つるおかさん、こんばんは。 ▼ 高橋さんのことだからかなり違うとはおもっていましたが、ここまで違うと は正直驚いています。日本の学校はテロリスト養成機関では決してないですよ。 ▼ すこしだけ、過激に学校の持つ暗部を表現すると、あのようになるわけです。 今、急激に加速されている若者の犯罪的暴発は、ニュースにならない範囲でも深刻な 社会問題として出ています。良心的な教師や生徒には全く申し訳ないが、今加速的に 起きている学校の荒廃は、綱紀粛正などというレベルでは対処できなくなっています よ。家庭と学校の両側面から人格の自然状態への変容が行われています。人格の自然 状態というのは、人間が押さえ込まなければならないダークサイドの本性、すなわち 獣性です。それは、家庭で親が子に対して倫理を教えることがなくなったのと、自由 平等というドグマで、学校から徳性教育を抛擲したからです。 反徳性教育とは獣性を露見させる教育です。それが殺人者養成という意味ですよ。 前にも言いましたが、人権、平等、個性の尊重などと言って国家の歴史や民族の誇り を醸成しない教育など、汚泥の中の糞便です。 そして神話とは、その国の民族の本質を必ず反映しているものです。人間が造り上 げる物語など、全て神話が中核となる構造でできあがっていますよ。神話は人間形成 になくてはならないものなのです。
>クラウゼヴィッツが言つた「戦争とは他の手段を以てする政治の継続である」といふ言葉は >「政治で解決出来なかつた事を暴力的に解決するのが戦争である」といふ事でせう。 もちろんそうです。 >するとげんこつさんのおつしやることは「戦争で解決出来なかつた事を平和裏に解決するの >が政治である。」 >。といふ意味になるのではないか、と私は勝手に推測するのですが、いかがなものでせうか。 そのとおりです。 >私がげんこつさんの意見に違和感をおぼえるのは、そこに価値判断が入つてゐる事です。 >つまり戦争はやむを得ない事だが道徳的に悪い事だ、とげんこつさんが考へてゐるのではないか >、といふことです。 先にも書きましたけれど、私の認識は国際政治というものは道徳的に行うのではなくて実利的 に行うものと言う認識です。いつ道徳の問題を持ち出したでしょうか。首尾一貫政治的に話を 進めているではないですか。 >ただいへるのは、もしさうならばげんこつさんは道徳的な問題を政治で解決しようとしてゐる、 >のです。道徳の問題は政治で解決出来ません――それが私の言ひたい事です。 完全に噛み合っていないようですね。 >もしさうでないのならば、比較的善なる戦争とか絶対的に悪の戦争とかいつた分類の仕方は意味 >がないことになります。戦争を分類する必要はなくなります。 善悪で戦争を分類してはいませんよ。噛み合っていませんね。 >戦争とは本質的に、国家間の暴力的な問題解決方法にすぎません。価値判断をまったく取去ればそ >れだけのことになる――と思ふのですが、どうお考へですか。 疲れてきました。もう一度論点を絞ってやり直しますか。 最後に一言クラウゼヴィッツの命題が転倒していることは国際政治学ではあたりまえのことです。
高橋さんへ > 日本の教育機関が、殺人者を養成すると同時に社会では家族を分解させてい > ます。学校は殺意を教え、家庭は人格を崩壊させます。これが国家解体でな > く何だというのでしょう? 他のところはいつもの高橋さんらしい発言で、私もさてどんな反論を書こう かと考えていたのですが、この発言だけにはびっくりしてしまいました。 高橋さんのことだからかなり違うとはおもっていましたが、ここまで違うと は正直驚いています。日本の学校はテロリスト養成機関では決してないですよ。 確かに小さい頃から受験戦争に明け暮れ人間というより点取り虫ばかり育て、 他人を思いやるより他人を蹴落とすことが生きがいのような人間もいないでは ありませんけれど。 また、学校は管理ばかりに目がゆき子供たちの心を息苦しくさせるばかりで、 枠にはまらない傑物を生みにくい状況ではあるでしょうが。 この結果は日教組の考え方というより、大企業の要望にそった人材作りを目 指した文部省の失敗ではないでしょうか。 > 日本においては、古事記、日本書紀の「記紀神話」がありますが、学校では > 取り上げられていません。 これは戦前の学校で小さいときから皇国史観を国民にすり込むため、古事記、 日本書紀の「記紀神話」を神話としてではなく本当の話と偽って利用したから で、その反省が現在の学校で「記紀神話」を教えていないという現実になって いるのではないでしょうか。 それに、他の国では神話を歴史の授業でおしえているわけではないでしょう。 中島さんへ > 私は、偏差値とは、単に特定の勉強範囲をどれだけ記憶し、理解したのかを > 表す指標であって、それが直ちにアタマの「よさ」とは結びつかない、と考 > えております。 おっしゃるとおりですね。私はアタマの「よさ」とは暗記力ではなく思考力、 創造力、実践力などではないかと考えています。 > 無論、「アタマのよい人」は犯罪を犯さないでしょうが、 これは違うのではないでしょうか。知能犯という言葉があるように頭のよい 犯罪者もいるでしょう。知能犯は偏差値のよさだけでは勤まりません。 また、洋の東西をとわず独裁者は「アタマのよい人」ではないでしょうか。
道徳の上に 知識とか学力が 花開く って私は思いますが、 いかがですか?
みなさんこんばんは 野嵜さんへ 高校生を考えると、純粋に 知識かな、って思ったりしますが それでも、中学生、小学生は 道徳教育も教育の範疇にはいるのでは ないでしょうか。分けるのは難しいと 思います。 もうひとつ、朝の話ですが 私が同感と言ったのに対して あなたは反対を述べておられるが 私が言ってるのは主として「道徳」 あなたは「最近学生の学力が低下してのぅ」 の方ではないでしょうか? あと、教育の「教」はムチって意味があると どっかで読んだことがあります。これは しつけなんでしょうか?学力向上のため、 ピシピシやるってことなのでしょうか?
野嵜健秀さん、学校の存在理由については、考えが私と大分違います。 気を悪くしないで聞いてね。学校が知識享受を行うことは主眼ですが、その根幹姿勢は 全人的な人格形成を育成教唆するための場所だと考えます。 なぜならば、知識体系は、何のために使うかと考えた場合、自分の視野を拡大することは勿 論ですが、社会に役立つ人間、自国の歴史を立派に後世に継続させる意識の養成、国際協調の 心構えなど、全人的な分野に対する展望に立つと思います。その中で、自分が属する国家への 奉仕のために使うのが知識だと思います。敷衍すれば、学校での勉学とは、祖国愛醸成が第一 目的であり、そのために学んだ事柄を建設的発展的に祖国のために、使うという目的があると 思います。 祖国至上主義というと外国を無視しているみたいですが、理想的には外国と協調関係を保つ ことも祖国愛の一つです。 知識のみが学校の目標であったら、その使い方をどういう方向に役立てるかを教えるのが、 親を含む大人と学校の使命であろうということです。 私は小学校と中学校には「道徳」という時間がありました。難しいことは言っていません でした。あとから分かったんですが、それは教育勅語の精神を踏んだものでした。もっと以 前には、「修身」と言われていました。そういうものは、学校では絶対に必要なのです。神 話教育と同じで。野嵜さんは賢い人だから、きっと深い思いで言ったとは考えますが、知識 オンリーと言うのはちょっと合点が行きません。しかし、今の日教組の教育促進委員会など、 肥やしにもならないクソです。学校や家庭に左翼的心情が入るとそれは、内部テロなんです。
何でも本質的に考へたいと思ひますので、またきつい口調になりますが、御勘弁を―― >まず戦争の定義ですがこれは普遍的な定義はできそうにもないですね。なぜなら戦争と言うもの >はその時々の時代に促して変化するものですからこれだと言う定義はないと思いますよ。 さうでせうか。「戦争」といふ言葉があるのだから、その定義もあるのではないでせうか。 >国際政治学でも真理をついた定義はできていないという状況です。しかし政治における戦 >争の位置づけは今のところ「戦争の延長上に政治がある」だと思います。クラウゼヴィッツの >逆命題ですね。こんなところです。浅薄な答えで申し訳ありません。 戦争が先か政治が先か――なんかそんな話になりつつありますね。 しかしげんこつさんのおつしやる「戦争の延長上に政治がある」といふことでは、戦争の本質は なんら解明されません。 クラウゼヴィッツが言つた「戦争とは他の手段を以てする政治の継続である」といふ言葉は 「政治で解決出来なかつた事を暴力的に解決するのが戦争である」といふ事でせう。 するとげんこつさんのおつしやることは「戦争で解決出来なかつた事を平和裏に解決するのが政治である。」 といふ意味になるのではないか、と私は勝手に推測するのですが、いかがなものでせうか。 私がげんこつさんの意見に違和感をおぼえるのは、そこに価値判断が入つてゐる事です。 つまり戦争はやむを得ない事だが道徳的に悪い事だ、とげんこつさんが考へてゐるのではないか、 といふことです。 ただいへるのは、もしさうならばげんこつさんは道徳的な問題を政治で解決しようとしてゐる、 のです。道徳の問題は政治で解決出来ません――それが私の言ひたい事です。 もしさうでないのならば、比較的善なる戦争とか絶対的に悪の戦争とかいつた分類の仕方は 意味がないことになります。戦争を分類する必要はなくなります。 戦争とは本質的に、国家間の暴力的な問題解決方法にすぎません。 価値判断をまったく取去ればそれだけのことになる――と思ふのですが、どうお考へですか。http://www.d1.dion.ne.jp/~tnozaki/
ウシャコフさんは現役の高校生さんでしたか。それは、教育について、重い言葉が聞けそうですね。 まあ、全てに適用できるとは思いませんが、戦後の教育は、特に時代が今に近づくほど人格教育とは 全く非なる異様なものになってきたと思います。先ず、共産圏を除き、どこの国でも教育の初めには、 民族神話を教えます。イスラエルは「旧約聖書」、ギリシャは「ギリシャ神話」、アイルランドは 「ケルト神話」、グァテマラなどユカタン半島辺りで、マヤ文明の影響が見られる地域には「ポポル・ ブフ神話」、キリスト教が入る以前の古代ローマ帝国は「ローマ神話」、エジプト神話、アフリカの 諸部族にも多くの神話があります。日本においては、古事記、日本書紀の「記紀神話」がありますが、 学校では取り上げられていません。これが日本人の人格形成に決定的なダメージを与えたと私は考え ます。どこの国に、自国神話を無視する国民がいるでしょうか? これも戦後、左翼的な学者によっ て意識的に抜き取られたものです。C.G.ユングは、集合無意識の重要性を説いています。 それはどの民族にも言えることです。人間個人が矜持を持つためには、然るべき民族意識と、冷静 な世界観の中で自己の位置を掴まなければなりません。それには無意識理に受け継がれる自国神話の 内的象徴的な力が必要なのです。かなりの日本人にはそれが欠落しています。これと同じことは、家 族の在り方の根幹に関わる大問題、「夫婦別姓運動」志向にも言えるわけです。 明治31年に制定された、民法には、「戸主及ヒ家族ハ其家ノ氏ヲ称ス」「妻ハ婚姻ニ因リテ夫ノ 家二入ル」と規定され、夫の家に入って家族となって同族化した妻は、自動的に夫の家の氏を称する ことで近代的「夫婦同氏」の制が法的にも確立したのです。日本古来からあった美しい家族制度を、 男女同権のドグマで突き崩そうとする悪質な運動が、福島瑞穂などの急進的反日史観者によって展開 されています。これは教育自体の荒廃や、未成年者、青年の獣性発現に深く関わることです。 人権や平等を全面に打ち出して、国家意識や歴史意識を否定する教育方針は悪魔の方便です。これ がルソー的狂気を国民に植え付け、個人には内的規範を持たせず、集団には外的規範を維持させない 要因となっています。つまり家族崩壊と教育機関の悪魔化はリンクしていることなのです。 日本国憲法・第24条には、家族についての在り方を次の悪法で謳(うた)っています。 第二十四条【家族生活における個人の尊厳と両性の平等】 1 婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互 の協力により、維持されなければならない。 2 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に 関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して制定されなければならない。 と、フランス人権宣言の平等ドグマから、夫婦の在り方を規定しておりますが、これは九条と並ん で、最も我が国に害毒を及ばしている憲法条文です。1項では、性差による男女の美質を否定してい ます。また2項では、平等と個人の権利を最優先としています。ここには父親としての家長の権威も、 母親の育てる性としての権威もありません。あるのはあのクソみたいな「人権」です。この条文は、 ルソー的世界観の応用条文です。つまり、家族という最小共同体における血族的連帯感を封殺してい ます。家族制度の崩壊です。夫婦が仲良く存在できない場所は、家庭とは言えず、ただの寝床です。 ここで子供は無意識理に人格を毀損しながら育ちます。 日本の教育機関が、殺人者を養成すると同時に社会では家族を分解させています。学校は殺意を教 え、家庭は人格を崩壊させます。これが国家解体、内部テロじゃなくて何だというのでしょう?
教育で教へられるのは知識だけです。 だから、どんなに知識を蓄へてもそれが道徳的に善い人間である証にはなりません。 善い先生が教へれば生徒も善い生徒が多くなるでせうが、それは教育の方法論とは関係ない。 それは人間関係の問題――道徳の問題になります。 もちろん先生が政治的に偏つた考へ方をしてゐたら、生徒も悪影響を受けます。 しかし仮に先生が共産主義者であったとしても、真面目な先生ならば最低限教育者として必要な 知識の伝授だけはおろそかにしないし、生徒もその点だけでその先生を尊敬する事もありえます。 共産主義の宣伝ばかりやつてゐる先生は絶対に尊敬されません。 繰返しますが、教育で教へられるのは知識だけです。 だから教育勅語の精神にかへるとか、教育基本法をいぢくるとか、 そんなことをしても教育は良くならないと思ひます。http://www.d1.dion.ne.jp/~tnozaki/
うう、見づらくなってごめんなさい。 ろ〜んぶろぞぉ〜 ダハハハ
ウシャコフさんは現役の高校生さんでしたか。それは、教育について、重い言葉が聞けそうですね。 まあ、全てに適用できるとは思いませんが、戦後の教育は、特に時代が今に近づくほど人格教育とは 全く非なる異様なものになってきたと思います。先ず、共産圏を除き、どこの国でも教育の初めには、 民族神話を教えます。イスラエルは「旧約聖書」、ギリシャは「ギリシャ神話」、アイルランドは 「ケルト神話」、グァテマラなどユカタン半島に辺りで、マヤ文明の影響が見られる地域には「ポポ ル・ブフ神話」、キリスト教が入る以前の古代ローマ帝国は「ローマ神話」、エジプト神話、アフリ カの諸部族にも多くの神話があります。日本においては、古事記、日本書紀の「記紀神話」がありま すが、学校では取り上げられていません。これが日本人の人格形成に決定的なダメージを与えたと私 は考えます。どこの国に、自国神話を無視する国民がいるでしょうか? これも戦後、左翼的な学者 によって意識的に抜き取られたものです。C.G.ユングは、集合無意識の重要性を説いています。 それは民族にも言えることです。人間個人が矜持を持つためには、然るべき民族意識と、冷静な世界 観の中で自己の位置を掴まなければなりません。それには無意識理に受け継がれる自国神話の内的象 徴的な力が必要なのです。かなりの日本人にはそれが欠落しています。これと同じことは、家族の在 り方の根幹に関わる大問題、「夫婦別姓運動」志向にも言えるわけです。 明治31年に制定された、民法には、「戸主及ヒ家族ハ其家ノ氏ヲ称ス」「妻ハ婚姻ニ因リテ夫ノ 家二入ル」と規定され、夫の家に入って家族となって同族化した妻は、自動的に夫の家の氏を称する ことで近代的「夫婦同氏」の制が法的にも確立したのです。日本古来からあった美しい家族制度を、 男女同権のドグマで突き崩そうとする悪質な運動が、福島瑞穂などの急進的反日史観者によって展開 されています。これは教育自体の荒廃や、未成年者、青年の獣性発現に深く関わることです。 人権や平等を全面に打ち出して、国家意識や歴史意識を否定する教育方針は悪魔の方便です。これ がルソー的狂気を国民に植え付け、個人には内的規範を持たせず、集団には外的規範を維持させない 要因となっています。つまり家族崩壊と教育機関の悪魔化はリンクしていることなのです。 日本国憲法・第24条には家族についての在り方を次の悪法で謳(うた)っています。 第二十四条【家族生活における個人の尊厳と両性の平等】 1 婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されな ければならない。 2 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の 尊厳と両性の本質的平等に立脚して制定されなければならない。 と、フランス人権宣言の平等ドグマから、夫婦の在り方を規定しておりますが、これは九条とならんで最も我が国に害毒を及 ばしている憲法条文です。1項では、性差による男女の美質を否定しています。また2項では、平等と個人の権利を最優先とし ています。ここには父親としての家長の権威も、母親としての育てる権威もありません。あるのはあのクソみたいな「人権」で す。この条文は、ルソー的世界観の応用条文です。つまり、家族という最小共同体における血族的連帯感を封殺しています。家 族制度の崩壊です。夫婦が仲良く存在できない場所は、家庭ではなくただの寝床です。ここで子供は、人格を損壊しながら育ち ます。 日本の教育機関が、殺人者を養成すると同時に社会では家族を分解させています。学校は殺意を教え、家庭は人格を崩壊させ ます。これが国家解体でなく何だというのでしょう?
