日の読売に「沖ノ鳥島」のことが出ていました。
東京から1700キロ太平洋上にある日本最南端の「沖ノ鳥島」は、東小島と
北小島からなる、合わせて畳み四畳半くらいしかない広さであるが、この島の
保全工事が七月で終わったそうです。この両島に、チタン製のワイヤーを格子
状に張りめぐらし、島が波で崩壊しないように保護蓋を設けたそうです。沖ノ
鳥島は、我が国の排他的経済水域として重要な場所ですから、八億円かけた工
事であっても至って重要なことだと思います。

 目立たないながらも、これが「国益」に準ずる政府の行為というものです。


>野嵜健秀様

 貴君の思いはきちんと承りました。私も言うべきことはきちんと言いました。
これにて貴君とその問題についてはここでのやり取りを終えます。それでも収
まらない場合は、どうぞご存分におやりになって下さい。私はここでは一切お
答えしないつもりですのでご了承願います。

 私は最初から「正史」か「偽書」かの二元論的論争に入ったつもりはまるで
ありませんし、今からでもそんな空間に入るつもりも御座いません。貴君は偽
書は百パーセント「虚偽」という立場、私は偽書の中には「かつての記憶」が
残存するものもあるという立場、この立場は絶対に変えませんし、貴君もそう
なのでしょう。それで私にはこれ以上やる意志がありません。それは敗北と受
け止めても、逃げと受け止めても一向に構いません。

 なぜなら論争的に見れば、貴君の否定根拠が掲示板上では「ゼロ」だからです。
先述しましたが、学者の名前を出してこと足れりでは誠意がないというもんです。
まむし連さまのような立派な言説を以てするのが、礼儀に適った反駁という物で
す。お互い、国を憂える仲間同士、この問題を拡大して何か実りがありますか?

 掲示板上で思うことは、書き込み誠意ということです。否定するにしても賛同
するにしても、自分の世界から出した「言論素材」を提供して進めていくことが
実のあるやり方だと思います。「そんな考え間違っている」という指摘だけでは
誰でも出来るし、全く何の言論素材も用意しない安易な応対でしょう。まむし連
様の言説を見ましたでしょ?自分の貴重な時間を使ってエネルギーを使って言う
べきことを言っています。この態度が真の筋というものです。これに礼節を持た
なければ人倫に悖るというもんでしょう。

 貴君に向かっていう言葉ではないが、アカの言説態度には、自分から言論素材、
反論用のエレメントを全く用意しないで安易に相手の言ったことだけを「ただ否
定」することに没頭する奴が多いと思います。最低ですな。その点、貴君もご存
じの「つるおか氏」は違っていた。彼は陣営こそ違いますがそれなりの誠意を以
て戦った。この態度は瞠目するべきでしょう。ま、年齢的なものもありますけど
ね。

 では。


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二言三言
 投稿日 1999年9月1日(水)09時09分 投稿者 野嵜健秀 削除

●高橋樣

山崎闇斎は「鬪異」の冒頭で異端の害、邪説の害を説いてをります。
異端が強まれば正道は衰へると朱子は述べ、邪説に對して敢然と反論する孟子を讚へてをります。
また、異端を研究するのは害があると云ふ孔子の言葉も引いてをります。
「ささやか」だらうがなんだらうが、間違ひは間違ひと言はねばなりません。
さもないと、正道が疎かになるからです。

●初心者樣へ

私は馬鹿だから反省などしません。「なんか學んだり」などしません。


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従軍慰安婦問題について>ピカチュウ様
 投稿日 1999年8月31日(火)15時37分 投稿者 高橋博彦/鐵扇會 削除

 私はそれについては詳しくはありませんが、小林よしのり関連の書籍で知っている
程度です。自由主義史観系の方々が色々と言っているようですが、そういうきちんと
した検証は絶対に必要でしょう。

 しかしながら、私はふとこの問題を思うとき、もしかしたらこれについては「天皇」
について言及しない限り、根本的な解決にはならないのではないかと考えるのです。
どういうことかと言えば、戦争とは、いつぞや初心者様が仰有ったように、それが悪
だから良くないなどという言い方は砂漠が熱いと言っていることと一緒で無意味です。

