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ご隠居〜 あっしがうっかりしてる間に騙されてたんでやんすかねぇ〜八兵衛、お銀、このサイトで勉強することぢゃ          ふぉっ、ふぉ、ふぉ、ふぉあたしもすっかり騙されてたクチだよ、あいつらタダじゃおかないよ!!

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強制連行という造語 / ベトナム戦争と新左翼  / 恩義を蔑ろにする人達 / 辛叔玉の帰化

就職差別事件 / 権利獲得運動と左翼 / 教育問題 / 結婚と家族制度 

北鮮の工作員と大統領狙撃事件 / 歴史教科書事件

灰色文字は補足したものです








215 名前: ぢぢ 投稿日: 2000/06/10(土) 19:19
さて、鮮人の書いたなんとも珍妙な本の話をしておこうかの。

なんという題ぢゃったかの、たしか「朝鮮人強制連行の記録」とい
ったかの。
(朴慶植著 未来社刊)

これが出たのが昭和40年のことぢゃ。

中身はなんのことはない、戦中の徴用動員で鮮人が数多く内地に動
員されたことを少々誇張して書いておるのぢゃが、書いていないこ
ともあっての、当時は鮮人は日本国民ぢゃて、別に鮮人だけが徴用
されたわけのものではない、日本人みんなが兵役やら徴用やらでお
国のために働いておったということぢゃ。

前にも言うたがの、徴用で来た鮮人はたしかにおったし、数もおお
かったのぢゃが、これらはみな戦後の間もないうちにさっさと帰国
しおったでの。

後に残ったのは、戦前から来ておるものか、斡旋で来て家族を呼び
寄せたものか、徴用で来てもあまり大きな声ではいえぬ事情で帰れ
なくなったものぢゃて。

また、いったん帰国してから食い詰めて舞い戻ったものも少ない数
ではないのぢゃ。戦後しばらくは炭坑などでは人手が不足しておっ
たでの。戻っても働き口はあったのぢゃ。

細かいことを言い出せば、この連中は密入国ということになるの。

なにやらの調査では、在日鮮人の一世の1割と少々が、斡旋やら徴
用動員できたものとなっておるらしいがの、戦後のどさくさに密航
してきたものも、ここに入っておることぢゃろうて。

(在日本大韓民国青年会中央本部刊 「アボジ聞かせて あの日のことを」 1988) 

216 名前: つづきぢゃ 投稿日: 2000/06/10(土) 19:20
まさか、正直に密航してきたとも言えんぢゃろうからの。

そもそも、強制連行などという言葉はこの本がこしらえた言葉ぢゃ
よ。この後、繰り返して鮮人どもが使うようになったがの。

何を妙なことを言い出すかと思ったがの、結局は、鮮人が日本に居
残るための言い訳を考えはじめおったのぢゃろうて。

ぢゃが、昭和も40年頃になると、戦前戦中のことなど知らん連中
が高校生やら大学生くらいの年頃になっておったで、この連中がす
っかりとだまされての、なんと無理やり連れてこられて、国に返し
てもらえんとは気の毒にと思い込んだものぢゃ。

まだまだ、日本を目指して経済難民がやってくるようになる遥か前
のことぢゃ、日本人は残留孤児のように凄惨な境遇のものを除けば
みな外地から引き揚げてきたで、鮮人が帰国せんのには、なにやら
悲惨な事情があるのぢゃろうと考えるものがおおかったでの。

なにしろ、戦後生まれの連中はの、鮮人が日本国民であったころの
本当の姿を見ておらんで、鮮人どもは、まんまと「気の毒なひとた
ち」「かわいそうなひとたち」という印象を売り込んだのぢゃ。

なんと言うたかの、団塊世代と後に呼ばれることになった連中ぢゃ
よ。これがまた、あれこれと騒動をおこすのぢゃ。

それにな、言葉もまだ少々不自由な在日鮮人の一世にくらべて、こ
の代の鮮人はもう外見上は日本人ぢゃで、同じ日本人が差別されて
おるとも見られるようになってきたのぢゃの。

218 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/10(土) 22:14
(パクリで資料でごめん)
1946年8月衆議院における進歩党椎熊代議士の質問
題「第三国人の傍若無人な振る舞いに対する措置」
「今なお、内地にあって外国人たる特殊の地位を悪用し、警察力の
無力化に乗じ・・・
我々は遺憾ながら敗戦国民ではあるが、終戦の瞬間まで同胞として
共にこの国の秩序の下に生活していた者が、直ちに変わって戦勝国民のごとく、
しかも勝手に鉄道等に「専用車」と貼り紙を付したり、
あるいは他の日本人乗客を軽蔑圧迫し、見るに堪えざる狂暴なる振る舞いを
もってあらゆる悪逆行動に出てくる事実は驚くべき事実である。・・・・・」
・・・・つまりである。
どうやら当時の朝鮮人は、日本人に対し、戦勝国民(?)としての優越感と、
外国人としての特権を得たため、帰化しなかったようである。
在日は、今となっては、帰国するか、帰化するか、どちらかに決めるべきであろう。




220 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/11(日) 05:57
やっぱ団塊の世代がしでかした愚行のツケを、
今になってもまだ支払ってるって感じだな。
さっさと死んで欲しい>団塊連中。



223 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/11(日) 06:30
じゃあ、どうして在日の人たちは、わたし達がここにいるのは日本人のせいだとか、
うそつくんだろう?
どうして、今だに謝れとか言うんだろう?
本気で言っているのか?そのウソを真実だと信じ込んでいるのか?
あのヒステリーババーのシンスゴみたいのはどっちなんだろう?
あの人の子供の頃の写真見たけど(40年くらい前?)、
あの頃の写真がカラー写真だったって事は、かなり裕福な育ちだよね。
全然悲惨な在日の代表なんかじゃないのに、どうして興奮して泣いたりするんだろう?
やっぱ、坊童話団体みたいに、差別がなくなると職を失うから?


224 名前: >223 投稿日: 2000/06/11(日) 06:35
シンスゴはよくある根っからの左翼型日本人で韓国籍だった
というだけの話です。これ程気持ちイイシチュエーション
もないでしょう。
あの女は本気で軍隊がない方が
いいと思ってるから、建前としての日本は最高だと
思ってる愛国主義者です。日本に軍隊がなくなったら
帰化するとかバカな事思ってるかもしれない。


225 名前: 223 投稿日: 2000/06/11(日) 06:38
>224
時々、あの人が泣きながら恨み節やってる所を見ると、
完全に自分の世界に入ってしまっていて、何というか、
まるでイタコさんのようにも見えるのですが、
あと、ブードー教のトランス状態とか。
あれは、オナニーみたいな物だったのですね。
実家金持ちで、おまけにアニキはヤクザで、何の苦労もなかったのに、
まるで被差別者みたいに振舞うのは、本当の被差別者に失礼とか思うのですが。



227 名前: >225 投稿日: 2000/06/11(日) 09:10
韓国には、シャーマンがまだ現役で存在するそうです。
巫女ってかくのかな?ムーダンとか呼ぶみたい(存在には自信があるけど、名称はちょっとあやふや)。
これは、トランス状態になるんだそうです。
あと、一般人も何かちょっと嫌なことがあると、延々と自分がいかに哀れか調子をつけて語りはじめる
という伝統(文化?)があります。タリョンって言うと聞きました。



229 名前: >227 投稿日: 2000/06/11(日) 09:20
うーん、日本人の感覚だと、そんなに泣き叫んだりするんだから、
本当に酷い扱いを受けたのだなあとか気の毒に思ったりしてたんだけど、
そもそもそういう自己憐憫過剰トランス民族とか、
白髪三千丈何でも大げさ誇張民族とかの言う事を、
自分達の感覚で捉えてはいけないという当然の国際お約束事を、
今まで日本人は忘れていたのかもしれない。
アイリス・チャンとかもそーだが、何でみんな反日は揃ってヒステリーだ?
と不思議だったが、民族の特色なのだと思えば不思議はないような。











235 名前: ぢぢ 投稿日: 2000/06/11(日) 14:51
狐憑きの鮮人のおなごの話かの。なにやら恐ろしげな話題ぢゃの。
ふぉっ、ふぉ、ふぉ、ふぉ

さて、この昭和40年代の話のつづきぢゃ。

昭和40年代はの、ベトナムで戦争がつづいておったころでの、お
若い方にはちと理解しにくいぢゃろが、そのころの日本人のおおか
たは、小国ながらアメリカと五分に戦っておるベトコンやら北ベト
ナムやらに心情的に肩入れしておったのぢゃ。

判官びいきというやつぢゃて。もちろん、政府当局はべつぢゃ、ア
メリカは友好国、同盟国ぢゃでな。

アメリカ本国でも、この戦争は評判が悪くての、あちらではベビー
ブーマと呼ばれる戦後世代を中心に反戦運動などがもりあがってお
ったの。なに、後になって聞けば、今の米国大統領などもしっかり
その仲間であったようぢゃの。

ヘンリーフォンダの娘さんで、ジェーンフォンダという女優さんが
おってな、この人などもベトナム反戦運動をやっておったの。

口元にちょっと特徴のある顔だちでの、日本でも大学生などに人気
があったの。ぢぢの姪娘なども、鏡の前でちょいと口をしかめては
「ジェーンフォンダのまね!」などと言うて喜んでおったわ。

なに、ジェーンフォンダはおろか、ヘンリーフォンダも知らんとな。

ふむ。ま、よいわ。いずれにせよ昔のことぢゃ。




236 名前: つづきぢゃ 投稿日: 2000/06/11(日) 14:52
そんなわけでの、昭和の43年前後はなにやら世界中の若い者が新
左翼ぢゃ、ニューレフトぢゃと浮かれ騒いでおったのぢゃ。

