ホーム:教育:教育現場での問題:全般:日の丸・君が代についてどう思いますか!?
國旗國歌法案を論ずる場が、私の正統表記をめぐつて揉めに揉めました。私が正統表記を使つてゐる事に、何人もの人がいちやもんをつけてきました。そもそも議題と關係のない誹謗なので、こちらに分があるに決つてゐます。それに正統表記が論理的に占領表記に負ける譯がない。面白がつてしばらくの間、トピックを引掻きまはしました。その結果です。
※No_Z樣へ、自分では、正しい日本語の使い方だと得意になっておられるかと思いますが、読み難いやら、解読しがたいやら、もっと一般的に書かれてはどうですか?――と云ふいちやもんに對して
文化を守るといふ觀點から、正しい日本語を使ふのが當然だから正しい日本語で表記してゐるんです。
それに「現代かなづかい」「常用漢字」が間違つた日本語だといふ意識がないのは問題です。少し勉強なさつた方がよろしいかと存じます。
>旧字体、旧仮名遣いが「間違った日本語」だと思うのはあなたの勝手だが、そういうトピックではないのだから、読みやすさを重視すべし。
なんか勘違ひなさつてゐる樣だから釋明しますが、私は「常用漢字」「現代かなづかい」は「間違つた日本語」だと思つてゐますが、「旧字体、旧仮名遣い」は正しいと信じてをります。
※発言者曰く――これは私が「旧字体、旧仮名遣いが「正統な日本語」だと思うのはあなたの勝手だが」とすべきところを間違っただけです。――との事。
>だいたい「現代仮名遣い」「常用漢字」は文部省が決めてるんだろ?
なるほど、★★★さんは政府の言ふ事は何でも正しいとする「保守派」だつたんですね。
ここのカテゴリでは「そもそも民主主義は」と言って今の日本をありがたがる奴に限って、日本の美点、誇るべき点、文化的素晴らしさ、技術的アドバンテージを実際は判っていない。かういふことを知らず、日本に誇りを持てないから、民主主義や平和主義等をはじめとした現代風のお題目に縋らうとする。
>私はあなたがわざわざ読者を読みにくくしていることが、「人を思いやる」という日本の美点を忘れた行為だと言っている。
そういうものを守る気があるのか、それとも単にお題目だけなのか、はっきりしていただきたい。
本當に讀む人の事を考へるのなら、讀みやすさよりもよい内容である事の方が大事でせう。
>旧仮名遣いでは右から左に書かんと感じが出んというのは確かじゃな。
「感じ」ですか。全然説得力なし。誹謗中傷にもならぬ――ただの負け犬の遠吠えみたいですね。
正かなづかひといひますが、大事なのは假名をいかに書きわけるかといふ事であり、右から書くか左から書くか、縦に書くか横に書くか、といふのはその場に應じて臨機應變に對應すればよろしい。
日本語の表記をそんな堅苦しく考へるとは、頭の固い連中のなんて多い事!
>今に不満があるから、過去にすがる。その前提として過去を全面肯定する。これこそ、戦後復興に尽力された先人を侮辱し、また裏を返せば、戦後の繁栄の基盤は既に戦前にもあったことを無視する、まさに日本の誇りを傷つける思想といえるでしょう。
今に滿足だから過去を全否定する。戰後の繁榮の基盤は戰前にあつたが、戰前の人の努力は認めないで戰後の人の努力だけを禮讚する。戰前どころではない、それ以前の人がずつと使つてきた國語を否定するんだから、日本の文化を傷つける思想を抱いてゐるのだが、その癖「日本の誇り」とは盜人猛々しいといはざるをえない。
人に具體的に言へといふ時は、まづ自分の主張が具體的か反省してみればいいと思ふ。「戦前の人の偉業はきちんと認めています。」どこが具體的なんですか?