こんばんわ。月刊「健章旗」管理者の中島です。 最近、大学の期末試験がようやく終わりまして、自分のHPも更新致しました。 さて、下に偏差値とアタマのよさに関する御議論が続いておりますが、私は、偏差値とは、単に 特定の勉強範囲をどれだけ記憶し、理解したのかを表す指標であって、それが直ちにアタマの「 よさ」とは結びつかない、と考えております。例えば、毎年国立大学にはセンター試験の受験が 義務づけられていますが、あの試験の内容を考えれば、あの試験は「どれだけアタマがいいのか」 ということよりも、「どれだけツマラナイ試験勉強に耐える気力があるのか」を問うているように 思えます(必要最小限度の実力があるかどうかは、それはそれでチェックしていますが)。 無論、「アタマのよい人」は犯罪を犯さないでしょうが、「偏差値の高い人」「センター試験 の成績がいい人」が全く善人とはいえないのではないでしょうか(勉学の知識の有無と社会的 規範の有無とはまた別の問題だ、ということです)。 それでは失礼致します。http://www.geocities.co.jp/WallStreet/7009/index-j.htm
皆様御久しぶりで御座います。 ところでいっちょかみではありますがウシャコフさん。 >基本的に、頭の良い人間は、人を殺すなんて真似をしません。 なぜならば、それが損に >なることぐらい分かるからです。 大概の犯罪がそうでしょうし、そうでない犯罪もそれの >間接的影響とかを考えれば、損になるでしょう。 それに対し、アホな人間というのは、目 >先の欲に走って、犯罪を犯す場合が多々有ります。 俺が与太郎だから言うのではないがやはり関係が無いぞ。 賢くてもこらえ性が無い奴もいるし、とろくても道心堅固な奴もいる。 更に言うと私は一時期組織の教育部門で臨時働きをして対象の知能偏差に 関するデータと本人の実行動について見分する機会があったが そうとうおつむの回転が速い奴でも黙って学校の教育を受けるのが 性に合わない奴というのもいるのだ。たかががっこの偏差値ごときを 論議の対象にするのもおかしい。 知能と犯罪性向については犯罪心理学のテキストを調べてみるがよいぞ。 ではさらばじゃ。 ろ〜んぶろぞぉ〜(実はこの台詞を言いたかった。)
> それより、受験地獄というか、暗記させるだけで考えさえない教育というか、 >小さい頃から企業戦士というマシーンになるためだけが最終目的のような、現 >在の文部省の教育方針が問題ではないでしょうか。教育基本法にはこのような >教育方針は載っていないはずです。 > > 東京大学をでても自分の考え方を持つことができない、抜群の暗記能力はあ >っても思考、創造能力がないという人間がたくさんいますよね。ですから、過 >去に例のあることには対処できても、過去に例のないものには対処できない、 >ということになってしまいます。 これは、僕の印象なんですけどね、やっぱり、偏差値の高いやつは物を考えていると思い ますよ。 暗記だけといっても、やはり思考能力の無い人間は、テストで良い点取れません から。 基本的に、頭の良い人間は、人を殺すなんて真似をしません。 なぜならば、それが損に なることぐらい分かるからです。 大概の犯罪がそうでしょうし、そうでない犯罪もそれの 間接的影響とかを考えれば、損になるでしょう。 それに対し、アホな人間というのは、目 先の欲に走って、犯罪を犯す場合が多々有ります。 そして、これを考えれば、国民に対する内的規範の教育の意義の中で「アホどもを洗脳す る」というのが大きいウェイトを占めているのではないでしょうか? やはり、偏差値と問題の発生率は相関が有ると考えられます。
>散々無礼な書込みをしながら、丁寧な御返事痛み入ります。 この掲示板の利用規則の範囲内です。お気になさらずに。 >### 戦争とは何なのですか? ###私のやうにエモーショナルでなく、げんこつさんらしく論理的 >かつ明晰に「一言で」お願ひします。 >わざと複雑な事を書いてごまかす人もゐますが、それは無しにしませう ^ ^ 。 難しい質問ですね。まず戦争の定義ですがこれは普遍的な定義はできそうにもないですね。なぜな ら戦争と言うものはその時々の時代に促して変化するものですからこれだと言う定義はないと思い ますよ。国際政治学でも真理をついた定義はできていないという状況です。しかし政治における戦 争の位置づけは今のところ「戦争の延長上に政治がある」だと思います。クラウゼヴィッツの逆命 題ですね。こんなところです。浅薄な答えで申し訳ありません。
まつのさま、こんばんは。 >これは、非核保有国に対する核による第一撃以外に考えられないでしょう。中国は、非核 >保有国に対する核攻撃を禁じる核政策を標榜しておりますが、それが建前に過ぎないこと >が、日米がTMD協力で合意した時の中国政府の反応で明らかになった。将来、台湾の主 >権に関する問題で、日米両国が中国政府の「主権」の意味合いを脅かすような対応をとり >紛争に発展した場合、在日米軍の基地が核攻撃の標的になる可能性は否定できません。核 >保有国のこうした暴挙を抑止するために日米はTMD協力で合意したのではありませんか >。中国のヘゲモニーの封じ込めには同意致します。 核は抑止の為に持つのであって使用目的で持つものではありません。 まつのさまは中国が核攻撃をするという蓋然性をどの程度考えていらっっしゃるのですか。 >なるほど、アジア女性基金の補償を受けたフィリピン人女性のようなケースを指しているので >ございますね。たしかに、その女性は感謝をしておりましたが、あくまでもこのケースは民間 >の基金による補償であり、「国家補償でなければ受け取らない」と拒否されたらそこまでです。 >また、国家による補償であれ民間による補償であれ、謝罪をすることによって関係の好転を見 >込める相手を選んで補償をするという姿勢は、アジア経済の盟主たる我が国とその国民のとる >態度ではありません。更に、によって状況が異なるのは当然であるから日本の謝罪外交に対す >るアジアのコンセンサスなど存在するはずがなく、そうであるからこそ政府は一貫した姿勢を >貫くべきであると思います。マレーシアは被害が少なかったとか何処何処は被害が甚大であっ >たという被害の多少は些事に過ぎません。あくまでも行為が問題とされるべきでしょう。 なぜフィリピン人女性のようなミクロな話を持ち出されるのかよく解らないですが、私はもっと マクロな視点で謝罪と言うもの捉えています。例えば細川発言は米国からアジアへ貿易の軸をシ フトしつつある政治上の要請が背景にありました。そして日本の財界は一様に謝罪を歓迎しまし たね。つまり政治における謝罪とは極めて実利的に行うものであって高度な政治的判断がその背 景にあるということです。まつのさまは「アジア経済の盟主云々…」とおっしゃっていますがア ジア経済を担っている日本の財界が謝罪を歓迎している様子をどのように説明なさいますか。 >ああ、話がかみあわないわけだと思いました。あなたのおっしゃる「アジアの総崩れ」とは安 >全保障問題に立脚していたのですね。私は、初めからAPECを例に挙げた如く、地域主義に >基づく地域経済に重点を置いてました。どちらにしても信頼醸成が不可欠なことには変わりな >いのですが、アメリカ特に通商代表部には、そのことが全く理解できていない。昨日のスーパ >ー301条復活などは明らかに日本を対象とした措置でありますが、これは誰が見てもWTO >違反でしょう。アジア諸国の為にも強く反発するべきです。 一つだけ言っておきますが、安全保障なくしては経済発展はありませんよ。
高橋さんへ > おしなべて、今の未成年者や若い人たちは、戦前には決してみられなかった > 凶悪な事件を起こしています。これは殺人には至らなくても、もう一歩で殺 > 人に移行するような性質の凶行が全国レベルで行われているんですよ。先生 > に逆らったり、構内外でたばこを吸ったりするレベルはとうに通り越して、 > 今やその悪質さは犯罪者そのものですよ。 私も現在のこのような状況には、命の尊さを知らない連中だなと憂慮してい ます。人を殺すのも、虫を殺すのも彼らには一緒なのではないでしょうか。 ただ、教育基本法のせいではないとおもいます。 それより、受験地獄というか、暗記させるだけで考えさえない教育というか、 小さい頃から企業戦士というマシーンになるためだけが最終目的のような、現 在の文部省の教育方針が問題ではないでしょうか。教育基本法にはこのような 教育方針は載っていないはずです。 東京大学をでても自分の考え方を持つことができない、抜群の暗記能力はあ っても思考、創造能力がないという人間がたくさんいますよね。ですから、過 去に例のあることには対処できても、過去に例のないものには対処できない、 ということになってしまいます。 あとは、夜にコメントします。
いかなる形式であれ、教育者が真剣に教育を行う事が基本です。 真面目な先生ならば、イデオロギー的に偏つた教育をしません。 それに戦前だつて、好い加減な先生がゐなかつた訳ではないのです。 ちなみに私は、共産主義者で好い加減な先生に習つたため、共産主義が嫌ひになりました。http://www.d1.dion.ne.jp/~tnozaki/
みなさんおはようございます。 アドミラル・ウシャコフさん 私もそう思いますよ。
今日、学校の帰りに自転車に乗りながら考えたのですが・・・ 国民の内的規範である道徳とかそういうものを欧米では宗教、特にキリスト教が行ってま すよね。 政教分離とか言っときながら、アメリカでは裁判で嘘をつかないことを神に誓い ます。 だけど、我が国は宗教自体がかなりリベラルであるため、宗教を国民の内的規範に使用す るのは不可能です。 でも、どっかでやらなきゃいけないから、それを国家が肩代わりして きたわけです。 そういう点を、無視して行われた戦後教育には見直すべき点が有ると思い ます。 むしろ、戦前教育の精神を全部とは言わないまでも、取り入れるべきです。
> 戦争をやるやらないは少なくても大局的な見地と長期的な展望をもって決め >るものです。 全く同感です。 トータルで得になるのを目標としてますから、当たり前といえば、当た り前かも知れません。 > 日本の例をだせば、朝鮮侵略は現在の不幸な日韓関係を生んだことと朝鮮半 >島の分断の端緒となったという点で長期的な面からいえば大きな失策でした。 朝鮮半島の分断とかは、現在、北朝鮮の脅威にさらされていたりする以上、失策だったと いう点は否めませんが、当時、ここまで予測できたかといえばまず無理だったでしょう。 > また、満州事変以降の日本軍の行動は大局的な見地と長期的な展望のない、 >行き当たりばったりの意味のないものでした。満州事変での石原莞爾の勝手な >振る舞いを許した土壌は、やることに基本原則と指針のない日本の政策の現れ >です。また、例え事後承諾でもいったん石原莞爾の意見を取り入れたのなら、 >最後まで彼のすすめた方向で動くべきでした。 先の戦争に関しては、様々な点で失策は有りました。 つうか、戦争で負けてしまった以 上、よかったとはいえませんね。 ただ、当時、我が国が戦争に走らざるを得なかった、と いう点は考える必要が有ります。 実際のところ、当時の、人たちを断罪する資格なんて我々には無いですがね(笑) > いずれにしろ、ある国が侵略してきたのなら大局的な見地と長期的な展望も >なく、目の前の火の粉ははらわなければいけませんが。 賛同します。 > その意味で情報の収集と外交努力、及び国の安全保障に関する基本的な原則 >と指針をはっきりさせるのが重要です。 それは、重要ですが、その一環として、防衛力の増強も必要だとは考えられないでしょう か? > いずれにしろ、私は朝鮮侵略も中国侵略も間違いだったとおもっています。 ぼくは、なんとも言えないですね。 やらざるを得なかったものとして認識しております。
江藤さん、HSさん、コロンビアの件、ありがとうございます。 また、江藤さん、もしほんとうに肺炎なら危険です。今回だけは医者にいく ことをお勧めします。 さて、 ウシャコフさんへ > 僕は、自衛官目指してますから(笑) 立派なご決心だとおもいます。 > 国家の目的が国益にある以上、それを求めての損得による戦争は十分意味が > 有ると考えられますがね。 ま、死にたくはないが(笑) それに、陸上の > 人間は生きてナンボのものですし。 ただ、気になるのは、ウシャコフさんが単純な損得で戦争を考えられている のではないかということです。 戦争をやるやらないは少なくても大局的な見地と長期的な展望をもって決め るものです。 日本の例をだせば、朝鮮侵略は現在の不幸な日韓関係を生んだことと朝鮮半 島の分断の端緒となったという点で長期的な面からいえば大きな失策でした。 また、満州事変以降の日本軍の行動は大局的な見地と長期的な展望のない、 行き当たりばったりの意味のないものでした。満州事変での石原莞爾の勝手な 振る舞いを許した土壌は、やることに基本原則と指針のない日本の政策の現れ です。また、例え事後承諾でもいったん石原莞爾の意見を取り入れたのなら、 最後まで彼のすすめた方向で動くべきでした。 いずれにしろ、ある国が侵略してきたのなら大局的な見地と長期的な展望も なく、目の前の火の粉ははらわなければいけませんが。 その意味で情報の収集と外交努力、及び国の安全保障に関する基本的な原則 と指針をはっきりさせるのが重要です。 いずれにしろ、私は朝鮮侵略も中国侵略も間違いだったとおもっています。
高橋さんへ > 学校が殺人者養成システムと化した恐ろしい現実を指しています。 激しいアジ演説ですね。 戦前の教育勅語をもとにした皇民化教育こそ国によるターミネーター養成教 育だったと私は考えています。 そうでなければ、明治政府首脳の明確な意思のもとにおこなわれた朝鮮侵略 はべつとして、満州事変以降の狂ったともいえる日本軍の行動は説明がつきま せん。ターミネーターたち(軍隊)が国の上層部の制御をものともせず破滅へ 暴走した過去にたいして、我々現代に生きる日本人は真摯な目で反省しなけれ ばなりません。 > しかし、この宣言は身分制度を廃止せしめたと同時に、倫理や徳目への志向 > さえも一様に均質に貶めて、それまで見られた優れた社会規範を踏みつぶし > てしまいました。 高橋さんは君主制(天皇制を含む)の復活を望んでいられるのですか。 一部の貴族、富裕層など特権階級だけが利益をえる時代の復活が望ましいの でしょうか。彼らの社会規範はその他大勢の民の犠牲のうえに成り立ったもの でした。長く犠牲を強いられてきた民のパワーが革命を起こしたわけでしょう。 私自身、朝鮮民主主義人民共和国のような言論の自由のない監獄国家や中華 人民共和国のような一党独裁の非民主主義国家は望みませんが、戦前のような 多様な考えを受け付けない全体主義国家は御免です。 全体主義を許した戦前の教育勅語などの思想には、幾ら現在の乱れた性風俗 に有効であっても絶対にノーです。 > ご存じのようにあのとき、ジャコバン党を率いるロベス・ピエールは、国民 > 総動員をかけて、反革命分子の大規模な摘発に着手しました。 日本にも、明治維新以降西南戦争までの間に、天皇の親政がありながら幾多 の内紛がありましたよね。これはどう説明がつくのでしょうか。 また、あとには治安維持法などを制定して多数の非国民を摘発し圧政をしき ましたよね。つまり、天皇の威光だけでは政権がもたない証拠でしょう。 > 左翼や反日は、口を酸っぱくして、弱者救済や暴力反対の「生命尊重至上主 > 義」を唱えますが、その内実は、公的規範を全く持たない彼ら自身が、率先 > して他者の命を軽んじるであろうことは目に見えています。 推測でものをいわないでくださいね。 フランス人権宣言の発想のもと誕生した多数の民主主義の国々が公的規範を 全く持っていないのなら、今頃核戦争ですでに世界は滅んでしまっているでし ょう。違いますか。 > 我が国は、古来からそのシステムが優れていたために、二千数百年もの時間 > を、単一民族単一国家としてその国体を保持してきたのです。 日本は単一民族の国ではないですよ。圧倒的多数を占めるのは日本民族でし ょうが、アイヌ民族、琉球民族、在日朝鮮人などの被征服民族、少数民族も日 本を支えています。
最後のレスかぁ。 >政治家として、科学者として、ではなく、 >ウシャコフさん個人としての意見とか感情について聞きたかったのですが、 >それでは討論にならないというわけですね。 なるほど、そう言う事だったのですか。 いや、僕の主観を貴方に押し付けることは出来 ないから、理詰め理詰めで感情を出さなかったのですが(笑) 押し付けられない以上、言っ ても無駄だし。 個人的には死にたくないし、旨いもの食いたいし、可愛い女の事べたべたしたいです(笑) だけど、その為に銀行強盗をとか、人の道に反することはしたくありませんし、親兄弟を大 事にしたとか、そういうのも有ります。 しかし、これらも全て欲望とか、そういう物に還元できるとは考えられるのですが。 >前回の書き込みがそのつもりで書いたのですが、それ以上の哲学的ともいえる >コメントを求められているのであれば、全く考えていないので、残念ながら >お答えしようがありません。 了解ッす。 >そんな事考えている高校生はあなたくらかもしれませんが(笑) >自分さえよければ良いと考えている若者は確実に増えていると思います。(僕の周りでもそうです) >それらが、モラルの欠如した社会を作り出す大きな原因のひとつになっていると思うのですが。 >ちなみに、あなた自身がそうだとは思っておりませんので念のため。 うみゅ。 今度、善悪については書いてみます。 ではでは、HSさん、さよならっす。 ありがとうございました。
ジャン・ジャック・ルソーの思想の目的は、社会や公的な秩序に対する怨恨、すなわ ちルサンティマンです。彼の理想は、公的外的規範を全て否定して、個人の本能的な情 動、個人の裁量感覚に従えと言っています。ルソーを基本の世界観として同調する人た ちは、あのフランス革命の恐怖の実体を知らずに、『フランス人権宣言』を肯定的に見 ています。なぜなら、フランス人権宣言のテーゼ、『人は生まれながらにして平等であ り、自由であることを宣言する』は、ルソーのロジックに酷似しているからです。しか し、この宣言は身分制度を廃止せしめたと同時に、倫理や徳目への志向さえも一様に均 質に貶めて、それまで見られた優れた社会規範を踏みつぶしてしまいました。 ご存じのようにあのとき、ジャコバン党を率いるロベス・ピエールは、国民総動員を かけて、反革命分子の大規模な摘発に着手しました。このとき、どれほど多くの良民が ギロチンの露と消えたか分かりません。平等や人権が強く叫ばれる所には血腥い出来事 が必ず起こります。現今日本の学校教育、家庭教育の理念は、まさにフランス人権宣言 そのものです。人権教育によって、野蛮な原始感情しか培われなかった「学級崩壊」世 代が、モラルの低下を突破して社会に敵意を抱き、殺人意志を持つことは避けられない ことかもしれません。 左翼や反日は、口を酸っぱくして、弱者救済や暴力反対の「生命尊重至上主義」を唱 えますが、その内実は、公的規範を全く持たない彼ら自身が、率先して他者の命を軽ん じるであろうことは目に見えています。人権を究極的に突き詰めて行くと、他者の殺人 が正当化されます。これは決して極端な帰結ではありません。ジャン・ジャック・ルソ ーの哲学は畢竟、社会秩序破壊の哲学です。それはどの時代にも、残虐な殺人をもたら す萌芽を秘めています。 何らかの要因で社会の安定が崩れたとき、真っ先に虐殺を起こすのは、普段、人権や 平等を強く唱えている輩であることは、フランス革命の先例からも充分に考えられるこ とです。私は国家という大規模な枠組みは、人間が、ルソーの言う「自然状態」に陥ら ないために、歴史が創出した精妙な統御システムだと思います。我が国は、古来からそ のシステムが優れていたために、二千数百年もの時間を、単一民族単一国家としてその 国体を保持してきたのです。人権と男女同権の名のもとに夫婦の絆を緩め、離婚へ向か わせることによって親子関係、兄弟関係までバラバラにしてしまう『夫婦別姓』の奨励 は、福島瑞穂弁護士などが唱導していますが、その目的は家族崩壊です。それは、マル クス・レーニン主義が目指すところの、国家や民族規範切り崩しの先駆けです。家族を 切り崩し、学校教育を荒廃させることは国家の解体につながることです。 今の教育機関の枢要とは、全人格育成教育とはかけ離れた人格崩壊を目指したもので す。それは、学校が殺人者養成システムと化した恐ろしい現実を指しています。
HS殿、こんばんは。 ▼ それよりも、上記ウシャコフ氏へのコメントでも触れた肝心の質問 >>戦後日本の若者が荒廃した原因は、アドミラル・ウシャコフ氏のように、人間の命よりも、 >>策略とか損得とかが優先され、自分の国さえ良ければいい(→自分さえ良ければいい) >>と考えている若者が増加したという現象とは関係ありませんか? にはお答えいただけませんでしたね。 ▼ いやいや、これは失敬しました。私はこう思います。国家と個人は、比較して対置することが できる面も多々ありますが、国益と個人の利己主義は、そのまま対置できないと思います。国益 とは、純粋に経済的な利得のみにあらず、民族の矜持も含みます。民族の矜持が貶められている という観点から言えば、南京大虐殺や従軍慰安婦などの悪質な虚構を楯にして責め立てる中国や 他の国なども日本人の矜持を貶めています。これも立派に国益に反することです。 私は、「個人優先の考え方」を、荒廃した不毛の世界認識だと思います。そして、自分の国さ え良ければ、という考え方は国益とは言わないと思います。人間を生かしているのは、平和でも 平等でも人権でもありません。それは自分を生み育ててくれ、生活させてくれる「国家」です。 自分の国さえ良ければという文意は他の存在を基本的に否定した考えです。自分の国「さえ」 ではなくて、「自分の国は良くなければならない」ということが、国益の考え方です。 また、個人優先と言うと、その他の概念が必然的に下位に置かれ、国家が個人よりも軽くなり ますよね。馬鹿馬鹿しい言い方で典型的なのは、「人一人の命は地球よりも重い」という奴です。 故副田首相がそんな馬鹿なことを言っていましたね。人より国家が大事、これ当たり前。人より 地球が大事、これも当たり前です。しかし勢いで「人より集団が大事」とは一概には言えません。 戦後の若者の精神荒廃は、教育基本法にある人権教育にあります。策略とか損得が要因には なっていません。もっと深く見つめれば、民族規範の希薄化すなわち尊皇意識の極度の衰退が 原因です。今日は、これから「朝生」を見ます。ではまた。