この新左翼ぢゃ、ニューレフトぢゃと言うのはな、ロシアは嫌いぢ
ゃが、共産主義は支持するといういささか身勝手な理屈でな、ベト
コンやら北ベトナムやらに肩入れしおったものぢゃて。

そのついでというか、北朝鮮もアメリカと戦うアジアの小国という
ことで、なにやら分からぬままに良い者にされておったのぢゃよ。

おかげで、昭和が終わる頃まで、北鮮を支持する日本人もけっして
少なくはなかったのぢゃ。

これまた、大きな勘違いというやつぢゃの。

結局、昭和50年に北ベトナムがベトナム全土を制圧して、統一を
果たすことになるのぢゃが、ベトナムの次は朝鮮の番ではなかろう
かと噂するものも少なくなかったで、このベトナム戦争のなりゆき
を横目で見て、朝鮮籍に留まった鮮人もかなりおったのぢゃ。

いまでは、なにやら、朝鮮籍は北鮮の国籍やら北鮮支持のことでは
ない、などと都合のよいことを言うておる鮮人もおるようぢゃがの、
なになに、有り様を言えばしっかりと北鮮支持だったか、日和見を
決め込んだ鮮人どもぢゃよ。

日本政府は北鮮と国交はないで、北鮮の国籍というのも認めてはお
らんから、朝鮮籍は朝鮮出身の無国籍扱いというだけのことぢゃ。
いつもながらの都合の良い理屈と言うやつぢゃの。

237 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/11(日) 21:10
イージーライダーなら知っとるぞい。
チョンどもは自分でついたウソをこねくり回してるいるうちに、
自分らでもわけがわからんようになったんかいな。


259 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/12(月) 19:04
おーい、みんなー、あんまり張り切るとぢぢ様が出ずらくなるぞ。
ぢぢ様あげ!










260 名前: ぢぢ 投稿日: 2000/06/12(月) 20:56
> 259
ふぉっ、ふぉ、ふぉ、ふぉ
なにやら、気を使ってもろうておるようで、すまんことぢゃの。

> 237
> イージーライダーなら知っとるぞい。
おうおう、そうかそうか、話が少し噛み合ってきたのう。

ぢゃが、イージーライダーはの、娘のジェーンフォンダではなく、
息子のピーターフォンダのほうぢゃよ。

考えてみれば、あのころに「夢は夜ひらく」を歌っておった藤圭子
の娘が歌手になっておるくらいぢゃ、そろそろヘンリーフォンダの
孫あたりが映画界に登場しても不思議ではない時期ぢゃが、はて、
はたして孫がおったかの。

ま、ぢぢの好みとしては、同じ「夢は夜ひらく」でも、ひとつ前の
園まりのほうが少々お色気があって良かったがの。

はて、なんの話をしようとしておったかの。おお、そうぢゃ。

永住権やら韓国籍の話が出たついでにの、ひとつ、お話しておかに
ゃならんことがあるでの。

昭和41年からの、日韓両国の協定による永住権を取得するように
説いてまわった日本人に、池上努というお方がおっての、この人は
当時法務省の役人ぢゃった。

口は悪いが、鮮人の法的地位の向上のために努力したお人での、こ
の協定永住権についても実現のため奔走したはずぢゃ。


261 名前: つづきぢゃ 投稿日: 2000/06/12(月) 20:57
で、この永住権取得のための説明にな、まず、国際法の原則から、
永住権を持たない外国人は居住国の政府が「煮て食おうと焼いて食
おうと勝手」なほどに無権利な立場にあるのぢゃから、このまま日
本に住みつづけるならば、ぜひとも永住権を取得して、できれば国
籍も取得して法的な立場を確保するようにと説いたのぢゃ。

この言葉尻をとらえての、北鮮系の鮮人は、やれ妄言ぢゃ、在日鮮
人の人権を認めようとしない悪党ぢゃのなんのと騒ぎおっての、す
っかり大悪者にしたておったのぢゃ。

なにやら、味方をしてもらったはずの民団の連中まで、尻馬に乗っ
て悪口雑言を吐く始末ぢゃて。鮮人がみな帰化してしもうては、自
分等の商売があがったりぢゃからかの。

どうも、鮮人には恩義のあるはずの相手を悪し様にして、後ろ足で
砂をかけるようなことをする悪い癖があるようでの。

個人的には尊敬しているなどと言うのに、集団になると、ボロクソ
にくさすのぢゃ。

遡っては、明治の頃の福沢諭吉先生の例もあるの。

福沢諭吉先生はの、およそ朝鮮人と聞けば満腔の同情を惜しまなか
った、と形容されるほどの鮮人びいきのお人での、朝鮮開化派の金
玉均に肩入れしたあげく、クーデター用の武器を斡旋した疑いで、
警視庁に呼び出されたほどのお方なのぢゃよ。

当時の福沢先生は無位無官とはいえ、歴代政府の高官が日本の知恵
袋と仰ぐお方ぢゃて、ただの疑いなどで呼び出せる相手ではあるま
い、おおかたは「先生、おやめください」との圧力ぢゃの。


262 名前: これもぢゃ 投稿日: 2000/06/12(月) 20:58
そもそも、あの「脱亜論」はの、日支鮮の三国が共に手をたずさえ
て近代化をなしとげ、西欧の帝国主義に対峙しようと考えておった
先生がな、開化派仲間と信じていた清国は北洋軍閥の軍事介入と朝
鮮自身の事大派、旧守派の反撃で、金玉均などの朝鮮開化派の改革
が潰えたのを見ての、当時の東亜細亜の軍事大国であった清国を軍
事的に打倒せねば、もはや事はならぬと観念しての言説ぢゃて。

それを何やら、朝鮮侵略を唱えた福沢諭吉を一万円札の絵柄にする
のは朝鮮人を侮辱しているなどと、おこの沙汰を言いたてる鮮人が
おるわ。

最近の例では、例の慰安婦に肩入れした東大の和田春樹やら高木弁
護士の例もあるの。これは皆も知っておろうから、詳しくは言わん
が、樺太の在留鮮人のために、何の見返りもなかろうに、あれだけ
奔走して、あの始末ぢゃて。

どうも鮮人に親身になって肩入れした日本人は、最後には煮え湯を
飲まされるものがおおいようぢゃの。

なんとも困った癖ぢゃ。

そこにいくと、支那人は人たらしが巧ぢゃて、腹の奥底でどう考え
ていようと、恩義のある相手には何があろうと礼はつくすでな。

失脚した田中角栄を歓待した周恩来やら、日本に来て、あれだけあ
ることないこと悪口雑言を並べた後でも、魯迅の恩人、藤野先生に
きちんと言及した江沢民を見れば、その差が知れようて。

ふむ、ちと、脇道にそれすぎたかの。

264 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/12(月) 22:11
>個人的には尊敬しているなどと言うのに、集団になると、ボロクソ
にくさすのぢゃ。

恩知らずの人でなしってことだな。
自分がない、集団、特に身辺の雰囲気にに強く埋没してしまう癖がある。
おっと、日本人もって言うなよ、日本人は表面上そうするだけね。
チョンは桁外れにその傾向が強いって理解していいのかな。しかも
自覚がない。



268 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/13(火) 00:52
んー、徴用で来た鮮人は、終戦でほとんど帰国したと、残った人で筋のいいのは
さっさと帰化したんだな。
 じゃー、今いる在日は、ほとんど半島食い詰め一旗組とその子孫じゃねーか。
なーにが、強制連行で来たくないのに連れて来られたじゃ、嘘つきが。
 それで、敗戦国民はいやだって、三国人で暴れまわって、一部は地上天国に
昇天あそばしたんだな。内戦でズタボロになった半島を尻目に、敗戦国日本は
いつのまにか経済大国、あの時帰化していればよかったものを、せっかく帝国
臣民の一人だったのに。
 目先の利益を追いまわして、裏目。
 その場その場で自分に都合のいい嘘をついて、袋小路。
 だれが味方か分からずに、めくら撃ち。
もー、同情通り越して、近づきたくないね、呪われてんじゃねーか>鮮人



270 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/13(火) 05:17
日本では朝鮮人は自らの学校を作れます(日本から援助金
が出てるかな?)新聞を作れる、金融機関を作れる
社会補償制度は全て適用される。果して韓国でもこのような
事を認めていますか?認めていない筈なのでこうやって反論
して下さい。

ないのは国籍と選挙権だけ。国籍を意地でとらない人が
いるのが事実。

やりたい放題のくせに、まだないものねだりしてます。
これで選挙権が付けば日本人以上の特権階級です。

韓国朝鮮系の金融機関を助ける為に日本人の血税
が何兆と使われてる筈。経営責任がうやむやなのは
日本の銀行も同じだが。


271 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/13(火) 05:29
和田春樹・・・・・この人もさすがに
慰安婦基金の対応では呆れてましたな。
この人も嫌韓予備軍か?人の好意を踏みにじって
恩を仇で返されたようなもの。

しかしあの人はあくまでも朝鮮は日本より遅れた
可哀相な国と憐憫に思っているから、大いなる
寛容でもって受けとめようと、さらに泥沼に
嵌るんでしょうね。本当に朝鮮人を見下してるのが
ああいいうタイプ。



276 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/13(火) 18:33
ぢぢさま
ピーター・フォンダの娘はブリジット・フォンダです。
「リトル・ブッダ」の主人公の少年の母親役とかやってます。







278 名前: ぢぢ 投稿日: 2000/06/13(火) 20:53
>276
>ピーター・フォンダの娘はブリジット・フォンダです。
>「リトル・ブッダ」の主人公の少年の母親役とかやってます。

おお、そうかそうか、やはり孫も映画俳優になっておったのか。
ぢゃが、母親役とな?