だいたい自分の都合のいいところだけ認めて、都合の惡いところは認めないのはあなたではないですか。
それから
>国語を否定するというのは、日本語を使わないということ。
「現代かなづかい」「常用漢字」は人工言語であつても本來の日本語ではないです。
>日本語の変化、漢字の変遷を認めるのは国語を否定するとは言わない。
「現代かなづかい」「常用漢字」は日本語の變化・變遷ではないです。それは創作された「日本語」です。
>相手を思い遣るという日本の美点、美徳を守るつもりがあるのか、ないのか?
あるに決つてゐるでせう。ただ私は表面的な、僞善的な思ひやりなどには興味がないといふだけの事です。
>そうそう、そして肝心要の言葉の方がどんどん変わっちまってるのに、
>仮名遣いだけ守り通そうとする馬鹿もいる。
>豆腐の角に頭ぶつけて眼を回しな。おととい来やがれ!
いや本當に馬鹿だねえ、あなた。
私も國語はどんどん變化してゐると思ひます。そして自然に國語が變化するのは仕方ない事だと思ひます。自然な變化ならそれは正しい。
しかし「現代かなづかい」「常用漢字」は自然な變化でせうか。表音主義の立場から、これこそは正しい日本語であると決めつけたのが「現代かなづかい」であり「常用漢字」です。すなはち變化ではなく、理念の押しつけにほかならない。
私は國語の自然な變化を停止させた戰後直後の國語改革が間違ひだつたと言つてゐるのです。そして自然な國語の變化を再開させるために、一旦戰前の國語に戻すべきだと言つてゐるのです。單に昔に返せ戻せと言つてゐるのではない。
>そしてついでに忠告しますが、意見というのは読ませてやるものではなくて、読んでもらうもの。
ならどんな表記で書かうが構はないではないですか。
私は新漢字新假名遣でないと読めないほどYahoo!の讀者は愚かでないと信じてゐるんです。多分★★★さんは讀者は馬鹿なものだと決めてかかつてゐるんでせう。
>大体、画数が多い方が覚えやすいんなら、なぜ難読漢字(実際には書く方)はみんな画数が多い?
>薔薇とか憂鬱とか素で書ける?
書けなくてもいいんです――讀めれば。漢字は書けなければいけないといふのは間違ひなんです。
>しかし定着したということは、すでにその時点で変わるべき要素があったということ。
洗腦を變化と呼ぶのか。戰後の國語國字改革は洗腦同然のものでした。
まァ洗腦された人間が自分で洗腦に氣づくのは確かに難しいことですから★★★氏に限らず、日本人が「現代かなづかい」「常用漢字」の誤りに氣づけないのも無理はないですが。
>どうせ比較するなら、なぜ「一」と「壱」で比較しない?
抽象的なものよりも具體的なものの方が人間は理解し易いといひたいだけなのに、おなじ抽象概念をあらはす「一」と「壱」を比較したつてしやうがないぢやないの。呵々。
>どの学年を見ても画数の少ない漢字の方がまちがいなく習得が早いです。
それつて、「漢字が書けるやうになる」といふ事でせう。漢字は先づ讀めねばなりません。讀むのならば略字よりも正字の方が早く習得できます。
>私の甥ッ子は5歳で「扉」という漢字を知っていました。これはマンションの玄関に書かれていたのを意味も読み方も知らず頭に刷り込んでしまったのです。
さういふ風に教へるのが漢字學習の一番の方法なんです。自然に頭に刷り込ませればよい。
>「蟻」「蝶」なども父親が昆虫マニアで近くに図鑑などがあれば、小1ぐらいで読めても不思議ではありませんが、こんなのは例外と考えるべきです。
不思議と御認めなのですね。なのになぜそれを漢字學習に生かさないんですか。
>小学校5年生で国語の教科書をまともに読めない子が、クラスに1/3ぐらいいるという現実をご存知ですか?