 つまり、戦争行為の中で人間は、獣性を発揮して普段は潜めている暴力性を思いっ
きり発現するということはありうることだとは思います。しかし、ここで注意を要す
るのは全ての民族の軍隊が一様にそうなのか?という疑問であります。私は思う。
従軍慰安婦問題に限らず、旧日本帝国軍人達は本当に不当極まる名誉毀損に落とされ
ています。渡部昇一氏や小室直樹氏が言う如く、日本帝国軍人は世界でも最も軍律を
整然と守った軍隊であると思います。なぜなら彼らは「皇軍」の矜持を抱いていたか
らです。

 左翼的な奴らが従軍慰安婦を捏造したことは明らかです。彼らが言ういわゆる「残
虐さ、非人道性」の決まり文句は、そっくり彼ら自身の精神地平から持ってきている
物です。アイリス・チャン女子もそうです。あの中で表現される行為は、そっくり支
那人の裏返しなんですから。

 大きく言えば、白人はキリスト教を民族の「陶冶」に使用して失敗した。支那人は
儒教、道教などを民族の陶冶に使って失敗した。日本人は天皇という至尊の御存在を
精神の中心に置くことで、民族の陶冶に成功しました。世界にあまたある国々の中で
民族の陶冶に成功した国が日本以外に一体どこに見られるでしょうか?

 この事実は、天皇がこの国の礎として常にあらせられたからと言う以外にはないの
です。日本人から皇室を取り去ったらそこには野蛮なものが群雄割拠する最低の国に
成り果てると思います。「皇軍」の兵士。従軍慰安婦問題は、最終的にこの観点から
出立して解決を図ることだと私は信じます。この観点なくしてこの問題を考えれば、
当の日本人の胸に「ひょっとして、先人達は・・?」というよからぬ思いが去来する
こともあるでしょう。

 誰が何を言おうとも、日本人の道徳理念の根幹には敢然とそしてひっそりと、天皇
を尊崇する姿勢が基本としてあると思います。


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ご無体な(^^)
 投稿日 1999年8月31日(火)15時01分 投稿者 高橋博彦/鐵扇會 削除

>全ての「トンデモ本」には一理があると云ふ事になりますが。

う〜〜ん、野嵜様。設問の、全てのトンデモ本という言い方が、偽書=トンデモ本
という等価断定がなされていますから、私が言った、偽書と言われるものの中には
完璧な「嘘本」もあるだろうが、そうでないものもあり、一部には確無視できない
記憶が入っているかもしれないという私の気持ちとは相容れないものです。

 一部に残存する記憶という「ささやかな」(笑)言い方に、目くじらならぬ目ゴ
ジラを立てても仕方がないではないかということです。偽書の名前を少し出しただ
けでも、抜刀して、『うぬは朝廷に歯向かう逆賊なのか?』という言い方はあまり
にもご無体でありましょう。(^^)


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高橋樣へ
 投稿日 1999年8月31日(火)13時33分 投稿者 野嵜健秀 削除

高橋樣の論理を應用すると、全ての「トンデモ本」には一理があると云ふ事になりますが。
いかがなものでせうか。


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RE:「先代旧事本紀」について
 投稿日 1999年8月31日(火)12時56分 投稿者 高橋博彦/鐵扇會 削除

まむし連様、いつもながら見事な見識です。大変参考になりました。

>「先代旧事本紀」には10巻本、30巻本、72巻本という3種類のものがあり、
>このうちの72巻本が「先代旧事本紀大成経」ですが、
>この3つは内容が異なるので混同してはいけません。

私はこの三種類が存在することは知りませんでした。聖徳太子と蘇我一族の意志が
投影されているのは「10巻本」の方ですか。学問的には色々あるのでしょうが、
要するに私が言いたかったことは、「先代」の記憶がどの程度表され、どの程度の
信憑性を持つのかということを知りたいという一点にあります。

 第七十二代、白河天皇は仏教に帰依の厚い方でしたが、それまで記紀の記述に従
って行われてきた宮中祭祀を、全面的に古伝、古文書に照らし合わせて行われなけ
ればならぬと改革を断行されたそうです。伝統ある皇室が、嘘の多い書物(この表
現は看過できないと思います)に振り回されて祭祀を行っては、皇祖、皇霊に対し
て申し訳ないと仰せになったことは、天武朝の時代に全国から集めた由緒ある名家、
名族、神社の古伝書や証拠品などを宮中に保管してあったことが伺われます。