ふむ。かれこれ、30年もたっておるのぢゃから、少年の母親役
でも不思議はないかの。歳月のすぎるのは早いものぢゃ。

さて、話を戻して、昭和45年頃の鮮人どものことぢゃ。

生まれ在所が朝鮮の一世たちについては、実のところ、話は簡単
での、南鮮に帰りたければ、戦後の2、3年の内ならば無料で帰
れたことぢゃし、そうすればよかったのぢゃ。

なにやら主義にかぶれてあえて北鮮に行きたいというのならば、
これまた、用意された帰国船に乗れば良かったのぢゃ。これも無
料ぢゃったでの。

日本に残って、日本人になりたければ、帰化すれば良いのぢゃよ。
そうした者もおったし、韓国籍に切り替える手数を考えれば、帰
化申請をしてもおかしくはなかろうて。

もっとも、帰化するには、ヤクザものなどはだめでの、まっとう
な仕事についていなければならんかったのもたしかぢゃがの。

まずこのころの朝鮮籍の一世にとっては、いずれ帰国するという
のが大きな建前ぢゃから、自分らの子供が日本の企業やら公務員
やらに就職しようなどというのはもってのほかのことぢゃった。


280 名前: つづきぢゃ 投稿日: 2000/06/13(火) 20:54
また、韓国籍に切り替えたものも、日本で韓国人として生活して
いくことをわざわざ選択したのぢゃから、やはり子供が日本の企
業やら公務員やらに就職することなど考えておらなんだ。

ところがの、当の二世たちにとっては、こりゃ深刻なことでの、
同世代の日本人が企業や役所へ就職して、カタギの職業に就いて
いくのに、なんで自分たちはだめなのかと、そりゃ親がきめたこ
とで、自分達自身ではそんな選択をした覚えはないでの。

ぢゃが、それが気に入らんということであれば、本来ならば自分
の親を恨むのが筋というものでも、そこは情として、なんでも日
本の社会が悪い、差別ぢゃと決めこんだのぢゃ。

実のことを言えば、成人後に親に黙ってそっと帰化しようとした
二世も少なくはなかったのぢゃよ。

ぢゃがの、このころの日本の法務当局はな、なるべく一家で帰化
することを薦めておってな、それがだめでも、なるべく円満にと
いうことで、親が絶対反対などというのでは、よほどの事情でも
なければ、なかなかのことぢゃった。

帰化の手続きは個別事例対応で、裏に基準はあっても公表する訳
ではないでの、帰化しそこなってヤケになったような連中はあれ
これと吹聴するが、さて、実情はどんなものぢゃろうか。

ちとこれよりもだいぶん時期が後のことになるが、すっかり有名
になった辛叔玉という鮮人のおなごがおるぢゃろ。

あれも一人で帰化しようとして、失敗した口ぢゃよ。


281 名前: これもぢゃ 投稿日: 2000/06/13(火) 20:56

本人は、帰化後の名前を辛叔玉にしようとして、断られたと言っ
ておるがな、新山節子ぢゃったかの、もともと通名で社会生活を
送っているものが、急に本名で帰化したいなどと言っても相手に
されんのはあたりまえぢゃが、本当のところの理由は知らんの。

今なら、普段使っている辛叔玉のまま帰化したいと言っても法務
局も真剣になって相談にのるぢゃろうが、さて、本人がのう。

いや、また話がだいぶんに脱線したかの。

この、鮮人の二世どもの就職をめぐる話は、またつづきのことと
しようかの。
279 名前: >270 投稿日: 2000/06/13(火) 20:53
>社会補償制度は全て適用される。
間違ってます。生活保護法の適用は受けれません。
国民年金法や、国民健康保険法の適用が在日外国
人にも開放されるようになったのも80年代以降です。
いずれも国際社会の圧力によってです。
要するに先進国の中でも、一二を争う人権後進国です日本は。

282 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/13(火) 21:08
日本で生まれた子供に国籍選択権を認めてないから
帰化するしかないらしい。
在日の人はこの「帰化」という響きに嫌悪感を覚える
人が多いと聞いたことがあります。
その言葉には「天皇に帰依する」という意味が含まれて
いるらしい。(ここらへん詳しくないです)
でも同化か排除かっていう論理は極端だと思う。
外国人として生きる権利を認めようとしない日本社会
は、歪んでいると思います。私自身としては民族や
国家にアイデンティティーを求めることに否定的で
すが、保障されるべき権利だと考えています。



284 名前: 270じゃないけど 投稿日: 2000/06/13(火) 21:52
>279
へんなところに、またインチキなのが挟まってるな。
>生活保護法の適用は受けれません。
ってだれのこといってんの?
普通の外国人(観光ビザ、修学ビザetc)はダメなのあたりまえでしょ。
食いつめたら、強制送還だもの。
普通に在日って呼ばれる永住権を持っている人たちは対象者でしょ?
いいかげんな嘘を垂れ流すんじゃねえよ!
この腐れサヨ!



285 名前: >282 投稿日: 2000/06/13(火) 21:59
>外国人として生きる権利を認めようとしない日本社会
だからさ、外国人のどこが日本社会から排除されてるっていうわけ?
具体的に言ってよ。
普通に暮らしててなんか問題あるのかい?
例の、まだ選挙権がありませ〜ん!てのか?


288 名前: >282 投稿日: 2000/06/13(火) 22:33
>その言葉には「天皇に帰依する」という意味が含まれて
>いるらしい。

こんな難癖にいちいち付き合えるか、日本も天皇家も在日のために存在
してるんじゃないぞ。




296 名前: シンスゴ・・・ 投稿日: 2000/06/14(水) 09:45
あの恨み節は、日本人に帰化できなくて憎さ100倍ってやつだったのか。
アレだね。振られた男にいつまでも未練があるけど素直になれないって奴?




305 名前: >299 投稿日: 2000/06/14(水) 15:00
国籍だけにしか自己のアイデンティティを見出せない在日には、
憐憫の情を覚える。
それだけならいいが、このボーダーレス世界で実に非常識なその感覚を、
当然のように主張し、ひいては日本の政策を悪し様の罵る姿は、
醜いと感じざるを得ない。日本は名前を押し付けると激怒し、
日本人には読めない珍妙な名前で通していた同じ人間が、
アメリカでは平気で「ジョン」と名乗っている。
平気で国籍を得ようとしている。
なぜ日本に対してだけ構えるのか?
なぜ構えねばならない国に固執するのか?
それは、日本が彼らにとって美味しい社会だからに過ぎない。
彼らの、無知で傲慢で幼稚な主張を聞いてくれる人は日本にしかいないからである。


306 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/14(水) 15:02
シンスゴがウオナビー日本人失敗組だった事や、
自分達が強制連行の犠牲者でなかったって事がバレて、
相当焦ってるな。
ぢぢさま、続きお願いします。



308 名前: >282 投稿日: 2000/06/14(水) 15:09
君は日本語をちゃんと理解してるの?
アメリカやフランスの国籍を取得することを帰化するって言わない?
アメリカに帰化することを天皇領アメリカ国で天皇に帰依する、とい
う意味だと日本人は考えてるとでも言いたいのかい?
金達寿あたりの影響なのかもしれないけど、古代と現代では同じ言葉
でも意味が違ってくるのが当たり前。第一あの人は渡来人という曖昧
な言葉を使って、古代日本文化を朝鮮文化に還元したかっただけ。




316 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/14(水) 15:21
僕も最終的には民族教育なんていらないと思う。
言語は単一のほうがええやろ。
でも在日朝鮮人などのマイノリティーの権利は認めることは重要
やと思う。抑圧されている人たちの権利も保障できんで変革しよう
なんて欺瞞です。



318 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/14(水) 15:22
>310
だからさあ、外国人でもいいけど、国民と同じ権利を主張されちゃ困るのよ。
別にあなたが外国人のままでも誰も全然構わないよ。
ボーダーレスだと思うなら、どこでも好きな所に行けばいいんだよ。
でも、外国人のままだったら、どこでも扱いは日本以下だけどね。




321 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/14(水) 15:27
なんで韓国人って欧米では簡単に帰化するのに、
日本での帰化に異常に拘るの?同化政策だって、みんな仲良くって意図で、
別にあんたらが心の中で韓国人の気持ちを持ってたっていいのに、
やたらに非難するしさあ。それって差別じゃん。

>316
誰が抑圧されてんの? 国籍で区別されてるだけじゃん。
どのガイジンも同じ扱いどころか、在日は優遇されてるんだよ?
犯罪しても、日本は彼らを強制送還できないって何なの?
朝鮮の銀行に政府が補助金出すって何なの?
そういう事は無視するからねえ、在日さんは。


322 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/14(水) 15:27
>316
>抑圧されている人たち
抑圧だと喚いてる奴ならいるが、現在における不当な抑圧の具体的な事例は何?