ルソー的世界観がそもそもの大間違いだと思っています。彼の思想が端的に現れて いる「人間不平等起源論」や「社会契約論」は、道徳観や倫理観を破壊する目的で、 人類が初めて思想的に大系化した試みです。現今の家庭教育、或いは学校教育で言う ところの「個性重視」の教育理念とは、戦後の占領政策として General Headquart -ers が教育基本法と称して強制的に我が国に与えたものです。 民主主義とは、ご存じのように啓蒙思想家のジョン・ロックがその基盤を築いたわ けですが、それにルソーの考え方や社会ダーウィニズムなどを加えて肉付けされなが ら発展してきたものです。その哲学の柱は、民の主体的優位性であり、個人の権利が 強く唱われております。ルソーが理想とした「自然状態の人間」志向とは、『人間相 互間には、どんな種類の道徳も義務も存在せず自由な関係にあるから、人間とは善で も悪でもあり得ず悪徳も美徳もない』というものです。この精神は、社会に規範とし て道徳や倫理が存在しなければならないことを完璧に否定しています。 これは人類が幾多の時代を経て培ってきた、人間存在そのものに内包する悪徳の性 質に対峙し、超克する努力、すなわち道徳性の欣求を認めないものです。大きく考え ると、『国家』とは、ルソーの理想とする自然状態の人間の本性に、先験的に内在す る悖徳(はいとく)性に起因して、その社会共同体が不定状態にならないように然る べき民族規範によって秩序付ける為に必然的に生じた巨大なシステムと考えることも できます。 従って教育理念の根幹には、国家意識、民族意識の醸成が前提とならなければなり ません。その前提を無視して「個性の尊重」、「自主性の発展」、「創造性の養育」 などを幼児の段階からやると、人間本来の「不定性、無秩序性」が顕在化して他人を 思いやらない悖徳的な人間が多く輩出することになり、国家は解体します。 創造性の開発そのものは悪くはありませんが、人間のその部分を目覚めさせるため には、その創造性が公、つまり共同体への奉仕として役立つことを優先的に教える必 要があると考えます。教育とは、個人の日常的な生活感覚に、その生まれた国、民族、 歴史に対して強固な矜持を持ち、未来に向けて正統な歴史を継続させる意志を培うこ とにあります。現今の教育は、バイアスしているどころか、基本的な理念が倒置して います。人間が真の自由を掴むためには、自己が選択した職業人としての責務に刻苦 精励し、呻吟した上からやっと見えてくる地平だと私は思います。それは、叩かれ、 きびしい生活体験を踏まえてようやく見えてくるものです。ガキに自由を認める教育 は、民族の韜晦、国家の瓦解を招聘することになります。今の日本は、民族規範を無 視したところから出発した教育の歴史的な帰結が現象化してきた時代であります。 平等を錦の御旗として、国家理念を無視した「個性の尊重教育」は、不毛や荒廃と いう言葉を通り越して、犯罪者を析出する悪辣な生産システムに成り下がってしまっ たのであります。
散々無礼な書込みをしながら、丁寧な御返事痛み入ります。 要するに、げんこつさんは論理が問題で、私は道徳が問題なのだから――話が噛合はない訳ですね。 結局げんこつさんは単に「戦争とは他の手段による政治の延長」といふことが「偽」であると 主張なさつてゐるだけのやうですが、ならば執拗にお尋ねします―― ### 戦争とは何なのですか? ### 私のやうにエモーショナルでなく、げんこつさんらしく論理的かつ明晰に「一言で」お願ひします。 わざと複雑な事を書いてごまかす人もゐますが、それは無しにしませう ^ ^ 。http://www.d1.dion.ne.jp/~tnozaki/
赤穂の義士の仇討ちや、伝統的やくざの喧嘩を見ると分かるが、日本人が面と向かって喧 嘩をするときは、ぎりぎりまで「溜め」てから思いっきり爆発する。それは誰でも思い当た ることだろう。欧米人のように即座に情念を他人にぶつけることはしないが、最終的に吐出 するエネルギーは巨大なのである。大東亜戦争開戦は、欧米列強にいじめ抜かれた末のアジ ア民族の悲痛な魂の叫びを、日本人が霊的義侠心によって受け取り、日本人が雄々しく欧米 列強に立ち向かったのである。これが歴史の霊的な流れである。本来ならば日本人は自重し て非闘争的な調和を好む民族であるが、ダーウィニズム的な侵略意志に対しては、世界で唯 一対抗できる潜在力を持っているのである。神はそのために日本を極東に聖別した。日本人 が自国を『神州』と呼び続けていたことはご存じだろうか。これは修辞的な形容詞ではない。 レコンキスタとは、8世紀にイベリア半島を席巻したイスラム教徒に対して、キリスト教 徒が「国土回復運動」と称して、イスラム教徒と闘った運動である。それは約800年間続 いたが、その語源はスペイン語で『再征服』という意味であり、侵略の側面の方が強い。ま むし連殿が言ったが、これと唯一闘ったのは日本の武士階級だったと言う。これは頷ける。 今のアメリカのやり方を見るがいい。レコンキスタは終わっていない。 日本『神州』は、世界がダーウィニズム的荒廃によって破滅しようとする運命に陥ったと き、神が東の最果てに残して置いてくれた地球最後の防衛システムなのである。我が先祖達 が内面に積層させてきた巨大な潜在力は近未来に雄々しく開花するだろう。それは、大東亜 戦争で先祖達が見せた偉大な力が証明している。日本に生まれたことを感謝するべきなので ある。 日本人の潜在的な力を外面的に見ることができる特徴がある。それは欧米人が気味悪がる 微笑みである。これをアンシエント・スマイルとかアルカイック・スマイルと言っているが、 これは日本人独特の表情である。この微笑みは古代にこの民族に与えらた偉大さの裏返しな のである。戦後の、特に昨今の日本人男女にこのスマイルが見られなくなったことは私にと って最も悲しいことなのである。
しだれ柳の肩、白魚の指、透けるような白いうなじは洗い髪の黒髪に切なそうに覆われ ていた。定まらない目線を茫洋とした虚空に向け、溜息混じりに孤庵の庭に足を向けた。 絶世の美女と言われて幾十年。比類なき美形とまで囁かれた過ぎ去りし日々の幻。変幻 絶え間ぬ浮世の流れに沈み、陽炎(かげろう)のように移ろう人情の揺らめきに翻弄され ること幾星霜。庭石に佇み、池の水面に映る己の姿に過去を重ねた。一陣の微風が湧き上 がり、色褪せた木の葉が舞い降り、水面に映る我が姿を暫し隠した。落ち葉に隠れた我が 姿に彼女は安堵し、やがて沸々と心に沁みてくる無常を感じた。それは、万物凋落の理 (ことわり)であった。 花のいろは うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに (小野小町) この歌は、三十六歌仙・小野小町の有名な歌だが、世の実相は変転万化とどまることを知 らず、常に無常にうつろって行くことの悲哀を、彼女独特の美しい高度な諦観の中で詠み上 げている。特に「・・ふる ながめせしまに」は、「ふる」が、降ると経るにかけられてお り、「ながめ」は、長雨と眺めるという二重の意味を含めている。こういうテクニックは、 この時代に流行したそうだが、この歌は、単純に仏教で言う「諸行無常」を嘆いたものでは ない。日本人が情緒的に芸術的に、非常に奥深い民族性を秘めているということの証左でも ある。この歌を見ると思い浮かぶのは次の詠み人知らずの歌である。 いろはにほへとちりぬるをわかよたれそつねならむうゐのおくやま けふこえてあさきゆめみしゑひもせす { 色は匂えど散りぬるを 我が世誰ぞ常ならむ 有為(憂ゐ)の 奥山今日越えて 浅き夢見じ 酔いもせず } 日本人は神道国家である。神道を信奉する民族である。聖徳太子という人物は、皇胤(こ ういん)の系譜にありながら、なぜ国民に仏教的世界観を浸透させたのかは大きな謎である。 中国の漢詩も優れた芸術性を持つが、日本人の精神の在り方を端的に言語的表現で表した古 典は枚挙にいとまがないが、和歌や短歌に漂う情緒的な世界は、欧米には見られない特質で ある。私は今、衒学的な気分でこれを書いているわけではない。留意してもらいたいのは、 日本人が和歌や短歌や俳句に託す心情は、自己表現を簡潔に押さえることで、人間に存在に まつわる諸々の負の情念や負の考えを、内面に向かわせることによってポジティブなものに 昇華する性格を持つのである。その心理過程を自然に辿ることができる高度な民族的資質を 持っていることを言いたいのである。この感覚は、和歌を嗜(たしな)む嗜まないに関わら ず、日本人ならば誰でも有しているのだ。これが日本人の「和の思想」築き上げたのである。 日本人の村落共同体的な集団性は先験的にあったものではない。聖徳太子、あるいはそれ以 前から、我が先祖が行ってきた不断の自己鍛錬がもたらしたものなのである。これが日本人 の優しさであり、強さなのである。南京大虐殺はこういう資質から見れば不整合きわまりな いことなのである。
野嵜健秀さま、こんにちは。 >>クラウゼヴィッツの命題の転倒は第一次世界大戦から言われてきた事であり、更に言えば >>限定戦争から全体戦争に移行した時点で既に破綻していたのです。 >限定戦争も全体戦争も戦争に変はりはない、道徳的に区別出来ない――と私は言ひたいのです。と >ころがげんこつさんは >>そしてこのように兵器の能力が向上していけば最終的には共同自殺にまで至るであろうとの >>観点からこの命題が偽で有ることが論証された訳です。 >と述べ、死者の多寡で戦争をランクづけするといふ私から見れば異常な考へを披露されました。 >しかし一人の死も人類全体の死も、死ぬ人間本人にしてみれば変はりはありません。 残念ながら、これでは反証したとは言えませんね。それと、ある命題が「偽」であると論証或いは実証 されればその命題は転倒していると言うのです。転倒とはこういう事です。
つるおかさん、ウシャコフさん、高橋さん、もんじゃさん、 丁重なレスありがとうございました。 つるおかさん、コロンビアの義援金の件、承りました。 明日、少額ですが送付いたします。 さて、諸事情により当分アクセスできなくなりますので、 このコメントを最後に、しばらくこの掲示板にも書き込みができなくなります。 しかし、だいたい僕の言いたいことは言い尽くしました。 ■ウシャコフさん 政治家として、科学者として、ではなく、 ウシャコフさん個人としての意見とか感情について聞きたかったのですが、 それでは討論にならないというわけですね。 > 僕は、貴方の書いたみたいな善悪の内容じゃなくて、 > 善悪というものそのものについて聞きたかったんですけどね。 前回の書き込みがそのつもりで書いたのですが、それ以上の哲学的ともいえる コメントを求められているのであれば、全く考えていないので、残念ながら お答えしようがありません。 >>戦後日本の若者が荒廃した原因は、アドミラル・ウシャコフ氏のように、人間の命よりも、 >>策略とか損得とかが優先され、自分の国さえ良ければいい(→自分さえ良ければいい) >>と考えている若者が増加したという現象とは関係ありませんか?(高橋博彦氏宛) > あ、僕は個人の感情と理論は切り離しているから、ああいう風にいわれるのは、心外だったな。(中略) >それに、こんな事考えてる高校生なんて、僕ぐらいのものじゃないかな? そんな事考えている高校生はあなたくらかもしれませんが(笑) 自分さえよければ良いと考えている若者は確実に増えていると思います。(僕の周りでもそうです) それらが、モラルの欠如した社会を作り出す大きな原因のひとつになっていると思うのですが。 ちなみに、あなた自身がそうだとは思っておりませんので念のため。 ■高橋さん > 国家=軍国主義=個の権利の破壊。ゆえに、国家を解体して個人の良心が社会に息づく > 自由な世界をこの日本に実現させ、世界万民仲良く国境を持たず、民族性の相違による軋轢を持た > ず、異民族同士が国家意識を越えて平和郷建設を目指して地球を一つにまとめよう。 > まあ、表現上はともかくも、およそ、上のような世界観をお持ちのように見えます。 > 当たらずとも遠からずでしょう。 いえ、全く違います。と言うより、どんな世界が良いかなどと考えたこともありませんでした。 強いて意見を言うならば、むしろおっしゃるのと逆で、 もっと世界は国境で細分化された方が良いとすら思っています。 僕は、基本的には各民族は(その意志があるならば)独立国家を持つべきだと思っていますので。 それに国家を否定したり、国家=軍国主義=個の権利の破壊などと考えたこともありません。 (ただ、「戦争が起こったとき、その犠牲者は必ず個人だ」ということが言いたかっただけです) ですから、上記の前提で書かれた僕宛のコメントは、全くの見当違いと言えます。 高橋さんのコメントには、むしろ賛同する部分が多いくらいですから(笑)。 それよりも、上記ウシャコフ氏へのコメントでも触れた肝心の質問 >>戦後日本の若者が荒廃した原因は、アドミラル・ウシャコフ氏のように、人間の命よりも、 >>策略とか損得とかが優先され、自分の国さえ良ければいい(→自分さえ良ければいい) >>と考えている若者が増加したという現象とは関係ありませんか? にはお答えいただけませんでしたね。 ■江藤さん 肺炎は命に関わる病気です。 抗生剤を飲まなければまず治りませんので、医師の治療を受けることを強くお薦めします。 それでは、みなさん、大変お世話になりました。当分の間失礼させていただきます。
この前、自衛隊が水害の救援の為にホンジュラスに行ってましたよね。 ああいう場合、やっぱり、自己完結能力のある軍隊が一番適任ですからね。 しかも、現地 の治安が悪化している以上、民間人は送れないし。 今回は、どうなんでしょうね?
うしゃこふさん、こんばんは。 ▼ コロンビアには我が自衛隊は派遣されるのかな? いや、気になっただけ。 ▼ この疑問は新鮮ですね。自衛隊派遣については、PKOとかPKFの論議はやりますが、災害救助 目的派遣についての話は聞いたことがありません。これには人道的見地がベースになっていますから 一見、問題なさそうですが、政情不安定国への派遣の場合は、当然PKO(Peace Keeping Operat -ion)の側面も含みます。そのとき、どのような法的枠内で戦闘行為を行えるのか考えるべきでしょ うね。それともこれは既に論議が尽くされていることなんでしょうか?
コロンビアには我が自衛隊は派遣されるのかな? いや、気になっただけ。 ところで、新世界秩序構想、というのを良く知らないのですが(笑) 簡潔に説明してくだ さるか、適当な資料を教えていただけないでしょうか? うみゅう、浅学非才だな(笑)
>クラウゼヴィッツの命題の転倒は第一次世界大戦から言われてきた事であり、更に言えば >限定戦争から全体戦争に移行した時点で既に破綻していたのです。 限定戦争も全体戦争も戦争に変はりはない、道徳的に区別出来ない――と私は言ひたいのです。 ところがげんこつさんは >そしてこのように兵器の能力が向上していけば最終的には共同自殺にまで至るであろうとの >観点からこの命題が偽で有ることが論証された訳です。 と述べ、死者の多寡で戦争をランクづけするといふ私から見れば異常な考へを披露されました。 しかし一人の死も人類全体の死も、死ぬ人間本人にしてみれば変はりはありません。 「国際政治というものは道徳をもないがしろにするハードでドライなもの」とげんこつさんは おつしやいます。 しかしげんこつさんはむしろ、世の中の全ての事に関して道徳をないがしろにして、 政治を優先させたがつてゐるのではないか。 人類全体が死ぬよりも一人の人が死ぬ方がましだ――といふ考へ方は政治主義といつて 嫌悪すべきものです。 私はげんこつ様に、「戦争とは他の手段による政治の延長」が転倒するといふことは ### ひとことで言つて ### どういふ表現になるのか、御尋ねしてゐるのです。 またもや「自分でお調べ」しなければならないのでせうか。http://www.d1.dion.ne.jp/~tnozaki/
承りました。 知り合ひが赤十字にをりますので、赤十字のはうに僅かながらの義援金を送りませう。
まむし連殿、こんばんは。お久しぶりです。貴殿の博学にはいつも感服しています。 さて、雑学についてですが、 ▼ 「あらぬ」も何も、それは人肉です。 ただ酒も人肉もまず殷王朝の神々のおそなえであり、乱交も豊穰祈願のもので、 すべてしかるべき祭祀儀礼としてあったので、別に遊びほうけていたわけでは ありません。 ただ周王朝はかなり信仰や儀式がちがっており、理解できなかったようです。 ▼ そう言われると説得力があります。多分、まむし殿の言うことが史実でしょう。中国の四大奇書 の一つ「封神演義」や「荘子」の記述、そして先ほど私が開いた司馬遷の「史記」で、「本紀」の 中の、「殷本紀第三」にも、殷王「紐」と姐己は、悪王と妖女として書かれています。 しかし、戦勝国は敗戦国の神々を悪神として記録に残すことが常ですから、「酒池肉林」は、ま むし殿の言われるごとく、殷の土俗の神々に捧げる祭祀的儀式の様相を、物語性を強調するために、 悪のイメージで塗り直したことの典型的事例なのでしょうね。
こんばんは。れすが遅れて大変申し訳ありません。 ∇中国のヘゲモニーは封じ込めなければなりませんが、中国脅威論は大袈 ∇裟すぎると思います。まつのさまのさまのおしゃる「中国の暴挙」とは具体 ∇的にどのようなことをさしているのですか。 これは、非核保有国に対する核による第一撃以外に考えられないでしょう。 中国は、非核保有国に対する核攻撃を禁じる核政策を標榜しておりますが、 それが建前に過ぎないことが、日米がTMD協力で合意した時の中国政府 の反応で明らかになった。将来、台湾の主権に関する問題で、日米両国が 中国政府の「主権」の意味合いを脅かすような対応をとり紛争に発展した場 合、在日米軍の基地が核攻撃の標的になる可能性は否定できません。核 保有国のこうした暴挙を抑止するために日米はTMD協力で合意したのでは ありませんか。中国のヘゲモニーの封じ込めには同意致します。 ∇私がなぜ謝罪が必要かと言えば、謝罪すれば少なくとも、加害者と被害 ∇者の関係に好転が期待できと考えるからです。もし、日本の謝罪によっ ∇て被害者との関係が見込めるならば日本は積極的に行動すべきだと思 ∇います。功利主義とはこういうことです。 なるほど、アジア女性基金の補償を受けたフィリピン人女性のようなケー スを指しているのでございますね。たしかに、その女性は感謝をしており ましたが、あくまでもこのケースは民間の基金による補償であり、「国家 補償でなければ受け取らない」と拒否されたらそこまでです。また、国家 による補償であれ民間による補償であれ、謝罪をすることによって関係の 好転を見込める相手を選んで補償をするという姿勢は、アジア経済の盟 主たる我が国とその国民のとる態度ではありません。更に、国によって 状況が異なるのは当然であるから日本の謝罪外交に対するアジアのコ ンセンサスなど存在するはずがなく、そうであるからこそ政府は一貫した 姿勢を貫くべきであると思います。マレーシアは被害が少なかったとか 何処何処は被害が甚大であったという被害の多少は些事に過ぎません。 あくまでも行為が問題とされるべきでしょう。 ∇現象もなにもアジアが纏まっていないことは戦後のアジア史からも十分 ∇読み取れると思うのですが、分かり難いとおっしゃるのならアジアにお ∇ける信頼醸成という観点から欧州と比較して論じてみましょう。 ああ、話がかみあわないわけだと思いました。あなたのおっしゃる「アジ アの総崩れ」とは安全保障問題に立脚していたのですね。私は、初めか らAPECを例に挙げた如く、地域主義に基づく地域経済に重点を置いて ました。どちらにしても信頼醸成が不可欠なことには変わりないのですが、 アメリカ特に通商代表部には、そのことが全く理解できていない。昨日の スーパー301条復活などは明らかに日本を対象とした措置でありますが、 これは誰が見てもWTO違反でしょう。アジア諸国の為にも強く反発する べきです。 ∇少々、専門的になってしまいました。すいません。 専門的云々は気になさらずに。それはそれで勉強しますから。 では。
今年の正月に訪ねたコロンビアで、先日大地震がありました。私が実際にこ の目でみたアルメニアの町が倒壊いたしました。死者約900人といわれていま す。 そこで、こちらに来ていただいている方々に義援金への参加を呼びかけたい おもいます。宛先は下記のとおりです。よろしくお願い申し上げます。 ***** 1)日本赤十字社 郵便振替 加入者名:「日本赤十字社」 口座番号:00110−2−5606 問い合わせ先:国際部 国際救援課 佐藤/藤枝 電話 :03−3438−1311(内線4221) FAX:03−3435−8509 備考:振替用紙の通信欄に、「コロンビア地震救援」と記入。手数料は無料。 物資は受け付けない。 2)「市民平和基金」 イギリスに本部のある救援団体を通して、食料や医薬品、毛布などを送る。 郵便振替 加入者名:「市民平和基金」 口座番号00100―4―722213。 備考: 通信欄に「コロンビア」と明記。物資は受け付けていない。 問い合わせ先:03―3813―6758 3)阪神大震災地元NGO救援連絡会議 阪神大震災の被災地ボランティアなど17団体の結成する、「南米コロンビ ア緊急救援委員会」 郵便振替 加入者名:阪神大震災地元NGO救援連絡会議。 口座番号:00970−7−39728 問い合わせ先:078−685−0068 *****
塩を焼いた物を布袋に詰めて、胸に当てていたのを見た。 ベポラップの様な物は如何。但し、使用結果に付いては免責を求むる。 御大事に。つるおかさん、人助け故に番外記事御免。http://www.tcup5.com/525/men.html?
