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日本に自由を根づかせるために

※Yahoo! Japan掲示板に投稿した記事です。

「天皇は単なる「文化の象徴」であるべきだという規範を論じた」とは何とも抽象的な話であります。やはり自由至上主義者の言ふ事は空理空論である證據です。 天皇制と奴隷制をいつしよくたにする論理の粗雜さ。それが「それで自由民主主義をとりあえず「常識」「前提」とし、これを認める人間は必然天皇制に批判的にならざるをえない、と論じたわけです。つまり、天皇制を肯定することは差別主義者であると宣言することになります。」等といふ自由に對する無批判な信仰に繋がるのです。

自由主義も民主主義も西歐のものである――個人の自由といふ概念は西歐では、神に對する個人の存在といふキリスト教的な根據なくして成立しません。また、トインビーもいふ樣に、共産主義は聖書から引裂かれ誤讀された一頁であり、民主主義も聖書から引裂かれ世俗化され意義を半減した一頁であるならば、その理解はともかく血肉化はカトリックの信仰なくして不可能です。

日本人が自由主義民主主義を受入れるのは、西歐の文明に日本の文明が負けたからです。駕籠が蒸氣機関車に負けたからです。そして和魂洋才といふものは不可能であり、洋才を受入れるならば魂も西歐化せざるをえないのは事實です。しかし日本人は和魂を捨てる事は出來たが洋魂を得る事は出來なかつた。今や日本人には魂が無く、それは誇れるものではないのだが、殆どの日本人はそれで構はないと思つてゐます。事實は「總て功利の念を以て物を見候はば、世の中に尊き物は無くなるべし」――自由もへつたくれもなくなるのだが、單に功利的な立場から自由が大事だと言つて平然としてゐるものだから「それでも良いというヒトラーのごとき人間ならどうしようもありません。 」といふ言ひ方が獨斷に過ぎる事も悟りえない。大体そんな事を言ふヒューマニストが天皇を「象徴」なる鵺の樣な譯のわからない存在に貶しめるのがどんなに冷たい事かがわからない。

日本人は日本的精神に自由とか民主主義とかいふ西歐の概念を接木しなければならないのであり、それは困難な事なのです。それを餘りに簡單に「自由主義の立場」などと言つてのける。

日本人はこれまで千年以上に渡つて精神的に天皇に依存してきました――絶対に誤る事のないキリスト教の神と違つて、天皇は人だから間違ふ事もあるといふ缺點もあるが、これからも日本人がキリスト教を信じる事は出來ない。ならば日本人は天皇に頼るほかはないのです。天皇を基礎において、自由や民主主義や西歐的觀念を採入れていく――その困難から目を背ける横着者のみが天皇制打倒を平然と叫んでゐるだけなのです。

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