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突き刺し、次つぎ井戸へ投げ込む




 突き刺し、次つぎ井戸へ投げ込む
人間と鬼

 S口 T治
(略歴)
一九一九年栃木県の中農の次男として生まれ、中学卒業後事務員として専売局で働き、軍隊に入り、中隊長として中国侵略に参加し、河北省において罪行を犯す。
 所属部隊 旧六十三師団歩兵第六十六旅団独立歩兵第七十八大隊第二中隊 中尉 中隊長


一九四四年八月の頃だった。
畑には高梁が背たけ程ものびて、小麦の取り入れも終わりの時期だった。柳の林に囲まれた馬家村は、任丘県でも比較的大きな村であった。
 大砲を引き、機関銃を持って、公然とこの村に襲いかかり、平和な住民を破鐘のような声で拷問していたのは、この俺であった。村の中央広場には年老いたお爺さんや婦人子供十数名がうずくまっている。林のような銃剣の中に、互いに助け合い一塊になって黙っている。
 澄み切った目は輝いているが、不安の色がただよっていた。いったいこの人たちはどんな悪いことをしたというのであろう。泥棒猫のようにキョロキョロしながら兵隊は忙しそうに動きまわっている。
村の中は鶏がひねり殺される鳴き声や、扉をこわす音、どた靴の音が入り乱れている。
 「アイヨーアイヨー」殴打され、悲鳴をあげる声が耳をつんざくように響いてくる。生地獄! 
戦争は平和な村を生地獄にかえた。
 ひげむしゃの赤ら顔、うす気味悪い笑いをつくろい、机にもたれいばった自分は、立ち上がるよりはやく、「八路軍はどこへ行った。いわにゃ皆殺しだぞ」地だんだ踏んで怒鳴り散らした。その声が兵隊に電流のように通ずるのか、数十名の兵隊は鞭をとばし、蹴る殴る、銃床で叩くやら、気狂いのように拷問をやり出した。
 奴らは、いったい何が恐ろしいのだろうか? 
身に寸鉄も持たない老人、女子供を、なぜ苦しめるのか?
 英雄的な人民遊撃隊は、どこからともなく現れて、奴らを伏撃し、どこへともなく姿を消す。この遊撃隊が何よりも恐ろしいのだ。大砲を引っばり、機関銃を持っていても、びくびくしている。
 馬家村にきたとき、日本兵一人が知らぬ間に殺され、その腹いせに住民を拷問するのだった。
白昼公然と強盗に入り、小麦を掠奪するのを正義と考え、これが聖戦だと考えた私は、侵略者に反抗し、祖国と故郷を守る正義の遊撃隊を、血眼になって殺し、その目的が達せないので、その魔の手を平和な住民に向けたのだ。
 「よし八路軍の行方をいわないなら、小麦を出せ、どこへかくしたか」なおも拷問が続き、だんだん激しくなった。
 老婆はしわだらけの額を地べたにすりつけて哀願した。「俺あ何も知らねいだ。許してくんな………」
 「何!!‥この糞パパァくたばれ」やにわに泥靴で婆さんの背中を蹴りとばし、「ウー」と気絶させた。住民は一塊になって立ち上がらんとした。銃剣の林は迫ってきた。
 「反抗する奴は皆敵だ。たたき殺すぞ」目をつり1げてどなった。「おれたちは皆百姓だ。何も知らないだ」澄みきった声は村中に響きわたり、入り乱れた騒音を打ち消して、山びこのようにこだまして行った。住民は一つ心になって哀願するのだった。