しばらく、絶対安静にしてゐたら、カミサンも発熱してしまつた。 幸ひ、現在は二人とも熱が下がり、咳を連発するに止まる。 肺炎の恐れがあるのだが、医者嫌ひとしては、医者に行きたくない。 もし、肺炎に詳しい人がゐたら、肺炎の治し方を教へてほしい。 追伸:つるおか氏、小生もスペインは好きである。以上。
みなさま、はじめまして。 >(つるおかさんは差別用語だと言うでしょうけど)「チャ○コ○」は、 >「チョンクオ」が訛ったものだと聞いたのですが…。 「チュンクォレン=中国人」ですね。 >この板では中国と書くべき所をシナと書いています。他意はありませんので悪しからず。 ここでは「シナ」は禁止ですか? >本では木に肉をかける発想はないだろう。私は、酒池肉林を思うとき、この肉は一体 >何の肉なんだろうかと、ふとあらぬ連想をして慄然とする。 「あらぬ」も何も、それは人肉です。 ただ酒も人肉もまず殷王朝の神々のおそなえであり、乱交も豊穰祈願のもので、 すべてしかるべき祭祀儀礼としてあったので、別に遊びほうけていたわけでは ありません。 ただ周王朝はかなり信仰や儀式がちがっており、理解できなかったようです。
高橋博彦さま> 社会ダーウィニズムに関する論考読ませて頂きました。感服いたしました。 アドミラル・ウシャコフさま> >ところで、ニュートラルな軍隊というのは海江田の政軍分離みたいな概念で? 米国が提唱している新世界秩序構想です。ちなみに私は反米でも親米でもありません。利米といった ところです。 つるおかさま> 挨拶が遅れてしまいましたが、今後ともよろしくおねがいします。 野嵜健秀さま> >>そして、できるのでしたら誰にでも納得するやうな論理でそれを論証して下さい。 >前回のレスで論証はしていますよ。もう一度熟読なさって下さい。 熟読なさってくださいましたか。それでも納得できないのでしたら反証してみてくださいね。
■ 毎日、生物(牛、魚、野菜)は常に侵され人間の胃袋に入る(それだけでなく他の用途にも使われる)。 私はこの事に関しては特別な感情は抱かない。他の人も概ねそう思っていると思う。 それが何故同じ生物で有る人間が食われ殺されると侵略反対とか言う眠たいことが言える のかは私には判らない。 人間が悪くて他の生物なら良いというのは「差別」以外の何ものでもない。 ■ 仮に侵略防衛の区別が付けられるとしても武器等を使用して殺し合うのには 変わりない。何故侵略が駄目で防衛なら良いとなるのか、私には判らない。 本当の防衛(威力攻撃に関して)というのは特定地域(国)を、如何なる 攻撃にも耐えうる装甲で取囲む(陸、海、空、地下)ことだ。 タグはHTMLファイルを構成する上での基本中の基本。何故禁止するのだ。 大日本帝國萬歳
> それに、二つの世界大戦を経験した世界の国々は交通手段の発達と核兵器の >登場により世界は無限ではなく有限だと知り、世界的な規模での経済の交流が、 >侵略戦争や植民地主義がすでに意味をなさないことを悟ったはずです。 現代において植民地主義が意味を成さないというのは同感ですね。 しかし、侵略戦争に 関してはごく限定的な政治的目標の達成の為に、ごく限定的な進攻を行ったり、その国の領 土を自国の領土と主張し軍事的に実効支配をしたりするのは十分成り立つとは考えられない でしょうか? わたしは、今後このタイプの戦争が増えると思うのですが。 >> 戦争で個々人に降りかかってくる悲劇には全く目が行かないのですか? > > この言葉をウシャコフさんに送りたいとおもっています。実際に戦争となっ >たら戦場にゆき一兵士として真っ先に死ぬのはウシャコフさんをはじめとする >若いあなた達なのですよ。意味のない戦争で死ぬのは嫌ではないのですか。 > > 損得よりその戦争に意味があるのかないのかが大事です。 僕は、自衛官目指してますから(笑) 国家の目的が国益にある以上、それを求めての損得による戦争は十分意味が有ると考えら れますがね。 ま、死にたくはないが(笑) それに、陸上の人間は生きてナンボのもので すし。 > 中国脅威論は日本の軍拡論者の好餌になっていますね。中国脅威論は現時点 >ではたしかに大袈裟にしても、湾岸戦争の影響のためか100万人や50万人の兵士 >を削減してでも、量より質の軍事力(つまり、近代化された軍隊)への転換を >計っているのは事実であり、また「戦略的境界」という考え方が中国政府首脳 >にでてきたのは注目すべきことです。 > > この地理的境界(国境)にたいする戦略的境界という考え方は、朝鮮侵略を >前にして当時の山縣有朋首相が主権線の守護と利益線の防護という二枚舌を用 >意し、主権線の守護は現有の自衛の考え方で大丈夫だが、利益線の防護には朝 >鮮を含めることが欠かせないと主張したのをどういうわけか思い出させます。 > > このように国防の拡大解釈はいつでも侵略への端緒になってしまうのです。 >注意が必要だと私はおもっています。 中国が恐いのは、現実にチベットなどを侵略しており、尖閣諸島や南沙諸島の領有権を主 張しているところに有ります。 よって、ポストパックスアメリカーナの事も踏まえ、防衛 力強化は必須だと考えられます。 また、現時点で中国脅威論が大袈裟だとしても、防衛力というのは10年〜20年ぐらい のスパンで整備されるものですから、今から準備しておくのが良いと考えられます。 しかし、つるおかさん、我々へのレスはないのですか? 今回、侵略戦争は損だと論じたのは、評価します。 やっぱ、理論的に行かなきゃねぇ。
HSさんへ > 戦争の犠牲者は個人だ > 僕の考える人間社会最大の「悪」は、他人の権利を著しく侵害する行為です。 > 侵略戦争とは、他人の家に上がり込んで、殺したり盗んだりすることですか > ら、これ以上の「悪」はないと考えます。 同感です。 それに、二つの世界大戦を経験した世界の国々は交通手段の発達と核兵器の 登場により世界は無限ではなく有限だと知り、世界的な規模での経済の交流が、 侵略戦争や植民地主義がすでに意味をなさないことを悟ったはずです。 その意味で侵略戦争が現代では損得の面からも含めて絶対悪であるという認 識をもたねばなりません。日本の経済が打撃を受ければ中国や他のアジア諸国 の経済も打撃を受けます。(もちろん、その逆のケースもあります) 現代のように経済が社会主義国を含めてグローバルな規模で複雑に絡み合う 時代には、ある国、特に経済的なキーをにぎっている国を侵略することは自分 達の首をしめることになりかねません。 この意味でも私は侵略戦争に反対です。 > 戦争で個々人に降りかかってくる悲劇には全く目が行かないのですか? この言葉をウシャコフさんに送りたいとおもっています。実際に戦争となっ たら戦場にゆき一兵士として真っ先に死ぬのはウシャコフさんをはじめとする 若いあなた達なのですよ。意味のない戦争で死ぬのは嫌ではないのですか。 損得よりその戦争に意味があるのかないのかが大事です。 もんじゃさんへ > 『戦争は外交の延長(手段)である』という定説は、施政者の立場からの命 > 題であり、戦闘当事者に置いては『戦争(殺し合い)』という状態でしょう。 > この立場の違いを自覚しないと、机上の空論に成り易いのでは?。 主権在民ということは国家は民が不幸な状態、つまり『戦争(殺し合い)』 という状態にないようにしなければなりません。民が希望しない状態はなるべ く作らないというのが民によって選ばれた施政者の役目でしょう。 ただ、どこかの国が侵略してきたという場合は、より不幸な状態、つまりあ る国の奴隷状態におかれるということをさけるために、『戦争(殺し合い)』 という状態にはいるのを、我々民は覚悟しなければなりません。 > 我々は、あくまで、或る状態の中に放り込まれた人間でしかないのでは?。 おっしゃるとおりですね。ただ、主権在民ですから或る状態をよくするのも 悪くするのも我々次第ということになります。
げんこつさんへ > 国家の安全保障戦略策定にあたって大切な事は近隣諸国との信頼醸成装置 > (CBM)の推進です。 私も同様に考えます。ですから、自国の利益しか考えない思想は近隣諸国と 信頼関係を構築できずにアジアのなかで孤立してしまいます。「情けは人の為 ならず」という言葉があるように他人をおもいやる心は結局自分を助けます。 国と国の関係も同じでしょう。(もちろん、人の情を仇で返したり、それを自 分の利益のため利用する人間(国)もいますので注意が必要ですが) > 要するにアジアは朝鮮半島は分断されたまま、中国、台湾はシリアスな関係 > にあり極東ロシア軍削減のめどもたっていないなど緊張緩和の度合いが欧州 > に比して遅れがちなのです。だからこそ日本は近隣諸国との交流の積み上げ > によって、北東アジアのサブリージョンルベースでのCBM体制を構築し、 > それと並行して東南アジアなどのCBM確立にも積極的に協力する必要があ > るのです。 近隣諸国との交流の積み上げが外交努力であり自国の防衛の要です。それを 乱そうとする覇権主義、冒険主義の国家には注意が必要ですね。 > 中国のヘゲモニーは封じ込めなければなりませんが、中国脅威論は大袈裟す > ぎると思います。 中国脅威論は日本の軍拡論者の好餌になっていますね。中国脅威論は現時点 ではたしかに大袈裟にしても、湾岸戦争の影響のためか100万人や50万人の兵士 を削減してでも、量より質の軍事力(つまり、近代化された軍隊)への転換を 計っているのは事実であり、また「戦略的境界」という考え方が中国政府首脳 にでてきたのは注目すべきことです。 この地理的境界(国境)にたいする戦略的境界という考え方は、朝鮮侵略を 前にして当時の山縣有朋首相が主権線の守護と利益線の防護という二枚舌を用 意し、主権線の守護は現有の自衛の考え方で大丈夫だが、利益線の防護には朝 鮮を含めることが欠かせないと主張したのをどういうわけか思い出させます。 このように国防の拡大解釈はいつでも侵略への端緒になってしまうのです。 注意が必要だと私はおもっています。
>そして、できるのでしたら誰にでも納得するやうな論理でそれを論証して下さい。 前回のレスで論証はしていますよ。もう一度熟読なさって下さい。
私がはなはだ無礼な書き方をしたのに、あつさりかはされてしまひました。 >ですから「戦争は政治の延長に他ならない」は転倒していると言っているのです。 この文章の意味はどういふ事なのでせうか。 「転倒」なる奇妙な左翼用語を使つてごまかすのではなく、 誰にでもわかる言葉でご回答願ひます。 そして、できるのでしたら誰にでも納得するやうな論理でそれを論証して下さい。 根拠もなく頭ごなしに(=エモーショナルに)人の意見を単に否定するのは、どうかやめて下さい。http://www.d1.dion.ne.jp/~tnozaki/
もんじゃさん、おはようさま。私は貴君を無視してはいませんよ。 ▼ <役割と負い目> 「湾岸地域でアメリカを始めとする多国籍軍の兵士たちが生命を犠牲にするようになって以来、 日本人の多くが深刻な精神的負い目を心のうちに抱え込んでしまった。いうまでもなく、 多国籍軍の兵士たちが日本人も共有する価値と利益のために命を捧げているのに、 日本人だけは平和憲法を盾に安全圏に身を置いたままだからである。 つまり、そこでは、平和憲法を掲げて戦争で手を汚そうとしない者たちが、侵略阻止という大義の ために現に戦場で生命を危険にさらしている者から、鋭く倫理性を問われているのである」 (野田宣雄「湾岸から日本に放たれたミサイル」『文芸春秋』1991年3月) この『精神的負い目』という言葉にある種の感情移入を感じます。 私自身横須賀に住んで居るので、当時の横須賀在住の米兵が出動していくのにある種の負い目を感じました。 振り返って考えれば、彼らへの感情移入です。 ▼ この視点は興味深いと思います。あの当時は、血を流さない代わりに金で間に合わせているという言い方が盛んに 行われたものでした。しかし、その莫大な金は国民の税金です。あれはあれで充分すぎる国際仁義を通したものと考 えています。それがほとんど評価されなかったことは記憶に強く残っています。日本が、金で済めばそれに越したこ とはないという発想は、おそらくなかったと思いますよ。もし、上で言うように、憲法九条の為に、日本人が自己の 倫理性を問いかけたならば、九条の欺瞞性を強く意識したことになりませんか? そのような機運はそのあとなかっ たですよ。多国籍軍に軍事参加できないことで倫理的な悲哀を持ったとは私は考えておりません。むしろ、最近の米 英イラク攻撃の正当性には大いに疑問を感じています。違法なのは米英ですね。国連安保理決議だけが、イラクの国 際犯罪を糾弾できる筈なのに、米英はそれを無視しました。こんな無法に対して、小渕総理が即座に支持の姿勢を表 明したことは、米国の無法を率先して認めたことになります。その後の始末でいま右往左往しています。 中東は主要な原油供給基地です。そういう意味では世界の利権が集中する場所でもありますが、それとイラク対クェ ート間の戦争に米国が軍事介入しなければならない原則的な理由がはっきりしていません。国連の決議には、糾弾は しても介入戦闘をやる権利があるものだろうか? ▼ 多国籍軍の兵士の戦闘に対して、自分が戦闘しているような感情移入、 ひいては、『戦闘に参加しない日本、日本人としての自分』という負い目。 加わるとなるとトコトン加わり、関与しないとなると一切を無視する。 この指向性の振幅の大きさこそ、日本人の特質ではないのか。 そして、これが日本人特有の『臨在感』ではないのか。 この感情移入に基づく臨在感こそが、日本人の判断の基準ではないかと考えています。▼ そのように見えるとすれば、このぶれは、軍事にしろ国際貢献にしろ統一見解が持てないでいる今の日本の退嬰的 な姿でもあると思います。日本人は、判断が極端な感情移入によってどちらかに大きくぶれるという国民性ではない と思います。国の大儀が定まっていないことは、他国に対する評価の基準が定まらないということだと思います。
社会の中の生存規範として守るべき基本的な法律は、国が制定して国が管理するからきちんと機 能するんです。国の権威があるからこそ、人々はそれを遵守するのです。国家というものの権威を 否定して個人や家族の権利を最優先させたら、社会秩序というものが一体どうなるか考えたことが ありますか? 人間の本性が悪であることの自明さから、あらゆる民族国家はその獣的な本性が暴 走しないように、それを外側から押さえ込むことに執心して来ました。人間の持つ野蛮性を抑制し、 それを統御するために考えられたシステムが『国家』なのです。国家を解体して個の権利を確立で きると本気で思っているんですか? そう考えているとしたら愚かというほかはないですね。 国家という概念は、ある時代の代表的権力者達が即効的に造り上げたのではなく、歴史の連続性 の中で貴重な試行錯誤を繰り返しながら注意深く練り上げられ、洗練されてできたものです。この 中核にあったものが民族規範でした。個人の権利などというものは、国家を国家としてあらしめて いる権威に比べれば粟粒よりも希薄な観念なのですよ。しかも個が確立されるという状態は、自分 の生きてきた道の中で呻吟苦闘し、自己より公、すなわち国家や民族の大儀をわきまえた所から始 まるものです。戦後の日本は、2659年の歴史上、最も皇道的情念が薄れた時代でもありますが、 一方では、欧米のグローバライゼーションにどう応対して、地球の位置づけをしていくか学んでい る時代でもあります。それはそれでこれからの国家に充分に役立つ経験をしている訳ですが、民族 規範の核であった皇道的感性を取り戻すことによって、崩壊した日本人の精神基盤は即座に復活す ると考えます。そのとき、戦後初めて日本が世界に恥じない国家となり、個々の信頼と真の自由が 始まります。祖国という概念が醸成されないところに個の自由は絶対に成り立たない。 共産主義の絶対的なテーゼは、理想社会建設ではなく、徹底的な民族韜晦、国家瓦解を目指す ことです。国家権力を解体したら、家族も個人も安心して住めなくなります。個人が国に奉仕す ることが当たり前の社会なくして幸福な生活は望むべくもないですよ。民族規範を持たずに共和 制を敷けば、不自由な共産国家となり、民族規範を骨子として君主制を敷けば人々は真の自由を 謳歌できる筈です。 戦争という国家的行為は、守るべきものの対象がはっきりと判別しているからこそ起きるわけ です。守るべきものが存在しないところには、戦争は起こりません。それは国家も存在しないと いうことであり、家族も存在できないということでもあります。家族を守る意志と、祖国を守る 意志は同質のことであり、自民族への愛情がこの意志を培います。 人間は生まれながらにして、不自由であり何の権利をも有さない。従って国家の正当な権威が 必要であります。個人の自由を追求するならば、まず国家の大儀から出発するべきです。
HS殿、国家=軍国主義=個の権利の破壊。ゆえに、国家を解体して個人の良心が社会に息づく 自由な世界をこの日本に実現させ、世界万民仲良く国境を持たず、民族性の相違による軋轢を持た ず、異民族同士が国家意識を越えて平和郷建設を目指して地球を一つにまとめよう。 まあ、表現上はともかくも、およそ、上のような世界観をお持ちのように見えます。当たらずと も遠からずでしょう。 ▼ 僕の考える人間社会最大の「悪」は、他人の権利を著しく侵害する行為です。 侵略戦争とは、他人の家に上がり込んで、殺したり盗んだりすることですから、 これ以上の「悪」はないと考えます。▼ 本当に私などには全く相容れない認識の典型です。天然状態における人間個人には、本来権利も 自由も人権も全くないものです。特に人生経験の浅い児童には全くと言っていいほどそれはありま せん。つまり、社会意識が芽生えるとき、最初の世界観の基盤として持たなければならないことが 「人間性悪説」なんです。人類が共に手を携えて未来に向けて進化しようとするときに、国の概念 は、障壁となりうるから取っ払おうという考えの根底には「人間性善説」が暗黙理の前提とされて います。人間が本来的に善を志向する生物ならば、法律体系も宗教も必要ないですよね。 ところが人類史においては、様々な宗教が発生し、様々な掟から、複雑な法大系が築かれました。 考えてもみてくださいよ。世界のどこの国であろうとも、掟が必要なことは自明のことです。家族 や個人が殺されないで、安心して生きられる社会とは、国家が盤石であり、掟が遵守され、言葉が きちんと通るシステムが築かれてあることが最大限重要なことです。人間存在は、空間的にも時間 的にも孤立した存在ではない。過去の無数の先祖達の連続性の上に存在し、未来の無数の子孫達に 連続性を橋渡しする連鎖的な存在です。そして、生きる過程で触れ合った、あるいはこれから触れ 合うであろう大勢の他人との関わりによって、世界認識を得ているんです。その中で、必要なルー ルができ、北海道に行っても、沖縄に行っても、国が定めたルールを守れば、安全にそこにいるこ とができる訳です。これが、北海道では車が右側通行で、九州では左側通行だったらどうするんで すか? 馬鹿にしないでね、個の権利、個人の自由とは畢竟そういうことを言います。この例は大 きな意味を持っているんですよ。個人の権利を突き詰めると社会の無秩序にたどりつきます。
すまない、横レス。 >『戦争は外交の延長(手段)である』 >という定説は、施政者の立場からの命題であり、戦闘当事者に置いては『戦争(殺し合い)』という >状態でしょう。 >この立場の違いを自覚しないと、机上の空論に成り易いのでは?。 国家というものが「主権者の集団的欲望の追求=国益の追求」というのを目的としている 以上、外交は主権者が欲望を満たすための手段であり、クラウゼヴィッツの命題も主権者の 問題となります。 見かけではありませんから。 >今世紀の『戦争』には、戦闘員・非戦闘員の区別は付かなくなっています。 >果たして、戦争は手段でしょうか。 戦闘員・非戦闘員の区別の問題と、戦争が手段かという問題に関係があるのでしょうか? たとえ、非戦闘員が殺されようと、戦争が手段か否かという問題とは無関係のように考えら れます。 >今、置かれている私たちの状況では、戦争とは、私たち自身の殺し合い(殺すか殺されるか)という状態の >様に考えます。 >状態と捉えるなら、誰が、どの様にしてこの状態に遷移させたのか。また誰が、どの様にしてこの状態から >次の状態(平和)へ遷移させるのか。 >我々は、あくまで、或る状態の中に放り込まれた人間でしかないのでは?。 たしかに、殺すか殺されるかという状態ではありますが、戦争の原因が外交の延長であり、外交が国民の為であることを考えれば、殺すことが利益を得るための手段であるわけでしょう。
HSさんの意見と近いかもしれませんが、 『戦争は外交の延長(手段)である』 という定説は、施政者の立場からの命題であり、戦闘当事者に置いては『戦争(殺し合い)』という 状態でしょう。 この立場の違いを自覚しないと、机上の空論に成り易いのでは?。 今世紀の『戦争』には、戦闘員・非戦闘員の区別は付かなくなっています。 果たして、戦争は手段でしょうか。 今、置かれている私たちの状況では、戦争とは、私たち自身の殺し合い(殺すか殺されるか)という状態の 様に考えます。 状態と捉えるなら、誰が、どの様にしてこの状態に遷移させたのか。また誰が、どの様にしてこの状態から 次の状態(平和)へ遷移させるのか。 我々は、あくまで、或る状態の中に放り込まれた人間でしかないのでは?。
>■ウシャコフ さん、お答えが遅くなりすみませんでした。 いや、別に構わんです。 お気になさらずに。 >一市民としてではなく、国家レベルとか国の指導者としての立場で物を考えちゃうんですか? むしろ、科学者の目といったほうが適当かな? 客観的に考えないと価値観の違う人間と 議論できませんし。 僕自信、納得がいきません。 それに、戦争というものは国家レベル の問題ですし。 むしろ、僕は理論を構築したりする上で個人の目を捨て切ることの出来な い(客観を用いることの出来ない)という事が信じられません。 >こういう書き方をすると「感情論」だとか言ってあなた方はバカにしますが >戦争が起きる→人が死ぬ→家族や友人が悲しむ >という、戦争で個々人に降りかかってくる悲劇には全く目が行かないのですか? 個人的には、悲しいですよ。 ただ、それは政治的・軍事的に戦争を分析する上では関係 ありませんから(但し、感情による戦争への影響というのは重要な要素である事は言うまで もありません)。 僕が、なぜ感情論を否定するかといえば、価値観の違う他人と議論する上で意味を成して いないからです。 >そして、「主権者の集団的欲望の追求=国益の追求」 >つまり、自分の国さえ良ければいいというわけですね? 根本的には、そうであると考えられます。 表面的に他国に尽くしているようでも、これ が根底に有ると考えられます。 たとえば、ODAですが、これも損得打算の結果であるわ けです。 人間の本質は欲望に有りますから。 まあ、他国と共存したほうが良い場合はそっちを取 るべきでしょう。 >僕の考える人間社会最大の「悪」は、他人の権利を著しく侵害する行為です。 >侵略戦争とは、他人の家に上がり込んで、殺したり盗んだりすることですから、 >これ以上の「悪」はないと考えます。 僕は、根本的に悪はないと思うのです。 つまり、なぜ悪という概念が作られたかといえ ば社会の効率的運営の為であると言うことに尽きるわけです。 なぜ、他人の権利を侵害す るのが悪と言われており、貴方がそれを支持しているかといえば、それをやられたくないの とそう社会を運営する立場の人間や社会を円滑に運営しようという集団的意志による教育を 受けたからであると分析されます。 さらに言えば、これは個人間ではよく当てはまりますし、多くの個人がそう思っているで しょうが、国家間に感情は存在しませんから、国家間に適用するのは、難しいと考えられま す。 僕は、貴方の書いたみたいな善悪の内容じゃなくて、善悪というものそのものについて聞 きたかったんですけどね。 >そのような侵略戦争を否定しない(打算によっては推進する?)あなたの考えは、 >人の道から外れているような気がするのですが、いかがでしょうか。 国家に人の道は関係ないと考えます。 個人的には外道にならないよう気をつけてますが。 >あなたとはずいぶんと感覚が違うものだという印象です。 僕は、感覚で論じたつもりはありませんが? あなたは、そうでしょうが(笑) >なんだか、すべてを損得とか打算で考えられているような感じを受けました。 国家は損得と打算で動くものだと考えていますから。 個人もいくら美麗字句で飾ったり、 他人の為に尽くそうと欲望に帰すると考えられます。 僕も貴方も含めてね。 >ところで、以前、江藤學神氏が紹介してた、特攻隊員の日記についてどう思われますか? >特攻隊員の日記が人々の心を打つのは、打算から最もかけ離れたところにある >崇高な精神によるものが大きいと思うのですが、いかがでしょうか。 個人的には、心を打つものだと思いますが。 敢えて、分析すると(やりたくないが)生 物は進化を目的の一つとしており、それは個体が自己の遺伝子を残そうという働きに現れま す。 そして、自己の遺伝子に似通った者達(家族・民族)の100人が救えるならば、1 人の犠牲はやむなしとなります。 貴方は、どう分析しますか? >先日の話の続きですが、戦後日本の若者が荒廃した原因は、 >アドミラル・ウシャコフ氏のように、人間の命よりも、策略とか損得とかが >優先され、自分の国さえ良ければいい(→自分さえ良ければいい) >と考えている若者が増加したという現象とは関係ありませんか? >(あ、ウシャコフ氏個人のモラルが低いという意味ではありません) あ、僕は個人の感情と理論は切り離しているから、ああいう風にいわれるのは、心外だっ たな。 別に、怒ってはいないけどね。 そうとれられても仕方ないし。 マキャベリだっ て同じだったから。 横レス、すまないね。 それに、こんな事考えてる高校生なんて、僕 ぐらいのものじゃないかな?
