ホーム:芸術と人文:文学:全般:★★★ “文法”って守らないといけないの? ★★★
1999年7月10日14時41分
日本人は誰でも勝手に言葉を使ひます。文法が日本人の日本語の使ひ方を決める事は出來ません。
一方で、現實に使はれてゐる日本語とは別に、正しい文法と云ふものは殘しておくべきだと思ひます。そして「ら拔き言葉」や女子高生の亂れた言葉を安易にその正しい方に入れない樣にすべきです。現實に言葉が亂れるのは構はないが、別に正しい日本語があるのだと云ふ意識、言葉が亂れてゐるのだと云ふ意識はいつまでも持つてゐるべきだと思ひます。
1999年7月12日4時36分
>もし文法というものがあるならば世代間において成立している、いや、もっと言ってしまえば個人個人で文法を持っているのではないでしょうか?
ソシュール言語學がさう云ふ立場をとつてゐますよね。ただそれを言ひはじめると、嚴密には日本語と云ふものが存在しないと云ふ事になつてしまふ ^ ^ しかし現に日本人は日本語でお互ひコミュニケートをはかつてゐます。
時枝誠記の言語過程説では、現に日本語が存在する以上、日本語にはやはり他の言語と違ふ特質が有り、それが日本語を他の言語と分けてゐる、と考へます。勿論この説も假説ですが、言語學は皆假説で、いかに現實の言語を巧く説明してゐるかによつて説の價値は決るとされます。そして言語過程説はソシュール言語學以上に、言語を巧く説明してゐるとされてゐます。
1999年7月12日4時47分
そもそも言語學と云ふものの取扱ふ言語が、具体的な或物ではない。言語の對象としてとらへるべきものは、ただの發音や單語や――耳や目でとらへられるものではないのではないか。
さういふ譯で言語過程説では言語を人間の表現理解の過程的事實と定める。詰り思想を或形で表現したものが即ち言語だといふのです。そして文法が現實にあるのではなくて、實際に表現された言葉を假説として提唱された文法が巧く説明する事が大事なのです。
ちよつと言語學に話が偏りましたが、文法は言葉の規範といふよりは、言葉の説明であると私は言ひたい譯です。そして口語はルール違反が多いが、それらルール違反を例外としておいて、根本的なところで言葉を説明できるものとしての文法を殘しておきたい譯であります。
1999年7月21日3時15分
妙な表現、變な言葉は、結局げてものと一緒だと思ひます。reticulocyteさんのおつしやる通り、さう云ふ言葉を認めるか認めないかは、個人の好き嫌ひ以上のものではないでせう。
ただ、言葉には一應、正しい用法と云ふものがある譯で、それに當てはまらないものは出來る限り排斥するのがよろしいかと存じます。もしその言葉に本當の意味で言葉としての力があるのならば、雜草のやうに死に絶えることはない。
いぢめていぢめていぢめ拔いて、それでも生殘つた言葉は、正しい言葉の末席に加へてやる。そんなもので宜しいのではないでせうか。言葉を甘やかす必要はどこにもないですから。
1999年7月22日8時13分
ところが、最近、何かの本で、「地」にはもともと「じ」という『音』があるのだから、「地震」は「じしん」でよい。「鼻血」の「ぢ」とはおのずから異なる、といった解説を読みました。
それは結局表音主義の事を言つてゐるんです。たいてい「現代かなづかい」支持の言語學者は「この語はかう發音するからかう書けばいい」と言つてゐますが、單に「現代かなづかい」のルールを説明してゐるに過ぎません。「現代かなづかい」のルールで言葉の書き方を説明しておいて、だから「現代かなづかい」は正しい、と言つてゐるんです。
それに「地」のもとものの發音は「di」ですから、「ぢ」と書いていいんです。
1999年7月24日19時55分
假名遣について、嚴密な話をします。
地震を「ぢしん」と書くか、「じしん」と書くかと云ふ問題は、實は歴史的假名遣とはかかはりのない問題です。これは字音假名遣の問題なのです。
漢字の音を表すルールを字音假名遣と呼びます。狹義の歴史的假名遣は、假名書きする言葉に於ける表記法を指します。
よく「蝶」を「てふ」と書くのは厄介だ、だから歴史的假名遣は厄介だ――と云ふ論法を見ますが、間違つてゐるんですね。字音假名遣が厄介だと言つてゐるに過ぎないんです。
1999年7月25日20時26分
質問ですが、No_Z さんは、いつもそのような書き方、つまり旧仮名遣いをされているんですか?