…‥お前らは何しに中国にきたのか?お前らにもなつかしい故郷があるだろう。おやじやおふくろも兄弟もあるだろう………それなのに、なぜ俺あの村を荒らすのか、俺あの親兄弟を殺すのか、どうして俺あの小麦を取っていくのか、お前らがきてからは、作ったものは取り上げられ、労役でこき使われ、アカシヤの葉や楊柳の葉を食って、やっと命をつないできているんだ。
栄養不良の我が子を目の前にして、どうして小麦を渡せるか。そればかりじゃねい、もし小麦を渡したら、またそれでさらに戟争を継続し、俺あの同胞を殺すのだろう。戦争は反対だ。俺あがなめた今日までの苦しみ、もうこれ以上我慢できねえ、これ以上誰にも受けさせちゃならねえ。八路軍は俺あの救いの星だ、お前らはそれでも人間なのか………死んでもいうものか。

 「何ッこいつ反抗しやがる」私は歯ぎしりして怒った。
血も涙もない、一片の良心もない、この私には正義の叫びも、美しい人々の訴えも、焼石に水であった。
それどころか天皇教がのりうつったこの狂人は、逆上してきた。
 「清水少尉! こいつら一人あて銃剣で刺し殺し、井戸の中に叩きこめ!!」
五十の坂を越えた爺さん、社会のために働いてきた尊い爺さん、苦しみの中で生き抜いたおじいさんを銃剣で刺し殺し、井戸の中に投げこんだ。娘だけは助けてくれ、と死ぬまで我が子の名を叫び続 けたおふくろの胸に、銃剣を刺し、井戸の中に投げこんだ。オカッパをふり乱し、母の名を呼び続けたあどけない六歳の女の子を、井戸の中に投げこんだ。
 「ざまぁ見ろ! 日本軍に反抗する奴は皆こうなんだ」……‥私は煙草をふかしながらうす笑いをした。
 戦争、それは殺し合いだ。
こいつらを生かしておいたら俺の方が危ない。
股肱の臣を殺す奴は、徹底してこらしめよ、見せしめのために徹底的にこの村をやっつけよう。そうしたら八路軍も反抗の手をゆるめるだろう。

 「俺は皇軍だ。神の軍隊だ。東洋の平和=@のために中国に来たのだ」
 「平和を維持するためには、八路軍をやっつけるのだ。八路軍と連絡するものは、皆敵だ。俺のやっていることは 正義″ だ。聖戦≠やっているのだ」。
なんと、盲目な人間程危険なものはない。
 「清水! こいつら皆殺しにしろ!!」血刀をガチャガチャさせながら、部下をつれて南の方へつっ
走った。人を殺したのではまだあきたらず、家までも焼き払おうというのだ。「奈良曹長、この附近に火をつけろ、確かに地下壕があるはずだ」
 十数棟の民家はみるみるうちに毒火に包まれ、黒煙が上空にただよった。よしッ、これで仇を取ることができた………とばかりに満足げに空を見上げた。澄み切った青空は、にわかにかき曇り、煙は馬家村の上空を覆い、鳥さえも飛ばなくなった。心ある人間ならば、否、良心を持った人間ならば、このありさまを見ることができようか?
 みるみるうちに俺の頭から角が出て、口が耳元までさけてきた。口から赤い血がだらだらと流れ出て、あの獰猛な悪魔になって行った。あれが俺だ!!中尉の襟章をつけた俺はこんな奴だ。初めて自分の姿を知った私は、恐ろしさにわなわなとふるえてきた。

 戦争!!命をかけてやってきたのだ。天皇の命令は中国の人々の生命よりも、自分の命よりも大事なものに考えさせられた俺だった。なんと盲目だったのか?……‥
 そうだ、俺はどうして分からなかったのか、もし分かっていたら、あの美しい人々を殺さずにすんだものを………殺された人はもう生きてこない。胸の中が掻きむしられるように苦しくなってきた。
俺が敵視してきた八路軍、それは俺の本当の救いの親だったのだ。指導員先生も班長さんも、皆八路軍出身の人だ。昔も今も八路軍は人民の軍隊なのだった。
 思えば一九四三年の秋だった。河北省普察巽辺区巽西作戟の時、山の中に赤や青の宣伝文が行軍路上にたくさん落ちていた。その中にこう書いてあった。「君たちはなぜ俺たちと殺し合わねばならないか? 君たちはなぜ異国の地に屍をさらすのか? 祖国の親兄弟は飢えに泣いている。銃を捨て、祖国に帰れ!!」
 「何を! 欺瞞宣伝だ。皆焼き払え、兵隊は読んでだまされるんじゃねえぞ」俺はうすら笑いしな がら怒鳴った。
 俺はどしてあの時分からなかったのか。あのことは本当のことだったのだ。あのことは嘘でも宣伝でもない救いの主の心からの訴えだったのだ。俺は何と大馬鹿者だったろう。