324 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/14(水) 15:32
>320
将来日本とどこかの国で何かあった時に、
日本の国益よりそっちの国の国益を優先するような人には、
国民としての権利を与えないのは当然の事。
当然、日本人でもそういう連中もいるだろうが、
帰化は、便宜上、日本の国益を優先しますよという意思表示。
嫌ならその人より日本の国民が優先されて当然。
どこの国もそうだと思うけど、違う?
差別差別って喚く人は、海外で実際にガイジンとして暮らした事ないんじゃない?
ドイツではどうだとか、スエーデンではどうだとか、
左翼お得意の都合のいいとこ取りの人権対策と比較した日本の非難か何かを
真に受けてるだけで。



326 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/14(水) 15:42
>322
例えば外国人登録証の常時携帯義務でしょうか。
提示を拒否したら逮捕、不携帯の場合は行政罰で10万円以下の過料。
99年に法律が改定されて刑事罰から行政罰に変わった。
悪名高い指紋押捺が特別永住者に限って廃止されたのは92年



329 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/14(水) 15:48
>326
ああ?普通に生活していてそれで逮捕された人っているの?
アメリカのある州でも、身分証(外国人の場合はパスポート)持ってないと、
浮浪罪とかで逮捕されちゃう所があったけど?
ガイジンの指紋押捺も、アジアでやってる所ありますよ?
自国民に対してやってる国すらありますよね。
悪名高いって何じゃそりゃ。
「これじゃあまるで、犯罪者扱いだ!!」って、
犯罪者に対する差別発言を平気で主張してた運動ですね。
自分達は嫌だけど、犯罪者ならいい、他の外国人ならいい。
と、いう在日の自分勝手ぶりが炸裂していてステキでした、はい。



331 名前: 329 投稿日: 2000/06/14(水) 15:54
ちなみにわたしは指紋押捺廃止運動に参加していました。
在日の人が、本当にマイナリティーの人権向上のために、
人権的見地からあの運動をやっているからだと思ったからです。
ところが、彼らのほかのアジア人に対する差別意識と、
特権意識のような物を垣間見ただけでした。
彼らは、自分達だけが特別扱いされても当然と盲信している、
いやらしい人間なだけだけでした。
以来、在日の地位向上の運動にはこれっぽっちも助力しようと思いません。




366 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/15(木) 22:08
ぢぢさんの話の続きを聞きたいな。とってもわかりやすいし、勉強になる。お願いいたします。


367 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/15(木) 22:24
人権という概念自体が欧米で作られたものだよね。
もちろん人権は守らないといでないけど、どうしても欧米の立場や
価値観から判断されすぎる面が出てくるように思うけどどうなんだ
ろう。



368 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/15(木) 23:03
ぢぢさま待ちage


369 名前: >300 投稿日: 2000/06/15(木) 23:40
すみませんが、肥後ズイキって何なんですか?
教えてもらえないでしょうか!
よろしくお願いします。






370 名前: ぢぢ 投稿日: 2000/06/16(金) 00:03
みな、梅雨時ぢゃというに、元気がよいのう。
>369
これこれ、そのようなやくたいもないことを大声でたずねるでな
い。知りたければ、辞書でもなんでもそっと調べればよいぢゃろ
うて。

>366,368
そろそろ皆も年寄りのなが話にあきてきたと思うたに、まだぢぢ
の話を聞いてやろうというお人がおるのかのう。

では、少し長くなるが昭和45年頃の鮮人の二世どものことぢゃ。

このころの朝鮮籍にせよ韓国籍にせよ鮮人の一世にとって、自分
らの子供が日本の企業やら公務員やらに就職しようなどというの
はもってのほかのことぢゃったというところまでは話したの。
また、当の二世たちが、同世代の日本人と同じように企業や役所
へ就職したいと考えはじめていたこともの。

実はな、鮮人が考えていたこととは、当時の日本の企業、特に大
企業などにとって、事情は違ってきておったのぢゃよ。
そのころの企業の採用担当者からすれば、まず、従業員の採用に
あたっての差別問題といえば、部落問題への対応やら障害者の雇
用率の達成などに頭が向いておったのぢゃ。

鮮人の採用などは、入りたいという者がおったらば、組織内で円
満にやっていけて、妙な係累なぞがなく、企業にたいする忠誠心
や仕事の能力が見込めればよい、といった程度の意識しかないで
の、なにしろ、昭和も48年の石油危機までは好景気でどこも人
手不足ぢゃで、数を集めるのでやっとだったのぢゃよ。


371 名前: つづきぢゃ 投稿日: 2000/06/16(金) 00:11
差別もなにも、部落と違って書類を見れば日本国籍でないことは
明白ぢゃでの、あとは本人の資質の問題ぢゃった。実際に、この
ころから普通に企業に採用される鮮人は出てきておったのぢゃ。

ぢゃが、鮮人の中で勉強に才能のあるものは、まずみなが医者を
目指すような時代ぢゃて、その他の並みの鮮人は自分を売り込む
ほどの才能やら技能に自信があるわけでもない。

これは今でもそうぢゃが、従業員の採用などというのは、採用す
る側の胸先三寸ぢゃて、あれこれ考え悩むのは無理ないて。

そこでの、韓国籍であることを隠して企業の採用試験を受験する
ものが出てきよったでの。

なんとも思いきったことをするものぢゃが、採用試験に合格した
あとに書類を提出する段になって揉めての、履歴書に虚偽の記載
をしたという理由で採用取り消しになったのぢゃ。

この採用取消を争って、裁判になったのが、日立就職差別事件と
呼ばれる事件での、昭和45年の暮れのことぢゃよ。

この騒ぎに相乗りしたというか、そもそも騒ぎにしたのが、べ平
連ぢゃったかな、新左翼のなんのと浮かれておった連中での、革
命がどうしたこうした、というような夢物話は昭和の45年頃に
はつぶれておって、後は先細りぢゃったから、今度は人権がどう
の環境がどうのと自分は安全なところから他人をつるし上げるこ
との出来る話を探しておっての、この話にとびついたのぢゃ。

この話はまだまだだいぶんに長くなるでの、つづきはまたのこと
にしようの。

372 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/16(金) 12:10
ぢぢさん。もっと続けて。もう中毒だ。


373 名前: やっぱ 投稿日: 2000/06/16(金) 12:13
団塊世代の負の遺産だったのか>今日の在日問題



374 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/16(金) 12:16
やはり当時は、夢の社会主義の時代だったから、その夢に酔ってしまったんだろうな。いまだによいから覚めていない人がいるから怖いけど。


375 名前: >374 投稿日: 2000/06/16(金) 12:29
半分くらい酔いから覚めてはいるようだ。
でも、当時反日こそが正義だと信じていた心はなくしていない。
だから今だに社会や権威のすべてを否定する。
彼らの救えない所は、否定した物に代わる物を何ら生み出していない事だ。
現代の若者が、何も信じられず、希望も見出せず、荒れるのは当然。
社会という集合体で生活していく人間には、必要な物だってあるのだ。
何か、あの人たちって紅衛兵が年取ったって感じか?


376 名前: >猫目 投稿日: 2000/06/16(金) 14:49
貴重なご意見有り難うございます。たいへん参考にな
りました。私自身、非常に勉強不足ながら発言させて
もらっています。
確かに今の在日および韓国国内での反日教育は若
干行き過ぎのように思えます。私は、よく民族学校の
見学会に参加するのですが、総連系の学校の教室
には金日成、金正日の顔写真が張ってあり、正直言
って異様な雰囲気です。
私は現在の北朝鮮の政治体制を支持していませ
んし、民族学校の個人崇拝的な点も評価できるもの
ではないと考えています。
だからといって民族教育を受ける権利を剥奪するべき
とは考えませんし、現在の日本において民族教育を
行う環境は好ましいものではないと思います。
ご存知の方も多いと思いますが、学校教育法第一条に
基づくいわゆる一条校と認められていないため、
文部省の援助がなく、学校は学費でのみ運営され、
その父母に多くの負担がかかること、国公立大学への
受験資格が無いこと、などの問題点があります。
大阪の学校には民族学級というものが設けられ、
日本の学校に通いながら、民族教育が受けれる学校
もありますが、少数です。
私は日本人なので学校で日本語を習って、日本の歴
史・地理を勉強することを当然のように思ってきました
が、在日の立場に立てば日本社会で生活していくなか
での中で自らのアイデンティティーを確立するために
も民族教育を受けたい、というのは自然な感覚だと思
います(あくまで主観です)。
日本社会には他民族の存在を認めず排除しようとす
る性質が多分あると思います。
私はそのような考えに反対です。様々な民族や文化
が存在し、それが対等な関係で結ばれている社会。
私はこのような社会が実現すれば素晴らしいと思っ
ています。
以上、まとまっていない考えですが述べさせてもらい
ました。





377 名前: >376 投稿日: 2000/06/16(金) 15:22
> 日本社会には他民族の存在を認めず排除しようとす
> る性質が多分あると思います。
 例えばアメリカでは、どの民族の人も平等にアメリカ人になるため
の教育を公教育で受けることが出来ます。公立学校の教室には星条旗
が飾ってあり、アメリカ的価値観の教育が行われているわけです。
 日本の教育をみると、この点に関しては、アメリカ同様平等が保証
されています。どこの国籍であれ、日本公立学校に入学し、日本人と
しての教育を受けることが出来るのです。
 民族教育の様な特殊教育に関しては、アメリカにも日本人学校が
ありますが、これは授業料によって運営される私立学校であって、
アメリカの連邦政府から援助金はでないわけです。
 この点も、日本と同じです。
 もちろん、民族教育を受ける権利はあると思います。
 そして、その権利は何ら侵害されていません。(事実民族学校が
存在し、日本の公権力からなんの干渉もされてないでしょう?)
 大検を憂ければ、日本の国公立大学にも進学できるのです。
 というわけで、日本の今の制度のどこに問題があるのか、私には
全くわかりません。
 日本人が、他民族とつきあうのが苦手だというのは、私も賛成です
が、今の日本の学校制度は、これとは全く関係なく、何の問題もない
ですよ。



