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軍拡・利権阻止の石井紘基議員はなぜ刺殺されたのか。
2002−10−25


兵士という侵略・殺人の犯罪者は、国家などという在りもしない詐欺の装置に乗せられて、実に好い加減に作り出されていた。
いかなる時代であろうと、ノコノコと徴兵に応じるなどということは破廉恥犯罪なのである。



召集
神戸達雄中佐というかつての〃兵隊製造人″の告白によると、どうやら次のような具合のものだったらしい。

 私が、今ここで、五千人や云人の召集令状を誰にしようと、私の意のままに出来たのだ、といっても、本気になって耳を傾けるものはあるまい。
 しかし事実、やればやれた部署に戦争中私はついていた。
いま「南方で飛行場を建設するため三千人の要員がほしい」と仮定する。私たちの受ける命令は「昭和二年から五年までの徴収年次、未教育二国(第二国民兵)三千三百人、三月一日午前十時××海兵団とこれだけである(三百人余分の召集をするのは、事故病気で即日帰郷組を加算してある)。
 この命令に従い、私たちは××海兵団、三月一日午前十時、とだけゴム判を押した、三千三百枚の無記名の赤紙を用意する。
各地方別に部厚い一冊にとじられた兵籍名将(私たちはこれを「軍名」といった)に、その赤紙を適宜にさしこむ
それをあたかも仕事の早いことを競うがごとくに、処置したものだった。
そしてその結果、赤紙の挟み方に精疎が出来ると、混んだ地方から抜きとってまばらの地方へ廻した。
平均をとるため私たちが無造作におこなうこの操作で、抜かれた人は運を拓いたが、肩替りされたものこそ不運だった。やがて私たちの手によって名を記入された令状は、五時間以内には、間違いなく本人の手に届いていた。!
(『「兵隊製造人」の手記』)




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