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田中知事、横田さんを励ます。






2003−2−18
「北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会」(救う会)
佐藤勝巳会長は何かの宗教に取り憑かれたように
突然、核武装を叫んだ。
この男の軍事利権丸乗り発言に日本中が引いてしまった。

どうやらこの男には広島・長崎の被害者も平和憲法も頭に無いらしい。




救う会は子供のために何をしたのか?
横田めぐみさんが生きていると言いながら「戦争を恐れてはならない。」とは何という言い草だ。

拉致被害者の子供たちが北朝鮮国内にまだ生活しているのに、アメリカに対して武力を使ったら絶対許さないと、抗議すらしない。戦争で真っ先に殺されるのは無力な子供たちである。いさかいを煽ることで最も傷付くのは小さなこどもたちではないか。

いま、「救う会」にとって絶対に守らなければならないのは
拉致被害者の子供たちである。子供たちの安らかな生活である。北朝鮮や日本がどうなろうと小泉や金正日が何を言おうと拉致被害者の子供たちの安穏を守り切るということが「救う会」の最重要課題ではないか。子供たちが24時間365日、日本と北朝鮮を自由に往来できる飛行機と住居を両国に完璧に用意することである。その要求を金正日と小泉純一郎という公僕に断固として命令することである。実に簡単な要求ではないか。日本政府は朝鮮半島に対する過去の蛮行を、北朝鮮は拉致事件を、双方とも謝罪、反省の声明を発しているのである。ならば拉致被害者は日朝両政府に対して完璧な要求をする権利と義務がある。いま、こうしている内にも子供や孫と過ごす人生で最も貴重な、取り戻す事の出来ない時間が過ぎて行く。その貴重な時間に対する責任を「救う会」は自覚しているのか。見るに見かねた田中知事は、忙しいのにあんなに心配してこの拉致事件の迷走に言及までしてくれているではないか。謝礼の言葉くらいかけたのか心配である。


2003年2月18日
「日本も核ミサイルを」 
拉致被害者「救う会」会長

「北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会」(救う会)の佐藤勝巳会長は18日、東京都議会であった都民集会で、北朝鮮の核開発に対抗するためとして、「我が国が核ミサイルをもつこと」の必要性について発言した。
 集会は「北朝鮮に拉致された日本人を救出する地方議員の会」主催。佐藤会長は拉致問題解決のための制裁を政府に求めたうえで、「向こうは制裁を宣戦布告とみなし、ミサイルを撃ち込むということに必ずなる。『日米安保条約を発動し対応する』と首相は答えるべきだ。戦争を恐れてはならない。長期的には我が国が核ミサイルを持つこと。要するに、核に対する防御には相互抑止力しかない」と述べた。
 集会後、佐藤会長は発言について「問題提起のために言った。日本からこういう発言が出るのは北朝鮮の核開発のためであるという議論が、周辺諸国でも起こることを期待する」と語った。

{救う会が、核によって広島や長崎の人たちが2世代、3世代に渡って今尚どれほどの苦痛を味わっているか知らなかったでは済まされない。戦争によって最も傷付くのは、産れた国と、母や父の国に引き裂かれた子供たちではないか。救う会が組織を挙げて両国政府に突きつけなければならないのは両国の国家を挙げた完全非武装による平和への政策ではないか。この諍いの歴史を積み上げてきた日本自民党政権と北朝鮮金一族政権の退場をつき付けることではないか。}


孫や子供との時間は取り戻す事が出来ない、、

2003年3月
田中知事、横田さんを励ます。
いわゆる通常「救う会」と呼ばれている「北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会」というんでございましょうか。
(中略)
横田めぐみさんのご両親、とりわけお父様はですね、北朝鮮へと訪問として横田めぐみさんのお子さんであるとおっしゃる方、あるいは横 田めぐみさんの消息というものを調べたいという、(中略)私が「救う会」をはじめとする方々がその動きを制約するというのは、これはなんの根拠をもってしかと私は大変にいぶかしく思っているというふうに申し上げているわけなんでございますが、これに対して、訪朝しないという方針は「家族会」がですね全員一致で決めたことであるというふうにおっしゃってんでございますね。
(中略)それを全員一致で今は一糸乱れてはいけないというのは、それこそがどこかの国のマスゲームのような一糸乱れてはいけないという話しになるわけでございまして、私はとても不思議なわけでございます。「救う会」と「家族会」が厳密には違うというようなところがあるのかもしれませんが、ただ蓮池さんのお兄様というような方は「新しい歴史教科書を考える会」ですか、「つくる会」ですか、そうした主要のメンバーでもいらっしゃるわけでございまして、北朝鮮の国家的犯罪というものを許すまじと。またその真相を解明すべしと。私はこのことも議場で繰り返し申し上げているわけでありまして、こうした一点において連帯をすることが望ましいわけでございまして、やはりその構成なさってる方々の個々のですね、思いや行動というものまでをもですね、なんの根拠をもって束縛するのであろうかというふうに、私は大変いぶかしく改めて思うところであります。
(中略)なんか「救う会」の方はですね、私に抗議に来たいということでありますから、その際にはぜひ紹介議員の方もご一緒にどうぞ知事室の方にお越しいただいて、私が申し上げたような一人の人間の意思というものを結果として封じ込めてしまうような「家族会」であったり、あるいは結果としてそれを取り巻く「救う会」であったりというもののお気持ちというのはマスゲームのお気持ちと連なるような危険性はないのであろうかというようなことは、逆にご質問させていただける機会が設けられるというのであれば、これにすぐる喜びはございません。