381 名前: >376 投稿日: 2000/06/16(金) 16:17
>民族教育を受ける権利を剥奪するべき
おきまりの文言だが、どこからコピペしてきた?
>学校教育法第一条に基づくいわゆる一条校と認められていないため、
民団系の学校は一条校指定を受けている。一条校と認められない理由
があるからだろ、不当に認めないとでも?だいたい一条校指定を受ける
ための努力なり意思があるのか?
>文部省の援助がなく、学校は学費でのみ運営され、
>その父母に多くの負担がかかること、国公立大学への
>受験資格が無いこと、などの問題点があります。
ウソつくなよ。少なくとも地方自治体の補助金がでてるだろ。
一条校でないのだから何の問題もない。











384 名前: ぢぢ 投稿日: 2000/06/16(金) 17:30
>372
これこれ、あぶないことを言いだすでない。

ぢやが、聞いてくれるというならば、つづきをお話しよう。

時代の風潮もあっての、当時の二世には韓国籍であっても左翼か
ぶれが多い上に、日本で生まれて言葉から衣食住まで、三世、四
世のように頭のてっぺんまでも、とはいわずとも、首まで日本文
化に浸かっているのに、それでも国籍は日本ではない、という境
遇にの、少々性格がひねくれてしまった者もおおいのぢゃ。

鮮人の悪評判やらわけのわからん立場などというものは、先代の
連中が作り出したものぢゃで、まだ高校を卒業するかしないかく
らいの若者にとっては、さぞ不条理であったろうて。

ぢぢなどはな、この当時のひとりひとりの鮮人の少年達にはむし
ろ同情するくらいぢゃよ。
もっともこの当時の少年もいまでは50のむさいオヤジぢゃで、
面とむかえば、いまではあまり同情する気もおきんぢゃろがの。

さて、差別ぢゃと訴えられた日立はびっくりしての、正面から永
住権を持つ鮮人であることを前提に受験したのならともかく、履
歴書に嘘を書くような人物は信用できんと採用を取り消したのに、
在日鮮人は差別されているから、履歴書に嘘を書いてもよいのだ
と訴えられ、おまけに、一審で負けてしまったでな。
(昭和49年、横浜地方裁判所)

日立にすれば、理不尽な話ぢゃが、従業員10万人の大企業で、
世界を相手に商売しておるのに、実際の内容はともかく「民族差
別の日立」などと宣伝されては信用に傷がつくで、泣く泣く上告
を諦めてこの鮮人を雇ったのぢゃよ。


385 名前: つづきぢゃ 投稿日: 2000/06/16(金) 17:31
あとは、解雇するわけにもいかんで、そのままぢゃ。いまも勤め
ておろうかの。

いまでも、民団などの鮮人団体は「日立就職差別事件」やら「日
立民族差別事件」という呼称を使っておるわ。
ぢぢなどには、現に勤めておる会社の信用を貶める言辞をやめよ
うとしない、この鮮人どもの感覚がわからんの。

さて、この裁判に思いがけず勝ってしまったことが、はたして吉
ぢゃったか、凶ぢゃったか、判断のむずかしいところぢゃ。

そもそも、日本の企業に入れてくれという裁判を起こすことや、
たとえ共産党ではないにせよ、どう見ても左翼の連中と付き合う
ことに、韓国籍の親たちは反対しておったからの。

裁判に勝ったおかげで、このあと、韓国籍の増えた在日鮮人二世
や三世の連中と新左翼くずれの人権派が結びつくことになったで
の。

ま、こういった社会運動をやっておったのは、みながみな困った
連中ということではないのぢゃが、こういった運動にもぐりこん
だ左翼くずれは、手練手管にたけておっての。事務局を乗っ取り、
純真な連中に怪しげな理屈を吹き込むもので、すぐに人権運動が
反政府運動やら反日運動にすりかわるのぢゃよ。

これが、今日につづく、対決的な在日鮮人の権利獲得運動のはじ
まりぢゃ。

やれやれ、ずいぶんと話が長くなってしもうたわ。すまぬの。

390 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/16(金) 17:57
ぢぢ様。
今日初めてぢぢ様の投稿を通して読みましたが、感激です。
ご高齢の方が、実感として持ってらっしゃっても、公の場では
口をつぐんでいることを、今の若い者は本当に何も知らないのです。
だから、韓国人に異常に敵意を持つ人がいたり、逆に無制限、無定見に
韓国人の立場におもねる人がいたりするのだと思います。
どうぞ、続けて下さいまし。



400 名前: >392 投稿日: 2000/06/16(金) 19:17
私、噂を聞いてこのサイトを覗き、ぢぢというハンドル名のかたの投稿を通して拝見しまし
たが、この人の記事は、とても図書館の関連書籍を10冊程度読んだくらいでは追い付かな
い内容です。
想像ですが、在日の方でも、断片的に知識としてあっても、これだけ体系的というか、本当
のところをまとめてきくのは初めてなのではないでしょうか。
率直に言って、在日関連の図書は明石書店など、相当に偏向した内容や編集方針のものが多
くて、素直には受け取りにくいものです。
また、反在日的な発言は逆に歴史的な事実関係を無視した情緒的なものの場合が多くて、参
考ならないものがほとんどです。
いずれにせよ、私もつづきを読みたいです。
念のために言っておきますが、普通の区立や市立の図書館にある程度の関連書籍なら私はほ
とんどに目を通しています。



402 名前: >。376 投稿日: 2000/06/16(金) 21:57
民族学校出身者は大検を受けなければ聞く公立大学の入学資格がない。
→日本は差別大国だー!
ていうけどさ
私立大学の多くは大検無しで受験できるってことは言わないのね。



404 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/16(金) 22:35
あの〜、大学院になると、在日って留学生枠でとっても簡単に進学できるんですけど、
なんでみんな黙っているのかな?
すごい逆差別ですよ、これ、知ってる人は少ないのかな。
中曽根内閣の時だったか、留学生10万人計画みたいのを打ち出したけど、枠がなかな
か埋まらなくて、始まったことみたいです。
よく、在日で大学院生みたいな人いるじゃないですか、あれみんなその口です。


405 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/16(金) 22:45
>なんでみんな黙っているのかな?
ってしらなかったよん。で、大学院入学者の何割になるのかな?
国立にだけ適応されてるかな?米国の黒人枠枠みたいになってるのかなあ。


406 名前: >404 投稿日: 2000/06/16(金) 23:09
李青若「在日韓国人三世の胸のうち」草思社にその話が出てますね。
李青若さん自身は、留学生枠でなく、日本人と同じ枠で上智の大学院
に進学したそうですが、先生達に不思議がられたと書いています。
>405
人種枠ではなく、外国からの留学生として扱われるということです。
留学生の枠は私立にもあるようですね。
要は、日本語を練習する必要のない外国人というメリットを活用でき
るということでしょう。
>404
ズルしてる、と見えないこともありませんから、黙っているんでしょう。



408 名前: 6才児 投稿日: 2000/06/17(土) 03:08
あらら、ぢーさん、もう来ないのかしら
それにしてもずいぶん話とんじゃったね。
個人的には、帰国運動当時の岸総理大臣(「自分の名前は
木・子とも漢字で当てることができるし、これを縦書きにすると
李になるな」という発言もあった親韓派)と藤山愛一郎外相との間に
どういう軋轢があったかについても触れてほしかったんだけど、
ま、いーや。

帰国運動のそもそもの発端は、総連最高幹部が北朝鮮からの秘密指令に
よって開いた1958年8月11日の川崎市中留分会の集会で
参加者に金日成に帰国希望を提議させたこと。
これで世論と赤十字が動いて翌年12月に帰国船第一号が出航。


409 名前: 6才児 投稿日: 2000/06/17(土) 03:09
このころの北朝鮮は軍事的にはソ連の、政治的には中国(というよりも
毛沢東主義だな)の影響を受けていたけど、53年のスターリンの死、
56年のフルシチョフによるスターリン批判が金日成体制に与えた
影響は大きかったのね。
1956年の8月の朝鮮労働党中央委員会では、多くの党、政府の高官が
金日成への個人崇拝を批判して中央委員会は大混乱に陥ったのも、
これが背景にあったのは否定できん。
でも、ちょうど、同年、56年10月のハンガリー動乱が起こったのを
見た金日成は、これを参考にしたのか、一気に党内の反対勢力の
粛清を断行を開始して、帰国運動の始まった58年ごろはその
粛清が頂点だったころだね。
(金日成の絶対化が完成するのは1967〜69年にかけて)

あと、1957年という年は、ソ連がスプートニク?号の打ち上げに
成功して、直後のモスクワでの64ヶ国共産党、労働者代表者会議で
毛沢東が「東風は西風を圧する」「米国帝国主義は張子の虎」という
有名なセリフを吐いたり、同年、毛沢東が河南省七里営の農村を
視察してもらした「人民公社好(レンミンコンショーハオ)」が
人民公社運動のきっかけになるなど、結構節目の年だね。
金日成が1958年に始めた「千里馬運動」は毛沢東の「大躍進」
政策のコピーだし。



410 名前: 6才児 投稿日: 2000/06/17(土) 03:13
結局、金日成は、帰国者を、自分達の国はうまくいっているという
プロパガンダに利用するためだけに使ったんだろね。
(当時、経済的にはソ連などの援助で、朝鮮戦争復興事業こそ順調
だったけど、北朝鮮の人民の生活レベルは、日本で虐げられていた
帰国者のそれよりも、さらに貧乏だったし)