知つてゐますよ。小學生になつてからでは漢字は覺えません。もつと早くから漢字を學習させればよい。それに、假名で最初に教へると、漢字の文章が讀めなくなる――最初から漢字かな交り文で教へて、漢字に慣れさせればよいのです。
>日本人の識字率がどんどん低下していくのは目にみえておりますよ。
正漢字正假名遣の時代――江戸時代の識字率は低かつたですか? 寺子屋の普及により、世界的に見て日本の識字率はきはめて高かつたのです。
>旧字体が簡略文字に変わったのは、文部省が進めたからではなく、その方が事務や伝達がスムーズに行くからです。
梅竿忠夫みたいな事をおつしやいますね。いいですか――戰後の國語國字改革は文部省が行つたのです。といふより、「略字の方が效率が良いはずだ」といふ假説を眞理と勘違ひした言語學者が、文部省を牛耳つて、強引に改革を推進したのです。
國語國字改革の歴史を少し勉強してみて下さい。
>最後にZ氏はいったいどんな変換プログラムを使っているのでしょう?
>MSIMEでもあなたのような漢字変換ができますか? (^^)
WX-3または松茸を使用してをります。正辭書が正漢字正假名遣用のものです。MS-IMEでも辭書を入れれば使へなくもないですが、完全ではありません。
それにしても、標準で正假名遣が使へないことの異常さが理解できてゐない。表現の幅が狹められてゐるのだが、それを良いことだと思ひ込んでゐる。
>NZ殿に効率の話をしても無駄であるぞよ。このお方にとっては、正しいものは何がなんでも正しいのであって、誰が何と言おうと正しいものは正しいのじゃな。他の視点という言葉は辞書にないのじゃ。きっと、特殊な日本語入力システムをお使いなのじゃろうて。
●●殿に効率の話をしても無駄であるよな。このお方にとつては、效率的なものは何がなんでも效率的なのであつて、誰が何と言はうと效率的なものは效率的なのぢやな。他の視點という言葉は辭書にないのぢや。
>きっと、特殊な日本語入力システムをお使いなのじゃろうて。
しつこいやうですが、WX-3か松茸に正漢字正かなづかひ用辭書を組込んで使用してゐます。それにしても、假名遣と漢字を制限するとは、國語の表現を制限することにほかならず、究極的には思想を制限することであるのだが、なんで反權力的な人間がさういふ思想制限に贊成するのだらう。
反權力といひながら本當は反權力ではないのであらうか。
>読む前にそれを誰が書くんだ?
昔の人が書いた本はいつぱいあります。漢字が讀めれば、さういふ本が讀めるんです。讀んでゐるうちに自然に漢字は覺えられます。無理に覺えようとするから漢字が嫌ひになり、漢字が書けなくなる。
要するに■■さんは、「日本の戦前を全否定していない」といふくせに、戰前の書物を否定し、戰前に日本人がゐたことを否定してゐるのです。
それにしても、抽象的な議論が出來ないことを威張るとは、本當に馬鹿なんだな。外國に行つたら笑はれますよ。
單に言葉尻だけとらへて揚げ足をとるのはいい加減にした方がよい。ぼろが出まくつてゐますよ、■■さん。抽象的とか具體的とか言ふのはどういふ事かといふ抽象概念も理解できないんだから。
>おっと、この比較対象の挙げ方は論理的は対等じゃないぞ。
実際に江戸時代の識字率は高かつたんです。絶對的に高いんだからしようがない。
>>「略字の方が效率が良いはずだ」といふ假説を眞理と勘違ひした言語學者
>なら、勘違いであることを証明して下さい。
なあに、「略字の方が效率が良い」と言ふ命題が證明できないなら、その命題は間違つてゐるに決まつてゐます。そして「略字の方が效率が良い」と言ふのは、いまだに證明されてゐないんです。
>読める子は書けるし、書ける子は読めますよ。
ならば先に讀めるやうにすれば、いつでも書けるやうにはなりはすまいか。リードオンリーの人間を作らうと言ふんではないんですけどね。
>だからできないって。1度小学生を相手に授業をやってみればわかります。
それあ、假名で書かれた教科書で一生懸命教へたつて、子供は漢字に慣れやうがないから覺える譯がない。
>不思議ではないと書いております。いい方法ならば生かしたいと思いますが、どうやってそれをマニュアル化するのですか?