広島への原爆投下の直後、日本の専門家たちは「技術的にできるはずがない」と信じようとしなかったという。

「救う会」が田中知事発言に反論 横田さん両親訪朝で
03/11
北朝鮮に拉致された横田めぐみさんの両親の訪朝をめぐり、田中康夫長野県知事が「救う会側が制約している」などと発言し、「救う会長野」は11日、記者会見して「事実誤認だ」と反論した。「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」「救う会全国協議会」と連名で抗議文を送っている。

 田中知事は5日の県議会一般質問で拉致問題への見解を尋ねられ、「横田めぐみさんのご両親が平壌の地を訪れて真相を究明したいというものを、『救う会』をはじめとする方々が一方的に制約するということは何の根拠をもってしてかと大変にいぶかしく思っている」などと述べた。

 救う会長野の塚田俊明事務局長は「横田夫妻、とりわけ早紀江さんは当初から訪朝に反対していた。全員一致の考えであり、制約はあり得ない」としている。

 抗議について、田中知事は「横田さんの父親が孫に会って真実を確かめたいと訪朝を望んだが、周囲が押しとどめたと聞いている。横田さんの願いをくんでこそ、集団主義国家とは異なる日本ではないか」と話している。


拉致被害者家族から話を聞く対話集会
緊急シンポに1100人が参加、シンポの前に公民教科書訂正修正の記者会見
昨12月26日午後6時半より、「家族会」「救う会」「拉致議連」からそれぞれの会長などを特別ゲストとして招き、東京・大田区民ホールアプリコにて「つくる会緊急シンポ 拉致被害者家族から話を聞く対話集会」
 シンポは、西尾幹二名誉会長がコディネーターをつとめ、聞き手として、藤岡信勝副会長、田久保忠衛、八木秀次両理事。第1部は、ご家族のお話の前に、田中英道会長の主催者挨拶があり「拉致事件はさまざまな問題をわが国に突きつけた」と述べ、拉致事件を広く取り上げることの大切さを強調した。

 田中会長、藤岡副会長、八木理事、宮崎事務局長らは、このシンポの直前、同会場において公民教科書の訂正申請報告の記者会見を行い、シンポでも『新しい公民教科書』執筆者を代表して八木理事が登壇、この件について「もともと『新しい公民教科書』は拉致事件についてもっと詳しく書いていましたが、文部科学省から『断定を避けるように』との検定意見がつき、やむなく現在の記述になった」と経緯を説明、「それでも、拉致事件をとりあげている唯一の公民教科書で、小泉・金会談後に明らかになった事実については文部科学省に修正を申請し、それが受け入れられた。 さらに充実した記述になっています」と報告。

 ご家族のお話では、蓮池透さんが「支援してくださっている日本国民の皆さまに感謝したい」とお気持ちを述べ、それに対して「拉致をでっちあげだと言っていた政治家・学者・マスコミを決して許すことができない。 特に朝日新聞はこれまで拉致を否定的にとらえてきたし、また小泉・金会談後も『感情論で冷静な判断力を失ってはならない』などと書いた。 わたしたちは感情論でものを言っているのではない。 理性的に考えても善悪ははっきりしている。朝日新聞を許すことはできない」と怒りをあらわにされました。 また、小泉首相や外務省に対しても、「なぜ、北朝鮮の発表を鵜呑みにして、あなたのお子さんは死んでいますなどといえたのか。 人の心をもっているならば、そんなことはできなないはずだ」。

 また、横田滋さんは「拉致事件は早くからわかっていた問題だ。 国会でも1988年3月に参議院予算委員会ですでに答弁がなされていた。なぜ、この問題が放置されてきたのか。 納得できない。 今、政府が拉致問題にしっかりと取り組んでいる。 これも多くの国民の皆様のおかげである。 国民と政府が一体となって拉致事件に取り組んでいる今、わたしは政府を信じます」、さらに横田早紀江さんも「わたしたちを支援してくださる皆様にお会いできて嬉しい。 この事件が25年間も放置されてきたのは、何よりも人間の心の問題だと思う。家族だけの問題ではなくて、人間の問題としてとらえる人が少なかったのが残念でならない。 これまでの日本政府の対応は、人間の心を持っている人ならば絶対にやらないような対応だった」。

 救う会の佐藤勝巳会長は「金正日政権はテロ政権である。外務省の交渉の仕方は根本的に間違っていた」と外務省の対北朝鮮外交を批判した上で、「60名とも70名ともいわれる拉致被害者が他にもいる。 この人たちが全員かえってこなければならない。平和は黙っていてはやってこないものだ。国民がきちんと声を上げていく必要がある」。