関係ないけど、ジェーンフォンダといえば、ピチピチ衣装をつけた、
ロジェ・バデム監督のバーバレラって映画がいいよね。



411 名前: 6才児 投稿日: 2000/06/17(土) 03:16
それと、北朝鮮支持にまわった文化人というと
思い出すのは、「なんでも見てやろう」を書いた小田実だね。
彼は70年代から80年代、北朝鮮支持だったんだよね。
自主・自衛・自立の主体思想をかかげた金日成の姿に、冷戦下の希望を
見ようとしていたのか、ただ単に開発独裁型政権下にあった当時の
韓国の人権抑圧に憤った反作用にすぎなかったのか、彼を初めとした
当時の左派系文化人が北朝鮮支持にまわった本当の理由が何だったのかは、
ボクにはわからないし興味もないよ。
ただ、実際には新興宗教的原理主義のもたらした全体主義体制が既に
完成していた。
小田実はそのことを見通さなかった。
見通したとしても書かなかった。
小田実はこのころの本で「北朝鮮には税金がない。いい国だ。」と
書いていた。人民を動員した強制労働が税の代わりだったのを
知らなかったのかね。
70年代の前半、アメリカ人旅行者として初めて査証を得て北朝鮮を
訪問した中国研究者のH.E.ソールズベリーは、北朝鮮を
「古代的神聖体制の国」といい、平壌を「神殿の林立するその首都」と
評していたんだけどね。


412 名前: 6才児 投稿日: 2000/06/17(土) 03:22
小田実が活動していたべ平連(ベトナムに平和を!市民連合、1965〜
1974)には小中陽太郎、吉岡忍、開高健、あたりがいて、
いわゆる市民運動の元祖みたいになってるけど、結局あれも、
概念が先走りした素人集団だったよね。
ただ、べ平連の下部組織だったジャテックのやった米兵脱走計画は
13人の米兵をスウェーデンなどに亡命させて、当時7ヶ国に23あった
戦争に行きたくない脱走兵を亡命させる組織としては、
一番成果をあげてたけど。

ぢーさんがまた来るかどうかわかんないけど、この際、ぢーさんに
リクエストしとくね。
そこまで、話がいったらのことだけど、1974年8月15日に
朴大統領夫人の陸英修が、光復節の式典会場で大統領暗殺を企てた
在日韓国人の文世光に殺された事件があったけど、
これについて当時、文世光が朝鮮総連の手先だったとか、
東アジア反日武装戦線(1974年の8月30日午後12時45分の
三菱重工本社ビル爆破事件(8人が死亡、385人が重軽傷)に始まる
一連の爆破テロを起こしたグループ)
のメンバーの一人だったとかいろんな説があったらしいけど、
あれって実際どーなんだろね。
じゃ、ボクもう寝ますぅ。



417 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/17(土) 06:21
小田実・・・この人昔北鮮を地上の楽園とか言ってたんでしょ。
で井沢元彦に突っ込まれたら
「そんな事言ってないよ!」
と激怒してた。
井沢が書名も挙げられると責めても
怒りくるって誤魔化すだけ。
駄目だよこの人。己の過ちも認められないような
裁量で国家を語る資格なし、バカ。






437 名前: ぢぢ 投稿日: 2000/06/17(土) 20:38
>400,412
これこれ、なにを勘違いしておられるのぢゃ。
わしはの、ただのぢぢいぢゃ、なにも特別のことを知っておるわけ
のものではない。

天下の機密情報などを存じておるわけもなかろう。物知りなどと持
ち上げられれば、悪い気持ちはせんが、あまりにかいかぶられるの
は、ちとのう。

さてさて、どうせ、本題からはずれにはずれた脱線ついでぢゃて、
このころ朝鮮籍に残った鮮人どものこともお話しておこうか。

朝鮮籍から韓国籍に切り替え、永住権を取得したものが多数派にな
ったあとでも、北鮮を支持するものはまだまだ、4割から3割ほど
も残ったのぢゃ。

少数派になった北鮮支持派の拠り所はの、北鮮そのものの存在と朝
鮮人学校ぢゃったよ。

この連中には、北鮮の選挙権もあり、総連の幹部ともなれば北鮮の
国会議員などに相当する地位にもなれるのぢゃ。
つまり、日本にいながら、北鮮の国民、当人たちは共和国公民と言
っておったが、として日本社会とは経済活動以外はなるべく関わり
をもたずに暮らそうということぢゃろう。

朝鮮人の学校については、戦後間もない頃からあれこれといざこざ
があっての、鮮人どもがそのあたりの公立学校の校舎を勝手に占領
して朝鮮人学校にしてしまったのが発端で、警官が追い出そうとす
ると、何千何万の鮮人が集まって騒いだでの、神戸などでは、進駐
軍の憲兵隊、MPまで出動するような騒動まであったの。


438 名前: つづきぢゃ 投稿日: 2000/06/17(土) 20:38
教育熱心といえば、熱心なのぢゃが、韓国系の学校はごく少なくて
の、韓国籍の子弟の大半は日本の学校に通うことになるのぢゃ。
朝鮮籍子弟であっても、近くに朝鮮人学校がなければ同じぢゃの。

この日本の学校にいった連中はな、通名といって、朝鮮人の本名で
なく、みな日本人風の名前を名乗っておった。
ぢゃから、同じ学校に鮮人が通っておって、教師は心得ておっても、
生徒のほうは知らぬままのことが多かったのぢゃよ。それどころか、
鮮人の生徒もどうかすると、同じ学校に別の鮮人がおってもわから
ぬことすらあったのぢゃ。

さて、朝鮮人学校のほうはといえばの、当時の朝鮮籍の鮮人が立て
前としては、いずれ北鮮に帰国するということになっておったで、
なるべく北鮮の学校と同じ教科や授業をおこない、北鮮の国民とし
ての教育をほどこしておったのじゃよ。

北鮮側の言い様では、共和国在外公民教育とか称しておったの。

今では、民族教育の権利がどうのという論を持ち出すものがおるよ
うぢゃがの、なんのなんの、少数民族の文化継承のための教育など
ではないて、在外公民教育、例えて言えば、米国在住の日本人子弟
に日本国民としての教育をおこなう学校が、米国の教育制度と関係
がないのと同じでの、日本国の教育制度とは縁もゆかりもないこと
なのぢゃよ。

さて、表向きでは、朝鮮人学校で共和国在外公民教育を受け、日本
の政治や社会などには関わることなく、ひたすら、北鮮、いやいや
統一朝鮮に帰国する準備をしていることになってはいたのぢゃがの、
一歩学校を出れば、そこは日本ぢゃ、なかなか、身も心も北鮮人に
なりきるのは難しかったろうて。


439 名前: これもぢゃ 投稿日: 2000/06/17(土) 20:40
帰国船さわぎの、ちと具合の悪いうわさにもかかわらず、北鮮を祖
国ときめこんで朝鮮籍に残った鮮人の胸の内はなかなか推しはかる
ことのむずかしいものがあるがの、一種の宗教と考えればさほど不
思議でもないかの。

ほれ、親鸞聖人が弟子に「いくら念仏を唱えても、早くお浄土に往
生したいという気持ちが湧いてこないのですが」と問われて「そう
か、おまえもか、実はわたしもそうなのだ」と答えたという有名な
話があるぢゃろ。

「お浄土に往生」とは結局のところ死ぬることぢゃで、親鸞聖人様
とて念仏しながら極楽往生は願っても、すぐにお迎えが来ることは
望まぬということだの。

鮮人どもにとっても、祖国統一を祈願して金日成に万歳を唱えるこ
とと、実際に北鮮に暮らすことは別物ということなのぢゃろうて。

なに、親鸞聖人を知らんとな、それはよろしくないぞ。

ぢぢは門徒ではないが、親鸞の事蹟などは心得ておくのが心掛けと
いうものぢゃ。

ふむ。なにやら話が抹香臭くなったか。こりゃいかんの。

あとの話は、またつぎのこととしようかの。


442 名前: ぢぢ様が話された朝鮮人の騒動 投稿日: 2000/06/17(土) 22:26
・24阪神教育事件(1948年4月23日〜25日)
大阪市および神戸市において、朝鮮人学校問題をめぐって在日朝鮮人連盟系約2500名が府県庁を取り囲み、知事以下の上層部を軟禁して暴行脅迫し、多数の器物毀棄行為に出た。このため進駐軍神戸地区司令官より、「非常事態宣言(戒厳令のこと)」が布告された騒擾事件で、検挙者1800名および、首謀者は軍事裁判に付され、一部は国外追放となった。

王子事件(1951年3月7日)
政令325号違反容疑として十条の朝鮮人学校(今の朝鮮中高級学校のこと)を捜索されたとき、これに反対する約1700名が無届集会により解散を命ぜられるや、投石その他で拳銃2丁を奪うなど実力で抵抗した。このとき8名が検挙された。


443 名前: >442 投稿日: 2000/06/17(土) 22:39
でも、この記事の朝鮮人学校問題の中身が「そのあたりの公立学校の校舎を勝手に占領
して朝鮮人学校にしてしまった」ことだっていうのはわからないよね。
あ、この記事紹介がいらないってことじゃないんだけど、なんでそういう説明がないん
だろう。
思うんだけど、阪神教育事件って、在日の間では良いことになってるんじゃないかな。
朝鮮人学校を守る戦いだった、とか。
でも、勝手にそのへんの学校を占領して朝鮮人学校にしてたなんて、今の在日は知らな
いんじゃないか。


445 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/18(日) 01:34
ふと疑問に思ったのですが、大日本帝国支配時代に産み落とされた日朝混血児
というのはあるのでしょうか?
この手の話はまったく聞いた事がないのですが、混血児がいないとも思えません。
誰か教えてください。
ぢぢさまもそのあたりご存知ないですか?