「漢字興國論」(石井勳著・日本教文社)や「石井式漢字教育革命」(石井勳著・グリーンアロー出版社)に書いてあります。參考にしてください。
外國人のために國語を簡略化して、それを日本人の使ふ國語にも適用したいと言ふのは無茶です。そもそも母國語以外の言葉を學ぶのは、日本人が英語を學ぶのを見ても分ると思ふのですが、たいへんなのです。一朝一夕に學べるものではありません。それに、日本語を簡略化してまで外國人に學んで貰はうなんて、情けなく思ひます。
ただ言へるのは、ロシア語やポルトガル語に限らず、英語でもフランス語でも、表音的に言葉を表記する習慣だけはないと言ふ事です。英語の綴り方と日本語のローマ字は全然意圖が違ふのです。
どんな國でも、書き言葉には書き言葉の原則を、話し言葉には話し言葉の原則を適用します。書き言葉に話し言葉の原則を適用させる實驗を試みたのは日本だけであり、しかもそれは失敗してゐるのです。
>なぜ画数が多いほど漢字が覚えやすいっていうことを証明するのに、「一」と「壱」じゃなくて、「一」と「蝶」を比較したの?
「一」といふ抽象概念を表した漢字は、劃數が少くても子供には理解し難い。
「蝶」といふ具象概念を表した漢字は、劃數が多くても子供には理解し易い。
――といふことを言つたのです。要するに劃數が多い漢字は一概に難しいといふ通念を打破するのが目的だつたのです。
投稿の意圖や意味ではなくて表面的な字面をみて、返信するやうな人物の投稿は、荒らしと呼んで當然の事でせう。
>子供の発育段階を考えれば、漢字学習は小学生からでいいのです。幼児期にはもっと他に学ぶべきものがあります。
恐ろしい發想をする人ですね。ものを讀む能力を育てなければ、子供が知識を得る事は出來ないではないですか。
>私は判断力をつけるのが先であると申し上げております。
知識なしの判斷ほど危險な物はない。それに思ひつきをべらべら喋つたところで何が學べるといふのでせうか。
>江戸時代の識字率が高かったのは教育水準自体が高かったからです。旧字体を使っていたから高かったのではないと思いますが・・
正字體を當時の日本人は自由に讀めた――すると略字體しか讀めない日本人の暮らす今の日本は、教育水準が低いといふ事になりますね。
>その結果学びやすく教えやすくなったのですから、結構なことではありませんか?
教育を樂にするために國語を改變する――要するに教育者は無能だといふ事ですね。
>しかも旧字体も残されておりますから、使いたい人は自由に使うことができます。
國語國字改革のおかげでPC上で使へない正漢字が山とあります。
>勉強することにやぶさかではありませんが、その結果あなたのような立場になってしまったら、ちと困るものがありますけどね。
へえ、學ぶ前から學ぶ事をこはがるんですか。情けない教育者ですねえ。
※あなた(野嵜)が論点をずらしたわけではないですね。石井勲とかいう奴がずらしただけで、あなたは単なるそれの受け売りだ。――と云ふいちやもんに對して。
石井勲さんの著作を讀んでから石井さんの批判をすれば?
まあ、オウムの信者と一緒で、かういふ手合は學ぶ事を拒絶する傾向があるからしかたがないですけど。
>仮名遣いに気を配っている暇があったら、国旗国歌法案の不備を指摘すべし。
假名遣の問題も、國旗國歌の問題も日本國の文化の問題です。私は、日の丸君が代は過去と一貫性をもつべきだと考へ、假名遣もまた過去と一貫性をもつべきだと考へる譯です。國旗國歌の問題と假名遣の問題は無關係ではありません。
