論理的といひながら、飽くまで「事実」の列挙しかしないげんこつさんへ。
しかし「事実」を並べ立てることが論理的ではない――といふ事を理解してをられるのか。
開き直つて言ふのだが、私は「国連、国連憲章、国際法、安保理、論理的」などと
いふ事に興味はない――調べる気もない。
なぜならそんな事実を調べたからといつて私が立派になる訳でもないからだ。
むしろ事実を調べることで事実に盲従するやうになることを恐れる。
げんこつさんの指摘には正しい点がひとつだけある。
>君の駄文は反論でもなんでも無い。ただの感想文である。
その通りである。私はげんこつさんの文章に対して反論しない――するつもりがない。
>国連の侵略定義に物申したいのならそれに批判的な文献から引用して反論するなり
>方法はたくさんあろうが。
そんな事はどうでも良い。
事実をもつて言ひ争ふのは馬鹿らしいと思つてゐる――水掛論になるだけだからだ。
私はげんこつさん自身の考へを聞きたいのだ。
げんこつさんは自分の主張をせずに、事実を列挙するだけである。
私はそこにげんこつさんの卑怯な部分をみる――それは「逃げ」ではないのか。
自分の意見をはつきり表明しないで事実の陰に隠れるのは卑怯者のやり方だ。
一体げんこつさん自身は、侵略戦争は悪いと思つてゐるのか、さうではないのか。
げんこつさんは結論を言はないが、私は明かにげんこつさんが侵略戦争反対の立場で
あると考へる。なぜならげんこつさんは私のことを右翼と決めつけてゐるから。
げんこつさんは敵味方思考で、戦争は悪くないと考へる私や雑草さんに、
「事実」を以て「反論」したではないか。
単なる事実も、それを提示する場面によつて意味を持つことをげんこつさんは理解すべきである。
私はそのことを繰返し言つたのだが――「論理的」なげんこつさんも、
心理的な分析は苦手な様で私の言葉が通じない。残念だ。