 このときにどの様な祭祀様式の大断行があったのか私には知る由もありません
が、少なくとも改革に記紀以外の資料も使われたということは確かでしょう。

『先代旧事本紀大成経』72巻は、「神代本紀」「先天本紀」「神事」「陰陽本紀」
「天皇本紀」など多岐に亘る内容があるそうですね。で、私が伺いたいことは、先代
に関する記述についてです。まむし連様はお読みになったということですが、この先
代史に関しては記紀の範囲を決して出ていない内容なんですか?それともそれ以外の
エレメントが明らかに存在するのでしょうか。だとすれば、それが捏造かそうでない
かの判断はどうおやりになるのでしょう。

 私は、蘇我蝦夷邸が今で言う、国会図書館と国立博物館の合わさったようなものじゃ
なかったのかと考えています。おそらくこのとき、重要な古史古伝類はそれを裏付ける
数々の貴重な証拠品と共に焼失してしまったと思います。しかしながら、勿論想像の域
を出ませんが、この時代は強大な力を持つ地方豪族がいて、例の原本というか原資料と
等価の資料が秘匿されていた可能性はあるかも知れません。

>「偽書」というのは序文で由緒来歴を偽るもので、内容がデタラメ
>という意味ではない

よくぞ仰有ってくれました。私が言いたいことはそのことでした。歴史の知識を衒学
(笑)として言うことではなく、偽書というものに、先代の記憶が全くないなどという
断定を再考してもらいたいという一念です。全部正しいか、あるいは全部間違いである
かなどという見方は、歴史書に関しては言えないものであるということを言ったつもり
です。


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「先代旧事本紀」について
 投稿日 1999年8月31日(火)11時29分 投稿者 まむし連 削除

>日本最初の歴史的著作物は「記紀」が登場する約百年前に
>聖徳太子の手によって書かれた書物です。
>その書名は、太子憲法85条が治められてある『先代旧事本紀大経』
>(せんだいくじほんぎたいせいきょう)というものです。

「先代旧事本紀」には10巻本、30巻本、72巻本という3種類のものがあり、
このうちの72巻本が「先代旧事本紀大成経」ですが、
この3つは内容が異なるので混同してはいけません。

ふつう「先代旧事本紀」といえば10巻本をさし、これは
聖徳太子と蘇我馬子が編纂したものと序文にあり、
中世には記紀とならぶ神典として重視されていましたが
1)「先代旧事本紀」というタイトルがおかしい
2)聖徳太子と蘇我馬子が編纂したのに推古朝以降まで記事がある
3)本文主要部分が「記紀」を適当につぎはぎしたものになっている
などの理由で江戸時代に偽書とされ、現在では平安時代前期に作られたものではあるが、
「天孫本紀」や「国造本紀」など部分的には古伝をふくむものとしてしっかり認められています。
(「偽書」というのは序文で由緒来歴を偽るもので、内容がデタラメという意味ではない)

72巻本=「先代旧事本紀大成経」が出てきたのは江戸時代であり、
すぐ伊勢神宮から訴えられ関係者は処罰されました。
30巻本は「大成経」から、訴えられそうなところを削った上ダイジェストにしたもの。

72巻本も30巻本も、多少の基礎知識があれば、陰陽道や儒仏で脚色した目も当てられない代物
だということは読んですぐわかります。

>この本の写本が多く存在していたことは歴史的事実です。
>この書物を勉強した有名な人物には、
>菅原道真、楠木正成、貝原益軒、熊沢蕃山、山鹿素行などがいます。

菅原道真や楠木正成が「大成経」を研究したなんてことはありえないことです。
楠木正成が聖徳太子の「未来記」を読んだという「太平記」の説を
「先代旧事本紀大成経」がとりいれているということです。