高橋さん、レス遅くなって申し訳有りません。 てっきり、無視された物と思っていたもので、フォローしていませんでした。 私への返答に対して、再返答するのは控えます。 が、 >刷り込みという言い方は、国家が国民に教えることが、基本的に悪だというニュアン >スを感じますが、国家が教育において全人的な人格教育を志向することは絶対必要なこ >とです。 に対しては反論します。 国家が国民を規制できる限度は国民の外的規範、いわば行為であります。 国家が国民の内的規範まで規制する事は、一切許されません。 国民と言わず、日本人と言いましょう。 日本人にも、純キリスト教徒もいれば、純イスラム教徒もおります。ブッディストもいます。 彼らには彼らの内的規範、貴方の言う道徳が有ります。 これらの人達に、また私たちに、国家が規定した内的規範を強制することは、本質的な自由、 今、私たちがこの場で様々な立場、思想から議論している事自体を国家が規制する事と同義になります。 この愚は、かつての時代に経験した事では有りませんか? 話変わって、高橋さんが書かれた、 >国際政治力学は、純粋に国家の利害得失で動く場合ももちろんあるが、私はそ >こに住むネイションがどんな性格の国民であるか、またどのような民族規範(道徳) >に従って動くのかを、内面的に把握する姿勢もかなり重要だと思うのである。 には、賛成です。 私が探しているものは、日本人の行動原理とその内的規範です。 日本人は、なぜそう考え、そう判断し、そのように行動するのか。 宗教、民俗学、文化人類学、その他様々な方向から調べています。 少女売春もその一端です。 特に、かつての大東和戦争がその究極点でも有る様に考えて居ります。 いずれ、場所を変えて私見を述べるつもりですが、一例だけ挙げますと、 <役割と負い目> 「湾岸地域でアメリカを始めとする多国籍軍の兵士たちが生命を犠牲にするようになって以来、 日本人の多くが深刻な精神的負い目を心のうちに抱え込んでしまった。いうまでもなく、 多国籍軍の兵士たちが日本人も共有する価値と利益のために命を捧げているのに、 日本人だけは平和憲法を盾に安全圏に身を置いたままだからである。 つまり、そこでは、平和憲法を掲げて戦争で手を汚そうとしない者たちが、侵略阻止という大義の ために現に戦場で生命を危険にさらしている者から、鋭く倫理性を問われているのである」 (野田宣雄「湾岸から日本に放たれたミサイル」『文芸春秋』1991年3月) この『精神的負い目』という言葉にある種の感情移入を感じます。 私自身横須賀に住んで居るので、当時の横須賀在住の米兵が出動していくのにある種の負い目を感じました。 振り返って考えれば、彼らへの感情移入です。 多国籍軍の兵士の戦闘に対して、自分が戦闘しているような感情移入、 ひいては、『戦闘に参加しない日本、日本人としての自分』という負い目。 加わるとなるとトコトン加わり、関与しないとなると一切を無視する。 この指向性の振幅の大きさこそ、日本人の特質ではないのか。 そして、これが日本人特有の『臨在感』ではないのか。 この感情移入に基づく臨在感こそが、日本人の判断の基準ではないかと考えています。
■ウシャコフ さん、お答えが遅くなりすみませんでした。 > 個人的に人死には嫌いであるけど、国家レベルで善悪も個人的感情も意味を成していませ > んからね。 ただ、国家の目的である「主権者の集団的欲望の追求=国益の追求」しかあり > ません。 一市民としてではなく、国家レベルとか国の指導者としての立場で物を考えちゃうんですか? こういう書き方をすると「感情論」だとか言ってあなた方はバカにしますが 戦争が起きる→人が死ぬ→家族や友人が悲しむ という、戦争で個々人に降りかかってくる悲劇には全く目が行かないのですか? そして、「主権者の集団的欲望の追求=国益の追求」 つまり、自分の国さえ良ければいいというわけですね? > まず、なぜ侵略戦争を否定するのかお答えください。 > そうだ、善悪の概念について聞くの忘れた(笑) 僕の考える人間社会最大の「悪」は、他人の権利を著しく侵害する行為です。 侵略戦争とは、他人の家に上がり込んで、殺したり盗んだりすることですから、 これ以上の「悪」はないと考えます。 そのような侵略戦争を否定しない(打算によっては推進する?)あなたの考えは、 人の道から外れているような気がするのですが、いかがでしょうか。 あなたとはずいぶんと感覚が違うものだという印象です。 なんだか、すべてを損得とか打算で考えられているような感じを受けました。 ところで、以前、江藤學神氏が紹介してた、特攻隊員の日記についてどう思われますか? 特攻隊員の日記が人々の心を打つのは、打算から最もかけ離れたところにある 崇高な精神によるものが大きいと思うのですが、いかがでしょうか。 ■高橋さん、返答が遅くなり申し訳ありません。 先日の話の続きですが、戦後日本の若者が荒廃した原因は、 アドミラル・ウシャコフ氏のように、人間の命よりも、策略とか損得とかが 優先され、自分の国さえ良ければいい(→自分さえ良ければいい) と考えている若者が増加したという現象とは関係ありませんか? (あ、ウシャコフ氏個人のモラルが低いという意味ではありません)
みなさん、こんばんは 教育勅語について書いたところ、いろいろな意見を頂きましたので 遅くなりましたが、自分の考えを書いてみようと思います。 私が教育勅語について考えるようになったのは、ホントについ最近の ことです。以前から教育についてはいろいろ考えることがありまして、 関係する書籍を漁ると教育勅語のことが載っているわけです。 「人にはなぜ教育が必要か」という本の中にも教育勅語が載っ ていました。で、一度は読まなきゃということで難しい言葉を 引いてみたのです。だから、私はそれほど理解しているわけでは ありません。 野嵜さんはこれを「祝詞」としていらっしゃいまして、面白いな と思いました。 さて、全体を通して読んでみた印象としては、秋の夜長にいろいろ 日本のことに想いを馳せてお書きになった日記のような感じ、 それから、「権力」や「絶対的な命令」とは無縁、むしろそういう 印象をなるべく与えないようにと配慮なさっているように感じました。 例えば >是の如きは独り朕が忠良の臣民たるのみならず、 とか >朕爾臣民と共に というお言葉 明治になったとき、天皇陛下の存在は東京では、というか 全国的にあまり知られていなかったようです。 で、日清、日露戦争でそのカリスマ性が燦然と輝くようになった。 からかも知れない。 で、口が酸っぱくなるほど >此れ我が国体の精華にして とか >又以て爾祖先の遺風を顕彰するに足らん と、これは伝統なのだから、と。 こういうお言葉があるから >一旦緩急あれば(中略)以て天攘無窮の皇運を扶翼すべし というお言葉があっても、「権力」のような印象は受けません。 私が悲しみを覚えるのは >此を中外に施して悖らず という部分です。「教科書の教えない歴史」をお持ちであれば よくお解りになるかと思いますが、アジア各国に経済や教育 などのインフラのためにたくさんの日本人の血が流れていること を知りました。私は昭和53〜4年頃小学生でしたが、 学校の先生からインドネシア独立の話を聞きました。 インドネシアの国旗って赤と白でしょう。日本の国旗と関係あ るのでしょうか?どなたか教えて下さい。 あと「日本は戦争中いいこともした」という発言で辞任された 大臣の言葉、本当だと思っています。 ただ、つるおかさんが納得できないとおっしゃっていること 少しは分かります。ひょっとすると戦争中教育勅語がいいように解釈 されたのではないか?とふと思ったりします。このへんどなたでも 結構ですので教えていただければ幸いに思います。 長くなるので、今日はここまでにします。
現状では日米安保を軸として、限定的進攻を独力で排除できる程度の防衛力を整備するの が良いと考えています。
>なかなか独創的な考えですね。まぁ、言えることはアメリカは滅ばないし、一国防衛概念は一国平 >和主義と同じくらいナンセンスだし軍拡はメリットにならいということですね。 >私の考えは集団安全保障→国連軍→ニュートラルな存在の上位暴力装置こんなところです。 なかなか独創的とは、誉められてるのかな(笑) アメリカが滅ぶとは言い過ぎでしたが、今後30〜50年ぐらいのスパンで考えた場合、 アメリカが極東に軍事力を展開している状態を維持できなくなる、という事態は十分に考え られます。 また、現在はほぼアメリカの一国防衛概念で成り立っていると考えられます。 そこで、ポストアメリカが必要になるのでしょうが、それを出来るのは我が国と中国のみ でしょう。 しかし、中国にやらせたところで我が国は搾取されてぺんぺん草も生えないよ うな土地にされるのが落ちです。 基本的に社会主義国ですし、国家が人口を支えきれてい ませんから。 よって、我が国がポストパックスアメリカーナとしての安全保障体制を確立せねばいかん わけです。 その中で、集団安全保障の枠組みは取り入れるべきでしょうが、文化や宗教そ相違が有り、 各国の経済状態も大きな差があるため、基本的に我が国がアジアの盟主として動くのが良い と考えられます。 そう言う点では、大東亜共栄圏は言い過ぎかもしれませんね。 理念と しては、近いと思いますが。 これは、僕の憶測ですが、アメリカの力が衰えてくると、今度は経済がブロック化してく ると思うのです。 我が国の経済力を核としたアジア圏、EUベースのヨーロッパ圏、アメ リカ中心の南北アメリカ圏と言うように。 ま、これは、流れを見てそんな気がする程度の ものですが。 ところで、ニュートラルな軍隊というのは海江田の政軍分離みたいな概念で?
つるおかさん、下のダーウィニズムの投稿は、昔、憂国系で書いたものであり、うっかりして この板では中国と書くべき所をシナと書いています。他意はありませんので悪しからず。手直し し忘れました。そこだけ書き換えてもらいたいですが、忙しいでしょうから削除していただいて も結構です。
世界の趨勢は、特に欧米世界には、既にお蔵入りの進化論が自明の理のような印象を与 えながら人々の常識として根付いている。キリスト教国家は、ダーウィンの仮説が世に出 てから、百年以上も聖書に忠実な姿勢を貫くために躍起になってこれを否定してきた。し かし有力な聖職者達が、神経質な否定を繰り返しても、それは依然として強力な存在を主 張し続けたのである。何故か?これは重要なことである。欧米の権力中枢にいたアングロ ・サクソン系白人種や、蒙古の様に大地を群雄割拠してきた民族は、その基本的な性格が、 暴力と侵略を実践してきた完璧なバーバリアンだったからである。ここで支那の民族は一 旦置いて、欧米キリスト教国家になぜダーウィニズムの呪縛が浸透してしまったかを冷静 に考察するとあることが見えてくる。 社会ダーウィニズムは、帝国主義や植民地主義の有力な擁護理論となっている。白人帝 国主義者はダーウィニズム信奉者である。しかし彼らの一貫した信仰は、カソリック、プ ロテスタント問わず、キリスト教であった。ダーウィニズムは旧約聖書の「創世記」と完 全に対立するし、新約聖書の「山上の垂訓」とも決して相容れないものである。完全に矛 盾したこの二つの世界観を内包しながら、世界を植民地浸食してきた道程を考えると、明 らかに白人帝国主義者はキリスト教徒ではなかったと言わざるを得ない。従って占領軍総 司令官のマッカーサーも、自らをキリスト教徒と言っているが、その実徹底的なダーウィ ニズム信奉主義者であった。アメリカが、たちが悪いのは、民主主義はキリストの高度な 倫理を内包する普遍的な規範だと偽って、戦後の日本人に社会ダーウィニズムを強制付与 したことにある。 チャールス・ダ−ウィンは、もともと旧約聖書の「創世神話」を否定するところから出 発していた。これが蛮族民族に適合するのはごく当然だったのだ。欧米帝国主義国家はク リスチャンの顔をしながら、暴力的に他民族を食いつぶしていった汚辱の歴史を持つのだ。 アメリカ白人帝国主義者は片手で聖書を持ち、もう一方の手で銃器を持ちながら、アメ リカ先住民族を殺し、奴隷にむち打ってきているのだ。これは社会ダーウィニズムである。 神の名で殺しまくる野蛮な欧米人が、日本の「教育勅語」の高い倫理を煙たがり、憎む のは当を得ている様な気がする。つまり「山上の垂訓」の精神に、真に接近したのは明治 大帝が賜れた「教育勅語」だったのである。私は日本の本質を「神州の尊、神州の美」と いう言葉で再三表現しているが、単に言葉上の美しさのためにそうしているのではない。 日本は、世界全体の野蛮なダーウィニズム的時間から、完全に離れた独自の時間の流れを 有する国なのである。この時間流を一貫して形成してきたのは、皇家の尊厳なのである。 自由主義史観論者によれば「戦後民主主義の波及によって、日本人は共同体の溶解に陥 り、ミーイズム(利己的個人主義)が跳梁した。その結果がモラルの瓦解を招いた」と言 っているが、その民主主義には、ひっそりと毒が仕掛けられていた。すなわちダーウィニ ズム的世界観である。これは、皇家を戴く日本民族にはまったく相容れない世界観なので ある。この視点で世界を眺めれば、シナもヨーロッパもアメリカも、マルクス・レーニン 主義を踏襲した共産主義国家も、ダーウィニズムを基調としたバーバリズム国家と言える だろう。祖国日本は、神によって世界から聖別された唯一至尊の国なのである。 この論法が暴論であることは認めるが、一顧の価値はあると思う。正確に言えば、我が 国では明治以降にダーウィニズムの考え方は既に認識していた。ただそれを、社会のダイ ナミズムの中核として定着させなかったのは、皇道的理念が押さえ込んでいたからである。 日本の皇道理念が優れているのは、ダーウィニズムを制御する力を持っているからなので ある。それは長い時間をかけて積み重ねた民族規範である。私はダーウィニズムが、物理 学の熱力学の第二法則『エントロピーは増大する方向に向かう』ということと等価性を持 つような気がしてならないのです。
こんばんは、げんこつ殿。 ▼後半部分で気になった点についてお聞きしたいのですが、欧州では現在でもダーウィニ ズムは肯定されているのですか。 ▼ 旧約聖書・創世記の「創造神話」対ダーウィンの「進化の仮説」論争は、明らかに神学 者の勝利に終わっています。しかし、「種の起源」の考古学的実証性は、化石考古学的に 否定されているのではないでしょうか。新しい種が化石で発見されたとき、それは段階的 アナログ的な進化を示すものが何も出ていないことと、それを突然変異で説明する見方も 破綻しています。しかし、学者にはいまだにこの仮説に固執する人が多いと思います。 以下は、以前書いたもので、できるだけ単純化して書いたつもりが稚拙きわまりないも のになってしまいました。 『日本に打ち込まれた毒のクサビ』 戦後日本における七年間の占領時代、GHQは日本人の世界観にトリプルの楔(くさび) を打ち込んだ。よく言われているように最初の一つは、「あらゆる場合に闘っちゃいけな い」という日本国憲法第九条がある。次の一つは、至高の教育勅語が教育基本法という野 蛮な戦後民主主義教育に取って代わられたことである。この二つについては多くの人達が 言い続けているので分かり易いのである。しかしまだ言われていない三番目のクサビがあ る。アメリカは目立たないように、もう一つ悪質な世界観を日本人に植え付けているので ある。正確な言い方ができなくて申し訳ないが、三番目の邪悪なクサビとは、ダーウィニ ズム的世界観なのである。学問的には腹を据えて調べたことはないが、ダーウィンが書き 記した「種の起源」の中に提唱される「進化の仮説」には、二三の有名な概念が一人歩き をして欧米世界に浸食していた。それを社会ダーウィニズムと言う。たとえば「自然選択」 (淘汰)の仮説が、適者生存とか適応などと言われ、人文科学の側面に無造作に使用されて いる。もともとダーウィンがこの理論を思いついたのは、マルサスの「人口論」に触発さ れたからである。レミングの集団自殺を髣髴とさせるマルサスの「人口論」はきわめて大 雑把な経済理論である。その粗野な経済論を生物の諸相に当てはめたところに無理がある と言われる。 淘汰の仮説は、世俗的に言えば「弱肉強食」として認知されている。淘汰の仮説は、思 い切り誤った形で世界に流布している。(もともとこの仮説自体が間違いであることは既 に証明されている、同時代のもう一人の進化論者ウォーレスとも仮説の一致を見ていない) 生物界を見渡せば、牙を持つ生物や毒を持つ生物が、強者として棲息テリトリーを拡大 し、そこに優位性を持って君臨することはあり得ない。皮相的にはそう見える部分はある かもかもしれないが、生物界にはまったく強者覇権の法則は働いていないのである。生物 分布は、あくまでも神が定めたエコロジカルなバランスの上にある。多様な生物が然るべ き蓋然性を以て配置されているだけなのである。生物進化の法則は未だに解明されていな いのである。有名なミッシング・リンクの問題があることなどや同種化石形態の不連続性 など、実際には未だに証明もされていないどころか、その信憑性は既に否定されている。
>では、何をおつしやってゐるのですか。 そういうことをおっしゃているのですよ。って冗談です。ですから「戦争は政治の延長に他ならな い」は転倒していると言っているのです。
>しかし、極東地域の安全保障が成り立っているのはアメリカのお陰でありますが、アメリカ >もいつか滅びますので、その時には我が国が極東の安全保障を維持するのがモアベターだと考 >えるわけです。 中国にポストアメリカは務まらないと思います。軍拡も、メリットになれば >オッケーみたいな(笑) 東南アジアの国々がグダグダ言うかもしれないけど、経済的・軍事 >的に掌握してしまえば黙るでしょう。 ま、現在の経済の大東亜共栄圏+パックスアメリカー >ナを経済の大東亜共栄圏+軍事の大東亜共栄圏にしようという考えです。げんこつ殿は、どの >ようなビジョンをお持ちで? なかなか独創的な考えですね。まぁ、言えることはアメリカは滅ばないし、一国防衛概念は一国平 和主義と同じくらいナンセンスだし軍拡はメリットにならいということですね。 私の考えは集団安全保障→国連軍→ニュートラルな存在の上位暴力装置こんなところです。
>また、軍国主義日本の幻影と言われましたが、もしそのようなことを懸念する人があれば、そ >れはまさにその人の見た幻影でしょう。東南アジア諸国の軍事に対する警戒心は、南沙諸島の >問題がある限り我が国よりも中国に向けられているはずであり、中国の暴挙を抑止する可能性 >のある日米安保条約の存在をアジア諸国は肯定しています。 >中国政府高官の「日本の軍国主義云々」は自国の矛盾を隠蔽するための大仰な修辞であり、人 >に幻影を抱かせることはあっても、正しい認識を得る手掛かりにはなりません。 近世以後、日本とアジアの関わりは、戦争・侵略という不幸な文脈をその主流としてきたました 。そのため、アジア地域においては、日本に対して抜きがたい不信感のある国が未だに存在しま す。また日本の拡大する軍事力に対して懸念を抱いている国が多いのも事実です。 中国のヘゲモニーは封じ込めなければなりませんが、中国脅威論は大袈裟すぎると思います。ま つのさまのさまのおしゃる「中国の暴挙」とは具体的にどのようなことをさしているのですか。 >またあなたは、「日本に対する猜疑心」とおっしゃいましたが、少なくとも貿易に関して言え >ば、アジア諸国の懸念はアメリカ主導の自由化が促進することであり、この地域に自分の都合 >の良い市場を構築することしか眼中にないアメリカへの猜疑心は根強いものがあります。 このようなことはいわずもがなと言ったところなのですが、だからアジアが纏まってアメリカに 対抗する経済圏を作らなければならないのでしょう。これを実現するためにも先にも書いたよう に欧州並みのCBMが必要となってくるのです。 >日本は、通産省も外務省もアメリカにはわからない或いはアメリカが意図的に無視しようとす >るアジアの事情を知っているので、決して無理は言わないし、急ごうともしません(日本の対 >。アジア貿易が黒字続きという事情もあるのですが)。 この部分はもっと詳しくお願いします。 >マハティール首相の「いつまでも戦争に対して謝り続ける姿勢は理解できない」という言葉を >ご存知でしょうか。語った相手が当時の村山総理であった所に私は深い意味があると思います >。 マハティールの言葉はよく存じております。彼の率直な気持ちでしょう。ただ一つ注意しなけれ ばならないのは比較的被害の少なかったマレーシアと苛烈な支配を受けた旧植民地国との歴史経 験の差というものは考えなければなりませんね。 >もはやアジアにおいて、まず謝罪ありきの外交は何の意味も持たないどころか弊害になるの >では? 相手が望まないのに、また、一度謝罪したことを何度も謝罪するのは倒錯した心性の >持ち主にしかできません。 >カネが欲しいのなら素直に下さい貸して下さいと言えばいいのに、と日頃思います。また、謝 >罪における功利主義とはどのようなものなのか、差し支えなければ説明して教えて下さい。 「相手が望まないのに」とはマレーシアのことでしょうか、それともアジアのコンセンサスと理解 しているのでしょうか、お聞かせ下さい。 私がなぜ謝罪が必要かと言えば、謝罪すれば少なくとも、加害者と被害者の関係に好転が期待でき と考えるからです。もし、日本の謝罪によって被害者との関係が見込めるならば日本は積極的に行 動すべきだと思います。功利主義とはこういうことです。