 拉致議連の中川昭一会長は「教育基本法や現在の左翼思想に占拠されている教育現場を見直していかなければ、根本からの解決にならない」と具体的な政策案を述べられた上で「議員というよりも、一人の日本人として、一人の親として活動してきたし、これからも活動していきたい」と決意を表明。

 同じく拉致議連の平沢勝栄事務局長は「拉致事件は昔からある問題であり、日本人はこの問題を知っていた。 それなのに、なぜこんなにも長い間日本人を救出できなかったのか。 日本政府や外務省は何もやってこなかった。 その責任を追及していかなければならない」と述べられ、具体的に数人の名前を出して批判されました。 さらに、「拉致を否定してきた人たちは、日本の国益よりも北朝鮮の国益を大切にする人たちであり、許すことはできない。 名誉教授という肩書きを持つ人もいるが、不名誉教授である」。

 第2部でもさまざまな質問や意見が出されましたが、特に横田滋さんと蓮池透さんが「国家を忌み嫌う風潮がありますが、国家は国民の生命や財産を守るものであり、このことを国民はしっかり認識しなければならない」と決意のこもった面持ちで述べられたこと、横田早紀江さんが「めぐみさんが帰ってきたら何を食べさせてあげたいですか」という質問に「めぐみちゃんがいなくなったとき、夕飯に作っていたものを食べさせてあげたい。 あの子はあれを食べずにいなくなってしまったから」。

 最後に「つくる会」を代表して西尾名誉会長から「家族会」へ花束を贈呈、横田早紀江さんが受け取られて盛会の裡に終わった。


多忙の中で折角心配の言葉を掛けた田中知事に「救う会」は感謝の言葉も御礼さえ言わない非礼。

3月14日
救う会批判で謝罪意思 「ございません」 と田中知事
 16時50分ごろ、記者会見で「北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会(救う会)」批判を撤回、謝罪する考えの有無を問う本末転倒質問に当然のことながら「いいえ、ございません」ときっぱり。「横田(滋)さんが、訪朝を希望しないように、と救う会から確かに手紙をもらったと、一昨日おっしゃられているわけでして…。私はこれをお聞きしまして、私と横田さんの間に誤解はないと改めて確信したところであります。仮に、最初から「家族会」なるものと横田さんのお気持ちが一糸乱れぬものであったなら、訪朝見送りを会としての総意でお決めになるのに、何故にあれほどの長時間の話し合いを行う必要があったのか」と繰り返し疑問を呈する。さらに「人間でない」と批判された「救う会」に対し、改めて「お目にかかる用意がある」とメッセージ。


(参照・詐偽師事件簿)
KSD事件で逮捕された元参議院議員の小山孝雄と村上正邦、さらに逮捕は逃れたが大臣をやめざるを得なかった額賀福志郎元経済財政担当大臣などは、いずれも「新しい歴史教科書を作る会」に協力してきた男たちである。。国家を愛せよ、だとか誇りをもて、などと騒いでいる詐偽師は、裏では醜いことを平気でやっている男たちだ。詐欺師に道徳を説教されるほど、我が国民は馬鹿なのかも知れない。
村上正邦自民党参議院議員と小山孝雄自民党参議院議員(KSD事件の収賄容疑で逮捕。議員辞職は1/29)は、「神道政治連盟国会議員懇談会」において指導的役割を担ってきた。いわゆる森首相による「天皇を中心とする神の国」発言(2000.5.15)で広く知られるようになった同じ会合で、村上(参議院憲法調査会長)が次のような驚くべき破廉恥発言をしたことは、余り知られていない。
 「わが国の歴史と伝統に沿った憲法改正の実現に向かって努力しているところ」。 と抜かしたのである。まったく国民を舐めた公僕というしかない。
中立・公正たるべき憲法調査会の会長でありながら、「初めに改憲ありき」の政治姿勢を露呈して恥じない発言を問わない為政者、マスコミの現状はまさに奴隷制としか言いようが無い。 村上正邦容疑者は、自民党の実力者だった玉置和郎・元総務庁長官(参院議員)の秘書から、宗教団体「生長の家」の支援を受けて、八〇年の参院選全国区で初当選、当選四回を重ねた。九二年十二月に宮沢内閣の労相として入閣。九五年三月から参院自民党幹事長、九九年七月からは同議員会長と実力者への階段を上り、その押しの強さから参院自民党の「尊師」とも呼ばれた。二〇〇〇年四月に小渕前首相が病気辞任した際には、いわゆる「五人組」の一人として、森首相の誕生に影響力を発揮した。正岡子規の叔父加藤拓川は、愛国心に対し 「実に愛国主義というものは盗賊主義と化して諸外国の怨嗟を招き、外国の怨嗟 は人類すべての怨嗟となるので、人間社会に理解がない限り天下太平を乱す元と なる」 という意味のことを言っています。




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