>「記紀」はこの書物を参考にして書かれていたそうです。

読めばすぐわかりますが「先代旧事本紀」の本文主要部分は
記紀を適当につぎはぎしたものだということは露骨にわかります。

>もっと正確には、『先代旧事本紀大経』の原本を手本にしたということです。
>例の蘇我蝦夷の焼死でこの原本が焼失した可能性があります。

蘇我邸炎上の際、聖徳太子が編纂した「天皇記」は焼失して「国記」が残ったことは
日本書紀にちゃんとかいてあります。焼失したから残って無いのです。
残ってなかったから「先代旧事本紀」の原本にもなりようがありません。
残っていたら、まず記紀の原本になる、というのが道理です。


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「古事記が最古」の意味
 投稿日 1999年8月31日(火)08時41分 投稿者 まむし連 削除

記紀の原典(? というか原資料のようなもの)については、
なにも偽史のたぐいをもちださなくても、
ふつうの学者だって認めている人は多いはずですが…?

「古事記」が日本最古、というのは、
「現代に内容が伝わっている書物の中では最古だ」、
という意味です。


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日本女性考>歴史に関しては>高橋様
 投稿日 1999年8月31日(火)01時29分 投稿者 ピカチュウ 削除

>謙虚でありたいと考えています。タイムマシンを自由に駆使することがで
>きないかぎり、実際にあったことを正確に把握することはできないんです。
>正史と言われる物の影に埋もれた歴史は多数存在します。誰であろうとも
>その部分については謙虚であってほしいと私は年寄りらしく考えています。

高橋様
敢えて謙虚に歴史を考察しますと、従軍慰安婦問題、この国家的贖罪をせよ
という提起の主役が日本女性であり、彼女達が自国家を虐げてでも普遍的な
「女」を前に出し破廉恥な議論に参加して来る心理的要因は、水戸學以来の
歴史的抑圧が見えない処に今も残存しているのでは無いでしょうか? 昨日
のセビリアでの女子マラソンを見ておりまして、21歳の市橋女史の穏やか
で乱れぬ走りとチョン・ソンオク(朝鮮民主主義人民共和国)の●★▼な走
りとの比較が、ふと、そんな感想を私に齎しました。
従軍慰安婦問題でアンケート調査する「可愛い」彼女達をただ単に、「馬鹿」
という言葉で括るべきなのでしょうか?


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歴史に関しては
 投稿日 1999年8月30日(月)23時15分 投稿者 高橋博彦/鐵扇會 削除

 謙虚でありたいと考えています。タイムマシンを自由に駆使することが
できないかぎり、実際にあったことを正確に把握することはできないんです。
正史と言われる物の影に埋もれた歴史は多数存在します。誰であろうとも
その部分については謙虚であってほしいと私は年寄りらしく考えています。

 これかあれかの二値選択で判断したら怨念を産むことは多くあります。歴
史は特にそうでしょう。


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『記紀』の原典実在論 考 >野嵜健秀 様
 投稿日 1999年8月30日(月)22時35分 投稿者 高橋博彦/鐵扇會 削除

  野嵜様と喧嘩する気は全くありませんが、看過できない古伝認識感覚が見受けられるので思いつ
いたことを一応言います。

> 『古事記』『日本書紀』は日本人がはじめて作成した書物だと云ふ事が明かです。
> 出所に疑ひの餘地はない。確實なものです。

出所に疑いの余地はないと言いますが、その出所とは何ですか? 野嵜様の口から言って頂けますか?
どうも貴君の一連の私に対する投稿には「偽書」という言葉に反応して、その書名を少し挙げ連ねただけ
で、何の根拠もなく否定していますね。書き込みの誠意とは某所で誰かがその偽書を完璧に否定したか
ら、それを読めなどと言うところにはないと思う。貴君の言葉で一応要点を上げて否定するのが筋という
モンです。古事記、日本書紀について最低限度の成立史の知識も持ち合わせない貴君が、「記紀」が日
本で最初に書かれたなどとどうして断言できますか?自分の意志で自分のエネルギーを投入して「記紀」
に挑んだことがありますか?多分、全くないのでしょう。

