、、、田中知事を不信任するというのは議会としての責任放棄である。
県財政の破綻を田中前知事のせいにするという議論に至っては笑止千万である。、、
山口二郎・北海道大学教授・2002・7・19の週刊誌から。
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長野県の場合、田中前知事は「公共事業見直し」という県民に対する公約を貫いていたのであり、選挙で示された県民の意志に沿って県政を運営していたにすぎない。公約を実現した結果の県政に対する評価は、次の知事選挙で県民が下せばよい。
また議会は予算や条例の議決権を持っている。田中前知事の政策に問題があったのならば議会審議を通してそれを徹底的に論じ、自らの代案を示せばよい。そうした努力を中途にしておいて知事を不信任するというのは議会としての責任放棄である。
県財政の破綻を田中前知事のせいにするという議論に至っては笑止千万である。長野県の財政悪化をもたらした張本人は、吉村午良元知事である。吉村県政のもとで長野オリンピック関連の巨大な公共投資とハコモノ作りが進められ、県財政は一気に悪化した。そして、田中知事不信任案に賛成した議員の大半は、元知事と一緒になって公共事業の大盤振る舞いに狂奔した人々である。そんな議員に財政悪化をあげつらう資格などない。議会の側こそ従来の県政運営について反省すべきである。、、、、、
田中知事不信任案に賛成した議員の大半は、元知事と一緒になって公共事業の大盤振る舞いに狂奔した人々である。そんな議員に財政悪化をあげつらう資格などない。
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