子供に対する見方の文化的違いからくる問題 日本とアメリカでは子育ての哲学が異なり、特に子供が小学生で現地校に途中入学された場合は、親子ともどもアメリカの先生の厳しさにびっくりされることがあるかもしれません。私自身、アメリカに来て間もない7〜8歳の日本人の男の子が廊下で先生と向き合わされ、廊下を走ったことで叱られている場面に鉢合わせたことが数回あります。日本の場合は『元気があり過ぎる』とか『腕白である』と微笑ましく思いながらの注意になることが多いと思うのですが、アメリカでは『ルールがわかっていない』と深刻に取られ、授業を中断してまでも注意しなければならない問題になります。大雑把な言い方をすれば、日本では『子供らしさ』が尊重され、どちらかというと、子供の行動に寛容で制限が少なく、子供自身が集団生活のルールの意味を経験から自然に理解し、行動を自ら調節し制限していくのを促します。ですから、年齢が大きくなるにつれて制限が増えていきます。アメリカでは『大人らしさ』の方が尊重され、大人らしさが未発達である子供ほど行動の制限が多く、大人らしさが発達するにつれて制限が解かれていきます。ですから、行動制限の多い日本の高校からアメリカの高校に転入してのびのびするケースが多い半面、日本の小学校生活を楽しんでいた子供がアメリカの現地校に転入して言語の問題以外でも少々息苦しい思いをするケースもあるわけです。
子供らしくふるまう日本人の子供に対し、「甘やかされすぎだ。」と感じていたり、要注意の問題児扱いするアメリカ人の先生もいます。先生によっては子供の行動に関して頻繁に注意事項を連絡してくるかもしれません。異文化に不案内な先生は‘子供が自分の行動を制御できないADHD*の可能性がある’‘親の家庭での子供のしつけに問題がある’と考え、それを示唆しようとするし、それに対して、親も‘先生の子供に対する忍耐力・柔軟性が欠けている’とお互いに個人的な問題として捉らえ、事態の改善がはかられないこともあります。親が「どうしてこんなに小さなことをまるで深刻な問題でもあるかのように騒ぎ立てて、わざわざうちに知らせてくるのだろう?」と感じる場合、個人的な問題というより、子供に対する見方の文化的な違いから来ているケースが多いと思われます。しかし、子供は現地校の社会でも生活していかなければならないので、文化的な違いだからと先生の言い分を聞き流したり反対に子供の言い分を否定したりせずに、子供には場所によって言葉が変わるように守らなければならないルールも変わることを教えるよい機会として受け止めましょう。そして、何故子供の行動が先生に注意されたのかその根拠を考えたり、今後同じようなことが起こった場合どうするべきか、子供とゆっくり話し合う時間を持ちましょう。
*ADHD(Attention Deficit Hyperactivity Disorder:注意欠陥多動性障害):原因は解明されていませんが、脳神経系の機能不全で、注意力が持続できなかったり、衝動性、多動性を抑さえられない疾患。
【おすすめ資料】
少々古くなりますが、ビデオで日米の保育園での先生と子供達の関係の違いを見ることができます。(ビデオには日米だけでなく中国の保育園の様子も含まれています。)題名:Preschool in Three Cultures: Japan, China, and the United Statesこのビデオは比較教育の研究のために作られたもので、VHS1本で58分間にまとめられています。本も出ており、同じタイトルで Yale University Pressから出ています。お近くの図書館で Interlibrary Loanという他の図書館から取り寄せてもらえるシステムを使って借りることができると思います。ご覧の際には、特に、子供達同志で起こった問題に対する先生の対処の仕方に注目してみて下さい。
作者:Joseph Tobin、David Wu、Dana Davidson
出版:1989年、Fourth Wave Productions
06/06