 貴君は古事記と日本書紀が書かれた経緯をご存じか。最初に着手されたのは『日本書紀』であり、天
武天皇13年(684年)です。『古事記』はそれから8年の後、持統天皇の勅命によって太安万侶が書き
始めました。古事記はそれから20年後の712年に完成されています。最初に着手された『日本書紀』は
この時点でまだ未完でした。日本書紀が完成されたのは720年、実に38年の年月を要しています。この
理由がお分かりか?日本書紀が十巻まで出来上がったとき、持統天皇は内容に不満をお持ちになり、
「亡き夫君が志向された歴史書とは違う」と言って、太安万侶にこれを補完する古事記を書くようにお命じ
になりました。原田常治氏という研究者が言っていることですが、古事記の制作が始まった300年前には
日本には既に知識層の間に漢字は定着していました。この経緯の中でどうして「記紀」が日本最古の著作
だなどと断言できますか?教科書に書かれてあるからなどと糞みたいなことを仰有らないで下さい。

 日本最初の歴史的著作物は「記紀」が登場する約百年前に聖徳太子の手によって書かれた書物です。
その日本最古の歴史書は、貴君がお好きな官制学者達によって「偽書」として否定されています。その書
名は、太子憲法85条が治められてある『先代旧事本紀大経』(せんだいくじほんぎたいせいきょう)という
ものです。この本の写本が多く存在していたことは歴史的事実です。この書物を勉強した有名な人物には、
菅原道真、楠木正成、貝原益軒、熊沢蕃山、山鹿素行などがいます。「記紀」はこの書物を参考にして書
かれていたそうです。もっと正確には、『先代旧事本紀大経』の原本を手本にしたということです。例の蘇我
蝦夷の焼死でこの原本が焼失した可能性があります。今、私が一番目を通してみたいものがこの文献です。

 学説というものが多数存在する世界で素人が、ある学者を信じることは構いませんが、それを敷衍して固
定学説として「公」に強引に引用する奴は愚か者です。否定された文献の中にも一片の真実は存在する。
日本国神話には「国ゆずり」というものがある。その神話を冷静に見れば、出雲王朝から大和王朝に移行
したということが充分に考えられます。政権交代です。貴君の論法で言えば、先代の出雲族の記憶も全て
抹殺するということですよ。その意味をちゃんと理解していますか。これは日本に「国津神」と「天津神」が同
居しているにも関わらず、国津神を完全に抹殺するということと同義なんですよ。

 ちゃんと考えてみて下さい。偽書類の中には「国津神」の記憶が残存している可能性を。もっと言うならば
出雲族の記憶が残存している可能性は大きいと思います。国譲りの結果、出雲族が追放されて外国に行っ
たとはどこにも書かれていません。この事実は、貴君も私も大和人の血と出雲人の血を受け継いでいるとい
うことです。大和朝廷が偉大であり、世界に比類のない素晴らしさを持つ所以は、その融合性、親和性で国
津系と天津系を融和させて国体を存続させてきた事実にあるんです。実際に全国各地の神社には出雲系の
祭神が祭られている神社は無数にありますよ。その頂点に位置するのが、前に少し述べた大神(おおみわ)
神社です。

 私をアカと断定するのは構いませんが、もう少し勉強をしてからおやりになった方がいいでしょう。(^^)



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やつぱりそれは左翼思想です>高橋樣
 投稿日 1999年8月30日(月)04時19分 投稿者 野嵜健秀 削除

> それがなぜ左翼的なんですか?いいがかりとしか考えられません。この前も言ったと
>おり、支配階級としての政治的観点から見れば、以前の記憶が残る史料は抹殺するとい
>う意志はあると思います。つまり、大和朝廷は二千七百年も存続しているのであり、今
>更先住民族の記憶を削除する意志を遂行しなくてもいいと思います。その辺は冷静に考
>えるスタンスを取れる時代でもあると思います。

「被支配者の記憶」なるものを重視するのだから、左翼と一緒です。
餘りにも單純な理屈です。


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感情的ですね。> 野嵜健秀 様
 投稿日 1999年8月29日(日)19時54分 投稿者 高橋博彦/鐵扇會 削除

 ある国家に以前、ある集団が渡来して先住民族と戦い、これを平定して新たな国家を
築いたとします。通常、そこで支配民族になった集団は、以前の民族の記憶を葬り去ろ
うとしませんか?その場合、焚書を行って古記録を抹消したとしても、潜在した先住民
の思いは口伝という形、あるいはすぐに見つからない記録として後世に残して置くと思
います。そういう意志は私たちが想像する以上に強力だと考えます。