449 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/18(日) 14:27
三国人発言から、それは差別だといった側にとって、知られたくない過去が明らかになったりして、なかなか世の中は複雑ですね。もっともっと情報が欲しい。それらを見てから三国人発言が、差別だったのかを考えればいいわけだから。







450 名前: ぢぢ 投稿日: 2000/06/18(日) 14:36
話の先を続けようかと考えておったのぢゃが、なにやら疑問のある
お方がおるようぢゃの。

>445
>日朝混血児 というのはあるのでしょうか?

勿論のこと、おったよ。ぢゃが、そのような話が特段の問題となっ
たことがあるとは聞いたことはないの。
つまりは、とりたてて話題にするほどのことではなかったのぢゃ。

簡単に混血児などというがの、外見上、日本人と鮮人の混血と普通
の日本人やら鮮人と区別がつくものかの。

ぢぢには、区別がつかんぞ。外見上区別がつかなければ、法律上、
教育上、生活上の問題が残るばかりだの。

まずの、敗戦までは朝鮮も日本国民であったということを忘れては
いかんの。朝鮮と支那はちがうでのう、別に日本が軍事占領してお
ったわけでもなければ、一部にせよ住民と敵対していたなどという
ことは全くないのぢゃ。

ぢゃから、日本人が武力やら権力やらをかさにきて、鮮人の婦女子
に狼藉をしたなどいうことは全くありえんことなのぢゃよ。金の力
でということならば、当時は内地もおなじことであったの。

そもそも、日本人と鮮人の通婚は、皇室が垂範されたくらいでの、
公式に奨励されておったことなのぢゃよ。

当時の日本人と鮮人の結婚は、数は多くはないにせよ普通のことで、
今のような国際結婚などではなかったのぢゃ。


451 名前: つづきぢゃ 投稿日: 2000/06/18(日) 14:37
日本人も朝鮮も家族制度は父系ぢゃで、父親が日本人ならば、子供
は日本人ぢゃよ。尋常に結婚しておれば全く問題などおきようがな
いの。妾、現地妻というような事実婚ということであれば、父親が
認知しておるかが分かれ目ぢゃの。

日本人として生まれておれば、学校もふくめて、並みの日本人以上
に日本人らしく教育されたであろうよ。そういうものなのぢゃ。

逆に父親が鮮人で母親が日本人であれば、鮮人なのぢゃが、どうし
ても日本に帰ろうということであれば、籍を抜いて母親と帰国する
ことは可能ぢゃったろうの。

鮮人の習俗では、腹は借り物というのが日本よりも徹底しておって、
母親の素性などより、父親の家系が重視されておったのぢゃ。

そもそも、南方と違って、当時の朝鮮の良家の子女とあいまいな形
で懇ろになるというのは、風俗的に日本でよりも難しいくらいのこ
となのぢゃよ。朝鮮に夜ばいなどという風習はないでの。

逆に水商売などということであれば、ほれ、公娼制度があったころ
ぢゃ、なにも半素人に手をださずともよかったでの。

男女のことは、人と人がふれあえば、何が起きても不思議はないが、
お考えのようなことは、個別にはともかく、大々的には起きようの
ないことだとお分かりいただけたかの。


454 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/18(日) 18:07
>朝鮮人の学校については、戦後間もない頃からあれこれといざこざ
>があっての、鮮人どもがそのあたりの公立学校の校舎を勝手に占領
>して朝鮮人学校にしてしまったのが発端で、警官が追い出そうとす
>ると、何千何万の鮮人が集まって騒いだでの、神戸などでは、進駐
>軍の憲兵隊、MPまで出動するような騒動まであったの

そう言えば、東京朝鮮中高級学校の敷地って、元々
「東京陸軍造兵廠板橋工場」だった所にあるけど、
これも大方、終戦のどさくさに紛れて不法占拠したんでしょう。


456 名前: 451 投稿日: 2000/06/19(月) 00:05
6歳児さま
レスどうもありがとうございます。
さっそく参考にさせてもらいます。

>ぢぢさま
直々にレスをいただき感謝いたします。
戦前の価値観を考えず、現在の価値観から判断していました。
てっきり戦後、半島に残された日本人の血の入った朝鮮人は
朝鮮動乱の際のドサクサに日帝のスパイなどの名目で処刑等
されたまま、歴史の闇に葬り去られているのではと妄想してしまいました。
お話の途中にもかかわらず、お答えいただきありがとうございました。
これからもいろいろ教えてください。



462 名前: 豚の爪 投稿日: 2000/06/19(月) 09:20

ぢぢ様、
朝鮮にも夜ばいは有ったと思いますけど。

6才児 ちゃん、
>梨宮方子には子供が生めないとかいう噂があったものだから、
>これで、李氏朝鮮王朝の家系はとぎれると、この結婚を後ろで糸をひいて
>いた人達は思っていたラシイけど、

誰もそんなことを思っていなかったと思うよ。

李垠のお父さん(26代 高宗)と25代の哲宗とは16親等以上の関係だからね。
つまり いとこのいとこのいとこのいとこのいとこのいとこというカンジ、

若し梨宮に子が産まれなくとも王家の血筋が途絶えるということことなどありえない。















468 名前: ぢぢ 投稿日: 2000/06/19(月) 20:34
>462
>朝鮮にも夜ばいは有ったと思いますけど。
ほう、そうかのう。あれは南方からきた習俗と聞いておったがの。

それはさておき、昭和40年代から50年頃の朝鮮籍に残った鮮人
の話に戻ろうかの。

何度もお話したように、北鮮の実態がはじめの話の楽園とはだいぶ
んに違うようぢゃと仲間内での評判となってからは、実際に北鮮に
渡ろう、帰国しようとするものはほとんどいなくなってしまったの
ぢゃが、まだまだ、社会主義建設中の祖国という夢は捨てきれんで
の、南北が社会主義のもとに統一すれば、いずれは日本よりも豊か
な社会ができるだろう、などと夢を先延ばしする鮮人も少なくはな
かったのぢゃ。

ぢゃがの、現実は厳しいものでの、永住権申請の期限が過ぎたころ
から、先に北鮮に渡った親族から、やれセイコーの時計を100個
送れのペニシリンを1000個送れなどという手紙が舞い込むよう
になったのぢゃよ。

またの、大きな声ではいえんが、北鮮の対南工作員などもこれらの
鮮人を頼ってというか、利用して浸透してきおったがの、ひとつに
は日ごろの主義主張から、もうひとつには人質同様の親族が北鮮に
おることから、なかなか断れんことであったのぢゃろう。

なに、今でもそうぢゃが、日本にはスパイ防止法などないでの、本
物の工作員が捕まっても大した罪にはならず、ちょいと服役した後
に北鮮に送還されるだけのことぢゃて、スパイ天国と言われておっ
たくらいでの。協力したとて大したこともなかったのぢゃよ。


469 名前: つづきぢゃ 投稿日: 2000/06/19(月) 20:36
さて、北鮮から在日の鮮人に物を送れの、金を送れの話がはじまっ
た裏には、ちと事情があるでの。

日韓条約後に日本からの援助を得た韓国経済の急成長を見て、北鮮
がちとあせっての、自分等も外国からの借款で工業プラントを導入
して対抗しようとしたのぢゃが、もともと近代的な工業プラントの
運営能力や企業の経営能力などありもしないうえに、石油ショック
にぶつかっての、外貨の借金だけが残るはめになったのぢゃ。

もともと乏しい外貨獲得能力しかないところへ、借金を抱えて、必
要最小限の資材を輸入するにも事欠くようになっての、そのしわ寄
せが在日鮮人のところへ来るようになったということぢゃて。

はじめの内は、身内がそれで助かるのなら、祖国が困っているのな
ら、と応じていた朝鮮籍の鮮人もな、たび重なるとだんたんと疲れ
てきての、おまけに指導者の世襲が決まったとなると、まじめな社
会主義者ほど考えこんでな、夢から醒めるものもぼちぼちと出ては
きたのぢゃよ。

さて、一方の韓国政府といえばな、朴正煕という大統領が開発独裁
というやつで、経済的には高度成長を促進しながら、政治的には反
政府活動をゆるさぬということで、左翼はもちろんのこと、日本の
普通の人々からも、ちとやりすぎでは、と見られておったのぢゃ。

そこへ、当時は野党の頭目で、韓国におられんで、日本や米国で活
動していた金大中氏、なんと今では大統領ぢゃよ、が東京で韓国の
工作員に拉致されるという事件が起きての、日本国中、右翼から左
派まで韓国非難で轟々という大騒ぎとなった。ちょうど、石油ショ
ックの年のことぢゃったかの。
(昭和48年、金大中拉致事件)


470 名前: これもぢゃ 投稿日: 2000/06/19(月) 20:37
なにより怒ったのは日本の警察ぢゃったな。ひとの国で断りもなく
勝手なまねをしおったとな。

ここで、あれこれと紆余曲折があったのぢゃが、1年後の8月15
日、韓国では光復節と呼ぶようじゃが、終戦記念日に韓国大統領の
狙撃事件が起きての、大統領夫人が亡くなる大事になったのぢゃ。

この犯人が、韓国籍ながら在日の鮮人での、今度は韓国が日本の責
任ぢゃと声をそろえて非難をはじめおった。

真実がどうであったのかは、藪の中ぢゃろが、韓国政府はこの犯人
の裏に総連と北鮮がおると断固主張しての、日本は総連や北鮮の工
作員を取り締まることを約束させられたのぢゃ。

そんなわけでの、この後しばらく、北鮮支持の鮮人どもで、日本の
警察から北鮮の工作やら諜報活動に関与しておるのではないかと疑
われたものは、韓国籍の者も含めて、外国人登録証の不携帯などの
微罪でも、交番に呼び込まれたり、さらに疑わしいとなると警察に
つかまるようになったのぢゃ。