さうです。どこでも正字正かなで通してゐます。風當りが強いです ^ ^
1999年7月30日3時59分
今「文法が間違っている」と仰る方の文法も、もしここに数百年の人がいたら「お前の文法も間違っている」と言うのではないかな、と思ったのです。
昔の人が今の日本語を見たら、それあ「間違ひ」だと言ふに決つてゐます。
> だったら文法は「現在進行形」が常に正しいのでは? そんな疑問からここのトピックを立ち上げたのです。
私は今の日本語は間違つてゐると言ひ切つてよいと思ひます。ただ「言葉が間違つてゐる」と言ふ事と、實際に間違つた言葉を使ふのは別です。一方で正しい國語を定めておいて、現實に誰もそれに從はなくて構はない。間違つた用法でも、一般に定着したら澁々正しい側にそつと移しておく、と云ふ程度でよいと思ひます。
逆に、言葉はどんどん變はると云ふ理由で正しいものはないと言ふことに危惧を感じます。とりあへず原則は現實とは別に立てておいて、それはそれで一貫した正しいものにしておく。現實は現實で原則とは無關係に變化していけばよい。
現實と原則を一致させる必要はないですね。原則は原則としてきちんとしたものにしておいた方がよいと云ふ事です。
1999年8月2日5時0分
送り假名は、餘り難かしく考へない方がいいのではないでせうか。讀み違へなければ送り假名は相當に約めてもいいものです。まあ、個人的には「増る」では約め過ぎのやうにも思ひますが、確かに文脈からわかるでせう。
「送り假名の規則」では「受け付け」と書くやうに指示されてゐますが、皆「受付」で濟ましてゐますね。そもそも、送り假名を一々指示されることを、私は鬱陶しく感じます。
最後に一點だけ。
送り仮名を間違えてゐたのです。
「間違へて」ですね。でも最終行の表記は正しいから、reticulocyteさんは多分、正假名遣をちやんと理解していらつしやるんです。
1999年8月3日8時50分
今日も、「組み合わせ」を「組み合せ」と送つたら、「わ」がないのは間違ひだと指摘されました。
私は「組合せ」まで約めて書く事が多いです。
ちなみに私は高校生に数学を教へてゐるのですが、彼らは送り仮名につひて厳しく指導されてきたらしく、すぐに「先生、送り仮名が違つてゐますよ」と指摘するのです。
「送り仮名は原則自由なのだ」と云ふご意見に贊成です。でも、多くの人が不合理な規範に縛られた「不自由な國語」を好むんですよね。
ちなみに「假名について」で結構です。「附き+て」の「き」がイ音便で「い」になり、「ついて」になつたものだからです。
1999年8月4日19時50分
間違ひは間違ひだと認識すればいいんです。私もよく假名遣を間違へます。御互ひ注意しませう。間違ひを「これは變化なのだ」といつて、開き直るのが一番みつともないんですよ ^ ^
「書いて」の「い」はこれでいいのですよね。
「いいのですよね」の「いい」もこれでいいでせうか。
ともに「い」で大丈夫です。形容詞の語尾も音便です。
「良し」→「良い」
「美し」→「美しい」
「い」「ひ」「ゐ」が間違へやすいやうです。
「ひ」「ゐ」と書くものをおぼえてしまひませう。あとはみんな「い」です。
正漢字正かなづかひの辭書は、ATOK用、WX-3用、松茸用のものがあります。趣味に、仕事に使へます ^ ^
↓このリンク集↓を參考にして下さい。ちよつとごちやごちやしてゐますが。
http://user2.allnet.ne.jp/noz/kokugowww.html
1999年8月5日12時0分
仮名遣ひについての私の考へは、No_Zさんとほぼ同じだと思ひますが、正漢字については少し違うやうです。
例へば、
「変」と「變」では、「変」が好みです。
でも、
「国」と「國」では、「國」のほうが好きです。
どの漢字を使うべきか悩むこともしばしばあります。
私は「變」を優先して書きますが、なぜかと云ふと「變」が死にかけてゐるからです。「國」も一緒です。
本當は字體が異なつても同じ字だから、どつちを使つてもいいんですよね。私は原則として正字體を採りますが、筆記の際は略字と正字が入交じります ^ ^
私のMacに入っている変換ソフトはEGBRIDGEです。
ATOKも入れておこうかなあ。
EGBRIDGEは正かなづかひの變換が出來るとどこかで讀んだ記憶があるんですが、實際はどうなのですか。
それから「入れておかう」ですね。「おかむ」→「おかう」です。これも音便です。
1999年8月8日11時41分
「成果名塚非の変換」
やつぱりEGBRIDGEでは正かなの變換はできないのかもしれませんね ; ;
私の思ひ違ひかも。
現代仮名遣ひの「よう」「こう」「そう」は全てオの音ですが、これらが歴史的仮名遣ひでは「やう」「かう」「さう」と、アの音になるのはおもしろい。
/au/ → /o:/ と音が變化した譯です。
表記は「あう」のまま殘されてゐても、さう云ふ場合は必ず「おお」と發音する――と云ふよりも、正かなづかひの發音にはさう云ふルールがあるので、正かなづかひは實は發音を正確に冩してゐるんです。
「すいません」と書かれると、タバコのことかと思つてしまひます。
煙草は「吸ひません」――謝罪は「濟みません」。正かなの方がここはわかりやすいんですね。
1999年8月11日19時2分
週刊誌には「斬新」「破綻」と書いてあるのに、何で新聞には書かないのでせう。
お上品なインテリゲンチャほど、漢字と假名の混ぜ書きが好きみたいです。
と云ふよりも、漢字と假名の混ぜ書きには、その背後に漢字廢止、全てを假名で書くやうにしたいと云ふカナモジ論者の意思が隱れてゐるんです。
カナモジ論者の文章は、妙な所に漢字が殘つてゐたり、漢字で書いた方が自然な所が假名書きになつたりしてゐるので、讀み難くていけません。(例・梅棹忠夫)新聞の漢字と假名を混ぜ書きするのも、やはり讀みにくいですが、どうやら漢字を使はない方がいいやうな印象を與へるために、わざとやつてゐるのではないかと思はれます。
IMEのヒントです――もしIMEが「は行4段動詞」を扱へるのなら、「わ行5段動詞」をテキストに書き出して、「は行4段動詞」として登録してやると、それだけで入力が樂になります。
あと「置き換える」→「置き換へる」ですね。ではでは。