 だとすれば、我が国に置いてもそういう古史古伝が様々な形で伝承されてきたことは
充分に考えられることであり、正確さには信憑性がなくとも、何らかのいにしえの記憶
が投影されていると思います。中には作為的に百パーセントの偽書もあるでしょう。し
かし、中にはそう断定できないものもあると考える方が現実的でしょう。

 それがなぜ左翼的なんですか?いいがかりとしか考えられません。この前も言ったと
おり、支配階級としての政治的観点から見れば、以前の記憶が残る史料は抹殺するとい
う意志はあると思います。つまり、大和朝廷は二千七百年も存続しているのであり、今
更先住民族の記憶を削除する意志を遂行しなくてもいいと思います。その辺は冷静に考
えるスタンスを取れる時代でもあると思います。

 >殘つてをりません。後世の人間が書いたものは後世の人間のものです。
> 一々「トンデモ本」に期待をかける必要はありません。

 この断定には正直その理性を疑ってしまいますね。古事記、日本書紀にも明らかに原
本が存在しており、その記述自体は後世の人間が書いたものでしょう。でしたら「記紀」
自体も後世の著作と言うことになり貴君の論法で言えば、明確な偽書ではありませんか。
筋が通っていないですよ。

 貴君ほどの自信家がご存じないとは思わないが、大化の改新の真っ最中に、蘇我蝦夷
(えみし)が自宅に放火をして、当時の貴重な古記録類が全焼の憂き目にあった訳です。
これが契機となり、古記録保存の熱意が高まり、その流れの中で古事記の編纂が為され
ました。古事記に関して言えば、それが書かれたとき既に原本は存在していなかったと
言えます。

 天武天皇が発案して、諸氏族につたわる帝紀と旧辞の虚偽を削除して真実を後世にの
こすために舎人(とねり)の稗田阿礼に暗唱させたとありますね。古事記の序文に。原本
が存在していたのなら、記憶力抜群の稗田阿礼になぜ「暗唱」させたとあるんですか?

 しかし、だからと言って私は記紀と「東日流外三郡誌」を同位の文書として扱ってい
るわけではありませんよ。あの文書にはたまたま「阿部氏」のことが書いてあったので
参考までにとお断りを入れました。その文章を無謬の史料として私が何時思想的な書き
込みに使用しましたか?こういう部分に吉田清司を強引に当てはめて「左翼呼ばわり」
するとは心外ですね。論理展開が無茶苦茶ですよ。いちゃもんのレベルです。

 過去の記憶が残存しているかもしれないと言っていることに、そこまで目イルカじゃ
なかった、目くじらを立てることもないと思いますが。もう一回言いますが、後世の人
間が書いた文が偽書ならば「記紀」も偽書なんですか?口伝や一子相伝は明らかに最近
まで残っていました。諏訪大社の神主さんにも、明治までには一子相伝の言い伝えが残
っていたことが分かっています。朝廷以外の史料が残存するわけはないという思いこみ
こそ、理想主義の偏狭さではないですか。

 強い意志というものは結構ですが、無茶苦茶はどうでせうか。





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動機なんてものは學問に於いてどうでもよいことなのであります
 投稿日 1999年8月29日(日)17時22分 投稿者 野嵜健秀 削除

例へば數學で圓周率を計算するのに動機なんて要りません。
學問に於いて大事なのは、常にただ單に、正しいか正しくないかと云ふ事です。

『古事記』『日本書紀』は日本人がはじめて作成した書物だと云ふ事が明かです。
出所に疑ひの餘地はない。確實なものです。
しかし『東日流外三郡誌』は僞書であることが確定してゐます。
僞書は僞書です。「トンデモ本」です。盜人にも三分の利といひますが、
「トンデモ本」に「三分の理」を認めてはなりません。

> そういう史料の中には大和朝廷以前の記憶も残っているかもしれないじゃありませんか。

殘つてをりません。後世の人間が書いたものは後世の人間のものです。
一々「トンデモ本」に期待をかける必要はありません。
大體、その論法で行くと、我々はいかなる書物にも「大和朝廷以前の記憶」を探してよいと
云ふ事になるんです。
『失樂園』や「エヴァンゲリオン」に「大和朝廷以前の記憶」を探してよいと云ふ事になる。
記憶記憶といひますが、高橋さんのやり方では心理分析の領域に入り込みます。
あるいは「故事つけ」といひます。もはや、それは歴史の調査ではなく、オカルトの世界です。