実際に、この50年の間に表ざたになった北鮮工作員の事件は50
件少々ほどなのぢゃが、このあとの5〜6年、昭和56年までの事
件が十数件と平均の倍以上の割合になっておるの。

結局、割を食うたのは、一方では北鮮から物や金をせびられ、一方
では警察からにらまれるようになった鮮人どもぢゃよ。

すっかり、話が長くなってしもうたの。つづきはまたぢゃ。

480 名前: 早稲坊 投稿日: 2000/06/20(火) 06:51
うーむ。2チャンネル屈指のスレッドだと思います。
ぢぢ様の博学ぶりにはただ驚くばかり。歴史の「流れ」をこういう風に
わかりやすく説明していただくと、関連書を読むときにとても楽になります。
感謝。



483 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/20(火) 20:27
>459

>李氏朝鮮王朝の皇太子の李垠の腹違いの妹の李徳恵も
>たしか、日本人と結婚することになっていたらしい

これはちょっと変。
李徳恵(リ・トクヘ)は1912年に、高宗とその後宮の
梁福寧(ヤンボンニョン)との間に生まれた子供。
李徳恵が日本に連れてこられたのは1925年、彼女が13才の時。
たしかに李徳恵自身も日本行きを嫌がっていたであろうが、
父親の高宗にいたっては、彼女の日本行きを阻止するため、
自分の側近である侍従の息子との婚約話まですすめていた。
もちろんこの婚約話は日本側の意向によってなかったことになってしまう。

李徳恵は日本での生活が合わずに、神経衰弱となり、入院をするが、
病状がもちなおした19才の時に宗武宗(対馬藩主の家系)と結婚。

しかし、再び病気が再発。
精神を病んだ妻と別れたかった夫であったが、戦前の皇室典範では
離婚は認められていなかったため、終戦後に離婚。
李徳恵はひきつづき東京で入院生活を送る。

終戦後、李氏王朝の関係者は李方子をはじめとした、王朝関係者の
韓国への帰国を要請しつづけたが、大統領の李承晩はこれを拒否する。
しかし、大統領が朴正煕に変わると、朴大統領はこれを認め、
これによって李垠と李方子は韓国に。
李徳恵も1962年に韓国に帰国したが、結局、彼女の精神の病は死ぬまで
回復することはなかった。
李徳恵が死んだのは1989年。そのすぐあとに李方子も老衰で死亡。



484 名前: ながくてごめん 投稿日: 2000/06/20(火) 20:28
李垠と李方子の間に生まれた最初の子供は病死(?)で死ぬが、
その後、二人の間には男子がうまれ、その子供はMITに留学。
幼少時の李垠は伊藤博文にずいぶんかわいがられたそうだが、
(伊藤の大磯の別荘に李垠を招いて遊んであげたり、なにかの本で、
李垠と伊藤博文が一緒に馬車に乗り、馬に乗っていたのが
大倉財閥の創始者、という豪華なスリーショットの写真を見たことがある。)伊藤博文が死んだ後は、寺島正宗とはソリがあわなかったらしい。

李垠は日本の軍隊のなかで中将の地位(たぶん)まで昇り、
李方子との夫婦仲もよかった。
ただ、戦時中、ソウルに一族の墓参りに訪れた際、車の中で、
冷ややかに見守る民衆に対してずっと敬礼しつづけた彼の心中、
朴大統領によって帰国が認められたとき、既に体調を壊しており、
ソウルに帰っても病院から出ることなく生涯を終えた彼の心中を思うと、
歴史に翻弄される一人の人間の運命ってはかなすぎると思ったりする。


488 名前: ?1/4?3???3 投稿日: 2000/06/21(水) 11:51
ぢぢさんの投稿で、心にしみた言葉。
>なにやら、日本が気に食わんと騒いでおった鮮人どもも、これでや
>っと落ち着き先が出来たのかと、あまり鮮人に好意的ではなかった
>日本人でも、大いに歓迎したものぢゃ。
これこそ、日本人の実感だよな。
現在も、日本が気にくわんと騒いでいる在日。落ち着き先はないものか....

>それが気に入らんということであれば、本来ならば自分
>の親を恨むのが筋というものでも、そこは情として、なんでも日
>本の社会が悪い、差別ぢゃと決めこんだのぢゃ。
在日は、父母、祖父母と話し合えよっていいたくなることを、
平気で日本のせいにすることが多いからな。


489 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/21(水) 19:25
だから、日本人は「差別的」で日本は「先進国中最下位の人権状況」
でなければならないんだ。在日にとってはね、こいつらのオナニーに
いつまでも付き合うのはごめんだね。
「歯を食いしばって耐えるという矜持がない」by前田日明









490 名前: ぢぢ 投稿日: 2000/06/21(水) 20:30
さて、昭和50年代も中ごろの話ぢゃ。

この頃はな、暴走族やら、なんといったかの、つっぱりなどと言っ
ておったか、不良の高校生などに硬派が流行っておっての、男はガ
クランなどと称するやたらに丈の長い学生服、おなごでもなにやら
長いスカートなどをまとって、マスクなど付け、わざわざペシャン
コにつぶした学生カバンなど持ちあるいておったの。

こうした、硬派の不良高校生にとっては、在日鮮人は畏怖のまとで
の、畏敬すらされておったのぢゃよ。
なにしろ、喧嘩沙汰となったら朝鮮高校は無敵ぢゃったでの。不良
連中は、チョン高などと呼んで恐れておったものぢゃ。これに正面
から挑戦したのは、国士舘高校くらいのものぢゃろう。

そうそう、このつっぱりの連中は、自分達のつかっているつぶした
カバンをちょんバッグ、長いコートをちょんコートなどと称しても
おったの。
このころの不良連中の間では、「ちょん」は強そうで、格好のよい
ものの形容でもあったのぢゃ。

なにやら、かわゆげな子猫にこの不良どもの扮装をさせて写真にと
り、プロマイドにして売ったりもしておったわ。
はやりすたりというものは、こうして過ぎてみると、全くわけのわ
からんものぢゃて。

さて、昭和57年に例の歴史教科書事件というのがおきるのぢゃ。
これについては、皆もよく知っておるぢゃろうから、細かい話はせ
んが、実のことを言えば、当時はの、おおかたの日本人はそれほど
気にしてもおらなんだのぢゃ。


491 名前: つづきぢゃ 投稿日: 2000/06/21(水) 20:31
勝てば官軍という言葉があるでの、戦争に負けたのぢゃから、進出
を侵略と書けといわれてもいたしかたがなかろうとな。
なにしろ、支那はいまだにチベットを「解放」したまま平気でいる
くらいぢゃて、ものは言いようということぢゃろう。

たかが、言葉の使い方ひとつくらいで、周辺国と波風立てることも
あるまい、という程度の心づもりでの、それで気がすむのなら直し
てやればよいとぐらいに考えておったの。

いまから思えば、これが、落ち目になった左翼やら革新派やらが、
政府を困らせようとするなら、支那や朝鮮を焚きつけるのがなによ
りの妙手ぢゃと気がつくきっかけになった事件ぢゃった。

また、韓国政府にも日本相手には支那の尻馬に乗るのが上策という
味をしめさせた事件でもあったの。

岩波書店の世界という雑誌などには、韓国在住のインテリの匿名記
事というふれこみで、しつこく韓国政府や社会を誹謗する連載が続
いておったころでの、まだ韓国の肩をもつ進歩派やら人権派などは、
どこにもおらんようなありさまじゃったでのう。
(T.K生 「韓国からの通信」)

さて、昭和59年には始めての来日韓国大統領として全斗煥がやっ
てきての、ほれ、例の昭和天皇の「まことに遺憾」というお言葉と、
大統領の「不幸な過去は未来開拓の礎」というやりとりがあったの
ぢゃよ。

このころは、どうやら韓国大統領が借金にやってきたなとは知って
いても、揶揄する日本人などおらなんだし、まさかこれが、大統領
が変るたびに繰り返し謝罪しろなどという話の始まりとはだれも思
うてはおらなんだ。


492 名前: これもぢゃ 投稿日: 2000/06/21(水) 20:40
昭和63年のオリンピックに向けたマスコミの好意的な特集記事も
出はじめての、韓国の経済成長とともに、一般の日本人の意識は、
それまでより鮮人に好意的であったくらいぢゃったの。

このあとのソウルオリンピックをめぐる騒ぎは、またのことぢゃ。


497 名前:名無しさん 投稿日:2000/06/22(木) 02:58
ぢぢ様の語っているようなことを正しい歴史教育として日本史の1/3
ぐらい割いてやってほしいものだ。
498 名前:6才児 投稿日:2000/06/22(木) 04:37
ぢーさん、指紋押捺の話はしないノ?
昭和57年(1982年)ていうと、外国人登録法改正されて、
指紋押捺開始が14歳→16歳に、切替え3年→5年ごとになった年ダネ

在日外国人に指紋押捺の義務が定められたのは1952年の
外国人登録法の制定がはじまりだヨネ。
でもこの時は強い反対運動があって、実際に施行されたのは
1955年だったヨネ。

その後も地道な反対運動が続けられていたけど、世論はあまり
盛り上がらなくて、一気にそれが動き始めたのが、
1980年代になってからだヨネ。
(韓宗碩氏の東京新宿区役所での指紋押捺拒否が1980年、
1984年に東京地裁が指紋押捺を拒否した韓宗碩氏に「罰金1万円」
の判決、1985年に2万人をこえる在日外国人が指紋押捺を拒否。)

それともこの話はミンナ知っているからヤラナイダケナノ?

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