−証言
栃木県 開口 藤治
 私は、「皇軍」 の名を背中に負い、残虐極まる罪を犯した戦争の鬼でした。今その罪行を思うとき、身の毛もよだつ漸塊の念にかられてなりません。
 この戦鬼である私が、管理所諸先生方の崇高なるご配慮と、ご指導により人間性をとり戻し、中国人民政府の寛大な政策により、処刑もされずに祖国日本に帰り、現在老妻と二人平和な生活を送っておりますが、あの馬家村の被害者とその家族の心情を思うとき、その罪の重大さは片時も脳裡から離れることはありません。
そして一生涯どんなことをしてもこの罪の償いをすることはできません。
 私は生きている限り、あの残酷な戦争を再び起こさないために、そして私のような戦鬼を再びつくらないために、真に世界の平和を確立するために私の犯した罪の万分の一でも償うためにつくす覚悟であります。1989・2)
『侵略、虐殺を忘れない』天皇の軍隊P48から



軍隊教育と兵士の人間性喪失
 戦地で残虐行為を繰り返した将兵も、もとをただせば、そのほとんどが普通の一般市民であった。暴力が日常化した戦地・占領地での集団心理が作用したとはいえ、普通の人間をそこまで変えたのは、非人間性をたたき込んだ軍隊教育である。
 彼らも子供の頃は他の国の子供たちと同様、天真爛漫であったが、いったん小学校に入って教科書を習いはじめてから、彼らの中に軍国主義思想がはびこるようになった。

「アジアを征服したければ、まず支那を征服せよ。支那を征服したければ、まず満蒙を征服せよ」という思想が、青少年時代から逐次形成されてゆき、その後陸軍の学校に入ったり、軍務に服するようになってからは、東条、広田などの侵略戦争をそそのかす言論が自分の主導思想となり、ついには軍国主義政策の実行に狂奔し、虐殺するという大罪を犯すに至った。
軍隊教育の影響について、支那派遣軍の情報係下士官のひとりは、次のように証言している。

 「当時の私達には、根強い日本民族の優越感があり、他民族蔑視感がありました。そして、殺人を英雄的行為とみなす残忍な武士道精神があり、又、天皇崇拝の絶対主義によって強者、権力者には絶対服従であり、弱者、非権力者を絶対服従させる非人道的な思想があったからこそ、侵略戦争を正義と考え、平気で鬼畜の行為をやってのけたのです。」

 自国民衆に降伏を許さず、死に至るまでの道づれを強要し、また有効的な戦闘遂行のためには、自らの手で残酷な方法によって彼らを犠牲に供しても、あえて意に介しなかったような軍人たちの精神状況は、もちろん戦争末期にあらわれた狂気でもあろうが、その本質は軍隊教育によってたたき込まれた「軍人精神=ファシストの精神構造」の当然の帰結であった。

以上
沖縄戦における日本軍の横暴とその原因(一部引用)
tp://home.kanto-gakuin.ac.jp/~hirofumi/study411.htm


60数年前のあの侵略戦争で二十歳そこそこの子供を特攻させて生き延びた究極の破廉恥「国体護持」国家は2004年平成の今、年間40兆円もの国債を垂れ流して未来の子供たちを借金奴隷として売り飛ばし続けている。