さらに言ふならば、高橋さんの「理想主義」はまるで左翼のイデオロギーそのままです。
右翼たるならば、左翼的「理想主義」は排除せねばならぬでせう。
現實主義をとるのが筋でせう。左翼は動機動機といひます。道義主義です。
右翼は左翼と同じ道をとつてはならない。

間違ひは間違ひと斷言する勇氣を持たねばなりません。


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横槍で恐縮です。
 投稿日 1999年8月29日(日)16時23分 投稿者 ピカチュウ/居候 削除

野嵜健秀様
はじめまして。居候の身で恐縮ですが、一宿一飯の恩義から一言。
過去に起った出来事の真贋に、他人の説を以て白黒つける行為は、やはり信じる信じないの
レベルです。山田孝雄を信じ、吉田清司を信じないと規定する野嵜様の根拠は、両氏の著書
の完成度合いなのでは? それを判断するにもまた、どこかの説を借りて来なければならな
い。己が物理的に関与し得ないモノに、真贋の槍をぶち込む為には「盲目なる信仰」か「検
証を以ての信仰」かの二者択一です。後者であるならば、己が説を構築する為に考察の旅に
出なければなりません。その時には、どうしても先人達の資料が時空を超えて必要となり、
仮にその完成度が低くとも、彼等の著作動機の背景に潜む空気もまた「資料」となり得る。
高橋さんの言いたいコトは、そういうコトなのでは?
因に真実とは著作物であっても然りで、常にお天道様の下に晒されてる訳でないコトは、ご
存知ですね。完成度の高いモノを盲目に信仰して、後で騙されたと騒いでいる人も、世の中
には多ございます。ハイ。


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おそらく・・
 投稿日 1999年8月29日(日)15時35分 投稿者 高橋博彦/鐵扇會 削除

野嵜様の仰有ることが原則論なのでしょう。ただ、私は官憲ではないし、そういう
史料の歴史的価値を一言の元に否定する心が持てないだけです。立場というものを
そちらに位置づけているのではない限り、読んだり、参考にしたりすることは悪い
とだとは考えていません。

 そういう史料の中には大和朝廷以前の記憶も残っているかもしれないじゃありま
せんか。一言隻句も認めないなどという大それた能力もありませんし、決断力も私
は持ちません。古事記でさえも失われた原本の残存記憶で書かれてある事実をお認
めになるならば、日本書紀と矛盾する記述に対してもどちらか一方を否定しなけれ
ば、貴君の態度は整合性を欠くということにならないでしょうか。この場合は、あ
まり決然としてあれかこれかの「二値論理」的思考は不適当だと私自身は考えてい
ます。結構微妙な問題があります。


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僞書などについて>高橋樣
 投稿日 1999年8月29日(日)12時23分 投稿者 野嵜健秀 削除

御久しぶりです。

私は狹量ですので、高橋さんのやうに、明白な僞書にも一片の眞實がある、とは
考へられません。

「從軍慰安婦」問題で左翼と論爭してゐると、彼らはしばしば吉田清司の著作を持出してきます。
吉田の著作は眞つ赤な嘘と證明されてゐるので、私は常にさう言ひます。
すると彼等は、これらの「文書を全部否定するとするならば、」「從軍慰安婦」の
哀れな境遇「そのものも抹消することになりませんか?」と言ひ出す譯です。

高橋さんは心が廣い方であり、それは一面美徳ではありませうが、別の一面では
惡徳にもなりかねません。虚僞を眞實とする惡徳です。

餘談になりますが、神代文字を右翼はしばしば好むものですね。
右翼が神代文字を信じたがるのは、平田篤胤以來の「傳統」です。
だが山田孝雄博士がきつぱりその存在を否定してをります。
しかしさう云ふ明かな間違ひに固執することは、果して全うな學問に對する態度なのか。
或は怪しげなものに頼らないとならぬほど右翼はおちぶれてゐるのか。
左翼の事を間違ひだと言ふのならば、右翼は飽くまで正しいと云ふ事に拘はらねばならない。
さうでなければ右翼が左翼を叩く意味がなくなる。ただの水掛け論に終る。
私は右翼であるといふことよりも、能ふ限り正しくあらうとする方が
上等だと信ずるのであります。