まつのさま、こんばんは。 >うーーー。少しわかりにくいので補足していただけませんか? アジアの総崩れとは、どのよ >うな現象を指しているのでしょうか。 現象もなにもアジアが纏まっていないことは戦後のアジア史からも十分読み取れると思うの ですが、分かり難いとおっしゃるのならアジアにおける信頼醸成という観点から欧州と比較 して論じてみましょう。少々、専門的になってしまいました。すいません。 国家の安全保障戦略策定にあたって大切な事は近隣諸国との信頼醸成装置(CBM)の推進です 。ここで言うCBMとは「偶発的事故や誤算あるいはコミュニケーションミスによる紛争生起の 可能性を減じ、かつ、奇襲や政治的恫喝を禁じ、よって危機時並びに平時における安定性を増す ことを狙いにしての、相互理解やコミュニケーション、公開性を高めるための国家間の協定措置 」を言います。広い意味では軍備管理政策の一類型に含まれますが、ただ軍備管理全般が兵力の 数や質といった軍事能力に着目するのに対し、CBMは軍事能力それ自体よりも、むしろそれが もたらす不安や恐れといったパーセプションに焦点をあて、その解消を狙いとした概念と言えま す。それではます欧州を見てみましょう。 冷戦の終焉をうけ、米露あるいは欧州正面でのCBMをめぐる動きは一層活発化してきています 。例えばロシアの場合、欧州通常戦力(CFE)条約による兵力削減を前倒しで実施し、また平 和のためのパートナーシップ(PFP)協定に調印しています。アメリカとの関係では双方とも 戦略核の照準を完全に解除しています。更には全欧州安全保障・協力会議(CSCE)が強化さ れ全欧州安全保障協力機構(OSCE)として発足しています。欧州でのこうした動きは、安全 保証の概念が冷戦期のソ連の脅威を前提とした「対決・抑止・対処」から、対話による協調と共 存を構築する時代を迎え、国際協力により紛争を未然に防止する「国際環境への安定化」へと重 点が移りつつあることを意味します。これを踏まえたうえでアジアに目を転じてみましょう。 かつてブレジネフ書記長がアジア集団安全保障の構想を打ち出していらい、様々な試みがなされ てきましたがようやくASEANと中国との間に安全保障に関する高級事務レベル協議の定期開 催で合意が成立したところです。 要するにアジアは朝鮮半島は分断されたまま、中国、台湾はシリアスな関係にあり極東ロシア軍 削減のめどもたっていないなど緊張緩和の度合いが欧州に比して遅れがちなのです。だからこそ 日本は近隣諸国との交流の積み上げによって、北東アジアのサブリージョンルベースでのCBM 体制を構築し、それと並行して東南アジアなどのCBM確立にも積極的に協力する必要があるの です。
>「第二次大戦後の戦争では死者が減りつつあるから戦争は政治の延長ではない」このような事は >私は」一切言っていませんね。 では、何をおつしやってゐるのですか。http://www.d1.dion.ne.jp/~tnozaki/
酒池肉林と聞くと、なんか劇画チックな場面を想像して良からぬ妄想を掻き立てられますな。(笑) 安田講堂占拠で、外に向かって石を投げていたとき、中で「ランコー」の酒池肉林をやってたとは、 なんたるはしたなさ。「酒池肉林」で直ぐ思い浮かぶのは釣り名人の代名詞となっている太公望です。 殷の時代(BC11世紀頃)、殷の皇帝・紂王(ちゅうおう)は、妲己(だっき)という毒々しい美 女を妃に迎えてから、彼女に妖術をかけられ、希代の暴君となり、民衆を苦しめた。 これは諸星大二郎の漫画から得た知識です。呂尚(りょしょう)という男は、川に釣りに出かけ、 釣り針を付けない竿でのんびりと釣りをやっていたが、そこで啓明を受け、諸国を四十年も放浪し、 様々な見聞と知恵を身につけた。老いて再び、昔の場所で同じように釣り針なしで、釣り糸を垂れ ていて賢者として大覚した。そこで周の文王と出逢い、殷討伐の最大のブレーンとなり殷を倒す。 呂尚は周王・太公に望まれて仕えることになったので「太公望」と呼ばれた。 酒池肉林は、その放浪時代に見聞したことで、妖婦・妲己(だっき)の淫虐が良く出ている故事で ある。酒席の設けられた庭で、池に酒を見たし、木の枝に肉片をかけ、裸の男女に追いかけっこをさ せ、捕まえたらその場で不特定多数の相手と交わらせた。それを妲己は妖艶な笑顔で見ていたという。 乱交パーティである。こんなことは、どの国の権力者もやったことかも知れないが、少なくても日 本では木に肉をかける発想はないだろう。私は、酒池肉林を思うとき、この肉は一体何の肉なんだろ うかと、ふとあらぬ連想をして慄然とする。
善悪については、答えていただけないのかな? あと、防衛戦争に関して思ったんだけど、防衛戦争も侵略戦争も国益の為の戦争というレベ ルで同じ価値観に根差していると、考えられはしませんかね? どうでもいいけど、防衛戦争とか侵略戦争という分け方はきらいなんだよね(笑)
酒池肉林ではないですが、酒池雨読の2、3日でした。 さて、まるたさん、ご指摘ありがとう御座いました。 「チョンクオ」の言語のお勉強は、まだ初心者なものでして。 (つるおかさんは差別用語だと言うでしょうけど)「チャ○コ○」は、 「チョンクオ」が訛ったものだと聞いたのですが…。
高橋さんへ > タイ(シャム)王国は誇り高き独立国 そのとおりですね。第二次大戦直後の日本を含まなければ、アジアで帝国主 義が吹き荒れた時代に独立を保ったのはタイと日本だけでした。 > 左翼や反日主義者達が口を酸っぱくして言う『大東亜戦争における軍国主義 > 的アジア侵略』が、簒奪志向を主体とした悪辣な侵略ならば、タイ王国も日 > 本軍の占領下に置くことが自然である。しかしそれは全く行われなかった。 > これについてはどう考えるのだろうか? アジアを軍事支配する目的ならば、 > 有力なアジア国家であるタイ王国を軍事占領しないのは自己矛盾である。理 > 由はこうだ。大東亜戦争の開戦理由は、欧米植民地主義に対する徹底抗戦が > 真髄だからである。 非常に説得力のある理論ですね。流石高橋さんです。 しかし、 それはタイがイギリスやフランスをはねかえせるほどの力をもっていたから です。だから対米戦をひかえていた日本があえてタイを攻めるという冒険政策 をとらなかったということだけです。アメリカ合衆国から経済封鎖された当時 の日本にとって大事なのは石油、つまり蘭印(インドネシア)を手中におさめ ることでした。また、シンガポールが日本によって狙い撃たれたのはイギリス の根拠地だったのと華僑が多く援蒋ルート(中国国民党軍の援助ルート)だと 日本軍が考えていたからでした。 それにタイ王国にとっても英米は自国を脅かす敵でした。 ですから、タイが日本の狙いから外れたからといってアジアを軍事支配する 目的がなかったという証明には残念ながらなりません。
>日本人の性意識を頽廃に導いたのは、左翼的世界観が民族規範を切り崩してしまったからである。 >性意識を頽落させた張本人達が、旧帝国軍人の性道徳を糾弾する皮肉な馬鹿さ加減も全く悲しい >現実である。それに加えて、赤い左目連中は死者にむち打つことを恥じない無神経さも持つ。 東大安田講堂立てこもりの時には、内部じゃ酒池肉林だったと「聞いてます。」 そうだった「はずです。」 連合赤軍や京浜安保闘争の粛正も、男女騒動のもつれと「聞いて」いますし、永田洋子は 山の麓で若い赤軍兵士と、酒池肉林だったと「聞いてます。」 こんなの書くと、またHP作れとか言われますかね(笑)。
日本が真珠湾を攻撃してから、ほぼ同時に日本に荷担してアメリカ、イギリス両国に 対して宣戦布告をしたアジアの国家をご存じだろうか? それはタイ王国である。大東 亜戦争開始直前まではシャム王国と呼ばれていた。タイは、アジア地域で唯一他国の全 面侵略に遭ったことのない国である。タイ族は、アユタヤ王朝以前も以後も民族的矜持 を強く持ち、シナやヨーロッパの侵略の矛先を賢くかわしてきた。しかし19世紀末に、 カンボジアの西部の一部やラオス全土を含む自国の領土を心ならずもフランスに割譲す ることになった。1941年5月に日本が調停役を買い、この領土はタイに全面的に返 還された。以来日本との関係は親密となった。1941年12月8日(ハワイ時間7日) の真珠湾攻撃開始からわずか数時間後、タイ政府は、自国内を通過してマレー国境まで 日本の軍隊を移動する許可を即座に与えた。翌年、1月25日に、タイはアメリカ、イ ギリス両国に宣戦布告をした。この宣戦布告を解除したのは、政権が交代したあとの1 945年8月(大東亜戦争終結の月)であった。 左翼や反日主義者達が口を酸っぱくして言う『大東亜戦争における軍国主義的アジア 侵略』が、簒奪志向を主体とした悪辣な侵略ならば、タイ王国も日本軍の占領下に置く ことが自然である。しかしそれは全く行われなかった。これについてはどう考えるのだ ろうか? アジアを軍事支配する目的ならば、有力なアジア国家であるタイ王国を軍事 占領しないのは自己矛盾である。理由はこうだ。大東亜戦争の開戦理由は、欧米植民地 主義に対する徹底抗戦が真髄だからである。開戦までの列強の強引なアジア侵略を目の 当たりに見てきたことと、ABCD包囲網下のハルノート提示によって、日本は自存自 衛のために日米開戦を余儀なくされたが、その潜在精神は対欧米列強なのである。日本 が軍事覇権でアジアに出たのならば、タイ国を併合しないことは覇権国家としての致命 的な矛盾である。加えて、覇権目的ならば、タイのためにフランスから領土奪回の手引 きをやる筈がない。この部分は左肩に一枚の翼を持ち左目で物を見る人にはどう映るの だろうか。 三島由紀夫は晩年の大作『豊饒の海・第三巻「暁の寺」』で輪廻転生によってシャム 王国の王子に生まれ変わった主人公を描いているが、三島の心の中に、誇り高い歴史を たどったシャムへの共感があったのかもしれない。今もそうであるが、特に経済が膨張 していた一昔前に、日本人の売春ツアーがバンコックに繰り出していたのは悲しいこと である。こんな恥知らずがいたから、左目の連中に「そら見ろ、平時の今でもこんな不 埒なことをする訳だから、戦時に組織的なレイプをしまくって当然だ」と見当違いな恥 知らずなことを言われるのである。日本人の性意識を頽廃に導いたのは、左翼的世界観 が民族規範を切り崩してしまったからである。性意識を頽落させた張本人達が、旧帝国 軍人の性道徳を糾弾する皮肉な馬鹿さ加減も全く悲しい現実である。それに加えて、赤 い左目連中は死者にむち打つことを恥じない無神経さも持つ。
削除するのならば、黙って斬るのです。 逐一理由を述べる必要は無いのです。豫めに規定をゆうていらっしゃる のですから。其れを改めて言葉に出すのは、貴方に何等かの引け目が 御ありでしょう。下らぬ枝葉の事で、場が空転するよりも前を向いて歩き ましょう。 ある意味で慮外者の闖入は、攻められる者には「万軍の味方」ですが、 貴方は斯様な胡散臭いものを歓迎しない筈です。黙って消しなさいよ。 そんな事で時間を浪費しないで下さい。確信犯ですもの。溶解人間の闖入 は、国語関連で沢山です。http://www.tcup5.com/525/men.html?
>「純粋な損得計算」という考え方はちょっと危険です。そもそも国家というものはあらゆる価値が >複雑に絡み合った複合体ですから、それらの衝突を単一価値だけで判断することはできないです。 人間のあらゆる思考は欲望に帰すると考えられます。 でですね、国家と言うものの存在 理由が主権者の集団的欲望達成であると考えられますから、純粋な損得勘定で扱うのが適当 だと考えられるからです。 >日米中の関係は今後の世界情勢の中で一番クローズアップされてくる問題だと思います。確かに中 >国の傲慢さというものは極東情勢においてネックになってきています。これは何とか封じ込めなけ >ればなりませんが、軍拡に走ることは絶対避けなければなりません。さしあたっては根強い外交努 >力によって模索していくしかありませんね。 さしあたっては、外交による説得や圧力が適当と言うのには賛同します。 しかし、極東 地域の安全保障が成り立っているのはアメリカのお陰でありますが、アメリカもいつか滅び ますので、その時には我が国が極東の安全保障を維持するのがモアベターだと考えるわけで す。 中国にポストアメリカは務まらないと思います。 軍拡も、メリットになればオッケーみたいな(笑) 東南アジアの国々がグダグダ言うか もしれないけど、経済的・軍事的に掌握してしまえば黙るでしょう。 ま、現在の経済の大東亜共栄圏+パックスアメリカーナを経済の大東亜共栄圏+軍事の大 東亜共栄圏にしようという考えです。 げんこつ殿は、どのようなビジョンをお持ちで? いや、つるさんや、HS氏には悪いけど、げんこつ殿は凄いわ。 議論をして、ためになる(笑) 以下、つるさんへ 悪とか、巨悪とか、善とか、その価値判断基準は何です? それは、私と貴方の価値観が違 う以上議論では意味を成していませんし、国家レベルでは善悪で話せません。
高橋さんへ > 左翼的或いは西洋史的史観で見ると、この時代は文明が退嬰し、閉塞した > 非生産的な暗い時代だと見なされていますが全く違います。 江戸時代の鎖国体制については私も興味をもっています。 おっしゃるとおりです。江戸時代に高度に発展した商業文化が明治時代以降 の日本の産業の発展の基礎になりました。決して非生産的で暗い時代ではあり ません。それに、藩校、寺子屋など教育熱にも見るべきものがあります。また、 「ええじゃないか」など人々のパワーにも凄いものがありました。 > この時期の我が先祖達は、聖徳太子が明文化した十七条の憲法の第一条文 > 「和を以て尊しとなす」を実現し、他者と争わず、奪わず、各々の分際に > 従った社会的な秩序を維持していたからです。この狭い国土で、海外から > 物資を取り入れず、自給自足で三千万人の国民が仲良く生きていくことを > 実現しました。この小国寡民の実現は無論、老荘思想に寄るところではな > く、我が国独自の民族規範がもたらしたものです。 「和を以て尊しとなす」、いい言葉です。 ただ、それが何で明治維新以降に侵略国家に変身してしまったのでしょうか。 私には不思議でたまりません。もちろん、日本が鎖国を強制的にとかされて放 り出された時代は欧米列強による弱肉強食の帝国主義の時代ですから、国の舵 取りは非常に難しく現代の我々が「たられば」で語りにくい面がありますが。 > この時代はまた、新たに民族の未来のために、潜在的力を修練をしていた > 時期でもあります。それが明治維新以来、我が国が西欧文明に向かって開 > 国する大きな力の源泉となっています。 ただ、この時代には教育勅語はなかったですよね。ですから、現在でも必要 はないのではないですか。それにこの時代は将軍がすべてで天皇は表にでてき てはいませんよね。 今日はここまでにします。
監理人さんへ タグを実際に使われ、私にたいして挑発の言葉を書かれるのなら、削除する しかないではないですか。 ということで、監理人さんの発言は削除させていただきます。 さて、その彼にたいするコメントです。 > 悪が常に批判されると云うことは、例えば子供が障子を破ったり壁に落書し > たりしたら其の事実を知っている者が死ぬまで其の子供を批判すると云うこ > とだ。恐ろしい。 何という論理の飛躍でしょう。(びっくりしてしまった) 常に批判されなければいけないのは、悪といっても巨悪ですよ。 子供の障子破り程度の悪戯を一生批判し続ける人の神経は病気以外のなにも のでもないですよ。違いますか。 > 「そういう方々の」とか「あなたと議論はしません」と云う様な差別が公然 > と行われているがこれは一体どう云う事なのだ。板の天辺に「差別反対!」 > と書いてあるではないか。 まあ、あの頃は(とはいっても、3ヶ月前ですが)まだ私が青かったともいえ ますが、事実は違うと知っていながら平気で嘘をつく人とは議論はしたくない ですね。好き嫌いの問題であって差別ではないと考えています。 高橋さんへ > (^0^)アハハハ、つるおかさんはやっぱり教育勅語観が180度私と違 > っていますね。 まあ、違って当然ですが。(ニコリ) さて、教育勅語ですが、援助交際(←日本語変換が一発でできました/なんと いうことだ)撲滅の特効薬にはなるでしょう。ですが、その副作用(いや、本 当はこちらが本作用)である教育過程での思想教育・統制に利用され、国家や 時の権力者にとって理想的な、つまり国家や時の権力者にとって都合のいい人 間を量産することになります。私はこれが恐いとおもっています。イエスマン や手足ばかり量産して、頭脳を育てないと国にとっては逆によくないことでは ないのですか。>高橋さん また、 > 連合国家占領軍総司令官・ダグラス・マッカーサーも、日本人の超人的な民 > 族的能力、特に敢闘精神(この言葉は、スポーツによく使われているので本 > 来の意味を失っているが)の根幹を支えているのは、教育勅語であると見抜 > き、最優先にこれを取り除きました。 おっしゃるとおりです。これはマッカーサーの慧眼でしょうね。また、敢闘 精神は大事ですが、国家や時の権力者に利用されるだけの敢闘精神は健全でし ょうか。私は不健全だとおもっています。 教育勅語についてのこまかいコメントはあとでホームページに書きます。 げんこつさんとHSさんのご意見は私にとっては興味深いものばかりです。これ からも様々なご意見をよろしくお願い申し上げます。
>どこがエモーショナルな議論なのだかさつぱりわからず、またまた困惑してをります。 >ひよつとして――私が感情的である、と決めつける左翼的な「戦術」ではないかと感じ >ました。しかし、それでは議論にならないので、あくまで論理的にいきたいと存じます。 >私はげんこつさんの「第二次大戦後の戦争では死者が減りつつあるから戦争は政治の延長で >はない」――これはおそらく、今や誰もが戦争に対して道徳的な見方をしてゐる、といふこ >とを言ひたいのだと思ふのですが――といふ意見に対して、単に死者の多寡で世の中がより >道徳的になつてゐると考へる事はをかしい、と述べたに過ぎません。なぜなら戦争は道徳問 >題とは無縁であるからです。何度も繰返しますが、戦争を行ふ国家は悲しみもしないし喜び >もしません。ならば戦争は道徳的な問題ではありません。「道徳とは無縁の戦争」をする事 >は、善いとも悪いともいへない。だから戦争で死者が減らうが、それは人が道徳的になつた >とはいへないのです。道徳の問題と政治の問題を峻別すべきだ、と言ひたいのです。そうで >すか。ではなぜ 「第二次大戦後の戦争では死者が減りつつあるから戦争は政治の延長ではない」このような事は 私は」一切言っていませんね。むしろ国際政治というものは道徳をもないがしろにするハードで ドライなものだと思っています。 とりあえず参考までになぜクラウゼヴィッツのあまりにも有名な命題「戦争とは他の手段による 政治の延長」がなぜ転倒しているのかを以下に示しておきます。 クラウゼヴィッツの命題の転倒は第一次世界大戦から言われてきた事であり、更 に言えば限定戦争から全体戦争に移行した時点で既に破綻していたのです。 つまり彼の命題は敵の軍事力を破壊し、その領土を征服し、その過程の帰結とし て自国の講和の条件に相手を引き込むという古典的戦争(限定戦争)期に成り立 ち得たのであり、そもそも彼自身がプロシャの士官としてフランス革命戦争の時 代を生きた人物であり明確な全体戦争観は持ち得ていませんでした。 第一次世界大戦がそれまでの戦争と本質的に区別されるべき性質は戦争が全体 化したということです。これは「組織化」と「合理化」による国民のエネルギ ーの総動員によってなされる戦争を意味します。それにともなって軍部の産業 化、産業の軍事化が起こります。これはかかる国家に不断の軍備開発競争を強 制します。すなわち兵器が間断なくその能力を向上していかざるを得ないと言 う事です。そしてこのように兵器の能力が向上していけば最終的には共同自殺 にまで至るであろうとの観点からこの命題が偽で有ることが論証された訳です 。例えて言うなら二人の決闘者が死にいたる決闘にまき込まれる事があっても 、それが共同自殺を意味するとしたら、決闘者は決闘を引き受けません。これ は賭けられたもの(政治目標)と賭けるもの(大量殺戮兵器)の不均衡があま りにも大きいからです。そしてこれが冷戦期に実証されました。
