初心者・元気だぞ様、今晩は。三島の小説の件で書かせて頂きます。長いです。
確かに日本の伝統的な文学として、美しいものを愛でる、といふものはあります。
ただし、美といふものがいかに当てにならないものかは、芥川が証明してゐます。
時代のせゐではないのです。
頭のいい三島が美を信じられる訳がありません。だから政治に関心を持つたのです。
明治以来、日本の文学者は政治に劣等感を抱き続けてきた――さういふ問題があるのです。
これは日本の文化の重大な問題です。原因は明治時代に日本人の道徳が搖らいだせゐです。
日本の国には元々はつきりした道徳の規準はありません。
西欧はキリスト教の神といふ揺るぎない絶対者を戴きますが、
日本人は人間である天皇しか戴く事は出来ません。
天皇は誤りを冒すのであり、絶対的な存在ではありません。
ただ明治以前に日本人は人の上に人(天皇)を戴く、言換へればすぐれた人に肖るといふ道徳を、
或は痩我慢の「和魂」を持つてゐた――それは事実です。
しかしそれは相対的な基準でしかないから頼りない。
だから明治時代に西欧文明が流入すると日本人は簡単に「和魂」を捨ててしまひます。
西欧文明は日本の文明より進んでゐたから、精神も進んでゐると勘違ひしたのです。
だが日本人が西欧人になることは不可能で、西欧的な道徳の観念を持つ事は出来る訳がなく、
だから日本的な道徳を失へば日本人は根無し草になる。
そしてその不安を真先に引受けたのが道徳を扱ふ文学者でした。
さて文学は美を描くか道徳を描くものなのですが、美は当てにならず、道徳も信じられぬ。
だから日本の文学者は政治に劣等感を抱く。
しかし実に政治ほど当てにならぬものはないのであり、
だからソヴィエト崩壊によりぱあになつたスローガンは数知れませんし、
例へば共産主義に頼つた中野重治の評論はことごとく屑になりました。
否、『中国の旅』で中野は、中ソが仲違ひする事は絶対にありえないと断言したものの、
わづか数年後に見事に裏切られてをります。
政治は所詮はかないものなのであり、政治で何でも解決出来ると考へるのは間違ひなのです。
美や道徳は政治に比べ長持ちする――美はともかく道徳を信用するのが文学者の定めです。
日本の文学者は日本の道徳に拘はらざるをえないし、拘はらねばならない。
さもないと道徳はなくなつてしまひます。
日本で「和魂」を守らうとしてゐたのは森鴎外だけです。
一方「洋魂」を理解せねばならぬと考へて一人苦しんだのが夏目漱石です。
何らかの意味で道徳的に苦鬪しない文学者は文学者失格なのです。
しかし三島は文学者でありながら美に留まる事も出来ず、道徳も信じず、かへつて
政治に関心を持ち、政治を信じてしまつた。
文学は政治に奉仕すべきものだと考へ、政治的な主張を書くために、
登場人物を自分の都合の良い様に動かすといふ道徳的破廉恥を小説でやつた
――それが問題なのです。
三島の「死にたい病」
作家の死に何らかの意味を見出すのは――言換へれば作家の死から作家の作品を逆照射する事は、
批評者が自らの主義主張を作家の上に勝手に見てゐるだけなのです。
それは文学批評として邪道であり、批評の立場としてなつてゐないと言へます。
しかし三島の場合には問題はそれ以前の所にあります。
三島は死を仄めかし過ぎてゐます。「死にたい病」と名づけるべきものです。
「死にたい病」の患者が自殺する事だけは絶対にありません。
三島は必然性もないのにわざわざ『憂国』で主人公に切腹のやり方を語らせました。
切腹する前に講釈をする馬鹿がどこにゐますか。これは小説の表現としても実に拙いのです。
ただ、三島には切腹の知識がある事はこれで証明されてゐます。
しかしその知識を、自分が切腹する際に三島は忘れてしまつた。
介錯がある時は腹を深く切つてはいけないのを知つてゐながら、
三島は深く切つてしまつてゐます。
苦しくてのたうち回つて森田必勝は何度も介錯を仕損じました。
市ヶ谷駐屯地で演説を打てば自衛官は決起する――さういふ甘い見通しが三島にはあつた。
ところが三島は野次り倒され、テラスから引つ込まざるをえなくなりました。
プライドが高い三島がどんな感情を抱いたか――
要するに、単に三島は怒りに我を忘れて勢ひで腹を切つたのです。
三島は死ぬ前に知行合一を言ひました。
死後批評家は『憂国』と三島自身の切腹を表面的に見て、
三島が知行合一を実践したと考へました。しかし上記のとほりそれは間違ひです。
批評家の目は曇つてゐるとしか言ひやうがありません。
彼らに騙されてはなりません。