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少しだけ>野嵜健秀様
 投稿日 1999年8月28日(土)12時04分 投稿者 高橋博彦/鐵扇會 削除

 お久しぶりで御座います。「東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)」が偽書で
あるとのご意見承りました。私もそのように考えています。私の個人的な思いとして、
大和朝廷が建立された時、神武天皇東征上、幾多の民と戦い、これを鎮圧し平定しま
した。その過程と結果については謎の部分が多くあることも虚心坦懐に認めなければ
ならないでしょう。天皇家も欠史八代と言われているとおり、不明な部分が存在しま
す。神武天皇の御父上であるウガヤフキアエズノミコトも神話的領域に収まっていま
す。

 大和朝廷開闢以来、朝廷に吸収同化された民も多くあると思いますが、いわゆる
「まつろわぬ民」もいたことは事実です。彼らが史書として整然としたものを持た
なくとも、先祖からの言い伝えを守り抜いてきたことは充分に考えられます。口伝
(くでん)を近世に文書化したものは案外多くあったのではないでしょうか。明治
の廃仏毀釈によって、数多くの古史古伝類が消失の憂き目にあったと聞き及びます。

 その中には相当色濃い「反朝廷資料」と言われるもあったでしょう。ですから、
その内容には書いた人の強い気持ちが反映して、口伝に存在しないことを付け加え
ている例も多々あったと思います。そういう意味では勿論「偽書」と断定してもい
いでしょう。竹内文書にも「ポツダム」などという単語があるそうです。しかし、
だからと言って、これらの非正統なる文書を全部否定するとするならば、残存して
いた言い伝えそのものも抹消することになりませんか?

 これが持つ意味は、サンカや同和部落、あるいはその他の血流の存在を否定する
ことと連動することを指すような気がします。勿論、私も詳しくないので思いつき
で言っておりますが、キリスト教、ユダヤ教の文書にも偽書類、外典類は多数存在
します。これらには正典類と矛盾する叙述が少なくありません。ですが、その存在
を抹消できなかった理由は、無視し得ない記述も多数存在するからです。

 私個人の意見ですが、彼の古史が偽書であってもどうということはありません。
野嵜様が「偽書を手にした奴は反皇室」と言うならばそれでも一向に構いません。

 ご意見、ありがとう御座いました。



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「東日流外三郡誌」
 投稿日 1999年8月28日(土)10時09分 投稿者 野嵜健秀 削除

どなたも御指摘になつてをらぬので一言。
「東日流外三郡誌」は僞書です。「ゼンボウ」でかつて論證されてをります。

※「ゼンボウ」平成8年8月〜10月號


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ご参考までに>大和魂様
 投稿日 1999年8月25日(水)23時06分 投稿者 高橋博彦/鐵扇會 削除

大和魂様、こんばんは。

「阿部」という名字については、たとえばまむし連さまなど、私よりも遙かに詳しい方々が
大勢いると思いますが、私の手元にある佐治芳彦の「東日流外三郡誌」という本に、阿
部氏のことが書かれていました。その中の「東日流起源大要」というところにあるそうで
す。

 「化外の域にあり、征夷の軍さしむけらるもここ東日流の地を侵犯せる者なし。
  ・・・・・阿部比羅夫は東日流を征せんとするも、一歩たりとも陸踏を得られず
  ・・・・・荒吐(あらはばき)一族に冠位を贈り、阿倍の姓を与えるに依りて・・・」

 阿倍野比羅夫って当時の大水軍ですよね。この人が津軽のアラハバキ一族に「阿倍」
の姓を与えたって書いてあるみたいですよ。

 手元にあった本に出ていたことを書いただけですので、阿部さんは別に由来があるの
かもしれません。ただ、津軽の阿部さんの御子孫だとすれば、そうとう頑強な精神の先祖
を持っていたと言うことになりますね。(^^)

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↑以上http://www.tetsusenkai.net/bbs/minibbs02.cgiより。↑