>げんこつ殿、今晩は。EU統合とアジアファンドを同列にするなというお叱りを三度受けたそう >ですが、私も四度目のお叱りを貴殿に与えましょう。 高橋博彦さま、はじめまして。げんこつと申します。 何と申していいのやら、この掲示板にきて以来叱られっぱなしです。まぁ、この程度の奴だと思 って勘弁してやって下さい。 >欧州共同体は、最近ユーロという統一貨幣を発行し、通貨統合を成功させ、参加国を経済的な同 >質併合に向かって着実に進んでいるが、これが志向するところは単に共同体としての欧州経済圏 >を構築するだけにとどまらず、行く末は軍事的な統合をも成し遂げて、アメリカのような合衆国 >体制の巨大な国になると思います。ヨーロッパ合衆国建国ですね。このヨーロッパ諸国の統合意 >志が歴史的な背景を持って醸成されたことと、アジアに同様な統合意志が起きないこととは歴史 >的な背景、そして民族的な背景が全く違います。貴殿が言うように無機的な利害関係だけで結束 >したものではありません。 「無機的な利害関係だけで結束」などは言っていないのですが。むしろあらゆる価値の複合体であ る国家というものが箍をはずして様々な問題を克服して共生を目指すものだと考えていますよ。ヨ ーロッパとアジアはファンダメンタルな部分が違いすぎるとも思っています。ただEUとはいかな いまでもアジアにおいて日本がイニシアチブを取って何らかの共生をなす方向に向かっていかなけ ればならないと考えています。 >げんこつ殿は欧州共同体が地政学的な要因だけで実現したとお思いか。むしろ地政学的な要因はほ >とんど関係ないと思いますよ。この地域の歴史的経緯は大変複雑で、欧州統合の経緯には一口では >言えない複合的な要因が絡み合っていると思います。ユーラシア大陸の中でヨーロッパと言われる >この地域は大変広範で歴史的に複雑な歩みをたどっています。ドイツ、フランス、イギリスなどは >比較的単純な民族で構成されていますが、紀元前には巨大な民族大移動があり、ローマ帝国が勃興 >する中でゲルマン民族なども大きく台頭しました。簡単なことを言えば、たとえば、イギリス、ス >ペイン、フランスなどを見れば、これらが白人至上主義の核を持ちながら、有色民族を侵略簒奪し >ていた歴史をたどっている国家群が主になっていることに気づくべきです。 先にも書いた通り国家というものはあらゆる価値が複雑に絡み合った複合体であると認識しています ですから「地政学的な要因だけで実現したとお思いか。」と問われても「そうとは思わない。」としか 答えようが無いですね。 後半部分で気になった点についてお聞きしたいのですが、欧州では現在でもダーウィニズムは肯定さ れているのですか。 >この覇権国家群で形成されたEUと、これらに植民地化された歴史上にあるアジア諸国を同質な >政治力学で捉えること自体に無理があります。アジアファンドがなぜできなかったのかなどと、 >欧州と比較する神経が蒙昧です。また、これはターボさんという人が言ったことですが、日本が >中華文明圏に属さないで歴史的な独自性を保ってきたことにも関わりますが、大東亜共栄圏構想 >が、EU統合と同質な訳がないではないですか。この構想の骨子には「八紘一宇」の考えがあり >、それは異なる物同士が仲良く発展していこうという考え方であり、EU統合の同質経済圏理念 >とは全く違う物です。ユーロの存在意義をげんこつ殿は全く理解していない。統一通貨の存在は >、一つの国家を樹立することを意味するが、アジア共栄圏は国の統合とは違い、アジア圏内で互 >いに反目せずに助け合おうよという試みです。 「同質な政治力学で捉える」この部分は何回も言っていますようにこんな単純なものではないとい う認識です。この部分でもアジアと欧州について批判されていますがちょっとかみ合っていないよ うですね。 「大東亜共栄圏構想が、EU統合と同質」こんなこと言いましたかね。 >9条のレトリックとはどういう意味ですか? 私に説明願えますか? これは江藤さまに対しての質問ですから今はお答えできません。江藤さまからの返答がありしだい 開陳したいと思います。 > それにサミュエル・ハンチントンは、「文明の衝突」で日本が固有の文明圏だとは言ったが、 >日本が孤立した方がいいなどとは言っていないと思いますが。招来、中国とアメリカが戦争にな >ったとき、中華文明圏に属するかアメリカ文明圏に属するかによって国運が大きく左右されるだ >ろうとは言っています。 そうですね。私の表現が間違っております。「孤立した方がいい」ではなくて「孤立する」です。
>こんばんわっす。 まいどっす。ところで、ウシャコフさまは高校生だったのですね。偉い!一番知識が吸収されやすい 時期ですね。私は現在26歳なのですが、記憶力の衰えを感じてきています。学生時代にもっと本を 読んでおけばよかった……。 >確かに、戦争を避けようとする動きが有ることは認めます。 しかし、中国は尖閣や南沙 >でなんかやってますし、侵略戦争(と、言うには尖閣や南沙は難しいか?)を吹っ掛けてもお得に >なる場合も有るかなと、言うわけです。 > まとめると、僕は、純粋な損得計算のみで戦争をやりましょう(ないし、やめましょう)、と考 >えているわけです。 > まぁ、今現在、我が国が侵略戦争を仕掛けるのは損だとは思いますがね(笑) 「純粋な損得計算」という考え方はちょっと危険です。そもそも国家というものはあらゆる価値が 複雑に絡み合った複合体ですから、それらの衝突を単一価値だけで判断することはできないです。 >現時点で、アジアにおいて我が国が経済的盟主になっていますよね。 事実上、大東亜共栄圏 >を作っているといっても過言ではないでしょう。 経済的には現時点のような連合体を発展させ >ていくのが良いと考えます。 > 問題は、軍事力でパックスアメリカーナや中国と絡んでくるので難しいですね。 ま、アジア >でアメリカの跡目を中国と争うことになりそうな気はしてますが。 パックスアメリカーナの維 >持をしつつ中国とも渡り合えるような軍事力をつけていくのが良いと思います。 経済力や経済 >活動も軍事力と言う裏付け有っての物ですから。 これは、30〜50年ぐらいのスパンの話に >なりますが。 >軍事力に関して最終的には中国と戦い勝つと言うのが目標です。 戦争で勝たなくても良 >いですけどね、中国が極東の覇権さえ握らなければ。 あの国に、アジアの経済を支える能 >力は有りませんし、となると我が国しか、居ないと言う(笑) 結果的には、我が国の利益 >になるのが最も重要ですが。 日米中の関係は今後の世界情勢の中で一番クローズアップされてくる問題だと思います。確かに中 国の傲慢さというものは極東情勢においてネックになってきています。これは何とか封じ込めなけ ればなりませんが、軍拡に走ることは絶対避けなければなりません。さしあたっては根強い外交努 力によって模索していくしかありませんね。
そうだ、善悪の概念について聞くの忘れた(笑) この辺は、どうお考えで? >HSさん
>■ウシャコフ さん、何とまあ素早いレスをありがとうございます。 >戦争に勝つためには、敵(?)の動きにこのくらい敏速に対応しないとダメなのでしょう。 まぁ、リアルタイム版大戦略での訓練の賜物ですな(大嘘)。 実際のところは、ただ僕が 暇な高校生だからでしょうが(笑) >「戦争を手段として・・・」ということは、あなたが国の指導者になった場合、 >自分の国の利益のためには戦争を起こすこともある(利益にならない戦争は起こさない)、 >ということなのですね。 そう言う事です。 僕だけじゃなく、多分、ちょっと切れる指導者はそう考えているでしょ う。 防衛戦争だって、国益を守るための戦争ですからね(笑) >こうして起こされた戦争によって人が死ぬことについてどう思いますか? 個人的に人死には嫌いであるけど、国家レベルで善悪も個人的感情も意味を成していませ んからね。 ただ、国家の目的である「主権者の集団的欲望の追求=国益の追求」しかあり ません。 まず、なぜ侵略戦争を否定するのかお答えください。
>差し支えなければ説明して教えて下さい。 ちゃんとした日本語使え。 >私
どうも、こんにちは。ご丁寧なレスありがとうございます。 ∇アジアと欧州を同列に扱っているとお叱りを受けたのはまつのさまを含めて3回 ∇目です。決して同列に扱っている訳でもないのですが問題提起としてEUと総崩 ∇れのアジアとのコントラストを示したかっただけなのです。 なるほど。意図はよくわかりました。でも、初めからそう言っていただければ、もう 少し違った流れになったと思います。 ∇私はアジアが総崩れの状態の一番の原因はやはりかつての軍国主義日本と ∇いうものの幻影がそうさせているのだと考えています。 うーーー。少しわかりにくいので補足していただけませんか? アジアの総崩れと は、どのような現象を指しているのでしょうか。また、軍国主義日本の幻影と言わ れましたが、もしそのようなことを懸念する人があれば、それはまさにその人の見 た幻影でしょう。東南アジア諸国の軍事に対する警戒心は、南沙諸島の問題が ある限り我が国よりも中国に向けられているはずであり、中国の暴挙を抑止する 可能性のある日米安保条約の存在をアジア諸国は肯定しています。中国政府 高官の「日本の軍国主義云々」は自国の矛盾を隠蔽するための大仰な修辞で あり、人に幻影を抱かせることはあっても、正しい認識を得る手掛かりにはなり ません。 またあなたは、「日本に対する猜疑心」とおっしゃいましたが、少なくとも貿易に 関して言えば、アジア諸国の懸念はアメリカ主導の自由化が促進することであ り、この地域に自分の都合の良い市場を構築することしか眼中にないアメリカへ の猜疑心は根強いものがあります。日本は、通産省も外務省もアメリカにはわ からない或いはアメリカが意図的に無視しようとするアジアの事情を知っている ので、決して無理は言わないし、急ごうともしません(日本の対アジア貿易が 黒字続きという事情もあるのですが)。 ∇そういう意味では謝罪外交というものは功利主義的に見れば意味のあるものと ∇位置づけています。 マハティール首相の「いつまでも戦争に対して謝り続ける姿勢は理解できない」と いう言葉をご存知でしょうか。語った相手が当時の村山総理であった所に私は深 い意味があると思います。もはやアジアにおいて、まず謝罪ありきの外交は何の 意味も持たないどころか弊害になるのでは? 相手が望まないのに、また、一度 謝罪したことを何度も謝罪するのは倒錯した心性の持ち主にしかできません。カ ネが欲しいのなら素直に下さい貸して下さいと言えばいいのに、と日頃思います。 また、謝罪における功利主義とはどのようなものなのか、差し支えなければ説明 して教えて下さい。 では。
べつに南京やら何やらの話ではない。 お前さん方が有り難がる西洋人が何をやったかよ〜く載っている。 ついでに右の人間が何を警戒しているかも。http://www.zorro-me.com/kto/index.html
■ウシャコフ さん、何とまあ素早いレスをありがとうございます。 戦争に勝つためには、敵(?)の動きにこのくらい敏速に対応しないとダメなのでしょう。 > では、なぜ侵略戦争に反対なのでしょうか? > 戦争を手段としてしか僕は捕らえてませんので、その辺の理解に苦しみます。 あなたが、なぜ侵略戦争に反対じゃないのか、こちらこそ理解に苦しみます。 「戦争を手段として・・・」ということは、あなたが国の指導者になった場合、 自分の国の利益のためには戦争を起こすこともある(利益にならない戦争は起こさない)、 ということなのですね。 こうして起こされた戦争によって人が死ぬことについてどう思いますか? ■高橋さん、丁重なお応えありがとうございます。 中学・高校と歴史は非常に苦手だったため、江戸時代にまでさかのぼって 現代日本の若者たちの荒廃の理由を説明されると、手も足も出ません。 おっしゃるとおり、敗戦後、脇目もふらず国の経済復興に邁進した日本人の パワーは恐るべき物があります。 ですが、その「脇」の中に、「経済復興に邁進」している間に 見落とされてきた人間としての何か重要なものが いくつかあったのではないかと思うのです。 この続きは、ウシャコフ さんの返答を待ってから書かせていただきたいと思います。
>クラウゼヴィッツの戦争論からいきなりエモーショナルな議論を持ち出されても返答に困ります。 どこがエモーショナルな議論なのだかさつぱりわからず、またまた困惑してをります。 ひよつとして――私が感情的である、と決めつける左翼的な「戦術」ではないかと感じました。 しかし、それでは議論にならないので、あくまで論理的にいきたいと存じます。 私はげんこつさんの「第二次大戦後の戦争では死者が減りつつあるから戦争は政治の延長ではない」 ――これはおそらく、今や誰もが戦争に対して道徳的な見方をしてゐる、といふことを言ひたいのだ と思ふのですが――といふ意見に対して、単に死者の多寡で世の中がより道徳的になつてゐる と考へる事はをかしい、と述べたに過ぎません。 なぜなら戦争は道徳問題とは無縁であるからです。 何度も繰返しますが、戦争を行ふ国家は悲しみもしないし喜びもしません。 ならば戦争は道徳的な問題ではありません。 「道徳とは無縁の戦争」をする事は、善いとも悪いともいへない。 だから戦争で死者が減らうが、それは人が道徳的になつたとはいへないのです。 道徳の問題と政治の問題を峻別すべきだ、と言ひたいのです。http://www.d1.dion.ne.jp/~tnozaki/
げんこつ殿、今晩は。EU統合とアジアファンドを同列にするなというお叱りを三 度受けたそうですが、私も四度目のお叱りを貴殿に与えましょう。 欧州共同体は、最近ユーロという統一貨幣を発行し、通貨統合を成功させ、参加国 を経済的な同質併合に向かって着実に進んでいるが、これが志向するところは単に共 同体としての欧州経済圏を構築するだけにとどまらず、行く末は軍事的な統合をも成 し遂げて、アメリカのような合衆国体制の巨大な国になると思います。ヨーロッパ合 衆国建国ですね。このヨーロッパ諸国の統合意志が歴史的な背景を持って醸成された ことと、アジアに同様な統合意志が起きないこととは歴史的な背景、そして民族的な 背景が全く違います。貴殿が言うように無機的な利害関係だけで結束したものではあ りません。 ▼ 国益の定義が前近代的で地政学的な見地を全く思考の外に置いている。 げんこつ殿は欧州共同体が地政学的な要因だけで実現したとお思いか。むしろ地政 学的な要因はほとんど関係ないと思いますよ。この地域の歴史的経緯は大変複雑で、 欧州統合の経緯には一口では言えない複合的な要因が絡み合っていると思います。ユ ーラシア大陸の中でヨーロッパと言われるこの地域は大変広範で歴史的に複雑な歩み をたどっています。ドイツ、フランス、イギリスなどは比較的単純な民族で構成され ていますが、紀元前には巨大な民族大移動があり、ローマ帝国が勃興する中でゲルマ ン民族なども大きく台頭しました。簡単なことを言えば、たとえば、イギリス、スペ イン、フランスなどを見れば、これらが白人至上主義の核を持ちながら、有色民族を 侵略簒奪していた歴史をたどっている国家群が主になっていることに気づくべきです。 この覇権国家群で形成されたEUと、これらに植民地化された歴史上にあるアジア 諸国を同質な政治力学で捉えること自体に無理があります。アジアファンドがなぜで きなかったのかなどと、欧州と比較する神経が蒙昧です。また、これはターボさんと いう人が言ったことですが、日本が中華文明圏に属さないで歴史的な独自性を保って きたことにも関わりますが、大東亜共栄圏構想が、EU統合と同質な訳がないではな いですか。この構想の骨子には「八紘一宇」の考えがあり、それは異なる物同士が仲 良く発展していこうという考え方であり、EU統合の同質経済圏理念とは全く違う物 です。ユーロの存在意義をげんこつ殿は全く理解していない。統一通貨の存在は、一 つの国家を樹立することを意味するが、アジア共栄圏は国の統合とは違い、アジア圏 内で互いに反目せずに助け合おうよという試みです。 ▼ 9条のレトリックは解釈のしようによってはどうにでもなりますね。よければ江 藤様の解釈を聞かせて下さい。 ▼ 9条のレトリックとはどういう意味ですか? 私に説明願えますか? それにサミュ エル・ハンチントンは、「文明の衝突」で日本が固有の文明圏だとは言ったが、日本が 孤立した方がいいなどとは言っていないと思いますが。招来、中国とアメリカが戦争に なったとき、中華文明圏に属するかアメリカ文明圏に属するかによって国運が大きく左 右されるだろうとは言っています。 ちなみに、私自身は右寄りではありません。寄ってはいません、初めから右に座っ ております。
軍事力に関して最終的には中国と戦い勝つと言うのが目標です。 戦争で勝たなくても良 いですけどね、中国が極東の覇権さえ握らなければ。 あの国に、アジアの経済を支える能 力は有りませんし、となると我が国しか、居ないと言う(笑) 結果的には、我が国の利益 になるのが最も重要ですが。 ああ、難しい(爆笑)
こんばんわっす。 >さて、アドミラルさまの意見のなかで「戦争をやらないのも政治」という部分はまさにその通り >なんですね。これは東西冷戦期が「政治は戦争の延長に他ならない」というクラウゼヴィッツの >逆命題の中で展開されてきた事からも解るように世界的な流れは戦争を避ける方向に向かってい >るのです。 確かに、戦争を避けようとする動きが有ることは認めます。 しかし、中国は尖閣や南沙 でなんかやってますし、侵略戦争(と、言うには尖閣や南沙は難しいか?)を吹っ掛けても お得になる場合も有るかなと、言うわけです。 まとめると、僕は、純粋な損得計算のみで戦争をやりましょう(ないし、やめましょう)、 と考えているわけです。 まぁ、今現在、我が国が侵略戦争を仕掛けるのは損だとは思いますがね(笑) >これは私の意見に同意して下さったのか或いは何か含むところがあるのかよく解らないですが >、そうするとアドミラルさまはEUとはいかないまでもアジアとの共生は目指すべきだと考え >ておられるのですか、或いは保守主義を押し進めてハンチントンのいうように孤立したほうが >いいとお考えですか、お聞かせ下さい。 現時点で、アジアにおいて我が国が経済的盟主になっていますよね。 事実上、大東亜共栄圏 を作っているといっても過言ではないでしょう。 経済的には現時点のような連合体を発展させ ていくのが良いと考えます。 問題は、軍事力でパックスアメリカーナや中国と絡んでくるので難しいですね。 ま、アジア でアメリカの跡目を中国と争うことになりそうな気はしてますが。 パックスアメリカーナの維 持をしつつ中国とも渡り合えるような軍事力をつけていくのが良いと思います。 経済力や経済 活動も軍事力と言う裏付け有っての物ですから。 これは、30〜50年ぐらいのスパンの話に なりますが。 あと、ウシャコフって呼んでくれると嬉しいです(笑)
>この論旨では、つるおかさんの HPにある論旨に文句をつけたものは、 >みな、HPあげてそれぞれの論旨を書き込まなければいけなくなりますね。 その通り! 「ミス」を指摘された者が、そのミスの指摘を「プロバガンダ」にせよと言う。 極めて妙。