しつこいやうだがもう一點。
>子供の発育段階を考えれば、漢字学習は小学生からでいいのです。
漢字を一番よくおぼえるのは3歳から5歳位――小學生では高學年になるほど漢字をおぼえるのが苦痛になる。
***さんは、漢字をおぼえるのが苦痛になつた頃に漢字を教へろとおつしやる。それは子供を苦しめるためか、それとも子供に漢字を教へないためか?
識字率が江戸時代高かつたことは事實――その事實を認めると困るから、■■氏は下らない重箱の隅をつつくやうな眞似をして足掻いてゐるだけです。
なに、正漢字正かなづかひが正しいといふことを■■氏は認めたくないだけなんです。
※石井勲著『漢字興國論』についてのいちやもん
>君の挙げた例だけでトンデモ本とわかるのに、なんでそんな本よまにゃならんの?
讀めば正しいのがわかるから、■■さんはこはがつてゐるんです。それに、「トンデモ本」といふ言葉も「議論に詰まったやつがすぐ使うお決まりの捨て台詞」ですねえ。まあ、理屈で考へれば正統表記が正しいのはすぐにわかるから、理屈抜きで「常用漢字、新仮名遣いで書きなって」なんて書くんです。
>だって、純粋に鬱陶しいんだもん。
本音が出ましたね。あなたこれが失言だといふことに氣づいてゐないでせう。大馬鹿者は平氣で尻尾を出すから大馬鹿者です。
※漢字教育より躾が先といふ意見に對して
それあ躾は大事です。しかし本にはよいことが書いてあるんですよ。昔の子供は論語を習ひましたが、これは家庭の躾と竝ぶ立派な道徳の學習でした。
それに、私は漢字の學習が躾の邪魔になるといつ言ひましたか? 子供の躾をしながら子供に漢字の學習をさせて何が惡いのですか? 私は躾も漢字教育も平行して同時にできると考へます。
なのに***さんは(中略)、子供に教へることは少く少くしようとしてゐる。子供は學びたがつてゐるのに。
>問題は旧字体と略字体の比較の議論のはずですよ。
何をおつしやるか。單なる比較の問題ではない、教育そのものの問題に發展してゐるのだ。あなたの言葉に現代の教育者に共通する誤りを見つけたから、私はそれを指摘したのだ。
>もう1度同じことを書きますが、教育水準というのは内容が問題なんではっきり言って字体などはどうでもよろしい。アルファベットだろうがハングルだろうが、高いものは高いし、低いものは低いです。
教育で教へられるのは形式・表面的知識だけであり、人間の精神をどうかうできるものではない。判斷力なんて子供が學ぶものですか。
國語に於て重要なのは字體であり、アルファベットとかハングルとか――否、日本語教育ではかなと漢字を覺えることが基本中の基本である。
水準といふのは質ではかることなど出來ず、量ではかる事しか出來ない。如何にたくさん漢字を覺えるか、語彙を覺えるか――それでしか判斷出來るものではない。
>私は国語を改変したから教えやすく学びやすくなったと書いております。
國語を改變しなければ教へにくく學びにくい――そんなのは嘘なのですが、それは別のところで論じてゐる。しかし教へにくいものならばよりよい教へ方に變へるのならば教育者としてそれは正しい態度である。しかし、教へるものを變へてしまつて教育法は變へないといふのは教育者の怠慢であらう、と私は言ふのである。
一億「現代かなづかい」「當用(常用)漢字」マニアの時代に、正統表記の使用者は散散な言はれやうですなあ。まあ、世の中、言葉は生きてゐる人だけの間で通じればよいと思つてゐる人ばかりだから、しかたがない。
まあ、現代人の間だけで通じる言葉なんて
現代人の間だけで通じる言葉なんて、マニアの言葉とかはりがないと思ひますけれどもね。それにしても現代の日本人が正統表記使用者に「現代かなづかい」「當用(常用)漢字」を使へと命ずる姿勢は、居丈高といつてよいものです。何で頑固に正統表記を認めまいとするのでせうか。
日の丸君が代に反對する諸君は、しかし文部省といふ權力者の定めた「現代かなづかい」「制限漢字」に唯々諾々として從ふ權力者の走狗である。
戰時下、戰爭に協力しない者を「非國民」と罵つた連中がゐる。だか彼らは敗戰で死絶えることなく生き續け、戰後の民主主義體制に協力しない者を再び「非國民」と罵つてゐる。何が反權力だ――平和な時の平和論、民主主義下の民主主義翼贊――時流に乘つて、なうなうとあぐらをかいてゐる諸君はまさに現代の體制を翼贊する權力のイヌと呼ばれてしかるべきである。
「御都合主義」つて言葉知つてる?
