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長野の若者は利権公共事業で膨大な借金を背負わされた。
その過去の県政の尻ぬぐいのために
田中康夫は病をおして根気良く戦い続けてきた。



2002年07月29日・新聞社説の一部よ

「、、、田中康夫前長野県知事は、県庁の1階にガラス張りの知事室を作った。その結果なにが起きたか。県会議員が支持者をつれて知事室に陳情に行かなくなったという。 ガラス張りの知事室が、知事と県会議員との関係を変えた。ささいなことに見えるが、これまでの県政のシステムを根底から崩してしまったのではないか。、、知事室は3階にあった。静まり返って、近寄りがたい雰囲気だ。許された者だけが入れる密室。知事はその中にいた。、、、、ガラス張り知事室は、外見上の奇をてらっただけではなかった。知事と県議とを結びつける陳情という儀式を壊す装置だった。県民に直接語りかけるためには、密室は無用だ。 多数の県議が、知事室へ入る特権を失った。その代償として、田中前知事は県会多数の支持を失った。不信任案は、知事が看板にしている「脱ダム宣言」の是非を問うていない。これまでの知事と県議の関係が崩れたことが許せなかったのだ。問題は「密室」である。密室という装置がなくなったら政治は大きく変わる。それを田中前知事のクリスタル県政が実証した。、、、、思い返せば、小渕恵三元首相が急死した後、森喜朗内閣が生まれる過程で、国民の前に公然たる「密室」が表れた。四人組だか、五人組だか、数人の自民党幹部が「密室」の談合で、国政を壟断(ろうだん)している。国民がそう見ていることを恐れないほど、自民党は傲慢(ごうまん)だった。、、、、もう日本国民は、古い密室政治にがまんできないのだ。ワイドショー政治とののしろうと、ポピュリズムと嘆こうと、国民は密室で談合した結果を押しつけるような政治はもう受け入れない。小泉首相の人気が落ちたのは、新しい官邸が、いやに密室的なつくりになっているからではないか。田中前知事はガラス張りこそ自分の力の源泉と知っていた。小泉首相は、それを知らない。」




田中康夫前知事は2001年度17億円、2002年度133億円、県債の発行を実質減らしている。そして2002年度予算で公共事業費で340億円(前年実績の20%減)に抑えた。また、168の事業を廃止し、271の事業を縮小した。
身体・知的・精神の三障害福祉予算を前年比約1.5倍とした。
森林整備の間伐面積を約1.8倍とした。
小学校に30人学級を導入した。
これは明確なビジョンの試走ともいえるものである。
これから日本全体で土木・建設業の従事者は半減すると言われている。
次の時代の新しい労働集約産業である福祉・環境・教育にいち早く長野県をシフトしていくためのはっきりした狙いがわかる。田中康夫が常にいうタクティクス(戦術)とストラテジー(戦略)である。


田中康夫は県庁も根本的な部分を変革しつつある。
「2年弱の短い期間に多くの職員が自分たちは県民の奉仕者であると自覚するようになり、感謝しています。」と田中は言う。
例えば月一回だった部長会議を毎週開催に変えただけではなく、他部署へは口出ししないなどという県民奉仕無視の不文律をやめて、各自が執行役員の意識を持って積極的に発言議論の会議に変えた。脱ダムの代替案である「約8割を河川改修、約2割を流域整備に」という枠組みも田中康夫が県庁プロパーから抜擢した土木部長との白熱した議論の中から生まれたものである。土木部長は今までのように国土交通省からの天下りではない。部課長も彼自身が選び、月一回のランチ・フリーデスカッションなどには意見が続出するようになった。課長の人事通知書を手渡すのに2時間もかける深い心配りは、高名なレストランであろうと後に続く顧客のために手抜きを看過しない田中康夫という男の高いメンタリティーからきている。
彼の信念には幾多の攻撃に立ち向かいながら練り上げられたレシピがある。





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