今日、NHKの総合テレビに若者の偶像的ヒーローである宮台真司助教授が不登校 児童のことで意見を求められていた。この男はまさに戦後教育が生み出した鬼っ子で ある。これほど見事に反日的空気に染まりきっている人間も珍しい。 論調が全て日本否定、歴史否定から構築されており、その考え方はジャン・ジャック・ ルソーの基本理念をはるかに越える人定道徳論である。この男の思考の柱には、国家や 民族、大儀などというものは全く存在しない。こいつは女子中高生の「自主性」という 前提を楯に援助交際を是認、擁護した。問題は、この宮台を知的文化人の代表として仰 ぐ若者層が広いことにある。 今日の宮台は、不登校児童発生の要因について、学校が前近代的な軍隊の組織論をそ のまま踏襲して、工業生産社会に順応させる人間を作り出す機関として機能しているか ら、自由意志を持つ子供は、その自由を阻害されて病的な状態に陥ると言っていた。つ まり、この男は、国家の管理の及ぶ部分は全て教育的な悪だとして否定しているのであ る。子供は幼稚園児の段階で自由意志を持っているのだから、その自由な要求に応じて 教育は展開されなければならないと言っている。個性を無視した教育が望むべく効果を 期待できないという左翼的論法である。こういう考えの基本に横たわっているプリンシ パルな世界観は、マルクス主義とフロイト精神分析学、そして、ドイツの価値相対主義 者であるハンス・ケルゼンの人定道徳に毒されているのである。勿論この源流はルソー にある。 援助交際が許容される社会の寛容さが、個人の権利を充分に保護する理想的な社会だ などと良くも平然と言うものである。このような意識が浸透する世界は、徳目や高度な 倫理規範を持とうとする意志を踏みつぶす。つまり、平等に社会の雰囲気を均質化する 事によって、戦前に見られた有徳の人間や献身の美徳をことごとく失わせてしまったの である。幼稚園児や低学年の児童に、自主性や自由主義や無条件の人権を認めてはなら ない。この年代は、大人が強制的に国が推奨する教育を施さなければならないのである。 原則的にはそうであるが、実際は、教師自身もまともな人格教育を踏襲していない未 熟児ばかりであるから、現今の教育を認めるわけには行かない。日の丸を掲揚すること や君が代を唱和することが悪だと考えている反日教師がどれほど、不道徳な人間を輩出 させてきたか、その罪は万死に値する。 国家を破壊するには、国の教育機関を共産主義的空気で席巻し、人々の道徳観念にフ ロイト精神分析学を刷り込み、エロス以外の人間関係が存在できないようにして、道徳 を含むあらゆる価値観を相対主義に陥れることである。そして、共同体という組織の基 本単位である家庭の連帯感を切り崩すこと、福島瑞穂や田嶋陽子などに象徴される女性 原理の徹底破壊と家族意識の崩壊を助長することなどによって国民の祖国意識を瓦解さ せることである。由々しきことにこれは成功しつつあるのである。 国民の価値観が、相対主義に堕落したとき、国家という共同体は溶解する。
>ひよつとすると私も「好戦的な人達」に分類されるのかもしれないで書くのですが……。げんこ >つさんにお聞きしたいのですが――この文章の意味がよくわからないのです――限定的な戦争し >かしない事がなぜ「戦争は政治の延長に他ならない」という命題(?)が転倒してゐる証拠になるの >でせうか。つまり――「限定的な戦争」と「全面戦争」のどこに違ひがあるのですか?どちらも >国家同士の決闘であり、国民が死ぬ事に違ひはないです。もし人の死ぬ数に違ひがあるなどとお >つしやるのでしたら申し上げるのですが死んだ人が、例へもし一人であつても、その人にとつて >死は絶対であり世界の終りにほかなりません。 クラウゼヴィッツの戦争論からいきなりエモーショナルな議論を持ち出されても返答に困ります。 戦争の分類に関してですがこれは一度御自分でお調べになって下さい。
>単純なことです。 大規模な戦争をやることが政治的に損だからです。 つまり、戦争をやら >ないのも政治であるわけですわ。 > だから、好戦的とかじゃなくて、戦争をただの手段としか捕らえてないわけで、好きでも嫌 >いでもないの。 これは中島さまにも指摘された事なのですが「好戦的」と書いた事については行き過ぎた表現で あると自省しております。ご容赦ください。 さて、アドミラルさまの意見のなかで「戦争をやらないのも政治」という部分はまさにその通り なんですね。これは東西冷戦期が「政治は戦争の延長に他ならない」というクラウゼヴィッツの 逆命題の中で展開されてきた事からも解るように世界的な流れは戦争を避ける方向に向かってい るのです。 >なぜ、ああいう連合体をEUが取ったかと言えば、究極的には自国の利益に帰するのです。 > 損になるのだったら、誰もEUに参加しないでしょう。 得になるから参加しただけ。 これは私の意見に同意して下さったのか或いは何か含むところがあるのかよく解らないですが 、そうするとアドミラルさまはEUとはいかないまでもアジアとの共生は目指すべきだと考え ておられるのですか、或いは保守主義を押し進めてハンチントンのいうように孤立したほうが いいとお考えですか、お聞かせ下さい。
こんばんは、つるおかさん つるおかさんの岩井さんに対するコメントで ちょっと引っ掛かる個所がありますので少し 述べさせてください。 >それでは、岩井さんの論旨をあなたのホームページで掲げていただけません >か。私は表裏をすべて見せているのに、あなたは小出しにしている。フェアで >はないですよね。 この論旨では、つるおかさんの HPにある論旨に文句をつけたものは、 みな、HPあげてそれぞれの論旨を書き込まなければいけなくなりますね。 それでは、見る、つるおかさんも大変じゃないですか。 ここでつるおかさんの論旨にたいする見解を述べればまた そこから議論が膨らんで良いのでは考えますが。
まつのさま、はじめまして。げんこつと申します。よろしくお願いします。 >まず、あなたのおっしゃる「出発点」そのものが、アジアと欧州では全く異なり >ます。ご存知の通り、アジア諸国の多くは先の大戦後に独立を達成し国家主権を >得るに至りました。現在なお、主権に基いた国民国家形成を模索するそれらの国 >々が、直ちに「地域協力」の名目の下で経済的な相互依存を図ろうとしても、合 >意によって主権の一部を失うおそれがある限り足並みが揃うはずないではありま >せんか。たとえばAPECが、各国間の具体的な権利義務を明文化せずに、宣言 >などの精神規定に重点をおかざるを得ないのは、大国への従属化を懸念する途上 >国に配慮した結果以外のなにものでもないでしょう。中島さまのおっしゃる地理 >的な要件も非常に重要だと思いますが、長く植民地政策の支配に従属してきたア >ジア諸国の歴史的経験を踏まえなければ本質的な事柄は理解できないと思います。 アジアと欧州を同列に扱っているとお叱りを受けたのはまつのさまを含めて3回 目です。決して同列に扱っている訳でもないのですが問題提起としてEUと総崩 れのアジアとのコントラストを示したかっただけなのです。 私はアジアが総崩れの状態の一番の原因はやはりかつての軍国主義日本というも のの幻影がそうさせているのだと考えています。これはまつのさまの「大国への 従属を懸念する途上国」という意見に深く関わってくる問題ですね。日本はアジ アのなかで後期資本主義に入った唯一の国です。その国がアジア危機に直面して もただ傍観するのみだったことはかなりアジアにとって憂慮しなければならない 事態です。榊原構想もアジアにとっては必要だったものがなかなかアジア側から の声が大きくならなかっために実現できなかった。このアジア各国の日本に対す る猜疑というものはかなり根深いものがあります。これらはなんとか払拭しなけ ればならない。そういう意味では謝罪外交というものは功利主義的に見れば意味 のあるものと位置づけています。
江藤學神さまはじめまして、げんこつと申します。お手柔らかにお願いします。 >貴殿が戦争について何を学んだのか知らないが、戦争は政治の手段であるといふ発想があるから >こそシヴィリアン・コントロールがあるのではないか。戦争が政治でないと考へる貴殿のはうが実際は >容易に戦争に突入しやすい国家体制をつくるであらう。 >貴殿に逆質問 「戦争はなくせるはずだと妄想して現在の戦争を無視しつづける薄情者たちにつ >いて」 *戦争はなくせるぢやないかといふ主張が空論であるといふことは文字が読めるやうになつて >すぐわかるだらうに。 逆にお聞きしますが世界的な流れとしてなぜ勢力均衡論から集団安全保証論にシフトしていったのか お聞かせ下さい。これを理解していないようでは江藤さまとの議論はできかねますので。 >地政学的な見地を全く思考の外に置く国が、沖縄にあんなに基地をおいたりしないだらう。欧州と >亜細亜を一緒にして貰つてはこまる。状況が違ふのだし、なによりも貴殿の質問は、EU統合が結 >果として成功であることが前提ではないだらうか。ユーロの評価も定まらないうちから亜細亜に対 >して欧州の猿まねをせよとは貴殿も面白い御仁に違ひない。 グロバリゼーションの大波に飲み込まれない方法をご存知なのですか。一度お聞かせ下さい。 >貴殿に再質問「日本が亜細亜統合に向けて努力した時期があつたが、それを武力で打ち砕いたのは >欧米人ではなかつたか。貴殿はやはり大東亜共栄圏の思想は正しかつたと思つてゐるのだな」 大東亜共栄圏構想は左翼思想から出てきたということはご存知ですね。本来は各地域との水平的な関 係を目指すものだったがそれを当時の国粋主義者や軍部官僚が曲解して帝国の膨張に利用したという ことでしょう。大東亜共栄圏の思想が正しかったとするなば江藤さまは左翼ですね。 >*安全保障の枠組みが論ぜられない理由がしりたければ、六法全書を開いて憲法の9条をよく読ん >でみるといい。その行間には「日本国はこれを国家として認めない。 前項の目的を達成するため >あらゆる自主的な外交権を放棄する」と書いてあるのだから。 9条のレトリックは解釈のしようによってはどうにでもなりますね。よければ江藤様の解釈を聞か せて下さい。
下の私の投稿「生まれてから歴史が始まるのではない、生まれる前からそれはある」の中で、 随所に『壮士』と言っているのは間違いで、『荘子』が正しい語句です。 荘子とは、ご存じのように、紀元前に四世紀頃活躍したと思われる思想家であり、老子と並 んで諸子百家の有名な一人です。この二人の思想体系を特に老荘思想と言い、道教とも言いま す。荘子の小国寡民理念は、それから最も遠い国造りしかなし得ないでいる中国人の果たせぬ 夢でもありました。それを我が国の先祖はやり遂げた訳です。
つるおかさん、こんにちは。 >『教育勅語』により正しい政治感覚、歴史認識が歪められたからこそ、あの >意味もない大東亜戦争があったわけです。これだけは間違ってはいけません。 (^0^)アハハハ、つるおかさんはやっぱり教育勅語観が180度私と違っていますね。 連合国家占領軍総司令官・ダグラス・マッカーサーも、日本人の超人的な民族的能力、特に 敢闘精神(この言葉は、スポーツによく使われているので本来の意味を失っているが)の根 幹を支えているのは、教育勅語であると見抜き、最優先にこれを取り除きました。何という 戦勝国の横暴なんでしょうね。彼はフィリピン・バターン半島戦線で「マレーのトラ」の異 名で怖れられていた猛将・山下奉文(やすふみ)によって初の屈辱敗退を余儀なくされまし た。 彼がそのとき言った「I shall return」の言葉通り、やがて日本軍からマニラを取り戻し、 名将山下奉文を12月7日を狙って軍法会議にかけ、死刑にしました。その日は真珠湾攻撃 の日でした。私怨で山下を罰した側面が大きくあったと言われています。これがのちの極東 国際軍事裁判の萌芽とも思えるんですが。マッカーサーは人格的に立派な大将だとは思いま せんが、戦略的能力には非常に長けた人間でした。日本人の要(かなめ)が何であるのかを よく知っていましたから。 帝国軍人はアメリカ人の心胆を震え上がらせるほどの強い力を発揮しました。私はこれを 民族の力の最大の誇りだと思っているが、つるおかさんは最大の野蛮暴虐性だと思っていま す。祖国愛を情念として闘かう意志は、平時でも国家の経済を支え、国益に反しない外交政 策をとる立派な力となります。大東亜戦争で闘った偉大な先祖をを野蛮な侵略行為として否 定するつるおかさんたちが理念とする人権優先の平和平等社会は、去勢された国家を招来し ます。それが現在の日本です。民族的な矜持もなく、尊皇意識もない荒れ廃れた今の日本が 幸福な時代であるわけがないじゃないですか。 戦争がない社会が最も幸福な社会だと、思いこんでいる皮相的な単純さは、逆にこの国の 内部崩壊を促進する方向に向かわさせていることに気づかねばなりません。
>こんばんわ。月刊「健章旗」管理者の中島でございます。ただ今、大学の期末試験シーズンに >ありまして、あまり詳細・長大なな投稿は出来ないのですが、とりあえずげんこつ様のご質問 >に、簡単にお答えします。 試験中にもかかわらず、私の拙稿に対して貴重な時間を割いて頂き有り難うございます。学生の 本文は勉学にあります。あまり無理なさらずにそちらの方を優先させて下さい。お互い肩の力を 抜いていきましょう。 >私は、クラウゼヴィッツを持ち出すことが好戦的であるとの前提自体、納得致しておりません >が、第2次世界大戦後先進国が戦争をしてこなかったのは、民主主義や兵器の発達等で、戦争 >のコストが高くつきすぎるようになったことと、下手に戦争を起こせば東西冷戦の軍事的な均衡 >を損ねる可能性があったからであって、決して「戦争は政治の延長」という観念が捨て去られた >からではないのではないでしょうか。 好戦的なる表現はいささか行き過ぎていますね。取り消してお詫びします。 中島さまの戦争観と私のそれとは上記の文を読んだ限りではそれほど差は無いですね。ここで今 一度私が考える今の戦争観を述べたいと思います。戦争というものは掲げられた政治目標を達成 するための手段であるということは否定しません、むしろそれが政治の本質だと考えています。 つまり政治=権力闘争はポルノポリティクス(裸の政治)が本来の姿なのです。そしてそれが2 0世紀初頭にはかなり肯定されていた事も事実です。しかしながら、中島様もおっしゃるように 兵器の発達は戦争の概念を変えました。つまり兵器の発達により政治目標と手段(大量殺戮兵器 )との不均衡があまりにも大きくなりすぎたのです。このような状況下で国家間の全体戦争が勃 発すればそれは共同自殺を意味します。先進各国はこのことを第2世界大戦で学んだからこそ抑 止の理論の中でせめぎあっているのです。 >もっとも、「戦争は政治の延長」という観念は、むしろ自己目的化しがちな「戦争」を、「政治」 >という概念に引き戻し、目的を明確化させる意味あいのほうが強いように思われます。いずれに >せよ、戦後日本におきましては、戦争は、自衛であろうとなかろうと無批判的に否定されており >ましたので(=念仏的平和主義)、「戦争は政治の延長」という言葉を引用することは、こうした >既存の思考停止的戦争観にインパクトを与える、という意味で意義を有するのでありまして、直 >ちには好戦的であるということにはならないかと存じます。 これは意義があると思います。もっと戦争学、平和学というものを啓蒙しなければなりませんね。 >それと、アジアにおける地域統合についてですが、これは何も我が国の国益概念が古いから >進まないのではなくて、アジアとヨーロッパの歴史的・地理的なあり方の相違がそうさせないだ >けの話ではないでしょうか?(欧州諸国は近接しておりますし、多くは先進国です)むしろ、 >そうした地政学的な見地を十分考慮しているからこそ、外見上「国益の定義が前近代的」に >ならざるを得ないのではないでしょうか。(もっとも、個人的には、莫大な経済力と軍事力を >有するNAFTA・EUに対抗してゆくためには、アジアにおける地域連合は是非とも必要であ >ると考えておりますが。) それでは失礼致します。 この辺はかなり議論する余地があると思います。私はアジアとヨーロッパを同列に論じることは 危険だという認識です。やはりファンダメンタルな部分が違いすぎますよね。私がなぜこのよう な問題提起をしたかというと、グローバリゼーションと最近の新保守主義というものが相反して いるのではないかという疑問からなのです。中島さんは新保守主義と新自由主義は共存できると お考えですか。
HSさん、こんにちは。 >僕は、日本人がこんなに堕落してしまった最大の原因は、 >むしろ、高橋さんが絶賛されている、戦後(特にここ20年ばかりの) >驚異的な経済発展にあるのではないかと考えます。 非常に若々しくて明快な論旨を読ませて貰ってありがとうございました。日本が戦後にたどった 経済復興と経済大国への道は誠に賞賛すべき出来事ですが、私が真に絶賛するのは、これを成し遂 げた日本人のもつ潜在的キャパシティに対してであります。お分かりのように大都市及び地方都市 への徹底的な爆撃で日本が明治以来築き上げた都市群は灰燼に帰したわけです。これは特に国家の 経済システムそのものも完膚無き状況まで破壊し尽くされたことを意味します。 そこで日本人は敗戦のショックを噛み殺しながらも、脇目もふらず国の経済復興に邁進しました。 その結果が、他の諸国に見られない驚異的な経済大国なりました。終戦直後の日本の資本がどれほ どあったかごぞんじでしょうか。ほぼゼロに等しい状態でありました。従って終戦を起点として見 れば、日本は、ゼロから巨大な経済大国にわずか二十数年そこそこでなったわけです。この民族的 偉業はどうして成し遂げれれたのでしょうか。条件的にはアメリカの庇護下で、戦争や紛争に全く 巻き込まれずに大量生産の工業システムを確立させ、商業国家として大成したと言えますが、これ は皮相的な見方です。私が言いたいのは、条件ではなく、この民族的パワーがどこから出たのかと いうことです。それは一つは江戸時代の鎖国時代にあります。左翼的或いは西洋史的史観で見ると、 この時代は文明が退嬰し、閉塞した非生産的な暗い時代だと見なされていますが全く違います。 鎖国によって我が民族は、壮士が理想とした国家理念、すなわち覇権志向を持たず、与えられた 土地で、欲望を優先させることなく充足して生きる術を持つことを学び、実践しました。その成果 が江戸の二百数十年でした。この国家体勢を小国寡民と言います。この理想を提示した壮士の国、 中国はおろか、世界のどの国も一度としてこの理想を実現し得た国はないのです。江戸時代の人間 が非進歩的且つ非文化人であって、不毛の生涯を過ごしたと思っていますか? この時期の我が先祖達は、聖徳太子が明文化した十七条の憲法の第一条文「和を以て尊しとなす」 を実現し、他者と争わず、奪わず、各々の分際に従った社会的な秩序を維持していたからです。この 狭い国土で、海外から物資を取り入れず、自給自足で三千万人の国民が仲良く生きていくことを実現 しました。この小国寡民の実現は無論、老荘思想に寄るところではなく、我が国独自の民族規範がも たらしたものです。この時代はまた、新たに民族の未来のために、潜在的力を修練をしていた時期で もあります。それが明治維新以来、我が国が西欧文明に向かって開国する大きな力の源泉となってい ます。大東亜戦争で壊滅したあとの日本の驚異的な復興も、この江戸時代のたゆまぬ商業的修練によ って培われた民族の潜在力によるものです。それと同時に、廃棄された教育勅語の残存効果が日本人 のダイナミズムの大きな力になっていたこともあります。 従って戦後の驚異的な経済発展が道徳を廃れさせたというお考えは短絡的であり、浅い見方です。 平成大不況の要因には極めて根深い物が横たわっています。これは政治家がよく言うところの財政の 構造改革とか公共事業の見直しなどというレベルとは全く別の所にあるからです。この不況の根幹に は、教育勅語の残存効果が全く消失してしまったことに原因があります。この精神が民族に行き渡ら なくなったことによって、民族に内在している潜在力が発動しなくなったことが最大の要因でありま す。 道徳が国家の力、人間の力であるという意味は重要なことです。そして我々が、過去と未来の歴史 の過程の中に置かれた存在であることを、認識したら、過去に学ばない奴らがいかに愚かな間違いを 犯しているかを気づくべきです。
つるおかさん > 南京虐殺については知識人レベルでは「南京虐殺はなかった」というのは完 >全に敗北しているというのが私の認識ですが、 あなたの認識は間違っています。以下の頁を参照していただきたい。 http://www.geocities.com/TheTropics/Paradise/8783/ 此処に明確に書いてあります 敗北していると感じているのは実質的に言論弾圧を受けているので表に余り 出てこないからだろう。 > すべての諸悪の根源は明治維新を確立した政府のアイデアが間違っていたこ >とに尽きます。(無論全部ではないですが) 後学のために具体的に何処が間違っているのか指摘していただきたい。 「諸悪の根源」と書くからには立派な根拠があるのだろう。 明治維新を確立した政府が悪いと云うことは薩摩長州他が悪いと云うことだろう 此の時代の人物の偉人伝が出ているが徹底的に悪く書いている本は見たこと無いぞ。 それらの本の殆どは英雄扱である。 つるおかさんが目指す世を作りたいのならそれらの本の出版社に発行の差止めを 求めなさい。急がないと手遅れになりますよ。 > おっしゃるとおりですね。ベトナム戦争をみれば何故侵略戦争がいけないの >かよくわかりますね。 どーせアメリカが負けただけではないか。勝った戦争では何一つ文句を 言われていないだろう。http://www.geocities.com/TheTropics/Paradise/8783/