といつても★★★さんは私の方こそ御都合主義だといふでせう。いいですか、言葉については權力側、國旗國歌については反權力の側につく(或は逆)といふのは、思想的な御都合主義なんです。★★★さんのいふ「それ」も「これ」もみんな思想の問題であり、人は己の思想は一貫させないといけないんです。
別に掲示板引退宣言などしてゐないが……單に本氣で物事を論じる氣のない連中を眞面目に相手にするのはやめると書いただけです。要するに今後は積極的に茶化しをやるよと言つたんです。
文部省が敵ならば、文部省の定めるところの「現代かなづかい」「制限漢字」も敵である筈でせう? なのに▼▼さんは平氣で「現代かなづかい」「制限漢字」に從つてゐる。それは敵である文部省の掌中で暴れてゐるだけの事――お釋迦樣の掌中で暴れる孫悟空と同じです(以下略)。
▼▼さんは自分の事、自分の行爲については飾つた言葉で表現する傾向があります。それは他人を欺くだけではない、自分を欺いてゐるのです。自分の行爲を美化してゐるだけにすぎません。
道交法を守るのは權力に從ふのでないから、「現代かなづかい」を守るのも權力に從ふのでない――なんて詭辯です。
▼▼さんは共産主義に逆らふ人間を肅清するのでなく「教育」すると言ひます。これを言葉を飾るといふのです。きれいな言葉に言ひかへれば濟むと考へてゐるんです。
なぜなら私は反權力の立場でも權力者の走狗でも、どちらでもないからです。といふより、私は權力とか政治を基準にものを見てゐないのです。
あるいは私は本質的なところで「反權力」なのです――現代の權力とは、あらゆる傳統的な權威を打倒する側の立場がさうなのであり、天皇日の丸君が代などどうでもよい、なくなつてもよいと考へてゐるのが大多數なのであり、「現代かなづかい」「制限漢字」でよいと考へてゐる國民が大多數なのであり、私はさういふ大多數といふ「権力者」に反抗してゐるのです。
殘念ながら、本質的に▼▼3さんも★★★さんもその他の論者の方々も、所詮は大衆といふ名の「權力者」にこびへつらつてゐるだけにすぎず、そもそもその言葉はただ單に耳に心地好いだけのものにすぎません。
※てめえのせいでいつまでたっても仮名遣い問題から抜けられねえんだ。ごちゃごちゃ言わずにすっこんでろい! ――と云ふいちやもんに對して
あはは、そつちの方から私の假名遣に絡んできたんでないですか。人のせゐにするのは止めなさいよ。
>>なんでもいいから常用漢字と現行仮名遣いで書いてくれ。
>あんたの文章は読みにくい、ただそれだけなんだから。
>(笑)同感。たぶん格好がよひと思つてるのでせう(爆)ダセー(笑)
馬鹿だなあ、皆さん。あなた方は理屈拔きでただ感性で「現代かなづかい」と「制限漢字」を支持してゐるといふことを自分で認めてしまつた譯ですよ。結局感性に頼つてゐることを暴露してしまつてゐるんですよ。
さうすると、あなた方は天皇を支持するのも天皇に反對するのも同じやうに、やはり感性で決めてゐるのではありませんか。
天皇反對の人は、それが多分恰好がよいと思つてゐるのでせう?「ダセー」のはそつちの方ですね。今どき「なんでもかんでも反對」は流行らないですよ。感性でわざわざ「ダセー」方を選ぶんだから、皆さんも救はれないですねえ。呵々。